【第二章:魔術師の休息と、黄金の斜行】

中山の直線:宿命の激突

最終コーナー。
そこは、栄光への入り口ではなく、ただの地獄の入り口だった。
先頭で鼻息を荒くする12番・牡3のクレパスキュラーは、自らの「突撃」の代償に、全身が鉛のように重くなるのを感じていた。

(なんだ……?直線に入った瞬間、四肢が鉛のように重い……罠か?!
フェザーンの卑劣な罠に嵌まったというのか!?)

「全頭、突撃!我が蹄の音で……いや、ちょっと待て、脚が……脚が動かん!ええい、後ろから抜かしていく輩どもめ!」
と、クレパスキュラーは悲鳴のような嘶きを上げた。

「私の完璧な逃亡劇……が……はあ、はあ……誰か代わってくれ……」
横を走っていた5番・牡3のフレイムスターは、もはや幽霊のような足取りで、馬群の底へと静かに沈んでいく。

その阿鼻叫喚の先行集団を尻目に、黄金の鬣を激しくなびかせた一頭の馬が、馬群の狭間を割って出た。
2番・牡3のアスクエジンバラだ。

(道を開けよ。王者のパレードが通る。
この泥臭い戦場を、私の美学で塗り替えてくれるわ!)

「前を往く者ども、その位置は私のために空けておくがいい!
私の歩みこそが、宇宙の真理なのだ!」
と、アスクエジンバラが気高く宣言する。

「その真理とやらに、少しだけ私の効率的な計算を混ぜてもいいかな」
すぐ後ろにピタリとつけていた、16番・牡3のサウンドムーブが、義眼のように冷たい視線で進路を伺う。

「計算だと?貴様のような影の住人に、私の光を測ることなどできん!
下がっていろ、私の邪魔をするな!」

「光が強ければ影も濃い。貴様の外側に進路が開く確率は62%だ。
私はそこから最短距離で賞金を掠め取るだけだ」

「ええい、不吉なことを言うな!私の勝利にパーセンテージなど不要だ!」

アスクエジンバラが強引に進路を外へ持ち出そうとした、その時。
一ハロン一一点四秒という、中山の心臓破りの坂を無視したような、物理法則を無視した黒い影が、大外から襲いかかった。

(ああ、なぜゴール板はあんなに遠いんだろう。
直線なんて半分の長さで十分じゃないか。
早く帰って、ブランデー入りの紅茶を飲みながら昼寝がしたい)

15番・牡3のアウダーシアだ。
耳を後ろに寝かせ、死んだ魚のような目をしたまま、しかしその脚取りは、他馬を置き去りにする「魔術」そのものだった。

「やれやれ……。パレードなんて目立つことをしたら、観客から何を投げられるかわからないよ」
と、アウダーシアがアスクエジンバラの真横に並びかける。

「……ッ!貴様、あの絶望的な位置から、なぜここにいる!?
私の計算よりコンマ一秒速いだと?!理解不能だ!」

「勝敗なんてただのタイムと位置取りの関数さ。
……なんて、本当はただ早く帰って寝たいだけなんだけどね」

「寝言は馬房で言え!この不敗の魔術師め、私の覇道が貴様を粉砕する!」

「粉砕されるのは御免だよ。労働は最低限、年金は最大限。
それが私の民主主義的な走り方なんだ」

二頭の意地が激撃する。アスクエジンバラが、闘志のあまり進路をグイと外側へ向けた。
その瞬間、外を走っていたサウンドムーブの進路が塞がれる。

「……ッ!計算外だ。この黄金の馬、感情でコースを曲げおったな。
私の最適解が、物理的な圧力で崩壊していく……」
サウンドムーブが珍しく、苦々しい声を漏らした。

(一万円……いや、制裁金の額ではない。私のプライドの対価だ!)

アスクエジンバラはなりふり構わず加速するが、大外のアウダーシアの末脚は、もはや中山の重力さえも拒絶していた。

「風は我々に吹いている。さあ、共にターフの頂点へ!」
その二頭の争いに割って入ろうとしたのは、7番・牡3のアクロフェイズだ。
親友を援護すべく、懸命に脚を伸ばして三番手に食い下がる。

「彼の覇道を阻む障害は、私がこの脚で薙ぎ払う!
たとえこの身が尽きようとも、このハナ差だけは譲らない!」

「……キルヒアイス、貴様という奴は。
だが、その献身すら飲み込むのが、この黒い怠け馬なのだ!」

ゴールまで残り百メートル。アウダーシアが、ついにアスクエジンバラをクビ差捉えた。
勝利を確信した魔術師だが、ここで最後の大仕事が待っていた。

(休日の労働は最後までトラブル続きか。
少しだけ進路を修正させてもらうよ。内側が寂しそうだからね)

アウダーシアが、勝利への加速の勢い余って、グイと内側へ斜めに入る。
その進路の先には、最後方から泥臭く追い上げてきた、10番・牡3のサノノグレーターがいた。

「おいおい!最後に見せ場を作ろうと思ったら、これかよ!
エリートの魔術は、俺たち平民の進路を奪うのが専売特許か!」
サノノグレーターが、衝突を避けるために一瞬脚を緩める。

「申し訳ないね。でも、これが民主主義の多数決、いや、物理的な質量保存の法則というやつなんだ。
君の回想録に、また一行愚痴が増えるだけだよ」

「ちくしょう!三万円……いや、俺の着順を返せ!この魔術師、確信犯だろ!」

阿鼻叫喚の斜行。飛び交う怒号。舞い上がる砂塵。
それでも、ゴール板を一番に駆け抜けたのは、もっともやる気のない、黒鹿毛の魔術師だった。

結 果:1着 アウダーシア(クビ差)
タイム:1分46秒

「勝ったか……。さて、表彰式なんて面倒な儀式は簡略化して、一刻も早く馬運車に乗せてくれないかな」
アウダーシアは、ゴールを過ぎた瞬間に、再び死んだ魚のような目に戻った。

「クビ差……この私がクビ差だと?
この屈辱、宇宙の果てまで追い詰めて晴らしてくれる!
次は、次は必ず貴様の怠惰な夢を粉砕してやる!」
二着に敗れたアスクエジンバラが、黄金の鬣を悔しげに震わせる。

「……次は、ぜひ私がモニター越しに観戦している時にしてほしいね。
戦いはもう、お腹いっぱいだよ」

砂塵が収まった中山のターフ。
そこには、制裁金の請求書を突きつけられそうな英雄たちと、ただただ眠りに飢えた魔術師の、奇妙な静寂が広がっていた。