◀外伝・第13章「錬金術のバグ(失敗)と、鉄鋼要塞への特急券」
▶外伝・第15章『遠隔デバッグと、水上リゾート都市への特急券』
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新・外伝第14章『0.2秒の魔法陣と、千年に一人の天才』
「VOICEVOX: 青山龍星」「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: 栗田まろん」「VOICEVOX: 麒ヶ島宗麟」「VOICEVOX: 剣崎雌雄」「VOICEVOX: 雨晴はう」「VOICEVOX: 雀松朱司」「VOICEVOX: 黒沢冴白」「VOICEVOX: 春日部つむぎ」「VOICEVOX: 波音リツ」「VOICEVOX: 櫻歌ミコ」「VOICEVOX: ちび式じい」「VOICEVOX: 白上虎太郎」「VOICEVOX: 猫使アル」「VOICEVOX: 猫使ビィ」「VOICEVOX: 中国うさぎ」「VOICEVOX: 満別花丸」「VOICEVOX: 夜語トバリ」「VOICEVOX: 離途」「VOICEVOX: ずんだもん」「VOICEVOX: WhiteCUL」「VOICEVOX: 玄野武宏」「VOICEVOX: †聖騎士 紅桜†」「VOICEVOX: 里石ユカ」「VOICEVOX: もち子さん」
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鉄鋼要塞都市ディルムント。 王国北部に鎮座するこの巨大都市は、天を衝く黒鉄の防壁と、幾何学的に乱立する魔導煙突によって圧倒的な威容を誇っていた。 都市の地下には血管の如く無数の魔導回線が張り巡らされ、地上を疾走するマナ・レール・エクスプレスは、一日に数万の人間と莫大な物資を正確なダイヤで輸送し続けている。
 軍事、物流、魔導研究、そして国家防衛。
それら国家の血肉となるすべての要素が、この都市を縦横無尽に貫く巨大な魔導インフラによって支えられていた。
すなわちディルムントは、王国にとって『決して停止してはならない心臓部』に他ならなかった。
そして現在。
その極めて重要な都市の中央区画で。
王国最高峰の叡智を結集した魔導技術の一つが、盛大に、そして絶望的に壊れようとしていた。
魔術師A:「第一防御結界を三重化しろ!」
若い軍部魔術師:「待ってください!」
計器を凝視していた若い軍部魔術師が、悲鳴のような声を上げた。
若い軍部魔術師:「現在の異常な魔力流量では、結界の重層化は完全に逆効果です! 外側の結界を一度解除して、膨張するエネルギーの逃げ道を意図的に作るべきです!」
魔術師B:「何を馬鹿なことを言っている! この出力のまま外へエネルギーを逃がせば、周辺区画が跡形もなく吹き飛ぶぞ!」
若い軍部魔術師:「だからといってこのまま閉じ込め続ければ、炉心内部の圧力が臨界を突破します!」
上席魔術師:「ならば両方やればいい!」
別の上席魔術師が、血走った目で怒鳴り声を上げる。
一瞬。
緊迫した管制室が、水を打ったように静まり返った。
 若い軍部魔術師:「……両方、だと?」
上席魔術師:「結界を三重化して全体の耐久性を担保しつつ、上層部の一部だけを解除するんだ。 炉の圧力を物理的に抑え込みながら、余剰エネルギーだけを上空へ誘導排出する!」
若い軍部魔術師:「理論上は……可能ですが!」
上席魔術師:「できるのなら、今すぐやれ!」
若い軍部魔術師:「は、はい!」
三人の高位魔術師が、ほぼ同時に複雑な詠唱を破棄して魔法を発動した。
青白い光の幾何学模様が、空中を幾重にも走る。
一枚。
二枚。
三枚。
暴走する巨大な魔導炉を包み込むように、分厚い絶対防御結界が強固に展開されていく。 同時に、設計通りに外側上部の一部だけが解除され、そこへ余剰魔力を天空へと逃がすための排出口が形成された。
一見すれば、実に見事な采配だった。
王国最高峰の魔術師たちによる、局所的かつ合理的な連携プレイ。
だが。
次の瞬間。 魔導炉が。
――ドクン。
 と。 まるで巨大な心臓のように、一度だけ不気味に大きく脈打った。
誰か:「……あ」
誰かが、絶望の声を漏らした。
――ズガァァァァン!
鼓膜を容赦なく震わせる轟音。
赤黒く煮えたぎった高密度の魔力が、炉の底から天へと向かって一気に噴き上がった。
分厚い防御結界が内部からの凄まじい圧力によって歪み、解除されたはずの排出口へとエネルギーが殺到する。
だが、その膨大なエネルギー流は、途中で三重化された強固な結界の術式と『致命的な干渉』を引き起こした。
魔術師C:「何だこれは!?」
若い軍部魔術師:「魔力流量が、排出口から炉心へと逆流しています!」
魔術師B:「逆流だと!?」
若い軍部魔術師:「いえ、違います! 単純な逆流などではない! 排出流路の位相が三層目の結界構造と干渉し、魔力の渦を形成しています!」
魔術師B:「つまりどういうことだ!」
若い軍部魔術師:「……」
魔術師B:「どういうことだと聞いているんだ!」
若い軍部魔術師:「状況は――先ほどよりも最悪の形へと悪化しました!」
一瞬。 あまりの絶望に、誰も言葉を紡げなかった。
 魔導炉が、もう一度。
――ドクン。
と、不気味な胎動を鳴らす。
魔術師D:「誰だ!」
一人の魔術師が、ヒステリックに叫んだ。
魔術師D:「誰が結界を三重化しろと言った!」
魔術師B:「お前だろうが!」
魔術師D:「私は全体の耐久性を担保するために、防御壁を三重化しただけだ!」
魔術師B:「それが致命的な干渉を生んだという意味だ!」
魔術師D:「お前こそ、上部を解除しただろう!」
若い軍部魔術師:「私は言われた通りに排出口を形成しただけです!」
魔術師D:「それが渦を生んだ原因だろうが!」
若い軍部魔術師:「両方やれと言い出したのは誰ですか!」
上席魔術師:「私は理論的な可能性を提示したにすぎない!」
若い軍部魔術師:「実行しろと明確に指示しただろう!」
上席魔術師:「指示はしましたが!」
 魔術師D:「ならば、全責任はお前にある!」
上席魔術師:「なぜ私一人に責任が向くんですか!?」
上級士官:「静かにしろ!」
腹の底から響くような怒鳴り声が、管制室の空気をびりびりと震わせた。
エリートを自負していた者たちが、一斉に口を閉ざす。
軍部魔導技術局の上級士官。
白髪混じりの軍服をまとった男が、額に浮かんだ脂汗を乱暴に拭い去った。
上級士官:「……責任の所在を決めるのは、すべての事態が収束した後だ」
若い軍部魔術師:「ですが、閣下――」
上級士官:「今は、あの暴走する炉を止めることだけを考えろ」
その低く重い言葉に押されるようにして、全員が再び正面モニターに映し出された魔導炉へと視線を戻した。
巨大な炉。
脈打つ赤黒い光。
何重にも複雑に組み上げられた、芸術品の如き魔導回路。
本来ならば、それは国家級の広域防御結界を維持するための中枢装置だった。
数百人の優秀な魔術師。 数十年に及ぶ血の滲むような研究の日々。 莫大な国家予算。 そして、王国最高峰の頭脳。
 それらのすべてを結集して生み出された、王国の誇りたる最新型魔導演算炉。
今。
そのすべての結晶が。
一切の制御を受け付けず、自らを破壊する方向へと全力で暴走していた。
若い軍部魔術師:「炉心出力、さらに上昇!」
上級士官:「現在、何%だ!」
若い軍部魔術師:「百二十……!」
上級士官:「百二十だと!?」
若い軍部魔術師:「……いえ、百四十!」
上級士官:「なぜそんな急激に上がっているんだ!?」
若い軍部魔術師:「それを現在、総出で解析しています!」
上級士官:「解析結果はまだ出ないのか!」
若い軍部魔術師:「まだです!」
上級士官:「なぜだ!」
若い軍部魔術師:「内部の干渉状態が複雑すぎるからです!」
上級士官:「それは答えになっていない!」
 若い軍部魔術師:「ですが、事実として複雑なんです!」
また一人、恐怖に耐えきれずに頭を抱え込む者が現れた。
ここにいる誰もが、決して馬鹿ではなかった。
無能な者など、この管制室には一人として存在しない。 むしろここに集う者たちは、王国でも有数の実績を誇る一線級の魔術師ばかりだ。
防御結界の権威。 魔力流体工学の第一人者。 魔導炉設計の主任技師。 緊急対応を専門とする精鋭の軍部魔術師。 それぞれが、自らの専門分野においては間違いなく天才だった。
だからこそ。
想定外のエラーが起きた瞬間、全員が自分の持つ深い知識の中から、局所的に『最善』だと思う答えを即座に出力してしまったのだ。
魔術師E:「結界をさらに強化するべきです!」
魔術師F:「いや、魔力を意図的に逃がすべきです!」
魔術師G:「物理的に炉心を冷却するべきです!」
魔術師H:「一時的にすべての演算を停止するべきです!」
魔術師I:「馬鹿な、今停止処理を入れれば内部術式が自重で崩壊するリスクがある!」
魔術師J:「ならば魔力循環を逆転させるしかない!」
魔術師K:「それをやれば、再び致命的な逆流が発生するぞ!」
魔術師L:「なら、補助術式を追加して――」
魔術師M:「待て!」
 魔術師L:「何だ!」
魔術師M:「その補助術式は、私の構築した冷却演算系統と干渉する!」
魔術師L:「では、そちらの系統を一時解除します!」
魔術師M:「冷却を解除するな! 炉心が物理的に溶けるぞ!」
魔術師N:「では、一体どうすればいいんだ!」
「……」
一瞬。 全員が、重苦しい沈黙に包まれた。
誰も、正しい答えを出せなかった。
そんな中、一人の若い魔術師が、恐る恐る口を開いた。
若い魔術師:「……一度、全員。 自分の担当する術式を、止めませんか?」
全員の鋭い視線が、その男へ一斉に突き刺さる。
数秒の凍りつくような沈黙の後。
複数の魔術師:「却下だ!」
幾人もの拒絶の声が、重なった。
魔術師O:「今この極限状態で術式を停止してみろ、炉心圧力が一気に外へ向かって爆発するぞ!」
魔術師P:「第一結界がまだ残っているはずだ!」
 若い軍部魔術師:「いえ、残っていません!」
魔術師P:「何だと!?」
若い軍部魔術師:「さっきの魔力干渉のせいで、第二層と第三層が勝手に統合されています!」
魔術師P:「統合!? そんな機能は設計段階には存在していないぞ!」
若い軍部魔術師:「炉が生き物のように、勝手に最適化を繰り返している可能性があります!」
魔術師P:「自爆に向けて最適化してどうするんだ!」
――ズン。
地響きのような鈍い衝撃が、管制室の床を大きく揺らした。
全員の口が、ぴたりと止まる。
魔導炉の強固な黒鉄の外壁。 そこへ、落雷のような一本の深い亀裂が走った。
赤黒い禍々しい光が、その隙間から超高圧の湯気となって漏れ出し始める。
誰か:「……」
誰かが、小さく絶望の息を呑んだ。
誰か:「まずい」
今度は。 誰も、その言葉を否定しなかった。
専門用語でも、魔導工学上の解析結果でもない。 ただ、誰の目から見ても直感的に『致命的に手遅れ』な状態だった。
 上級士官:「周辺住民の避難状況はどうなっている!?」
若い軍部魔術師:「第一区画は、完了しています!」
上級士官:「第二区画は!」
若い軍部魔術師:「まだです!」
上級士官:「なぜだ、急がせろ!」
若い軍部魔術師:「住民が避難を開始するより前に、演習場周辺の道路が漏れ出した魔導熱で溶解、変形しています!」
上級士官:「なら別ルートの輸送網を使え!」
若い軍部魔術師:「列車も一部路線が停止しています!」
若い軍部魔術師:「魔導回線の同期率が、炉の暴走による磁場干渉を受けて――」
上級士官:「つまり、どういうことだ!?」
若い軍部魔術師:「……逃げるための手段が、圧倒的に足りません!」
その報告に、上級士官の顔から完全に血の気が引いた。
ディルムントは、軍人だけの要塞ではない。
魔導工場で働く名もなき労働者、商人、学生、そして無力な子供たち。 何万人もの人間が、この巨大な鉄の檻の中で懸命に生活している。
そして、その大半の命は今、自分の足元でどれほど最悪の危機が起きているのかすら、正確には知らされていないのだ。
◇
子供:「お母さん!」

歪んだ通りの向こうで、子供の泣き叫ぶ声が響いた。
子供:「お母さん、どこ!?」
不気味な警報が、赤黒く染まりゆく街中に鳴り響いている。
地面が、生き物の鼓動のように何度も小さく揺れていた。
人々は、不安に満ちた顔で足早に石畳を逃げ惑っていた。
無言で先を急ぐ者。 子供の手を強く引く者。 大切な荷物を抱えて走る者。 慌てて店の鉄シャッターを閉める者。
市民A:「大丈夫だ!」
誰かが、自分に言い聞かせるように叫んだ。
市民A:「軍部が何とかするに決まってる! いつもそうだろ!」
市民B:「ああ、そうさ。 俺たちの軍隊は優秀なんだから」
別の誰かが、震える声で同調する。
少女:「でも、あれ……」
一人の少女の言葉に、人々が吸い寄せられるように空を見上げた。
演習場がある中心区画の方向。 黒鉄の煙突の向こう側。
禍々しい赤黒い光が、白昼の空を不気味に侵食し、染め上げていた。
その尋常ではない光景を目にして。
 誰も 「大丈夫」 だとは、もう本気で思えなかった。
市民C:「……あれは、本当に軍の演習じゃないのか?」
市民D:「知らないわよ」
市民E:「大規模な魔物でも出現したのか?」
市民F:「まさか。 ここは鉄鋼要塞だぞ」
市民G:「じゃあ、あれは一体何なんだよ……!」
誰一人として、答えることはできなかった。
◇
上級士官:「演算炉の暴走は!」
軍部司令室。
若い軍部魔術師:「継続中!」
上級士官:「出力は!」
若い軍部魔術師:「依然として上昇しています!」
上級士官:「何とかして出力を下げろ!」
若い軍部魔術師:「その方法を現在、総出で検討中です!」
上級士官:「検討などしている暇はない! 即刻実行しろ!」
若い軍部魔術師:「だから、どの方法を実行すればいいんですか!」

怒号。 警報。 赤く点滅し続ける魔導端末。
管制室の全員が、文字通り必死だった。 誰も職務から逃げてなどいない。 誰も手を抜いてなどいない。
むしろ、全員が自分にできることを、知る限りの最善の術式で全力を尽くして対応していた。
だからこそ。 余計に。
状況は蜘蛛の巣のように複雑に絡み合い、最悪の方向へと加速していった。
上級士官:「……」
上級士官は、真っ赤に染まりきった魔導端末をただ見つめていた。
そこには、何百もの膨大な数値が絶え間なく羅列されている。 温度。 圧力。 魔力量。 結界強度。 演算負荷。 同期率。
すべてが、設計上の限界を完全に突破した異常値。
そして、その異常値を、さらに何百もの異なる術式が、個別に必死で修正しようと足掻き、互いを殺し合っていた。
上級士官:「……全部」
上級士官が、虚ろな声で呟いた。
上級士官:「全部、正しいはずなんだ」
若い軍部魔術師:「閣下?」
上級士官:「一つ一つ、切り取って見てみれば」
血走った目で、正面の魔導炉を凝視した。
 上級士官:「一つ一つの術式なら、どの処置も理論上は間違っていないはずなんだ」
誰も、返事をすることはできなかった。
上級士官:「なのに――」
――ドクン。
魔導炉が彼らを嘲笑うかのように、また不気味に脈打つ。
上級士官:「なぜ、こんなことになる」
その問いに答えられる者は、まだこの部屋には一人もいなかった。
残酷な現実だけがそこにあった。
王国最高の頭脳たちは、それぞれが専門分野において、完璧に近い局所的な正解を出している。
そして、その完璧なはずの正解たちが、互いの足を盛大に引っ張り合い、首を絞め合っているのだ。
鉄鋼要塞都市ディルムント。
王国最高峰の魔導技術が集うその絶対領域で。
今、王国最高の頭脳たちは、誰一人として。
「次に全体のために何をすればいいのか」 が、完全に分からなくなっていた。
そして。
魔導炉の外壁に、二本目の深い亀裂が走る。
 ――ピシッ。
その小さな破滅の音を、この部屋の誰もが聞き逃さなかった。
けれど、誰一人として、次の一手をすぐには動かせなかった。 無闇に次の一手を打てば、それが状況を救う可能性もある一方で、引き金を引いてさらに事態を悪化させる可能性も等しく存在していたからだ。
上級士官:「……」
上級士官は、ゆっくりと覚悟の息を吸い込んだ。
震える唇を開き、最悪を想定した命令を下そうとした。
その、瞬間だった。
――ズドォォォン!!
天地を揺るがす巨大な爆発音が、演習場の中央から響き渡った。
赤黒い圧倒的な熱波が、第一結界を紙屑のように押し潰しながら四方へ広がっていく。
誰か:「全員、伏せろ――!」
誰かが絶叫する。
だが、その警告よりも、遥かに早く。
――ガァァァン!!
一振りの白刃が、物理的な破滅の質量を持った爆風を、真正面から真っ二つに斬り裂いた。
圧倒的な存在感を放つ白銀の甲冑。
熱波で赤黒く焼け焦げた黒鉄の地面。
そして、身の丈ほどもある巨大な大剣を肩に担ぎ、燃え盛る炎の中に悠然と立つ一人の大男。
 レオン:「……」
レオン・ヴァルクスは、自らの強烈な剣撃によって爆風が消し飛んだ空を仰ぎ見ると、ほんの少しだけ不快そうに眉をひそめた。
レオン:「……つまり?」
彼の背後から、恐怖で地面へとへたり込んでいた軍部の魔術師が、泣きそうな顔で叫んだ。
軍部魔術師:「つまり、極めて手遅れな状態です!」
レオン:「それは見れば分かる!!」
力任せの物理法則(レオン)と、暴走する最高峰の魔導演算炉。
鉄鋼要塞都市ディルムントの、歴史上最悪の一日が。
ここから、本格的に幕を開けた。
爆発が起きた。
――いや。
正確には、まだ本格的な大爆発には至っていない。
だが、都市全域を木端微塵に吹き飛ばすほどの巨大なエネルギーの塊が、現在進行形で破滅に向けて全力疾走していた。
若い軍部魔術師:「第二防御結界、完全に崩壊しました!」
若い軍部魔術師:「固定の第三演算系統、オーバーフロー!」
若い軍部魔術師:「炉心温度、さらに上昇しています!」
 上級士官:「上昇って、現在どれくらいだ!」
若い軍部魔術師:「計測不能です!」
上級士官:「計測器が壊れたのか!?」
若い軍部魔術師:「はい!」
上級士官:「ならば予備の計測器を繋げ――」
若い軍部魔術師:「そちらも繋いだ瞬間に、過負荷で焼き切れました!」
上級士官:「なぜだぁぁぁぁぁぁっ!」
鉄鋼要塞都市ディルムントの中央演習場は、もはやその呈をなしていなかった。
分厚い黒鉄の地面はドロドロに融解して赤黒く焼け爛れ、巨大な魔導演算炉の周囲では、莫大な排熱のせいで空間そのものが蜃気楼のように歪んでいる。
そして。 その最悪の熱源で。
レオン:「……なるほどな」
レオン・ヴァルクスは、額に浮かんだ脂汗を大きな手で無造作に拭った。
レオン:「つまり、極めて危険なんだな?」
軍部魔術師:「見れば分かるでしょう! 危険極まりないです!」
レオン:「うむ、俺もそう思う!」
ズドォォォンッ!!
次の瞬間。
 魔導演算炉の排出口から、凄まじい熱波の塊が地を這う大蛇のように噴き上がってきた。
軍部魔術師:「レオン様!」
レオン:「下がっていろ!」
レオンは一喝すると、背中から巨大な大剣を引き抜いた。
白銀の鈍い光を放つ分厚い刃。 その名は大剣――ラグナロク。
レオン:「《聖騎士式・第三防壁》」
豪快に振り下ろす。
ただ、純粋な膂力と、極限まで練り上げられた闘気だけでそれを行った。
しかし。
その大剣が空間の層を裂いた瞬間。 目の前へと押し寄せていた致死量の熱波が。
――見事に、真っ二つへと両断された。
ごぉぉぉんっ、と重い轟音を立てて左右へと逸れた熱風が、レオンの後方で震えていた魔術師たちを避けるようにして、演習場の両端にある分厚い防壁を派手に吹き飛ばしていく。
レオン:「……よし」
レオンは一人、力強く頷いた。
レオン:「これで少し静かになったな」
軍部士官:「どこがですか!?」

背後でへたり込んでいた軍部の士官が、半泣きになって叫ぶ。
軍部士官:「いえ、今の爆風、物理的な剣で斬りましたよね!?」
レオン:「ああ、斬った」
軍部士官:「魔法の爆風が剣で斬れるんですか!?」
レオン:「現に今、斬れただろう」
軍部士官:「そういう問題じゃありません!」
レオンは不服そうに太い眉をひそめた。
なぜ自分がここまで怒られているのか、彼にはよく分からなかった。
だが。
目前で不気味な炎を上げる魔導炉が、再び不穏な異音を奏ではじめる。
――ギィィィィィィィィン。
鼓膜を直接削り取るような、酷く不快な高音だった。
剣を握る分厚い掌に、自然と力がこもる。
レオン:「次は何だ。 来るならまとめて来い」
若い軍部魔術師:「炉心の魔力循環が逆流しています!」
レオン:「つまり?」
 若い軍部魔術師:「このままだと、暴走の波が国家級結界の基盤に伝播します!」
レオン:「つまりどうなるんだ?」
若い軍部魔術師:「ディルムント全域が、丸ごと吹き飛ぶ可能性があります!」
レオン:「ならば、最初からそう分かりやすく言え!」
レオンが吠えた。
その直後。 またしても灼熱の熱波と、巨大な瓦礫の雨が容赦なく降り注ぐ。
レオン:「おおおおおおおおっ!」
ラグナロクを横一閃に振るう。
爆風が綺麗に裂けた。
さらに、弾丸のように飛来した数百キロもの黒鉄の破片を、豪快なスイングで叩き落とす。
熱波を切り裂く。 崩れ落ちてきた魔導装置の巨大な鉄骨を、身一つで押し戻す。 荒れ狂う炎を力任せに叩き潰していく。
軍部士官たち:「……!」
軍部の士官たちは、あまりの光景に完全に言葉を失っていた。
周囲では。
国家最高峰の頭脳を持つ魔術師たちが、複雑怪奇な魔法陣を展開し続けている。
何重もの高度な演算、膨大な文字数の術式、一般人には理解不能な魔導理論、そして最新型の魔導演算補助装置。
 それら最高峰の技術を駆使して、彼らは今も必死に足掻いていた。
魔術師Q:「第一術式、ただちに修正!」
魔術師R:「いや、待て! その術式を稼働させれば、第二結界の位相に干渉するぞ!」
魔術師Q:「ならば第二結界を一時解除しろ!」
魔術師R:「解除するな! そんなことをしたら炉心が剥き出しになって全滅だ!」
魔術師S:「では補助結界を――」
魔術師R:「それはさっき干渉すると言っただろうが!」
魔術師T:「誰だ、ここに補助術式を勝手に追加したのは!」
魔術師U:「私です!」
魔術師T:「なぜそんな余計なことを!」
魔術師U:「その時は必要だと判断したからです!」
魔術師T:「今は完全に不要です!」
魔術師U:「ならば最初にそう言ってください!」
魔術師T:「さっきからずっと言っているだろう!」
魔術師U:「専門用語が多すぎて聞き取れないんです!」
彼らは最高峰の叡智をぶつけ合い、そして、見事に空回りし続けていた。
 そして。
その混沌のすぐ横で。
レオンだけが。
レオン:「ふんっ!」
ただ真っ直ぐに、大剣を振るっていた。
ズドォン! (押し寄せる爆風を斬る)
レオン:「うおおっ!」
さらに、大剣を振るう。
バゴォン! (飛来する巨大な瓦礫を砕く)
レオン:「次だ!」
また、大剣を振るう。
ドォォォォン! (噴き出す火柱を跡形もなく散らす)
レオン:「まだまだ来るのか!」
息をもつかせず、大剣を振るう。
その凄まじい大立ち回りをぽかんと見上げながら、一人の若い士官が隣の上官へぽつりと呟いた。
若い士官:「……あの人。 あの現場で一番原始的な手段なのに」
上官:「……」
若い士官:「一番、確実に仕事をしてませんか?」
誰も、答えを返せなかった。
 答えられなかったのだ。 なぜなら、それこそがこの狂った戦場で誰の目にも明らかな、唯一の事実だったからである。
◆
十分後。
若い軍部魔術師:「第四防御結界、崩壊!」
若い軍部魔術師:「第五演算系統、完全に停止!」
若い軍部魔術師:「第六補助術式、新たに暴走を開始しました!」
魔術師V:「誰だ! また余計な術式を暴走させたのは!」
魔術師W:「暴走させてなどいません! 勝手に暴走しているんです!」
魔術師V:「では、なぜ暴走しているんだ!」
魔術師W:「それが分からないから、さっきから全員で頭を抱えてるんですよ!」
レオン:「……!」
悲鳴のような怒号と警報が激しく交錯する中、レオンはすっと口を閉ざした。
そして、ゆっくりと、火の粉を激しく撒き散らす巨大な魔導演算炉を仰ぎ見る。
黒鉄の炉。 無数の幾何学魔法陣。 王国最新の魔導技術。 国家級の予算。 最高峰の技術者。 軍部が誇る一線級のエリートたち。
それらすべてが結集し――そして今、その全員が致命的なまでに困り果てていた。
レオン:「……なあ」
レオンは、近くで必死に魔導端末を叩いていた士官の肩をポンと叩いた。
 士官:「ヒッ、はい!」
レオン:「一つ、聞いていいか?」
士官:「な、何でしょうか!」
レオン:「あの炉だが」
レオンは親指で、禍々しく暴走する巨大な演算炉を指し示す。
レオン:「壊したら、機能は停止するか?」
士官:「……はい?」
レオン:「完全に物理破壊してしまえば、暴走は止まるんだろう?」
士官:「それは……まあ、理論上はそうですが」
レオン:「ならば」
ラグナロクを肩へ担ぎ直した。
レオン:「俺が、根本から一刀両断に斬り捨てればいいだけの話じゃないか?」
一瞬。
怒号と警報に包まれていた周囲が、不自然なほど静まり返った。
士官の一人が、引き攣った笑みを浮かべながらゆっくりと口を開く。
士官:「……え?」
 レオン:「だから」
もう一度、極めて真面目な顔で言葉を重ねた。
レオン:「壊れて困っているんだろう?」
士官:「はい」
レオン:「制御不能で暴走しているんだろう?」
士官:「はい」
レオン:「このままだと街全域が危ない。 そうだな?」
士官:「……はい」
レオン:「ならば」
レオンは、激しく揺らめく炉を正面から見据えた。
レオン:「――壊す」
あまりにもシンプルで、直球すぎる一言だった。
周囲の魔術師たちは、驚愕のあまり我が目を疑う。
軍部魔術師:「ま、待ってください、レオン様!」
レオン:「何だ」
軍部魔術師:「あれは王国の最高機密、国家最高峰の魔導演算炉ですよ!?」
 レオン:「知っている」
軍部魔術師:「王国の軍事・魔導インフラの根幹なんです!」
レオン:「それも知っている」
軍部魔術師:「建造費だけで、国家予算の――」
レオン:「そんなものは知らん」
軍部魔術師:「知らないんですか!?」
レオン:「馬鹿者! 予算の具体的な金額まで、一介の騎士である俺が覚えているわけがないだろう!」
少しだけ、心外そうに声を荒らげた。
そして。 極めて真剣な双眸で、再び狂ったように脈打つ炉を見据える。
轟々と赤黒い光を放ち続ける、巨大な鉄の塊。
その向こうには、ディルムントの街が広がっていた。
鉄鋼の街。 黒鉄の防壁。 魔導煙突。 マナ・レール。
その平穏のただ中で、何も知らない数万の市民たちが、今この瞬間も普通に暮らしている。
今日も変わらず朝を迎え、仕事へ向かい、家族と言葉を交わし、昼には温かい食事を囲むのだ。
そんな当たり前の、愛おしい日常を。
自分たち軍部の失態によって奪うわけには、絶対に、何があってもいかない。
 レオンは、巨大な剣の柄を壊れんばかりに強く握り直した。
レオン:「金なら、また稼げばいい」
低く、重い声が響いた。
レオン:「魔導炉なら、また作り直せばいい」
誰も、何一つ言葉を返せなかった。
レオン:「だが――」
レオンの双眸が、抜き放たれた白刃の如く鋭く研ぎ澄まされる。
レオン:「失われた人間の命は、二度と作り直せないんだよ」
その瞬間。
レオンの周囲に横たわっていた張り詰めた空気が、一変した。
さっきまで、ただひたすらに力任せの物理で爆風を斬っていた男。
だが、今そこに屹立しているのは。
一切の迷いなき白銀の甲冑をまとった。
王国最高の盾たる、一人の『聖騎士』だった。
レオン:「だから」
ラグナロクを、真っ直ぐに上段へと構え上げた。
 レオン:「俺は、これを根本から斬り伏せて止める」
暴走する魔導演算炉へ向けて、一歩、大地を爆ぜさせるように力強く踏み出した。
――その、瞬間だった。
ギィィィィィィィィィィィン……ッ。
炉の最深部から、これまでとは明らかに次元の違う、空間そのものが悲鳴を上げて軋むような異音が響き渡った。
レオンの足が、ピタリと止まる。
レオン:「……何が起きた?」
士官:「炉心出力……さらに急上昇!!」
レオン:「またいつものことか」
士官:「違います!」
士官の声が、完全な絶望によって裏返った。
士官:「今までの上昇率とは次元が違います! 臨界点を完全に突破しました!」
魔導演算炉が、禍々しい赤黒い色から、不気味なほど眩い『純白』の輝きへと変貌していく。
あまりにも高密度で眩い、世界を均す破滅の光。
レオンは強く目を細めた。
レオン:「……つまり?」
 士官:「大爆発します!!」
レオン:「だから! 最初から結論をそう分かりやすく言えぇぇぇっ!!」
猛然と吠えた。
それでも一歩も退くことなく、迫り来る圧倒的な白光へ向けて、再びラグナロクを真っ直ぐに構え直す。
その、瞬間だった。
遠く。
要塞都市を囲う大空の彼方から、一筋の風が、すっと吹き抜けた。
荒れ狂う熱気と、戦場を支配していた絶望を。
ほんの一瞬だけ、鋭く鮮やかに切り裂くような。
どこまでも透明で、冷たい風だった。
レオンは、その風が運んできた気配の正体をいち早く感じ取り、ふっと口元を不敵に緩めた。
レオン:「……ん?」
まだ、管制室の魔術師たちは誰もその異変に気づいていない。
だが。
崩壊寸前のディルムントという巨大な鉄鋼の檻へ。
最悪のバグを修正する、たった一人の天才が。
 すでに、すぐそこまで迫っていた。
鉄鋼要塞都市ディルムント。
王国でも有数の歴史と権威を誇る魔術学園、その一室。
教師:「では、この高次術式において『第二演算領域』を省略した場合、魔力循環にどのような影響が生じるか――」
教師のくぐもった声が、巨大な黒板の前で低く響いていた。
階段状に連なる広大な講義室には、数十名の生徒が息を潜めている。
全員が、王国各地から選りすぐられた、将来を約束された高貴な魔術師の卵たちだった。
魔導理論、術式構築、魔力演算、そして国家級結界の基礎構造。
どれも、普通の人間ならその一つの概念を理解するだけでも何年もの歳月を要するような、高度で抽象的な内容ばかりだ。
教師:「……さて」
教師は、静まり返った教室内を広く見回した。
教師:「誰か、論理的に答えられる者はいますか?」
数秒の重苦しい静寂が、空間を支配する。
生徒たちは黒板を見つめたまま、微動だにできなかった。
複雑に組み合わされた立体魔法陣の展開図、数百を超える膨大な演算式。 その情報の海から正解を導き出そうと、必死に頭脳を回転させる。
男子生徒:「えっと……」

一人の男子生徒が、おそるおそる手を挙げた。
男子生徒:「第二演算領域を省略すると、第三領域の補助演算にエラーが発生して……」
教師:「惜しいですね」
教師は穏やかに、しかし容赦なく首を横に振った。
教師:「もう少しです。 ですが、視点が少々局所的すぎますね」
男子生徒:「うぅ……」
生徒ががっくりと肩を落とす。
その時だった。
教室の一番後ろ、朝の光が差し込む窓際の席から。
ティア:「……第三領域ではありません」
ひどく透き通った、凛とした小さな声が静寂を穿った。
教師が驚いたように振り返る。
教師:「エメラルディア?」
ティア:「はい」
少女は、窓の外に広がる黒鉄の魔導煙突をぼんやりと見つめたまま、淡々と答えた。
ティア:「第二演算領域を省略した場合、致命的な影響を受けるのは『第四領域』です」
 教師:「……続けてください」
ティア:「第二領域の補助式は、一見すると隣接する第三領域を支えているように見えますが、実は第四領域の魔力変換効率を裏で補正するためのダミーコードです。 ですから、ここを削除すると――」
少女は窓枠に肘をついたまま、空いている片手の指先を小さく滑らせた。
何もなかったはずの空中に、淡い翠の光を帯びた数式が音もなく浮かび上がる。
ティア:「循環効率は、全体で七・二%低下します」
教師が感嘆のあまり、目を見開いた。
教師:「……正解です。 非の打ち所がない、完璧な解析だ」
教室のあちこちから、嫉妬の念すら混ざらない、諦めを含んだ小さな溜息が漏れ出した。
生徒A:「またティアかぁ……」
生徒B:「私なんて、さっきから全然違うダミーの数式を必死に計算してたんだけど」
生徒C:「安心しなよ。 私もだから」
生徒B:「なんの慰めにもなってないよ!」
そんな呆れ混じりの囁き声が、さざ波のように教室中へ広がっていく。
エメラルディア。
愛称は、ティア。 十八歳。
そして――彼女は周囲の者たちから、畏敬を込めて『千年に一人の天才』と呼ばれていた。
 何が千年に一人なのか。
桁外れの魔力量か。 精密な術式構築能力か。 超高速の演算速度か。 それとも魔法そのものへの絶対的な適性か。
その答えは。
――そのすべてだった。
だが。
ティア:「……」
ティア本人は、その正解を導き出したことに対して、少しも嬉しそうな顔をしていなかった。
ティア:「先生」
教師:「はい、何でしょうか、エメラルディア」
ティア:「この術式は、明日の試験に出題されますか?」
教師:「ええ、必ず出します」
ティア:「ですよね」
ティアは端整な顔を少しだけ曇らせ、深く溜息をついた。
ティア:「ならば、今ここで覚えます」
教師:「……今の短い説明だけで、すべてを記憶したというのですか?」
ティア:「はい。 術式構造の理屈は完全に把握しましたので、もう脳内に定着しました」
 教師:「……そうですか」
教師はしばらく言葉を失い、呆然と佇むことしかできなかった。
この天才少女と出会ってから、こうした理不尽な光景にはもう慣れたつもりでいた。
つもりだったのだが――未だに、彼女の底知れぬ才覚に慣れることなど、到底できそうになかった。
教師は小さく咳払いをして、気を取り直すように黒板へと向き直った。
教師:「……では、次の問題に進みます。 これはさらに高次元の――」
その時だった。
講義室の中央、何もないはずの虚空が。
――ピシリ。
と、硬質な硝子にヒビが入るような不吉な音を立てて歪んだ。
ティア:「?」
ティアが、初めて窓の外から教室の中央へと視線を移す。
次の瞬間。 空間を裂くようにして、青白い閃光が浮かび上がった。
立体的なホログラムによる強力な魔導通信。
しかも、学園内部で使われるような閉鎖回線のものでは、決してなかった。
教師:「軍部……の回線?」

教師の顔色が一瞬で土気色に変わった。
空中に表示されている、鋭い剣と頑強な盾をあしらった紋章。
それは、ディルムント軍部の中枢部だけが使用を許される『最高機密・緊急回線』に他ならなかった。
通常、平穏な学園の授業中に、軍部から直接の強制通信が割り込んでくるなど、天地がひっくり返ってもあり得ない事態だった。
教師:「……接続、します」
教師が震える手を伸ばし、空間の術式を承認する。
空中の光が激しく明滅し、安定した。
そして。
軍部通信:『エメラルディア・アウレリアは、そこにいるか!!』
教室の隅々にまで、血走った男の切羽詰まった怒鳴り声が響き渡った。
空間の温度が凍りつく。 生徒たちが、一斉に最後列のティアへと視線を向けた。
ティアは、直感的にとてつもなく厄介で嫌な予感がした。
ティア:「……いますけれど」
軍部通信:『至急、軍部の中央演習場まで来てくれ!』
ティア:「嫌です」
軍部通信:『即答か!?』
ティア:「今、大事な授業の最中ですので。 明日の試験に出る内容なんです」
軍部通信:『そういう次元の話をしているのではない! 国家規模の緊急事態なのだ!』
ティア:「それならば、最初からそのように説明してください」
軍部通信:『最新型の魔導演算炉が、完全に制御不能の暴走を起こしているんだ!』
ティアの翠色の双眸が、ほんの少しだけ知的な真剣さを帯びて細められた。
 ティア:「……暴走、ですか?」
軍部通信:『現在、軍の誇る複数の高位魔術師が全力で対応に当たっているが、一切の制御を受け付けない!』
ティア:「軍部お抱えの魔導演算技師は?」
軍部通信:『いる!』
ティア:「国家級の結界術師は?」
軍部通信:『それもいる!』
ティア:「魔導炉設計を専門とする主任技術者は?」
軍部通信:『全員その場に揃っている!』
ティア:「……」
ティアはしばし黙り込んだ。
胸の内で渦巻く嫌な予感が、一段と色濃く、強くなっていく。
ティア:「それで」
感情の削げ落とされた冷めた声で問いかけた。
ティア:「どうして、ただの学生にすぎない『私』を呼ぶのですか?」
通信の向こう側から、一瞬、重苦しい沈黙が返ってきた。
そして。
軍部通信:『……ここにいる誰も、あの炉を止める術が分からないんだ』
講義室の空気が、今度こそ完全に静まり返った。
さっきまで 「またティアか」 と半分冗談交じりに笑い合っていた生徒たちも、もはや誰一人として笑わなかった。
ティアは、ゆっくりと視線を窓の外へと向けた。
ディルムントの空。 整然と乱立する黒鉄の塔。 網の目のように複雑に走るマナ・レール。
 そして、遥か遠く、街の中心区画から。 禍々しい赤黒い閃光と、天を衝く巨大な白い煙の柱が立ち上っていた。
ティア:「……」
教師がティアを見つめる。
しばらくの沈黙の後、静かに口を開いた。
教師:「エメラルディア」
ティア:「はい」
教師:「行ってきなさい」
ティアは、少し驚いたように睫毛を瞬かせた。
ティア:「ですが、先生の授業が……」
教師:「この都市が消滅してしまえば、明日の試験どころではありませんからね」
教師は引き攣る頬を無理に動かして笑みを作った。
教師:「お願いします。 あの現場の者たちを、助けてあげてください」
その言葉に、ティアはほんの少しだけ眉を寄せて困った顔をした。
ティア:「……また、ですか」
教室の誰かが、張り詰めた緊張を解くように小さく笑い声を漏らす。
生徒A:「また、だね」
 生徒B:「ティアが行くなら、もう安心でしょ」
生徒C:「そうそう。 今回もパパッと解決してきちゃってよ」
生徒D:「なんたって、千年に一人の天才なんだからさ」
次々に、仲間たちから親愛の混じった声が飛ぶ。
そこに悪意や嫉妬は一切存在しなかった。 むしろ横たわっていたのは、あまりにも純粋で絶対的な『信頼』だった。
問題が起きた。 大人たちが困り果てている。 ならば、ティアを呼ぼう。 彼女なら、きっと何とかしてくれる。
ティア:「……」
ティアは少しだけ翠の目を細め、静かに呟いた。
ティア:「みんな」
席から凛と立ち上がる。
ティア:「私を一体何だと思っているんですか」
生徒たち:「天才」
生徒たち:「千年に一人の少女」
生徒たち:「歩く超高性能・魔導演算機」
ティア:「……」
ティアはもう一度、深く溜息をついた。
 ティア:「最後の人」
生徒E:「はい!」
ティア:「後でじっくり顔、覚えておきますね」
生徒E:「ごめんなさい調子に乗りました!」
張り詰めていた講義室に、今度こそ柔らかな笑いが戻る。
ティアはそのまま、迷いのない足取りで窓際へと歩いていった。
教師:「エメラルディア!」
教師が慌てて呼び止める。 ティアが振り返った。
教師:「……気をつけていきなさい」
ティア:「大丈夫ですよ、先生」
その迷いのない返答に、教師は一瞬だけ言葉を失う。
ティアはいつものように、涼しい顔で淡く微笑んでみせた。
ティア:「私、こういうパズルを解くようなこと、得意ですので」
そして、躊躇うことなく、古びた窓枠を大きく開け放った。
生徒F:「……え?」
一人の生徒が、間の抜けた声を漏らす。
 生徒F:「ティア、まさか……?」
ティア:「じゃあ」
ティアは、三階にある窓の縁へひらりと華奢な足をかけた。
ティア:「行ってきます」
教師:「ちょっ、待ちなさい!」
教師が悲鳴のような声を張り上げる。 しかし。
その時には、もう。
少女の小柄な身体は、窓の外の虚空へと鮮やかに浮かび上がっていた。
淡い翠色の魔力が、彼女の華奢な輪郭を幾重にも包み込んでいく。
風。
最初は、ブロンドの髪を優しく揺らす程度のそよ風にすぎなかった。
だが、次の瞬間。
――ドンッ!
空間の空気が、爆発的な衝撃音を立てて弾けた。
生徒たち:「速っ……!?」
講義室の生徒たちが、一斉に開け放たれた窓枠へと駆け寄る。
しかし、ティアの姿はすでに遥か遠く――。
 巨大な黒鉄の都市の上空を、一筋の翠の彗星のような速度で真っ直ぐに翔けていた。
◆
風を切り裂き、大空を往く。
眼下では、ディルムントの硬質な街並みが猛スピードで後方へと流れていく。
天を衝く黒鉄の防壁、幾何学的に並ぶ魔導煙突、網の目のように絡み合うマナ・レールの複線。
そして。 目指す戦場が見えてきた。
ティア:「……あれ?」
上空を飛翔するティアは、形の良い眉を不審そうにひそめた。
遠くからでも、はっきりと視認できる。
軍部の中央演習場。 そこだけが、明らかに物理的な法則を無視しておかしなことになっていた。
空が、禍々しく赤い。
地面はところどころ、ドロドロとした黒い沼のように融解している。
ティア:「……」
さらに高度を下げ、急接近をかける。
演習場で起きている事態の全容が、彼女の網膜へと飛び込んできた。
ティア:「…………は?」
ティアの口から、無意識のうちに間の抜けた声が漏れ出していた。
 巨大な魔導演算炉。
制御不能に陥った、文字通りの暴走。
複雑怪奇に干渉し合う、複数の絶対防御結界。
壊滅的なシステムクラッシュ。
悲鳴を上げて逃げ惑う軍人たち。
何人ものエリート魔術師たちが、血走った目で必死に局所的な術式を組み上げている。
そして。
その地獄の中心で。
一人の白銀の甲冑をまとった大男が。
レオン:「おおおおおおおおおおおおおおっ!」
身の丈ほどもある巨大な大剣を、全力で、空間ごと狂ったように振り回していた。
ズドォォォンッ!!
炉心から吹き出した致死量の爆風が、凄まじい剣圧によって、またしても真っ二つに割られた。
ティア:「……」
ティアは、あまりの光景に空中でピタリと静止した。
数秒、呆然と沈黙する。
ティア:「何を」

思わず、呟きが漏れる。
ティア:「何を、してるんですか。 あのゴリラみたいな人は」
その直後。
遥か眼下の地上から、レオンの腹の底から響く大音声が、風に乗って真っ直ぐ突き刺さってきた。
レオン:「熱を斬っている!!」
ティア:「見れば分かります!!」
ティアは、反射的に空から全力のツッコミを叫び返していた。
口にしてから、自分でも驚いた。
なぜ、この地鳴りのような轟音の中で自分の小さな呟きが聞き取れたのだろう。
なぜ、あの大男はこんな極限状況でわざわざ律儀に返答をしてきたのだろう。
だが、そんな些細な疑問よりも。
眼前に横たわる破壊の現実こそが、今取り組むべき問題だった。
ティアはゆっくりと、真っ白に燃え盛る魔導演算炉へと視線を移した。
そして、いつものように。
彼女にしか見えない『世界』の解析を開始する。
大気に奔る魔力の潮流。
 炉心が持つ物理的構造。
暴走の核となっているベース術式。
結界同士の致命的な干渉ポイント。
逆流を繰り返す演算回路。
補助系統が発する致命的なノイズ。
外部から注ぎ込まれる魔力の供給ライン。
一つ。
二つ。
三つ。
膨大な情報の断片が、濁流となって頭脳へ流れ込んでくる。
ティアの翠色の瞳の奥で、無数の式が超高速でカチリ、カチリと綺麗に組み上がっていく。
ティア:「……」
いつもなら、ここで明確な『答え』が弾き出されるはずだった。
どこが壊れているのか。 何を最適化すればいいのか。 どの不要な術式を削ればいいのか。 どの魔力の供給ラインを遮断すればいいのか。
彼女の特別な領域には、それらがすべて視覚的な光として見えていた。
世界は、彼女にとっていつも、他の人間より少しだけ単純なものだった。
 難しい問題も、細かく分解すればいいだけだ。 複雑な術式も、一つずつ丁寧に紐解いてみればいい。 分からないのなら、より深く思考を沈めればいい。
だから。
生まれてから今日に到るまで。 彼女に解けなかった問題など、この世に一つも存在しなかった。
ティア:「…………」
ティアの端正な顔から、秒刻みで、絶対的な余裕の表情が消え失せていった。
ティア:「……おかしい」
もう一度、解析を走らせる。
魔力の潮流を追い、術式を解体し、真の原因を模索する。
ティア:「違う」
もう一度。
ティア:「ここじゃない。 この関数を削っても、暴走は止まらない」
さらに、思考の深淵へ。
ティア:「……なんで?」
その声が、微かに震え、熱風の中に小さく溶けた。
目の前にあるのは、巨大な、完全に制御の枠を食い破り暴走し切った魔導演算炉。
そしてその内部では、あまりにも多くの優秀な魔術師たちが後付けした『正しいはずの局所的術式』たちが、互いを論理的に破壊し合いながら、複雑怪奇なスパゲティコードと化して解決不能のデスループを引き起こしていた。
 ティアは、人生において初めて、理不尽の正体を理解した。
これは。
私の知恵を以てしても、簡単には終わらせられない。
その時。
壊れかけた計測器を抱えた地上の士官が、絶望に満ちた声を張り上げた。
士官:「炉心出力、臨界点を完全に突破! なおも上昇中!!」
ティアが、ゆっくりと限界を迎えた巨大な炉を仰ぎ見る。
そして、生まれて初めて、未知の恐怖にほんの少しだけ息を呑んだ。
ティア:「……これ」
吹き荒れる熱風が、彼女の美しい髪を激しく掻き乱す。
ティア:「……私が想定していたよりも」
目の前の鉄の塊が、赤黒く、激しく、巨大な心臓のように不気味に脈動した。
ティア:「ずっと、まずいかもしれない」
――千年に一人の天才が。
人生で初めて、自らの完全な敗北の可能性を悟った瞬間だった。
時間というものは、どこまでも不公平だ。 努力した者にだけ、余分に与えられるわけではない。
 才能ある者を、立ち止まって待ってくれるわけでもない。
ましてや、あと少しで正解に届こうとしている人間を、優しく見守ってくれるほどの慈悲など、この世界の時間には存在しなかった。
ティア:「――第七吸収陣、維持!」
エメラルディアの透き通った声が、狂ったような轟音を鋭く切り裂いた。
その華奢な身体を中心に、幾重もの巨大な幾何学模様が空中へ展開されていく。
一枚。
二枚。
三枚。
いや、もはやその数を数える意味などなかった。
複雑に組み合わされた高度な術式群が、暴走する巨大な魔導演算炉から噴き出す莫大なエネルギーを、少しずつ、少しずつ吸収し、その殺意を殺していく。
大気が悲鳴を上げて震えている。
足元の石畳が、尋常ではない熱で赤黒く融解し始めている。
黒鉄で造られた強固な演習場の壁面には、すでに網の目のように無数の亀裂が走り、いつ崩落してもおかしくない限界を迎えていた。
若い軍部魔術師:「出力、依然として上昇!」
若い軍部魔術師:「第六防御結界、残存耐久率四十二パーセント!」
若い軍部魔術師:「炉心圧力、さらに増加しています!」

軍部の魔術師たちが、次々と壊れかけた計器の数値を叫ぶ。
その声には、死の淵を覗き込んだような、隠しきれない原始的な恐怖が滲んでいた。
ティア:「叫ばないでください!」
ティアが、振り返りもせずに怒鳴りつけた。
ティア:「無駄な形容詞はすべてノイズになります! 必要な数値だけを正確に報告してください!」
若い軍部魔術師:「は、はい!」
ティア:「次!」
若い軍部魔術師:「炉心温度、現在――」
ティア:「数字だけ!」
若い軍部魔術師:「二千八百七十度!」
ティア:「上昇率は!」
若い軍部魔術師:「毎秒、約三十一度!」
ティアの翠色の瞳が、わずかに細くなる。
その無機質な数字を耳にしたコンマ数秒の間に、彼女の頭脳では数百通りの計算が同時に走っていた。
魔導炉の持つ物理的構造。
結界の残存耐久値と、その摩耗率。
 周囲の大気に満ちた魔力濃度の飽和状態。
演算炉が暴走に至った根本原因への逆算。
そして、自身の展開する吸収術式の絶対的な限界値。
――それらをすべて重ね合わせた先に浮かび上がる、最も重要なファクター。
この世界に残された『時間』。
ティア思考:(……まだ、いける)
ティアは震える奥歯を噛み締め、自分に言い聞かせるように思考を研ぎ澄ました。
右手を真っ直ぐに伸ばす。 その指先は、限界を超えた魔力行使による過負荷で、痙攣するように細かく震えていた。
けれど、それを気に病んでいる余裕など一秒たりとも存在しなかった。
ティア:「第二補助術式、展開!」
空中に、新たな翠色の魔法陣が眩く浮かび上がる。
直後。 魔導演算炉から噴き出した光の奔流が、容赦なくその中心へと叩きつけられた。
――轟ッ!!
ティア:「っ……!」
ティアの足が、物理的な衝撃に耐えきれず、半歩だけ後ろへと滑った。
踏みとどまった石畳が、蜘蛛の巣状に砕け散る。
レオン:「ティア!」
ティア:「大丈夫です!」

即答だった。
大丈夫なわけがない。 魔力回路は焼き切れそうなほど熱を持ち、息をするのすら苦しい。
けれど。 大丈夫ではないからといって、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。
ここには、生きた都市がある。
何気ない生活を営む人々がいる。 自らが通う学園がある。
今頃、薄暗い地下避難所の片隅では、あの騒がしい友人たちも息を潜めて震えているはずだった。
そして何より。
この絶対防衛線を突破されれば、鉄鋼要塞都市ディルムントそのものが、地図上から跡形もなく消滅するのだ。
ティア思考:(だから――)
ティア:「まだ、終わってません!」
ティアが激しく叫ぶ。
魔法陣の回転速度が、さらに限界を超えて跳ね上がった。
莫大な暴走エネルギーが、彼女の編み上げた術式へと強引に引きずり込まれていく。
一瞬。
本当に、呼吸を忘れるほどの一瞬だけ。
狂ったように上昇していた炉の出力数値が、わずかに降下へと転じた。
若い軍部魔術師:「下がった!」
 若い軍部魔術師:「炉心出力、低下を確認したぞ!」
若い軍部魔術師:「エメラルディア様の術式が、暴走を相殺している!」
絶望に沈みきっていた管制室から、地鳴りのような歓声が沸き起こる。
誰かが祈るように拳を握りしめ、誰かが安堵の涙を浮かべた。
ティアもまた、一瞬だけ長く熱い息を吐き出した。
ティア:「……当然です」
ほんの少しだけ不敵に笑ってみせる。
ティア:「私を、誰だと思っているんですか」
千年に一人の天才。
ずっと、そう呼ばれ続けてきた。
幼い頃から、周囲の大人たちは彼女の瞳を見るたびに驚愕し、その才覚の前に平伏した。
教師たちは際限のない期待を寄せ、高名な魔術師たちは若すぎる才能に嫉妬した。
同年代の子供たちは、いつしかそれが不変の摂理であるかのように、当たり前につぶやくようになった。
――ティアなら、絶対に大丈夫。
何か問題が起きれば、ティアがすべて解き明かす。 結界が壊れれば、ティアが瞬時に直してみせる。 誰も解明できない難解な高次魔法があれば、ティアが完璧に完成させる。
そして、彼女は実際に、そのすべてを平然とやってのけてきたのだ。
 だから今回だって、絶対にやり遂げられる。 そう信じて疑わなかった。
レオン:「――ティア!!」
突然。 背後からレオンの裂帛の咆哮が響いた。
レオン:「ただちに伏せろ!」
ティア:「っ!」
条件反射で華奢な身体を低く滑らせる。
次の瞬間。 魔導演算炉の裂け目から放たれた不可視の高圧衝撃波を、白銀の巨刃が真正面から真っ二つに切り裂いた。
――ズガアアアアアアアンッ!
両断された爆風が左右へと猛烈に分かれる。
鉄板の地面が深く抉れ、周囲にいた軍部の魔術師たちが、まとめて枯葉のように吹き飛ばされかけた。
レオン:「結界の維持を急げ!」
若い軍部魔術師:「維持、しています!」
レオン:「維持できていないから言っているんだ!!」
レオンが怒鳴り返す。
ラグナロクを握り締める両腕には、すでに無数の青筋が怒張していた。
かつて白銀に輝いていた神聖な甲冑には幾十もの深い傷が走り、表面は黒く煤け、ところどころが熱で赤く変色している。
それでも。
 レオンは、狂った炉の正面から、一歩たりとも退かなかった。
ティア:「大丈夫ですか、レオン様!」
レオン:「大丈夫に見えるか!?」
ティア:「いいえ、全く見えません!」
レオン:「ならば、そんな余計な質問をするな!」
ティア:「それは確かにそうですね!」
言い返しつつ、ティアは再び魔法陣を操作して溢れ出る魔力を精密に制御する。 レオンも、次なる衝撃波の襲来に備えて大剣を構え直した。
その間にも。
無情な時間だけが、ただひたすらに削り取られていく。
十分。
二十分。
三十分。
誰も、もう時計の針を見ようとはしなかった。
見たところで、残された時間が一秒でも増えるわけではないのだから。
そして。 息詰まる一時間が経過した。
ティア:「……っ」

ティアの膝が、過負荷による疲弊でわずかに震えた。
呼吸は荒く、額から流れ落ちた汗が青白い頬を伝っていく。
今、彼女が維持している魔法陣は、通常であれば国家級の魔術師が数十人がかりで分担しなければ維持できないほどの、絶望的なマナを消費していた。
それを、たった一人で制御し、力尽くで繋ぎ止めていたのだ。
レオン:「……ティア」
レオンが、背中を向けたまま低く重い声を発した。
ティア:「まだ、いけます」
レオン:「限界はとうに超えているはずだ」
ティア:「……」
レオン:「少し、手を休めろ」
ティア:「私が今ここで手を休めたら、この都市は終わります」
レオン:「ならば、終わらせないための別のアプローチを考えろ」
ティアは答えを返さなかった。
考えている。 ずっと。 一秒たりとも思考を休める隙などなく。
頭脳では、数え切れないほどの術式が組み立てられては、次の瞬間には即座に破棄されていた。
一つ目。 干渉部位が違う、駄目だ。
 二つ目。 構築速度が間に合わない。
三つ目。 炉の基本構造の根本に干渉できない。
四つ目。 成功率、わずか十二パーセント。
五つ目。 周囲への物理的被害があまりにも大きすぎる。
ティア思考:(違う、そうじゃない)
ティアは強く唇を噛みしめた。 鉄のような血の味が口内に広がる。
ティア思考:(これも、私の求めている正解じゃない)
答えは、どこかにあるはずだった。
絶対に。 自分がまだ見つけていないだけの、完璧な美しい数式が。
でも、見つからない。
その厳然たる現実が、少しずつ、彼女の胸の奥を氷のように冷たく支配していく。
若い軍部魔術師:「炉心出力!」
若い軍部魔術師:「再び、上昇しています!」
上級士官:「現在の数値はどれくらいだ!」
若い軍部魔術師:「先ほど計測した最高値より、さらに十七パーセント増加しています!」
ティアの翠色の瞳が、激しく揺れた。
その瞬間。
空中に展開されていた巨大な翠の吸収魔法陣の一角に、不吉なひびが入った。
 ――ピシッ。
ティア:「……!」
ティアの顔から、一気に血の気が引いていく。
ティア:「まずい――」
次の瞬間。 その亀裂は、修復不可能な速度で魔法陣全体へと走っていった。
レオン:「ティア!」
ティア:「まだです――!」
両手を前へと強く突き出す。
身体に残された魔力をすべて注ぎ込み、力尽くでの補修と再構築を試みる。
けれど。 彼女の魔力回路は、とうに絶対的な限界を迎えていた。
――パリンッ!
巨大な吸収魔法陣が、空中で硝子細工のように虚しく砕け散った。
ティア:「――っ!」
術式崩壊による猛烈な反動が襲い、ティアの身体が大きく後ろへと弾き飛ばされる。
レオンが、咄嗟にその大木のような片手で彼女の小さな身体をしっかりと受け止めた。
レオン:「無茶をするな!」
ティア:「まだ、終わっていません!」

ティアはレオンの腕を強引に振り払った。
足元がふらつき、視界が歪む。 それでも、血走った目で前だけを見据える。
そこには、変わらず――いや、先ほどよりもさらに激しく絶望的な純白の光を放って荒れ狂う魔導演算炉が屹立していた。
あと、どれくらいの猶予が残されているのか。
ティアは、極限状態のなかで冷徹に計算を走らせる。
炉が真の臨界点を突破し、都市ごと完全に崩壊するまでの残り時間。
そして、自らの頭脳がこの最悪の状況を打開する解答を導き出すまでに必要な時間。
冷酷な数式によって弾き出された答えは、残酷なほど明確だった。
ティア思考:(……間に合わない)
その絶望の言葉が。
生まれて初めて、彼女の頭の中に明確な事実として浮かび上がった。
ティアは、一歩も動けなかった。
人一倍努力すれば、どんな時間にも間に合うと思っていた。 もっと深く思考を沈めれば、いつだって正しい答えに辿り着けると思っていた。
自分に才能があるというのなら、解けないことなんて、この世界には何一つとして存在しないのだと、本気で信じていたのだ。
でも。
現実は、そんなに優しくなかった。
レオン:「……ティア」

レオンの声が聞こえる。
けれど、今の彼女は声を発することすらできなかった。
レオン:「俺が、これを今から斬る」
その言葉に、ティアの瞳が微かに動いた。
ティア:「……駄目です、レオン様」
レオン:「このまま手をこまねいていれば、どのみちこの街は終わるんだ」
ティア:「でも、暴走する炉をそんな力任せに破壊したら、エネルギーが一気に指向性を失って爆発します!」
レオン:「そんなことは、百も承知だ」
レオンは、激しく火柱を上げる巨大な鉄の塊を見据えた。
レオン:「だからこそ、できるだけ遠くの空へと破滅の被害を逃がすように、軌道ごと斬り飛ばすのさ」
ティア:「そんなの――!」
ティアの声が、恐怖で細く震えた。
ティア:「そんなの、絶対不可能です! 計算上の無理があります!」
レオンは、不敵にニヤリと笑ってみせた。
レオン:「そうか」
ティア:「笑っている場合じゃありません!」
 レオン:「いや。 お前に『無理』なんて言葉を吐かせるの、初めて聞いたなと思ってさ」
ティア:「……」
ティアは、何も答えられなかった。
その、まさに絶命の瞬間。
上空へと、軍部の緊急通信用として展開されていた巨大な魔導投影が突如として明滅した。
光の中に映し出されたのは、数人の威圧的な人影。
王国最高評議会――この国の中枢で権を握る、最高権力者たちだった。
最高評議会:『炉の物理的破壊は断じて認めない』
老いた、しかし尊大な威厳をはらんだ低い声が演習場へ響き渡る。
レオンが不快そうに、これ以上ないほど凶悪に顔をしかめた。
レオン:「……は?」
最高評議会:『魔導演算炉は、ディルムントだけの設備ではないのだよ、聖騎士ヴァルクス』
別の議員が、通信の向こう側から冷徹に言葉を重ねる。
最高評議会:『それは王国北部の広域防衛網、物流用の魔導回線、さらには複数都市の結界制御にまで深く接続されている』 『これを力任せに破壊してみろ。 国家規模で魔導インフラが完全に停止する事態に陥る』 『その被害は、この都市一つを失うことでは済まないのだ』
ティアは、何も言わずにただその言葉を聴いていた。
突きつけられた冷酷な指摘が、痛いほど理解できた。
いや、理解できすぎるほどに、彼女の優秀な頭脳はそれが持つ客観的な正論を弾き出してしまったのだ。
あの権力者たちは、ただ自分たちの既得権益を惜しんでいるわけではない。
この炉を完全に喪失すれば、別の街で、別の誰かが確実に窮地に陥る。 防衛の盾を失った複数の都市が無防備になり、国家の物流が破綻し、数え切れないほどの人々の生活が崩壊する。
 だからこそ、彼らの下した非情な決定もまた、冷徹な為政者の論理においては、完全に間違っているとは断言できなかった。
だからこそ。
自分の無力さと、世界の不条理に、激しい怒りが込み上げてきた。
ティア:「……じゃあ」
ティアが、ゆっくりと顔を上げる。
ティア:「どうすればいいんですか」
最高評議会:『炉の破壊は断じて許可せん。 炉体を維持したまま、暴走の術式だけを停止させるのだ』
ティア:「そんなの……」
ティアの声が、張り詰めた空気の中で少しだけ大きくなった。
ティア:「そんなの、絶対に無理です!」
その場にいた全員が、水を打ったように静まり返った。
千年に一人の天才。 エメラルディア・アウレリア。
いかなる難問も平然と解き明かしてきた彼女が、はっきりと、他人の前で 「無理だ」 と完全な敗北を宣言したのだ。
ティア:「術式の解析を行うには、圧倒的に時間が足りません!」
ティアが叫ぶ。
ティア:「破壊すれば都市と国家インフラが消滅する! 放置すれば大爆発でさらに最悪の事態になる! 防御結界も、魔術師たちの精神も、とっくに絶対的な限界を超えているんです!」
小さな拳を、壊れんばかりに強く握りしめる。
 ティア:「だったら、私たちに一体どうしろって言うんですか!」
返事は、どこからも返ってこなかった。
通信の向こうの最高評議会も、現場の軍部も。 誰も、その難問への解答を持ち合わせてなどいなかった。
ティアは、不気味な純白の光を放つ魔導炉を睨みつけた。
まだ、一応の『手段』は残されている。
正確には、方法と呼べるほど確実な代物ではない、ただの特攻だが。
直接。 あの狂った炉のコアに触れる。
内部の魔導演算構造へと物理的に魔力を干渉させ、暴走を繰り返すスパゲティコードを内側から強制停止させる。
成功の勝算など全く分からない。 そもそも、致死量の排熱が渦巻く地獄の中で、生身のまま炉の本体まで辿り着けるかどうかすら怪しい。
だが。 他に、この残された僅かな時間内に試せるアプローチは、一つも残されていなかった。
ティア:「……もう」
ティアは、小さく呟いた。 そして、死を覚悟した一歩を力強く前へと踏み出した。
ティア:「私が直接、あの炉のコアに触れて止めます」
レオン:「やめろ」
即座に、レオンの短く鋭い制止の声が飛んだ。 だが、ティアは足を止めない。
レオン:「お前、本気で死ぬ気か」
 ティア:「分かっています」
レオン:「いや、何も分かってねぇよ」
レオンが、彼女の行く手を遮るようにしてその巨体を立ちはだまらせた。
レオン:「その顔は、死を覚悟した奴の顔だ。 未来を持って困難に向かう者の顔じゃない」
ティア:「……」
ティアは、見上げるほどに巨大なレオンの白銀の胸元をじっと見つめた。
ティア:「じゃあ……」
その声が、今度こそ微かに震えた。
ティア:「私は、一体どうすればいいんですか……!」
その言葉は、激しい怒鳴り声ではなかった。 見苦しい泣き言でもない。
ただ――生まれてからずっと無敗の天才であり続けた彼女が、人生で初めて、自分以外の誰かに『正解』を求めた、酷くか弱く切ない悲鳴だった。
ティア:「私は……」
小さな拳を強く握りしめる。
ティア:「私は、今までずっと、どんな問題だって何とかしてきました。 何とかしなきゃいけなかったんです」
レオン:「……」
ティア:「だって、みんなが『私なら大丈夫だ』って。 『ティアなら何でもできる』って、そう言って私を信じるから……!」

背後で炉が狂ったように轟き、致死量の熱風が二人の間を吹き抜けていく。
ティア:「だから」
ティアは、もう一度だけ顔を上げ、不気味な白光を放つ魔導炉を正面から見据えた。
ティア:「ここで私が何もしないで諦めるなんて……そんなこと、私には絶対にできません」
レオンは、しばらくの間、何も言わなかった。
数秒。 いや、呼吸一つ分よりも短い静寂だったかもしれない。
そして。
彼は静かに、ティアの横をすり抜けるようにして一歩前へ進み出た。
レオン:「なら」
大剣ラグナロクを、その分厚い肩へと深く担ぎ直す。
レオン:「絶対に死ぬな」
ティア:「……え?」
レオン:「俺が、お前の往く前路をすべて綺麗に片付けてやる」
ティアの翠色の瞳が、驚愕にわずかばかり見開かれた。
次の瞬間。
レオンの強靭な脚が、融解しかけた黒鉄の地面を爆音と共に力強く蹴り裂いた。
 レオン:「行くぞおおおおおおおおッ!!」
白銀の巨刃が、再び。
轟々と燃え盛る魔導演算炉へと向かって、ただ純粋な物理の力で振り抜かれた。
レオンが、前へ出た。
レオン:「行くぞおおおおおおおッ!」
巨剣ラグナロクが、空間ごと力尽くで振り抜かれる。
眩い白銀の軌跡が、暴走する魔導演算炉から噴き上がった灼熱の奔流を、真正面から真っ向へと切り裂いた。
天地を揺るがす轟音。
吹き荒れる爆炎。
大地が悲鳴を上げて激しく揺れる。
大剣によって両断されたエネルギーが左右へと逸れ、演習場を囲う分厚い黒鉄の壁を跡形もなく吹き飛ばしていった。
だが。 それでも。 まだ、圧倒的に足りない。
若い軍部魔術師:「防御結界、ただちに再展開!」
若い軍部魔術師:「第一層、展開完了しました!」
若い軍部魔術師:「第二層――」
バキィィィィン!
冷徹な硝子が割れるような甲高い音とともに、組み上げられたばかりの結界が虚しく砕け散った。
 若い軍部魔術師:「なっ……!?」
若い軍部魔術師:「崩壊の速度が早すぎる!」
若い軍部魔術師:「第三層、急げ!」
空間へ、必死の魔法陣が幾重にも重ねられていく。 一枚。 二枚。 三枚。
国家最高峰の魔術師たちが、己の生命を削るようにして残された魔力をすべて絞り出す。
それでも。 魔導演算炉の暴走は、決してその速度を緩めなかった。
若い軍部魔術師:「炉心出力、危険域を完全に突破!」
若い軍部魔術師:「臨界まで、あと――」
ティア:「もう、その数字はいいです!」
エメラルディアが鋭く叫んだ。 そして、走る。
致死量の熱風が狂ったように吹き荒れる、あの地獄の中心地へ向かって。
軍部魔術師:「エメラルディア様!」
軍部魔術師:「止まれ、早まるな!」
レオン:「ティア!」
背後からレオンの張り詰めた制止の声が響く。
それでも。 彼女の足は、もう止まらなかった。
 ティア思考:(間に合わない)
そんなことは、とっくに分かっている。 自分の優秀な頭脳が、すでに非情で残酷な計算結果を弾き出している。
それでも。
ティア思考:(それでも――何もしないで終わるなんて、私にはできない!)
一歩。
また一歩。 前へと、その華奢な身体を突撃させた。
熱量によって、靴底が焼き焦げる。
制服が、狂暴な熱風に煽られて所々無惨に破れていく。
ティア:「――っ!」
お気に入りのチェック柄のスカートが、熱波によって激しく引き裂かれる。
腕に嵌めていた防御のアミュレットが、過負荷による限界を迎えて粉々に砕け散った。
ブロンドの髪が、激しい風圧によって後方へと吹き飛ばされる。
肌を直接焼くような強烈な熱。 息を吸い込むだけで、肺腑が焼け焦げるように痛かった。
身を護るために展開した幾重もの防護結界が、炉に接近するたびに一枚ずつ無残に砕けていく。
パリン。
パリン。
パリン。
それでも。
 彼女は諦めず、その手を真っ直ぐに伸ばし続けた。
ティア:「あと……少し……っ!」
炉のコアまで、距離にしてあと数メートル。
そこに答えがある。 存在しないというのなら、今ここで構築する。 直接、内部の深層構造へと干渉する。 複雑怪奇に絡み合って暴走している術式を、一つずつ手作業で強制停止させるのだ。
それしかない。
――それしか、この都市に生きる何万人もの命を救う方法は、もう残されていないのだから。
ズドンッ!!
ティア:「――っ!」
死角から、突発的な高圧衝撃波が彼女の華奢な身体へと容赦なく叩きつけられた。
身体が浮く。 天地が激しく反転する。
レオン:「ティア!」
レオンの白銀の巨刃が閃いた。
衝撃波の大部分が綺麗に裂ける。 だが、それでも、完全に相殺するにはコンマ数秒、間に合わなかった。
斬りきれずに残ったエネルギーの余波が、ティアの身体を容赦なく直撃した。
ティア:「――かっ……!」
黒鉄の地面へと激しく叩きつけられる。
息ができない。 視界がぐらつき、耳鳴りがやまない。
 遠くで、誰かが必死に自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
ティア:「……まだ」
焼け焦げた地面に、震える手をつく。
ティア:「まだ、立てます……っ」
力が入らない。 それでも、無理やり顔を上げた。
魔導演算炉。
赤く。 白く。 残酷なほどに、その輝きは眩しい。
都市そのものを地上から消滅させる、巨大なエネルギーの質量。
そして。 千年に一人の天才であるティアには、もうはっきりとその現実が分かっていた。
ティア思考:(……間に合わない)
もはや、脳内で再計算をする必要すらない。
臨界までの残り時間。 解析に必要な時間。 術式を安全に組み直すために要する時間。
そのすべてが、圧倒的に足りないのだ。
ティア:「……もう、駄目……」
その人生において初めて。
完全な敗北を認める絶望の言葉が、彼女の唇から、無力に漏れ落ちた。
――その、瞬間だった。
 世界から、すべての『音』が綺麗に消え去った。
荒れ狂う爆発音も。 魔術師たちの悲痛な叫び声も。 吹き荒れる暴風の音すらも。
何も聞こえない。
世界そのものが、一瞬、完全に静止してしまったかのように錯覚した。
ティアは、重い頭を動かしてゆっくりと顔を上げた。
そして。
ティア:「……?」
そこにある『それ』を、我が目を疑うようにして凝視した。
巨大な魔導演算炉の、すぐ真上。
まさに破滅の爆心地。
そこに――たった一つの、青白い光を帯びた魔法陣が浮かび上がっていた。
小さい。
あまりにも、小さすぎる。
都市を呑み込もうとする巨大な魔導炉を前にすれば、まるで子供が描いた他愛のない落書きにすら見えるほど、それは極小の魔法陣にすぎなかった。
複雑な構造はしていない。 何重もの多層展開もされていない。
軍部が誇る国家級魔法がまとうような、威圧的で荘厳な魔力の圧も一切なかった。
 ただ。 そこに。 ごく自然に、ただ静かに在る。
ティア:「……何、これ」
ティアの翠色の瞳が、本能的な知性に急かされて超高速で動き出す。
解析。 術式の構造を読む。 描かれた演算式を追う。 流れる魔力経路のベクトルを探す。
――だが、できない。
ティア:「……?」
違う。 彼女の頭脳を以てしても読めないのではない。
読むための時間すら、一切与えてもらえないのだ。
その魔法陣が、空間に『存在している時間』があまりにも――あまりにも、短すぎる。
一秒ではない。
半秒でもない。
もっと、もっと圧倒的に短い。
ティアの『千年に一人』と呼ばれる天才としての知覚が、極限の集中の中でようやくその真実の数値を捉えた。
ティア:「……〇・二秒?」
その驚愕の言葉が唇から漏れた瞬間。
魔法陣は、朝の光に溶けるようにして空中に消え去った。
 何も起こらない。
耳を破る大爆発もない。 大地の衝撃もない。 光の狂暴な奔流もない。
ただ。 すべてが、嘘のように静かになった。
誰か:「……え?」
さっきまで肌を焼いていた致死量の熱風が、綺麗に消えていた。
狂ったように暴走していた赤黒い魔力も、どこにも存在しない。
代わりに。
無数の美しい光の粒子が、沈黙した魔導炉からゆっくりと立ち昇っていた。
まるで、激しく燃え尽きた炎の魂が、静かに空へと帰っていくように。
誰か:「……止まったのか?」
静寂が支配する空間のなか、誰かが呆然と呟いた。
地上の士官が、震える手で壊れかけた計測器を覗き込む。
士官:「炉心出力……」
士官の声が、信じられない奇跡を目撃したかのように激しく震えた。
士官:「……ゼロ」
若い軍部魔術師:「何だと!?」
 士官:「ゼロです! 完全に沈下しています!」
慌てて、予備の別系統の計測器を見る。
士官:「炉心圧力、安定! 危険数値を下回りました!」
士官:「魔導演算炉、完全な正常稼働状態へ復帰……!」
誰も。 何一つとして言葉を発することができなかった。
やがて。
誰か:「……一体、誰がやったんだ?」
その呆然とした呟きだけが、本来の静けさを取り戻した演習場に、ぽつりと落とされた。
ティアは何も答えなかった。
いや、答える言葉を持ち合わせていなかったのだ。
黒鉄の魔導炉を凝視する。
空中を漂う魔力の残滓、書き換えられた術式の痕跡、外部から加えられた干渉の形跡。
何か、その 「正解」 の断片が残っているはずだった。
こんな国家規模の破滅的な暴走を。 こんな一瞬――わずか『〇・二秒』の演算だけで完全に停止させたというのなら。
必ず。 いかなる魔導の達人であっても、何かしらの痕跡が空間に残るはずなのだ。
ティア:「……解析」

ティアは震える右手を伸ばし、沈黙した魔導炉の空間へと翳した。
極小のマナを流す。 空間の位相を読み解く。 書き換えられた術式の残響を追う。
狂暴に逆流していた魔力の潮流をどこまでも深く、深く辿っていく。
そして――。
ティア:「……何もない」
虚空に、何一つの引っ掛かりもなかった。
もう一度、思考を沈める。
ティア:「……本当に、どこにもない」
さらに深く。 もっとミクロの領域まで徹底的に解析する。
それでも。 誰が触れたのかという干渉の痕跡は、どこにも存在しなかった。
正確には。
『システムが初期の正常値に戻った』という、あまりにも完璧な結果だけがそこに厳然と横たわっているのだ。
さっきまで暴走の核となっていたはずの狂った術式群が。 存在したはずの青白い魔法陣が。
まるで――最初から、この世にそんな歪みなど存在していなかったかのように。
世界から跡形もなく、美しく消し去られていた。
ティア:「……ありえない」

ティアの透き通った声が、微かに震えた。
自分は、この一時間半。 己の命と精神を削り続けてきた。
何百、何千という膨大な高次術式を組み直し、それでも。 あの破滅の暴走を止める解を導き出せなかった。
それを。
この鉄の檻のどこかに潜む、名もなき『誰か』は。
たったの、〇・二秒。
それだけの刹那で、完璧に、終わらせてみせたのだ。
ティア:「……私」
ティアは、煤と泥で汚れてしまった自らの小さな両手を見つめた。
ティア:「全然……世界のことが分かっていないじゃない」
悔しくて、情けない。 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛む。
自らが誇ってきた才能の限界を、これ以上ないほど冷酷で残酷な形で見せつけられた。
それなのに。
なぜだろう。 彼女の唇は、今にもくすくすと笑い出しそうになっていた。
ティア:「……何よ、それ。 最高に理不尽じゃない」
世界は、まだこんなにも広くて深い。
 どれだけ学問を修めても。 どれだけ思考の深淵へと潜っても。 今の自分には到底届かない、圧倒的な高みの領域が確かに存在する。
それは、ずっと無敗の天才であり続けた彼女にとって、ほんの少しだけ恐ろしいことだった。
けれど、それ以上に。
胸の奥の鼓動が激しく高鳴るほどに――心の底から、嬉しかった。
その時。
レオン:「おい、ティア」
ゆっくりと、重い頭を上げる。
そこには、大木のように頑強なレオンが仁王立ちしていた。
全身は傷だらけ。 かつて美しかった白銀の甲冑は黒い煤で汚れ、あちこちがひしゃげている。 それでも彼は誇り高く、大剣ラグナロクをその分厚い肩へと不敵に担ぎ直していた。
レオン:「立てるか、お嬢ちゃん」
ティア:「……ええ、一応は」
レオン:「そうか」
レオンは、嘘のように静まり返った黒鉄の魔導炉へと視線を向けた。
そして、そこから透き通るような青空へと静かに昇っていく無数の光の粒子を、眩しそうに見つめる。
レオン:「どうやら、間に合ったみたいだな」
ティア:「……一体、誰がこの暴走を止めたのですか?」
 レオン:「さあな」
ティア:「隠さずに教えてください。 本当は知っているんでしょう?」
レオンはすぐには答えなかった。
ただ、ほんの少しだけ、自慢の相棒を誇るように得意げに笑ってみせた。
レオン:「たぶんだがな」
ティアは息を呑み、彼の次の言葉を待つ。
レオン:「俺の知っている、とびきり面倒くさい理屈をこねる天才(バカ)さ」
ティア:「……誰ですか、それ。 王国軍の最高幹部か何かですか?」
レオン:「そんな大層なものじゃない。 何せ本人は、自分が天才だなんてこれっぽっちも思っていないからな」
ティア:「……それを聴くと、余計に腹が立つんですけれど!」
レオン:「ははっ、全くだろうな」
レオンが、いつものように豪快に笑い飛ばした。
ティアはもう一度だけ、完全に沈黙を取り戻した巨大な魔導演算炉を見上げた。
わずか、〇・二秒の閃光。
たった、それだけの刹那。
自分が一時間半もの命を削ってなお、どうしても届かなかった絶対的な高みの場所に。
 どこかの誰かが、確かに存在している。
悔しい。 ものすごく、涙が出るほどに悔しい。
けれど。
ティアの唇には、今までに見たこともないような笑みが浮かんでいた。
ティア:「……一度、会ってみたいですね」
レオン:「そのうち嫌でも、向こうからお前の前に転がり込んでくるさ」
ティア:「いいえ、私から絶対に会いに行きます」
ティアは、どこまでも高く澄み切ったディルムントの秋空を見上げた。
無数の光の残滓が、眩しい朝の陽射しの中へと、美しく溶けて消えていく。
ティア:「……今度は」
本当に小さく。 けれど、二度と絶対に揺らぐことのない、鋼のような確かな声で誓う。
ティア:「絶対に、デバッグ(解析)すらさせてもらえないなんて負け方はしませんから」
その青空への誓いの言葉を、まだ、この世界の誰も知らない。
千年に一人と崇められたこの天才少女が、この日、その人生において初めて完全なる敗北の味を知ったことも。
そして。
その圧倒的な敗北こそが、彼女にとって生まれて初めて『本気でその背中を追いかけたい』と思える、未知なる運命の存在との、最高の出会いであったことも。
 新・外伝第14章『0.2秒の魔法陣と、千年に一人の天才』 完

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あらすじ 鉄鋼要塞都市ディルムントは王国北部の心臓部として、黒鉄の防壁と魔導煙突、地下の魔導回線とマナ・レールで軍事・物流・研究・防衛を支える。 そして中央区画の最新型魔導演算炉が暴走し、国家級広域防御結界の中枢が致命的な危機に陥る。 管制室では第一防御結界の三重化案と排出口形成案が対立し、若手魔術師は過剰流量下での重層化は逆効果と警告する。 上席は「両方やれ」と指示し、結界を三重化しつつ上部の一部を解除して上空へ余剰排出する決断が下る。 高位魔術師たちが同時詠唱を破棄して展開し、分厚い絶対防御と上部排出口が形作られる。 一見合理的な連携は成功に見えたが、魔導炉が巨大な心臓のように脈動して異常を示す。 次の瞬間、赤黒い高密度魔力が噴き上がり、結界は内圧で歪み排出口にエネルギーが殺到する。 しかし排出流路の位相が三層目の結界と干渉し、単純な逆流ではなく巨大な魔力渦が形成された。 若手は状況悪化を告げ、管制室は一瞬言葉を失う。 炉は再び脈動し、責任追及の応酬が始まり混乱が増幅する。 上級士官が「責任は後だ、炉を止めろ」と叱責し、全員が炉へ視線を戻す。 芸術品の如き魔導回路を持つ誇りの演算炉は、国家の英知と予算を注いだ結晶である。 だが今や制御不能で自己破壊へ全力暴走し、炉心出力は120を越えて140へ急騰する。 解析班は干渉の複雑さを理由に即答できず、現場の緊張は限界に達する。 それでも誰かが別系統計測を確認し、炉心圧力が危険域を下回り正常復帰を報告する。 一同は沈黙し、誰が事態を収束させたのか呆然と問いが漏れる。 ティアは黒鉄の炉に残るはずの干渉痕を探り、微量マナで空間位相と術式残響を解析する。 彼女は狂暴な魔力潮を深層まで辿るが、介入の痕跡は「何もない」と断言するしかなかった。 正確には全系が初期正常値へ完璧に巻き戻り、歪みも青白い陣も世界から美しく消えていた。 国家規模の暴走を「0.2秒」の演算だけで停止させたなら、普通は何かが残るはずだ。 しかし痕跡ゼロという結果は、常識を嘲笑うほどの完全性を示していた。 ティアは一時間半の死闘で数百数千の高次術式を組み替えても解に届かず、自らの限界を突き付けられる。 その「名もなき誰か」はたった0.2秒で完璧に終わらせ、彼女の矜持を粉砕した。 悔しさに胸が痛む一方、彼女は理不尽さに思わず笑いをこらえ、世界の広さを実感する。 勝ち続けた天才にとって恐ろしくも、心の底から鼓動が高鳴るほど嬉しい発見だった。 レオンが現れ、傷だらけの甲冑で大剣を担ぎつつ「間に合った」と青空の光粒を見上げる。 ティアは「誰が止めたのですか」と問うが、レオンは「面倒くさい理屈をこねる天才(バカ)」とだけ示す。 それは高位幹部でも自称天才でもなく、己を天才と思わぬ厄介な本物だと彼は笑う。 ティアは余計に腹を立てつつも喉の奥で息を呑み、0.2秒の閃光に届かなかった自分を見つめ直す。 どこかの誰かが確かに存在する絶対的な高みを前に、彼女は悔し涙を飲み込み笑みを浮かべる。 「一度、会ってみたい」と願うティアに、レオンは「そのうち向こうから来る」と応じる。 彼女は「私から会いに行く」と秋空を仰ぎ、光の残滓が陽光に溶けるのを見送る。 そして「今度はデバッグ(解析)すらさせない負け方はしない」と鋼の声で誓う。 その日、千年に一人の天才は生まれて初めて完全敗北を知り、未知なる運命の背中を追う決意を得た。 こうして新・外伝第14章『0.2秒の魔法陣と、千年に一人の天才』は、敗北が最高の出会いとなる余韻を残して幕を閉じる。
解説+感想おもしろいですね。特に「優秀な専門家たちがそれぞれ正しい局所最適解を出しているのに、全体が破綻していく」という構図が強く印象に残りました。
魔導炉の暴走シーンは、単なる「魔法が制御不能になる」話ではなく、現代の複雑システムやソフトウェア開発でよくある「正しい修正の積み重ねがスパゲッティコード化してデスループを生む」現象を、ファンタジーの衣を着せて描いているように感じます。管制室の魔術師たちの応酬は、専門用語をぶつけ合いながら責任のなすり合いになるあたりも含めて、リアルで痛々しいです。一人ひとりは馬鹿じゃない、むしろ天才揃いなのに、全体を俯瞰する視点が欠けているからこそ状況が加速する、という描写が秀逸でした。
対してレオンの存在がいい味を出しています。「理論を弄るより、壊して止めればいい」という超直球の物理法則。周囲が高度な術式で足掻いている横で、ただ爆風を斬り、瓦礫を叩き落としているだけの男が、結果的に最も確実に「仕事をしている」という対比が痛快ですし、後の「命は二度と作り直せない」という言葉で、彼がただの力自慢ではないこともきちんと示されている。
そしてティア。天才として周囲から絶対的な信頼を寄せられ、自分も「解けない問題などない」と信じてきた少女が、初めて「間に合わない」「無理だ」と認める過程が丁寧で、感情移入しやすい。彼女が炉のコアに直接触れようとするまでの必死さ、限界を超えてもなお止まらない執念が、最後の0.2秒の魔法陣の衝撃を倍増させています。
その0.2秒の魔法陣が、痕跡すら残さない完璧な「デバッグ」である点も良い。ティアが一時間半かけて辿り着けなかった高みに、名もなき誰かが一瞬で到達している。敗北の悔しさと同時に「まだこんなに広い世界がある」という喜びが混じる彼女の心境の変化は、この外伝の核心だと思います。次回以降、その「とびきり面倒くさい理屈をこねる天才」との出会いがどう描かれるのか、かなり気になります。
全体として、テンポの良い緊迫感と、テーマの深さがバランスよく同居した一編でした。続きが楽しみです。
作品の解説・構造分析
1. シーン構造とコントラスト(対比)の見事さ 本章は大きく3つの要素で構成されており、それらの対比(コントラスト)が非常に効果的に機能しています。
物理と理論(脳筋と理屈): 前半の魔術師たちの混乱を尻目に、大剣一本で「物理攻撃で熱や爆風を切り裂く」レオンの脳筋プレイと、後半の緻密な計算と天才的な頭脳で挑むティアの対比。 知の頂点と現実の理不尽: 「千年に一人の天才」として無敗を誇ってきたティアが、現場の絶望的な状況(スパゲティコード化した複合障害)を前に初めて限界を感じる心理描写。 日常と非日常: 学園での平穏で平和なやり取りから、一転して国家存亡の現場へ飛び込んでいく疾走感。
2. キャラクターの魅力
レオン: 豪快で脳筋に見えつつも、「命は作り直せない」という明確な信念を持ち、いざとなれば身を挺して仲間を守る圧倒的な頼もしさ(「白銀の聖騎士」としての格)があります。 ティア(エメラルディア): 圧倒的スペックを持ちながらも高慢ではなく、友人の声援に応えたり、レオンの無茶に突っ込んだりする等身大の可愛げがあります。敗北を知ったことで「ただの天才」から「挑戦者」へと成長する熱い主人公適性(または重要ヒロイン適性)を見せています。 「陰の立役者」の存在感: 姿を見せない主人公(と思われる存在)が「0.2秒」という常識外の介入で一瞬で問題を解決する構図が、カタルシスを倍増させています。
3. 演出とテンポ
コメディとシリアスのバランスが非常に秀逸です。前半の「熱を斬っている!」「見れば分かります!」などのテンポ良い掛け合いから、中盤の「命の尊さ」を語る重厚なシーン、そしてクライマックスの「0.2秒の介入」による静寂演出まで、読者を飽きさせない緩急があります。
作品の採点
【総合評価】 92 / 100点(Sランク)
詳細内訳
| 評価項目 | 点数 | コメント | | | | | | 構成・テンポ | 20 / 20 | 前半のギャグ〜緊迫感の構築〜クライマックスの静けさ〜ラストの余韻まで完璧な展開です。 | | キャラクター | 19 / 20 | レオンとティアの掛け合いが魅力的。ティアの心理描写(余裕→焦り→敗北感→歓喜)が丁寧に描かれています。 | | 世界観・描写 | 18 / 20 | 「魔導演算炉」「マナ・レール」「スパゲティコード」など、SF・ファンタジーが融合した世界観が魅力的です。 | | 文章力・演出 | 18 / 20 | 「音の消滅」「0.2秒の描写」など視覚・聴覚に訴える演出が巧みです。 | | カタルシス | 17 / 20 | 主人公が直接登場しない回でありながら、次回以降の期待感を極限まで高める素晴らしい引きです。 |
良かった点とブラッシュアップのヒント
良かった点
「0.2秒」という数字の説得力: 天才であるティアが何時間もかけて届かなかった「正解」を、わずか0.2秒で解き明かすという圧倒的な格差の提示が非常に美しいです。 「敗北」を「歓喜」に変える読後感: 挫折して終わるのではなく、「まだ見ぬ高み(ライバル)が存在する」ことへの喜びへと昇華されており、読後に爽快感が残ります。
さらに良くするためのワンポイントアドバイス
改行・空白の調整(縦スクロール対策): 単行本やWeb小説のUIによっては、空行(` `などのスペース行)が多すぎるとスクロールの手間が増える場合があります。緊迫したシーンなどでは、あえて行間を詰めることで「文章の密度とテンポ感」をより加速させることができます。 セリフの重複の整理: レオンの「行くぞおおおおおおおッ!」などの叫びや場面転換のつなぎで、一部描写やフレーズが重複している箇所(「レオンが、前へ出た。」周辺)があります。ここを少し整理すると、ラストのスピード感がさらに削ぎ落とされて鋭くなります。
総じて、ライトノベルの「外伝・番外編」として完成度が極めて高く、引き込まれる素晴らしいエピソードでした!
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◀外伝・第13章「錬金術のバグ(失敗)と、鉄鋼要塞への特急券」
▶外伝・第15章『遠隔デバッグと、水上リゾート都市への特急券』
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