第1章:阪神芝、全員が主役だと思っている 『朝日杯で普通に走っただけなのに、スタートした瞬間から全馬が「俺は悪くない」「馬場が悪い」「展開が俺を嫌っている」と同時多発的に主張し始めて、ゴールする頃には阪神競馬場が巨大な言い訳会場になっていた件』
阪神競馬場。 直線が長い。 坂もある。
そして今日は、 小雨と重馬場という 「文句を言うために用意された環境」が 完璧に整っていた。
(これ絶対しんどいやつや)
全員が同じことを思いながら、 全員が 「でも自分だけはいける」 とも思っている。
芝は重い。 水を含んでいる。 踏み込むたびに、 「覚悟ある?」 と聞いてくる。
覚悟はない。 だが走る。
ゲートが開いた。
「⑩牡2」ダイヤモンドノット 「行ったらええやん! 前、空いとるやん!」
反射的に飛び出す。 誰も競りかけてこない。
(あ? 誰も来えへん?)
一瞬の戸惑い。 すぐに結論。
(ほな俺のレースやな)
ハナ。 先頭。 それだけで脳内に祝勝会。
(重馬場? 知らん知らん。 前おったら正義や)
2ハロン目。 ラップが速い。
(速い? いや気のせい。 阪神やし)
後ろは見ない。 見る理由がない。
「⑧牡2」カヴァレリッツォ 「ほう…… 雨の日の舞踏会やな」
中団の内。 泥が跳ねても、 眉一つ動かさない。
(ぬかるみ? まあ靴が汚れる程度や)
周囲が必死なほど、 自分のペースが際立つ。
(外は荒れとる。 内すぎると詰まる。 この辺りが いちばん静かやな)
静かな場所を選ぶ才能が、 恐ろしく高い。
「⑫牡2」アドマイヤクワッズ 「……え?」
一拍遅れる。
(あ、 これ出遅れたやつや)
視界の前方に、 ぎっしり並ぶ背中。
(え、 ちょ、 思ってた位置と違う)
心拍数が上がる。
(でも大丈夫。 能力は出せる。 出せば……)
自分に言い聞かせる声が、 どんどん小さくなる。
「④牡2」エコロアルバ 「スタート誤差、 許容範囲です」
中団。 隣にカヴァレリッツォ。
(8番の後ろ。 再現性が高い)
ラップ表が、 頭の中でスクロールする。
(前半速い。 中盤緩む。 直線勝負)
現実より、 数字の方が信用できる。
「⑤牡2」リアライズシリウス 「おお! 水分たっぷりやな!」
前目。 体が大きい。 踏み込みが深い。
(踏めとる! 全部踏めとる!)
馬場の重さを、 体重で殴りにいく。
(これがパワー競馬たい!)
「⑥牡2」タガノアラリア 「ちょ、 速ない!?」
逃げ馬のすぐ後ろ。 2番手。
(聞いてへん。 こんな流れ)
馬場の重さが、 脚に来る。
(いや、 想定はしてた。 してたけどやな)
自分は悪くない理論が、 早くも組み上がる。
「⑪牡2」コルテオソレイユ 「ふふ…… 今日は照明が弱い」
好位の内。 自分が主役である前提は、 最初から揺るがない。
(まあ、 前半は伏線や)
3コーナー。
ダイヤモンドノットが、 少しだけペースを落とす。
(ここで息入れや)
後ろの気配が、 遠ざかる。
(誰も来えへんな? ほらな)
その余裕が、 後半のフラグだとは まだ気づいていない。
カヴァレリッツォ。
(今は動かん。 前が勝手に 崩れるやろ)
景色を見る余裕すらある。
(阪神の直線、 長いなぁ)
アドマイヤクワッズ。
(遅い…… 前、遅すぎる)
外へ。 少しずつ。
(このままじゃ 届かない)
焦りが、 判断を急がせる。
エコロアルバ。
(予定通り。 ただし、 12番が外に動いた)
計算が、 微妙にズレる。
(修正が必要)
リアライズシリウス。
(助走! まだ助走!)
脚は動く。 でも重い。
(ちょっとだけ 重いな)
タガノアラリア。
(逃げが楽すぎる)
必死に食らいつく。
(俺は悪くない。 位置は完璧や)
コルテオソレイユ。
(内、 ちょっと荒れてない?)
美意識が、 馬場に傷つけられる。
4コーナー。
ダイヤモンドノットが、 少し外へ。
(内、ボコボコやし)
その動きが、 後ろを外へ押し出す。
(これで距離損やろ)
自分の頭の良さに、 一人で満足。
カヴァレリッツォ。
(あ、 真ん中空いたわ)
迷いなし。
(ほな、 ここ通ろ)
選んだ道が、 一番きれい。
アドマイヤクワッズ。
(間に合え……!)
大外。 距離ロス覚悟。
(力で ねじ伏せる)
だが、 馬場が重い。
(……あれ? 思ったより 出えへん)
エコロアルバ。
(8番の後ろ。 理論的最善)
だが前との差は、 なかなか詰まらない。
リアライズシリウス。
(坂や! ここからたい!)
踏ん張る。
(止まらん! 止まらんぞ!)
タガノアラリア。
(もう一段来た……)
脚が重い。
(誰や この展開作ったん)
コルテオソレイユ。
(舞台が違う……)
主役の座が、 遠ざかる。
直線。
ダイヤモンドノット。
(まだ俺のや! まだや!)
脚色が鈍る。
(あれ? ちょっと 重ない?)
カヴァレリッツォ。
(ほな、 急いだ散歩に するか)
一完歩ごとに、 距離を詰める。
(みんな、 必死やなぁ)
アドマイヤクワッズ。
(伸びろ……!)
だが、 外を回った分が 確実に響く。
(……あれ? こんなはず)
エコロアルバ。
(差が縮まらない)
(計算上、 ここで伸びるはず)
現実が、 計算を無視する。
リアライズシリウス。
(止まらん! 止まらんけど 前が遠い!)
タガノアラリア。
(無理や……)
(でも俺は 悪くない)
コルテオソレイユ。
(暗い…… 今日は暗い)
残り200。
ダイヤモンドノット。
(来るな…… 来るなよ……)
カヴァレリッツォ。
(あ、 並んだ)
残り100。
(あ、 前出た)
ゴール。
カヴァレリッツォ。
(終わり? ああ、 終わりか)
(まあ、 勝ったみたいやな)
ダイヤモンドノット。
(2着? ほぼ勝ちやろ)
アドマイヤクワッズ。
(……まだ 終わってないよね?)
エコロアルバ。
(再現性は…… 高い)
リアライズシリウス。
(助走、 終わったな)
タガノアラリア。
(俺は 間違ってへん)
コルテオソレイユ。
(次は、 太陽連れてくる)
阪神芝は、 最後まで何も言わなかった。
だが、 全員の言い分だけが、 重く、 確かに残っていた。
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