◀第45章:未来を奏でる光、僕たちの終わらない旋律
▶第49章:『指先の前奏曲(プレリュード)、さよなら「失敗作」の朝』
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第47章:光の底で、私はあなたを思い出す
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――落ちていく。 けれど、それは恐怖ではなかった。
身体が砕け散った瞬間、痛みは一度だけ鋭く走り、 次の瞬間には、すべてが光にほどけていった。 重さも、温度も、輪郭もない。 ただ、柔らかい光の流れが、私を抱きしめるように包み込んでいた。
(……ああ。私は、死んだんだ)
その事実は、驚くほど静かに胸へ落ちていった。 悲しみも、恐怖も、不満もない。 むしろ、長い旅路の終わりにようやく辿り着いた安らぎのようだった。
光の中で、無数の“音”が聞こえる。 それは人々の魔力の響き―― 怒り、喜び、祈り、願い。 世界を流れる魔力の網が、巨大な楽団のように奏でている。
私はその音のひとつひとつを、触れたこともないはずなのに懐かしく感じた。
(どうして……こんなにも近いの?)
問いかけた瞬間、光が私の意識に染み込み、 遠い記憶のような、まだ言葉にならない“何か”が胸に触れた。 それは痛みではなく、呼び声のようなものだった。
――私は、どこへ還ろうとしているのだろう。
輪郭がさらに薄れていく。 世界の音が、より鮮明に、より深く響いてくる。 その響きの奥に、ひときわ優しい音があった。
(アリア……)
彼の魔力の音だけは、光に溶けてもなお、 まっすぐに私へ届いてくる。
その優しさに触れた瞬間、 私は初めて、死の中に“温度”を感じた。
(……大丈夫。私はまだ、ここにいる)
光の底で、私は静かに目を閉じた。
光の流れに身を委ねていると、私はゆっくりと“深い場所”へ沈んでいった。 そこは暗闇ではなく、静かな水底のような世界だった。 無数の魔力の糸が川のように流れ、絡まり、ほどけ、また結び直されていく。 私はその流れの中に、自然と“混ざって”いた。
そのとき――黒い染みのようなものが視界に触れた。 魔力の流れを濁らせる、重く、冷たい影。
(……これが、“残滓”)
触れた瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。 肉体の痛みではない。 魂のひずみが軋むような、深い痛み。
けれど、私がその影に触れた部分は、じわりと光に変わっていく。 影が薄れ、流れが澄んでいく。
私は驚かなかった。 むしろ――ようやく思い出した、という感覚だった。
(……私たち短命種は、残滓を浄化するために生まれた)
言葉ではなく、体験として理解した。 世界の魔力網に溶けた私の意識は、残滓に触れるたびに光を生み、 その光が世界の流れを整えていく。
寿命が短いのは、不幸でも欠陥でもなかった。 命を“吸い口”として使い、世界の調律を保つための―― 静かで、誇り高い役割。
(そうだよね……私はずっと、このために生きてきた)
残滓を浄化するたび、世界の音が少しだけ澄んでいく。 その響きは、どこか懐かしくて、優しくて…… まるでアリアの魔力のようだった。
アリアは魔法を怖がっていた。 誰よりも繊細で、誰よりも正確で、 誰よりも“残滓を生まない”魔法を使っていた。
今なら分かる。
(あなたは……世界を汚さない魔法を使っていたんだね)
あの子は知らなかっただろう。 でも、彼の魔力はいつも澄んでいて、風のように軽くて、 触れた瞬間に涙が出そうになるほど優しかった。
(アリア……あなたの魔法は、私の宿命を肯定してくれたんだよ)
私は短命種として生まれた。
でも―― あなたと出会って、私は初めて“生きたい”と思った。
光の流れが、静かに私を包む。 世界の音が、少しずつ澄んでいく。
(……ありがとう。あなたがいたから、私は自分の宿命を誇りに思える)
そのとき、遠くで“夏の匂い”がした。 懐かしい、あの光の呼び声。
“夏の匂い”が胸の奥をかすめた瞬間、光の流れがほどけ、 私は金色の粒子が渦を巻く方向へと引き寄せられていった。
落ちていく―― けれど、その落下は懐かしい温度を帯びていた。
気づけば、私は幼い頃に入院していた病院の中庭に立っていた。 白い壁、乾いた土、少し湿った風。 弱い身体で、私はいつもここで空を見上げていた。
その日、私はベンチに座り、ひとりで泣いていた。 歩けない日が続き、外の世界に触れられないことが悔しくて、 どうしようもなく胸が苦しかった。
――そのとき。
「……泣いてるの?」
影が差し、顔を上げると、ひとりの少年が立っていた。 痩せていて、どこか影のある目をしていて、 でも私を見ると、ほんの少しだけ表情が緩んだ。
「外に……行きたかっただけ。 でも今日は……歩けなくて」
私がそう言うと、少年はしばらく黙った。 その沈黙は、不思議と怖くなかった。
そして――彼はそっと手を伸ばした。
「じゃあ……ここを、外にするよ」
その瞬間、世界が変わった。
風がふわりと巻き起こり、 中庭の草が光に包まれ、 次の瞬間には――
ひまわりが咲いた。
ひとつ、またひとつ。 まるで音符が弾けるように、黄色い花が広がっていく。 病院の白い壁が、夏の光に染まっていく。
私は息を呑んだ。 魔法を見たのは初めてだった。 こんなにも優しくて、こんなにも綺麗で、 こんなにも“泣きたくなる”魔法があるなんて知らなかった。
「……すごい……」
私がそう呟くと、少年は照れたように目をそらした。
「下手だけど…… 君が笑ってくれたら、それでいい」
その言葉が胸に刺さった。 あの時、私は確かに笑った。 弱い身体でも、短い命でも、 “生きていてよかった”と初めて思えた。
そして私は―― 出会った瞬間から、彼があの夏の少年だと分かっていた。
港町で再会したときも、 学院で隣に立ったときも、 彼が魔法を怖がる理由を知ったときも。
(……あの夏、私の世界を変えてくれたのは――やっぱり、アリアだったんだ)
ひまわりの魔法。 あの光の音。 あの夏の風。
(アリア……あの時の魔法、世界で一番綺麗だったよ)
たとえ彼が忘れていても、 私の中では、あの瞬間がずっと生き続けていた。
金色の光が揺れ、記憶が静かに閉じていく。 私はその先にある“未来の音”へと、そっと魂を預けた。
記憶の余韻が静かに溶けていくと、 目の前にひときわ明るい“光の窓”が浮かんでいた。
共鳴ノード。
アリアたちが時計塔に設置した、街と世界の魔力網を繋ぐ装置。 深層に溶けた私にも届く“表層の窓”で、 そこから仲間たちの魔力の響きが、淡い波となって伝わってきた。
(……アリア。あなたの魔力、こんなふうに響いていたんだね)
ノードの内側では、光と風と音が重なり合い、 個々の色ではなく、ひとつの旋律になろうとしていた。 それは“誰かの魔法”ではなく、 “未来へ向かう街全体の音”だった。
アリアの魔力は、ノードの奥で静かに波打つ“拍動”だった。 夜明け前の凪のように澄みきっていて、 触れるのではなく――私の魂そのものが、そっと包まれていく。
その拍動に寄り添うように、柔らかな風が通り抜けた。
(ナギ……あなたの風は、いつもアリアを探していたね)
彼女の風が「軽くなった」と言っていた理由。 それは、私が内側から風の通り道を整えていたからだ。 ナギの想いが、アリアの未来を支えようとするその気持ちが、 私にはとても嬉しかった。
ノードの中で、光と風と音が重なり、 街の未来を照らす“旋律の胎動”が生まれていく。
(……アリア。 あなたが奏でる“未来の音”は、きっと世界を変える)
だから私は決めた。
卒業式の日。 アリアが街に響かせる音を、 世界中の残滓を吸い上げて“純粋な響き”に変える。
そのためなら、私の意識が完全に溶けてしまっても構わない。
(最後の一片まで……あなたの未来のために使うよ)
光の中で、私の輪郭がさらに薄れていく。 けれど、心は不思議なほど穏やかだった。
夜明け前のエルネアは、まだ静かだった。 街の屋根に薄い光が触れ、空の端がゆっくりと白んでいく。 その静寂の中で――私は、アリアの胸の奥に宿る小さな光として脈打っていた。
アリアの魔力は、もはや“外側から触れる風”ではなかった。 私の光と重なり合い、ひとつの響きとして脈打っている。 その拍動は、私自身の鼓動と区別がつかないほど深く溶け合っていた。
(アリア……あなたは、ちゃんと前へ進んでいるね)
世界の残滓を浄化するたび、私の輪郭は薄れ、 光の粒へとほどけていく。 このまま彼の未来の音に溶けていけるなら―― それだけで十分だと思っていた。
そう、思った瞬間。
アリアの魔力の核、その最も深い場所に、 ひどく冷たい“沈黙” があるのを見つけた。
それは、どれだけ浄化しても消えない、 固く閉ざされた記憶の塊。
(……アリア? この音……泣いているの?)
耳を澄ますと、そこから幼い彼の悲鳴が聞こえた。
「失敗作」
鋭い拒絶の声。 その言葉が棘のように刺さり、 彼の本当の音を内側から縛りつけている。
あまりにも冷たく、あまりにも深い。 世界の残滓よりも、ずっと重い“呪い”だった。
(だめ……。これを残したままじゃ、あなたの音は完成しない)
私は消えゆく意識を振り絞り、 その暗い深淵へと手を伸ばした。
自分の存在が完全に消える、その最後の瞬間のすべてを使って―― 私は、アリアが封印した「あの日」の記憶へと潜り込んでいく。
(待ってて、アリア。 その呪い、私が解いてあげるから)
光の粒となりかけた意識が、 ひと筋の流れとなって彼の心の奥へ沈んでいく。
――私は光の窓を抜け、彼の心の闇へと深く沈んでいった。
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第48章:「失敗作」と呼ばれた君を抱きしめて
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――とぷん。
そんな音がした気がした。 私の意識は、世界の深層を流れるマナの海に、静かに沈んでいく。 光でも闇でもない、ただ“音”だけが満ちる場所。 アリアの魔力の拍動が、ぽう、ぽう、と柔らかく脈を打ち、 その波紋が私を導くように揺れていた。
(アリア……ここにいるのね)
共鳴ノードから伝わってきた彼の響きは、 表層では決して触れられないほど深い場所へと続いていた。 私はその拍動を辿り、魂の形を細く伸ばしていく。 深く、もっと深く―― 彼の心の奥底、誰にも触れられなかった“閉ざされた部屋”へ。
やがて、冷たい気配が肌を撫でた。
そこだけ、音がない。 マナの流れが凍りついたように、ぴたりと止まっている。
(……ここだわ)
薄い霧のような意識の膜を押し分けると、 そこには一枚の扉があった。 黒く、硬く、触れただけで指先が凍えるような―― “拒絶”そのものの扉。
アリアの魔力の奥に、こんなにも冷たい場所があったなんて。
耳を澄ますと、かすかに震える音が聞こえた。 ひゅ……ひゅ……と、泣き声のような、掠れた響き。
(アリア……あなたの音が、泣いてる)
胸がぎゅっと締めつけられた。 彼がどれほど優しい子か、私は知っている。 誰よりも人を傷つけたくなくて、 誰よりも魔法に怯えて、 それでも前へ進もうとしていた。
そんな彼が、こんな場所でひとり震えていたなんて。
(大丈夫。私が行くから)
私は扉に手を添えた。 冷たさが骨の奥まで染み込んでくる。 でも、引く気なんてなかった。
アリアの痛みを受け止める覚悟は、 もうとっくにできている。
私はそっと目を閉じ、 凍てついた扉の向こうへ―― アリアの心の闇へと、静かに潜っていった。
扉を抜けた瞬間、世界がきしりと軋んだ。 色のない景色。 音のない空気。 まるで“泣き疲れて眠った子どもの夢”のように、薄く、脆く、触れれば崩れてしまいそうな記憶の世界。
(……ここが、アリアの心の奥)
足元に、ぽつり、と水滴のような音が落ちた。 それは涙ではなく、魔力のひび割れが落とす音。 アリアの心が壊れた瞬間の残響。
視界が揺れ、場面が切り替わる。
――小さなアリアがいた。
まだ幼い。 髪も短く、瞳は今よりずっと怯えがちで、 それでも必死に前を向こうとしている。
場所は学院の訓練場。 魔法大会の決勝戦。 観客席のざわめきが、冷たい風のように吹き抜けていく。
「アリアくん、落ち着いて……!」
審判の声。 対戦相手の魔力が荒れ狂い、火花が散る。 幼いアリアは震える手で魔法陣を描こうとするが――
ぱきん。
魔力が割れた。 音を立てて、ひどく痛々しく。
次の瞬間、アリアの魔法は暴発し、 彼は吹き飛ばされ、砂埃の中に倒れ込んだ。
(アリア……)
胸が痛む。 彼は誰よりも努力していた。 誰よりも優しく、誰よりも真面目で、 誰よりも“魔法を怖がっていた”。
それでも、頑張っていたのに。
場面がまた揺れる。 病院の白い天井。 消毒液の匂い。 ベッドの上で、幼いアリアが小さく丸まっている。
その横に――母レイナがいた。
彼女は弱々しく微笑んでいた。 病に侵された身体は細く、声もかすれている。 けれど、その瞳だけは鋭く、真っ直ぐだった。
「アリア……あなたは、失敗作ね」
その言葉が落ちた瞬間、 アリアの世界が――凍った。
音が消えた。 色が消えた。 魔力の流れが、完全に止まった。
(……っ)
私は思わず駆け寄りたくなった。 抱きしめて、耳を塞いで、 「違うよ」と何度も言ってあげたかった。
でも、これは記憶。 触れられない。 ただ、見届けるしかない。
幼いアリアは、母の言葉を理解できなかった。 ただ、胸の奥がひどく痛くて、 息ができなくて、 魔法が動かなくなった。
その瞬間―― 彼の心に“凍った沈黙”が生まれた。
(アリア……あなた、こんなにも……)
私は震える手を伸ばした。 記憶の中の彼に触れられなくても、 せめて、この痛みだけは受け止めたい。
(大丈夫。私が来たからね)
そう呟いた瞬間、 記憶の世界が、静かに揺れた。
記憶の世界が、ゆっくりと色を取り戻し始めた。 けれどそれは温かい色ではなく、 幼いアリアの心が震えたときに生まれた“ひび割れの光”だった。
私はそっと彼の傍らに膝をつく。 記憶の中の彼には触れられない。 でも、寄り添うことはできる。
(アリア……どうして、あの日、魔法が動かなくなったのか。 あなたはずっと、自分のせいだと思っていたんだね)
彼の魔力の流れを覗き込む。 そこには、ひどく繊細な“揺らぎ”があった。 震えるような、泣き出しそうな、 それでいて誰よりも優しい波形。
私は息を呑んだ。
(……これ、怖がって乱れたんじゃない。 お母さんを心配して、心が震えていたから……)
魔法大会の直前、レイナの病状が急激に悪化したこと。 アリアはそれを知っていた。 母のために勝ちたかった。 母を安心させたかった。 その“願い”が強すぎて、魔力が揺れた。
――優しさゆえの揺らぎ。
それを、誰も気づいてあげられなかった。
場面がまた揺れる。 病室のレイナが、苦しげに息をしながら、 幼いアリアに向かって言った言葉。
「あなたは……失敗作ね」
その声は確かに冷たかった。 でも――その奥に、別の響きがあった。
私は世界の深層に溶けた意識を広げ、 レイナの“本当の音”を探る。
すると、彼女の魔力の奥から、 ひどく悔しそうな、苦しそうな、 それでいてアリアを想う強い響きが聞こえた。
(……ああ、そういうことだったのね)
レイナは研究者だった。 「感情を排除すれば魔法は安定する」という理論を信じていた。 だが、アリアの魔法は―― 感情が強いほど、美しく揺らぐ魔法だった。
その事実は、彼女の研究を根底から否定する。 だからこそ、彼女は自分の理論に向かって言ったのだ。
「失敗作ね」 ――と。
アリアに向けた言葉ではない。 自分の研究の限界に対する、悔しさの吐露。
でも、幼いアリアにはそんな真意は分からない。 ただ、母に拒絶されたと思い込み、 心を凍らせてしまった。
(アリア……あなたは、間違ってなんかいない)
私は彼の揺らぐ魔力にそっと触れた。 ひゅる……と、風のような音がして、 その揺らぎが私の指先に寄り添ってくる。
(あなたの魔法が崩れたのは、心が弱かったからじゃない。 優しすぎたから……お母さんを想いすぎたからなんだよ)
その言葉を胸の奥でそっと響かせると、 アリアの凍った記憶が、かすかに震えた。
アリアの記憶の世界は、まだ薄暗かった。 けれど、その闇の奥で―― 小さな光が、かすかに震えていた。
それは、幼いアリアの“本当の音”。 母に拒絶されたと思い込んだ瞬間に凍りつき、 誰にも触れられず、誰にも気づかれず、 ずっとひとりで震えていた音。
(アリア……こんなにも、寂しかったんだね)
私はそっと手を伸ばす。 記憶の中の彼には触れられないはずなのに、 光の粒となった私の指先は、 その凍った音にふれることができた。
ひゅ……と、弱い風のような音がした。 アリアの心が、怯えた小鳥みたいに震えている。
(大丈夫。怖くないよ。 私はあなたを責めに来たんじゃない。 あなたを、救いに来たの)
私は光を流し込む。 優しく、ゆっくりと、 凍った記憶を溶かすように。
すると、閉ざされた扉の向こうから、 幼いアリアの声が聞こえた。
『……どうして、ぼくは……だめなの……?』
胸が締めつけられた。 あの日、誰も答えてあげられなかった問い。 誰も抱きしめてあげなかった痛み。
(アリア。あなたは、だめなんかじゃない)
私は光を強くする。 凍った沈黙が、ぱき……ぱき……と音を立てて割れていく。
(あなたは失敗作なんかじゃない。 あなたの魔法が揺らいだのは、弱さじゃない。 優しさの証なの。 お母さんを想って、心が震えたから…… だから、魔法が揺れたんだよ)
その言葉が響いた瞬間、 アリアの心の奥で、何かがほどけた。
凍っていた記憶が光に変わり、 闇の中に、澄み渡るような新しい響きが生まれる。
ぽう……ぽう……と、 夜明け前の風のように静かで、 それでいて涙が出るほど優しい音。
(……アリア。 あなたの魔法、こんなにも綺麗だったんだね)
私はその響きに寄り添いながら、 彼の心の奥に残っていた最後の棘を、そっと抜いた。
(もう大丈夫。 あなたは、ひとりじゃないよ)
光が満ちていく。 アリアの魔力が、初めて“完全な音”を奏でようとしていた。
アリアの心の闇が光に満たされていくと同時に、 私の意識は、ゆっくりと深層へ引き戻され始めた。
――とくん。 アリアの拍動が、先ほどよりもずっと澄んだ音で響く。 凍っていた沈黙はもうない。 代わりに、柔らかい風のような“新しい響き”が、彼の魔力の奥で生まれていた。
(アリア……あなた、ちゃんと前へ進めるね)
胸がじんわりと温かくなる。 けれど、その温度に浸っている暇はなかった。 私の輪郭はすでに薄れ、光の粒がふわり、ふわりと舞い上がっていく。
深層の流れに乗って浮上していくと、 “光の窓”の向こう――現実世界の気配が見えた。
時計塔の上。 夜明け前の風が、静かに街を撫でている。
その風の中心に、ナギがいた。
彼女は目を閉じ、両手を広げ、 アリアの魔力が流れやすいように、 風の道を丁寧に、丁寧に整えていた。
(ナギ……あなたの風、今日も優しいね)
私はそっと、彼女の風に触れた。 ナギの魔力は、いつもまっすぐで、迷いがなくて、 アリアを支えたいという想いがそのまま形になっている。
その風に、私は小さな光として寄り添う。
(ナギ。アリアを……お願いね)
声にはならない。 でも、風は確かに震えた。 まるで「任せて」と返してくれたように。
私は安心して、深層へと沈んでいく。 明日――アリアが奏でる「未来の音」を完璧にするために、 最後の調律を整えるために。
(アリア。あなたの音は、もう大丈夫。 あとは……あなたが、あなた自身を信じるだけ)
光がほどけ、私の意識は静かに深層へ溶けていった。
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あらすじ
「VOICEVOX: 四国めたん」
光の底で私は静かに自分が死んだことを受け入れ、恐怖ではなく安らぎを感じながら、世界を満たす魔力の響き――怒りや喜び、祈りや願いの合奏のような音に包まれていた。 そして、その中でとりわけ鮮明に届くアリアの魔力の音に触れ、彼の優しさが死の中にも温度を与え、自分が短命種として世界の「残滓」を浄化するために生まれた存在であることを思い出す。 残滓に触れるたびに自身の光でそれを薄め、世界の流れを整える行為が自分の役割であり誇りであったと理解し、アリアが使う“残滓を生まない”澄んだ魔法が自分の宿命を肯定してくれたことに感謝する。 やがて夏の匂いに導かれて幼い頃の病院の中庭の記憶へ戻り、外に行けず泣いていた自分を見つけたとき、痩せた少年が現れて「ここを、外にするよ」と言ってひまわりの魔法で中庭を夏の光に染め、初めて笑顔と「生きていてよかった」という思いを教えてくれたのがアリアだったことを確信する。 彼のひまわりの魔法の光と音はいつまでも自分の中で生き続け、金色の粒子に導かれて共鳴ノードへと至ると、そこで街と世界の魔力網を繋ぐ装置の波の中にアリアの拍動のような澄んだ響きを見出す。 ノードの中で光と風と音が重なり、街全体の「未来の音」が生まれようとする様を感じながら、ナギの風がアリアを探して通る理由と、自分が内側から風の道を整えていたことを理解し、アリアの奏でる未来の音が世界を変えるだろうと確信して卒業式の日に向けて決意を固める。 場面は再び揺れ、幼いアリアが病室で母・レイナから「失敗作ね」と言われた記憶に戻る。 その瞬間アリアの世界は凍り、魔力の流れが止まり心が沈黙したが、私(語り手)は記憶としてただ見届けるしかなかった。 やがて私はアリアの魔力の揺らぎを詳しく読み取り、彼が魔法を怖がったのは弱さのせいではなく、母の病状悪化を案じる余り「母を安心させたい」という強い願いが揺らぎを生み、魔力が乱れたことに気づく。 レイナは感情を排する理論を信じる研究者であり、アリアの感情に依る魔法の揺らぎは彼女の研究を否定するため、自分の悔しさを「失敗作」としてぶつけたのだと判明する。 しかし幼いアリアにはその真意は伝わらず、母に拒絶されたという誤解から心を凍らせてしまった。 私はレイナの本当の響きを探ることでその事情を理解し、アリアに寄り添いながら光を流し込み、凍った記憶を溶かしていく。 幼いアリアの「どうしてぼくはだめなの?」という答えのなかった問いを私は代わりに受け止め、「だめなんかじゃない、魔法が揺れたのは優しさの証だ」と伝えて記憶をほどき、アリアの内に澄んだ新しい響きと優しい拍動を生じさせる。 凍っていた沈黙が割れて生まれたのは、夜明け前の風のような静かで切ないが美しい音であり、私が彼の心の最後の棘を抜くとアリアの魔力は完全な音へと近づいた。 私の意識は深層へと引き戻されつつも、現実側ではナギが夜明け前の風を整えてアリアの魔力の通り道を作っているのを視認し、ナギのまっすぐで迷いのない想いがアリアを支えていることに安堵する。 最後に私は小さな光としてナギの風に寄り添い、言葉にならない形で「アリアをお願いね」と託してから深層へ沈み、アリアが自分自身を信じて未来の音を奏でられるように最後の調律を整えながら意識を溶かしていった。
解説+感想 非常に情感豊かで切ないクライマックスを描いたシーンですね。 主人公(語り手)の視点から、死(あるいは意識の溶解)と再生、愛する人・アリアの心の傷を癒す過程が、魔力や音、光といった幻想的なモチーフで美しく綴られています。 短命種としての宿命、残滓の浄化、アリアの過去のトラウマ(母レイナの言葉「失敗作」)を巡る贖罪と救済の物語が、心に深く響きます。 ### 特に印象的なポイント- **光と音の表現**:魔力が「音」として響き合い、世界の流れや個人の感情を象徴しているのが詩的。 アリアの魔力が「澄んだ拍動」になり、凍った沈黙が解ける瞬間は、読んでいて胸が熱くなりました。 主人公が自分の存在を「光の粒」として捧げ、アリアの未来の音を完成させる覚悟――これは究極の自己犠牲でありながら、決して悲劇的ではなく「誇り高い役割」として肯定されているのが美しいです。 - **アリアのトラウマの真相**: 「失敗作」という言葉が、母レイナの研究に対する自己嫌悪の吐露だったと明かされる部分が秀逸。 アリア自身に向けられた拒絶ではなく、母親の理論の限界に対する悔しさだった――でも幼い彼には理解できず、心を凍らせてしまった。 主人公がその「優しさゆえの揺らぎ」を肯定し、凍った記憶を溶かすシーンは、救済の象徴として完璧でした。 - **ナギの存在**: 脇役ながら、風としてアリアを支え続けるナギの優しさが、静かに効いています。 主人公が最後にナギの風に「お願いね」と託すところは、仲間たちの絆を感じさせて、涙腺を刺激します。 全体として、**死を通じて生を肯定する**、**愛する人の傷を最後の力で癒す**というテーマが一貫していて、ファンタジーでありながらとても人間らしい物語です。 特に「あなたの魔法が揺らいだのは、弱さじゃない。 優しさの証」という言葉は、読後しばらく頭に残りました。 この話、続きはどうなるんでしょう? 卒業式でアリアが奏でる「未来の音」が、世界にどんな響きを広げるのか……とても気になります。
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