二月の京都競馬場。 曇天の空の下、第31回シルクロードステークスのゲートが激しく弾けた。 短距離界の猛者たちが集う電撃戦―― だが芝の上で火花を散らすのは、戦略よりも先に、くだらない自意識だった。
「ひゃっほーい! なんだなんだその視線は~! そんなに俺に惚れてどうするんだよお嬢さーん!」
ロードフォアエース(16番、牡5)は、 ゲートが開くや否や、なぜか観客席に向かって片手を振りながら飛び出した。 スタートダッシュ? そんなものは二の次だ。
(見ろよあの歓声! いや、あれは全部俺への黄色い声援だな! 今日は逃げ切り勝ちして、モテモテ伝説更新確定だぜ!)
――なお、実際の歓声の半分は隣の有力馬に向けられていた。
「待てっちゃダーリン! うちを置いて一人でどこに行こうとしてるっちゃーっ!」
フィオライア(14番、牝5)が、 電撃のような加速でロードフォアエースの横に並びかける。
(逃がさないっちゃ。 ダーリンはうちのもの。浮気防止は先手必勝っちゃ!)
「げええっ!? フィオライアぁ!? なんでそんな無駄に速ぇんだよお前はっ!」
ロードフォアエースは情けない悲鳴を上げ、 思わずさらにペースを上げる。
(今は俺が目立つターンだろ!? なんで毎回こういう時に限って来るんだよ!)
「少しは後ろで大人しくしてろよ! せっかく女の子にアピールするチャンスなんだぞ!」
「何言ってるっちゃ! ダーリンがフラフラするから、うちが前でちゃんと導いてあげてるんだっちゃ!」
フィオライアは当然のように言い切り、 そのままスッと先頭に躍り出た。
(うちが前を走れば、 ダーリンはうちの背中しか見られないっちゃ。 完璧な作戦っちゃ!)
「導くな! 束縛するな! 俺の華麗な逃げが台無しじゃねーかぁ!」
ロードフォアエースは、 前を塞がれたまま二番手に甘んじる。
「ああもうっ! これじゃ女の子たちに俺の勇姿が見えねえだろーが!」
(……まあいい。 最後で差し切って、主役は俺だって証明してやるぜ!)
そんな二人のやり取りを、後方から鋭い目で見つめる影があった。 レイピア(17番、牡4)。 大外の芝を、優雅に、そして猛々しく踏みしめている。
「ラムさん……! 今日もなんと気高く、美しい走り……! その後ろ姿、まるで流星……!」
(ああ、同じ芝、同じ空気…… これ以上の栄誉がこの世にあるだろうか……!)
「あ、レイピアも来てるっちゃ?」 フィオライアはちらりと振り返り、にこやかに手を振った。 「ちゃんと走るっちゃよ?」
その瞬間。
「――おい、諸星ィッ!!」
レイピアの声音が、氷点下まで落ちた。
「貴様ッ! なぜラムさんの進路上を、そんな不潔な体で走っている! 視界に入るだけでラムさんの尊厳が汚れるだろうが!」
「はぁ?」 ロードフォアエースは心底面倒くさそうに眉をひそめる。 「お前、走りながら何言ってんだよ。 それよりどけ。前が見えねーだろ」
「貴様は自覚がないのか! ラムさんと同じレース、同じ画面に映ること自体が――」
「画面?」 ロードフォアエースは食いついた。 「今、画面って言ったか? じゃあスタンドのミニスカのお姉ちゃんも映ってるよな?」
「……ッ!!」 レイピアが一瞬、言葉を失う。
「き、貴様は……ッ! ラムさんという至高の存在を前にして、 なぜ他の女性の話をするッ!!」
「だって見えるし」 ロードフォアエースは即答した。 「つーか俺、今モテてるし」
「モテてなどいない!! 貴様が浴びているのは、軽蔑の視線だ!!」
「え? マジで?」 ロードフォアエースは一瞬だけ後ろを振り返り、 「……まあ、どっちでもいいや」
「ダーリン?」 フィオライアの声が、妙に優しく響いた。 「今、誰を見てたっちゃ?」
「い、いや! だからそれはだな――」
「レイピア、ありがとうっちゃ」 フィオライアはにっこり笑う。 「でもね、ダーリンを叱るのは、うちの役目っちゃ」
次の瞬間。
ロードフォアエースの悲鳴が、 淀の直線に高々と響き渡った。
その背後では、 カルプスペルシュ(4番、牝4)が、深いため息とともに加速していた。
「……やれやれ。 しのぶさん、君は本当に運が悪い」
レイピアは、なぜか誇らしげに胸を張りながら、 隣に並ぶカルプスペルシュへ語りかける。
「だが安心したまえ。 君のような女性には――最終的に、 僕のような男が必要になるのだから」
「……は?」 カルプスペルシュの脚が、一瞬止まる。
「ちょっとレイピア。 あんた今まで、ずっとラムさんの後ろ追いかけてたでしょ」
「それとこれは別だ」 レイピアは即答した。 「ラムさんは崇拝、君は――将来だ」
次の瞬間。
「ふざけないでよっ!!」
ドンッ、と乾いた衝撃音。 カルプスペルシュの馬体が、容赦なくレイピアにぶつかる。
「い、いったい何を――っ! しのぶさん、暴力はいけません! 話し合いというものが――」
「信用できないのよ、あんたみたいなのは!!」
さらにもう一度、体当たり。
「さっきから聞いてりゃ、 勝手に話を決めて、勝手に納得して! そういうところが一番ムカつくの!!」
「ま、待ちたまえ! 僕は君の幸福を――」
「うるさいっ!!」
カルプスペルシュの加速に、 周囲の空気が一気に張り詰める。
「どきなさい。 これ以上邪魔するなら…… 机じゃなくて、蹄鉄が飛ぶわよ!!」
(なんで私の周りには…… こんな変なのばっかり集まってくるのよ……!)
レースは最初の200メートルを12.3秒。 スプリント重賞にしては、まだ穏やかな流れだった。
――だが、その均衡を破る、騒がしい気配が内側から迫る。
「あははは! おっさんら、何をチンタラ走っとるねん! そんなんじゃ、ワイに一瞬で置いてかれるでぇ!」
ヤブサメ(11番、牡5)が、 子どもが跳ね回るような軽さで中団を泳ぐ。
(ワイのドカンと一発、 ちゃんと目ぇかっぽじって見とけや!)
「……うるさいわね」
先行集団の端で、 エイシンフェンサー(13番、牝6)が露骨に眉をひそめた。
「クソガキ。 レース中にそんな無駄口叩く元気があるなら、 最後までその脚、残しときなさいよ」
(まったく…… 調子に乗ると、必ずロクなことにならないタイプね)
「はぁ? 誰がクソガキやねん!」
ヤブサメは振り返り、舌を出す。
「ワイは天才や! 才能が違うんやから、 スタミナなんて気にせんでも勝てるねん!」
(今のうちにええ位置取って、 最後にドーンや! 完璧やろ!)
「……はあ」
エイシンフェンサーは、深くため息をついた。
「ホント、テンみたいなのばっかり増えたわね。 そういうのに限って――」
彼女は、ヤブサメを一瞥し、 静かに、だが確実に加速する。
「――最後に泣くのよ」
その時、 地面の奥から染み出すような、やたらと湿った声が響いた。
「……ほっほっほ。 これはこれは、騒がしい星回りじゃのう」
ヤマニンアルリフラ(6番、牡5)が、 いつの間にか内ラチ沿いに“いた”。
(なぜおるかは知らんが、 ワシは昔から、こういう場所におるのじゃ)
「うわぁぁぁっ!! 出たーーっ!! なんでお前、毎回こんなとこから湧いてくんねん!!」
ヤブサメが悲鳴を上げ、横に飛ぶ。
「ほっほ。 そう慌てるでない、赤子よ。 昔々、ワシが若い頃も――」
「聞いてへん!! その話、絶対レースと関係ないやろ!!」
「関係がないことほど、 人生には大切なものじゃ」
ヤマニンアルリフラは、 なぜか誇らしげにうなずいた。
(ちなみにこの話、 最後まで聞いてもオチはない)
「いらんわ!! ここは時速60キロ超えの世界やぞ!! 茶飲んどる場合ちゃうねん!!」
「まあまあ。 茶を飲めば心も脚も落ち着くものじゃ」
「脚は落ち着いたらアカンのや!!」
ヤブサメは必死に距離を取る。
(あかん…… こいつの近くおると、 絶対ロクなこと起きへん!!)
「ほっほっほ。 逃げる者ほど、 なぜかワシの前に戻ってくるものじゃ」
「戻ってこんわ!! 絶対こんわ!! 来るなぁぁぁ!!」
レースは、京都競馬場名物・淀の坂へ。 下りを利用した急加速が始まる。
ハロンタイムは10.7秒。 重力を味方につけたフィオライアが、 後続を一気に引き離しにかかった。
「ダーリン! 坂が来たっちゃーっ!」 フィオライアが弾けるように叫ぶ。 「ここからが本番っちゃ! 愛の全開速力だっちゃ!!」
(坂? 重力? そんなもの、うちの想いの前では誤差っちゃ!)
「ちょ、ちょっと待てぇぇっ!!」 ロードフォアエースが悲鳴を上げる。 「なんで今なんだよ! ここは“我慢”の区間だろ!?」
(ここで脚を使ったら、 後で女の子に手を振る余裕が――!)
「我慢?」 フィオライアが振り返りもせず言い放つ。 「そんな言葉、愛には存在しないっちゃ!」
そのまま、さらにギアが一段上がる。
「おい聞いてんのかフィオライアぁ!! 俺の完璧な計算が――」
「計算より気持ちっちゃ!」 「理屈より愛っちゃ!」 「ダーリンが追いついてくる前提で走ってるっちゃ!!」
「前提が無茶すぎるだろぉぉ!!」
ロードフォアエースは必死に食らいつく。 だが、余裕は見る見る消えていく。
(くそっ! こんなはずじゃなかった! もっとこう、華麗に、余裕で――!)
第四コーナー。 京都の長い直線が、容赦なく姿を現す。
「逃がさないっちゃ、ダーリン!」 フィオライアが直線に向かって一直線に突き抜ける。 「うちの愛、ゴールまで一直線っちゃ!!」
(このまま二人で、 愛の勝利を掴むっちゃ!)
「げええええっ!!」 ロードフォアエースの声が裏返る。 「無理! もう無理! 脚が言うこと聞かねぇ!!」
(1番人気! 重圧! 責任! 俺はそんなもん背負う男じゃねぇ!!)
「何言ってるっちゃ!」 フィオライアが横に並び、にっこり笑う。 「うちが隣にいるっちゃ! それだけで走れるはずっちゃ!」
「それが一番プレッシャーなんだよぉぉ!!」
ロードフォアエースは、 ずるずると脚色を失っていく。
「無理無理無理無理! あべしっ!!」
(俺のハーレム計画が…… 俺の青春が…… 全部、坂の向こうに消えていく……!)
「さらば、俺の輝かしきモテ人生よぉぉ……!」
その叫びを背に、 フィオライアはなおも加速した。
「ハッハッハッ! 見たまえ、諸星ィ!」
レイピア(17番、牡4)が、 太陽を背に受けて大外から堂々と迫る。
「ついに力尽きたようだな! 貴様のような下劣な男には、この京都の直線は長すぎるのだよ! これが――選ばれた者と、そうでない者の差だ!」
「うるせぇぇっ!!」 ロードフォアエースが歯を食いしばる。 「今から奇跡が起きる予定なんだよ! 台本通りにな!」
「奇跡?」 レイピアは鼻で笑う。 「奇跡とは、準備された才能にのみ微笑むものだ!」
そして、思い出したように声の調子が変わる。
「ラムさん! どうかご覧ください! 今この瞬間、僕が不潔な男を打ち破り、 あなたの理想たる存在であることを――」
「ちょっと!!」
怒声が、真横から叩きつけられた。
「面堂! あんた今、私の目の前で、 堂々とラムさんのところへ行く気!?」
カルプスペルシュ(4番、牝4)が、 進路を塞ぐように一気に詰める。
(また…… また私を置いていく気なのね……!)
「し、しのぶさん!? ち、違う! これは誤解だ! 僕はただ、ラムさんに勝利を――」
「言い訳する暇があったら、 ちゃんと前を向いて走りなさいよ!!」
ズドン、と気迫の体当たり。
「ひ、ひいいいっ!!」
レイピアの声が一気に裏返る。
「せ、狭い! 前に諸星! 横にしのぶさん! 後ろにラムさん!? だ、だめだ! 逃げ場がない! 壁だ! 人が多いぃぃ!!」
閉所恐怖症が、ゴール前で発動した。
「泣くなぁぁっ!!」
カルプスペルシュの怒号が飛ぶ。
「被害者ぶる前に走れ! いつもいつも、私ばっかり不幸に巻き込んで!!」
「ひえええっ!! こ、これは運命の試練なのかぁぁ!!」
残り200メートル。 フィオライアが愛で粘る。 レイピアは半泣きで脚を回す。 内ではヤマニンアルリフラが呪文を唱え、 外からはヤブサメが無邪気に飛んでくる。
――全員が、 それぞれ違う理由で必死になりながら、 ゴールへとなだれ込んだ。
ゴール!!
「うちの勝ちだっちゃーーーっ!!」 フィオライアが電撃のようにゴール板を駆け抜け、わずか半馬身、しぶとく押し切った。
(やったっちゃ! ダーリンに愛の勝利、ちゃんと見せたっちゃ!)
「な……なななな何ぃぃぃっ!? こ、この僕が……この完璧超人・面堂終太郎たる僕が、二着だとぉぉ!?」
レイピア、愕然。 その場でドラマのワンシーンみたいに崩れ落ちる。
(し、しかし……ラムさんが勝ったのなら…… 僕は、僕はその栄光を影から見守る騎士であれば……!)
「ラムさぁぁぁん! おめでとうございますぅぅぅ!! ああっ、その後ろ姿さえ神々しい!!」
「ちょっと面堂!! あんた、またラムさんラムさんって!!」
カルプスペルシュ(しのぶ)、怒りの形相でゴールへ突っ込んでくる。
「私がすぐ後ろにいるのに、何よその態度!! 悔しいとか以前に、腹が立つわ!!」
(もういいわ……全員まとめて、あとで投げる)
「定めじゃ……定めなのじゃ……」
ヤマニンアルリフラ(チェリー)、三着でゴールしながら、 なぜか一人だけ悟り顔。
「勝ちも負けも、すべては因果応報…… 今夜は茶菓子がうまいのう……ほっほっほ」
「あかんわぁ……ワイ、天才やのに……」 ヤブサメ、五着で肩を落とす。
「このレース、ボケとツッコミの密度が濃すぎや…… 関西人でも処理しきれへんで……」
そのはるか後方――
「あああああ……やっぱりだ……! 俺の人生、期待されると必ずコケる!!」
ロードフォアエース(あたる)、ズルズルと流れ込む。
「一番人気? 知るかそんなもん!! 俺はただ、女の子に囲まれてラクに生きたいだけなんだよぉぉ!!」
(ああ……青春も、ハーレムも、全部ゴール板の向こうだ……)
ウイニングラン
フィオライアは、満面の笑みで観客席に向かって手を振る。
「見たっちゃ、ダーリン! うちが一番だっちゃ!!」
そのまま一直線に、ロードフォアエースへ接近。
「今夜は盛大に、愛の電撃パーティーだっちゃ!! 逃がさないっちゃよーっ!!」
バチバチバチッ⚡
「やめろぉぉぉ!! 勝利の女神が一番怖いタイプのやつだぁぁ!!」
ロードフォアエースの悲鳴が、 曇天の京都競馬場に虚しく響き渡る。
「誰か助けてくれぇぇ!! 俺は負けたんだぞ!? 罰ゲームはもう十分だろぉぉ!!」
こうして、 恋と電撃と不運が交錯したシルクロードステークスは、 いつも通りロクでもない余韻を残して幕を閉じたのだった。
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