小説:『銀河英雄走伝:中山の魔術師と黄金の制裁金』
~スプリングステークスの激闘~

馬名 脚質 異名
アウダーシアヤン追い込み「不敗の魔術馬」
アスクエジンバララインハルト先行「黄金の覇道」
アクロフェイズキルヒアイス先行・差し「紅の疾風」
サウンドムーブオーベルシュタイン差し「義眼の冷徹」
サノノグレーターキャゼルヌ追い込み「苦労人の事務官」
クレパスキュラービッテンフェルトまくり「黒色槍騎兵」
フレイムスタートリューニヒト逃げ「盤上の扇動者」
スプリングステークス 挿絵

【第一章:開幕のファンファーレと狂気の捲り】

中山の短い直線に、吹き抜ける春の風。
千切れた芝の青臭さと、ゲート内に充満する獣たちの熱気が入り混じる。
ガチャガチャと無機質な鉄枠が鳴り、出走を待つ馬たちの嘶きが響き渡った。

(ああ、この狭くて硬い空間はいつになっても慣れないな。
早くふかふかの藁に戻って、一日十時間は寝ていたい)

黒鹿毛の馬体を気怠げに揺らし、大きな欠伸を一つ。

「やれやれ、できれば紅茶でも飲みながら、モニター越しに観戦したいものだね」
と、15番・牡3のアウダーシアは呟いた。

隣の枠で、鼻息を荒くして前掻きをしている馬が勢いよく振り返る。

「貴様、この神聖なる戦場においてその弛みきった態度は何事だ!
即刻その無能な頭ごと刻み潰してくれるわ!」
と、12番・牡3のクレパスキュラーが怒鳴りつけた。

「潰すのは構わないけど、できればレース後にしてもらえるかな。
今は深刻な寝不足でね、できれば年金の早期受給について考えたいんだ」

「言い訳など聞かん!貴様のような怠け者はターフの引き立て役だ!
我が蹄の音で中山を平らげてくれるわ!!」

「平らげるのは良いけど、芝生の整備はJRAの仕事だと思うよ」

「ええい、減らず口を叩く野郎だ!ならば力でねじ伏せるまで!」

全く噛み合わないやり取りを、少し離れた枠から冷ややかに見つめる、黄金に輝く馬体があった。

(……低俗な言い争いだ。私の神聖な軌跡を汚す気か)

氷の刃のような瞳で前を見据え、誇り高く鬣を揺らす。

「我が覇道に死角なし。
前を往く者ども、その位置は私のために空けておくがいい」
と、2番・牡3のアスクエジンバラが周囲を威圧するように言い放つ。

「彼の覇道を阻む障害は、私がこの脚で薙ぎ払う!」
と、14番・牡3のアクロフェイズが、赤みがかった栗毛を輝かせて即座に同調した。

「忠義は結構だが、少しは自身の着拾いの計算もしたらどうだ。
無駄な感情はエネルギーの浪費だぞ」
と、16番・牡3のサウンドムーブが、芦毛混じりの冷たい瞳でぼそりと指摘する。

「なんだと?私の親友への忠誠を計算で測ろうなどと、言語道断だ!
貴様のような氷の塊に、我々の熱い絆が理解できるものか!」

「光あるところに影がある。前方の馬群が壁になる確率は78%だ。
感情で走れば壁に衝突して自滅するだけだ」

「貴様という奴は……!その減らず口、レースで後悔させてやる!」

「まあ良い。雑音は放っておけ。私の覇道は揺るがない」

アスクエジンバラがそう言って視線を前に戻した瞬間。
ガシャン!という爆音と共に、一斉にゲートが開いた。

ドッドッドッという地鳴りが中山のターフを激しく揺らす。
真っ先に飛び出したのは、視界を狭めるブリンカーを装着した、極度に神経質そうな馬だった。

「私の完璧な逃亡劇を見よ!誰も私に追いつくことなど不可能なのだ!」
と、5番・牡3のフレイムスターが大口を叩きながら、猛然とハナを奪いに行く。

(計算通りだ!私がこのレースを完全に支配し、
華麗に逃げ切って歴史に名を刻んでやる!)

彼の作り出したペースは凄まじく、二ハロン目にして強烈な急加速の波が、馬群全体を容赦なく襲う。
息もつかせぬ一ハロン一一点三秒という狂気の展開に、後方の馬たちはたまらず顔を顰めた。

「おいおい、前の連中ペース上げすぎだろ!
これだからエリートの考える事は嫌いなんだ!」
と、10番・牡3のサノノグレーターが、泥臭く馬群の最後尾付近で激しく愚痴をこぼす。

「エリートかどうかは知らないけど、あれは自滅のペースだね。
私たちはここでゆっくりさせてもらおう」

アウダーシアは十三番手という絶望的な位置にいながら、全く焦る様子もなく、むしろ安堵したように息を入れている。

「ゆっくりするのは勝手だが、巻き添えにしてくれるなよ。
俺はシンガリ負けだけは絶対に御免だからな!」

「やれやれ、苦労人の事務官殿は真面目だね。
私は年金をもらうための最適解を計算しておくよ」

「誰が事務官だ!ちくしょう、また回想録に愚痴が一つ増えちまった!」

一方、中団の十番手に控えていたクレパスキュラーは、周囲の遅さに苛立ちを隠せずにいた。

(なんだこの位置は!前の奴らはなぜもっと速く走らんのだ!
ええい、もどかしい!罠か?!罠なのか?!)

黒鹿毛の巨躯を激しく揺らし、ハミをガツンと強く噛んで、本能のままに前へ前へと出ようとする。

向正面に入り、ペースがふっと緩んだ。フレイムスターが息を入れようとペースを意図的に落としたのだ。

(ひ、ひぃぃ……なぜ後ろからあんなにプレッシャーをかけてくるんだ?!
私の計算通りにもっと離れて走れよお前ら!)

先頭で余裕ぶっていたフレイムスターだが、早くも背後の気配に胃を痛め始めていた。

そして運命の第三コーナー。
前方の不自然な緩みに、後方で爆発寸前だった火山が、ついに火を噴いた。

「ブレーキなどという軟弱な装備は捨て置け!前進あるのみだ!」

クレパスキュラーの我慢が完全に限界に達した。
彼は中団の外側から、一気に猛加速を開始する。
蹄が芝を抉り、土塊を後方へと派手に撒き散らしながら、怒涛の勢いで馬群を外から捲り上げていく。

「なっ……なんだあの猪突猛進は!?私の華麗なるペースメイクを乱すな!」

「知ったことか!全頭、突撃!
我が蹄の音で中山を完全に平らげてくれるわ!!」

瞬く間にフレイムスターの横に並びかけるクレパスキュラー。

「い、胃が……胃が痛い……もう無理だ、誰か代わってくれ……」

フレイムスターの瞳に絶望の色が浮かび、自ら作り出したペースの代償で早くも足がすくみ始める。

前線で繰り広げられる狂気の捲り劇を、アスクエジンバラは後方十一番手の内側から冷ややかに見つめていた。

(……馬鹿め。あの位置から無謀に脚を使えば、直線で沈むのは明白だ。
あんな泥臭い走りで先頭に立つなど、美学の欠片もない)

黄金の鬣をなびかせながら、彼はじっと内ラチ沿いで力を溜め込んでいる。

「ターフに刻む私の足跡こそが、次世代の血統書となるのだ!
前で勝手に潰れ合うがいい」

「風は我々に吹いている。さあ、共にターフの頂点へ!」

アクロフェイズもまた、中団で完璧な立ち回りを維持し、親友の勝利への露払いをすべく虎視眈々と前を狙う。

そして、最後方付近の十三番手。
アウダーシアは依然として気怠げな瞳を半開きにしたまま、馬群の外側へと、まるで散歩でもするかのようにゆっくり持ち出していく。

(休日の労働は民主主義の根幹を揺るがすと思うんだが、
JRAの役人はこの理不尽な労働環境をどう考えているのかな)

ため息をつきながらも、彼の体は全く力んでおらず、不気味なほど滑らかに芝を蹴っていた。

「さて、前の喧嘩もそろそろ佳境のようだ。
勝敗なんてただのタイムと位置取りの関数さ。
私たちは、一番楽な方法で前に行かせてもらうよ」

「一番楽な方法だと!?伊達や酔狂でこんな後方を走ってるわけじゃないんだぜ!
逃げるが勝ちって言うだろ?ま、今回は追いかけてるけどな!」

サノノグレーターが悪態をつきながら泥臭く食らいつき、冷徹なるサウンドムーブが内側でひっそりと影を潜める。

土埃が舞い、息苦しいほどの熱気が鼻腔を突く。
勝負の最終コーナーが眼の前に迫る。
クレパスキュラーが先頭で息を荒げ、後方待機勢の恐るべき末脚が、今まさに解き放たれようとしていた。