むせ返るような初夏の熱気が、緑の絨毯の上に陽炎を紡ぎ出して揺れていた。容赦なき太陽の光条が、極度の緊張に凍りついた馬背をじりじりと照らし出している。巨大な鋼鉄の檻――発走ゲートの内部には、むっとした土と汗、そして微かな金属の錆びた匂いが、濃密な戦意とともに充満していた。すでにスタンドを埋め尽くす十万余の群衆からは、地鳴りのごとき大歓声が湧き上がっている。それは足元を揺るがす物理的な地響きとなり、これから始まる歴史の目撃者たちの血の沸騰を告げる合図にほかならなかった。
ロブチェン【ラインハルト】:「全宇宙の頂点に立つ。それ以外の結果など、この私にとっては無価値な塵芥(ちりあくた)にすぎん」
金色のたてがみを傲然と揺らし、十七番ロブチェンは不敵な笑みを浮かべた。その蒼氷色(アイスブルー)の瞳は、雑多な有象無象を排し、まっすぐに遥か先のゴール板だけを見据えている。隣枠の馬が激しく立ち上がり、ゲートが金属音を立てて軋んでも、彼は瞬き一つしなかった。
ロブチェン【ラインハルト】:(この程度の騒擾(そうじょう)に取り乱すなど、王者の器ではないな)
ロブチェンは鼻先で短く冷笑を放ち、至高の覇道を歩むための芝の感触を、蹄の先で静かに確かめた。
パントルナイーフ【ヤン】:「やれやれ、そんなに肩肘を張ってどうするんですか。ブランデー入りの紅茶でも飲んで、昼寝でもしたい気分ですよ」
少し離れた枠から、気の抜けたような欠伸(あくび)混じりの声が漏れた。黒髪のようなたてがみを無造作に揺らした十三番パントルナイーフが、眠そうな黒い瞳を細めている。
ロブチェン【ラインハルト】:「貴様はいつもそうやって逃げ腰だな、パントルナイーフ。戦場(いくさば)に立つ者としての覚悟が足りないのではないか?」
パントルナイーフ【ヤン】:「覚悟なんて立派なものは持ち合わせていませんよ。私はただ、出走手当のために走るだけの給料取り(サラリーマン)です。それに、あなたが勝手に自滅してくれれば、私は何もせずに不戦勝を得られるというわけです」
ロブチェン【ラインハルト】:「ふん、詭弁だな。私の覇道が自滅などという矮小な結末を迎えるはずがない。お前のその怠惰な減らず口も、今日を限りに永遠に塞げるものなら塞いでみせよう」
パントルナイーフ【ヤン】:「お手柔らかにお願いしますよ。私はただ、退職金をもらって悠々自適な引退生活を送りたいだけなんですから」
パントルナイーフは、軍帽の代わりとでもいうように耳をすくめ、もう一度大きな欠伸を噛み殺した。
ロブチェン【ラインハルト】:(全くだ、覇気というものと無縁の男だな。だが、あの底知れない不気味さだけは侮りがたい)
ロブチェンはわずかに蒼氷色の瞳を細め、蹄で床面をトンと一度だけ叩いた。
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:「ロブチェン様、いよいよですね。あなたと共に、必ずやあのゴール板を駆け抜けてみせます」
穏やかでありながら、鋼のごとき芯の通った澄んだ声が響いた。燃えるような赤の尾花栗毛(おばなくりげ)を誇る十四番ゴーイントゥスカイが、どこまでも優しい眼差しでロブチェンを見つめている。
ロブチェン【ラインハルト】:「ゴーイントゥスカイか。お前も無事にこの戦場に立てたようだな。せいぜい私の背後で、この覇道を見届けるがいい」
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:「はい。ですが、もしあなたの足が止まるようなことがあれば、私がその背中を押させていただきますよ。――優しく、ね」
ロブチェン【ラインハルト】:「ふっ、傲岸なことを言う。私に隙など、一微ミクロンたりとも与えはしないぞ」
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:「ええ、存じております。だからこそ、私は全力であなたを追いかけるのです」
ゴーイントゥスカイは静かに微笑み、己の心臓の鼓動を確かめるように深く息を吸い込んだ。
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:(彼の絶対的な光に、少しでも近づくために。我が四肢に、すべての力を――)
最も内側の若い枠に入った五番バステールは、銀色のたてがみを激しく揺らしながら、神経質に足踏みを繰り返していた。
バステール【ミッターマイヤー】:「不愉快極まるな。よりによって、このような隘路(あいろ)に等しい内枠に押し込められるとは。四方を囲まれては、我が艦隊(四肢)の機動力が活かせないではないか!」
バステールは苛立たしげに舌打ちをし、前掻きをして鋭く土煙を跳ね上げた。
リアライズシリウス【アッテンボロー】:「おいおい、そんなにカリカリするなよバステール。『疾風』の異名が泣くぜ?」
隣の枠から、いかにも軽薄な、ニヤニヤとした笑いを含んだ声が響く。
バステール【ミッターマイヤー】:「黙れ。私はただ、完璧なる勝利の計算式に予期せぬノイズが混入するのが気に入らないだけだ。お前たちのような鈍足の有象無象に付き合う気はない」
リアライズシリウス【アッテンボロー】:「なら、初手からぶっちぎってみせろよ。できるものならな」
バステール【ミッターマイヤー】:「言われずとも実行してやる。我が迅速果断なる速度に、何人(なんぴと)も追随できないことを証明してやるさ」
バステールはギラギラとした野獣のごとき目で前方を睨みつけ、強靭な筋肉の張りを確かめるように馬体を深く沈めた。
バステール【ミッターマイヤー】:(この鬱屈とした布陣は、私には似合わない。どこかで必ず、戦術的奇襲によって盤面をひっくり返してやる――)
ガシャンッ‼
鋼鉄の檻が弾けるような爆音が響き渡り、視界は一瞬にして戦場へと開けた。吹きすさぶ強烈な向かい風と、猛然と巻き上がる土の匂いが鼻腔を突く。十万余の群衆が放つ歓声は、さながら熱核兵器の爆発のごとく、底知れぬ音圧となって全宇宙の鼓膜を震わせた。
リアライズシリウス【アッテンボロー】:「さあ、見せてやるさ! 私の華麗なる逃走劇というやつをな!」
『伊達と酔狂』という建国精神をそのまま肉体化したかのような軽快な足取りで、十一番リアライズシリウスが真っ先に戦列を飛び出した。
メイショウハチコウ【シェーンコップ】:「お高くとまった若造どもに、本物の白兵戦というものを教えてやるとするかね!」
豪胆な笑い声を天空に響かせながら、七番メイショウハチコウが猛然とそれに並びかける。二頭の先遣隊は、激しい土煙の幕を背後に引き連れながら、先陣を切って猛烈な速度へと加速していった。
ロブチェン【ラインハルト】:「愚劣な。初手からあのように戦力を消耗してどうする。自ら墓穴を掘るようなものだ」
ロブチェンは冷ややかに先頭の二頭を見やりながら、馬群の中団、九番手あたりにスッとその巨体を収めた。
ロブチェン【ラインハルト】:(今はまだ動く時ではない。我が四肢は、最後の直線における決戦のためにある)
流体抵抗を避け、周囲の馬たちを肉の障壁としながら、ロブチェンは完璧な周期で呼吸を整える。その心臓の鼓動は驚くほど平穏であり、筋肉の隅々まで酸素が行き渡るのを、冷徹な理性が静かに感知していた。
そのわずか前方、六番手という戦術的に絶好のポジションには、すでにパントルナイーフが滑り込んでいた。
パントルナイーフ【ヤン】:「やれやれ、やっぱりあの方々は元気ですね。私はこの辺りで、少し休ませてもらいますよ」
パントルナイーフは首を低く下げ、インコースの最内を這うように進む。前方の馬が完璧な風除けとなり、彼の受ける抵抗は皆無に等しかった。
パントルナイーフ【ヤン】:(無駄なエネルギーを消費するのは愚の骨頂。最短の航路を、最小の労力で征く。それこそが私の吝嗇(りんしょく)なる美学ですからね)
まるで回廊を散歩でもしているかのような脱力したフォームであったが、その速度は確実に、先頭集団の動向を射程に捉え続けていた。
発走直後から敢えて陣形を後方に下げたのは、バステールであった。
バステール【ミッターマイヤー】:「チィッ……このまま内殻に包囲されていては、我が四肢が死ぬ。ならば、一度すべてを戦略的にリセットするまでだ」
バステールは自らペースを落とし、馬群の最後方、十八番手までずるずると後退した。
バステール【ミッターマイヤー】:(屈辱ではあるが、今は雌伏の時だ。必ずや、電撃的反撃の機会は訪れる)
最後方で前陣が巻き上げる砂埃を浴びながらも、バステールは鋭利な刃のごとき視線で、前方の全艦隊(馬群)の動向を監視し続けた。
そのさらに数馬身後方、十五番手あたりには、ゴーイントゥスカイが静かに追走の陣を敷いている。
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:(ロブチェン様はあの位置……完璧なる布陣だ。私も今は、ここで力を極限まで溜める時)
ゴーイントゥスカイは優しく息を吐き、狂いのないリズムで芝を蹴る。そこには焦燥の微塵もなかった。己の内に秘めた至高の末脚への絶対的な信頼が、彼の精神を冷徹なまでに安定させていたのである。
第一コーナーから第二コーナーへと差し掛かる。最初の激しい先行争いが偽りであったかのように、戦場の速度(ペース)がガクンと落ちた。先頭のメイショウハチコウが、老練にも戦力を温存すべく息を入れ始めたのだ。全体の隊列が急激に圧縮され、馬と馬との艦間距離が危険なまでに縮まる。隣を並走する馬の荒い息遣いや、激しく飛び散る汗の飛沫が、直接肌に触れるほどの過密な距離だった。
馬たち【諸将】:「おいおい、何だこの不活発な進軍は。欠伸が出るぜ」
馬たち【諸将】:「文句を言うな。我らの戦力温存には、誂え向きの遅度だろうが」
密集した馬群の中から、苛立たしげな声がいくつか上がった。
ロブチェン【ラインハルト】:(遅い……あまりにも遅すぎる。これは罠か? いや、矮小な有象無象どもによる、単なる相互牽制にすぎん)
ロブチェンは耳を後方に傾け、周囲の音波を拾いながら冷徹に思考を巡らせる。速度が低下したことで、前陣の蹄が蹴り上げる土の塊が彼の顔面へ容赦なく飛来した。ロブチェンは不愉快極まるとばかりにそれを避けながら、ただ、歴史が動くその瞬間をじっと待ち続けた。
向こう正面へと進入した瞬間、太陽の光条が真背から照りつけ、彼らの影が前方へと長く不気味に伸びた。戦術的空白とも言える弛緩したスローペースの中、蹄の音だけが不気味な等間隔で響き続けている。
パントルナイーフ【ヤン】:「このままのペースで推移すれば、私の退職金生活も安泰ですね。誰も動かないのであれば、それが一番平和でいい」
パントルナイーフはインコースの最内をピタリと死守しながら、独り言のように呟いた。その呼吸には微塵の乱れもなく、さながら未だ開戦の火蓋すら切られていないかのような、驚異的な脱力ぶりであった。
だが、その欺瞞に満ちた平和を一気呵成に切り裂く者が現れた。最後方に雌伏していたあの男――バステールである。
バステール【ミッターマイヤー】:「ちんたらと巡航速度で走ってんじゃねえ! 我が『疾風』の用兵、とくとその眼に焼き付けろ!!」
バステールは突如として、常識の枠外とも言える猛烈な加速を開始した。向こう正面の後半、他のすべての馬たちが未だ息を潜め好機を窺っている中での、文字通りの単独奇襲。針路を大外へと一気に転舵したバステールは、吹きすさぶ流体抵抗を物ともせず、怒濤のごとき速度で馬群をごぼう抜きにしていく。
馬たち【諸将】:「なっ……何だ、あの常軌を逸した速度は!?」
馬たち【諸将】:「狂気の沙汰だ! このような局面で全力を展開するなど、正気の戦術ではないぞ!」
周囲の諸将(馬たち)が驚愕の声を上げる中、バステールは一瞬にして十八番手から二番手へ、まるで空間跳躍(ワープ)を敢行したかのように戦列の最前線まで駆け上がった。猛烈に巻き上がる土煙の幕が、出遅れた後続の視界を容赦なく奪い去っていく。
バステール【ミッターマイヤー】:(これが私の出した最適の解だ! 何人(なんぴと)たりとも、我が疾風の前を奔ることは許さん!)
バステールの瞳は赤色巨星のごとく血走り、強靭な筋肉は内圧ではち切れんばかりに膨張していた。肺腑が焼け焦げるような熱量に苛まれながらも、その突進速度は微塵も衰える兆しを見せない。
突如として後方から肉薄された先頭のリアライズシリウスは、慌てたようにその頭部を振った。
リアライズシリウス【アッテンボロー】:「おいおい、冗談だろ!? この期に及んで『伊達と酔狂』の主役の座を強奪する気かよ!」
リアライズシリウスもまた主導権を死守せんと慌てて機関を最大に上げるが、バステールが纏う猛烈な慣性エネルギーを止める術は、もはや存在しなかった。
第三コーナーに差し掛かる手前で、戦場の巡航速度(ペース)は一気に激化した。
ロブチェン【ラインハルト】:「……愚劣な。あのような無謀なる強襲を展開して、最後まで戦力が維持できるわけがなかろう」
ロブチェンは大外を猛進するバステールを冷徹な一瞥(いちべつ)で見送りながら、自らは九番手という陣形の中枢を頑なに死守し続けた。
ロブチェン【ラインハルト】:(だが、膠着していた盤面は動いた。好都合というものだ。これで前陣の有象無象どもは勝手に自滅していく)
ロブチェンは端正な口角をわずかに釣り上げ、初めて戦端を開くかのように、手綱の感触を確かめつつその頭部を下げた。
パントルナイーフ【ヤン】:「やれやれ……実に厄介な御方が動いてくれましたね。お陰で我が方の風除け(肉の障壁)が減少してしまったではないですか」
パントルナイーフはシニカルな溜息を吐きながらも、その黒い瞳の奥に、不気味なほど鋭利な知性の光を宿していた。インコースの絶対적優位を保ったまま、彼はいつでも敵陣を切り裂いて抜け出せる、独自の迎撃態勢を静かに完了しつつあった。
後方に控えるゴーイントゥスカイは、遥か前方で巨大な土煙のカーテンを巻き上げるバステールを、ただ静かに見つめていた。
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:(『疾風』の機動力……見事と言うほかありません。ですが、最終局面にすべてを切り裂くのは、私のこの四肢に秘めた末脚です)
ゴーイントゥスカイは深く、清冽な息を吸い込み、第三コーナーの湾曲部(カーブ)に向けて静かにその出力を一段階引き上げた。蹄が府中の芝を鷲掴みにする音が、次第に力強く、高速の周期へと変貌していく。世代の覇権を賭けた勝負の最終局面へ向け、各々の思惑と執念が濃密に交錯する中、艦隊(馬群)は最大の難所である第三コーナーへと突入していった。
一瞬の、息を呑むような静寂が、十万余の群衆が放つ地鳴りのごとき大歓声にかき消された。
第四コーナーの巨大な湾曲(カーブ)は、全速で巡航する全頭に対して、容赦なき遠心力という名の巨腕を押し付けていた。馬場の内殻では、極限の摩擦と生命の熱気が巨大な渦を巻いている。
リアライズシリウス【アッテンボロー】:「へっ、私の『伊達と酔狂』もここまでかよ……!」
先頭を死守せんとしていたリアライズシリウスが、肺腑を焦がす荒い息を吐きながら、苦悶の表情を浮かべた。
メイショウハチコウ【シェーンコップ】:「馬鹿を言え、不敗の白兵戦はここからが本番……ごふっ!」
並走していたメイショウハチコウが老練な意地を張るが、その四肢はすでに鉛のごとく重化していた。前半の電撃戦で全エネルギーを放出したツケが、この期に及んで二頭の強靭な筋肉を細胞レベルで容赦なく破壊し始めていたのである。
パントルナイーフ【ヤン】:(前陣の二頭はもはや完全な死に体(戦術的死体)だ。インコースの最短航路は、私が頂戴するとしようかね)
パントルナイーフは五番手という絶対的優位の座標から、滑り込むように内殻の僅かな隙間へと針路を転じた。その呼吸は未だ微塵も乱れていない。涼しい仮面のごとき表情で、先行する残骸が自壊していくのを、さながら事務作業のように待ち受けていた。
だがその時、パントルナイーフの視界の端で、銀色の巨体が不規則な軌道を描いて大きくよろめいた。
バステール【ミッターマイヤー】:「クソッ、限界を超えた負荷(ツケ)が来たというのか……我が四肢が、制御を拒絶する……!」
第三コーナーで最後方から一気に二番手まで空間跳躍を敢行した、あのバステールであった。理外の猛スパートがたたり、前肢の連動性を欠いた巨体が内側へと激しく斜行(内斜)してしまったのである。
リアライズシリウス【アッテンボロー】:「うおっ!? 危ねえな、どこのレーン(宇宙)を走ってやがる!」
激突の危機を察知したリアライズシリウスが、たまらず外殻へと急転舵を余儀なくされた。
バステール【ミッターマイヤー】:「す、すまん! だが我が疾風の進撃は、未だ停止してはいないぞ!」
バステールは歯を食いしばり、よろめきながらもただ不屈の敢闘精神(気力)だけで前へと進み続ける。
バステール【ミッターマイヤー】:(ここで敗調を喫しては、私の美学が許さん。這ってでも三着の座には食い込んでみせる!)
その混迷を極める内殻の局地戦を、遥か外殻の安全圏から冷徹に見下ろす影があった。――ロブチェンである。
八番手の座標から直線を迎えた彼は、内の有象無象が形成する肉の壁に巻き込まれるのを嫌い、敢えて馬場の外目へと針路(マニューバ)を取っていた。
ロブチェン【ラインハルト】:「愚者どもめ。泥に塗れて内殻でもがくがいい。王者の歩むべき覇道は、常に広く開かれているものだ」
ロブチェン【ラインハルト】:(何人にも踏み荒らされていない、この処女地のごとき外の芝. ここで一気に、私の覇道を完成させる)
ロブチェンは端正な頭部をグッと下げ、全身の有機的バネを極限まで圧縮した。残り四百メートル。黄金の機関(筋肉)から全火力が一斉に展開され、ロブチェンの巨体は放たれた光条の如く、前方の空間へと弾け飛んだ。
ロブチェン【ラインハルト】:「さあ、見せてみろパントルナイーフ! お前のその小賢しい計算式(戦術)が、私の圧倒的な力(至高性)に通用するかどうかをな!」
ロブチェンは外殻から内殻へと鋭く斜線を描いて切れ込みながら、戦術的暴風そのものとなって猛然とパントルナイーフへと襲いかかった。
パントルナイーフ【ヤン】:「……本当に、迷惑千万な御方だ。少しは静粛に進軍できないのですかね」
パントルナイーフはシニカルな溜息を吐きながらも、その四肢の歩前をさっと変え、推進出力をさらに一段階引き上げた。二頭の放つ生命の息遣いが、濃密に交差する。ロブチェンの蒼氷色(アイスブルー)の瞳には狂気にも似た苛烈な闘志が宿り、パントルナイーフの黒い瞳は、底知れない深淵の氷のように冷徹だった。
ロブチェン【ラインハルト】:「その余裕を気取った仮面、今すぐ恐怖によって歪ませてやる!」
パントルナイーフ【ヤン】:「お断りしますよ。私は筋金入りの平和主義者ですので、そのような暴力的な精神圧迫(プレッシャー)は勘弁していただきたい」
ロブチェン【ラインハルト】:「言い訳など無用! 我が覇道の前にひれ伏せ!」
パントルナイーフ【ヤン】:「やれやれ、これだから血の気の多い専制君主(若者)は困る。……仕方がありませんね、少しだけ本気というやつを出してみましょうか」
パントルナイーフの四肢の回転(ピッチ)が、不気味なほど滑らかに跳ね上がった。航路の損失(ロス)を完璧に皆無としていた彼は、温存していた底なしのエネルギーをここで一気に解放したのだ。
内殻を音もなくすり抜ける黒髪の魔術師と、外殻からすべてを力ずくでねじ伏せにかかる金髪の覇王。二つの正義による激しい叩き合い(砲火の応酬)が、府中の直線を白熱化させていく。
そのはるか後方、十五番手の大外。
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:「ロブチェン様……! 今、参ります!」
燃えるような赤の尾花栗毛を激しく振り乱し、ゴーイントゥスカイが、この戦場に存在するすべての軍勢の中で最も狂おしく、最も高速の光線(上がり三十二・八秒)を繰り出していた。
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:(届く……いや、届かせる! 私のすべてを懸けて、あの至高の光の隣へ!)
大地が悲鳴を上げるほどの強烈な踏み込みは、前方の空間を物理的に収縮させているかのようだった。ゴーイントゥスカイは次元の異なる絶対的な速度をもって、前方を進軍する有象無象の馬群を次々と飲み込んでいく。その側方、中団からマテンロウゲイルが機力限界を迎えて外殻へと不規則にヨレていくのが視界をかすめたが、今の彼にとっては一顧だにする価値もない雑音にすぎなかった。
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:「遅い、遅い、遅い! もっと速く、さらに前陣へ!!」
ゴーイントゥスカイの視線の先には、激しくせめぎ合うロブチェンとパントルナイーフの、肉薄する背中(リア・ビュー)しかなかった。
残り二百メートル。
激撃する三頭の放つ生命の律動は、十万余の群衆が上げる、もはや悲鳴にも似た大歓声の音圧と完全に同化していた。
ロブチェン【ラインハルト】:「どうしたパントルナイーフ! お前の『魔術』の計算式も、この局面において底を突いたか!」
ロブチェンが全身から白銀の汗の飛沫を霧のように散らしながら、一歩、また一歩と覇道の歩みを刻んでいく。
パントルナイーフ【ヤン】:「くっ……計算外だ。まさか外殻という不利な針路から、これほどの推進力を持続させてくるとは……」
パントルナイーフが、その長い歴史の中で初めて、焦燥の証明であるかのように耳を低く伏せた。
その瞬間――大外殻から凄まじい大気の震動(風圧)とともに、紅蓮の光条が一閃した。
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:「ロブチェン様ああああッ!」
ロブチェン【ラインハルト】:(――来たか、我が半身よ。だが、この戴冠の座だけは譲るわけにはいかん!)
ロブチェンは細胞の最後のひとしずくまで全エネルギーを振り絞り、パントルナイーフの魔術を、わずか「アタマ差」という極限の宇宙でねじ伏せてみせた。そしてその直後、二頭の鼻先を光速で掠めるように、ゴーイントゥスカイの巨体が飛び込んでくる。
三頭はほぼ同時に、天空を双断するような大歓声の渦中へと、栄光の発光点たるゴール板を駆け抜けていった。
後に歴史家たちが「世代最高の死闘」と呼ぶことになるこの会戦は、ここに若き覇王の二冠達成という形で、その幕を閉じたのである。
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会戦の終了後。
検量室前の引き揚げ場――さながら激戦を終えた艦艇が帰還する宇宙ドックは、滝のような汗を流し、全身から濃密な湯気を立ち昇らせる諸将(馬たち)で溢れかえっていた。
ロブチェン【ラインハルト】:「はぁっ……はぁっ……どうだパントルナイーフ。私の、完全なる勝利(戴冠)だ」
ロブチェンは激しく肩で息をしながらも、傲然と胸を張り、不敗の魔術師を見下ろした。
パントルナイーフ【ヤン】:「いやはや、完全に脱帽(参りました)ですよ。まさかあのような不利な大外殻から、純然たる力技でねじ伏せられるとはね……」
パントルナイーフは首をだらんと下げ、心底から疲弊したように鼻を鳴らした。
ロブチェン【ラインハルト】:「これで少しは我が至高性を認めたか。次戦においては、いかなる言い訳も通用せんぞ」
パントルナイーフ【ヤン】:「ええ、もう十二分に理解しました。次はどうか、私の存在など忘れて勝手にゴールしてください。私は疲れることと、無駄な流血(エネルギー消耗)が大嫌いなんですよ」
ロブチェン【ラインハルト】:「貴様……! せっかくの勝利の余韻を、その怠惰な減らず口で台無しにする気か!」
ロブチェンが鋭く前掻きをして不快を露わにするが、パントルナイーフはすでに目を閉じ、眠りの淵へと逃避を始めていた。
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:「ロブチェン様、見事なる戴冠、おめでとうございます!」
そこへ、激戦の泥に塗れた顔を美しく綻ばせたゴーイントゥスカイが、駆け寄ってきた。
ロブチェン【ラインハルト】:「ふん、お前も遅かったな。あと一歩で、私の喉元にその牙が届くところだったぞ」
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:「申し訳ありません。私がもう少し早く機関を始動させていれば……」
ロブチェン【ラインハルト】:「言い訳など無用だ。次戦においても我が背後を厳守し、その至高の末脚を磨いておくがいい」
ゴーイントゥスカイ【キルヒアイス】:「……はい。あなたの背中を追い続けることが、私の誇りですから」
ゴーイントゥスカイは静かに、しかし深く頭を垂れた。その赤い尾花栗毛が、初夏の陽光を受けて静かに揺れている。
そこへ、過酷な機力消費によってふらふらとした足取りのバステールが帰還した。
バステール【ミッターマイヤー】:「クソッ……三着止まりか。第四コーナーでのあの斜行(アクシデント)さえなければ、さらに際どい局地戦に持ち込めたものを!」
ロブチェン【ラインハルト】:「バステール‚ 貴様は少しは沈着峻厳という美徳を覚えろ. 品性を欠いた無軌道な強襲(走り)だったぞ」
ロブチェンが氷のような冷徹さで言い放つ。
バステール【ミッターマイヤー】:「何だと!? 我が『疾風』の電撃戦があったからこそ、前陣の有象無象どもが自滅したのだろうが!」
ロブチェン【ラインハルト】:「結果的に戦況がそうなったにすぎん。貴様のそれはただの無計画な暴走ではないか」
バステール【ミッターマイヤー】:「うるさい! 大体、あの過密な内殻の密集地帯を走ってみろ! 空間が歪んで息が詰まって死にそうになるんだよ!」
バステールが猛犬のごとく噛み付く横を、リアライズシリウスが恨めしげな一瞥をくれながら通り過ぎていった。
リアライズシリウス【アッテンボロー】:「全くだよ。いきなり内殻へ強襲(切れ込ん)でしやがって。私の『伊達と酔狂』という美学も形無しだぜ」
バステール【ミッターマイヤー】:「わ、悪かったと言っている! それは先ほど謝罪しただろうが!」
喧々囂々たるライバルたちの喧騒を背に受けながら、パントルナイーフが小さく、そして満足そうに欠伸を漏らした。
パントルナイーフ【ヤン】:(やれやれ、これでようやく帰還して、まともな休息に入れますね。……今日の夕餉のニンジンは、いつもより甘いと良いのですがねえ)
熱狂の東京優駿会戦(ダービー)は幕を閉じ、星々の覇権を駆ける若き天才たちの、騒がしくも愛おしい日常が、再びここから始まっていくのである。
(第九十三回 東京優駿会戦・大団円)
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