「中山の急坂は二度死ぬ。だが、俺の才能は今この瞬間に産声を上げたんだ」
冬の乾いた風が吹き抜ける中山競馬場。 二千メートルの戦場に、選ばれし者たちが集う。 観客の視線は、眩いばかりの輝きを放つ一人の男(馬)に注がれていた。
「ふっ、今日の僕は一段と輝いているね。 全人類、いや全馬類が僕の先行する美しい背中を追いかけることになる。 この輝きは、もはや罪だよ。罪深き僕のファンサービス、 特等席で味わせてあげるよ」 12番 牡3 ソラネルマン。 彼は自らの美学に酔いしれながら、ゲートの中で優雅にポーズを決めた。 (みんな僕に嫉妬してるんだろ? 分かるよ、一番人気ってのは孤独なもんだ。 でも安心してくれ。僕の美しさは平等に振り撒いてあげるからね)
その隣で、ド派手な王冠(風のメンコ)を被った馬が鼻息を荒くする。 「黙れ、美しき愚民よ。この場を支配するのは、王であるこの俺だ! 余の後に続くことを許そう。ただし、余の視界に入ることは許さぬ!」 10番 牡3 ジーネキング。 (余の王国を築くには、まずこの領土を全力で駆け抜ける必要がある。 一歩たりとも引かぬ。王の辞書に『控える』という言葉はないのだ!)
ファンファーレが鳴り響き、運命のゲートが開いた。 ガシャンッという重厚な音とともに、馬たちが一斉に飛び出す。
「はーっはっは! 道を開けよ! 王の御前であるぞ!」 宣言通り、ジーネキングが猛然とダッシュをかける。 それを見たソラネルマンも、自尊心を刺激されたのか、負けじと加速した。 「おっと、王様ごっこは終わりだよ。 主役の座を奪うのは、いつだって僕のようなスターなんだぜ!」
最初の二百メートルから四百メートル。 掲示板に刻まれたラップタイムは、なんと十・九秒。 「おいおい、十・九秒だって!? 短距離走じゃねえんだぞ!」 観客席からのツッコミが飛ぶが、先頭の二頭には聞こえない。
(えっ、ちょっと待って、僕、速すぎない? でもここで引いたら人気者失格だよね? みんな僕のスピードに酔いしれてるはず。 ああ、スタミナが削られる音がする……。 でもこれが、スターの代償なんだ!) ソラネルマンは内心で冷や汗を流しながら、ジーネキングと並走し続ける。
一方、その直後の三番手で、虎視眈々とチャンスを伺う者がいた。 「アホか、あいつら。あんな飛ばして、後でゼーゼー言うのが目に見えとるわ。 俺はここや。ここが俺の粘り勝ち哲学の特等席やねん」 11番 牡3 マテンロウゲイル。 (ええ展開や。前が勝手にやり合って、スタミナ切れ起こすのを待つだけや。 二着やなくて、今日は一着の粘りを見せつけたるからな。 後ろの連中、俺のケツでも眺めて感心しとけや)
さらにその少し後ろでは、宇宙の真理を探求する者がいた。 「ふむ……この空気の抵抗、そして重力加速度。 ここ中山二千メートルは、銀河の果てにも似た過酷な環境だね。 だが、僕の宇宙航海は順調だよ」 3番 牡3 ステラスペース。 (好位をキープ。燃料の消費も計算通り。 クビ差の攻防こそが、宇宙の神秘に触れる鍵なんだ。 みんな、僕のコスモを感じてくれ。あ、前の馬、ちょっと宇宙ゴミみたいに邪魔だな)
中盤に差し掛かっても、ペースは一向に落ちない。 十二・一秒、十二・二秒。息を入れる暇もない激流が続く。 縦長になった馬群の最後方近く、一人の「天才」が鼻で笑った。
「やれやれ、凡人どもが必死に走り回ってるね。 そんなに急いでどこへ行くんだい? 真の主役ってのは、最後に現れて全てをかっさらっていくものなんだぜ」 4番 牡3 グリーンエナジー。 (俺の天才的な戦略によれば、ここは『死んだふり』が正解だ。 見てろよ。この二百キロ近い距離、俺だけが最短ルートを見抜いている。 みんなが外を回って無駄なエネルギーを使っている間に、 俺は内でじっと、才能を熟成させておくのさ。 ふっ、俺の追い込みがあまりに速すぎて、時が止まって見えるかもしれないぜ?)
その横で、激しいビートを刻んでいる者がいた。 「ヘイヘイ! ノってるかーい!? このハイペース、最高のロックンロール・ステージじゃねえか!」 9番 牡3 タイダルロック。 (後ろからガツンといくのが俺の魂、ロック・ソウルだぜ! 前がバテた瞬間、俺のロックスピードが炸裂する。 四着? そんな数字は関係ねえ。俺の走りが一番熱ければ、それで勝ちなんだよ!)
レースは運命の第三コーナーから第四コーナーへ。 逃げ続けていたジーネキングの顔色が、目に見えて悪くなる。 (……。お、重い。王冠が重いのではない、脚が重い。 王国の財政(スタミナ)が底をつきそうだ……。 誰だ、十・九秒なんてラップを刻んだやつは! 余か! 余だったな!) ジーネキングの足取りが怪しくなり、王権崩壊の危機が訪れる。
それを見たソラネルマンが、ついに牙を剥く。 「王様、退位の時間だよ。これからは僕の独壇場だ!」 (よっしゃ、やっと先頭だ! ルメールさんの……じゃなくて、 僕の計算通り! でも脚が……脚が笑ってるよ! ファンのみんな、僕の足が笑ってるのは、 喜んでるからじゃなくて限界だからなんだ! 助けて!)
そこに襲いかかるマテンロウゲイル。 「甘いわ! その甘いマスクごと、俺の粘りで飲み込んだるわ!」 (ええぞ、ええぞ! ソラネルマンがバテてきた。 ここが俺の、粘り勝ち哲学のクライマックスや!)
そして、第四コーナーの出口。 中山の短い直線。各馬が「外の方が馬場が良い」と判断し、 一斉に外側へと膨らんでいく。 タイダルロックやステラスペース、エリプティクカーブたちが、 大外から馬群を飲み込もうと翼を広げたその時――。
「……見えた。俺の天才ロードだ」 グリーンエナジーの瞳が、一点を射抜いた。 他馬が外へ流れたことで、内側にぽっかりと空いた最短距離の一本道。 まるで、海が割れて道ができたかのような奇跡の空間。
(これだ! これこそが天才にのみ許された『モーセの十戒』走法! 外を回って距離をロスする凡人どもを、嘲笑いながら駆け抜けてやるぜ!)
グリーンエナジーは内側から、矢のような勢いで加速を開始した。 他の馬が十一・七秒、十二秒とかかっている中、 彼一頭だけが、時空を歪めるような異次元の脚を使う。
「な、なんや!? 内から何か来よる!」 マテンロウゲイルが驚愕し、必死に粘る。 「ど、どいてくれ! 僕のファンが見てるんだ! 三着なんて嫌だ!」 ソラネルマンが悲鳴を上げるが、勢いの差は明白だった。
「遅い。遅すぎるんだよ、お前たちの才能は!」 グリーンエナジーが、マテンロウゲイルのすぐ内側を猛然と突き抜ける。 坂を登りきり、残り百メートル。 「俺の天才、ついに爆発したぜえええ!」
大外からは、タイダルロックが魂のシャウトを上げながら突っ込んでくる。 「ロォォォォォック! 魂の追い上げを見ろおおお!」 (あと少し……あと少し距離があれば、俺がロックの頂点だったのに!)
だが、無情にもゴール板が迫る。 グリーンエナジーが、マテンロウゲイルをクビ差だけ捉えた瞬間、 熱狂の渦の中で決着がついた。
一着、グリーンエナジー。 「ふっ、当然の結果だ。俺の戦略が完璧すぎただけさ。 でも、一着の景色ってのは意外と普通だな。 俺の才能には、もっと相応しい舞台があるはずだぜ」 (やった……やったぜ! 俺の天才っぷりが証明された! 掲示板で『こいつマジ天才』って書かれるのが目に浮かぶぜ!)
二着、マテンロウゲイル。 「クッソ……クビ差か……。俺の粘り、あと一歩やった。 でも、この粘りがレースを盛り上げたんは間違いない。 俺が主役やったってことにしといてくれや!」
三着、ソラネルマン。 「三着……。でも、みんな見たかい? 僕の先行する勇姿。 一・二五馬身差なんて、僕の美しさに比べれば誤差みたいなものさ。 みんな、僕に嫉妬していいよ。ふふ、ふふふ……」 (うわああああん! めちゃくちゃ悔しいよ! 一番人気だったのに! ルメールさんの期待に応えたかった…… いや、僕自身のプライドがズタズタだよ!)
四着、タイダルロック。 「四着か……。だが、俺のロックは中山の坂に刻まれた。 次はもっと激しいビートで、一着を奪ってやるぜ!」
五着、ステラスペース。 「五着。新しい宇宙の特異点を発見した気分だ。 クビ差の向こう側に、未知の銀河が見えたよ……」
そして十着、ジーネキング。 「……余の王国は、建国から数分で崩壊した。 だが、あの十・九秒の輝きこそが、真の王の証。 臣下どもよ、次回の再興を待っておれ!」
中山の急坂を駆け抜けた若駒たちの戦い。 それは、効率よく体力を温存した「天才」の勝利で幕を閉じた。 だが、彼らの胸に宿る自己中心的なまでの情熱は、 春のクラシックという、さらなる巨大なステージへと続いていく。
「さあ、次はどの舞台で俺の天才を披露してやろうかな?」 グリーンエナジーは、夕陽に照らされた中山のターフで、 誰にも見えない勝利のポーズを、再び決めるのであった。
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