第1章 「出現! 最速の忍と無表情な最強の男! ~1200メートルの極限世界に響く特売のサイレン~」
中京競馬場のターフは、春の柔らかな日差しをその身に吸い込み、静かな殺気を孕んでいた。 鼻腔を突く瑞々しい芝の匂いと、蹄に削り取られた乾いた土の粒子が空気に混じり合う。 スタンドを埋め尽くす数万の怒号は、もはや歓声ではない。それは大地を伝って這い上がる地鳴りとなり、極限の1200メートルへと身を投じる「超人」たちの鼓膜を、容赦なく震わせていた。
だが、冷たい鉄の檻――ゲートの中に押し込められた彼らにとって、外側の熱狂など、もはや届かぬ雑音に過ぎない。 逃げ場のない狭小な空間。 そこには、スプリントGⅠ特有の、肺が焼けるほど濃密な“殺気”だけが充満していた。
インビンシブルパパ【音速のソニック】:「ひぇぇ……。な、なんだよ、この背筋が凍るようなプレッシャーは……!」 15番、インビンシブルパパ(音速のソニック)が、装甲のような馬体をブルブルと小刻みに震わせる。
インビンシブルパパ【音速のソニック】:(くっ……私のスピードは、もはや物理限界を超えているはず。誰もついてこれない……はずなのに、なんだこの、心臓を直接掴まれるような重圧は!)
額から噴き出した冷や汗が、激しく波打つ鼻先を伝い、芝の上へぽたりと落ちた。 自称「最速の忍」である彼の本能は、ゲートが開く前から、すでに逃亡を促す警鐘を乱打していた。
サトノレーヴ【サイタマ】:「……なあ。なんかここ、暑いんだけど。誰かエアコンの設定温度、2度くらい下げてくんない?」
静まり返ったゲート内に、緊張感の欠片もない声が響いた。 隣のゲートで、盛大なあくびを噛み殺したのは、9番、サトノレーヴ(サイタマ)だ。 張り詰めた殺気の中で、その声だけが拍子抜けするほど軽く、濁りがない。
サトノレーヴ【サイタマ】:(……あー、今日も1200か。パッと走って、早く帰って録画したアニメ観たいな。あ、帰りにスーパー寄るの忘れないようにしねえと)
その底抜けに弛緩した気配は、周囲の馬たちが命を削って作り上げた濃密な空間を、一瞬で「間抜けなもの」へと塗り替えてしまう。
レッドモンレーヴ【ジェノス】:「先生! このゲートの狭さと熱気は、闘争本能を極限まで圧縮し、爆発させるための高度な設計かと思われます!」
6番、レッドモンレーヴ(ジェノス)が、カッと両目を見開いて叫ぶ。その馬体からは、オーバーヒート寸前の熱気が立ち昇っている。 レッドモンレーヴ【ジェノス】:「ただちに先生の心拍数と発汗データを解析し、私の内蔵ファンをフル稼働させて冷却を試みますッ!」
サトノレーヴ【サイタマ】:「いや、ジェノス……お前、ただうるさいだけだぞ。冷却ファンとかいいから、とりあえず静かにしてろ。馬がびっくりすんだろ」
レッドモンレーヴ【ジェノス】:「失礼いたしました、先生! レース前の無駄なエネルギー消費を徹底して排する……その深遠な教え、深く魂に刻みました!」
レッドモンレーヴ【ジェノス】:(……さすがは先生だ。この死線すら霞む殺気の渦中で、まるでスーパーのレジ待ちをしているかのような平常心。やはり俺では、足元にも及ばない……!)
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「ちょっと……! さっきからうるさいわね、この低級牡馬ども!」
その喧騒を、冷酷な苛立ちに満ちた声が鋭く切り裂いた。 13番、ナムラクレア(戦慄のタツマキ)だ。 彼女は黄金の毛並みを微塵も揺らすことなく、目を閉じたまま、深く、重く、淀みのない息を吐き出す。 「少しは気を練りなさいよ。外側の雑音にいちいち振り回されているようじゃ、話にならないわ」
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:(……直線の長さこそが、真の“精神と時の部屋”……とか、誰かが言っていたかしら。ふん、どうでもいいわね)
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:(とにかく、この程度のプレッシャーで浮き足立つようじゃ未熟もいいところ。私の超能力……いえ、この四肢に宿る破壊的な末脚で、まとめて捻り潰してあげるわ!)
微動だにせず、ただ己の深淵へと潜り込んでいくその姿。 彼女の周囲だけ、重力が捻じ曲がったかのような錯覚を覚えさせるほど、絶対的なプライドがゲート内に膨れ上がっていた。
ママコチャ【地獄のフブキ】:「あら、お姉様。またそんなにイライラしているのね。……余裕のない姿は『フブキ組』の美学に反するわよ?」
10番、ママコチャ(地獄のフブキ)が、冷徹なまでに気品ある微笑を浮かべ、隣のゲートから静かに声をかける。 その立ち振る舞いは、過酷なスプリント戦を前にしてもなお、舞踏会へ臨む貴婦人のごとき優雅さを失わない。
ママコチャ【地獄のフブキ】:「身の程をわきまえて、私の後ろについてきなさい。このレースを支配する真の『美学』を、身をもって教えてあげるわ」
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「ふざけないで! 誰があんたの後ろなんか走るもんですか、この凡才!」
ナムラクレアが、その苛烈な殺気をさらに膨らませて反発する。
ママコチャ【地獄のフブキ】:「あら、強がるのもいいけれど。無理をして自慢のドレス……勝負服が泥で汚れたら、最悪の気分になってしまうわよ?」
ママコチャが、流れるような動作で上品に鬣(たてがみ)をかきあげる。
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「泥なんて、私の念動力……いえ、脚力で一粒残らず弾き飛ばしてやるわ! あんたこそ、私の巻き添えを食らって沈んでも知らないからね!」
――その直後だった。
ガシャンッ!!
無機質な金属音が、中京の重苦しい空気を木端微塵に引き裂いた。 次の瞬間、十八の巨大な影が、一斉に暗い檻から“解き放たれる”。 狭いゲート内で凝縮されていた超人たちの思惑と、爆発的な運動エネルギーが、凄まじい衝撃波となってターフを揺らした。
電撃の1200メートル。 物理法則すら置き去りにする極限のスプリント・バトルが、今――その凄惨な幕を開けた。
インビンシブルパパ【音速のソニック】:「フフフ……ハハハ! 見たか! 誰も俺の残像すら拝めまい! このまま光の速度で逃げ切ってやる!」
先陣を切ったのは、15番、インビンシブルパパ(音速のソニック)だ。 それは勝利への渇望というより、背後の怪物たちから逃げ延びるための、生存本能に突き動かされた全力のスタートだった。一気に加速の頂点へ達し、鋭い角度で内ラチ沿いへと身を投じる。
インビンシブルパパ【音速のソニック】:(よし……! この反応速度ならいける! 爆裂手裏剣――ではなく、超高速ピッチ走法「十影葬」……のイメージだ!)
風を切り裂き、ターフを切り刻みながら、強引にハナを奪い取る。 その走りは、もはや洗練された技でも天賦の才能でもない。ただ一刻も早く「あのハゲ」の視界から消えたいという、極限の焦燥感が生み出した“錯覚”の覚悟であった。
最初のハロンタイムは「12.1」。ここまでは、GⅠの舞台に相応しい通常の立ち上がり。 だが、第1コーナーへと向かう直線で、物理法則を無視した狂気の加速が始まる。
「9.8」――。
掲示板に刻まれた数字は、スプリント戦の歴史を根底から覆すレベルの、異常すぎる前傾ラップ。 ソニックの通過した軌跡に沿って、空気が重く淀み、後続の息を止める「真空地帯」が形成されていく。
ウインカーネリアン【シルバーファング】:「ホッホッホ。近頃の若馬は、まことに元気があってよろしい。だが、内枠の捌きというものは、そう力んで成せるものでは無いのう」
好位4番手、インコースの経済コースをピタリと死守したのは、8番、ウインカーネリアン(シルバーファング)。 9歳という、サラブレッドとしては「武の極致」に達した老兵が、濁りのない双眸で前方を射抜く。 「流水岩砕――あ、いや、流れるような粘りを見せてやろう。無駄な力みは、スタミナという名の命を削るだけぞい」 首を低く地を這うように下げ、最短距離のラチ沿いをなぞる。その足取りは驚くほど静かで、荒れた馬場をものともしない。
ウインカーネリアン【シルバーファング】:(……いやぁ、それにしても1200メートルは腰に来るわい。後で厩務員に、特大の湿布を多めに貼ってくれと頼まんかのう……)
パンジャタワー【無免ライダー】:「……勝てないのは分かってる……! でも、ここで走らなきゃ、ボクは馬じゃないんだ!」
その外側、悲壮なまでの形相で先行集団に食らいつくのは、1番、パンジャタワー(無免ライダー)だ。 格上たちの放つ凄まじい風圧に押し潰されそうになりながらも、彼は一歩も引かない。
パンジャタワー【無免ライダー】:「ジャスティス・ダッシュ! 届かなくても、たとえ一完歩でも前へ!」
パンジャタワー【無免ライダー】:(脚が……ちぎれそうだ。心臓も爆発しそうだよ。でも、ボクを信じてなけなしの金を賭けてくれたファンがいるんだ……! ここで止まるわけにはいかないんだ!!)
鼻血が噴き出す寸前まで全身を強張らせ、圧倒的な才能の壁に、血の滲むような努力だけで立ち向かう。
レースは、魔の3コーナーへと差し掛かる。 狂気的な「9.8」という刻印から、掲示板の数字は「10.6」、「11.1」へと、呪縛が解けるように緩み始めた。 だが、その減速は救いではない。逃げ・先行勢の四肢には、すでに「致命的な疲労」という名の、返済不能な借金が重くのしかかっていた。
インビンシブルパパ【音速のソニック】:「くっ……1200メートルは長すぎる! 400メートル……いや、100メートルなら俺が宇宙最強なのにッ!」
インビンシブルパパ(音速のソニック)の脚色が、目に見えて鈍り始める。 白目を剥き、もはや残像すら出せないほど必死に芝を蹴り飛ばすが、重なり続ける疲労の借金がその速度を無情に削ぎ落としていく。
インビンシブルパパ【音速のソニック】:(……背後に、とてつもない化け物たちの殺気を感じる……! いや、殺気ですらない、空気を丸ごと喰らい尽くすような巨大な“虚無”だ。悪夢だ、これは悪夢だッ!)
その頃、中団後方10番手。地響きが轟く馬群のただ中で、悠然と構える異質な影があった。
サトノレーヴ【サイタマ】:「……あー。なんか前の連中、一生懸命だな。あんなに最初から全力出して、最後まで体力持つのか?」
サトノレーヴ(サイタマ)が無表情のまま、死に物狂いで坂へ向かう馬群を退屈そうに眺めていた。 周囲の馬たちが放つ、肺が焼けるような熱気も、彼にとってはただの「ぬるい風」に過ぎない。
サトノレーヴ【サイタマ】:(……終わったら、スーパーの特売に寄ってから録画したアニメ観るか。あ、でも卵1パック98円は明日だったか? 今日はもやしの日だったっけ……?)
レッドモンレーヴ【ジェノス】:「先生! 師匠の背中が遠い……。出力を120%にオーバーロードさせ、焼却――いえ、全速追従(追い込み)を開始します!」
後方15番手から、レッドモンレーヴ(ジェノス)が、四肢から火花を散らすような末脚の予備動作に入る。
レッドモンレーヴ【ジェノス】:「ブリンカー、異常なし。視覚センサーの再キャリブレーション完了……。ターゲットロック、師匠の背中のみ!」
レッドモンレーヴ【ジェノス】:(……この俺が15番人気だと? 世間の観測データは、これほどまでに腐敗し、機能不全に陥っているのか! 先生の隣を走るにふさわしいのは、この俺だということを証明してみせる!)
さらに後方、地響きが轟く馬群の最後方付近。
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「あー、もう! 芝が脚に絡みついて、うっとうしいわね! 凡才ども、砂埃をまき散らさないで!」
ナムラクレア(戦慄のタツマキ)が、前を行く牡馬たちが蹴り上げる土塊と芝の奔流に、苛立ちを爆発させる。 その全身から放たれる目に見えぬ圧力が、周囲の空気を歪ませていた。 ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「どきなさいよ! 私の進路を塞ぐんじゃないわよ、この低級牡馬ども!」
ママコチャ【地獄のフブキ】:「あら、お姉様。大声を出しすぎては、品格が疑われるわ。……フブキ組のメンツが丸潰れじゃない」
ママコチャ(地獄のフブキ)が、最後方から優雅に、しかし内面には姉への激しい対抗心を燃やして追いかける。 ママコチャ【地獄のフブキ】:「泥が跳ねて、勝負服が汚れたわ。最悪の気分ね……。レース後のドレス……いえ、勝負服のお化粧直しが先よ」
――4コーナー。 下り坂の恐怖と、これまで刻まれた狂気のラップが、ついに前を行く者たちの体力を完全に奪い去る。 掲示板に刻まれたのは、「11.6」という、電撃のスプリント戦としては致命的な失速ラップ。 逃げ・先行勢の脚が、まるで泥に足を取られたかのように鈍る。
サトノレーヴ【サイタマ】:「……あー。そろそろ行くか。欠伸してたら、本当に特売に間に合わなくなるからな」
サトノレーヴ(サイタマ)が、盛大な欠伸を噛み殺しながら、悠然と大外へと馬体を持ち出した。 中京の短い直線。そして、その先に待つ魔の急坂。 圧倒的な「ワンパン」の衝撃が、今まさに、中京のターフを物理法則ごと粉砕しようとしていた。
第2章 「物理法則の崩壊! 炸裂するマジ末脚! ~重力の外へ消えた短髪(ハゲ)と、逆ギレするエスパー牝馬~」
目の前に立ちはだかるのは、中京競馬場の心臓破りの急坂。 それは、勝利を渇望する者たちの限界を超えた筋肉に、無慈悲なトドメを刺す「処刑台」でもあった。 荒い呼吸はターフの熱気に溶け、沸騰した血液が四肢の血管を内側から焼き焦がす。
先頭を死守せんとするインビンシブルパパ(音速のソニック)の顔面は、すでに血の気が失せ、死人のように蒼白だった。
インビンシブルパパ【音速のソニック】:「ハァッ……ハァッ……! 俺の……スピードは……音速を……超えて……ッ!」
白目を剥き、もはや形を成さない無様なフォームで芝を蹴り飛ばすが、その脚は鉛を流し込まれたかのように重く、動かない。
インビンシブルパパ【音速のソニック】:(くっ……背後に迫る、この心臓を握りつぶすような絶望的プレッシャーはなんだ……!? まるで、巨大な隕石が背後から迫ってきているような……!)
インビンシブルパパ【音速のソニック】:(私の残像にすら追いつけぬはずの有象無象どもが、なぜすぐ後ろに……! 嘘だ、認めん! 私は、私は世界最速の忍のはずだッ!!)
噴き出した汗が滝のように流れ落ち、自慢の超高速ピッチ走法「十影葬」の残像は、無惨にも急坂の重力に押し潰されて消えた。
その内側、荒れ果てた最短距離を「無」の境地で這うように進む影があった。
ウインカーネリアン【シルバーファング】:「ホッホッホ……若いのう。そう力んでいては、この坂の重力にスタミナを喰い尽くされてしまうぞい」
8番、ウインカーネリアン(シルバーファング)。 老練な身のこなしで、他馬が嫌がるデコボコの馬場を、まるで見えない川の流れに乗るかのようにスルスルと通り抜けていく。
ウインカーネリアン【シルバーファング】:(……いやはや、近頃のGⅠは展開が速すぎて、じじいの動体視力では追いつかんわい。関節をコキコキ鳴らしながら走るのも、楽ではないのう)
ウインカーネリアン【シルバーファング】:(……走った後は、腰に特大の湿布を5枚ほど貼ってもらわんとな。冷えは大敵じゃ……)
身体中から悲鳴が上がっていようとも、その体幹は「流水岩砕拳」の極意の如く、一点のブレも許さない。
そのすぐ横。血管が千切れんばかりに浮き出し、歯を食いしばって坂に挑むのは、1番、パンジャタワー(無免ライダー)だ。
パンジャタワー【無免ライダー】:「負けるもんか……ッ! ボクが頑張らなきゃ、誰がこのターフを走るんだ……!」
鼻血が滲み、全身の筋肉が断裂寸前の悲鳴を上げる。それでも彼は、己の限界という名の「リミッター」を根性だけで無理やりこじ開け、前へと進む。
パンジャタワー【無免ライダー】:(脚が……バラバラになりそうだ。でも、ボクを信じて、なけなしの小遣いで馬券を買ってくれたファンがいるんだ……!)
パンジャタワー【無免ライダー】:(あんな化け物みたいな連中に、どうやって勝てばいいのか……ボクには分からない。でも、一歩でも、1ミリでも前へ行くんだ……。それがボクの、ジャスティス・ダッシュだ!!)
実力の絶望的な壁を痛感しながらも、不屈の闘志だけで急坂を這い上がるその姿。 だが、その熱き魂をあざ笑うかのように、中京の空気が「変質」した。
大外。 荒れた馬場を避け、誰もいないフラットな芝生の上を。 物理法則から切り離された「異質の質量」が、滑るように、いや、テレポートでもしているかのように進出してきた。
サトノレーヴ(サイタマ)である。
サトノレーヴ【サイタマ】:「……あー。なんか前の連中、一生懸命だな。……俺も、ちょっとだけ。本気、出すか」
感情の欠落した無機質な呟きと共に、サトノレーヴ(サイタマ)が、たった一歩。 ただの一歩だけ、深く、重く、中京のターフを文字通り「踏み抜いた」。
ゴォォォォォォッッ!!
大気が悲鳴を上げ、視界に入る風景が万華鏡のように歪む。 彼が解き放った上り「32.4秒」という驚愕の末脚は、もはや「走る」という生物学的概念を物理的に超越していた。
レッドモンレーヴ【ジェノス】:「先生! お待ちください! 私も直ちに演算データを更新し、最大出力で追従しますッ!」
その直後、凄まじい衝撃波を切り裂いて、レッドモンレーヴ(ジェノス)が四肢から火花を散らしながら食らいつく。 その馬体からは、設計限界を超えた排熱の蒸気が、まるで白煙のように立ち昇っていた。
レッドモンレーヴ【ジェノス】:「リミッター解除! 出力を120%へオーバーロードさせ、焼却――全速追走を開始する! 師匠の背中、0.1ミリたりとも見失いません!」
レッドモンレーヴ【ジェノス】:(……15番人気だと? 世間の観測データは、これほどまでに腐敗し、真実を見失っているのか! おかしい、ブリンカーの調子が悪いのか……。視覚センサーの再キャリブレーションが必要だ……!)
レッドモンレーヴ【ジェノス】:(……いや、違う。センサーの故障ではない。先生の動きが、俺の演算速度を……『世界の解像度』を上回っているだけだ……!)
全身の筋肉(パーツ)を軋ませ、文字通り「身を焼く」ような末脚で、彼は師匠が切り拓いた真空の航跡を必死にトレースしていく。
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「ちょっと……! どきなさいよ、この低級牡馬どもッ!」
遥か後方、大外からナムラクレア(戦慄のタツマキ)が、鼓膜を突き破らんばかりの金切り声を上げて猛追してくる。その周囲では、彼女の放つ強大すぎる「気」によって、跳ね上げられた土塊が空中で静止し、粉々に砕け散っていた。
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「私の進路を塞ぐんじゃないわよ! 邪魔な連中はまとめて場外まで吹き飛ばしてやるわ!」
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:(あー、もう! 芝が脚に絡みついて、うっとうしいわね! 凡才ども、私に砂埃を浴びせないで!) ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:(……っていうか、何なのあの前を走る短髪(ハゲ)は! あの物理法則を無視したデタラメな速さ……見てるだけでムカつくわね!)
苛立ちをそのまま爆発的な推進力へと変換し、先行するサトノレーヴの背中を、文字通り「眼力」で射抜かんばかりに睨みつける。
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「ちょっと、そこのハゲ! 止まりなさいよ! 私の前に立つんじゃないわよ!」
届くはずのない絶望的な距離から、彼女はさらに声を荒らげて怒鳴りつけた。
サトノレーヴ【サイタマ】:「……ん? なんか言ったか? てか、誰がハゲだ。短髪って言え、短髪って」
サトノレーヴ(サイタマ)が、猛烈な向かい風など存在しないかのように、首だけをひょいと後ろへ向けて面倒くさそうに応じる。
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「うるさい! 私を追い越すなんて100年早いのよ! あんたみたいな低級なのが、私の視界に入るんじゃな――」
ナムラクレアが前掻きするような、まるで空を掴んで引き寄せるような超常的フォームで、さらなる限界加速を試みた、その瞬間。
サトノレーヴ【サイタマ】:「あー……はいはい。じゃ、お先に。……これ以上遅れると、マジで特売の卵に間に合わなくなるからな」
サトノレーヴが再び前を向いた。 ただそれだけで、彼は重力の鎖を引き千切り、空間そのものを踏み越えるかのようにフワリと加速した。
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「なっ……なにあれ!? 納得いかないわよ! 逆ギレしていいかしら!? ねえ、いいわよね!?」
ナムラクレアの悲鳴にも似た抗議は、すでに音速の壁を超え、遥か後方の地平へと置き去りにされていた。
ママコチャ【地獄のフブキ】:「あら……お姉様も、あんなに無様に苦戦しているようね。……私としたことが、同類に見られるのは心外だわ」
さらに後方。ママコチャ(地獄のフブキ)は、貴婦人の優雅さを保とうと死に物狂いで脚を伸ばすが、先頭との距離は絶望的に開いていく。
ママコチャ【地獄のフブキ】:(……9着だなんて。これでは『フブキ組』のメンツが丸潰れじゃない。……ええい、お化粧直しが先よ! 泥が跳ねてドレス……いえ、勝負服が汚れたわ。最悪の気分ね!)
残り200メートル。 もはや一歩も動かぬほどに失速したインビンシブルパパの真横を、サトノレーヴが「歩くような」自然さで通り過ぎる。
インビンシブルパパ【音速のソニック】:「……な、速い……ッ!!」
インビンシブルパパ(音速のソニック)が、驚愕に引き攣った目で見送ったのは、馬の走りではない。それは、空間そのものが移動しているかのような、不可解な現象だった。
インビンシブルパパ【音速のソニック】:「フフフ……俺の残像すら……え? 嘘だろ……。……見えなかった。……今の、見えなかったぞ……!?」
自称「最速の忍」としての矜持が、無表情なワンパンの前に、塵一つ残さず粉砕された瞬間だった。
そして。 サトノレーヴ(サイタマ)は、涼しい顔のままゴール板を音速で突き抜けた。 2着以下に付けた大差は、もはや「着差」という概念では測れない。 激走の直後だというのに、彼の毛艶は鏡のように磨かれ、呼吸一つ乱れてはいなかった。
サトノレーヴ【サイタマ】:「……必殺、マジ走。……あ、もうゴールか。意外と近かったな」
サトノレーヴ【サイタマ】:(……っていうか、やっぱゲートの中が暑かったんだよな。誰かエアコンの設定温度下げてくんねーかな。あ、馬だから無理か)
サトノレーヴ【サイタマ】:(……1着賞金。……これだけあれば、1ヶ月は高級な飼い葉が食べ放題か。悪くないな。もやしも、たまには「高いやつ」買ってみるか)
中京競馬場を揺らす、鼓膜が破れんばかりの大歓声。 その中心で、最強の短髪馬はただ一人、今夜の夕飯の献立と特売の卵のことだけを考えていた。
2馬身遅れて、レッドモンレーヴ(ジェノス)が全身の毛穴……いや、排熱ダクトから黒煙を吹き上げながら2着で入線。 さらに内側から、老練な粘りを見せたウインカーネリアン(シルバーファング)が続き、そのクビ差後方に、魂を使い果たしたパンジャタワー(無免ライダー)が雪崩れ込んだ。
ゴール後の検量室前。 そこは、限界を超えた超人(馬)たちが荒い息を吐き、文字通り崩れ落ちる「戦場跡」だった。 その凄惨な光景の中で、ただ一頭、散歩の帰り道のような足取りで佇むサトノレーヴ(サイタマ)。
レッドモンレーヴ【ジェノス】:「先生! お見事です! 今日の私の追走、客観的に見ていかがでしたか!? さらなる出力向上のための改善点をご教示くださいッ!」
レッドモンレーヴが、オーバーヒートで目を血走らせながら詰め寄る。その馬体からは、未だに焦げ付いたオイルのような異臭が漂っていた。
サトノレーヴ【サイタマ】:「あー……。まあ、うん。よく頑張ったんじゃない? とりあえず、その体から出てる煙、先に直した方がいいぞ。火事かと思ったわ」
サトノレーヴが、鼻先をひくつかせながら適当に返す。
レッドモンレーヴ【ジェノス】:「ハッ! 冷却ユニットの循環不全……および、精神的昂揚による熱暴走ですね! ただちに自己改修プロセスへ移行し、次走までに水冷式心臓を実装しますッ!」
サトノレーヴ【サイタマ】:「いや、そういう物理的なことじゃなくて……。まあ、いいか。勝手にしろ」
少し離れた場所では、地面の芝を親の仇のように蹴り飛ばしている影があった。
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「6着……!? ふん、納得いかないわよ! 今日の中京は、局地的に重力が捻じ曲がっていただけだわ! あんたの速さなんて、ただの環境のバグよ! 勘違いしないでよねッ!」
ナムラクレア(戦慄のタツマキ)が、悔しさに顔を真っ赤にして叫ぶ。
ママコチャ【地獄のフブキ】:「お姉様、見苦しいわよ。……負け惜しみは『フブキ組』の品格を落とすわ。やめてちょうだい」
ママコチャ(地獄のフブキ)が、泥まみれになった勝負服を忌々しげに眺め、深いため息をついた。
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「……なんですって!? あんたこそ9着のくせに! 私の進路を塞いで足を引っ張ったのは、どこの誰よッ!」
ナムラクレアが、もはや馬の形を保てていないほど激昂し、歯を剥き出して威嚇する。
ママコチャ【地獄のフブキ】:「……聞こえないわね。私の崇高な美しさに嫉妬しているのかしら。お姉様、次は負けないわ。フブキ組の総力を結集して、あんたを追い詰めてあげる」
ママコチャが、冷ややかに鼻で笑いながら、泥にまみれた前肢を優雅に持ち上げる。
ナムラクレア【戦慄のタツマキ】:「嫉妬なんかするもんですか! 次は……次は中京競馬場ごと空に浮かせてやるんだから! 逃げ場なんてなくしてやるわッ!」
パンジャタワー【無免ライダー】:「……ジャスティス・ダッシュ……。あぁ、もう一歩も……指一本動けないや……」
パンジャタワーが、焼け付くような熱気を帯びた芝の上にへたり込み、ボロボロの充実感と心地よい疲労で、春の青空を仰ぎ見る。
ウインカーネリアン【シルバーファング】:「ホッホッホ、若いの、よく粘ったのう。……だが、ワシはもう、腰が限界じゃて。関節が悲鳴を上げておるわい」
ウインカーネリアンが、よぼよぼと腰をさするような仕草をしながら、達人の風格を漂わせつつゆっくりと歩き去っていく。
圧倒的な力の差――いや、もはや生物としての格の違いを見せつけられた、電撃の高松宮記念。 「ワンパン」ですべてを無に帰した男は、周囲のどよめきを余所に、せかせかと馬運車へと乗り込んでいった。
サトノレーヴ【サイタマ】:「……あー、やべえ。早く帰らないと、特売の『お一人様一点限り』の白菜が売り切れちまう……。鍋の材料が揃わねえ……」
中京のターフには、彼が巻き起こした、物理法則を置き去りにする突風の余韻だけが、静かに、そして虚しく残されていた。
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