牝馬探偵・神宮寺教授の秘密講義
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第一章:概念の破壊と「スタミナ型」穴馬の定義
「VOICEVOX: 春日部つむぎ」「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: 満別花丸」
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冬の冷気がガラス窓を震わせる、都心の大学の一室。そこは伝統的な講義室というよりは、最先端のデータ分析ラボといった趣だった。壁には巨大なマルチモニターが設置され、一面にJRAの過去10年間のデータが波形グラフとなって光を放っている。
中央には、神宮寺教授――競馬界の「データ・ミューズ」とも呼ばれる若き天才――が立っていた。彼女の白いブラウスは、部屋の暗がりの中で蛍光灯の光を反射し、まるで彼女自身が放つ知性の輝きのようだった。
対面に座る数名の学生の中で、佐倉は特に前のめりになっていた。彼は一見すると凡庸な大学生だが、その眼差しは誰よりも鋭く、常に「大穴」という未踏の鉱脈を探し求めている。
「佐倉くん。いいわ、今日のテーマは『阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)における、5番人気以下の穴馬の正体』よ」
教授はレーザーポインターを手に、モニターに映し出された分析資料を指し示した。佐倉の視線が、資料のハイライト部分に釘付けになる。
「穴馬の正体……ですか。普通に考えれば、前走で負けた馬か、ローカル組か。つまりは『スピード不足』か『格下』と見られた馬でしょうが、教授の分析はいつも、その『普通』を粉砕しますから」
佐倉は興奮を隠さず言った。
「その通り。あなたは『概念破壊』の面白さを知っているわね。このレース、みんな『マイル女王決定戦だからマイル実績馬』と、脊髄反射で考える。それが、このレース最大の『死角』よ」
教授はモニターの表を切り替え、過去の穴馬リストを映し出す。
神宮寺教授の「静かなる思考」 (私の仮説はこう。阪神JFは『早熟なスプリンターの墓場』であり、『持続力のあるマイラーの聖地』ではない、ということ。みんな、坂があるから瞬発力勝負だと勘違いしているけど、そうじゃない。2歳牝馬の集団心理によるハイペース→急坂での消耗戦こそが、このレースの本質よ。単なるスピードでは坂を乗り切れない。必要なのは、1800mを走り切れるだけの『スタミナ貯金』なの。)
教授は、佐倉の顔を見つめ、少し意地悪な笑みを浮かべた。
「佐倉くん。資料の『①結論:穴馬(当日5番人気以下)の正体』を、声に出して読んでみて」
「はい。『「1800m戦を経由してきた、非主流ローテのスタミナ型」を狙え。』……これですね。『非主流ローテ』。人気馬はアルテミスSやファンタジーSの組が占めますから、そことは違う『裏街道』を歩んできた馬、ということですか」
「ええ。しかも、『1800m』という距離がポイント。なぜ、マイルGⅠで1800m経験馬が穴を開けると思う?」
佐倉は顎に手を当て、即座に答えた。
「それは、その1800mを走るためのスタミナが、阪神マイルの『激流』と『急坂』でこそ活きるから、ですか? つまり、速いペースで追走してもバテずに、ゴール前の急坂で最後のひと踏ん張りが利く、と」
「ふふ、満点よ。あなたの頭脳は、いつも美しいわ。多くのファンは、『距離短縮=スピードの優位性』と単純に考える。しかし、我々が着目すべきは『追走の余裕』と『タフさ』。1800mのペースに慣れた馬は、マイルの速い流れも『楽な追走』だと錯覚できる。これが『スタミナ貯金』のメカニズムよ」
「格下」は「適性」に勝てない
教授はさらに具体的な例を挙げ始めた。
「特に注目すべきは、『前走クラス』の項目。『重賞(アルテミスS・ファンタジーS)組の敗者より、1勝クラス(自己条件)やオープン特別を勝ち上がってきた馬』。これ、どういう意味かわかる?」
「これは……人気馬のローテーションをわざと避けている、というより、重賞で既に負け癖がついた馬は期待できない、ということでしょうか」
「半分正解。でも、もっと本質的な問題があるのよ。重賞、特にアルテミスSのような東京マイルのスローな瞬発力勝負で好走した馬は、『急加速のスキル』は高いけれど、『持続的なパワー』が磨かれていないことが多い。一方、1勝クラスやオープン特別を勝ち上がってきた馬、特に1800mの紫菊賞(ビップデイジー)や、マイルの赤松賞(ステレンボッシュ)を勝ち上がってきた馬は、周囲にマークされることなく、自分の能力を最大限に引き出す競馬をしてきている」
教授の口調に、一段と熱がこもる。
「つまり、重賞のハイレベルなスローペースで負けるよりも、『裏街道で、自分の適性に合ったペースで勝ち切る』方が、本番のタフなGⅠでは活きる、というデータなのよ。ファンはGⅢの『格』を重視するが、我々はGⅠで必要な『適性』を重視する。この差が、オッズの歪み、すなわち『穴』を生むの」
(ファン心理は、いつも『ブランド』に弱い。GⅢの重賞タイトルは眩しく見える。でも、そのタイトルが、実は『阪神JFのタフさ』とは真逆の『瞬発力特化』の証明書だったとしたら? 我々は、その虚飾に惑わされてはならない。データは、『格よりも、タフな条件での勝利経験』こそが、大舞台での突破力になると語っている。)
究極の穴馬プロファイル
「さて、佐倉くん。ここまでの話を踏まえて、今年の登録馬から、我々が狙うべき『穴馬プロファイル』を再構築してみて。5番人気以下で一発を狙うために、最も重視すべき要素は?」
佐倉は資料と登録馬リストを交互に見比べ、息を吸い込んだ。
「最重要視すべきは三点。一つ、ローテーションは『1800mのオープン・1勝クラス』または『マイルの1勝クラス(赤松賞)』を勝ち上がっていること。二つ、前走で人気薄でも、しっかりと『勝ち切っている(1着)』という結果を出していること。そして三つ、血統に『エピファネイア』や『ルーラーシップ』といった、パワーとスタミナを補完する血が入っていること。この三位一体が、オッズの盲点を突く鍵だと思います」
教授は満足げに頷いた。
「見事だわ。その通り。特に『前走勝ち切っている』という項目は、2歳戦において非常に重要よ。未勝利勝ちや、1勝クラスを僅差で勝ってきた馬は、まだ底を見せていない『伸びしろ』の塊だから。人気が低くても、その『勝ち星』の価値はオッズ以上に重いのよ」
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第二章:血統とローテの化学反応
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️ 血統が示す「タフネス」の証明
講義室の空気は、理論から実践へと移行し、さらに熱を帯びていた。神宮寺教授は、佐倉の分析を評価した後、血統のセクションへと深く切り込んでいく。
「さて、佐倉くん。ローテーションの『概念破壊』は終えた。次に着目するのは、骨格、すなわち血統よ。この阪神JFというサバイバルレースにおいて、単なる『瞬発力』を追求するディープインパクト系が穴を開けにくいのはなぜだと思う?」
教授は挑発するように尋ねた。彼女の背後のモニターには、過去の穴馬の血統構成が複雑な図となって現れている。
「ディープ系が飛ぶ理由は、第三章の『前提:阪神ジュベナイルFのレース質』で示されていますね。『ハイペースで馬場がタフになりがち』。つまり、芝が痛み始めた年末の阪神の急坂は、単なる切れ味勝負を許さない。日本の主流であるサンデーサイレンス系の中でも、底力、パワー、そして持続力を補完する血が必要だからです」
「その通り。あなたは、日本の競馬における主流血統の『弱点』を正確に把握しているわね。だからこそ、穴馬のリストには必ず『欧州パワー/スタミナ血統』の影がちらつくのよ」
教授はレーザーポインターを、「ロベルトの血」と「キングカメハメハ/ルーラーシップの血」の部分に向け、強調した。
「例えば、ステレンボッシュ(2023年2着・5番人気)やサークルオブライフ(2021年1着・4番人気)は、父がエピファネイア。エピファネイアは、あのロベルト系の血を強く引くわ。ロベルト系は、芝の深さや重さを苦にしない、『鋼の心臓』を持つ馬が多い。タフな馬場が、彼らの庭となるわけよ」
思考の迷宮:血統とローテの連立方程式
(ロベルト系、キンカメ系……彼らは日本競馬界の『異端の戦士』よ。瞬発力競争では一歩譲るかもしれないが、持久力とパワーが必要な条件下では、ディープ系の牙城を崩す。そして、これが重要なのだけれど、『1800mの非主流ローテ』と『パワー血統』は、ただの偶然の一致ではない。スタミナ型の血統を持つ馬を、陣営は自然と距離を延ばしたローテ、つまり1800m戦で試す。そこで『勝ち切る』ことで、彼らは阪神JFに必要な『タフネスの結晶』となってしまうわけ。ファンは『あの馬は血統的にマイラーではない』と軽視する。それが、我々がオッズを盗む最大のチャンスになる。)
教授は、大きく息をつき、佐倉に鋭い質問を投げかけた。
「では、今年の登録馬の中で、この『スタミナ型ローテ』と『パワー血統』の連立方程式を満たしそうな馬はどれか、登録馬リストから探してみて。ただし、想定5番人気以内(アランカール、マーゴットラヴミー、アルバンヌ、スターアニス、タイセイボーグ)は除くわよ」
佐倉は、目の前のリストを食い入るように見つめ、一つずつチェックを入れていった。
「ええと……想定6番人気以下の馬で、『1800m経験』があるのは……ギャラボーグ(1800m未勝利勝ち・新馬2着)と、スタニングレディ(1800m新馬勝ち)。そして、マルガ(1800m新馬勝ち)ですね」
「いい着眼点ね。この三頭を、血統でさらに絞り込んでみて」
穴馬候補の炙り出し
「まず、ギャラボーグ(想定7番人気)。前走は1800m勝ちですが、血統情報がリストにないため一旦保留。次に、スタニングレディ(想定15番人気)。1800m新馬勝ちで、前走人気は9番人気からの1着。これは『前走人気薄でも勝ち切った』という条件に当てはまります。血統がエピファネイアやルーラーシップなら、完璧なプロファイルです」
教授は、佐倉の分析能力に満足げな笑みを返した。
「そのスタニングレディ、彼女の父はルーラーシップよ。まさに、私たちが求めていた『キングカメハメハの持続力』の権化。さらに前走は9番人気での勝利。これは『ファンがまだ気づいていない逸材』の証拠よ。この馬は、今年の最重要チェック馬となるでしょう」
「まさしく! ローテーションも血統も、穴馬プロファイルに合致しています。そしてもう一頭、マルガ(想定11番人気)。この馬も1800mの新馬戦を勝ち上がっていますね。前走はアルテミスS(GⅢ)で5着。これは分析のB項『ハイレベルなGⅢで掲示板(5着以内)』に該当します。負け組の烙印を押されがちですが、GⅢのタフな流れで5着に残る『タフネス』は評価すべきです」
「その通りよ、マルガの血統は?……父はディープ系だが、母父に欧州型のスタミナ血統が入っている。やはり、ここでも『スタミナ型の補完血統』が働いているわ」
「そうか……人気の中心が『距離延長を苦にするスピード型』や『スローな瞬発力特化型』であれば、この裏街道のタフネス組は、オッズ以上に実力を発揮できるわけですね」
リスク要因の排除
「ただし、忘れてはならないのが、分析にある『不確実性(リスク要因)』よ、佐倉くん。それは何?」
「スローペースになった場合、です。稀に前半が緩む年があれば、我々が軽視しているスピード型、つまりファンタジーS組などが残ってしまう可能性がある」
「その通り。阪神JFはハイペースになりやすいとはいえ、スローになる可能性もゼロではない。だから、穴馬を探す上で、最後のポイントとして『前走のレース内容』、特に『追走のレベル』を見て、単なるスロー逃げで勝った馬を排除する必要があるわ」
「つまり、『タフな条件で、しっかりと勝ち切っているか、あるいはハイレベルなレースで健闘したか』。それが、スローペースのリスクを打ち消す、実力の証明になるわけですね」
教授は静かに頷き、モニターに目をやった。いよいよ、登録馬の中から真の穴馬を絞り込む段階だ。
「さあ、佐倉くん。第三章では、残りの登録馬を徹底的に精査し、最終的な結論を出すわ。あなたの『穴馬探しの嗅覚』を、さらに研ぎ澄ませなさい」
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最終章:オッズの虚飾と穴馬三銃士
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神宮寺教授は、講義室の中央で、登録馬一覧を前に最後の仕上げに入っていた。佐倉は緊張した面持ちで、最終的な「穴馬プロファイル」と登録馬の情報を照合している。
「佐倉くん。最終確認よ。想定5番人気以内(アランカール、マーゴットラヴミー、アルバンヌ、スターアニス、タイセイボーグ)は、もちろん高い能力を持つ。しかし、我々が狙うのは、オッズの歪み、つまり実力と人気が乖離している馬よ。リストの残りの馬から、プロファイルに合致しない馬を消去していきましょう」
「はい、教授。まず、ファンタジーS組のアンヘリータス(12着)やメイプルハッピー(7着)は、分析の通り、1400mでのスピード特化型であり、前走大敗は巻き返しが難しいため、消去。ダート経験馬のウィングブルー、ローズカリスも、GⅠの芝で通用する可能性は低いと見て、排除します」
「正しい判断ね。そして、ここで注意すべきは、一見よさそうに見えるが、実は『タフネス』が不足している馬よ。例えば、ホワイトオーキッド(想定12番人気)。新馬戦1600m勝ち、5番人気。悪くないが、前走が新馬戦一回切り。キャリアが浅すぎる馬は、阪神JFの激流に対応できないリスクが高い。保留ではなく、積極的に切るべきよ」
(キャリア1戦の馬は、確かに底を見せていないが、同時に『揉まれる経験』もしていない。GⅠの殺伐とした流れの中で、一瞬の不利で集中力を欠く可能性が高い。我々が求めるのは、『一度は苦しい状況を乗り越えた、タフな実績』なのだ。)
佐倉は、教授の思考を察したように頷いた。
「では、残った候補の中で、特にプロファイルの核である『1800m経験』または『1600mの裏街道勝ち』を持ち、かつ『前走で結果を出している』馬を再評価します」
最終候補者の選定と格付け
佐倉が、残る候補を黒板に書き出す。
ヒズマスターピース(想定6番人気) ギャラボーグ(想定7番人気) ミツカネベネラ(想定8番人気) マルガ(想定11番人気) スタニングレディ(想定15番人気)
「教授、この5頭が残りました。まずは6番人気と7番人気ですが、オッズの変動で5番人気以下になる可能性が高いと見て、含めます」
「その判断は賢明ね。人気は水物よ。この中で、最も『穴馬の理想形』に近いのは誰?」
「それは、第2章で議論したスタニングレディ(15番人気)です。ローテ:1800m新馬勝ち→GⅢ未経験。前走:9番人気1着(タフネス証明)。血統:父ルーラーシップ(パワー・持続力)。これほどまでに、分析の全要素を満たした馬は他にいません。彼女は、今年の『ビップデイジー』あるいは『ドゥアイズ』になる資格があります」
教授は微笑んだ。
「その通り。そして、次に注目すべきは、僅差でプロファイルをクリアしている馬よ。ヒズマスターピースはどう?」
「ヒズマスターピース(6番人気)。ローテ:赤松賞(1勝クラス・1600m)1着。これはステレンボッシュ(2023年2着)と全く同ローテです。前走:5番人気1着(裏街道で勝ち切り)。この馬は、1800m経験はありませんが、『タフなマイルの裏街道』を勝ち切るスタミナを見せています。これも有力です」
「完璧。では、三頭目は?『重賞組の敗者』の中で唯一、生き残る資格がある馬よ」
佐倉はマルガに目を向けた。
「マルガ(11番人気)。ローテ:1800m新馬勝ち→アルテミスS(GⅢ)5着。敗者ではありますが、『ハイレベルなGⅢで掲示板』を確保しているため、実力の証明はできています。1800mの勝利経験が、坂での底力に転化すると見ます」
「素晴らしいわ、佐倉くん。あなたは、オッズという『虚飾』に惑わされることなく、データが示す『真実のタフネス』を見抜いたわね。人気の中心がスピードと瞬発力に傾倒する中で、この三頭のスタミナと持続力は、年末のタフな阪神でこそ爆発するわ」
教授は最後に、黒板に大きく三つの馬名を書き記した。
最終結論:狙うべき穴馬三銃士
「いいわ。今年の阪神ジュベナイルフィリーズにおいて、我々がオッズを破壊するために送り込む『穴馬三銃士』は、この三頭よ。彼らは人気馬が作り出す激流を、スタミナという名の貯金で乗り切るでしょう」
順位、馬名、想定人気、狙いの根拠(プロファイルとの合致点)
最重要指名 スタニングレディ 15番人気 【ローテ/血統の完全一致】 1800m新馬勝ち。父ルーラーシップ(キンカメ系)。前走9番人気で勝ち切りという『タフネス証明』。最もオッズが甘く、プロファイルに合致する究極の穴馬。
対抗馬 ヒズマスターピース 6番人気 【ローテの類似性】 赤松賞(1勝クラス・1600m)勝ち。2023年2着ステレンボッシュと同ローテ。前走5番人気1着で、裏街道での強さを証明済み。能力がオッズを上回る。
抑え マルガ 11番人気 【敗者からの巻き返し】 1800m新馬勝ちのスタミナ。前走アルテミスS(GⅢ)5着で、ハイレベルなレースでのタフネスを証明。人気落ちのGⅢ掲示板組は、軽視すべきではない。
「この三頭が、今年の阪神JFの波乱を演出する鍵となる。あなたは、この理論を信じる?」
教授は、佐倉に鋭い瞳を向けた。
「はい、教授。私は『マイルGⅠは1800m経験馬が穴を開ける』という、この常識破壊の理論を信じます。そして、この三頭の持つ『タフネス』が、最終直線で炸裂するのを見届けるだけです」
佐倉の眼差しは、既にゴール板の先を見据えていた。
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