▶第02話:スライムと甘いゼリー、そして半分この儀式
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第01話「海を畳んだ日、僕らは再会する」
「VOICEVOX: 白上虎太郎」「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: †聖騎士 紅桜†」「VOICEVOX: ナースロボ_タイプT」
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世界が畳まれていく音を聞いたことがあるだろうか。 それは、巨大な紙を折りたたむような、あるいは古い映画のフィルムが焼き切れるような、乾いた音だった。 空はひび割れ、僕たちが住んでいた街の輪郭は、消しゴムでこすられた鉛筆書きのように、じわじわと曖昧になっていく。
押し寄せるのは、オレンジ色の海。 それは津波というにはあまりに美しく、夕陽を溶かし込んだ蜂蜜のように、重たく、甘い死の予感だった。
「……ごめんね、ルイ。私が、わがままだから」
 隣で、銀色の髪をなびかせた少女――セリナが泣いていた。 彼女の指先が宙をなぞるたび、物理法則は悲鳴を上げ、世界は彼女の「願い」という名の歪みに塗り潰されていく。 (……死ぬ。いや、もう死んでるのか。僕の人生の最終回は、この美少女の『わがまま』による世界崩壊らしい。悪くない、なんて言ったら、彼女はもっと泣くだろうか)
僕が彼女に伝えたかった言葉も、ポケットに入れたままの食べ損ねたチョコバーも、すべてこの甘い濁流に消えていく。
「次は、絶対に。ルイが……ルイが笑っていられる世界にするから」
意識が遠のく直前、彼女の唇が僕の耳元でそう囁いた。 それが呪いか、それとも祈りだったのか。 それを確かめる術は、もう、僕の脳のアーカイブには残っていない。
――。
目が覚めると、そこはバニラの匂いがする森だった。
「……っ、はぁ、はぁ……」
飛び起きた僕の目に飛び込んできたのは、見たこともないほど澄んだ青空と、巨大なマシュマロのように膨らんだ白い雲。 地面を触れば、芝生はまるで細い緑の飴細工のように、指先でパリリと小さな音を立てて砕けた。 (……生きてる。生存。生存……なのか、これ? 物理法則が糖分に完全敗北している気がするんだが)
そして、そのすぐ隣。
「ふぁ……。ルイ、おはよう。ちょっと寝すぎだよ?」
 何事もなかったかのように、セリナがそこにいた。しかも、僕の太ももを枕にして。 前世よりも少しだけ幼くなったような、けれど見る者を一瞬で虜にする圧倒的な美貌を湛えた僕の幼馴染は、無防備に目をこすりながら、僕の顔を「じーっ」と至近距離で見つめてくる。 (……死ぬ。心拍数が魔法障壁を貫通する。この距離感、前世からバグっていたが、転生しても一切修正されなかったらしい)
「ねえ、ルイ。ここ、どこかな。それよりも……すっごくお腹空いちゃった!」
セリナが「ぐぅ」と可愛くない音を鳴らした瞬間だった。 彼女の背後で、空間が飴細工みたいにぐにゃりと歪んだ。 彼女の「空腹」という些細な感情に反応して、周囲の広葉樹が脈打ち、その枝先が、見る間に瑞々しい『ドーナツ』へと変質していく。
――バグだ。 彼女の力は、この世界のキャパシティを遥かに超えている。 このままでは、彼女が「美味しいお菓子がいっぱい食べたい」と願うだけで、この世界は糖分に押し潰されて崩壊してしまう。
『――《告知》。個体名「セリナ」による概念汚染を検知。世界の賞味期限(崩壊)まで、残り、六百秒』
突然、脳内に冷徹な女の声が響いた。
「誰だ……?」
『私は「シエル」。あなたの後悔と、彼女の神性が混ざり合った、あなたのためのナビゲーター』 声は、ひどく無機質なのに、どこか粘着質な熱を帯びていた。 『……ルイ様、決断を。彼女を「神」として独り死なせるか、それとも、あなたの記憶を代償に、その暴走を「固定(お菓子)」するか』
視界の端に、半透明のシステムウィンドウが浮かび上がる。 《警告》。セリナがドーナツの成る木に手を伸ばしました。接触まで残り3秒。
 【監視者(オブザーバー)の権限を起動しますか?】 【代償:前世の記憶(『実家の正確な住所』を消去します)】
(……やってやるよ。僕は彼女のためのバッテリーで、消耗品だ。前世で海に沈んだ時から、そう決めている)
「――『無限封印・菓子変換(スイーツ・シール)』!!」
刹那、僕の右目が青く発光した。
 セリナから溢れ出していた暴力的な魔力が、僕の視線に絡め取られ、凝縮されていく。 歪んでいた空間が、僕の『住所』という記憶の重しによって無理やり固定され、パキパキとお菓子が凍るような音を立てて収束した。
ドサドサドサッ!
空から降ってきたのは、数千本のチョコバーだった。 それらは銀色の包装紙に包まれ、僕が今しがた忘れたはずの「実家の近所のコンビニ」で売っていたのと同じロゴが刻まれている。
「わあぁっ! すごいよルイ! チョコの雨だぁ! ぱくっ、もぐもぐ……ん、美味しい!」
セリナが歓喜の声を上げ、チョコの山にダイブする。
 世界から崩壊の気配が消え、再び穏やかなバニラの風が吹き抜けた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
全身から力が抜け、僕はその場に膝をついた。 ひどい脱力感。そして、脳の奥が氷を押し付けられたように痺れる。 (……あれ? 今、何を捨てたんだっけ。何か、すごく大切で、でももう二度と帰れない場所の……)
「ルイ? どうしたの? はい、あーん!」
セリナが、食べかけのチョコバーを僕の口元にぐいぐいと押し付けてくる。 指先が唇に触れる。(この女、間接キスの概念すら置いてきたのか……!)
差し出されたそれを、一口噛みしめる。 甘い。けれど、その甘さの奥に、ぽっかりと穴が空いたような「欠落」の味がした。 胸の奥が、大切な何かを落としてしまったようにスカスカしている。
(……胸の奥がスカスカする。何かが抜け落ちたみたいだ)
僕は必死に、その「空洞」を埋める何かを探して、記憶の引き出しをひっくり返す。 けれど。 いくら探しても、あるはずの「風景」が、霧に包まれたように見つからない。
「……セリナ。僕たち、どこに住んでたんだっけ」
「え? 何言ってるのルイ、あそこの……ええと……」
セリナが、もぐもぐと口を動かしながら、少しだけ困ったように眉を下げた。
ほんの一瞬、風の音だけが聞こえた。
「……忘れちゃった。あ、このチョコ、もう一本食べていい?」
そうか。彼女が編み直したこの世界には、僕たちの「家」なんて最初から存在しないんだ。 そして僕の脳内からも、あの日々を過ごした「実家の住所」の記憶が、霧のように綺麗に消え去っていた。
『……代償の執行を完了しました。ルイ様、これがあなたの選んだ道です』 シエルの声が、嘲笑うように、けれど酷く愛おしそうに響く。 『あなたは彼女を守るたびに、あなた自身を失っていく。おめでとうございます。世界で一番、残酷で甘い愛の始まりです。……あなたが消えていく過程を、私は余さずすべて記録します』
僕は、制服のポケットに残っていた生徒手帳と短いシャープペンシルを取り出し、真っ白なページに文字を書いた。 まだ忘れていない、漢字の混じった、綺麗な日本語。
『今日、僕は彼女を救うために、世界を騙すことに決めた』
これが、僕に残された唯一の対抗策。 いつか僕が、僕でなくなってしまうその日までの、交換日記の1ページ目だ。
「ルイ、これなーに? 変な形! 食べられるの?」
セリナが僕の肩に顎を乗せ、潤んだ瞳で僕の手元を覗き込んでくる。近すぎる。
 彼女から漂う強烈な甘い匂いが、僕の削られた魂の匂いと混ざり合って、脳を焼く。
「……なんでもないよ。ただの、おまじないだ」
僕は手帳をポケットに隠し、無邪気にチョコを頬張る彼女の手を引いた。 鼻を突くのは、あまりに甘くて、吐き気のするようなバニラの匂い。
僕の記憶は、今日、君の食べるお菓子になった。
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【第1話:ルイが今回失った記憶:『実家の正確な住所』】
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あらすじ 第01話「海を畳んだ日、僕らは再会する」は、世界崩壊と転生、そして“甘く残酷な愛”を描く物語の幕開けである。 物語は、世界が「畳まれていく」異様な終末から始まる。 空はひび割れ、街の輪郭は消え、オレンジ色の海がすべてを呑み込む。 その崩壊の中心にいるのは、銀髪の少女セリナ。 彼女の“願い”が物理法則を歪め、世界を塗り替えていた。 主人公ルイは、彼女のわがままが引き起こした終焉を前にしながらも、彼女を責めることなく最期を受け入れる。 セリナは「次はルイが笑っていられる世界にする」と囁き、世界は完全に崩壊する。 次に目覚めたルイがいたのは、バニラの香りが漂う奇妙な森だった。 空も雲も芝生も、まるで菓子細工のような質感を持つ甘ったるい世界。 そこには、何事もなかったかのようにセリナが存在している。 しかも以前より幼い姿で、無防備に彼の膝を枕にしていた。 どうやら彼女の力によって世界は再構築されたらしい。 しかしその力は依然として制御不能で、彼女が空腹を覚えただけで、木々がドーナツへと変質してしまう。 そのとき、ルイの脳内に“シエル”と名乗る無機質な声が響く。 彼女はルイの後悔とセリナの神性が混ざって生まれたナビゲーターであり、セリナの存在は「概念汚染」として世界を再び崩壊へ導くと告げる。 残り六百秒。 このままでは世界はもたない。 回避する方法は二つ。 セリナを神として孤独に死なせるか、ルイ自身の記憶を代償に彼女の暴走を“お菓子”として固定するか。 ルイは迷わず後者を選ぶ。 彼は「監視者」の権限を起動し、代償として前世の記憶――「実家の正確な住所」を差し出す。 彼の右目が発光し、暴走する力はチョコバーへと変換され、空から降り注ぐ。 世界は安定し、崩壊は回避された。 セリナは無邪気にチョコを頬張り、歓喜する。 しかしルイの胸には大きな空洞が残る。 何か大切なものを失った感覚。 自分たちがどこに住んでいたのか思い出せない。 セリナも同様に答えられない。 この世界には最初から“家”という過去が存在しないのだ。 代償は確実に執行されていた。 シエルは告げる。 ルイは彼女を守るたびに、自分自身を失っていく。 それは世界で一番甘く、残酷な愛の始まりだと。 ルイは対抗策として、生徒手帳に日記を書き始める。 「今日、僕は彼女を救うために、世界を騙すことに決めた」と。 記憶が消えても、記録があれば自分を繋ぎ止められるかもしれない。 その交換日記こそが、彼の最後の抵抗である。 物語は、世界を救うたびに自分を削る少年と、無自覚に世界を書き換える少女の再会から始まる。 甘い菓子に変換される記憶と引き換えに紡がれる愛。 その第一歩として、ルイは「実家の住所」という帰る場所を失った。
解説+感想この第1話、めちゃくちゃ面白かったです! ファンタジーと甘いお菓子のメタファーが絡み合った独特の世界観が、最初から引き込まれました。 世界が「畳まれる」描写や、オレンジ色の海が蜂蜜みたいに甘い死の予感として描かれるところ、ビジュアルが鮮やかで、読んでてワクワクしました。 セリナの力による崩壊と再構築が、彼女の「わがまま」や「願い」に起因してるのが可愛らしくも恐ろしくて、いいバランス。 主人公ルイの視点がユーモアたっぷりで、内緒のツッコミ(死ぬ、心拍数魔法障壁貫通とか)が笑えるし、記憶を代償に彼女を守る選択が切ない。 シエルの声が無機質なのに熱っぽいのも、なんか不気味で魅力的。 全体的に、甘さと残酷さが混ざった「残酷で甘い愛の始まり」って締めがぴったりで、次が気になる終わり方。 ルイの交換日記が今後の鍵になりそうですね。 続きがあればぜひ読みたい!
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▶第02話:スライムと甘いゼリー、そして半分この儀式
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