◀第06章:封印の遺跡、あるいは空間再構築の詩(うた)
▶第08章:「存在しない住所、あるいは幸福な檻」
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第07章:不純物なき正義、あるいは砂上の楼閣
「VOICEVOX: 白上虎太郎」「VOICEVOX: ナースロボ_タイプT」「VOICEVOX: †聖騎士 紅桜†」「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: 玄野武宏」「VOICEVOX: 麒ヶ島宗麟」「VOICEVOX: 冥鳴ひまり」「VOICEVOX: 東北きりたん」
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(……おかしい。これは算術的な誤差じゃない。僕の舌という名のセンサーが、致命的な劣化を起こしている。まるで寿命の残量が 3% になった魔導ランタンみたいに、味覚の輝度が落ちているんだ)
遺跡事件の翌朝。 海辺の街にある我が家――宿屋『アーデル』の朝は、いつもなら母さんの元気な声と、少し焦げたパンの香りで「日常」が始まるはずだった。
「ほらルイ! 昨日は遺跡で大変だったんでしょ? あんたの大好きなハチミツパン、今日は特別に“二度塗り”しておいたからね!」
母さんがカウンターに置いたのは、黄金色に輝くハチミツパン。 かつての僕なら、この光景だけで唾液分泌量が通常比 1.5倍 に跳ね上がっていたはずだ。
僕は木製の椅子に腰を下ろし、サイズの合っていない制服の袖を捲り上げる。
「……ありがとう、母さん。いただきます」
パンを一口、大きく齧った。
しっとりとした生地。溢れ出すハチミツ。 視覚情報は完璧。脳内では「甘み:極大」というタグが点灯している。
だが――。
(……味が、薄い。いや、薄いどころか“欠損”している。甘みの解像度が半分以下に落ちてる。ハチミツのコクが、まるで“砂を混ぜた水”みたいに無機質なざらつきへと置換されている……)
 昨日、遺跡で空間再構築魔法『裏口の帰還(バックドア・リターン)』を発動した瞬間。 脳の奥で「パチン」と何かが焼き切れた音――あれは比喩じゃなかった。
世界を最適化するたびに、僕は僕を形作る“日常の感覚”を対価として支払っている。
「どうしたのルイ? そんな難しい顔して。ハチミツ、足りなかった?」
母さんが覗き込んでくる。
「え、あ……いや、そんなことないよ。昨日ちょっと計算しすぎて、脳が熱暴走してるだけ。……すごく、美味しいよ。最高だ」
僕は、宿屋の息子として最大級の嘘を吐いた。 「母さんのパンの味がわからない」なんて、そんな致命的なエラーをこの食卓に持ち込むわけにはいかない。
「そう? ならいいんだけど。あ、そうだ。外でセリナちゃんが待ってるわよ。お嬢様を待たせるなんて、宿屋のサービス精神として 0点 よ!」
「……わかってるよ。すぐ行く」
残りのパンを、砂を噛むような思いで喉に押し込む。 外に出ると――朝陽を浴びて発光しているかのようなセリナ・エルフェリアが立っていた。銀髪は一筋の乱れもなく、白と金の制服は完璧な曲線を描き、まるで「公爵家製・高級人間」の展示品みたいだ。
「おはよう、ルイ。……あら、口角が 0.2ミリ 下がってる。昨日の疲れがまだ残っているのかしら?」
セリナは僕の顔を覗き込むと、当然のように僕の腕を自身の柔らかい感触の中へ引き寄せた。密着した距離は、算術的に見れば「パーソナルスペース:消滅」だ。
「……おはよう、セリナ。寝不足なだけだよ。君こそ、朝から魔力出力が安定しすぎじゃない?」
「ふふ。だって今日は楽しみなんですもの。カトリーヌ様が見守る演習。ルイの素晴らしさを、また世界に“理解”させる絶好の機会だわ」
「……その“理解させる”って表現、僕の平穏の生存確率を著しく下げてるんだけど」
「あら、そんなことないわ。あなたの価値が正しく評価されるほど、あなたは私の“檻”――いえ、私の側に近づくの。幸福な最適化よ」
セリナは僕の手を、昨日よりさらに強く握りしめた。骨が軋むほどの“所有”の圧力。
味のしないハチミツの残滓を飲み込みながら、僕は白亜の学園へ続く一本道を見上げた。 空はどこまでも青い。だが僕の算術眼には、その先に待ち受ける「不純物なき正義」という名の、構造崩壊寸前の嵐が、はっきりと可視化されていた。
第五屋外演習場――魔法学園が誇る、起伏だらけの擬似市街地。 石畳、崩れた壁、焦げ跡。まるで「戦争の予行練習」を目的に設計されたような空間だ。僕はサイズの合っていない制服の襟を直しながら、胃のあたりに鈍い痛みを抱えていた。
(……レオンの剣速、理論値の 1.1倍。魔力波の干渉、正常。僕の自尊心、現在値マイナス 3%。今日も平常運転だね)
視界には、算術魔法によって可視化された青白い補助線(グリッド)が走り、無数のベクトルが交差している。その中心で――太陽の欠片をそのまま人型にしたような男、レオン・ヴァルクスが白銀の鎧を輝かせていた。
「はあああああッ!!」
聖属性の一閃。 訓練用の巨大な人形が、まるで「悪」という概念ごと粉砕されるかのように爆散した。衝撃波が擬似市街地の壁を震わせ、砂塵が舞い上がる。
 「見たかルイ! 今の一撃、不純物ゼロだ! 悪がこの空間に 0.01% でも残らぬよう、俺がすべて断つ!」
レオンは汗を拭うこともせず、一直線に僕へ駆け寄ってきた。その瞳は、純度 100% の正義で燃えている。
(……純度 100% って、算術的には“最も壊れやすい”って意味なんだけどな)
「レオン、一応言っておくけど……今のは訓練人形であって、本物の悪党じゃないんだよ? 演習場の維持コストが 30% 増しになるんだけど」
「何を言うルイ! 不純物は許さない。それが俺の騎士道だ! お前という“真の勇者”に並び立つためには、俺の心も剣も純度 100% でなければならない!」
「いや、だからその“純度 100%”が危険なんだよ。硬いものほど脆い。たった一つのクラックで全体が崩壊するんだ。少しは“遊び”を――」
「遊び? ルイ、お前がそんな妥協を許すはずがないだろう! お前の計算は常に完璧だ。俺もそれに追いつきたいだけだ!」
レオンは僕の肩をガシッと掴んだ。 その熱量は、僕の算術眼には「過負荷(オーバーロード)」の赤い警告として映る。僕の警告は、彼の正義フィルターを通ると全部“激励”に変換されてしまうのだ。
その時、背後からひんやりとした気配が忍び寄った。
「ふふ……レオン様。ルイにあまり負荷をかけないでくださる? 彼の脳はもっと“プライベートな熱量”を処理するために予約されているんですもの」
セリナ・エルフェリア。 銀髪を揺らしながら、いつの間にか僕の隣に立っていた。手には高級な刺繍入りのハンカチ。
「ルイ、汗が……ほら、じっとして?」
彼女は当然のように僕の額へ手を伸ばし、汗を拭う。その指先はひんやりとしていて、鎖骨のあたりまで滑り込んでくる。
 (……これ、友情じゃない。僕の算術眼には“マーキング(所有権の主張)”って表示されてるんだけど)
「セリナ様、ルイを甘やかしすぎでは? 彼は英雄だ。自ら律する力も――」
「レオン様の“律する”は、ルイを壊すための枷にしか見えませんわ。彼に必要なのは、すべてを肯定する“檻”……いえ、癒やしですのよ」
二人の視線がぶつかり、空気が張り詰める。 その少し離れた観客席。眼鏡の奥で冷徹にペンを走らせるカトリーヌ・ベルモンドが、僕を“戦略兵器”として観測していた。
レオンの光が強まれば強まるほど、僕の算術眼には、その背後に広がる“黒い影”がノイズとして走るのだった。
「……待って。今の音、演習場の駆動音じゃない。石材が“生身”で削れる時の、あの嫌な周波数だ」
僕の算術眼が、市街地モデルの奥――廃屋を模した建物の影に、異常なノイズを検出した。 訓練用ゴーレムの魔力波とは明らかに違う。もっと生々しい、“殺意の方程式”がそこにあった。
「ルイ? 眉間の皺が 3度 深くなってるわよ」
セリナが僕の顔を覗き込む。銀髪がふわりと揺れ、甘い花の香りが鼻腔を撫でた――が、次の瞬間、彼女の瞳の奥に宿る“絶対零度の静寂”が、僕より早く不純物を捕捉した。
「……ああ、なるほど。お父様に逆らう愚か者が、まだ残っていたのね。あるいは、ルイの価値を理解できない“節穴”かしら」
声は優雅なのに、内容は僕の自尊心を 20% 凍結させる冷酷さだ。
廃屋の影から現れたのは、黒い防護服に身を包んだ三人組。学園の制服ではない。ゲルマール公爵の息がかかった“排除部隊”だ。
「ルイ・アーデル。貴様のような“バグ”が魔導体系を乱すのは看過できん。ここで最適化(削除)してやる」
リーダー格の男が、違法改造された魔導触媒をこちらに向けた。
(……削除、ね。僕の皿洗いリストに、君たちを追加する余白はないんだけどな)
僕は震える指で最短の防御式を組もうとした――が、その必要はなかった。 視界の端で、琥珀色の閃光が走った。 ロゼッタだ。
いつの間にか僕の背後に立ち、赤い髪を揺らしながら、手帳をさらさらとめくっている。
「お嬢様。……不敬者の識別、完了いたしました。記録によれば、彼らはゲルマール公爵の不正融資に関わった末端の“廃棄予定データ”です。ここで消えても、算術的損失はゼロでございます」
「そう。なら、ルイの視界を汚さないように、丁寧に“お掃除”してあげて?」
「御意」
ロゼッタが動いた。 その動きは、もはや人間のものではない。質量を感じさせない速度で路地を駆け、三人の懐へ滑り込む。悲鳴を上げる暇すら与えず、彼女の“非殺傷の打撃”が、魔導回路を物理的に切断していく。
 (……非殺傷って、どこまでが非殺傷なんだろう。あれ、絶対に“二度と魔法を使えない”って意味の非殺傷だよね……?)
ロゼッタが淡々と“処理”している横で、セリナは僕の隣に立ち、再び“天真爛漫な幼馴染”の仮面を貼り付けた。
「怖い思いをさせてごめんなさい、ルイ。……あら、シャツの襟が乱れているわ。直してあげる」
彼女の指先が僕の喉元に触れる。ひんやりとした指先と、密着した身体から伝わる熱。その矛盾した感触が、僕の脳内演算回路をショートさせかける。
「……セリナ、これ演習中なんだけど。ロゼッタが戦ってるのに、僕たちは襟を直してる場合じゃ――」
「いいの。ロゼッタは彼女の仕事をしているだけ。私は、私の所有物……いえ、私の英雄を美しく保つ使命があるの」
“所有物”の部分だけ、0.1秒だけ甘く響いた。 セリナの青い瞳が、僕の瞳を一瞬たりとも逸らさず射抜く。
「ねえ、ルイ。今の不純物たちを見て、どう思った? 『逃げたい』って、計算した?」
「……いや。逃げる暇もなかったよ。それに、ロゼッタの動きが最適化されすぎていて、僕が介入する余地は 0.001% もなかったからね」
「ふふ、ならいいわ。あなたの計算には、常に私が含まれていればいい。余計な変数は、ロゼッタが全部消してくれるから」
セリナは僕の襟を整え終えると、満足げに僕の腕を抱きしめた。 柔らかな感触。だが、その裏で彼女の魔力は、侵入者の末路を祝うように静かに昂ぶっている。
「……待て。なぜ殺し切らない?」
ロゼッタが処理し、地面で呻いている侵入者たちを見下ろす声。 レオンだった。聖剣《ラグナロク》が、擬似市街地の薄闇を裂くように光を放っている。だが、その瞳には、かつて僕が知っていた“親友レオン”の温もりは微塵もなかった。 そこにあるのは、ただひとつ――悪を断つためだけに研ぎ澄まされた、純度 100% の正義。
「レオン、もういいんだ! 彼らはロゼッタが戦闘不能にした。これ以上の攻撃は算術的にオーバーキル――」
「甘いぞ、ルイ! 悪を根絶せずして、何が正義か! 手加減など、守るべき善への冒涜だ!」
レオンが叫び、聖剣を高く振りかざした。
その瞬間、僕の算術眼ははっきりと捉えていた。 (……ロゼッタの『手加減』という不純物が、レオンの純度 100% の正義の式に“ノイズ”として混入した。その矛盾を処理しきれず、彼の精神を形作る巨大な結晶に、ピキリと微細なクラックが走ったのを)
彼の崩壊は、未来の予測ではなく、今この瞬間に始まったのだ。
レオンの剣から放たれた聖なる炎が、男たちの違法魔導具ごと、彼らの気力を完全に焼き尽くした。空気が震え、擬似市街地の石畳が白く焦げる。
僕は思わず目元を覆った。
(……ああ、やっぱりだ。レオン、君の計算式は美しすぎる。美しすぎて、“遊び”がないんだ)
たった一粒の“不純物(ノイズ)”が混ざった瞬間、全体が粉砕される脆弱な結晶。 僕が今算出した数値は、残酷なほど明確だった。
『レオンの心が砕ける確率:99.98%』
ほぼ確定未来。僕の指先が、わずかに震えた。
「……ルイ。怖いなら、もっと私を強く握っていいのよ?」
セリナが、震える僕の肩を抱き寄せた。演習服越しでも分かるほどしなやかな身体。その体温は甘く、優しく――しかし、僕には“逃げ場を塞ぐ檻の温度”にしか感じられない。
セリナはレオンの暴走を眺めながら、満足げに目を細めた。
「レオン様は素晴らしい騎士だわ。ルイを脅かす不純物を、あんなに綺麗に掃除してくれる。……残りの“仕上げ”は、学園がやってくれるでしょうね」
彼女が僕の耳元で囁く。その吐息は甘く、濃密で、今朝の“味のしないパン”の記憶を上書きするほど強烈だった。 だが――僕にはそれが、「檻の鍵が閉まる音」にしか聞こえなかった。
演習場の砂塵が夕陽に溶け、影が長く伸びる時間。擬似市街地の出口で待っていたのは、冷徹な知性を眼鏡の奥に湛えた観測者、カトリーヌ・ベルモンドだった。
「お疲れ様、ルイ・アーデル君。期待を裏切らない、実に見事な『整理整頓』だったわ」
カトリーヌのヒールが、硬い石畳の上でコツ、コツと官僚的なリズムを刻む。彼女の視線は僕という人間を通り越し、僕の右脇腹に隠された『虚数魔導書』の質量を正確に計測しているようだった。
「……カトリーヌさん。僕の計算によれば、今の言葉の 80% は『これ以上面倒なことに巻き込まないでくれ』という僕の願望によって無視されるはずなんだけど」
「残念ながら、私の職務権限はあなたの願望を上書きするわ。魔力指数 0.2 で空間そのものを畳む技術……。これはもはや、一学生の手に余る『戦略兵器』よ」
カトリーヌが僕のすぐ傍まで歩み寄り、至近距離で僕の目を覗き込んだ。
 「宿屋へ帰る準備なんて無駄よ、ルイ君。明日の朝には、王宮からの正式な『徴用令状』があなたの宿屋に届くわ。せいぜい最後の夜を満喫することね」
「……皿洗いの比喩が、これほど僕の心を絶望させる言葉になるとは思わなかったよ。僕の人生の収支決算が真っ赤な赤字で確定したってこと?」
「あら、赤字どころか、国からすれば『無限の資産』よ。……また明日、学園で」
カトリーヌは冷淡に、けれどどこか満足げに微笑んで去っていった。その背中は、僕という「商品」の価値を確定させ、ついに網を絞った官僚のそれだった。
(……終わった。国家権力には、算術も屁理屈も通用しない)
絶望で項垂れる僕の横で、セリナは焦るどころか、優雅に微笑んでいた。
「……ロゼッタ。王宮の伝令のルートは?」
セリナが静かに問いかけると、影から音もなくロゼッタが姿を現した。
「既に把握済みです、お嬢様。令状はエルフェリア公爵家の名において物理的に『最適化(焼却)』され、伝令は永遠に道に迷う手筈となっております」
「え……?」
僕は耳を疑った。王宮の公文書を、公爵家の権力でもみ消す? それはもはや、明らかな国家への反逆スレスレの行為だ。
セリナが僕の頬にそっと手を添える。その指先は相変わらず冷たく、けれど瞳には狂おしいほどの熱が宿っていた。
 「聞いたかしら、ルイ? あなたは最前線になんて行かせない。王宮の檻なんて、私が全部壊してあげる」
彼女の言葉に、僕は背筋が凍るのを感じた。 王宮という巨大な檻から逃れられたわけではない。セリナという、より強固で、より逃げ場のない『個人の檻』に完全に隔離されたのだ。
「だから、あなたは私の用意した『安全な世界』にだけいればいいのよ」
セリナの微笑みは、僕の平穏への退路を完膚なきまでに断ち切っていた。
ふと、自分の口の中が渇いていることに気づく。 夕陽の黄金色は完璧なのに、僕の感覚は、その美しさを「情報」として処理するだけで、「感動」として受け取る機能を失いつつある。
(……ああ、やっぱりだ。 レオンの正義は脆く崩れ始め、セリナの愛は外堀を完全に埋め尽くした。 そして、僕が救世主として振る舞うたびに、母さんのパンの味が、宿屋の埃の匂いが、僕の中から砂のようにこぼれ落ちていく)
僕は、遠くに見える海辺の街の灯りを見つめた。 そこには、僕が愛した「ただの皿洗い」の日常があるはずだ。だが、僕の算術眼に映る未来の座標は、もう二度と、あの宿屋の裏口へと収束することはなかった。
「……ああ、帰りたい」
その呟きは、誰に届くこともなく、セリナの用意した甘い檻の中へと溶けて消えていった。
第07章完了
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あらすじ 遺跡事件の翌朝、宿屋『アーデル』で母の特製ハチミツパンを前にした僕は、味覚の解像度が致命的に低下している事実を悟り、昨日の空間再構築魔法で日常の感覚を代償として失ったと結論した。 母の気遣いに最大級の嘘で応じながら、宿屋の息子として食卓に「味がしない」というエラーを持ち込まないと決め、砂を噛むようにパンを飲み込んだ。 外では公爵家のお嬢様セリナが完璧な装いで待っており、彼女は僕のわずかな表情変化を見抜いて腕を絡め、幸福という名の「最適化」を予告するように所有の圧力を強めた。 白亜の学園へ向かう道すがら、僕の算術眼には「不純物なき正義」という脆い結晶の嵐が迫る未来が明滅し、平穏の生存確率が急降下していると表示された。 第五屋外演習場の擬似市街地で、光をまとった騎士レオンは訓練人形を一閃で粉砕し、「純度100%の正義」を高らかに宣言して僕の肩を掴み、妥協なき並走を迫った。 僕は純度が高いほど脆いと警告するが、レオンの正義フィルターは全てを激励に変換し、過負荷の兆候すら彼の闘志に焚き付けられてしまった。 そこへセリナが現れて僕の額に触れ、ひんやりとした指先で甘やかしながら「檻」という言い間違いを甘く響かせ、所有のマーキングで距離ゼロを既定事実にした。 観客席のカトリーヌは官僚の眼差しで僕を「戦略兵器」として観測し、演習自体が査定の場であると暗に示して筆記を続けた。 その時、僕の算術眼が廃屋の影の異音を検出し、訓練用ゴーレムとは異質の生々しい殺意の方程式が潜んでいると判断した。 セリナは即座に不純物の存在を冷ややかに断じ、父の権力に逆らう愚か者か僕の価値を理解できない節穴だと切り捨て、排除の準備に移行した。 影から現れた黒装束はゲルマール公爵の排除部隊で、僕をバグ呼ばわりして魔導体系からの除去を示唆し、擬似市街地に生身の戦闘の気配を持ち込んだ。 セリナの指示でロゼッタが無音で突入し、非殺傷の一撃で魔導回路を物理的に断ち切り、彼らを二度と魔法を使えない存在へと最適化した。 僕はその「非殺傷」の定義に背筋を冷やしながら、隣で僕の襟を整えるセリナの優雅な所作に、甘い檻の鍵音を重ねて聴いた。 ロゼッタが敵を沈黙させた直後、レオンは「なぜ殺し切らない」と聖剣を掲げ、手加減は善への冒涜だと断言して純度100%の正義を貫徹しようとした。 僕はオーバーキルだと制止するが、彼の正義の式に「手加減」という不純物が混じった瞬間、精神結晶に微細なクラックが走るのを算術眼ではっきり確認した。 聖なる炎は違法魔導具ごと敵の気力を焼き尽くし、白く焦げる石畳の上で、レオンの内的崩壊が未来予測ではなく現在進行形の事象として確定していった。 僕が弾き出した数値は「レオンの心が砕ける確率99.98%」で、純度の美しさが遊びの欠如ゆえに最も脆弱だという残酷な証明になった。 震える肩をセリナが強く抱いて「もっと握っていい」と囁く温度は優しいのに、僕には退路を塞ぐ鉄格子の体温としてしか知覚できなかった。 セリナはレオンを称賛しつつ残りの仕上げを学園に任せると語り、実質的な掃除係として純化を称える視線で事後処理を見下ろした。 夕陽と砂塵が交じる出口で、カトリーヌは「見事な整理整頓」と評価しつつ、魔力指数0.2で空間を畳む僕の技術を一学生の手に余る戦略兵器と規定した。 彼女は王宮からの徴用令状が明朝に届くと宣言し、僕の願望上書きが不可能である職務権限を淡々と示して、最後の私夜を享受せよと告げた。 僕は人生の収支が真っ赤に確定したと嘆くが、カトリーヌは国家にとっては無限の資産だと微笑み、網を絞った官僚の足取りで去っていった。 国家権力には算術も屁理屈も通じないと悟って項垂れた僕の前で、セリナはむしろ嬉々として伝令のルートを確認し、対抗策の実行を命じた。 ロゼッタは令状を公爵家権限で物理的に最適化(焼却)し、伝令は永遠に迷うよう処理済みだと報告し、王命の回線を個人の手で切断する暴挙を平然と提示した。 頬に触れるセリナの指先は冷たいのに瞳は灼熱で、王宮の檻を全部壊してあなたを前線に出さないと断言し、甘い言葉でより強固な私的檻へと誘導した。 僕は国家の檻からは逃れても、セリナという個人の檻に完全隔離されたと理解し、自由度ゼロの保護が所有の別名であると定義を更新した。 「安全な世界」だけにいればいいという微笑みは、僕の平穏への退路を切断し、意思決定の選択肢空間を徹底的に縮約させた。 夕陽の黄金は完璧でも、僕の感覚は美を感動として受信する機能を失いつつあり、日常の質感が情報へと劣化していく進行性の欠損を自覚した。 レオンの正義はクラック音を鳴らし、セリナの愛は外堀を満たし、僕の英雄的振る舞いは母のパンの甘みや宿屋の埃の匂いという生活の粒子を砂のように零れ落とした。 海辺の街の灯りに「ただの皿洗い」の日常を見出そうとするも、算術眼の未来座標は宿屋の裏口に収束せず、帰還関数が解として消失していると示した。 学園の擬似市街地で起きた「純度100%の正義」と「甘い檻の保護」と「官僚的徴用」の三重の力が干渉し、僕の自由域は可逆性を失って不可逆の狭路へと相転移した。 最適化の代償として日常感覚が摩耗し続ける現実は、世界を救うたびに僕が自分を砂に換金している会計だと冷酷に帳簿へ記入された。 そして僕は小さく「ああ、帰りたい」と呟き、その声すらセリナの用意した甘い檻の内側で拡散吸収され、誰にも届かぬ無音のノイズとなって消えた。 第07章は、壊れやすい純度と所有の保護と国家の合理が絡み合う中で、僕の味覚と平穏が失われていく不可逆の手触りだけを確かな現実として残して完了した。
解説+感想この章、めちゃくちゃ面白かった! タイトル「不純物なき正義、あるいは砂上の楼閣」からして、完璧主義の脆さを象徴してるのがぴったりで、読み進めながらどんどん引き込まれたよ。 ルイの視点が一貫して算術的な比喩で表現されてるのが独特で、彼の内面的な葛藤がすごく生々しく伝わってくる。 特に、味覚の喪失が能力の代償として描かれてる部分は切ない。 朝のパンのシーンで、母さんの愛情がルイの「日常」を象徴してるのに、それが薄れていく描写が心に刺さった。 まるで、彼の最適化が自分自身を最適化しすぎて、人間性を失っていく過程みたいで、テーマの核心を突いてるよね。 キャラクターたちもそれぞれの「正義」や「愛」が歪んでて魅力的。 レオンは純度100%の正義が逆に脆弱だって指摘されてるけど、その暴走が予測通り崩壊し始める展開がスリリング。 セリナはもう完全にヤンデレ寄りで、ルイを「檻」に閉じ込めようとする所有欲が怖いくらい強い。 ロゼッタの冷徹な処理も、彼女の忠誠心を強調してて、全体のバランスがいい。 カトリーヌの官僚的な視点も、国家レベルの脅威としてルイを扱うのがリアリティあって、ストーリーを広げてる感じ。 全体として、ルイの「帰りたい」って呟きで締めくくられるのが象徴的。 能力の代償が積み重なって、平穏な日常が遠ざかる絶望感が強い章だったけど、それが次への伏線になってるのが楽しみ。
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