【名無しさん】 2025年10月17日 12時46分33秒 | 猫でも書ける短編小説 |
【名無しさん】 2025年10月17日 12時29分17秒 | 第1章:春の教室、君がいた席 春の風が、窓の隙間からそっと入り込んでくる。 新しい制服の襟元が少しだけ硬くて、千紗は指先で何度も撫でた。 教室は、ざわざわとした声で満ちている。新しいクラス、新しい席、新しい人間関係。 けれど、千紗の視線は、ただ一つの席に吸い寄せられていた。 窓際、三列目のいちばん後ろ。 そこは、律が座っていた席だった。 誰も座っていないその席は、まるで時間が止まったように静かだった。 新しい名簿には、律の名前はもうなかった。 先生も、誰も、そのことに触れようとしない。 まるで最初から、彼は存在しなかったかのように。 千紗は、鞄の中に手を入れ、小さな紙片を握りしめた。 それは、律が最後に渡してくれたメモだった。 「次の休みに、図書室で待ってる」 その約束は、果たされることはなかった。 事故だった。 春休みの終わり、律は自転車で坂道を下っている途中、車にぶつかった。 即死だったと聞かされたとき、千紗は何も感じなかった。 涙も出なかった。 ただ、心の中にぽっかりと穴が開いたような感覚だけが残った。 「ねえ、千紗って、律と仲良かったよね?」 隣の席の女子が、遠慮がちに声をかけてきた。 千紗は、笑顔を作ろうとしたけれど、うまくいかなかった。 喉の奥が詰まって、声が出ない。 代わりに、彼女は小さくうなずいた。 「そっか……ごめんね、変なこと聞いちゃって」 その子は、気まずそうに目をそらした。 千紗は、律との思い出を誰かに話すことができなかった。 ふざけ合った日々、喧嘩したこと、笑い合ったこと。 それらすべてが、今では自分だけの秘密になってしまった。 昼休み、千紗はそっと教室を抜け出し、校舎の裏にある小さなベンチに座った。 そこは、律とよく話した場所だった。 風が髪を揺らし、遠くでチャイムが鳴った。 「律……」 初めて、彼の名前を声に出した。 それだけで、涙が溢れた。 言えなかった言葉が、胸の奥でずっと疼いている。 「好き」って、たった一言が、どうしてこんなにも重いのだろう。 あの時、言えていたら、何か変わっていたのだろうか。 そんな問いは、もう誰にも答えてもらえない。 春の教室は、今日も変わらず騒がしい。 けれど、千紗の世界は、律がいないことで、少しだけ色を失っていた。 |
【名無しさん】 2025年10月17日 12時28分46秒 | 第2章:ふざけあった時間の残像 昼休みの教室は、笑い声と紙の音で満ちていた。 誰かがプリントを落とし、誰かがそれを拾い、誰かが冗談を言って、誰かが笑う。 千紗は、その輪の外にいた。 窓際の席に座り、開いたノートの上にペンを置いたまま、手は動かない。 ふと、隣の席に目をやる。 そこは、律が座っていた場所だった。 彼がいた頃、昼休みはいつも騒がしかった。 千紗が静かに本を読もうとすると、律はわざと声をかけてきた。 「なに読んでんの? また難しそうなやつ?」 「……別に、普通の小説」 「ふーん。俺には無理だな。文字多すぎて目が死ぬ」 「じゃあ、黙ってて」 「えー、そんな冷たいこと言う?」 「……うるさい」 「でも、千紗が怒るの、ちょっと好きかも」 「……は?」 そんなやり取りが、何度もあった。 律は、わがままで、空気を読まなくて、でもなぜか憎めなかった。 彼の言葉は、いつも少しだけ予想を裏切ってくる。 それが、千紗には心地よかった。 「律ってさ、なんであんなに千紗に絡んでたんだろうね」 後ろの席の女子が、友達と話しているのが聞こえた。 「好きだったんじゃない? あれ、絶対そうだよ」 「えー、でも千紗ってあんまり反応してなかったじゃん」 「そういうのがいいんじゃない? 静かな子に惹かれる男子っているし」 千紗は、ノートの端を指でなぞった。 その会話に、何も言えなかった。 律の気持ちがどうだったのか、千紗には分からない。 でも、自分の気持ちは、確かにあった。 それを、言葉にする勇気がなかっただけ。 放課後、千紗は一人で校舎を歩いた。 誰もいない廊下に、律の足音が響いていた気がした。 階段の踊り場、図書室の前、体育館の裏――彼と過ごした場所が、記憶の中で色づいていく。 ふざけあった時間は、もう戻らない。 でも、その残像は、千紗の中でずっと生きている。 彼の声、彼の笑い方、彼の癖。 それらすべてが、千紗の世界を少しだけ明るくしていた。 今はもう、誰もその時間を知らない。 千紗だけが、覚えている。 それが、少しだけ誇らしくて、少しだけ苦しかった。 風が吹いて、教室のカーテンが揺れた。 千紗は、そっと目を閉じた。 律の声が、遠くで笑っている気がした。 |
【名無しさん】 2025年10月17日 12時28分24秒 | 第3章:通学路に君を探して 朝の通学路は、春の光に包まれていた。 千紗は、制服の袖を少しだけ引き寄せながら、歩く速度を落としていた。 この道を、律と並んで歩いた日々が、まだ肌に残っている気がした。 歩道の端に咲いたタンポポ。 コンビニの前に並ぶ自転車。 信号待ちの間に聞こえる小学生の笑い声。 どれも、律と過ごした時間の背景だった。 「おはよ、千紗」 律は、いつも少し遅れてやってきて、後ろから声をかけてきた。 「また寝坊?」 「いや、今日は犬に話しかけてた」 「……意味わかんない」 「でも、千紗が笑ったから、よしとする」 そんな会話が、何度もあった。 律の言葉は、いつも予想外で、千紗の心を少しだけ揺らした。 彼の声が、今も耳の奥に残っている。 風が吹くたびに、その声が呼び起こされる。 交差点に差し掛かると、千紗は立ち止まった。 律が、ふざけて信号を無視しようとして、千紗に怒られた場所。 「危ないからやめて」 「千紗が怒ると、ちょっと嬉しい」 「……バカ」 その時の彼の笑顔が、鮮明に蘇る。 信号が青に変わっても、千紗は動けなかった。 目の前を通り過ぎる人々の中に、律の姿を探してしまう。 「こんなところにいるはずもないのに」 それでも、目が離せない。 通学路の途中にある小さな公園。 律とベンチに座って、ジュースを飲んだことがある。 そのベンチは、今も変わらずそこにあった。 千紗は、そっと腰を下ろした。 「律……」 名前を呼ぶと、胸が締めつけられる。 言えなかった言葉が、喉の奥で震えている。 「好きだったよ」 ようやく、声に出せたその言葉は、風にさらわれていった。 誰にも届かない。 でも、自分には届いた。 それだけで、少しだけ救われた気がした。 通学路は、今日も変わらず続いている。 律がいないことを除けば、すべてが同じだった。 それが、いちばん寂しかった。 |
【名無しさん】 2025年10月17日 12時27分56秒 | 第4章:図書室の窓に映る影 昼休みのチャイムが鳴ると、千紗は教室を出て、静かな廊下を歩いた。 向かう先は、校舎の端にある図書室。 律がよく通っていた場所だった。 図書室の扉を開けると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。 棚に並ぶ本の匂い。 ページをめくる音。 誰かが咳払いをする声。 そのすべてが、律の気配を呼び起こす。 千紗は、窓際の席に座った。 そこは、律がいつも座っていた場所。 彼は、意外にも読書が好きだった。 「本って、静かに誰かと話してるみたいで、ちょっといいよな」 そう言って、分厚い小説を黙々と読んでいた。 千紗は、彼が最後に読んでいた本を探した。 記憶を頼りに、棚を何度も見渡す。 ようやく見つけたその本は、少しだけページが折れていた。 彼が読んだ痕跡が、そこに残っていた。 ページをめくると、律の指の跡があるような気がした。 文字の間に、彼の声が挟まっているような気がした。 「この主人公、ちょっと千紗に似てるかも」 「どこが?」 「無口で、でもちゃんと見てるとこ」 「……そんなことない」 「あるって。俺は見てるから」 その会話が、ふいに蘇る。 千紗は、ページの隙間に指を滑らせた。 そこに、彼の温度が残っている気がした。 窓の外では、風が木々を揺らしていた。 その揺れが、律の笑い声に聞こえた。 千紗は、窓に映る自分の姿を見つめた。 その隣に、律の影があるような気がした。 「律……」 名前を呼ぶと、胸がきゅっと締めつけられる。 言えなかった言葉が、また喉の奥で震える。 「好きだったよ」 その言葉は、窓のガラスに吸い込まれていった。 図書室は、今日も静かだった。 誰も、律のことを話さない。 でも、千紗の中では、彼が今もそこにいた。 ページを閉じると、風が少しだけ強く吹いた。 窓の影が揺れて、律の姿が遠ざかっていくように見えた。 千紗は、そっと本を棚に戻した。 彼の痕跡を、そっとしまうように。 |
【名無しさん】 2025年10月17日 12時37分57秒 | 第5章:季節が巡るたびに |