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第一章:黄金の椅子を巡る「冬の陣」
「VOICEVOX: 春日部つむぎ」「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: 満別花丸」
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中山競馬場。師走の冷たい空気が、ファンの熱気でわずかに緩む。大学の研究室では、モニターに映し出された膨大なデータが、クリスマスのイルミネーションよりも怪しく光り輝いていた。
「佐倉くん。君は、ホープフルステークスをなんだと思っているの?」
神宮寺教授が、お気に入りのアンティークチェアをゆっくりと回転させた。長い黒髪をかき上げ、佐倉を鋭い視線で射抜く。
「えっ……。それは、2歳の若駒たちが来年のダービーを夢見て集まる、冬の甲子園のような……?」
「甘いわね。イチゴジャムに練乳をぶっかけたトーストよりも甘いわ。」
教授は立ち上がり、ホワイトボードに大きく「椅子取りゲーム」と書きなぐった。
「これはスポーツじゃない。剥き出しの生存本能と、狡猾な計算が渦巻く、最も残酷な『椅子取りゲーム』よ。それも、椅子の数が圧倒的に足りない、泥沼の中のね。」
(さあ、まずは佐倉くんにこのレースの本質を叩き込まないとね。中山2000メートル……ここは、普通の競馬場じゃないのよ。)
教授は頭の中で、中山の急坂をイメージした。
(このコースはね、スタートしてからすぐに心臓破りの坂を登らされ、さらに最後にもう一度、同じ坂が立ちはだかる。二歳という、人間で言えばまだランドセルを背負っていてもおかしくない子供たちが、そんな過酷な条件で戦わされるの。世間は『新馬戦を圧勝したスター』や『一億円で取引された超良血』に目を奪われるけれど、そんなキラキラした肩書きなんて、中山の四コーナーを回る頃には、冷たい隙間風に吹き飛ばされてしまうわ。)
教授の思考は加速する。
(ホープフルステークスで穴をあける馬。それは、決して『一番足が速い馬』じゃない。それは、『誰よりも早く良い椅子に座り、座り続ける図太さを持った馬』か、あるいは『前の連中がバテて椅子から落ちるのを、虎視眈々と狙って強引に椅子を奪い取るスタミナお化け』なのよ。)
「教授……。椅子取りゲームっていうのは、つまり、位置取りのことですか?」
佐倉が恐る恐る尋ねる。
「その通り! 冴えてるわね、佐倉くん。ご褒美に、後で私のコーヒーを淹れる権利をあげるわ。過去五年のデータを見てごらんなさい。」
教授はタブレットを操作し、二〇二二年のトップナイフ(七番人気二着)や、二〇二四年のファウストラーゼン(十七番人気三着)の通過順位を強調した。
「中山は直線が短いの。四コーナーを五番手以内で回ってこられない馬に、勝利の女神は微笑まない。のんびり後ろで『僕は最後にかっこよく追い込むんだ!』なんて言っている優等生は、前の馬がバテて壁になっている間に、ゴール板という名の終業ベルを聞くことになるのよ。つまり、私たちが探すべき穴馬は、『最初から前にいられる元気な子』か、『早めに勝負を仕掛ける根性のある子』だけ!」
「なるほど……。でも、五番人気以下の馬たちの中に、そんな強い子がいるんでしょうか?」
「ふふふ。世間は数字に騙されているのよ。前走で負けた理由、血統が地味な理由、それらすべてを『弱さ』と勘違いしている。私たちは、その勘違いという名の泥の中から、『泥まみれの金塊』を掘り当てるのよ。」
教授は不敵に笑い、登録馬リストを広げた。
「さあ、佐倉くん。この十九頭の中から、黄金の椅子に座る資格を持つ『刺客』をあぶり出すわよ。準備はいいかしら?」
「はい、教授! 徹底的にお願いします!」
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第二章:エリートの落とし穴と、逆転の論理
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「教授、想定オッズが出ました! 一番人気は中内田厩舎のアンドゥーリル。二番人気は友道厩舎のラヴェニュー。やっぱり、有名な先生のところの馬が人気ですね。」
佐倉の言葉に、教授は鼻で笑った。
「佐倉くん。競馬新聞の名前だけ見て馬券を買うのは、履歴書の写真が可愛いからという理由だけでお嫁さんを選ぶのと同じくらい危険よ。それよりも中身を見なさい、中身を。」
教授はモニターに映る過去の勝ち馬たちの血統表を、手品師のような手つきで次々と切り替えた。
(アンドゥーリル、ラヴェニュー……。確かに数字は綺麗よ。でもね、彼らはまだ『綺麗な校庭』でしか走ったことがない。冬の中山は、ボコボコのグラウンドなの。前日には、疲れ切ったおじさんたちが歩き回って、芝も根性も擦り切れている場所なのよ。)
教授は頭の中で、人気馬たちの不安要素を並べ立てる。
(一、二番人気のルメール騎手や川田騎手。彼らは上手すぎるがゆえに、人気を背負うと『安全運転』をしがち。でもね、有馬記念前日の中山で安全運転なんてしてたら、渋滞に巻き込まれて終わりよ。私たちが狙うのは、失うもののない穴馬たちが仕掛ける『命がけのショートカット』なの。)
「いい、佐倉くん。ホープフルステークスという名前の通り、ここは『希望に満ちた』レースだけど、穴馬にとっては『絶望の中から這い上がる』レースなのよ。特に血統を見て。ディープインパクトのようなキラキラしたスピード血統もいいけれど、中山で最後に笑うのは、もっと泥臭い連中よ。」
「泥臭い連中……。例えば、どんな血統ですか?」
「エピファネイアやリオンディーズ、それにサートゥルナーリア。彼らの中には、中山の坂を平気な顔で登り切る『登坂能力』がDNAレベルで刻まれているの。一見、重厚で鈍重に見えるかもしれないけれど、それが冬の中山では『最強の盾』になるのよ。」
教授は黒板に、いくつかの馬名を書き出した。
「佐倉くん。前走で負けた馬を、みんなは『もうダメだ』と切り捨てる。でも、それは間違い。例えば、広い京都コースでスピード負けした馬が、狭くてタフな中山に戻ってきたらどうなると思う?」
「……あ! 自分の得意な土俵に帰ってきた、ガキ大将みたいになるってことですか?」
「素晴らしいわ! その通りよ。スピード自慢のエリートたちが坂道でゼーゼー言っている横を、平気な顔で『僕、こういう道大好きなんですよね』って追い抜いていく。それがホープフルステークスの穴馬の正体よ。」
教授はコーヒーを一気に飲み干し、最後の分析に入った。
「さあ、データと血統、そして展開。すべてのパズルは揃ったわ。エリートたちが震え上がる中山の直線で、黄金の椅子を強奪する三頭の刺客……。その名を、今ここで発表しましょう。」
「ドキドキしてきました……! 教授、お願いします!」
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第三章:黄金の椅子に座る、三頭の刺客
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「さあ、佐倉くん。これが私の、そして私たちの『穴馬捜査網』に掛かった三頭よ。心して聞きなさい。この三頭は、エリートたちの悲鳴を子守唄にして、中山の坂を駆け上がるわ。」
神宮寺教授は、ホワイトボードの中央に、力強く三つの名前を刻んだ。
■【穴馬候補その一】ウイナーズナイン(想定10番人気) 「得意なグラウンドに帰ってきた、中山のガキ大将」
「佐倉くん。この子はね、九月に同じ中山二〇〇〇メートルの芙蓉ステークスを勝っているの。つまり、この『意地悪なコース』の攻略本を既に読破しているわ。なぜ十番人気まで落ちているかって? 前走の京都二歳ステークスで六着に負けたからよ。でも、それは単純な話。京都の平坦なハイスピード勝負は、この子の趣味じゃなかっただけ。お父さんのエピファネイア譲りのスタミナとパワーを活かせるのは、やっぱり中山。人気がなくなった今こそ、お買い得なボーナスステージよ!」
■【穴馬候補その二】アスクエジンバラ(想定9番人気) 「スタミナお化けを操る、仕事人の一撃」
「この子の武器は、とにかく『位置取りの巧さ』。前走を見なさい。常に五番手以内をキープして、最後もしぶとく二着に残った。これこそが、ホープフルステークスで最も必要な『椅子を死守する能力』よ。リオンディーズ産駒に母父マンハッタンカフェという血統は、まさに『スタミナのデパート』。距離が延びて良さが出るタイプね。さらに鞍上は、インコースを突く天才、岩田康誠騎手。彼が内側の狭い隙間をこじ開けて突っ込んでくる姿が、私にはもう見えているわ。」
■【穴馬候補その三】ジャスティンビスタ(想定5番人気) 「なぜか評価されない、中山の申し子」
「最後はこの子。重賞の京都二歳ステークスを勝っているのに、なぜか五番人気にとどまっている。世間は新馬戦のインパクトだけで馬券を買いすぎなのよ。お父さんのサートゥルナーリアは、まさにこのコースの天才。その血を引く子が、中山で走らないわけがないわ。差しタイプだけど、一瞬で加速する瞬発力を持っているから、前の馬たちが坂で足踏みしている間に、まとめて飲み込んでしまうはず。五番人気なら、迷わず『買い』の一手ね。」
「……すごい。教授、僕にも見えてきました。中山の四コーナー、人気馬たちが必死に追い上げる中、この三頭が悠々と先頭に並びかける姿が!」
「ふふ、そうね。競馬はロマン。でも、そのロマンを支えるのは、いつだって冷徹なデータと、少しの遊び心。メリークリスマス、佐倉くん。今年の冬は、最高の祝杯になりそうね。」
教授は窓を開け、冷たい冬の風を浴びた。その瞳は、既にゴールの先にある、輝かしい「希望」を見つめていた。
(完)
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