第40章『精霊リュミエールとの邂逅』
迷宮の第七層に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
音が、ない。 風も、ない。 魔力のざわめきすら、どこか遠くに引いていく。
「……ここ、静かすぎない?」
ルイは思わず呟いた。 声が、石壁に吸い込まれるように消えていく。 まるで世界そのものが、息を潜めているかのようだった。
「封印核が近い証拠だな」 ヴァルが剣の柄に手をかけながら言う。 「魔力の流れが沈殿してる。この層は、空間そのものが“封じられてる”んだ」
「……封じられてる、か」
ルイは自分の手を見下ろす。 封印術を使うたびに、何かを閉じ込めているような気がしていた。 けれど、それが“守るため”だと信じたくて、ここまで来た。
「ご主人様、段差です。足元にお気をつけて」
フレアがそっと袖を引く。 その声はいつも通り穏やかで、けれどどこか張り詰めていた。
「ありがとう。……でも、そんなに近くなくても」
「では、半歩だけ離れますね。ご主人様の気配が感じられる距離で」
(それ、ほぼ変わってない……)
ルイは小さくため息をついた。 フレアの忠誠はありがたい。ありがたいのだが、 “距離感”という概念が、彼女の辞書には存在しないらしい。
◆
その時だった。
空間の中心に、光が舞った。 それは、風もないはずの空間に、そっと揺れる羽のようだった。
「……魔力の粒子が、踊ってる?」
ミリアが目を細める。 彼女は魔力の流れを“音楽”として捉える癖がある。 今の彼女の耳には、きっと優雅な旋律が流れているのだろう。
「セリナさん、今“ふわふわステップ”を夢の中で踏み直しましたよ」 世界の意志が、脳内で実況を始める。
(夢の中でステップって……どういう状態なんだ)
ルイが困惑していると、光の粒が集まり、ひとつの“形”を成した。
それは、少女だった。
髪は淡い金色で、肩までのゆるやかなウェーブ。 瞳は水面のような青で、見つめられると心の奥まで透かされるような気がした。 衣装は羽毛のような魔力布でできていて、風もないのにふわりと揺れている。
そして何より——その存在感が、儚かった。
「……誰?」
ルイが問いかけると、少女は静かに微笑んだ。
「私は、リュミエール。封印核の守護精霊です」
その声は、風鈴のように澄んでいて、どこか懐かしかった。
「あなたの封印……とても、優しい。だから、来ました」
「僕の……封印?」
「ええ。あなたの封印は、誰かを閉じ込めるものじゃない。 誰かを、守るためのもの。……それが、嬉しかったの」
ルイは、言葉を失った。 誰かに、そんなふうに言われたのは初めてだった。
「セリナさん、今“守る”という単語に反応して、夢の中で手を伸ばしました」 世界の意志が、そっと囁く。
(……セリナさん)
ルイの胸の奥が、静かに震えた。
◆
リュミエールは、そっとルイの手を取った。 その手は、魔力でできているはずなのに、あたたかかった。
「迷宮の構造、見せてあげます。あなたなら、きっと整えられるから」
その言葉とともに、空間が広がる。 壁が透け、魔力の流れが線となって浮かび上がる。 それは、まるで巨大な封印陣のようだった。
「この迷宮は、世界の“揺らぎ”を封じるために作られた。 でも、完全じゃない。だから、あなたのような人が必要なの」
「僕が……?」
「ええ。あなたの封印は、静かで、優しくて、あたたかい。 それは、世界を整える力。……私は、それを信じています」
その瞳は、まっすぐだった。 儚げなのに、芯がある。 風のように柔らかいのに、決して揺らがない。
ルイは、そっと頷いた。
「……ありがとう。リュミエールさん」
「ううん。こちらこそ、ありがとう。あなたに会えて、よかった」
その微笑みは、どこかセリナに似ていた。 けれど、違う。 これは、リュミエールというひとりの精霊が、 ルイというひとりの封印使いに向けた、確かな想いだった。
◆
「ルイ、今の精霊……完全に君に懐いてたな」
ヴァルが肩をすくめる。 リズは遮断陣を畳みながら、「天然系って、あれが本物なのね」と呟く。
フレアは、ルイの袖をそっと引いた。
「ご主人様、あの方……とても、優しい目をしていました」
「……うん。そうだね」
ルイは、そっと拳を握った。 この力で、守りたい人がいる。 それが、彼のすべてだった。
迷宮の奥へと続く道が、静かに開かれていた。
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