第42回ホープフルステークス 中山芝二〇〇〇メートル
スタートゲートが開いた瞬間、ロブチェンは理解した。 あ、これ今日もしんどいやつだ、と。
(中山。二〇〇〇。 そしてこのスタート直後の坂。 毎回思うが、これ設計した人は馬に恨みでもあったのか)
脚裏に芝の反力が返る。 重心が前に流れる。 理性は即座に計算を始める。
(初速良好。 坂補正あり。 脚は問題ない。 頭も冷えている。
問題は……周囲だ)
視界の端で、明らかにおかしな存在が跳ねた。
「ひゃっはー!! 俺が!世界で!一番速い!!」
テーオーアルアインが坂をぶち破る勢いで飛び出していく。
(ああ……出た)
(若さと勢いと勢いだけで構成された生物)
(スタートから全力。 坂?知らん。 後先?知らん。 人生設計?もっと知らん)
アルアインの背中は「今が楽しい」という感情だけで出来ている。
(嫌いではない。 隣にいたら疲れるが)
内側では別の種類の疲れが発生していた。
(ふふ……この位置)
バドリナートが満足げだ。
(3番手内。 囲まれない。 被らない。 映る。
今日も私は美しい)
(お前はレースより自分のシルエットを見ているな)
外ではさらに面倒な存在がいる。
(先頭? 浅い。
余は外から全体を制圧する)
アンドゥーリルは完全に王の顔をしている。
(思想が重い。 しかも無駄に自信満々。 一番折れると厄介なタイプだ)
後方から声が飛ぶ。
(おいおい飛ばしすぎやろ)
アスクエジンバラは笑っている。
(まあでもええわ。 こういう展開、嫌いやない)
(感情が関西弁で全部漏れている)
さらに内。
(……拙者、 消える)
アーレムアレスはラチと融合していた。
(忍びとは、 存在を忘れられること)
(たまに存在を忘れすぎて自分も迷子になるが)
一コーナー。 意外にも隊列は落ち着いた。
逃げるアルアイン。 それを眺める集団。 中団は圧縮されている。
(みんな賢い。 少なくとも今は)
ロブチェンは内の中団、七番手前後。
(呼吸良好。 心拍一二八。 まだ脳みそは余裕)
二コーナーに入ると、アルアインが急にペースを緩めた。
「へへ。 楽やろ? ちょっと一息や」
(来た)
(露骨な息入れ)
(こういうのに一番弱いのは、自分を賢いと思っている馬だ)
案の定、空気がざわつく。
(ちょっと! 急に緩めないでくださいまし!)
フォルテアンジェロが不満を垂れる。
(筋肉は一定の負荷を好みますのよ!?)
(筋肉の代弁者みたいな言い方をするな)
(なんやねん。 殴るタイミング狂うやろ)
エジンバラが首を振る。
(でもまあ、 この空気…… そろそろやな)
アンドゥーリルはさらに苛立つ。
(誰も動かぬ。 なぜだ。 余がいるというのに)
(王、空気を読め)
ロブチェンは冷静だ。
(ラップ十三秒台。 完全に罠)
(だが私は焦らない。 焦る才能がない)
三コーナー。 外からアンドゥーリルが動く。
(進軍開始)
(あ、始まった)
フォルテアンジェロが即反応。
(待ってましたわ! 筋肉が喜んでいますわ!)
(筋肉、そんなに感情あったか?)
エジンバラも行く。
(よっしゃ! ここからや!)
(テンションが完全に部活)
内では静かな声。
(……皆、 派手な道を好むでござるな)
アレスはさらに内。
(拙者は地味に勝つ)
(だいたい地味なやつは四着になるが)
ロブチェン。
(仕掛け、やや早い。 だが想定内)
四コーナー。 前が横一線。
アルアインの脚が明らかに重い。
(あれ? 坂って…… もう終わりじゃ……?)
(気づくのが遅い)
アンドゥーリルが並ぶ。
(王の進軍だ!)
(……あれ? 脚が…… 王、脚が……)
フォルテアンジェロが吼える。
(踏み潰しますわ!)
エジンバラも叫ぶ。
(まだ! まだいける!)
(全員、だいたい無理)
その内。
ロブチェンの視界が静止する。
(左斜め三〇度。 隙間〇・八頭分)
(十分)
アレスも同時に感じる。
(影、通過)
直線。 坂。
アンドゥーリルの脚が止まる。
(なぜだ…… 余は…… 王なのに……)
(王も坂には勝てない)
フォルテアンジェロが前へ。
(オーッホッホ! 筋肉万歳!)
(あとで筋肉痛になるやつだ)
その内。
ロブチェン。
(今)
音もなく、計算通りに抜ける。
(心拍変化なし。 感情も特になし)
エジンバラが外から迫る。
(なんでや! 伸びひん!)
(理由は単純だ。 全員出しすぎた)
ゴール。
(収束)
レースが終わる。
(……あかん)
(忍び、 四着)
(存在は消えたが 着順は残った)
(筋肉、 裏切らず しかし勝てず)
(王の威厳が 坂に置いてきた)
(世界が 狂っている)
ただ一頭。
(まあ、 予定通りだ)
ロブチェンは静かに勝った。
誰にも派手に祝われず、 誰にも恨まれすぎず、 ただ確実に。
(勝利とは、 だいたい地味なものだ)
完。
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