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第1章:カオスの祭典、あるいは「不機嫌な女神」の選択
「VOICEVOX: 春日部つむぎ」「VOICEVOX: 満別花丸」「VOICEVOX: 四国めたん」
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「教授、今週末の作戦会議をお願いします。シンザン記念か、それともフェアリーステークスか。どちらで穴馬を狙うべきでしょうか」
佐倉が研究室の重い扉を開けると、そこには白衣を翻しながら、黒板にびっしりと馬の血統図を書き連ねている神宮寺の姿があった。彼女は振り向きもせず、チョークを走らせる手を止めない。
「佐倉くん。君は、東大の入試問題と、酔っ払いが書いたラブレター、どちらの解読にロマンを感じる?」
「えっ……。それは、入試問題の方が論理的で解きがいがあると思いますが」
神宮寺はようやく手を止め、不敵な笑みを浮かべて振り返った。その瞳には、データを超えた先の真理を見通すような鋭い光が宿っている。
「だから君は凡人なのよ。シンザン記念なんて、言わば『エリートの身体測定』だわ。コースは京都の芝一六〇〇メートル。日本一フェアで、実力通りに決まるつまらない舞台。かつてアーモンドアイやジェンティルドンナが通った道よ。そこにあるのは美しき秩序。穴馬が入り込む隙間なんて、針の穴ほどもないわ。一方で、フェアリーステークスはどう?」
彼女は黒板の一角を指し示した。そこには「中山芝一六〇〇メートル」という文字が、禍々しい筆致で書かれている。
(神宮寺の脳内:中山一六〇〇メートル。それは中央競馬が誇る『設計ミス』に近い歪んだコースだ。スタートしてすぐにコーナーが迫り、外枠の馬は物理的な距離の損を強いられる。さらに最後には、心臓が止まるような急坂。ここはスピードを競う場所じゃない。誰が一番最後まで『不機嫌にならずに走りきれるか』を競うサバイバルレースだ。一〇年連続で一番人気が勝てていないというデータは、もはや統計学的な呪いと言ってもいい。数学的に言えば、最も『不確定要素』が最大化される特異点。……面白い。これこそ、私の脳を刺激するにふさわしいパズルだわ)
「教授、でもフェアリーステークスは三歳の女の子たちの戦いですよね。体調も不安定だし、荒れすぎて予想がつかないんじゃ……」
「そこがいいんじゃない。厳冬期の牝馬。彼女たちはとても繊細だわ。毛艶が悪かったり、寒さで走る気をなくしたり。実績馬が『春のための練習』として八割の力で来る中、ここで人生を賭ける人気薄の馬たちが牙を剥く。格より適性、実績より当日の勢い。いわば『穴党のための狂宴』よ」
神宮寺はデスクに飛び乗り、身を乗り出して佐倉の鼻先に指を突きつけた。
「いい?佐倉くん。シンザン記念は『能力検定』だけど、フェアリーステークスは『ミステリー小説』なのよ。犯人は、誰もがノーマークだった端役の中にいる。配当の妙味、展開の紛れ、そして歴史的な荒れ具合……。私たちが今週末、心臓を捧げるべきなのは、シンザン記念という名の優等生じゃない」
彼女は高らかに宣言した。
「中山の急坂に、エリートたちの夢が沈んでいく様を見届けましょう。ターゲットは――フェアリーステークス一択よ!」
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第2章:泥臭き逆転のシナリオ、そして「我慢」の継承
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「では教授、具体的にどの馬が中山の罠を突破できるのでしょうか。今のところ、人気は東京のレースで派手なタイムを出したエリートたちに集まっていますが」
佐倉がタブレットを差し出すと、神宮寺はそれを一瞥して鼻で笑った。
「東京の広い直線で風を切って走ってきたお嬢様たちが、中山の汚いコーナーと心臓破りの坂に絶望する姿が目に浮かぶわ。いい、佐倉くん。私たちが探すべきなのは『速い馬』じゃない。『泥臭い馬』よ。特に、三つの条件に合致する馬を序列化したわ」
彼女はホワイトボードに、流麗な文字で三頭の馬名を書き込んだ。
「三位はアメティスタ。この子は二〇〇〇メートルという長い距離を勝ち上がってきた『スタミナの怪物』よ。普通の人は『距離が短くなるからスピード負けする』と考えるわ。でも水平思考を使いなさい。みんなが坂で息を切らして止まるとき、二〇〇〇メートルを走れるこの子だけが、涼しい顔で坂を登りきる。過去の勝ち馬ライラックと同じ、スタミナによるゴリ押し戦法ね」
佐倉はメモを取りながら頷く。
「二位はエイズルブルーム。前走は雨の重い馬場で、一八頭というごちゃごちゃした集団の最後方から、一気に一一頭をごぼう抜きにしたわ。大人数のストレスにも動じない精神的なタフさがある。進路が狭くなるフェアリーステークスで、この『 crowd-surfing(人混み泳ぎ)』の経験は宝物よ」
神宮寺は一息つくと、最も大きく書かれた一番上の名前に丸をつけた。
「そして、私が最も推奨する最高の一頭は――ギリーズボールよ」
「ギリーズボール……。確かに中山で勝っていますが、勝ちタイムは地味ですよね?」
「そこが罠なのよ、佐倉くん。タイムが地味だから人気にならない。でも彼女は、出走馬の中で数少ない『中山一六〇〇メートル』の合格者なの。二コーナーの入り方、最後の急坂のキツさを、すでに体で知っている。しかも、デビュー戦で彼女を導いたのは、あの天才ルメール騎手。彼はね、彼女に最高の英才教育を施したのよ」
(神宮寺の脳内:ルメールはデビュー戦で、この馬にあえて『我慢』を教え込んだ。中団でじっと力を溜め、最後の一瞬で坂を駆け上がる。この教育が、今回の乱戦で爆発する。多くの有力馬が外枠から距離を損したり、前で競り合って坂で自滅する中、ルメールの教えを守る彼女だけが、音もなく忍び寄り、ゴール前で全てを飲み込む……。血統もいい。父エピファネイアは去年の勝ち馬と同じ。冬の重い馬場を苦にしないパワーの源泉。パズルは、もう解けているわ)
「いい?佐倉くん。華やかな都会のスピードに騙されちゃダメ。最後に笑うのは、泥にまみれた経験と、天才に仕込まれた我慢よ。この三頭、特にギリーズボールが私の導き出した答えだわ」
「なるほど……。まさに『ありきたりじゃない』論理です。教授、信じてみます!」
「ええ、信じなさい。ただし、外れても研究費からは出さないからね」
神宮寺は悪戯っぽく笑い、再び黒板に向き直った。その背中は、週末の波乱を確信しているかのように、どこまでも自信に満ち溢れていた。
最終結論:フェアリーステークス穴馬リスト 1位:ギリーズボール(コース既習の英才教育馬) 2位:エイズルブルーム(逆境に強い集団突破馬) 3位:アメティスタ(距離短縮が活きるスタミナ馬)
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