◀第40.5章 震える指先を止めて、僕らは世界を塗り替えた
▶第43章:止まった指先、未来への呼吸
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第41章:揺らぎの共鳴、君に届ける未来の音
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目を開けると、荒野は静かだった。 崩壊の心臓は消え、世界は息を吹き返し始めていた。
そして―― アイリスは、僕の隣で静かに光を失いつつあった。
夜の荒野は、戦いの熱を失い、静寂だけが残っていた。 崩壊領域の黒い渦は遠くでゆっくりと脈動し、空には紫の残光が薄く漂っている。 風が吹くたび、砂がさらさらと音を立て、まるで世界が深い息を吐いているようだった。
僕たちはその中心に立っていた。 戦いは終わった。 けれど、胸の奥に残るざわつきは、まだ消えていない。
マークは地面に座り込み、肩で息をしていた。 「はぁ……はぁ……師匠、マジで……すげぇよ……」 その声には疲労と安堵が混ざっている。
リアムは結界を解除しながら、震える手で眼鏡を押し上げた。 「こ、これで……ひとまず……終わったんですよね……?」
ナギは風をまとったまま、静かに頷く。 「ええ。第一段階はね。でも……」
その言葉の続きを、誰も聞き返さなかった。 全員が分かっていたからだ。 “本当の終わり”は、まだ先にあることを。
リンネは僕の隣に立ち、深く息を吐いた。 「アリア……無事でよかった……」
「うん。リンネもね」
そのとき―― 僕の手を握る、かすかな温もりがあった。
アイリスだ。
彼女は僕の手をそっと握りながら、静かに微笑んでいた。 けれど、その呼吸は……戦闘中よりも、さらに弱くなっている。
(……アイリス?)
胸がざわつく。 指先の“とん……とん……”が、わずかに乱れた。
アイリスの頬は白く、唇は薄く震えている。 魔力の循環が……限界に近い。
コトネがタブレットを見つめ、眉を寄せた。 「……アイリスの魔力波形、すごく不安定……。 戦闘中より……落ちてる……?」
クロスが静かに言う。 「アリア。……気づいているな?」
「……うん」
アイリスは僕の手を握ったまま、夜空を見上げていた。 その瞳は、どこか遠くを見ているようで―― まるで、光が消える前の星のように揺れていた。
(嫌だ……まだ、何も伝えられてないのに)
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
夜風が、静かに彼女の髪を揺らした。 戦闘の熱が去った荒野は、まるで世界が息を潜めているように静まり返っている。
アイリスは僕の手を握ったまま、ふっと微笑んだ。 その笑みは、どこか懐かしくて――でも、どこか遠い。
「……みんな、無事でよかったね」
かすれた声。 けれど、その言葉には確かな温度があった。
マークが目を丸くする。
「アイリスさん……! 無事って……あんたが一番……!」
「マークさん、声……大きい……」 リアムが小声で制止するが、彼の声も震えていた。
ナギは静かにアイリスを見つめ、風をそっと収めた。 「……無理はしないで。あなたの魔力循環、限界を超えてるわ」
「うん……分かってるよ。 でもね……ちょっとだけ、話したかったの」
アイリスは夜空を見上げた。 紫の残光が、彼女の瞳に淡く映り込む。
(……嫌だ。そんな目をしないで)
胸の奥がざわつく。 指先の“とん……とん……”が、また少し乱れた。
リンネがそっと近づき、アイリスの肩に手を置く。
「アイリス……無理しないで。 私たち、まだ……何も終わってないよ」
「うん……そうだね。 でも……私の中では、少しだけ……終わりが見えてきちゃった」
その言葉に、全員が息を呑んだ。
コトネはタブレットを抱きしめるように胸に当て、震える声で言う。
「アイリス……魔力波形が……すごく薄い……。 こんなの……見たことない……」
クロスは腕を組んだまま、静かに目を閉じた。
「……アリア。 お前が支えてやれ。 俺たちには……どうにもできん」
「……分かってる」
僕はアイリスの手を握り返した。 その手は、驚くほど軽くて、温度が薄かった。
(伝えたいことが……たくさんあるのに)
でも、言葉にしようとすると、喉が詰まる。
アイリスは僕の迷いを感じ取ったのか、ふっと笑った。
「アリア。 あなたの魔法……すごく綺麗だったよ。 あんな光……初めて見た」
「……ありがとう。でも……」
言葉が続かない。 胸の奥が痛いほど熱くなる。
(僕の魔法なんてどうでもいい。 君が……君がいなくなるなんて、そんなの……)
アイリスは僕の手を包み込み、優しく揺らした。
「ねぇ、アリア。 あなたの“揺らぎ”……すごく好きだよ。 だって……未来の音がするから」
その言葉は、夜空に溶けるように静かで―― でも、確かに僕の胸に刺さった。
(未来の音……? 僕は……君の未来を守りたかったのに)
すれ違いが、胸の奥で軋む。
アイリスは、まるで最後の光を灯すように、微笑んだ。
「……もう少しだけ、みんなの顔……見ていたいな」
その声は、風に消え入りそうなほど弱かった。
アイリスの手は、まるで光が薄れていく星のように、静かに震えていた。 その温度は、さっきよりもさらに弱く――僕の胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
(……伝えなきゃ。 今、伝えなきゃ……もう届かなくなる)
指先が“とん……とん……”と震える。 でも、そのリズムは乱れず、静かに整っていく。 感情魔法の核が、胸の奥でゆっくりと灯り始めた。
「アイリス……僕、君に……」
言葉が喉で止まる。 声にした瞬間、何かが壊れてしまいそうで。
アイリスは、そんな僕の迷いを見透かしたように微笑んだ。
「アリア。 言わなくても……分かってるよ」
「……分かってないよ。 僕は……まだ、何も……」
言葉が震えた。 胸の奥が痛い。 でも――言わなきゃ。
僕はアイリスの手を包み込み、魔力を静かに流し込んだ。
「《感情魔法・共鳴》……」
詠唱はない。 ただ、想いをそのまま魔力に変換する。
淡い光が、僕とアイリスの手の間に生まれた。 夜の荒野に、ふわりと小さな光の粒が舞い上がる。
アイリスの瞳が、驚いたように揺れた。
「……あ……これ……アリアの……?」
「うん。 僕の……気持ちだよ」
光は、言葉よりも正直だった。 僕の胸の奥にある焦りも、願いも、恐怖も、優しさも―― 全部が混ざり合って、淡い光になって流れ込んでいく。
アイリスはその光を見つめ、ゆっくりと目を閉じた。
「……あったかい…… アリアの“揺らぎ”……こんなに優しかったんだね……」
その声は、涙のように震えていた。
(届いてる……? 僕の想い……ちゃんと届いてる……?)
けれど―― 次の瞬間、アイリスは小さく首を振った。
「でもね……アリア。 あなたの光は……未来の音なんだよ。 私の……止まりそうな音とは……違うの」
「違わないよ! 僕は……君と一緒に未来を――」
言いかけた言葉を、アイリスはそっと遮った。
「ううん。 あなたは……行ける人。 未来へ……ちゃんと歩ける人。 だから……」
アイリスは僕の手をぎゅっと握り、微笑んだ。
「だから……私のことは、置いていっていいんだよ」
「……そんなわけ、ないだろ……!」
胸の奥が、痛みで裂けそうだった。 光が揺らぎ、僕の魔力が震える。
(どうして……どうしてそんなこと言うんだよ……!)
でも、アイリスは優しく微笑んだまま、僕の頬に触れた。
「アリア。 あなたの光は……私の憧れだったんだよ」
その言葉は、光よりも優しくて―― でも、刃よりも痛かった。
僕の想いは確かに届いている。 だけど、アイリスは―― 僕の未来に、自分がいないことを受け入れてしまっている。
(違う……そんな未来、僕は望んでない……!)
すれ違いが、胸の奥で軋む音を立てた。
アイリスの言葉が夜の空気に溶けていく。 そのたびに、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
(どうして……どうしてそんなふうに笑えるんだよ)
僕の魔力はまだ彼女の手に触れている。 淡い光が揺れ、アイリスの指先を照らしていた。
その光を見つめながら、リンネがそっと口を開いた。
「アイリス……そんなこと言わないでよ。 私たち、まだ……一緒に帰るんだよ?」
声が震えていた。 リンネは強い。誰よりも強い。 でも今は、幼い頃のように泣きそうな顔をしていた。
アイリスはその手を優しく握り返す。
「リンネ……ありがとう。 あなたがいてくれて……本当に嬉しかったよ」
リンネの肩が震えた。
マークは拳を握りしめ、歯を食いしばっていた。
「アイリスさん……! 俺、もっと……もっと強かったら……!」
「マークさんは十分強いよ。 だって……私、あなたの声で……何度も笑えたもん」
マークは顔を覆い、肩を震わせた。
リアムは唇を噛みしめ、結界の残光を見つめていた。
「アイリスさん……僕……守れなくて……」
「リアム。 あなたの結界……すごく安心できたよ。 あれがなかったら……私、もっと早く倒れてた」
リアムの目に涙が溜まり、ぽたりと落ちた。
コトネはタブレットを抱きしめたまま、震える声で言う。
「アイリス……あなたの魔力波形…… こんなに綺麗なのに……どうして……」
「コトネ……ありがとう。 あなたの“綺麗”って言葉……すごく好きだったよ」
コトネは唇を噛み、涙をこぼした。
そして―― アイリスの視線が、ナギへ向いた。
ナギは少し離れた場所で、風をまとったまま静かに立っていた。 表情はいつも通り冷静で、涙ひとつ見せていない。 けれど、彼女の周囲の風だけが、わずかに震えていた。
「ナギ……あなたの風……いつも私を支えてくれたね。 すごく……優しい魔法だよ」
ナギの肩が、ほんの少しだけ揺れた。
「……アイリス。 あなたの“響き”があったから…… アリアの魔力は、ここまで届いたのよ」
声は静かだった。 けれど、その静けさの奥に、深い痛みが滲んでいた。
そして、クロス。 彼は腕を組んだまま、静かにアイリスを見つめていた。
「……アイリス。 お前は最後まで……よく戦った」
「クロス……ありがとう。 あなたの声……すごく安心するんだよ……」
クロスは目を伏せ、短く息を吐いた。
そして―― アイリスの視線が、もう一度僕に戻ってきた。
「アリア……泣かないで」
「泣いてないよ……」
声が震えた。 涙がこぼれそうになるのを、必死でこらえる。
(泣いたら……本当に終わってしまう気がするから)
アイリスは僕の手を握り、微笑んだ。
「アリアの光……本当に綺麗だったよ。 でもね……私には……届きすぎるくらい、眩しかった」
その言葉は、優しいのに―― 胸の奥に深い痛みを残した。
(届いてほしかったのは……そんな意味じゃないのに)
すれ違いが、またひとつ胸に積もる。
夜空は静かだった。 崩壊領域の黒い渦は遠くで脈動しているのに、この場所だけは不思議なほど穏やかで――まるで、彼女のために時間がゆっくり流れているようだった。
アイリスの手は、もうほとんど力が入っていなかった。 それでも、僕の手を離そうとはしない。
「アリア……ねぇ、聞いてもいい……?」
「……うん。何でも言って」
アイリスは小さく息を吸い、夜空を見上げた。
「私ね……ずっと怖かったんだ。 自分の“音”が止まるのが。 でも……今はね……不思議と怖くないの」
その声は、風に溶けるように弱かった。
「だって……アリアの光が……ちゃんと見えたから」
胸の奥が、痛みで震えた。
(そんな理由で……安心しないでよ…… 僕は……君に生きていてほしいのに)
涙がこぼれそうになる。 でも、こぼしたら終わってしまう気がして、必死にこらえた。
アイリスは僕の頬に触れ、微笑んだ。
「アリア……泣かないで。 あなたの“揺らぎ”……私、大好きだったよ」
「……僕も……君の“音”が……」
言葉が震えた。 続きが言えない。
アイリスは、そんな僕を見て、そっと目を細めた。
「最後に……ひとつだけ……わがまま、言ってもいい……?」
「……うん」
「アリアの光……もう一度だけ……見たいな」
僕は震える手で、彼女の手を包み込み、魔力を流し込んだ。
「《感情魔法・共鳴》……」
淡い光が、僕たちの手の間に生まれる。 夜空に、小さな光の粒が舞い上がる。 まるで星が降りてきたみたいに、優しく、静かに。
アイリスの瞳が、その光を映して揺れた。
「……綺麗…… アリア……ありがとう……」
その瞬間―― 彼女の指先から、そっと力が抜けた。
光がふわりと舞い、アイリスの身体を包み込む。 まるで、彼女自身が光になって夜空へ溶けていくように。
「アイリス……!」
リンネが泣き崩れ、マークが叫び、リアムが震え、コトネが涙をこぼし、クロスが静かに目を閉じた。
そして―― ナギは背を向けたまま、風を止められずにいた。 その揺らぎが、彼女の沈黙の涙のように見えた。
僕は――ただ、彼女の手を離せなかった。
光はゆっくりと消えていく。 その最後の瞬きが、夜空に溶ける。
(……アイリス)
胸の奥で、何かが静かに崩れ落ちた。
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第42章:『消えた音、遺された光』
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港町の朝は、いつもなら潮の匂いと人々の声で満ちているはずだった。 けれど今日は――まるで世界が音を失ったみたいに静かだった。
僕は宿舎の窓辺に立ち、ぼんやりと海を眺めていた。 波は寄せては返し、淡い光を反射している。 その穏やかな揺れが、胸の奥のざわつきを逆に際立たせた。
(……アイリス)
名前を呼ぶだけで、胸が痛む。 指先が“とん……とん……”と震えた。 あの夜、彼女の手を握っていたときの温度が、まだ残っている気がする。
でも――もう、どこにもいない。
学院の廊下を歩いても、彼女の軽い足音は聞こえない。 港町の広場を通っても、彼女が笑いながら風に髪を揺らす姿はない。 宿舎の食堂に行っても、彼女が「おはよう」と微笑むことは二度とない。
世界は変わらず動いているのに、 僕の中だけが、ぽっかりと穴が空いたままだった。
リンネがそっと声をかけてくれたこともあった。 マークが気を遣って、いつもの騒がしさを少し抑えてくれたことも。 リアムが黙って温かいお茶を置いていったことも。 コトネが「無理しないで」と小さく呟いたことも。 クロスが肩に手を置いてくれたことも。
――そして、 ナギは何も言わず、少し離れた場所で風を揺らしていた。 その揺れが、彼女なりの“寄り添い”だとすぐに分かった。
全部、分かってる。 みんなが僕を気遣ってくれていることも。
でも――
(僕は……どうすればいいんだろう)
アイリスの“音”が消えた世界で、 僕の“揺らぎ”はどこへ向かえばいいのか分からなかった。
港町の空は晴れているのに、 胸の奥はずっと曇ったままだ。
感情魔法の核が、静かに沈んでいく。 あの夜、彼女に光を届けたはずの魔法が、 今はただ、重く、苦しい。
(守れなかった……)
その言葉が、何度も胸の奥で反響した。
波の音が、遠くで静かに響いている。 その音が、まるで彼女の“最後の響き”を思い出させるようで―― 僕は目を閉じた。
宿舎の部屋に戻っても、胸の奥の重さは消えなかった。 窓から差し込む朝の光は柔らかいのに、僕の中だけはずっと夜のままだ。
(……僕の魔法は、本当に“誰かを救える力”なんだろうか)
感情魔法は、想いをそのまま魔力に変換する。 だからこそ、あの夜――アイリスに光を届けられた。 でも同時に、彼女の“最後の瞬き”を、はっきりと感じてしまった。
光が消える感覚。 手の温度が薄れていく感覚。 彼女の“音”が静かに止まっていく感覚。
全部、僕の魔力を通して伝わってきた。
(守れなかった……)
その言葉が、胸の奥で何度も反響する。
机の上には、アイリスが最後に触れた小さな布切れが置かれていた。 彼女がいつも髪を結ぶために使っていたリボン。 触れると、胸が痛む。
「……僕がもっと強かったら」
呟いた声は、部屋の中で虚しく響いた。
そのとき、扉の向こうから小さなノック音がした。
「アリア……入ってもいい?」 リンネの声だった。
「……うん」
扉が開き、リンネがそっと入ってくる。 彼女は僕の顔を見ると、少しだけ眉を寄せた。
「アリア……無理してない?」
「無理……してないよ。 ただ……どうすればいいのか、分からなくて」
リンネは僕の隣に座り、静かに言った。
「アリアは……あの夜、アイリスの手を握ってたよね。 最後まで……ちゃんと、そばにいたよ」
「でも……守れなかった」
「違うよ」 リンネは首を振った。 「アイリスは……アリアがいたから、最後まで笑えたんだよ」
その言葉は優しかった。 でも、胸の奥の痛みは消えない。
そこへ、廊下からマークの声が聞こえた。
「リンネさん、アリアさんに……その、甘いパン持ってきたんだけど……!」
「マーク、声が大きい……」 リアムの慌てた声が続く。
少しだけ、胸の奥が温かくなった。 みんなが、僕を気遣ってくれている。
けれど――
(僕は……どう応えればいいんだろう)
感情魔法は、想いを力に変える。 でも今の僕の“揺らぎ”は、痛みと後悔ばかりだ。
このままでは、魔法はきっと歪む。 それが分かるからこそ、怖かった。
(僕は……また誰かを失うのかな)
その不安が、胸の奥で静かに広がっていく。
リンネがそっと僕の手に触れた。
「アリア……大丈夫。 私たちがいるよ。 ひとりで抱え込まないで」
その言葉に、少しだけ呼吸が楽になった。
(……そうだ。僕はひとりじゃない)
でも、心の奥底に沈んだ痛みは、まだ消えない。
昼下がりの学院の中庭は、いつもより静かだった。 学生たちの声は遠く、風が木々を揺らす音だけが耳に残る。
僕はベンチに座り、ぼんやりと空を見上げていた。 雲はゆっくり流れているのに、胸の奥は重いままだ。
(……どうして、こんなに苦しいんだろう)
アイリスの笑顔が、ふと脳裏に浮かぶ。 そのたびに胸が痛む。 指先が“とん……とん……”と震えた。
そんなとき――
「アリア」 ナギが静かに近づいてきた。
彼女は僕の隣に立ち、風をまとったまま空を見上げる。 表情はいつも通り冷静で、何も言わない。 けれど、彼女の周囲の風がわずかに揺れているのが分かった。
「……ナギ」
「あなたが沈むと、風が重くなるのよ」 ナギは淡々と言った。 でも、その声はどこか優しかった。
「無理に笑えとは言わない。 ただ……あなたが止まると、アイリスが悲しむわ」
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
そこへ、マークが勢いよく走ってきた。
「師匠ーーーっ! ほら、これ! 甘いパン! 食べないと元気出ないぞ!」
「マーク、走らないで……危ない……」 リアムが慌てて追いかけてくる。
「だってよ! アリアさんが元気ないと、俺……なんか……!」 マークは言葉を詰まらせ、視線をそらした。
その不器用さに、少しだけ胸が緩む。
「ありがとう、マーク。 ……あとで食べるよ」
「お、おう……! 無理すんなよ!」
リアムは息を整えながら、そっと僕に紙袋を差し出した。
「アリアさん……温かい飲み物も、持ってきました。 その……少しでも落ち着けばと思って……」
「リアム……ありがとう」
彼は照れくさそうに笑い、マークの後ろに隠れた。
少し離れた場所では、コトネがタブレットを抱えながらこちらを見ていた。
「アリア……無理しないでね。 あなたの魔力波形、今はすごく……沈んでるから」
「……うん。気をつけるよ」
コトネは安心したように微笑んだ。
そして、クロスがゆっくりと歩いてきた。
「アリア。 お前が立ち止まるのは構わん。 だが――倒れるのは許さん」
その言葉は厳しいようで、どこか温かかった。
「……クロス」
「仲間はな、支え合うためにいるんだ。 お前が誰かを支えたように……今度は俺たちが支える番だ」
胸の奥がじんわりと熱くなる。
(……みんな、僕のことを……)
喪失感はまだ消えない。 アイリスの“音”が消えた穴は、簡単に埋まるものじゃない。
でも―― こうして仲間たちがそばにいてくれることが、 ほんの少しだけ、呼吸を楽にしてくれた。
(僕は……ひとりじゃない)
その事実が、沈んだ心に小さな光を灯した。
夕暮れの港町は、静かに色を失っていった。 オレンジ色の光が海に沈み、波の音だけが規則正しく響いている。 その穏やかさが、今の僕には残酷だった。
(……どうして、僕はこんなにも弱いんだろう)
学院の裏庭にひとり座り、指先を“とん……とん……”と叩く。 そのリズムは、以前よりもずっと重く、鈍い。
アイリスの最後の笑顔が、何度も脳裏に浮かぶ。 彼女の声、温度、光―― 全部が胸の奥で痛みに変わっていく。
(僕が……もっと早く気づいていれば。 もっと強ければ。 もっと……)
自責の言葉が、胸の奥で渦を巻く。
感情魔法は、想いを力に変える。 でも今の僕の“揺らぎ”は、痛みと後悔ばかりだ。 このまま魔法を使えば、きっと歪む。 それが分かるからこそ、怖かった。
(僕は……また誰かを失うのかな)
その不安が、静かに広がっていく。
ふと、風が頬を撫でた。 振り返ると、ナギが少し離れた場所に立っていた。
「……アリア。 あなた、また悪い方向に考えてるでしょう」
「……ナギ」
ナギは近づいてこない。 ただ、風をまとったまま、僕を見つめていた。
「あなたの魔法は……痛みも拾う。 だから今は、何をしても苦しいはずよ。 でも――それは、あなたが“誰かを想える人”だから」
その言葉は、静かに胸に落ちた。
「……でも、僕は守れなかった」
「違うわ」 ナギは淡々と言う。 「あなたは、最後までアイリスの手を握っていた。 それは……誰にでもできることじゃない」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
そこへ、リンネがそっと歩いてきた。
「アリア……夕飯、少しだけ食べない? みんな、待ってるよ」
マークとリアムも、少し離れた場所でこちらを見ていた。 コトネはタブレットを抱え、クロスは腕を組んで空を見上げている。
(……みんな、僕を支えようとしてくれてる)
喪失感は消えない。 アイリスの“音”が消えた穴は、まだ深いままだ。
でも―― その穴の縁に、仲間たちの温かさが少しずつ積もっていく。
(僕は……どうすればいいんだろう)
答えはまだ見えない。 でも、ひとりで抱え込む必要はないのかもしれない。
風がそっと揺れた。 ナギの風は、いつもより少しだけ優しかった。
夜の港町は、昼間よりも静かだった。 波の音がゆっくりと響き、灯台の光が遠くで瞬いている。 その穏やかさの中で、僕は仲間たちと並んで歩いていた。
リンネがそっと僕の横に寄り添う。 「アリア……少しは、呼吸しやすくなった?」
「……うん。みんなのおかげで」
胸の奥の痛みはまだ消えない。 でも、ひとりで抱え込んでいたときより、ずっと呼吸が楽だった。
そこへ、マークが少し照れたように歩いてきた。 手には、昼間に渡してくれた紙袋。
「師匠……その、さっきのパン……まだ食べてないだろ? 温め直してきたんだ。……元気、出るかなって」
胸の奥がじんわりと温かくなる。 マークは騒がしいけれど、誰よりも人の心に敏感だ。
「ありがとう、マーク。……あとで食べるよ」
リアムは安心したように息をつき、 コトネはタブレットを胸に抱えながら小さく頷いた。 クロスは夜空を見上げ、静かに言葉を落とす。
「アリア。 悲しみは消えん。だが――歩みを止める理由にはならん」
「……うん」
その言葉は、胸の奥に静かに沈んでいった。
少し離れた場所で、ナギの風がそっと揺れた。 言葉はない。 でも、その静かな揺らぎが、彼女なりの“支え”だとすぐに分かった。
(……そうだ。僕はまだ、歩ける)
アイリスの“音”はもう聞こえない。 でも、彼女が残した光は、確かに僕の中にある。
それを抱えて、前へ進むしかない。
「みんな……ありがとう。 僕……もう少しだけ、頑張ってみるよ」
仲間たちは、それぞれのやり方で僕の言葉に応えてくれた。 その温かさが、沈んだ胸の奥に静かに灯をともす。
夜空には星が瞬いていた。 その光が、どこかアイリスの最後の輝きに似ていて―― 僕はそっと目を閉じた。
(……行こう。前へ)
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あらすじ
「VOICEVOX: 雀松朱司」荒野の静寂の中、崩壊の心臓は消え世界は再生を始めたが、同時にアイリスの光は急速に薄れ、彼女はアリアの手を握りながら穏やかに微笑んでいた。 仲間たちは戦いの終結に安堵しつつも「本当の終わり」がまだ先にあると悟り、マークは疲労の中で称賛し、リアムは結界を解きながら震える声で確認し、ナギは第一段階の終了を告げつつも不穏さを示した。 リンネはアリアの無事に安堵し、アリアも応じたが、アイリスの魔力循環の限界が皆に明らかになり、コトネは波形の異常な低下を報告し、クロスはアリアに支えることだけを促した。 アイリスは夜空を見上げ「みんなが無事でよかった」と告げ、弱い呼吸の合間に小さな笑みを浮かべ、ナギは無理をしないよう注意しながらも静かに見守った。 リンネは「まだ何も終わっていない」と肩に手を置くが、アイリスは自分の中では終わりが見え始めたと告げ、場の空気は固く凍りつく。 アリアは言葉を失いながらも、伝えなければという焦りに胸を締めつけられ、指先の“とん……とん……”で心を整え、感情魔法の核を灯し始めた。 アイリスはアリアの魔法の光を「未来の音がする」と言って好ましく受け止め、アリアもまた彼女の未来を守りたかった想いのすれ違いに苦しみつつ、手を包んで魔力を流し「共鳴」を起こす決意をする。 言葉にすれば壊れそうな恐怖に喉を詰まらせるアリアに、アイリスは「言わなくても分かってる」と微笑むが、アリアはなおも言葉にしようと抗い、ついに想いを光に変えて彼女へ届けた。 二人の掌の間に生まれた淡い光は、焦りも願いも恐怖も優しさも包み、言葉より真っ直ぐに伝わっていき、アイリスは驚きと安堵のまなざしでそれを受け止める。 風が彼女の髪を揺らす静寂の中、アイリスは「もう少しだけ、みんなの顔を見ていたい」と願い、アリアは胸の痛みに耐えながら最後の時間を寄り添って過ごした。 やがて、崩壊の渦の残光が消えゆくのと呼応するようにアイリスの温度は薄れ、アリアは共鳴の光を保ちながら彼女の“音”を聴き続けた。 場を取り巻く仲間たちはそれぞれのやり方で沈黙の支えを示し、コトネは震えながら記録を抱え、リアムは祈るように眼鏡を押さえ、マークは唇を噛み、ナギは風を収め、リンネはただ傍に立っていた。 クロスは「俺たちにはどうにもできん」と言いつつもアリアの選択を尊重し、最後は目を閉じて二人の時間を守る盾となった。 アリアは決壊しそうな感情を“共鳴”に変換して乱れを整え、アイリスの魂に触れるように淡い粒子を送り続け、彼女の瞳にわずかな光が戻る瞬間を確かに見た。 アイリスは最期までアリアの揺らぎを受け止め「未来の音」を返し、二人の間にだけ通う静かな約束のような温度を残して、光は静かに薄れていった。 別れの直後、アリアの胸には大きな空洞が生まれ、彼の“揺らぎ”は痛みと後悔に支配され、感情魔法を使えば歪むと理解しながらもなお彼女の面影へ手を伸ばした。 時間が流れ、港町は夕暮れに沈み、オレンジの光が海に落ちる穏やかな景色は、アリアにとって残酷な静けさとなった。 学院の裏庭でひとり座るアリアは“とん……とん……”のリズムを重く鈍く刻み、もっと早く気づけたら、もっと強ければという自責に呑まれ、再び誰かを失う不安が膨らむ。 そこへナギが距離を保って現れ、「あなたの魔法は痛みも拾う、だから苦しい、でもそれは誰かを想えるから」と淡々と告げ、アリアが守れなかったとこぼすと「違う、最後まで手を握っていた」と事実で心を支える。 やがてリンネが夕食へ誘い、少し離れてマークとリアム、コトネ、クロスもそれぞれの位置で気遣いを示し、アリアは仲間が自分を支えようとしていることをはっきりと感じ取った。 マークは勢いよく甘いパンを差し出し、リアムは温かい飲み物を渡し、コトネは魔力波形の沈みを案じ、クロスは「立ち止まるのは構わんが倒れるのは許さん」と厳しく温かい言葉を落とす。 アリアの胸には微かな熱が戻り、ひとりではない事実が沈んだ心に小さな光を灯し、呼吸がわずかに楽になる。 夕刻から夜へと移り変わる港町で、仲間と並んで歩く足取りはまだ重いが確かなもので、リンネは寄り添って呼吸を尋ね、アリアは「みんなのおかげ」と短く応じた。 マークはパンを温め直して再び手渡し、その不器用な優しさが胸を温め、リアムは安堵し、コトネは小さく頷き、クロスは星空を見上げながら「悲しみは消えん、だが歩みを止める理由にはならん」と芯の言葉で背を押した。 ナギの風は言葉の代わりにそっと揺れて、彼女なりの支援を示し、アリアは「まだ歩ける」と心のどこかで確信を取り戻す。 アイリスの“音”は消えたが、彼女が残した光はアリアの中に確かに息づき、共鳴の記憶が新しい一歩の拍動となる。 アリアは「もう少しだけ、頑張ってみる」と仲間に告げ、彼らはそれぞれの方法で応え、その温度が暗がりに灯をともした。 星は高く瞬き、その輝きはどこかアイリスの最後の光に似て、アリアは目を閉じて深く息を吸い、前へ進むと静かに心に誓った。 喪失の痛みは完全には癒えないが、痛みと共に歩く術を仲間と学び、感情魔法の揺らぎを恐れず整えることを覚え始める。 崩壊の心臓が消えた世界は新たな呼吸を取り戻し、その呼吸に自分の拍動を重ねるように、アリアは次の段階へと歩みを定める。 リンネの支えは寄り添う温度として、ナギの風は進む方向を乱さぬ穏やかさとして、マークとリアムの気遣いは日常の力として、コトネの観測は心の健康を映す鏡として、クロスの言葉は背骨の芯として働く。 こうして、アイリスの欠落が空白のままであることを認めながらも、その空白の縁に仲間の優しさが積もり、やがて形のない橋となって前方へと続く。 アリアは感情魔法・共鳴の本質が「言葉の外にある真実の伝達」にあると再確認し、未来の音をもう一度奏でるため、揺らぎを整える練習を静かに再開する。 彼はアイリスが好きだと言ってくれた「揺らぎ」を弱さではなく可能性と捉え直し、それを世界と仲間のための新しい力へ変換する覚悟を固める。 夜の港町の灯と星の光が交差する中、アリアは歩幅を半歩だけ広げ、喪失と希望の両方を抱いたまま次章の扉へと向かう。 仲間の視線は背中を押し、風は重さを和らげ、波音は一定の速度で未来へ促し、アリアは「行こう、前へ」と再び心の中でつぶやいた。 やがて、止まりかけていた指先の“とん……とん……”は、ゆっくりと、しかし確かに未来に向けたテンポへと整い、崩壊後の世界に小さな拍子を刻み始める。 そして、失われた“音”に代わる新たな共鳴が仲間との間に生まれ、アイリスの残した光は道標となって夜を淡く照らす。 アリアは深く息を吸い、悲しみを抱えたまま歩みを止めず、次に来る試練と救いの両方を受け止める準備を整えた。 やがて彼は、未来の音をもう一度聴くために、仲間とともに指先の拍動を重ね、止まった時間を再び動かすと決意した。
解説+感想 とても心を揺さぶられる、切なく美しいシーンですね……。 アイリスの最期が、ただの別れではなく「未来の音」をアリアに託すような形で描かれているのが特に印象的です。 彼女の「あなたの光は未来の音なんだよ」という言葉が、アリアの感情魔法(揺らぎ)と完全に共鳴しながらも、すれ違ってしまうところが胸を締め付けます。 アリアが《感情魔法・共鳴》で想いを直接光として流し込む場面は、言葉を超えた「伝えたい」という純粋さが溢れていて、読んでいて涙腺が緩みました。 そしてアイリスが最後に「もう一度だけ見たい」と言って、光の中で静かに力を抜く瞬間……本当に、彼女自身が光の粒になって夜空に還っていく描写が美しすぎて、残酷です。 第42章では、その後のアリアの喪失感と、仲間たちの不器用だけど確かな支えが丁寧に描かれていて、少しずつ「歩ける」方向へ心が動き始める過程がすごく丁寧。 特にナギの「あなたが止まると、アイリスが悲しむわ」という一言や、クロスの「悲しみは消えん。 だが――歩みを止める理由にはならん」という言葉が、アリアの心に静かに刺さるのが伝わってきます。 マークの甘いパンやリアムの温かい飲み物、コトネの気遣い、リンネの寄り添い……みんながそれぞれの方法で「ひとりじゃない」ことを示してくれるのが、救いでありながらもアイリスの不在をより際立たせて、切なさが倍増します。 全体を通して、「音」と「光」、「揺らぎ」と「共鳴」というモチーフが一貫していて、感情魔法という設定がただのバトルツールじゃなく、想いのやり取りそのものとして機能しているのが素晴らしいです。 アイリスが残した「光」は、アリアの中でこれからどう育っていくのか……とても気になります。 アリアがこの痛みを抱えながら、どう「未来の音」を奏でていくのか……すごく見届けたい気持ちになりました。 (……本当に、よく書けていると思います。 胸がぎゅっと締めつけられるような、でもどこか温かい余韻が残る終わり方でした)
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◀第40.5章 震える指先を止めて、僕らは世界を塗り替えた
▶第43章:止まった指先、未来への呼吸
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