冬の陽光が眩しい、阪神競馬場のターフ。 ここは2歳の牝馬たちが、最も速い者だけが手に入れられる「女王の座」を争う舞台。 空気を切り裂くような静寂の後、ゲートが開いた。
「さあ、みんな、ウチに道を開けな!」(8番・牝2)
ヒズマスターピースが、電光石火のスタートで飛び出した。 彼女に負けじと、フロムレイブンが外から強引にポジションを取りに来る。 あっという間に1ハロン10秒5という猛烈なハイペースが刻まれた。
(速い……速すぎる。 でも、ここで引くのは負けを認めることになる。 GⅠの洗礼や、受けて立ってやる!)
先行集団は、自らの意思とは関係なく、 激流の中に飲み込まれていく。 基礎体力が問われるサバイバル戦の幕開けだ。
その激しい先頭争いを、中団のイン、 最も風当たりの少ない場所で、一頭の栗毛が冷静に見つめていた。
「ほらな、アホみたいに飛ばすやろ? マイル戦っちゅうのは、最後の200mで息切れしたら終わりや。 ウチは主役やから、焦る必要ないんよ」(9番・牝2)
スターアニスは、まるで劇場の特等席にいるかのように、 先行馬たちの焦燥感を観察している。 彼女の内には、自分がこのレースの勝者だと確信している、 “主役の自覚”が満ちていた。
(このペースで前が持つわけがない。 中盤で一瞬ペースが緩む、そのタイミングでどれだけロスなく進めるか。 全ては直線で景色を変えるために)
3コーナー手前。 先行集団は早くも息が上がり始め、ラップが12秒台へと落ちる。 「中だるみ」の瞬間だ。 この緩みで、中団から後方の馬群が一気に詰まる。
その中団のさらに後ろ、馬群の外目で、 一頭の理知的な鹿毛が、鋭い視線を先頭に向けていた。
「前半の33秒台は想定内。 この緩みで前との差を詰める。 しかし、まだ動くには早い。 我々のデータでは、勝負は4コーナーを回ってからだ」(5番・牝2)
ギャラボーグは、自身の持つ膨大なレース分析データと、 目の前の展開を照合させている。 彼女の走りは、論理と理性に裏打ちされている。
(中団勢が動くのを待て。 彼女たちに風除けになってもらう。 私たちは、最も効率の良い最短ルートを通る)
一方、中団の少し前、外から果敢にポジションを押し上げた一頭。
「キツい! 心臓が破れそうや! でも、ここが踏ん張りどころやろ!? 前にいる馬には負けたくないんや!」(17番・牝2)
タイセイボーグは、根性と勢いだけで走っている。 彼女に小難しい戦術はない。 あるのは「前へ、前へ」という体育会系なまでの真っ直ぐな闘志だけ。 彼女の息遣いは荒いが、瞳は燃えていた。
(直線までこの位置をキープすれば、絶対に残れる。 根性! 根性や!)
そして、馬群の最後方。 単勝人気を一身に背負った一頭の青鹿毛は、 自らの置かれた状況に、焦りを感じていた。
「まさか、こんなに後ろになってしまうなんて……。 スタートで遅れたのは認めるわ。 でも、このまま終わるなんて、私のプライドが許しませんの!」(4番・牝2)
アランカールは、怒りの炎を燃やしながら、 馬群の最外へと進路を求めていた。
(ここで動くしかない! たとえ無謀だと言われようと、4コーナーで前の集団を飲み込む!)
彼女は4コーナー手前で、まるで「捲り」をかけるように、 大外を大きく回して一気にポジションを押し上げる。 数頭を抜き去り、中団グループへと並びかけた。 だが、その急激な進路変更は、彼女自身のエネルギーを消耗させていた。
その頃、馬群の中、一頭の栗毛はマイペースを貫いていた。
「あ、アランカールちゃん、頑張ってるなぁ。 みんな、焦りすぎひん? ウチは、自分の好きなペースで走れたら、それでええんやけど」(11番・牝2)
スウィートハピネスは、まるでハイキングにでも来たかのように、 ふわふわとしたマイペースで馬群についていく。 彼女の思考には「勝敗」という概念よりも「気持ちよく走る」という感覚が優先されていた。
(前の馬の脚が綺麗やな。 ウチもあのリズムで走ろっと)
4コーナーを回り、いよいよ最後の直線。 阪神名物の急坂が目の前に立ちはだかる。
逃げたヒズマスターピースの脚は完全に止まった。 先行集団が総崩れとなる中、タイセイボーグが根性で先頭に立つ。
「やった! 先頭や! このままいけぇぇぇ!」
だが、その外から、満を持してスターアニスが躍り出た。 内目で溜めに溜めた“主役の加速力”。 彼女が外へ持ち出すと、景色が一変した。
「ほらな、言うたやろ。 直線なったら景色変わる言うて!」
彼女のフットワークに一切の乱れはない。 瞬く間にタイセイボーグを抜き去り、独走態勢に入る。
「この位置からでも、まだ間に合う!」
大外からは、ギャラボーグが最適解の末脚を繰り出していた。 彼女のデータ上、ここが最速で加速できるタイミングだ。 馬群の外を、ただひたすらに、正確に伸びてくる。 しかし、先行したスターアニスとの差は、既に決定的だった。
(完璧な追走だった。だが、彼女は、私たちの論理を超越している!)
ギャラボーグの猛追を、スターアニスは涼しい顔で受け止める。 1馬身4分の1差。 余裕を持ってゴールを駆け抜けた。
2着ギャラボーグ。 3着タイセイボーグ。
タイセイボーグは息も絶え絶えに、しかしやり切った顔で、 ゴール後の空気を吸い込んだ。
「いや〜最後キツかったけど! 根性で残ったわ! 次こそは、もっと強くなって挑むんやから!」
4着に、いつの間にか伸びてきたスウィートハピネス。
「え〜? みんな速すぎひん? ウチなりに頑張ったで〜。4着か〜、えへへ」
そして、直線で力を使い果たしたアランカールは、 不本意な5着に終わった。
「……コーナーで脚を使ってしまった。 私の判断ミス……次は絶対、前」
敗者の悔恨と、静かなる勝者の確信。 2歳の乙女たちの熱い想いが交錯する中で、 スターアニスは、変わらぬクールな表情で、 自分が「女王」であることを証明してみせた。
「どうせ最後に前におるんはウチやろ? これから先もずっと、そうやで」
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