小説:真宮寺教授の秘密講義《デブ猫競馬》


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第1章:天才の選択、あるいは「走る不確定要素」の排除

「ねえ、佐倉くん。競馬という名の『不確実性のスープ』から、一番美味しい具材だけを掬い取る方法を知っている?」

大学の研究室。神宮寺教授は、タブレットに表示された三つのレース名を指先でなぞりながら、突飛な質問を投げかけてきた。彼女は、ある種の物理学的な視点で競馬を解体する、若き天才として異端視されている。

佐倉は、淹れたてのコーヒーを彼女のデスクに置きながら、苦笑いを浮かべた。
「教授、またですか。僕にはどれも同じに見えますよ。クイーンカップ、共同通信杯、それに京都記念……。どれも2月の注目レースじゃないですか」

「全然違うわ。甘いわね、最近の異世界転生アニメの主人公くらい設定が甘いわ」
神宮寺は、背もたれに深く寄りかかり、天井を見上げた。

さて、どう教え込むべきかしら。初心者の佐倉くんに必要なのは、当てる喜びよりも先に『負ける要素を論理的に削ぎ落とす』という冷徹な選別眼よ。2月の3歳戦……それは春の幻影。対する古馬戦……それは積み上げられた履歴書。この差をどうユーモアたっぷりに、彼の凡庸な脳細胞に刻み込むか。それが今期の私の隠れた研究テーマね

「佐倉くん、もし君が会社の採用担当だとして、履歴書が白紙に近い新人3人と、10年選手だけど最近ちょっとスランプ気味のベテラン、どっちを重要なプロジェクトに配属する?」

「え、そりゃあ……。新人にも夢はありますけど、大失敗されたら困るからベテランですかね?」

「その通り。それが競馬における『古馬戦』と『3歳戦』の差よ」
神宮寺はタブレットを佐倉に向けた。

「まず、①クイーンカップと②共同通信杯。これらは3歳戦。つまり、まだ中学生が高校デビューを狙っているような時期なの。昨日まで大人しかった子が、今日いきなり金髪にして『俺は最強だ』と主張し始める。データが追いつかないのよ。特にクイーンカップは牝馬戦。彼女たちの精神状態は、最新のスマホのバッテリーくらい繊細で、パドックの一歩で電圧が変わってしまうわ」

「スマホのバッテリー……。確かに、急にガクッと落ちることありますね」

「そう。それに比べて、今回の本命、③京都記念はどう? 4歳以上の実績馬がズラリと並んでいる。ヘデントール、エリキング、ヨーホーレイク……。彼らはもう、自分の能力の『履歴書』をしっかり書き上げているのよ。誰がどれだけ重い荷物を背負えるか、どのコースが得意か、隠し事なし。これこそがデータ分析の真髄よ」

佐倉は画面を覗き込み、眉を寄せた。
「でも教授、ヘデントールって馬、59キロも背負ってますよ? 他の馬より重いですよね。これって不利なんじゃないですか?」

神宮寺は「これだから初心者は」と言わんばかりに、楽しそうに目を細めた。
「逆よ、佐倉くん。競馬において『重い斤量』は、国が発行した『君は最強である』という証明書なの。この重さは、彼がG1級のタイトルを獲ったという名誉の重み。データ派にとって、これほど信頼できる指標はないわ」

「なるほど、重いのは強い証拠……。でも、レース展開なんて当日にならないと分からないんじゃ?」

「いいえ、このレースには『バビット』という名の、走る時報がいるわ」

「時報?」

「ええ。彼は逃げる。必ず逃げる。彼が逃げることで、レースのペースは一本の線のように綺麗に整うの。まるで、行列のできるラーメン屋で完璧な列整理をするスタッフのようにね。展開が読めるレースは、紛れが少ない。つまり、実力馬が実力通りに走れる舞台が整っているということよ」

神宮寺は立ち上がり、窓の外に広がる冬の空を見つめた。

「クイーンカップは、誰が勝つか分からないアイドルオーディション。共同通信杯は、期待値だけが高い未完の大器たちの集まり。でも、京都記念は、実績と理論がぶつかり合うプロの戦場。データを見ながら穴馬を導き出すなら、これ以上の素材はないわ」

彼女は佐倉を振り返り、不敵に微笑んだ。

「決まりね。私たちの今週のターゲットは『京都記念』。さあ、佐倉くん。ここからは、その履歴書に隠された『嘘』と『真実』を暴いていくわよ。覚悟はいい?」

「はい、教授!……ところで、さっき言ってたアニメの話ですけど、教授もやっぱりチェックしてるんですか?」

「……『魔法少女が実は税理士だった』っていう新作なら、録画してあるわ。データ管理は基本よ」

神宮寺教授はそう言って、再びデスクのデータへと視線を落とした。京都記念という名のパズルが、今、解かれようとしていた。