これは、東京競馬場の芝1600メートルで繰り広げられた、ある「魔法使い」と「断頭台の覇者(自称)」、そして個性豊かな乙女(牝馬)たちの、仁義なき戦いの記録である。
2月14日。バレンタインデー。 世間がチョコレートの甘い香りに包まれる中、ここ東京競馬場のパドックは、殺伐とした女のプライドが火花を散らしていた。
1番人気、ギャラボーグ(牝3歳)は、電光掲示板のオッズを鼻で笑った。
(ふん、単勝2.7倍……。これこそが私の『服従の天秤』よ) (私よりオッズの低い馬は、私の前を走ることすら許されないの) (ほら、跪きなさい! 私の末脚の前に!)
彼女は、その天秤でオッズを計りながら、残忍な笑みを浮かべている。 しかし、その視線の先には、全く緊張感のない鹿毛の馬体が一つ。
1番枠、ドリームコア(牝3歳)である。 彼女は今にも寝そうだった。誘導馬の尻尾を枕にしたがっている。
(あー……眠い。なんで昼下がりに走らなきゃいけないの?) (私、朝は弱いって調教師(あのひと)に言ったのに) (たった1マイルでしょ? 魔法で飛んでっちゃダメかな)
ドリームコアの隣、2番枠のジッピーチューン(牝3歳)が、冷ややかな視線を送る。
「……ドリームコアさん。あくびが大きすぎます。観客が見ていますよ」
「んー? フェル……じゃなくてジッピー。君、真面目すぎない?」
「真面目ではありません。これは『GⅢ』です。もっと品位を持ってください」
「品位じゃお腹ふくれないよ。終わったら人参くれるかなぁ」
「……信じられません。後で馬房でお説教ですね。正座待機です」
「えぇ……(馬なのに正座? 理不尽だなぁ)」
そんな緩い会話をよそに、ゲートが開く瞬間が迫る。 3番枠のヒズマスターピース(牝3歳)が、狂気じみた瞳で舌なめずりをした。
(ねぇ、切り裂いていい? この空気も、風も、全部!) (誰もいない先頭の景色……ゾクゾクしちゃう!)
ガシャァァァン!!
ゲートが開いた。 第61回デイリー杯クイーンカップ、開戦である。
スタート直後、ハナ(先頭)を奪ったのは、やはり狂気の切り裂き魔、5番ヒズマスターピースだった。 彼女は迷いがない。
(あはっ! 最高! 私の後ろでみんなが喘いでる音がする!) (もっと追いかけてきなよ。全部置き去りにしてあげるから!)
その背後に、スッと忍び寄る暗い茶褐色の影。 1番ドリームコアだ。彼女は最短距離、インコースの柵スレスレに張り付いた。
(よし、ここだ。ここが一番『楽』ができる場所) (前のヒズマスターピースが風除けになってくれるし) (空気抵抗ゼロの魔法……名付けて『省エネ走法』発動)
一方、1番人気の女王様、9番ギャラボーグは……。
(な、なんですって!? 12番手!?) (私の計算では、中団から優雅に抜け出すはずなのに!) (ちょっと前の馬たち! 邪魔よ! 私を誰だと思ってるの!)
彼女は馬群の後方で揉まれていた。 オッズの天秤は絶対だが、物理法則(スタートの出遅れ)はもっと絶対だった。
3コーナーから4コーナーにかけて、馬群がギュッと凝縮する。 まるで満員電車だ。
外側を回らされている16番タイムレスキス(牝3歳)が、悲鳴を上げる。
(ちょっと! 外に膨らまないでよ! 私、距離ロス半端ない!) (もう脚がパンパンなんだけど!? このレース設計ミスじゃない?)
その内側で、2番ジッピーチューンが冷静に計算機を叩く。
(ラップタイム11秒8……ペースが落ちていませんね) (外を回せば遠心力でスタミナが15%ロスします) (ここは最短距離を維持しつつ、前の隙を狙撃します)
彼女の視線の先には、相変わらず前の馬のお尻に隠れているドリームコア。
「ドリームコアさん。そこ、袋小路ですよ。出られなくなりますよ」
「大丈夫だよジッピー。私には『未来』が見えてるから」
「また適当なことを……。詰まって負けても知りませんからね」
「ふふん。1000年生きた(気分の)魔法使いの勘を舐めないで」
「……そうですか。なら、私が先にゴール板を駆け抜けるだけです」
「あ、ズルい。待ってよ。人参は半分こにしようよ」
直線、残り525メートル。 ここからが本当の地獄(レース)だ。
先頭を行く5番ヒズマスターピースの脚色が衰えない。 彼女は笑っていた。
(苦しい? ううん、楽しい! 脚が千切れそうなくらい熱い!) (このまま誰も寄せ付けない! 私の世界を切り拓くの!)
その直後。 1番ドリームコアの目の前は、壁だった。 前には5番、右斜め前には16番。完全に包囲されている。
後方の9番ギャラボーグが、大外から叫び声を上げた。
(あーっはっは! 見たわよ1番! あんた詰まってるじゃない!) (ざまぁみなさい! そのまま馬群に沈んで、私の養分になりなさい!) (さあ、私の伝説が始まるわよ! 全速前進――って、あれ?)
ギャラボーグの脚が、思ったように回らない。 前が止まらないのだ。11秒3という、異常な高速ラップが彼女を阻む。
(な、何よこれ……なんで前が止まらないのよ!) (私の『服従させる魔法』が効かない!? この馬場、バグってる!)
その時だった。 ドリームコアの瞳が、スッと細められた。 眠気など微塵もない、冷徹な狩人の目。
(……見つけた)
残り400メートル。 外の16番が疲れ、わずかに外へヨレる。 逃げる5番も苦しくなり、わずかにラチ(柵)から離れる。 そこに生まれた、人一人が通れるかどうかの、わずかな隙間。
(ここだね。私の『ビクトリーロード(勝利の道)』) (ミミック(箱)の中は嫌いだけど、この狭さは悪くない)
ドリームコアは、躊躇なくその狭い空間へ飛び込んだ。 彼女の馬体が、一瞬で光の矢になる。
「えっ!? そこ通るの!? バカじゃないの!?」
外から追い込んできた2番ジッピーチューンが、思わず素の声を上げた。 しかし、次の瞬間、彼女は見た。 ドリームコアが、涼しい顔で抜け出していく様を。
(速い……! 無駄がない……!) (くっ、ドリームコアさん! またそうやって効率だけで!)
「あはは、ごめんねジッピー。先に行くね」
「待ちなさい! その走り方、可愛げがなさすぎます!」
「勝てばいいんだよ、勝てば。……あ、人参が見えた」
残り200メートル。 5番ヒズマスターピースも必死に抵抗する。
(抜かせない……抜かせないよ! 私の背中は渡さない!)
しかし、ドリームコアの「一般攻撃魔法(ただの末脚)」は強力すぎた。 ズバッ、という音と共に交わされる。
(うそ……何あの無機質な速さ……気持ち悪い!)
最後は、ドリームコアの独壇場だった。 彼女はムチに応えて加速しつつも、心の中では今日の夕飯を考えていた。
(1着なら高級飼い葉だよね。リンゴもつくかな) (あー、早く帰って寝たい。魔導書(レース新聞)読みながら寝たい)
ゴールイン。 タイムは1分32秒6。 上がり3ハロン33秒8。 圧倒的な「好位差し」という名の、魔法による蹂躙だった。
レース後。掲示板の前。
1着の枠に『1』が灯る。 ドリームコアは、涼しい顔で首を振っていた。
(ふぅ。仕事完了。……ねぇ、今の私の走り、歴史に残る?)
2着に入ったジッピーチューンが、呆れた顔で近づいてくる。
「……残りませんよ。あんな隙間を強引に突くなんて、危ないです」 「むぅ。褒めてくれてもいいのに。フェル……ジッピーのケチ」 「ケチではありません。無事だったから良かったものの……」 「(あ、これ長いお説教コースだ……)」
一方、3着に粘ったヒズマスターピースは、興奮冷めやらぬ様子で鼻息を荒くしている。
(あー、負けた! でも楽しかった! 次はもっと切り刻んでやる!)
そして……9着に沈んだギャラボーグ。 彼女は、ボロボロになったプライド(たてがみ)を震わせていた。
(嘘よ……こんなの嘘よ……) (私のオッズが2.7倍だったのよ!?) (なんで誰も跪かないのよぉぉぉ!!)
「うるさいですね、負け犬が吠えないでください」
ジッピーチューンが冷たく言い放つ。
「ひぃっ! ご、ごめんなさい……(なんで2着の馬の方が偉そうなのよ!)」
こうして、東京競馬場の乙女たちの戦いは幕を閉じた。 ドリームコアは翌日のスポーツ新聞の一面を飾ったが、その写真はやはり、半分目を閉じてあくびをしている瞬間のものであったという。
(おわり)
1番人気:ギャラボーグ(9着)(モデル:断頭台のアウラ) 「私の支持率は断トツ……。ギャラボーグ(私)の前に跪きなさい。このオッズが絶対の真実よ!」
1着:ドリームコア(モデル:フリーレン) 「たった1600メートル走るだけで、こんなにたくさんの人参がもらえるなんて……人間って不思議だね」
2着:ジッピーチューン(モデル:フェルン) 「ドリームコアさん、またそうやってギリギリまで手を抜く……。……ちっさ(着差のこと)」
3着:ヒズマスターピース(モデル:ユーベル) 「ねぇ、逃げ切っちゃってもいいかな? 私、風を切る感覚が大好きなんだ」
タイムレスキス(設定なし モブ)
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