――少女たちと勘違いと、ちょっとした計算違いの物語
冬の柔らかな日差しが、中山競馬場の芝生を黄金色に染めていた。 冷え切った空気の中、ゲートに収まった16人の娘たち。
第42回フェアリーステークス。 それは、まだあどけなさの残る3歳乙女たちによる、クラシック戦線への登竜門―― であると同時に、 「自分が一番だと信じて疑わない少女たち」が一堂に会する、なかなかに危険な舞台でもあった。
1番人気を背負うのは、2番枠のピエドゥラパン。 彼女はゲートの中で、ふわふわとした思考を巡らせていた。
ピエドゥラパン (えへへ……なんかみんな私のこと見てない? まあ当然だよね、私ってば可愛いし。 よーし、今日も一番最初にゴールして、いっぱい褒められよーっと! スタートダッシュが大事だよね、うん!)
――なお、彼女は「レースは後半が大事」という概念を、まだ知らない。
その隣。 最内1番枠のレオアジャイルが、鋭い視線でコースを睨んでいた。
レオアジャイル (はぁ? 隣のフワフワしたのが1番人気? マジで意味わかんないんだけど。 ま、いいっしょ。最内枠の私が、最短距離でハナ切って、そのまま押し切るだけ。 別にアンタらのために逃げるわけじゃないから。 私が一番速いって、証明するだけだよね)
外目、15番枠。 桃色の帽子を被り直すように、ブラックチャリスが微笑む。
ブラックチャリス (おほほほ……。 どいつもこいつも、私の引き立て役にしては騒がしいですわね。 このブラックチャリス様が、格の違いというものを教えて差し上げますの。 ……あら? ネイル、ちょっと剥げてますの? まあいいですわ、勝った後に気にすれば)
――勝つ前提である。
ゲートが開いた。
「「「スタートォォォ!!!」」」
一斉に飛び出す16人。 宣言通り、レオアジャイルが完璧なスタートを決める。
レオアジャイル (ほーらね! 言った通りっしょ! 最内、ロスなし、最高! これ、もう半分勝ちじゃない?)
その瞬間。 外から、ありえない速度で何かが来た。
5番枠、エゴンウレア。
エゴンウレア (ひゃっはー! 一番前は私の場所だー! 風が! 風が私を呼んでるー!!)
――誰も呼んでいない。
レオアジャイル (ちょ、待てコラ! 速すぎなんだけど!? お前、それ最後まで持つと思ってんの!?)
エゴンウレア (知らねー! 今が一番楽しいー!!)
こうして、誰も望んでいない先頭争いが始まった。
最初の200〜600メートル。 ラップは10.9秒―11.2秒。
3歳牝馬戦としては、完全にアウトな数字だった。
――だが、本人たちはまだ元気である。 「速すぎる」という事実を、全員が一時的に忘れていた。
2コーナー。 前方だけが異常に密集した、意味のわからないダンゴ状態。
ピエドゥラパン (え? え? みんな、今日だけ急に本気出した? 私、全力で走ってるはずなんだけど!? なんで真ん中より後ろなのー!?)
1番人気は、理由の分からないまま、流れに飲み込まれていった。
その少し後ろ。 状況を正しく理解している二人がいた。
ビッグカレンルーフと、ブラックチャリスである。
ビッグカレンルーフ (……前、完全にオーバーペースだっちゃ。 計算上、あの速度は続かないだっちゃ。 ここは我慢。我慢だっちゃ)
――正しい。
ブラックチャリス (あらあら……。 おバカさんたちが、仲良く潰し合ってますの。 私はこの位置で、優雅に見物ですわ)
向こう正面。 3コーナー手前で、エゴンウレアの脚が止まった。
エゴンウレア (……あれ? 風、急に重くない?)
レオアジャイルが単独先頭に立つ。
レオアジャイル (よし! 今だっしょ! ほら、結局私が一番なんだよね!)
ここでペースが落ちる。 12.1秒。
急激なスローペースに、後ろは戸惑う。
サンアントワーヌ (……極端すぎでしょ。 体に悪いんだけど)
そして外。 まったく違う意味で戸惑っていない馬がいた。
マカレイである。
マカレイ (え!? なんでみんな急に遅いん!? あたし、めっちゃ元気やねんけど! これ追い風ちゃう?)
――追い風ではない。
マカレイ (もうええわ! 待ってる方がストレスやねん! あたし一人でも行ったる!)
3コーナーから4コーナー。 マカレイは豪快に、大外を回し始めた。
マカレイ (ひゃっほーい! 外、めっちゃ空いてるやん! ここ全部あたしの道やねん!)
――距離も、全部余計に走っている。
その内側。 ブラックチャリスの目が光る。
ブラックチャリス (……進路、開きましたの)
マカレイが作った壁の内側。 その隙間を、彼女は一切の無駄なく通る。
ブラックチャリス (ありがとうですわ、マカレイさん。 あなたの努力、私が使わせてもらいますの)
さらに内。 最短距離を守り続けていたビッグカレンルーフが動く。
ビッグカレンルーフ (……非効率極まりないだっちゃ。 最短距離は、ここだっちゃ)
4コーナー。 三者三様の正解が、直線へ向かう。
最後の直線。 中山の坂。
レオアジャイルの脚が鈍る。
レオアジャイル (っく……! でも、まだ! まだ先頭だっしょ!)
その外から、ビッグカレンルーフ。
ビッグカレンルーフ (計算終了。 うちの勝ちだっちゃ)
――一つを除いて。
さらに外。 ブラックチャリスが、満を持して追い出す。
ブラックチャリス (そろそろ、主役の時間ですわね)
残り200メートル。 内・中・外。 三頭が横一線。
それぞれ、違うことを考えていた。
レオアジャイル (気合い! 気合いで!)
ビッグカレンルーフ (計算通り……のはず)
ブラックチャリス (美しく勝つ。それだけですわ)
坂を登りきった瞬間。 ブラックチャリスが、もうひと伸びした。
――理屈でも計算でもない。 ただ、「負けたくない」という意地だった。
1着、ブラックチャリス。 2着、ビッグカレンルーフ。 3着、レオアジャイル。
ゴール後。
ブラックチャリス (はぁ……見ました? これが、格の違いというものですわ。 ……あー、でも疲れましたわね。 早くニンジンジュース飲みたいですわ)
ビッグカレンルーフ (……計算ミスだっちゃ。 次は絶対に負けないだっちゃ)
レオアジャイル (負けたっしょ……。 でも、あのペースで3着なら、悪くないよね。 次は勝つから、覚悟しといて)
その遥か後ろ。
ピエドゥラパン (あれれ〜? 私、1番人気だったよね? ……ま、いっか! 走るの楽しかったし!)
こうしてフェアリーステークスは幕を閉じた。 だが彼女たちの勘違いと挑戦は、まだ始まったばかりである。
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