真冬の中山競馬場。 ダートコースは湿気を帯び、踏み締められた砂は硬く締まって、 スピードが生きるコンディションだ。 カペラステークスG3。 1200メートルという一瞬の勝負に、ベテランも若手も、 それぞれが己の全存在を懸けていた。
鉄のゲートが開き、一斉に飛び出す16頭。 空気を切り裂くような轟音が響き渡る。
「さて、ワシの前に出たがるんは、誰や?」
テーオーエルビスは、スタート直後から、 自らの置かれた「王様」のポジションを理解していた。(4番・牡3)
(焦るな言うとるやろ。 この喧騒は、周りが勝手にやってるだけのことや)
しかし、前では想像を絶する殺し合いが始まっていた。
「知らん知らん! 行ける思たら行くんや! ハナ? もらえるなら全部持ってくでぇ!」(13番・牡3)
エコロアゼルが、荒々しいストリートファイターのように、 内枠のタガノミストに強引に競りかけていく。 10秒3。 2ハロン目に刻まれたラップは、自滅を誘う「死のペース」だった。
この異常な流れを、中団後方で見た若きエリートが吠える。
「速すぎる! だが、これは我々にとっての展開利だ! 前が崩壊するまで、ただただ脚を溜めろ!」(16番・牡3)
ヤマニンチェルキは、58キロという重い斤量を背負いながらも、 その正攻法のエリートとしてのプライドが、彼を冷静にさせていた。
(相手の失速を待つのはズルではない。 この激流に付き合わないのが、王道というものだ)
そのヤマニンチェルキのさらに後ろ、 馬群の真ん中には、現実主義の姉御がいた。(9番・牝4)
「アホか、あのペース。あの子ら、直線まで息が持ったら奇跡やで。 ここは我慢。無理はせん。 あんたら、勝手に潰れといてや」(ガビーズシスター)
ガビーズシスターは、ダート戦の酸いも甘いも知っている。 彼女にとっての勝利は「最適解のポジション」を取ることだ。
(この位置、この手応え。 前が崩れれば、掲示板は硬いわ)
3コーナー。 激流に耐えかねた先行集団が、いよいよ失速の兆候を見せる。 タガノミストがタレ始め、エコロアゼルが強引に先頭に躍り出た。 しかし、その勢いも限界に近い。
馬群のインで、テーオーエルビスの心臓がゆっくりと熱を帯び始める。
(3コーナーで前が交代する。 狙い通りや。 ワシは、この前の馬を風除けにして、進路が開くのを待つだけ)
彼の視線の先には、壁になってくれていた馬が、 外へと僅かにヨレる瞬間が見えていた。
(よし、開いた)
4コーナー。 エコロアゼルが最後の意地を見せて先頭で直線へ飛び込む。
「ワシが! ワシが最後まで粘るんや!」
限界を超えたエコロアゼルが荒々しく砂を蹴る。 彼にとって、3着に残ったことは、激流を生き残った証明だった。
だが、その背後に迫る影。 中団インで脚を溜めていたテーオーエルビスは、 4コーナーを回る前から、既に加速態勢に入っていた。
「焦るな言うとるやろ。 ワシの出番は、中山の急坂を越えてからや」
直線。 中山の急坂が、全ての馬の脚を鈍らせる。 だが、テーオーエルビスにとって、それは単なる踏み台だった。 他馬が12秒台に落ち込む中、彼だけは次元の違うスピードで砂を噛む。
「……え、嘘やろ? 加速が、止まらん……!」
エコロアゼルが目を剥く。 あっという間に、テーオーエルビスがエコロアゼルを抜き去り、 一頭だけ異なる景色の中を走り始めた。
その独走の背中を、大外からヤマニンチェルキが猛然と追う。
「くそ! あの差は、あまりにも大きい! それでも、最後まで追い切るのが、エリートの務めだ!」
58キロの重圧と、先行馬の砂を浴びながらも、 彼は正攻法の走りを貫く。 だが、その差は詰まらない。5馬身。 決定的な差が、両者の能力差を物語っていた。
そして、その直後方。
「あーあ。若いうちはええけど、無理しすぎや。 ほら、4番(テーオー)が異次元の加速しとるやろ」(9番・牝4)
ガビーズシスターは、前が崩れるのを冷静に見ていた。 急坂で苦しむ先行馬たちを横目に、 彼女は計算通りの伸びを見せ、4着を確保した。
さらにその後ろ、ニットウバジルも、最後の坂を上る。 5着に滑り込んだベテランは、どこか諦念を滲ませていた。(15番・牡5)
「若いもんは速いわ。 ワシらはワシらのペースよ。 まあ、こういう日もあるわな」
テーオーエルビスは、後続に5馬身もの差をつけ、 圧勝のゴールを駆け抜けた。 彼の心臓は、終始冷静だった。
「最後に立っとるんは、だいたいワシや。 ワシの強さ、わかってもらえたか?」
若き王者の尊大な言葉が、 冬の中山ダートに響き渡っていた。
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