第一章「戦場への招待状。 冷徹な指揮官が敷いた制圧布陣と、狂犬の飢えた咆哮」
阪神競馬場、芝1600メートル。
春の陽光に照らされたターフに渦巻くのは、華やかな歓声ではない。 肺を焼くような焦燥と、喉の奥にこびりつく鉄の味を孕んだ熱気だ。
ここは優雅なレディたちがドレスの裾を揺らし、微笑み合う社交場などではない。
底なしの欲望と、剥き出しの意地、そして暴力的なまでの野心がぶつかり合う、硝煙なき戦場(キリング・グラウンド)だ。
エンブロイダリー【バラライカ】:「……不快ね。 この程度の湿り気で、私の蹄を汚せるとでも思っているのかしら」
ゲートの中、1番――牝4歳のエンブロイダリー(バラライカ)は、冷徹な双眸で前方の地平を見据えていた。
その瞳には、勝利への執着などという青臭い感情はない。 あるのは、完遂すべき「任務」への義務感だけだ。
彼女にとって、首筋を撫でる春の風も、ややおもの芝のコンディションも、すべては戦場を構成する環境データ……「焦土制圧(ヴィソトニキ)」を成功させるための係数に過ぎない。
エンブロイダリー【バラライカ】:(……最内の陣地(インコース)はすでに私の支配下にある。 あとは合図と共に、掃除を始めるだけよ)
絶対的な指揮官としての風格。 彼女はすでに、ゲートが開く前から、他馬の進路を断つ冷酷な「計算」を完了させていた。
少し離れた枠で、6番――牝5歳のアスコリピチェーノ(ロベルタ)が、静かに、深く息を吐き出す。
その佇まいは、非の打ち所がないメイドが主人の寝室のカーテンを直すかのように優雅だが、虚空を見つめる瞳には、隠しきれない濃厚な「狂血」の残滓が宿っていた。
アスコリピチェーノ【ロベルタ】:(……これより、皆様に安らかな永眠(ゴール)を提供いたします。 ……我が主のために)
しかし、その強靭な脚部には、目に見えない巨大な「重火器」を背負わされているかのような不穏な重圧がのしかかっている。 それは彼女が背負うべき「猟犬」の宿命か、あるいは重賞馬という名の枷か。
一方、おおそとの枠。
5番、牝4歳のカムニャック(レヴィ)が、苛立ちを隠そうともせず、鉛を込めた蹄でゲートの鉄扉を蹴り上げた。
カムニャック【レヴィ】:「(ケッ……どいつもこいつも、処女の面下げて小綺麗なツラしやがって。 ……ここは阪神(ロアナプラ)のドブ川だ。 死ぬ奴から順に、地獄の底まで連れてってやるぜ)」
獲物を引き裂き、その魂まで喰らい尽くす機会を待ちわびる「狂犬」の双眸が、ぎらぎらとした暴力の光を放っている。
そのすぐ内側で、3番、牝4歳のルージュソリテール(エダ)が、鼻でせせら笑った。
ルージュソリテール【エダ】:「(あら、いいポジション。 主のお導きかしら? ……ここなら、誰にも泥を投げられずに『美味しいところ』だけ戴けそうね)」
偽りの福音を説くシスターは、胸元で敬虔に十字を切るふりをしながら、頭の中ではすでに、自らの懐に転がり込む勝利の配当金を冷徹に暗算していた。
重々しい金属音と共に、鉄の扉がはじけ飛んだ。
それはレースの始まりというより、地獄の蓋がたたき壊された合図だった。
最初の1ハロン、時計は12秒6。
静寂を切り裂くには、あまりにも生ぬるく、退屈ですらある立ち上がりだ。 だが、その緩やかな流れこそが、後の惨劇をより鮮明に描き出すためのキャンバスとなる。
エンブロイダリー(バラライカ)が、氷の上を滑るような滑らかさで最内ラチ沿いの先頭を制圧した。
無駄な筋肉の収縮は一切ない。
彼女は後続の群れをゴミ溜めの生存競争でも見るかのように睥睨し、微かに顎を上げ、冷たい視線をターフの彼方へと落とした。
エンブロイダリー【バラライカ】:(……全部隊に通達。 これより本馬場を完全制圧(ヴィソトニキ)する。 貴様らに膝をつく礼儀など求めない。 ……ただ、私の後ろで静かに沈めばいいわ)
その絶対的な支配領域に、背後から無作法な野太い怒声が突き刺さる。
カムニャック【レヴィ】:「おいおい大将! 随分と余裕じゃねえか! その焼けたツラに似合わねえ優雅な独走だな!」
さいこうほう、獲物を狙う獣の姿勢でカムニャック(レヴィ)が吠えた。 彼女の瞳には、スローペースを愉しむ余裕など微塵もない。 あるのは、停滞した空気をぶち壊したいという破壊衝動だけだ。
カムニャック【レヴィ】:「こんなタラタラ走りやがって、ここで優雅なお茶会でも始めるつもりかよ! 銃爪(トリガー)を引く勇気もねえなら、さっさとその特等席を譲りな!」
こういの2番手、絶好の「獲物(ポジション)」をキープしていたルージュソリテール(エダ)が、汚物でも見るような目で肩越しに振り返る。
ルージュソリテール【エダ】:「うるさいわね、狂犬。 ……あんたみたいな教養のない下品な女には、この特等席(イン・ポケット)の価値なんて一生理解できないわよ。 主の導きは、いつだって賢いレディに微笑むものなの」
カムニャック【レヴィ】:「アァ!? ……ぶち殺されてえのか、糞シスター! そのシーツみたいな服を、赤い水玉模様に染め抜いてやろうかッ!」
カムニャック(レヴィ)の瞳孔が限界まで開き、全身の筋肉が爆発的に膨張する。 彼女にとって、このスローペースは「待ち」ではなく、ただの「拷問」に過ぎない。
カムニャック【レヴィ】:「その澄ましたツラ、泥まみれにしてやるからそこで待ってろ! 脳天から地獄へたたき落としてやるぜ!」
ルージュソリテール【エダ】:「あら怖い。 ……でもね、吠えることしか能のない負け犬には、神の慈悲も勝利の美酒も一生届かないのよ。 ……アーメン(くたばれ)」
ルージュソリテールは涼しい顔で、祈りを捧げるように目を伏せた。 だがその実、エンブロイダリーの真後ろ、最も空気抵抗の少ない「聖域」へと滑り込む。
2ハロン目。
ここで、戦場の空気が一変した。
時計は11秒1。
先頭を駆けるエンブロイダリー(バラライカ)が、突如として圧倒的な「制圧前進」を開始したのだ。
エンブロイダリー【バラライカ】:「……全部隊、総員突撃。 これより地獄の門を開く。 ……慈悲など忘れて、一気に焼き払いなさい」
彼女の合図と共に、12秒台の平穏は一瞬で灰になった。 阪神のターフを切り裂く蹄の音が、突如として重機関銃の連射音へと変貌する。
強烈な加速――「制圧前進」の号令と共に、密集していたばぐんが大きく縦に引き伸ばされる。
逃げ場を失い、舞い上がる土埃の匂いが、肺胞の奥まで容赦なく侵犯していく。
芝を叩く蹄の音は、もはや競走のそれではない。 それは乱射されるアサルトライフルの残響であり、逃げ惑う標的を追い詰める死のメトロノームだ。
中団で泥を被りながらもがくアスコリピチェーノ(ロベルタ)の端正な貌に、明確な苦悶の色が浮かぶ。
アスコリピチェーノ【ロベルタ】:(……身体が重い。 ……若様に捧げる無垢なる勝利に、このような呪いのような不純物が混ざるとは。 ……不徳の致すところです)
必死に心臓を回し、四肢を駆動させるが、目に見えない巨大な錨に繋がれているかのように、前へ進むべき「解答」が見つからない。
クランフォード【シェンホア】:「ねえ、そこの重苦しいメイドのお姉さん。 アンタの走り、なんだか見てるこっちが息苦しくなるほど重いね」
すぐ隣を並走する7番――牝5歳のクランフォード(シェンホア)が、歌うような独特の訛りで、死の勧誘を囁く。
クランフォード【シェンホア】:「そのドレスの中に、始末し損ねた鉄くずでも背負ってるのかい? 私の中華包丁(カトラス)で、その重たい未練ごと綺麗に切り落としてあげようか?」
アスコリピチェーノ【ロベルタ】:「……黙りなさい。 不潔な言葉を口にするな」
アスコリピチェーノが、網膜に血管が浮き出るほどの鋭い殺気を込めて睨み返す。 その視線だけで、常人ならば心臓が止まるだろう。
アスコリピチェーノ【ロベルタ】:「これは我が主(若様)への、絶対なる忠義の重さです。 ……貴女のような、金で魂を売る軽薄な刃に理解できるものではありません」
クランフォード【シェンホア】:「アハッ! 忠義だの愛だので速く走れるなら、ロアナプラの殺し屋はみんな五輪選手(アスリート)になっちゃうよ!」
クランフォード(シェンホア)が、獲物の喉元を切り裂く絶好の角度を探るように、より深く、低く身を沈める。 その「双剣」の軌道には、迷いも重みも微塵もない。
クランフォード【シェンホア】:「……万死に値します。 その薄汚い減らず口、ゴール板を拝む前にターフへ縫い付けて差し上げましょう」
アスコリピチェーノ(ロベルタ)が、鋼鉄の意志でばぐんの隙間に無理やり身体をねじ込もうとするが、非情にも速度計の針は動かない。 駆動系に砂を噛んだ重火器のように、四肢が悲鳴を上げている。
アスコリピチェーノ【ロベルタ】:(……この、役立たずの脚。 ……我が主の期待を裏切るこの肉体ごと、今すぐここでたたき折りたい気分です……!)
レースは[向正面]むこうじょうめんへ。 4ハロン目から5ハロン目。
ラップタイムは、不自然なほどに急落した「11秒6」。
それは暴風雨の直前に訪れる、鼓膜が痛くなるような「沈黙」だった。
先頭のエンブロイダリー(バラライカ)は、完全にこの戦場を己の「支配下(フィールド)」に置いていた。
眩しい春の日差しを反射する白銀の馬体は、この死闘の最中にありながら、一粒の汗さえかいていない。
はじ力のある良馬場の芝が、彼女の冷徹な計算通りに、失われたエネルギーを静かに補填していく。
エンブロイダリー【バラライカ】:(……良い子ね、阪神の芝。 私の歩みに合わせて、完璧に呼吸を整えてくれる。 ……さあ、掃除の時間まで、あと少し。 誰も逃がしはしないわよ)
さいこうほうで沈黙を守るカムニャック(レヴィ)の口内に、噛み締めた唇から溢れた鉄の味が広がった。
カムニャック【レヴィ】:(……クソが。 前の連中、談合でも始めやがったか。 ……たっぷり息を入れやがって。 反吐が出るぜ)
だが、その双眸に絶望の陰りはない。
あるのは、獲物の喉首を食いちぎる直前の、極限まで研ぎ澄まされた純粋な「狂気」だけだ。
第3コーナーが迫る。
内ラチ沿いの「絶対防衛圏(インコース)」をミリ単位で譲らないエンブロイダリー(バラライカ)。
その真後ろ、空気抵抗さえも他人に押し付けた特等席で、ルージュソリテール(エダ)は、勝利の後に開けるべきヴィンテージ・ワインの銘柄を品定めしながら、静かに「毒」を研いでいた。
そして、おおそとのさいこうほう。
死の静寂を切り裂き、カムニャックがついに「二挺拳銃(トゥーハンド)」の撃鉄(ハンマー)をたたき起こした。
カムニャック【レヴィ】:「ハッ! 神様なんてのはよ……あいにくと留守なんだよ! 今この瞬間の、このイカれた心拍数の中にしかいねえんだよ!!」
阪神競馬場、魔の第4コーナー。
芝を蹴る音は、もはや一斉射撃の轟音へと変わる。
血で血を洗う、苛烈にして美しい「暴力の狂宴」が、ついに最終決戦の幕を押し上げた。
第二章(後半)「強欲の聖域と、焦土の門」
第4コーナー。
猛烈な遠心力が、あらゆる野心を外周へとたたき出そうと牙を剥く。
ばぐんは逃げ場を失うほどに密集し、むせ返るような芝の青臭さと、死を予感した牝馬たちの濃密な汗の匂いが、暴力的な質量となって鼻腔を殴りつける。
最内の「絶対領域(聖域)」を悠然と旋回するエンブロイダリー(バラライカ)の真横に、影のようにルージュソリテール(エダ)がその馬体を滑り込ませた。
ルージュソリテール【エダ】:(……あら、最高のポジション。 神の配慮か、はたまた私の商才か。 これなら泥に指一本触れずに、美味しいところ(配当金)だけ戴けそうね)
サングラスの奥で、冷徹な計算機と化した瞳を細める。 彼女はエンブロイダリーの心拍、ストライド、そのすべてを己の拍動にシンクロさせ、追い抜くための「最短経路」を導き出した。
ルージュソリテール【エダ】:「ごちそうさま、大将。 ……あとはこの私が、先頭でゴール板(小切手)を換金させてもらうわ」
エンブロイダリー【バラライカ】:「……浅はかね。 ……ハイエナが、獅子の寝首を掻けるという幻想を本気で信じているの?」
エンブロイダリーは眉一つ動かさない。 内ラチと自らの馬体の間、わずか数十センチの、針の穴を通すような空間を精密機械のごとき正確さでなぞり続ける。
ルージュソリテール【エダ】:「獅子だか何だか知らないけどね! ロアナプラで最後に笑うのは、いつだって口座残高が一番多い奴なのよッ!」
ルージュソリテールが忌々しそうに舌打ちし、出し抜くための「裏切り」の急加速をたたき出す。
エンブロイダリー【バラライカ】:「……そう。 ……なら、その安い口座(いのち)ごと、この場で吹き飛ばしてあげるわ」
直線入り口、残り3ハロン。
計時板がはじき出したのは「10秒8」――。 この日最速にして、走る者の心臓を握りつぶすような異常な破壊的ラップが刻まれた。
エンブロイダリー(バラライカ)の強靭な筋肉が、限界を超えて爆発する。 ターフを焦がし、芝を泥とともに消し飛ばすような凄まじい推進力で、一気に後続の希望を突き放した。
ルージュソリテール【エダ】:「なっ……バカな!? この期に及んで、まだそんな規格外の火力(あし)が残ってるっていうの……ッ!?」
ルージュソリテール(エダ)が、サングラスを跳ね飛ばさんばかりに目を見開き、必死に追いすがる。 だが、目の前で広がる白銀の馬体との絶望的な距離は、彼女の強欲さをもってしても埋めることはできない。
エンブロイダリー【バラライカ】:(……この1分31秒6という時間が、貴方たちの処刑場になる。 ……掃除の時間よ。 跪きなさい、「焦土制圧(ヴィソトニキ)」の始まりよ)
その後方、激しい銃撃戦(デッドヒート)でばぐんがバラけたわずかな隙間から、クランフォード(シェンホア)が、地を這うような独特の歩様で音もなく忍び寄る。
クランフォード【シェンホア】:「エイヤッ! もらったね、その綺麗な首筋! 露西亜(ロシア)の姐さんの前に、まずはアンタから解体だよ!」
獲物の頸動脈を正確に切り裂くような、鋭く、禍々しい伸び。 しかし、ルージュソリテールが死に物狂いの横移動で、その進路を強引に塞いだ。
クランフォード【シェンホア】:「どきなさいよ、このインチキシスター! 私の自慢の中華包丁(カトラス)が、届かないじゃないかッ!」
ルージュソリテール【エダ】:「うるさいわね、この中華娘! 神の御前で刃物なんか振り回すんじゃないわよ! 命が惜しければ、後ろで大人しくアーメンでも唱えてなさいッ!」
クランフォード【シェンホア】:「神様なんて信じてないアル! 私が信じるのは、私自身のこの脚と、研ぎ澄まされた鋼(はがね)だけね!!」
二頭の「悪党(エダとシェンホア)」が激しく火花を散らす鍔迫り合いを演じている、その遥か後方――。
おおそとの、誰の邪魔も入らない「無法地帯(ノーマンズランド)」から、鼓膜を直接引き裂くような、おぞましいまでの轟音が響き渡った。
カムニャック【レヴィ】:「ハッ! 逃げ切れると思ってんのかよ、大将ォ! その綺麗なケツ、まとめて蜂の巣にしてやるぜッ!!」
カムニャック(レヴィ)だ。
上がり33秒2――。
それは物理法則を嘲笑い、二挺拳銃(ソード・カトラス)を全はじ乱射するがごとき、正真正銘の「狂気」の末脚だった。
口の端から剥き出しの闘争心を泡とともに飛ばし、血走った瞳には、前方を駆ける白い馬体……バラライカの首筋をぶち抜くことしか映っていない。
カムニャック【レヴィ】:「ぶち抜けえええええッ!! くたばれ、どいつもこいつもォ!!」
カムニャックの咆哮と共に、視界のすべてが溶解し、風景が後方へと消し飛んでいく。
外から猛追する他馬を紙クズのように抜き去り、前方でもがくばぐんを、大型トレーラーが突っ込むがごとく無慈悲に撫で斬りにしていく。
一方、硝煙渦巻くばぐんのど真ん中で、アスコリピチェーノ(ロベルタ)は、死体のような不気味な沈黙を保っていた。
アスコリピチェーノ【ロベルタ】:(……邪魔です。 ……失礼、少々『掃除』をさせていただきますので、そこを退きなさい……)
虚ろな瞳のまま、鋼の肉体で周囲の馬を物理的にはじきのけようとするが、肝心の四肢が、彼女の意志を拒絶するように前へ出ない。
それはまるで、背負いきれないほどの重機関銃と、拭い去れない過去の「罪」をその背に括り付けられているかのような、鉛の重苦しさだった。
ルージュソリテール【エダ】:「あら、メイドのお姉さん! 今日は随分とお淑やかに、後ろでお掃除でもしてるのかしら? 先に『美味しい報酬』を戴かせてもらうわよ!」
横を矢のように通り過ぎるルージュソリテール(エダ)が、勝利を確信した卑俗な嘲笑を投げつける。
アスコリピチェーノ【ロベルタ】:「……お待ちを。 ……我が主(若様)への、義務が……義務が果たせ……ッ!!」
血を吐くような呻きと共に、虚空を掴むような仕草を見せるが、非情なターフは、牙を失った猟犬を無慈悲に後方へと置き去りにしていった。
残り100メートル。
おおそとから、この世の全てを撃ち抜かんとするカムニャック(レヴィ)の影が、ついにエンブロイダリー(バラライカ)の真横へと到達する。
カムニャック【レヴィ】:「とらえたぜ、大将ォォッ!! 地獄へ行く前に、そのスカした面を拝ませなァ!!」
二つの「暴力」が、剥き出しの鉄と鉄として激突し、火花が散るような極限の削り合いが始まる。 互いの馬体がぶつかり合う鈍い衝撃音は、もはやゴールを目指す蹄の音をかき消し、ただ互いの生存を否定し合う銃撃戦そのものへと昇華されていた。
カムニャック【レヴィ】:「アハハハハハ! 最高だぜ、大将ォ! やっぱり殺し合い(レース)はこうじゃなきゃなァ!!」
カムニャック(レヴィ)が、肺から魂を吐き出すような狂気的な笑い声を上げながら、エンブロイダリー(バラライカ)の白い首筋に食らいつこうと、二挺拳銃のはじ丸をたたき込み続ける。
エンブロイダリー【バラライカ】:「……品の欠片もない野良犬ね。 ……そのまま這いつくばって、阪神の泥でも舐めていなさい」
エンブロイダリーの、氷結した絶対零度の視線がカムニャックを射抜く。 その視線は、もはや馬を操るためのものではなく、処刑の引き金を引く瞬間の軍人のそれだった。
カムニャック【レヴィ】:「てめえのその澄ましたツラ、死の恐怖で歪ませてやるよッ!!」
エンブロイダリー【バラライカ】:「吠える暇があるなら、コンマ一秒でも速く四肢を駆動させることね。 ……無能な部下は、私の部隊には必要ないの」
カムニャック【レヴィ】:「言われなくても……その喉笛、ぶち抜いてやるよォォォッ!!」
二頭の鼻先が、完全に重なった。
跳ね上がるターフの泥は、炸裂した手榴はじの破片のように空を舞い、両者の視線が激しく火花を散らして交錯する。
だが、非情なゴール板は、わずかな「格」の違いを冷酷に宣告した。
――クビ差。
一切の表情を崩さず、息一つ乱さぬまま、エンブロイダリーが先頭で「完全制圧(ヴィソトニキ)」を完了させた。
凄まじい「狂犬」の追い上げを見せたカムニャックが、わずかに届かず2着。
内側で神を呪いながら、しぶとく実利を掠め取ったルージュソリテールが3着。
あと一歩、獲物の首筋に届かなかったクランフォードが4着。
そして、かつて「猟犬」と呼ばれた面影もなく、己の忠義という名の鎖に縛り付けられ、泥にまみれたアスコリピチェーノが、10着という屈辱の深淵へと沈んでいった。
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レースを終え、全身から銃身の過熱を思わせる白い湯気を立ち昇らせる牝馬たちが、検量室前へと帰還する。
そこにあるのは、互いの健闘を称え合うスポーツマンシップではない。 ただ、仕留め損ねた獲物への未練と、硝煙の残り香が漂う殺伐とした「戦後処理」の空気だ。
エンブロイダリー【バラライカ】:「……不快ね。 この程度の湿り気で、私の蹄(ブーツ)を汚せるとでも思っているのかしら」
エンブロイダリー(バラライカ)は、脚部にこびりついた阪神の泥を、まるで処刑すべき反逆者でも見るような冷たい目で見下ろした。
エンブロイダリー【バラライカ】:「阪神の整備班(スタッフ)は、よほど長い休暇が欲しいようね。 ……それとも、シベリア並みの冷遇を望んでいるのかしら」
彼女は周囲の喧騒を黙殺し、静かに己の呼吸を整える。 だが、その鋼の理性の中では、冷徹な「事後評価」が下されていた。
エンブロイダリー【バラライカ】:(……クビ差。 ……わずか数センチとはいえ、私の『作戦』に端数が出るのは好まないわ。 ……次は、その端数ごと焼き払う必要があるわね)
その横では、カムニャック(レヴィ)が、怒りと虚脱感の捌け口を求めて検量室の壁を無造作に蹴り飛ばしていた。
カムニャック【レヴィ】:「クソがッ! あと一歩……あと数インチあれば、あの大将の喉笛(ゴール)に手が届いたってのによォ!」
彼女は周囲の視線を威嚇するように睨みつけ、足元の芝を乱暴に踏みにじる。
カムニャック【レヴィ】:「どいつもこいつも、処女の面下げて小綺麗なツラしやがって! ここはロアナプラのドブ川だ! 泥水すすって、死ぬ気で走りやがれッ!」
ルージュソリテール【エダ】:「ちょっと狂犬、暴れないでよ。 私のシスター服(勝負服)に泥が飛んだじゃない。 クリーニング代、あんたの端金から出してくれるわけ?」
カムニャック【レヴィ】:「アァ!? 文句があるなら、今この場でてめえもまとめて撃ち抜いてやろうか、インチキシスター!」
ルージュソリテール【エダ】:「やれるもんならやってみなさいよ。 ……それにしても……」
エダはサングラスをずらし、阪神の広い空を見上げて、深いため息をついた。
ルージュソリテール【エダ】:「ケッ、55キロなんて羽みたいな軽量(ハンデ)を活かして、結局これ? 神様もたまには職場放棄(サボタージュ)するってわけね。 やってられないわ」
ルージュソリテール【エダ】:(……1着賞金なら今夜は最高級のバーボンで祝杯だったのに。 この3着じゃ、安酒の瓶を抱えて独り言がお似合いね。 ……アーメン、不愉快だわ)
クランフォード【シェンホア】:「アハッ! 神様はお金持ちと、あそこの怖い姐さんの味方アルよ。 貧乏人は地道に足を動かすしかないね」
クランフォード(シェンホア)が、自慢の脚という名の「包丁」を鞘に収めるような仕草で、独特の笑い声を漏らす。
ルージュソリテール【エダ】:「あんたにだけは言われたくないわよ、この中華包丁女! 次はコースの外に放り出してあげるわ!」
クランフォード【シェンホア】:「うるさいね! 次こそは、あんたのその長い足ごと細切れにしてやるアル!!」
そんな喧騒の隅、勝者と敗者の境界線から取り残された場所で、アスコリピチェーノ(ロベルタ)が一人、血に染まったかのような夕闇のターフに膝をついていた。
アスコリピチェーノ【ロベルタ】:「……身体が、重い。 ……我が主に捧げるべき無垢なる勝利に、このような『不純物(はいぼく)』を混じらせてしまうとは。 ……私は、万死に値します」
泥に汚れ、見る影もなくなったメイド服(勝負服)を、指の節が白くなるほどに握りしめる。 その瞳はもはや光を通さず、虚ろに冷たい地面を見つめるばかりだ。
アスコリピチェーノ【ロベルタ】:(……2番人気という名の、遂行すべき絶対の重責。 それを果たせぬこの役立たずの脚など、今すぐこの手でたたき折り、粉々に砕いてしまいたい気分です……)
彼女の背後に立つのは、敗北の悔しさではなく、底なしの自己嫌悪と忠義という名の狂気。
ロアナプラの裏通りをそのまま移したような、熱く、そして危険な牝馬たちの狂騒曲。
観客が去り、静寂が戻り始めた阪神競馬場のターフには、彼女たちの終わりのない抗争の火種が、消えることのない硝煙とともにいつまでも燻り続けていた。
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