◀第14章『神の褥、あるいは光の棺』
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第15章『終わらない旅と、レモンの果実』
「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: 玄野武宏」「VOICEVOX: 青山龍星」「VOICEVOX: 春日部つむぎ」「VOICEVOX: 栗田まろん」「VOICEVOX: ずんだもん」「VOICEVOX: 雀松朱司」「VOICEVOX: 冥鳴ひまり」「VOICEVOX: 小夜/SAYO」「VOICEVOX: 雨晴はう」「VOICEVOX: 剣崎雌雄」「VOICEVOX: ナースロボ_タイプT」
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――静かだった。
 あれほど耳を塞ぎたくなるほど悍ましく響いていた神の声も。 世界を震わせていた決済の重低音も。 どこか遠くで鳴り響いていた、あの不吉な鐘の音さえも。 すべてが、嘘のように消え去っていた。
残ったのは、風の音だけだった。
そよ、と。 頬を撫でるような柔らかな風が、インクに汚れた僕の前髪を揺らしていく。
ルイ:「……?」
僕は、ゆっくりと瞼を開いた。 最初に見えたのは――空だった。
ルイ:「…………」
言葉が、出なかった。 そこには、何もないはずだったのだ。 絶対の暗闇。 どこまでも続く、果てのない黒。 何も見えず、何も感じられず、ただ冷酷な虚無だけが広がっている――あの忌まわしい霊界とは、そういう場所なのだと認識していた。
けれど、違った。
 ルイ:「……青い」
思わず、乾いた声が漏れる。 空が、青かった。 どこまでも澄み渡った、深くて優しい、青。 真っ白な雲が浮かび、ゆっくりと風に流されている。
視線を落とした、その足元。 緑。 一面に広がる、生命力にあふれた草原。 その中には、無数の花が咲き乱れていた。 黄色。 白。 赤。 淡い紫。 青。 名前も知らない色とりどりの花々が、春の風に揺れている。
ルイ:「……なんだ、これは」
僕は、呆然と立ち尽くした。 暗闇なんかじゃない。 絶望の底へと続く崖なんかじゃない。 ここは――。
ルイ:「……綺麗だ」
それはあまりにもありふれた、陳腐な言葉だった。 だからこそ、僕には酷く奇妙に思えた。 自分はこれまで、一体何を見つめていたのだろう。 いや――見えてなどいなかったのだ。
魔力が右手にあった頃。 第四階梯の呪いというフィルターを通して眺めていた世界は、すべてが数値と法則、そして情報へと置き換えられていた。 必要な記述だけをハックして拾い上げ、不要な感情や色彩をノイズとして切り捨てる。 世界を都合よく定義するために、僕自身が世界の輪郭を削り落としていたのだ。
神の領域たるこの霊界とて、例外ではなかった。 暗闇。 危険。 死。 契約。 決済。 そんな無機質なデータだけが、僕の視界を白黒の文字列で埋め尽くしていたに過ぎない。
 けれど、今は違う。 僕の肉体に、魔力はもう一滴も残されていなかった。 世界の法則を書き換える傲慢な能力もない。 解析眼はある。 けれど今は――世界を数値へと変換する必要など、どこにもなかった。 だからこそ僕は今、初めて己の物理的な眼球で、この世界をあるがままに視たのだ。 青空を。 白い雲を。 緑の草原を。 風にそよぐ、極彩色の花々を。
ルイ:「……これが」
僕は、小さく震える呼気を吐き出した。
ルイ:「これが……本当に、僕たちの目の前に広がっていた世界だったのか」
エリナ:「うん」
すぐ隣から、鈴の鳴るような声がした。 弾かれたように振り向く。 そこに――エリナがいた。
ルイ:「……エリナ」
名を呼んだ。 それだけだった。 ただそれだけのことなのに、胸の奥が火傷しそうなほど熱く爆ぜる。
エリナは、己の身体を不思議そうに見下ろしていた。 身に纏っていたはずの神聖な白亜の巫女服も、幻のウェディングドレスも、もうそこにはない。 一糸纏わぬ、生身の裸身(からだ)だった。 けれど、柔らかな陽光に包まれたその姿は、あまりにも眩く、ただ純粋で、神々しいまでに美しかった。
彼女は自分の手を見つめ、腕を見つめ、そっと自らの胸へと掌を当てた。
 ◇
エリナ:「……あった」
小さな声が、風に溶ける。
ルイ:「え?」
エリナ:「ちゃんと……ここにあるの」
胸元に添えた細い指先の下で、心音が鳴っている。 ドクン。 ドクン。 それは、確かな生命の息吹。
エリナは静かに瞼を閉じた。 ゆっくりと、深く、大気を吸い込んでいく。 青い草の匂い。 花の香り。 風の柔らかな温度。 肌を撫でる大気。 そして――。
エリナ:「……ルイ」
ルイ:「うん」
エリナ:「ちゃんと……全部、あるよ」
その声は、今にも泣き出しそうなほどに震えていた。
エリナ:「お菓子の、味も」
一度、血色の戻った唇を強く噛み締める。
エリナ:「怖かったことも」
目尻に、大粒の涙が浮かび上がった。
 エリナ:「嬉しかったことも」
白い頬を伝って、一滴。
エリナ:「……ルイのことも」
僕は、何も言えなかった。 ただ、それでよかった。 還ってきたのだ、エリナが。 すべてを収奪された空っぽの器ではなく。 神託の巫女という悲劇の記号でもなく。 笑って、泣いて、怒って、怯える――ごく普通の一人の人間として、今、僕の目の前に存在している。
ルイ:「……よかった」
ようやく僕の喉から絞り出された言葉は、それだけだった。
ルイ:「本当に……よかった」
エリナが顔を上げる。 そして――笑った。 涙を流しながら。 幼子のように、心の底から愛おしそうに。
エリナ:「うんっ」
◇
――カァン……。
どこからともなく、澄んだ鐘の音が響き渡る。 僕たちは同時に天空を見上げた。 あの決済の時のような悍ましい重低音ではない。 優しく、穏やかで――どこまでも遠くまで届いていくような、美しい音色だった。
 そして、空から何かが零れ落ちてくる。 一枚。 また一枚。 光をまとった、色とりどりの花弁だった。 赤、青、黄色、白――陽光に包まれながら、静かに舞い落ちる光の花弁が、草原を、花々を、僕たちの肩を等しく染めていく。 まるで世界そのものが、二人の帰還を祝福しているかのようだった。
ルイ:「……何だろう、これは」
僕が呟いた、そのときだった。
ファル:『おーい!』
ルイ:「……え?」
遠くから、鈴を転がすような小さな声が聞こえた。 振り向くと、花々の向こうから何かがパタパタと飛んでくる。 僕の手のひらに収まるほどの、小さな身体。 淡い金色の光を纏った、少女の輪郭。 背中にはアゲハ蝶のような半透明の光の羽が四枚。 彼女が移動するたびに、僕たちの取り戻した本物の色彩が、粒子となってキラキラと空気中に舞い落ちていた。
その小さな妖精は、僕たちの目の前まで飛んでくると、腰に手を当ててエッヘンと胸を張る。
ファル:『やっほー! 生き残ったふたりさん! ラブラブなところ申し訳ないんだけど……大変大変〜!』
ルイ:「……君は、誰だ?」
ファル:『私はね、この場所の管理者『ファル』だよ!』
小さなフェアリーは、得意げに笑った。
ファル:『君が全部、ドカーンとお支払いしちゃって、契約が正常に終わったからね! だから――この霊界は、あと数分で消えちゃいまーす!』
ルイ:「……消える!?」
ファル:『うん! ここは儀式のために作られた仮設空間だから、役目が終わったら消えるの!』
僕は弾かれたように周囲を見渡した。 青空。 花。 草原。 あまりにも美しい、極彩色の世界。
 ルイ:「……これが、消えるのか」
ファル:『ほら、見て見て!』
ファルが空を指差す。 遠く、地平線の向こう。 景色の端が、淡い光の粒へと変わり始めていた。 草原が。 花々が。 少しずつ光の細雪へとほどけていく。 その輝きは風に乗り、天上へと静かに昇っていった。
エリナ:「……本当に、世界が消えていくのね」
エリナが息を呑む。
ファル:『だから、急いで急いで!』
ファルが慌てたようにパタパタと空中で手を振った。
ファル:『帰り道は、そっち! お兄ちゃんが持ってる、その大きい白い羽根! それが、君たちが最初に入ってきた洗礼所の泉に繋がってるの。 光が示す道を、走って走って〜!』
ルイ:「……分かった」
僕は短く頷き、右手に握った熾天使の羽根を見つめた。 羽毛は淡い光を放ち、確かに一本の針路を示すように、草原の先へと光の尾を引いている。
ルイ:「エリナ、行こう!」
エリナ:「うん!」
エリナが弾かれたように立ち上がる。 そして、僕の手をぎゅっと握り締めた。 その柔らかな手の温度が、火傷しそうなほどに確かだった。
エリナ:「……ルイ」
ルイ:「ん?」
エリナが、太陽のように笑う。
 エリナ:「今度は、ちゃんと一緒だね」
ルイ:「……うん」
二人は走り出した。 花の間を。 草原を。 端から徐々に光の粒子となって消えゆく世界の中を。
けれど――数歩走ったところで。 エリナが突然、ピタリと足を止めた。
エリナ:「ルイ」
ルイ:「どうした!?」
振り返る。 エリナは、満面の笑みを浮かべていた。 白い頬には、まだ生々しい涙の痕が残っている。 それでも、僕がこれまで生きてきて一度だって見たことがないほど、晴れやかで、美しくて、眩い表情だった。
エリナ:「ありがとう」
ルイ:「……え?」
エリナ:「私を……迎えに来てくれて」
僕は絶句し、その場に縫い留められる。 エリナは、握り締めた僕の手へと、微かに力を込めた。 そして――ほんの少しだけその頬を染めながら。 それでも、僕の瞳を真っ直ぐに見つめて。
エリナ:「――大好きだよ、ルイ」
ルイ:「…………っ」
僕の思考が、完全に停止した。 あまりにも唐突な不意打ち。 これまでの絶望と死闘のすべてを瞬時に吹き飛ばすほどの、圧倒的な多幸感。 魔力を完全に喪失した僕の貧弱な脳では、これほどの熱量を持った純粋な情動を、処理しきれるはずがなかった。
目の前の少女がどれほど愛おしい表情をしているのか。 己の心拍がどれほど異常な速度で跳ね上がっているのか。 そんなことさえ、もう何一つ、計算することなど叶わない。
 ただ――熱い。 両の頬が、沸騰しそうなほどに熱かった。
ルイ:「……ずるいな」
エリナ:「え?」
ルイ:「そんなこと……こんな時に、急に言うの」
エリナが、悪戯っぽくくすりと微笑む。
エリナ:「だって、本当にそう思ったんだもん」
ルイ:「……そっか」
僕は一度だけ、たまらずに視線を逸らした。 それから、静かに覚悟を決めてエリナを見つめ返す。 今度は、決して逃げなかった。
ルイ:「……僕も」
少しだけ照れながら。 けれど、決して誤魔化さずに。
ルイ:「僕も、大好きだよ。 エリナ」
エリナの深い青の瞳が、さらに大きく見開かれた。 そして――。
エリナ:「……うんっ」
花が綻ぶように、心底嬉しそうに笑う。 その笑顔を見つめていると、たまらず僕まで不格好に釣られて笑ってしまっていた。
 けれど――。
ルイ:「……それより」
僕は、足元から徐々に崩壊し始めた景色を振り返る。 遠くの草原が、光の粒子と化していた。 花々も、空も、ゆっくりと、静かに。 天上へと還っていく。
ルイ:「今は、ここを早く離れよう」
エリナ:「ふふっ」
ルイ:「何?」
エリナ:「ルイって、そういうところ変わらないね」
ルイ:「……どういう意味だよ」
エリナ:「大事なところで照れてるのに、最後はちゃんと現実を見るところ」
ルイ:「……それ、褒めてる?」
エリナ:「もちろん!」
エリナは心から楽しそうに笑った。 それからもう一度、僕の手を強く握り直す。
エリナ:「じゃあ、行こう」
ルイ:「うん」
二人は再び走り出した。 光の粒子になっていく幻の世界のなかを。 握り締めたその手を、もう二度と離さずに――。 ふたりがこれから生きていく、本物の世界へ向かって。
走った。 消えゆく極彩色の世界のなかを。
深い青空が、遠くの地平線から光の粒子へとほどけていく。 色とりどりの花々が、風に揺れるたびに一枚ずつ光の花弁へと還元されていく。 緑の草原も、白い雲も、どこまでも続いていたはずの完璧な景色さえも――まるで、長く甘い夢が朝の陽光に溶かされるように、静かに消え去ろうとしていた。
 ファル:『こっちだよ!』
小さなフェアリー、ファルが二人の前をパタパタと先導している。 その小さな身体から放たれる淡い金色の光が、崩壊していく世界のただなかで、一本の道筋を示していた。
僕は、右手に握り締めた熾天使の羽根を見る。 白銀の羽毛が淡く脈打ち、その輝きは真っ直ぐに前方の一点――世界の出口を指し示していた。
ルイ:「……あれが、出口か」
ファル:『うん!』
ファルが振り返り、大きく頷く。 ファル:『もうすぐだよ! 急いで!』
ルイ:「分かった!」
僕は、エリナの細い手を強く引いた。 走る。 ただ、走る。 今までなら、世界の崩壊構造を解析し、魔力の逆流を読み、最短経路を脳内で演算していたはずだ。 けれど、今の僕にはそんな必要などない。 だから――ただ、エリナの手の温もりだけを道標にして、僕たちは一緒に駆け抜けた。
エリナ:「ルイ!」
ルイ:「なに!?」
エリナ:「後ろ!」
エリナの声に、弾かれたように振り返る。 そこには、霊界の終わりがすぐそこまで迫っていた。 世界そのものが光の津波となって、僕たちの足元を飲み込もうと迫り来ている。
消えていく。 けれど、それは決して恐ろしいものではなかった。 花々は最後の瞬間まで美しい色彩を保ち、青空も、果てるその瞬間まで深く澄み切った青のままだった。
そして――。
 ファル:『……またねー!』
光の波の向こう側で、無数の小さな精霊たちが手を振っていた。
エリナ:「ありがとう――っ!」
エリナが、走りながら大きく手を振り返す。
精霊たち:『さようなら!』『ばいばーい!』『幸せになってねー!』
精霊たちの鈴を転がすような声が重なり、やがてその姿もまた、光の細雪となって天上へと昇っていった。
ルイ:「……ありがとう」
誰に届くかも分からない言葉。 それでも、僕は小さく頭を下げて、呟かずにはいられなかった。
そして――手元の羽根の光が、ひときわ眩く爆ぜる。
ルイ:「エリナ!」
エリナ:「うん!」
目の前に、巨大な白亜の門が姿を現した。 あの時、僕が暗い裏通路からこじ開け、霊界へと侵入したあの門だ。 その向こう側から、見慣れた冷たい石の気配が差し込んでくる。 紛れもない、現実の空気だった。
 二人は強く手を握り締めたまま、光の門を潜り抜けた。
――その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
背後で、腹の底を揺るがすような重たい地鳴りが響いた。 振り返ると、巨大な白亜の門が、神の決済の完了を告げるようにゆっくりと閉ざされていく。 最期にその隙間から見えたのは、完璧な青い天空と、咲き乱れる花々。 そして、小さな管理者ファルの満面の笑顔だった。
門が、完全に閉じる。 ――ズンッ。 重厚な幕引きの音が落ちた。
直後、門そのものが光の粒へと砕け散る。 粒子は天井へ向かって立ち昇り、やがて虚空へと完全に溶けて消滅した。 そこにはもう、ただの冷たい石壁だけが取り残されていた。
エリナ:「……泉?」
エリナがぽつりと呟いた。 現実の、洗礼所だった。
 静謐を湛えた泉。 白い石造りの床。 千年の間、歴代の巫女たちからすべてを収奪してきた、冷酷なる洗礼の間。 そこだけは、以前と変わらぬ姿で佇んでいた。
けれど、確かに変わったものもあった。 天井のない暗い空間から、光を孕んだ極彩色の花弁が舞い落ちてくる。 一枚。 また一枚。 赤、青、黄、白――色とりどりの光が泉の水面へ着水しては、静かな波紋を広げていた。 王国のあまねく場所へ、儀式の完了を告げる祝福の光が降り注いでいるのだろう。
エリナ:「……静かだね」
エリナが言った。
ルイ:「うん」
僕は深く息を吐き、静かに頷く。 どれほど耳を澄ませても、大気を震わせる剣戟の音はない。 騎士たちの怒号もない。 爆発の轟音も、誰かの悲鳴も、何一つとして聞こえなかった。 ただ、泉の澄んだ水が流れる音だけが、絶え間なく響いている。
ルイ:「……終わったんだ」
僕が呟いたその言葉は、冷たい洗礼所の空気に静かに溶けて消えていった。
エリナは、心底ほっとしたように己の身体を見下ろした。 そして――少しだけ困ったように、白い頬を朱に染めて微笑む。
 エリナ:「……私、このままじゃ帰れないね」
ルイ:「……あっ」
その一言で、僕は自分の視覚のフィルターが完全に外れ去っているという現実に、今更ながらに気がついた。 眼前にいるのは、あの神聖な記号としての巫女ではない。 血の通った、一糸纏わぬ生身の少女だ。 魔力という理屈を介さずに見る彼女の白い肌は、あまりにも生々しく、そして眩いほどに美しかった。
ルイ:「そ、そうだった。 悪っ……」
僕は慌てて顔を背け、明後日の方向を凝視した。
エリナ:「ふふっ」
ルイ:「いや、笑わないでよ。 こっちは魔力を失ったばかりで、色々と情緒がおかしいんだから」
エリナ:「だって、ルイが今さら普通の男の子みたいに慌てるんだもの」
ルイ:「……今まで、それどころじゃなかったんだから仕方ないだろ」
エリナ:「そうだね」
エリナは、くすくすと楽しそうに笑う。 その笑顔が、ひどく普通だった。 普通に笑って、普通に困って、普通に恥ずかしがりながら、僕をからかう。 ただそれだけのことが、胸が苦しくなるほどに嬉しかった。
エリナは洗礼所の壁際へ、身を隠すように小走りで向かう。 そこには――彼女が洗礼に臨む前に残していった一着の衣が、丁寧に掛けられていた。 純白の、神託の巫女服。
エリナはそれを手に取り、白い布地を愛おしそうに指先でなぞった。
エリナ:「……これも、まだちゃんとあったんだ」
ルイ:「着られそう?」
エリナ:「うん」
エリナはこくりと頷く。
 エリナ:「少し、懐かしいな」
そう言って、彼女は巫女服に袖を通していく。 白い布地が、彼女の華奢な身体を包んでいく。 けれど、かつて僕が見ていた景色とは、決定的に異なっていた。 これはもう、彼女を神へ捧げるための死に装束ではないのだ。 ただの服。 エリナという一人の少女が、これから外の世界を歩むために身につける、ただの白い衣服に過ぎない。
その意味の転換に気づいているのか、エリナは布の感触を確かめながら、ほんの少しだけ柔らかく微笑んだ。
そのときだった。
セラ:「――ルイ」
静謐な声が、洗礼所の空間に響く。 僕たちは弾かれたように振り返る。
そこに――一人の女性が、宙に浮かんだまま佇んでいた。 背中には、光り輝く六枚の純白の翼。 頭上には、淡い黄金の光輪。 神々しい真の姿。 かつて僕の解析眼が絶対的なエラーとして視認を拒絶したその貌は、魔力を喪った今の僕の肉眼には、ただひたすらに美しく、神秘的な存在としてありのままに映っていた。 六枚の翼も、黄金の光輪も、その何も纏わない姿さえも――それがセラという存在なのだと、今の僕には不思議なほど自然に感じられた。
ルイ:「セラ先生……」
僕が名を呼ぶ。 セラは、僕たち二人を静かに見つめていた。 そして、ほんの少しだけ肩の荷を下ろしたような、安堵の笑みをその唇に浮かべた。
 セラ:「はい」
その声は、いつものように静かで、どこまでも優しかった。
セラ:「終わったのですね」
ルイ:「ああ」
僕は、深く頷く。
ルイ:「終わった」
あまりにも短い、たったそれだけの言葉。 けれど、その四文字のなかには、いくつもの重い質量が詰まっていた。 神との契約。 最終決済。 エリナの魂。 僕の全魔力――そして、僕たちの、あの孤独で狂った戦いのすべてが。
ルイ:「ありがとう、セラ先生」
僕は、心からの感謝を込めて言った。
ルイ:「君のおかげだ」
セラ:「……私の?」
ルイ:「ああ」
僕は懐へと手を差し入れた。 そこにあるのは――熾天使の羽根。
ルイ:「君がこれを査定し、僕へと託してくれなかったら。 僕はあの暗闇のなかで、神の帳簿にアクセスすることすらできなかったんだ」
淡い光を放ち続ける一本の白銀の羽毛を取り出し、僕はセラへと差し出す。
 ルイ:「だから、これは返すよ」
セラは、僕の掌にある羽根を見つめた。 しばらくの間、静寂だけがふたりの間に横たわる。 やがて――彼女は小さく、首を横に振った。
セラ:「いいえ」
ルイ:「……え?」
セラ:「それは、持っていきなさい」
僕が目を瞬かせる。
ルイ:「けれど、これは君の……」
セラ:「この先、きっと必要になることもあるでしょう」
セラは微笑んだ。 その眼差しは、どこか遠い未来の景色を見透かしているかのようだった。
セラ:「それはもう、あなたが手にしたものです」
ルイ:「僕が?」
セラ:「はい」
セラは優しく、深く頷く。
セラ:「神へ至るための『鍵』としてではなく――」
一拍の呼吸を置いて、彼女は告げた。
セラ:「――これから先へ進むための、道標として」
僕は、掌の上の羽根を見つめた。 純白の羽毛。 そこにはもう、神のシステムへ接続するためのアクセス権も、膨大な魔力も宿ってはいない。 ただの、美しい一本の羽根。 けれど、セラが確かに僕たちへ遺してくれた、未来を生きるための証明だった。
 ルイ:「……分かった」
僕はしっかりと頷き、その羽根を大切に懐の奥深くへと仕舞い込む。
セラはそれを見届けると、穏やかな眼差しをエリナへと向けた。 エリナもまた、深い感謝を込めて静かに頭を下げる。
エリナ:「セラさん」
セラ:「はい」
エリナ:「……本当に、ありがとうございました」
セラ:「……いいえ」
セラは、我が子を見送る慈母のように優しく微笑んだ。
セラ:「こちらこそ。 美しいものを見せてくれて、ありがとう」
あまりにも短い言葉。 けれど、僕たちにはそれで十分すぎるほどの餞だった。
僕は、エリナへと向き直る。
ルイ:「……エリナ」
エリナ:「うん?」
ルイ:「ここを出る前に、一つだけ、話しておきたいことがあるんだ」
僕の真剣な声色に、エリナも微かに居住まいを正した。 僕は、光の花弁が舞い落ちる洗礼所の静かな泉を見つめながら告げる。
 ルイ:「記録上――君はもう、死んだことになっている」
エリナの表情が、ほんの少しだけ引き締まった。
エリナ:「……そうだね」
ルイ:「神託の巫女として、最期まで役目を果たし、その魂を捧げた。 王国が完済のログを記録した以上、それが公式の『正史』となる」
エリナ:「うん」
ルイ:「だから……」
僕は一瞬だけ言葉を選び、はっきりと伝えた。
ルイ:「この国には、『エリナ』という名の神託の巫女はもう存在しないんだ」
エリナは黙っていた。 悲しそうではなかった。 ただ、己の名前を心の中で幾度も確かめるように、静かに目を伏せていた。
エリナ:「……そっか」
小さく呟く彼女に、僕は言葉を継ぐ。
ルイ:「もし君が生きていると神殿に知られたら、おそらく色々と面倒なことになる」
エリナ:「面倒?」
ルイ:「ものすごく」
エリナ:「……ふふっ」
ルイ:「笑い事じゃないよ」
エリナ:「だってルイが言うと、本当に心の底から面倒そうなんだもの」
ルイ:「実際、面倒だからね」
エリナは少しだけ考えて――そして、僕を真っ直ぐに見つめた。
エリナ:「じゃあ……どうする?」
僕は、迷いなく答えた。
 ルイ:「この国を出よう」
エリナ:「……うん」
ルイ:「二人で」
エリナ:「うん」
彼女の深い青の瞳に、迷いは微塵もなかった。
エリナ:「一緒に行こう、ルイ」
その確かな言葉を耳にして、僕も静かに頷く。
ルイ:「今なら、ちょうどいい」
エリナ:「どうして?」
ルイ:「儀式が終わったからさ」
僕は、大聖堂の聳え立つ方角へと視線を向けた。
ルイ:「今ごろあそこでは、誰もが儀式の完了を祝っているはずだ。 神託の巫女が最期まで役目を果たしてくれたと盲信し、一点の濁りもない感謝の祈りを捧げている。 国中の人々が集まっているだろうね。 大聖堂のことだから、大げさな奇跡の演出も仕掛けているはずだ」
エリナ:「じゃあ……」
ルイ:「その隙を突いて、ここを脱出する」
僕は、図書塔からここまで辿り着いた日々の、あの昏い記憶を手繰り寄せた。
ルイ:「侍女や見習い巫女だけが用いる、秘密の抜け道がある」
エリナ:「私も、知ってるよ」
ルイ:「なら話は早い」
僕は、エリナへと右手を差し出した。
ルイ:「行こう」
エリナは、僕の掌を見つめる。 そして――本当に幸せそうに、花が綻ぶように笑った。
 エリナ:「うん」
そっと、その手を握り締める。 もう一度。 二人の手が、分かちがたく重なり合った。
神に選ばれるためではない。 理不尽な契約を履行するためでもない。 誰かに強いられた義務だからでもない。 ただ、自分たち自身の意志で選び取った未来を、共に歩んでいくために。
エリナ:「……行こう、ルイ」
ルイ:「ああ」
二人は歩き出した。 静謐な洗礼所を後にして。 巫女だけが知る、細く暗い隠れ道へ。 背後では、祝福の光の花弁が、いつまでも静かに舞い踊り続けていた。
そして、世界の誰も――知らない。 この王国において、神託の巫女エリナが、すでに美しき生贄として死んだことになっている今。 その少女が一人の青年と手を繋ぎ。 ただ人間として生きるために、新しい世界へと歩み始めていることを。
――大聖堂。
王国の中心に位置するその広大な空間は、いまやあまねく民衆の熱気でひしめき合っていた。 純白の法衣を纏った神官たち。 無骨な鉄甲に身を包んだ守護兵たち。 豪奢な衣服を着飾った貴族も、市井の町人も、老人も、子供も。
 誰一人として、声を上げる者はいなかった。 ただ静かに、深く、深く頭を垂れている。
大聖堂を限界まで満たしていたのは、狂信的なまでに純粋な『祈り』の残響だった。
「…………」
祭壇の最前列――神殿長が両手を胸の前で組み、静かに目を閉じている。 その皺深い顔には、国の存亡を懸けた長い緊張からようやく解放された者だけが浮かべる、深遠な安堵が刻まれていた。
やがて、その絶対の静寂のなかで、誰かが小さく呟いた。
誰か:「……終わったのだ」
その声を耳にした隣の者が、涙を流しながら静かに頷く。
隣の者:「ええ」
誰か:「神託の巫女様が……最期の最期まで、立派に務めを果たされたのだ」
隣の者:「我々のために……」
群衆のなかで、せきを切ったように誰かの目から涙が零れ落ちた。
 誰か:「ありがとう……」
その祈りの音声は、さざ波のように、けれど確実な熱量となって次第に広がっていく。
誰か:「ありがとう……」
誰か:「神託の巫女様……」
誰か:「ありがとうございます……」
大人も。 子供も。 老人も。 皆が、同じ感謝の言葉を熱に浮かされたように繰り返していた。
大聖堂の天窓から、一筋の光が差し込んでいる。 その神秘的な光の柱のなかを、色とりどりの極彩色の花弁が舞い踊っていた。 赤、青、黄色、白、淡い紫――それはまるで、天上から世界そのものが、一人の少女の消滅を美しく祝福しているかのようだった。
誰も、その美しい光景を疑いもしなかった。 これぞ神の祝福なのだと。 そう盲信して、一点の濁りもなかった。 神託の巫女が尊き身を捧げた、動かぬ証なのだと。 自分たちの国が、大厄災から正しく救済された証拠なのだと。
誰かが石畳に膝をついた。 それにつられるように、周囲の人々も次々と冷たい床へ膝を折っていく。 やがて、大聖堂を埋め尽くす何千という群衆の全員が、神へ向かって深く、深く両手を組んでいた。
誰か:「おお、神よ」
誰か:「我らをお救いくださり、ありがとうございます」
誰か:「神託の巫女様をお遣わしくださり、ありがとうございます」
誰か:「どうか――」
声が幾重にも重なり、巨大な祈りのうねりとなる。
 誰か:「どうか、この国に永遠の安寧を」
その、瞬間だった。
――カァン……。
どこからともなく、澄み切った鐘の音が大聖堂の空気を厳かに震わせた。 人々がハッとして顔を上げる。 神殿長も、ゆっくりと瞑っていた目を開いた。
祭壇の脇。 そこに安置されていた、巨大な『儀式の砂時計』。 神託の巫女の儀式が始まってから、絶え間なく静かに砂を落とし続けていた神の決済の証明器。 その砂が。 最後の一粒を、落とし切った。
――さらり。
小さな、けれど明確な音。 それと同時に、巨大な砂時計が、重力から解き放たれたようにふわりと虚空へ浮かび上がった。
 神殿長:「……?」
神殿長が息を呑む。 ゆっくりと、空中で砂時計が反転していく。 上下が完全に逆転し、再び無機質に砂が落ち始めた。 そして――砂時計の中央の硝子面へ、眩い光の数字が浮かび上がっていく。
最前列にいた神官の一人が、震える声でその文字列を読み上げた。
神官:「……一〇〇……」
声が、不自然に裏返った。
神官:「一〇〇〇……?」
一瞬の静寂ののち、大聖堂に爆発的な動揺が広がった。
誰か:「一〇〇〇年……?」
誰か:「嘘だ……」
誰か:「そんな、馬鹿なことが……」
誰か:「一〇〇〇年だと……?」
驚愕と戦慄の声が、空間の隅々までを満たしていく。 神殿長は、完全に言葉を失ったまま、老いた唇を小刻みに震わせていた。
通常、神託の巫女がその命を完璧なる対価として神へ捧げた際、王国に与えられる安寧の猶予は、長くても百年。 短ければ、わずか五十年に過ぎない。 それこそが、この国で千年の間代々繰り返されてきた絶対の常識だった。 だからこそ今回も、誰もが同じ未来を信じて疑わなかった。 いつもと変わらぬ数十年の平和が、再び緩やかに約束されるのだろう、と。
 だが――。 神の決済器に浮かび上がっていた数字は、彼らが知るいかなる歴史書の記述とも、根本から次元が異なっていた。
――『一〇〇〇年』。
「…………」
神殿長の顎が激しく震える。 やがて、彼は己の両手を胸の前で強く、強く組み直した。
神殿長:「……奇跡、だ」
その声が祭壇から零れた瞬間。 民衆の間から、せきを切ったような狂熱の歓声が上がった。
誰か:「奇跡だ!」
誰か:「一〇〇〇年だぞ!」
誰か:「神が、我々を永遠にお守りくださる!」
誰か:「おお、神託の巫女様が……!」
誰か:「我々を、完全に救済してくださったのだ!!」
誰かが泣き、誰かが笑う。 狂喜して抱き合う者さえいた。 長い間、目に見えない大厄災の恐怖に怯えて暮らしてきた人々にとって、『一〇〇〇年』という途方もない数値は、それだけで未来の不変の確約そのものだった。
老人:「……この子は……」
老いた男が、震える声で呟く。 隣に佇む、何も知らない幼い孫の頭を優しく撫でる。
 老人:「この子の子供も、そのまた子供の子供の代までも……もう、何も怯えなくていいのだな」
言葉が続かなかった。 ただ、安堵の涙だけが、深い皺を伝って石畳へと落ちていく。 それを見た孫が、不思議そうに祖父の顔を見上げて尋ねた。
孫:「おじいちゃん……どうして泣いてるの?」
老人:「……ああ」
老人は、くしゃくしゃに顔を歪めて笑う。
老人:「嬉しいんだよ」
孫:「どうして?」
老人:「お前が……長く、幸せに生きられると思うとな」
子供は意味を理解できぬまま、それでも楽しそうに笑みを浮かべた。
孫:「そっか!」
その無邪気な笑顔を視線に収めながら、老人もまた、声を震わせて泣き笑いした。
大聖堂の外でも、人々が天空を見上げて歓喜の声を張り上げていた。 王国全土に、圧倒的な光が降り注いでいる。 色とりどりの極彩色の花弁が、空へと向かって舞い上がっていく。 地面へと散り落ちるのではなく、世界そのものが逆流するかのように。 一枚。 また一枚。 光を帯びた花弁が、重力から解き放たれて天上へと昇っていった。
そして――。 王国を覆う空そのものが、淡い黄金の光輪に包み込まれた。 山々が。 森が。 街が。 村が。 遠く離れた最果ての大地までも。 巨大な光の膜が、ゆっくりと、だが絶対的な法理によって広がっていく。 やがて、それは王国全土を完全に包み込んだ。
 厄災を完璧に遮断する、盤石なる結界。 それこそが、一〇〇〇年という破格の寿命を得て、再び完成を迎えた瞬間だった。
誰か:「……ああ」
誰かが恍惚と呟く。
誰か:「守られている」
別の誰かが、夢見るように言葉を紡いだ。
誰か:「神が、我々を守ってくださっているのだ」
祈りの音声はさらに大きく、狂熱の度合いを増していく。
誰か:「感謝を」
誰か:「感謝を!」
誰か:「大いなる神に、感謝を!」
誰か:「尊き神託の巫女様に、永遠の感謝を――っ!!」
その熱狂の音声は、大聖堂の境界を越えて、街へ、村へ、王国の隅々へと波及していった。
世界の誰も――知らない。
 この『一〇〇〇年』という途方もない数が、一体誰の命によって生み出されたものなのかを。 誰が、己のすべてを神の決済台へと差し出したのかを。 そして。 本来ならば神託の巫女の魂によって支払われるはずだった原罪の負債が――ただ一人の魔法学徒の全魔力によって、根こそぎ完済されたことなど。
だが、彼らは何も知らない。 だからこそ、その感謝の祈りには、一片の虚飾もなかった。 神を信じ、神託の巫女の犠牲に涙し、明日という平穏な未来を確信している。 それは、恐ろしいほどに純粋で、どこまでも悪意のない信仰だった。
誰かを憎んでいるわけでもない。 誰かを意図的に苦しめようとしているわけでもない。 ただ、自分たちが救われたと、一点の濁りもなく信じているのだ。 そして――その救済のために、一人の無垢な少女が消滅したのだと。 そう、一糸乱れず信じ切っていた。
神殿長:「神託の巫女様……」
神殿長が、光り輝く祭壇へ向かって深く深く頭を垂れる。
神殿長:「誠に、ありがとうございました」
その所作に追随するように、大聖堂を埋め尽くす何千という人々が、一斉に頭を下げた。
誰か:「ありがとうございました」
誰か:「ありがとうございました」
誰か:「ありがとうございました――」
無数の悪意なき祈りが、幾重にも重なって狂熱の地層を形成していく。 その最中、空へと舞い上がった最後の一片の光の花弁が、青空のなかへと完全に融解して消え去った。
 ――一〇〇〇年。 神の決済は。 ここに、途方もない利息の完済をもって、完全に終了した。
神殿の奥底から、巫女だけが知る細い裏通路を抜ける。
洗礼所の清浄な静けさが遠ざかり、外の光が差し込む大理石の連絡回廊へと出た。 そこには、未だ凄絶な死闘の痕跡が生々しく刻まれていた。 壁には無数の斬撃の傷。 床には砕け散った石片。 ところどころに、黒く変色した血の痕と、焼け焦げた魔術の残り香が漂っている。
けれど。 もう、鼓膜を裂くような剣戟の音はしない。 怒号も、魔法が炸裂する轟音も、誰かの悲痛な叫び声も――何も、聞こえなかった。
ただ――。
ルイ:「……あ」
回廊の先。 半壊した壁に身をもたれかけるようにして、誰かがへたりと座り込んでいた。
 ルイ:「ミナ……?」
ルイが声を上げる。 己のブカブカな上着を羽織った少女が、弾かれたように顔を上げた。
ミナ:「……ルイ?」
その隣には、サーシャ。 そして、少し離れた瓦礫の山に腰を下ろしているのは――。
ルイ:「カイル……」
騎士だった。 いや、今はもう、騎士と呼ぶのさえ躊躇うほどに、無惨な有様だった。 誇り高かった白銀の重鎧はひしゃげて傷だらけになり、肩当ては完全に砕け散っている。 端整な顔立ちの頬には、斜めに大きな切り傷が走り、どろりとした血がこびりついていた。
それでも。
カイル:「……無事だったか」
カイルは、いつものように爽やかに笑って見せた。 その血塗れの笑顔を目にして。 ルイの胸の奥から、ようやく強烈な実感が込み上げてきた。
自分たちは――本当に、全員揃って生きて還ってきたのだ。
 ルイ:「みんな……」
エリナが震える声で呟いた。
ミナが瓦礫から立ち上がろうとして――。
ミナ:「痛っ!」
サーシャ:「む、無理をしないでください!」
サーシャが慌ててその細い肩を支える。
サーシャ:「ミナさん、まだ傷が……」
ミナ:「大丈夫、大丈夫よ。 ちょっと掠っただけだから」
サーシャ:「大丈夫な人は、そんな変な声を出しません!」
ミナ:「いや、まあ……」
ミナはバツが悪そうに苦笑を浮かべた。
ミナ:「立てる程度には、生きてるわよ」
エリナ:「なら、よかった……」
エリナが、心底ほっとしたように胸を撫で下ろす。 その一糸乱れぬ無傷の姿を視界に捉えて。 サーシャが大きく両の目を見開いた。
サーシャ:「……エリナ様」
エリナ:「うん」
エリナは、今にも泣き出しそうなほど優しい笑顔で微笑む。
 エリナ:「ただいま」
そのたった四文字の言霊に。 サーシャの大きな瞳から、決壊したように大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。
サーシャ:「……おかえりなさいませ」
声が、激しく震えている。
サーシャ:「本当に……ご無事で……っ」
エリナ:「うん」
エリナが深く、深く頷く。
エリナ:「ルイが……迎えに来てくれたから」
サーシャ:「……そう、ですね」
サーシャは涙を拭いながら、ルイへと視線を向けた。 何かを語ろうとして、一度は口を開きかけ――けれど、結局は言葉の代わりに、深く、深く頭を垂れた。
ミナもまた、安堵の涙を滲ませながら静かに笑う。
ミナ:「よかったね。 本当に、よかった」
ルイ:「……うん」
ルイは短く、照れくさそうに応じた。
 そのときだった。
エリーゼ:「――なるほど」
少し離れた回廊の陰から、静謐な声がした。 エリーゼだった。
彼女は、半壊した壁を背にして静かに佇んでいた。 その姿も決して無傷ではない。 威厳に満ちていた深紺の法衣は幾重にも切り裂かれ、結い上げていた銀髪も乱れている。 けれど、その透明な瞳だけは、いつもと変わらず冷徹で、静かだった。
エリーゼは、ルイを見ている。 正確には――ルイの胸元。 そこに仕舞い込まれているはずの、熾天使の羽根の残照を透かして見ていた。
エリーゼ:「……その羽根の気配」
ルイが僅かに身構える。 けれど、エリーゼはそれ以上間合いを詰めようとはしなかった。
エリーゼ:「そういうことだったのですね」
ルイ:「……何が?」
エリーゼ:「天使様が、あなたを選んだ」
エリーゼの視線が、静かにルイの瞳を射抜く。
 エリーゼ:「そして――」
一拍の呼吸を置いて、彼女は告げた。
エリーゼ:「神の天秤もまた、あなたという『価値』を選択したのですね」
ルイは何も答えなかった。 エリーゼには、その沈黙だけで十分だったらしい。 彼女は小さく目を伏せた。
エリーゼ:「……そうですか」
そして――。
エリーゼ:「あなたの魔力は、もう一切残っていませんね」
ルイ:「……ああ」
ルイは、自らの両の掌を視界に収める。 何も感じない。 かつてなら、この手のなかには世界そのものを改竄できる絶大な権能があった。 法則を書き換える力。 理を上書きする力。 それが今は――何もない。 ただの、生身の肉体。
ルイ:「全部、置いてきた」
エリーゼは、しばらく静かに黙っていた。 やがて、小さく息を吐き出す。
エリーゼ:「そうですか」
その声に、敗北の悲壮感はなかった。 怒りも、落胆もない。 むしろ――どこか深く得心したような、不思議な響きがあった。
 エリーゼ:「……不可思議なものですね」
ルイ:「何が?」
エリーゼ:「私が護るべきだと信じてきた『理』というものは」
エリーゼは、静謐な声で言葉を紡ぐ。
エリーゼ:「ずっと、もっと単純で、無機質なものだと思い込んでいました」
誰も口を挟まない。
エリーゼ:「原因があって、結果がある。 力には対価が伴い、契約には履行がある。 世界には、必ず厳守すべき普遍の理がある――。 だから私は、それさえ正しく執行していれば、この世界を護れると盲信していたのです」
エリーゼは、崩落した天井の向こうの青空を見上げた。
エリーゼ:「でも……」
彼女は、ふっと自嘲するように微笑む。
エリーゼ:「私が知る理というものは、私が理解していると思い込んでいた領域よりも――ずっと、果てしなく深いものだったのですね」
ルイは黙って耳を傾けていた。
エリーゼ:「……私も、まだまだ学徒の域を出ませんね」
エリーゼは、ほんの少しだけ笑った。 それは悔しさを隠すための笑みではなかった。 敗北を認める惨めな表情でもない。 ただ、新しい世界の広さを知った、一人の真摯な学徒のような清々しい笑顔だった。
 エリナ:「エリーゼさん……」
エリナが呼ぶ。 エリーゼはそちらへ視線を移した。
エリナ:「ありがとう」
エリーゼ:「……何に対する感謝でしょう?」
エリナ:「私を……」
エリナは少しだけ言葉を探し、やがて優しく微笑んだ。
エリナ:「私を、最期まで信じてくれて」
エリーゼは、一瞬だけ驚いたようにその目を細める。
エリーゼ:「……私は、王国の理を守ったに過ぎません」
エリナ:「それでも」
エリナは、心から笑った。
エリナ:「ありがとう」
エリーゼは、静かに頭を下げる。
エリーゼ:「こちらこそ」
それ以上は何も言わなかった。 代わりに、彼女は王国の空の向こう側へと意識を向ける。 そこには、これまで数千年の歴史のなかで一度として感じたことのないほど、巨大で絶対的な『安定』が満ちていた。 厄災の気配は、どこにも存在しない。 王国を包み込む結界が、深く、強く、大地と空へと永遠に等しい根を張り巡らせているのが、肌で理解できた。
 エリーゼ:「……一〇〇〇年」
エリーゼがぽつりと呟く。
エリーゼ:「これほどの安寧が……一括で支払われるとは」
その数字の意味と絶大さを、彼女は世界の誰よりも正しく理解していた。 長い。 あまりにも長い時間だ。 それだけの悠久の時を、この国は一切の不安を抱くことなく厄災から守られる。 誰もが明日を語れる。 子供が生まれ、育ち、老いて、次の世代へ確かな平和を繋いでいくことができるのだ。
エリーゼ:「……なるほど」
エリーゼはもう一度、ルイを見つめて微笑んだ。
エリーゼ:「あなたが神の天秤に載せたものの『重さ』は、そういうことだったのですね」
ルイは、その意味を詳しく尋ねなかった。 尋ねる必要もなかった。 エリーゼが何を感じ取り、この先どう生きていくのか――それは、彼女自身の問題だからだ。
しばらくの静寂ののち。 ルイは、瓦礫に座り込むカイルへと向き直った。
ルイ:「……カイル」
カイル:「ん?」
ルイ:「ありがとう」
カイル:「……え?」
カイルが間抜けな声を出し、何度も瞬きをする。
 カイル:「何だ、気持ち悪い。 急にどうしたんだ」
ルイ:「助けてくれただろ。 あそこで君が時間を稼いでくれなかったら、僕は終わっていた」
カイル:「まあ……な」
カイルは照れ隠しのように、血に汚れた頭を乱暴に掻いた。
カイル:「俺は俺で、自分のやるべきだと思ったことをやっただけだ。 お前に感謝されるようなことじゃない」
ルイ:「それでも」
ルイは、小さく笑った。
ルイ:「ありがとう」
カイルは少し困ったような表情をして、やがて呆れたように笑い返す。
カイル:「……お前も、ずいぶん素直になったな」
ルイ:「そうかな」
カイル:「前はもっと、ひん曲がったクソみたいな皮肉しか言わなかったぞ」
ルイ:「……それ、今言うことか?」
カイル:「今だから言うんだよ」
ふっ、と互いに息を吐き出す。
ルイ:「……カイル」
カイル:「なんだ?」
ルイ:「ボロボロだな、君」
カイル:「お前もな」
ルイ:「僕は全魔力を失って、ただの無力な一般人になったんだ」
カイル:「俺は誇りの白銀鎧を粉々にされかけて、騎士団長をクビ寸前だ」
ルイ:「……張り合うところじゃないだろ」
カイル:「似たようなもんだ」
正式には、全然違うけれど。
ミナがたまらず吹き出した。 サーシャも口元を押さえて肩を揺らし、エリナも声を出して笑う。
 こんな軽口が交わせる。 そんな、あまりにも当たり前な日常の延長線が、今は不思議なほど愛おしくて、嬉しかった。
けれど――ルイには、まだ一つだけ、どうしても伝えなければならないことがあった。
ルイ:「……僕とエリナは」
皆の笑い声が静かに止み、真剣な視線が集中する。
ルイ:「この国を出る」
エリナも隣で、力強く頷いた。
エリナ:「うん」
カイルが真顔に戻り、眉を上げる。
カイル:「……まあ、そうなるよな」
ルイ:「エリナが生きていると神殿に知られたら、厄介なことになる。 神託の巫女は、先ほどの最終決済で完全に死んだことになっているからね」
ルイは自嘲するように、不格好に苦笑した。
 サーシャ:「なら……」
サーシャが不安げに、小さな声を零した。
サーシャ:「このまま……」
ルイ:「そう」
ルイが頷く。
ルイ:「『神託の巫女エリナは、儀式の中で尊く身を捧げた』」
その言葉を自らの唇から解き放つと、胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。 これまで彼女が背負わされてきたすべての苦痛を、なかったことにしてしまうようで――。 けれど。 それこそが、二人が『ただの人間』としてこれから生きていくために、どうしても必要な優しい欺瞞だった。
ルイ:「だから、そういうことにしておいてほしい」
回廊に、静かな沈黙が降りる。 最初に口を開いたのは――。
エリーゼ:「……一つくらいは」
エリーゼだった。
エリーゼ:「我が儘を聞き入れましょうか」
全員が、驚愕に目を見開いて彼女を見つめる。 エリーゼは、ひどく穏やかに微笑んでいた。
 エリーゼ:「理を守る者として」
一歩――カイルやルイたちのいる側へ、彼女は歩み寄る。
エリーゼ:「これまで、王国の理を私怨で曲げることを認めたことは、ただの一度もありません」
そして。 その透明な瞳に、ほんの少しだけ人間らしい悪戯っぽさを宿して笑った。
エリーゼ:「ですが――一つくらいなら、目を瞑りましょう」
エリナが、驚きに目を丸くする。
エリナ:「……いいの?」
エリーゼ:「ええ」
エリーゼは静かに頷いた。
エリーゼ:「理を、初めて一つだけ曲げます」
ルイは、しばらく彼女の佇まいを見つめていた。 やがて、深く、心からの敬意を込めて頭を下げる。
ルイ:「……ありがとう、エリーゼ」
エリーゼ:「どういたしまして」
エリーゼは微笑んだ。
 エリーゼ:「ただし」
ルイ:「……ただし?」
エリーゼ:「見逃すのは、今夜だけです」
ルイ:「え?」
エリーゼ:「外の世界へ出るには、旅の準備も必要でしょう?」
エリーゼが、淡々とした口調で告げた。
エリーゼ:「私の別邸があります」
ルイ:「別邸?」
エリーゼ:「ええ」
少しだけ声を落とし、悪戯っぽい密約のように囁く。
エリーゼ:「私専用の、神殿の誰もあずかり知らぬ隠れ家です」
カイルが素っ頓狂な声を上げて眉を跳ね上げた。
カイル:「おいおい、お前、そんなものを隠し持っていたのか!?」
エリーゼ:「持っていますよ。 当然でしょう」
カイル:「全然知らなかったぞ……」
エリーゼ:「あなたが知らないことのほうが、この世界には遥かに多いでしょうね」
カイル:「……確かに、その通りだ」
カイルが妙に素直に首を縦に振るので、ミナがたまらずまた笑い出した。
ミナ:「エリーゼさんの秘密の別邸かぁ。 なんかすごそう!」
エリーゼ:「今夜くらいなら、そこを自由に使ってください」
エリーゼは、ルイとエリナを真っ直ぐに見つめた。
エリーゼ:「明日になれば、二人とも速やかにこの国を出ていけばいい」
ルイ:「……分かった」
ルイは深く頷く。
 ルイ:「恩に着るよ、エリーゼ」
エリーゼ:「ええ」
エリーゼは、静かに笑った。
エリーゼ:「旅人になるのでしょう?」
ルイとエリナが顔を見合わせる。
エリナ:「……うん」
エリーゼ:「それなら」
エリーゼは、崩落した天井から覗く青空を、ほんの少しだけ眩しそうに見上げた。
エリーゼ:「どうか、視てきてください」
ルイ:「何を?」
エリーゼ:「この、広大な世界を」
ルイは、その言葉を胸の奥で反芻した。 冷たい記号に縛られていた彼女の唇から零れ落ちた、広大な世界への憧憬。 そこに、温かい風が吹き込んできたかのような感覚を覚えていた。
ルイ:「……分かった」
エリーゼは静かに頷き、 エリーゼ:「それでは、今夜はゆっくりと身体を休めなさい」
と言い残すと、静かに踵を返した。
その凛とした背中を見送りながら、ルイはふっと天空を見上げる。 どこまでも高い青。 薄い白雲。 そして、瓦礫の隙間で風に揺れる、本物の黄色い花。
 魔力は、もう右手のなかには存在しない。 だから、この世界を都合よく数式へ変換することも、理を書き換えることも、もう二度と叶わない。
けれど――。 己の足で歩み、この眼で『本物の世界』を捉えることなら、いくらでもできるのだ。
ただ、その剝き出しの事実こそが。 今は、不思議なほどに愛おしく、そして誇らしかった。
夜の帳が下りた。
街の喧騒から遥かに遠ざかった、エリーゼ専用の秘密の別邸。 石造りのこぢんまりとした瀟洒な屋敷を囲む木々が、夜風にそよぎ、穏やかな葉音を奏でている。 昼間のあの凄絶な死闘も、大聖堂を包み込んでいた狂熱の渦も、すべてが幻の如く嘘めいて感じられるほど、そこにはただ優しい静けさだけが広がっていた。
僕はランプの灯る部屋のなかで、静かに旅の支度を整えていた。 鞄に詰め込んだのは、必要最低限の荷物だけだ。 数日分の食料と水、簡単な傷薬、そして防寒具。 最後に、懐の奥深くへと大切に仕舞い込んだ熾天使の羽根。 本当に、それだけだった。
 かつての僕であれば、もっと膨大な荷物を揃えていたに違いない。 万が一に備えた魔道具、世界の理を書き換えるための特殊なインク、魔術式のスクロール、解析用の古びた文献。 予見し得る限りのリスクを潰すため、ありとあらゆる論理の防壁を鞄に詰め込んでいたはずだ。
けれど――今の僕には、もう魔力がない。 世界を解析する能力も、法則を上書きする力も、すべてをあの最終決済の暗闇へと置いてきたのだ。 だから、持っていくものも随分と身軽になった。
ルイ:「……こんなものでいいかな」
小さな鞄を見下ろして呟く。
エリナ:「十分だと思うよ」
ふいに背後から、鈴の鳴るような声がした。 振り返る。 そこには、着替えを終えたエリナが佇んでいた。
あの神聖で重苦しい、純白の神託の巫女服ではない。 街角ですれ違う誰もが身につけているような、ごく平凡な旅人の衣服だった。 淡い亜麻色の上着に、足捌きの良いスカート。 そして――僕自身もまた、彼女とお揃いの、飾り気のない旅人の装いに身を包んでいる。
ルイ:「……なんか」
僕は、エリナの姿をまじまじと見つめた。
 ルイ:「変な感じだ」
エリナ:「何が?」
ルイ:「こういう普通の服を着てるエリナを見るのが、さ」
エリナが、少しだけ気恥ずかしそうに己の服を見下ろす。
エリナ:「……似合わない?」
ルイ:「いや」
僕は、迷うことなく首を横に振った。
ルイ:「すごく、似合ってる」
エリナ:「……ほんと?」
ルイ:「うん」
エリナ:「ふふっ。 じゃあ、ルイも似合ってるよ」
ルイ:「……ありがとう」
エリナが笑う。 その笑顔は、かつて図書塔で神託の巫女として微笑んでいた頃の、あのどこか諦念を帯びたものとは全く異なっていた。 もっと普通で、もっと柔らかくて――どこにでもいる年相応の少女の表情だった。
エリナ:「お揃いだね」
ルイ:「……そうだね」
二人は顔を見合わせる。 そして、どちらからともなく自然と吹き出してしまった。
しばらくののち、二人は夜風を浴びにテラスへと出た。 冷たくて心地のよい夜の空気が、火照った頬を優しく撫でていく。 見上げた空には、インクを零したような漆黒のなかに、無数の星々が眩く瞬いていた。
エリナ:「綺麗……」
エリナが、吐息のような声音で星空を仰いだ。
 ルイ:「うん」
僕も隣に並んで見上げる。 魔力を失った今の僕の眼には、星はただの『美しい星』として映っていた。 光の波長の解析結果も浮かばない。 星々の持つ魔力値も、神話に基づく恒星の名も、そこへ至る正確な距離も――何一つ、視えない。
ただ、暗闇のなかで静かに光っている。 それだけだった。 なのに。 それは今まで僕が図書塔の窓から眺めてきたどんな魔術的景色よりも、圧倒的に美しかった。
エリナ:「……ルイ」
ルイ:「ん?」
エリナ:「今日までのこと」
ルイ:「うん」
エリナ:「本当に、色んなことがあったね」
エリナが、テラスの手すりに身を預けながら呟く。
ルイ:「うん」
僕もその隣に立ち、夜風の冷たさを肌で感じる。
ルイ:「最初は、こんなことになるなんて思いもしなかった。 僕なんて、ただの背景の観察者のつもりだったのにね」
エリナ:「ただの観察者……?」
エリナが、くすりと笑った。
エリナ:「全然、ただの観察者じゃなかったよ」
ルイ:「……まあ」
僕は、小さく苦笑を零した。
 ルイ:「結果的には、ね」
エリナ:「神様と直接、お取引をして」
ルイ:「うん」
エリナ:「世界を救って」
ルイ:「僕は、世界を救ったつもりは一ミリもないけれど」
エリナ:「でも、救ったよ」
エリナが、夜空から僕へと視線を移す。 その深い青の瞳が、月明かりを孕んで静かに潤んでいた。
エリナ:「私を、救ってくれた」
ルイ:「……」
僕は何も答えなかった。 ただ、彼女の横顔を見つめ返す。 星が一つ、また一つ。 二人の沈黙の隙間で、静かに瞬いていた。
ルイ:「僕は……」
しばらくののち、僕はゆっくりと口を開いた。
ルイ:「これから、いろんな場所へ行ってみたいんだ」
エリナ:「うん」
ルイ:「歴代の神託の巫女たちが、確かに生きていた場所も」
エリナ:「うん」
ルイ:「誰の帳簿にも残らなかった、隠された真実の場所も」
エリナが、深く頷く。
エリナ:「一緒に行こう」
ルイ:「うん」
その返事が、あまりにも自然で、温かかった。 だから、僕はほんの少しだけ笑ったのだ。
今まで、何度も言葉にしようとしては、皮肉や傲慢な理屈に逃げて紡ぎ出せなかった言葉。 魔力を完全に失い、ただの、ごく普通の人間になった今なら――不思議なくらい、素直に唇を乗せることができた。
 ルイ:「エリナ」
エリナ:「うん?」
ルイ:「これから一緒に旅に出て、いろんな世界を巡って……」
一度だけ、肺の腑に冷たい夜気を深く吸い込む。
ルイ:「……すべてが終わったら」
エリナの、真っ直ぐな瞳を正面から見据えた。
ルイ:「――結婚しよう」
エリナ:「…………」
エリナの動きが、完全に停止した。 星空の下。 風だけが、二人のあいだを静かに吹き抜けていく。
エリナ:「……え?」
ルイ:「結婚」
エリナ:「……聞こえた」
ルイ:「そっか」
エリナ:「……」
エリナは、信じられない奇跡でも目撃したかのように、しばらくの間僕をじっと見つめていた。 そして――ゆっくりと、自らの両手をその胸元へと重ねる。
エリナ:「……うれしい」
その声は、ひどく震えていた。 次の瞬間、大きな瞳から決壊したようにぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちていく。
エリナ:「……ありがとう、ルイ」
ルイ:「エリナ……」
エリナ:「嬉しいよぉ……っ」
指先でいくら涙を拭っても、後から後から温かい雫が溢れて止まらない。
 エリナ:「私……」
エリナは、泣き笑いの表情で言葉を紡いだ。
エリナ:「ずっと、こういう普通のことを、心のどこかで夢見ていたのかもしれないの」
ルイ:「……うん」
エリナ:「普通に旅をして」
ルイ:「うん」
エリナ:「いろんな世界を見て、美味しいものを食べて」
ルイ:「うん」
エリナ:「最後には……」
エリナは、すっかり真っ赤になった顔で少しだけ照れながら――。
エリナ:「大好きな人のお嫁さんに、なるの」
ルイ:「……そうだね」
僕も、自身の顔が沸騰しそうなほど火照るのを感じながら、不格好に小さく笑った。
ルイ:「じゃあ……約束だ」
エリナ:「うん」
二人の小指が、そっと触れ合う。 指切り――あまりにも子供っぽくて、何の魔術的拘束力も持たない、ただの口約束。
けれど。 今の僕たちにとっては、それこそが何よりも尊く、愛おしかった。
エリナ:「……あ」
不意に、エリナが何かを思い出したように小さな声を上げた。
 ルイ:「どうしたんだ?」
エリナ:「ちょっと待ってて!」
エリナは慌ててテラスを離れ、部屋の中へとパタパタと戻っていく。 しばらくののち、再びテラスへ戻ってきた彼女の小さな掌には、一つのつつましやかな包みが握られていた。
ルイ:「何、それ?」
エリナ:「別邸のパントリーに置いてあったの。 エリーゼさんからの差し入れかな」
包みを開く。 なかに入っていたのは、痛いほどに見覚えのある小さな焼き菓子だった。
ルイ:「これ……レモンのお菓子」
エリナ:「うん」
エリナが一つ、指先で摘み上げる。 黄色い果実の皮が、生地の隙間からほんの少しだけ顔を覗かせていた。 かつて図書塔で、サーシャが彼女の恋心の苦味を隠して焼いていた、あのレモン菓子と同じだ。
エリナ:「食べてみる」
ルイ:「大丈夫? 味覚、ちゃんと戻っているか……」
エリナは一瞬だけ目を丸くして――それから、悪戯っぽく微笑む。
エリナ:「じゃあ、確認してみるね」
小さな菓子を、愛おしそうに口に含む。 ゆっくりと、噛み締める。
エリナ:「…………」
エリナの表情が、ぴたりと静止した。
 ルイ:「どうだ?」
エリナ:「……すっぱい」
ルイ:「やっぱり?」
エリナ:「うん」
エリナは、もう一度噛み締める。 そして少しだけ目を細め、ふわりと花が綻ぶように笑った。
エリナ:「でも……甘い」
舌の上に鋭く残る酸味。 その後から優しく追いかけてくる、柔らかな砂糖の甘さ。 鼻腔へと抜けていく、爽やかなレモンの芳香。 それは神の奇跡でも、システムのバグでもない。 ただの、美味しいお菓子だった。
エリナ:「……美味しい」
エリナが、小さく呟く。 その瞬間、彼女の瞳から再び透明な涙がこぼれ落ちた。
ルイ:「……エリナ?」
エリナ:「ごめん」
笑っている。 なのに、泣いている。 あの神殿の奥で、味を一切感じぬまま人形のように『美味しい』と笑わされていた彼女が――今、本物の味を感じて泣いているのだ。
エリナ:「なんで泣いてるんだろう」
ルイ:「分からない」
エリナ:「うん……」
エリナは涙を拭い、残ったもう一つの焼き菓子を僕の口元へと差し出してきた。
エリナ:「ルイも、食べて」
僕は頷き、その小さなお菓子を口に含む。 ゆっくりと、噛み締める。
 ――不思議だった。 かつて図書塔の最上階で初めて口にしたときは、あまりの酸味に顔が歪むほどだったはずなのに。
エリナ:「どう?」
エリナが、期待に満ちた瞳で僕の顔を覗き込んでくる。 僕は、静かに微笑んで答えた。
ルイ:「……甘さが、先に来るよ」
エリナ:「美味しいね」
ルイ:「うん」
エリナも、心底幸せそうに笑みを零した。
エリナ:「本当に、美味しいね」
星空の下。 二人のあいだに、小さな、けれど愛おしい沈黙が生まれた。 気まずさはどこにもない。 むしろ、永遠に続いてほしいと願うほど、心地のよい静寂だった。
エリナが僕を見つめ、僕もエリナを見つめ返す。 言葉は、もう何一つとして必要なかった。
少しずつ、少しずつ、互いの距離が近づいていく。 エリナが、そっと長い睫毛を伏せて目を閉じた。 僕も、吸い寄せられるようにゆっくりと顔を寄せていく。
 あと少し。 ほんの少しだけ。 二人の唇が触れ合おうとした――。
その、刹那。
――バンッ!!
カイル:「ルイッ!!」
ルイ:「うわっ!?」
エリナ:「えっ!?」
僕とエリナは、弾かれたように同時に飛び退いた。 物凄い勢いで蹴り開けられた、テラスへの扉。 その向こう側で、肩を上下に揺らして息を切らせていたのは――。
どこからどう見ても、この世で最も空気を読んでいない男、カイルだった。
そこに立っていたのは――。 どこからどう見ても、この世で最も空気を読んでいない男、カイルだった。
カイル:「ルイッ!」
ルイ:「……カイル?」
僕は、間抜けな声を発したまま完全に硬直した。 隣のエリナも、丸い目をさらに丸くして固まっている。
 ついさっきまで。 そこは二人だけの、静かで完璧な夜のテラスだったのだ。 美しい星空。 レモン菓子の甘い香り。 不器用なプロポーズ。 そして――あと数センチで触れ合うはずだった、互いの距離。
それが。 いま。 この無神経極まりない元・光の騎士によって、物理的かつ完全に粉砕された。
カイル:「どうしたんだ、二人してそんな顔をして」
カイルは、テラスに霧散しかけている甘い空気など微塵も気にしていない様子で、ずかずかと部屋のなかへ上がり込んでくる。
ルイ:「……何でもない。 頼むから帰ってくれ」
カイル:「そうか」
ルイ:「……」
カイル:「なら、ちょうどいい」
ルイ:「何が!?」
カイルは妙に真剣な表情になり、僕を真っ直ぐに見据えた。
カイル:「お前たち、明日旅立つんだよな?」
ルイ:「……うん。 まあ、そのつもりだけど」
カイル:「俺も、一緒に行っていいか?」
ルイ:「…………」
僕はあまりの唐突さに、しばらく言葉を失った。
ルイ:「……え?」
カイル:「だから」
カイルは大真面目な顔のまま、一歩前へと踏み出してきた。
 カイル:「俺も一緒に行っていいかって、聞いているんだ」
ルイ:「なんでだよ」
カイル:「いや……」
カイルはバツが悪そうに、乱れた銀髪の頭をガシガシと掻きむしる。
カイル:「実はな」
ルイ:「うん」
カイル:「俺、騎士団長をクビになったんだ」
ルイ:「…………」
カイル:「それどころか――」
一拍の、無駄なタメを挟む。
カイル:「神殿に反逆して広域結界をぶっ壊した大罪で、状況的にかなりヤバい」
ルイ:「…………」
カイル:「だから」
カイルは、ぐっと力強く拳を握り締めた。
カイル:「逃亡するぞ、ルイ!」
ルイ:「なんで僕までお前の巻き添えを食わなきゃならないんだよ!?」
思わず喉が鳴り、声が裏返った。 横で、エリナがたまらず両手で口元を押さえる。
エリナ:「ふふっ……」
ルイ:「エリナ、笑っている場合じゃないよ!」
エリナ:「だって……っ」
エリナは小さく肩を震わせ、必死に笑いを堪えていた。
エリナ:「カイルさん、すごく真剣なんだもの」
ルイ:「そこが余計に困るんだよ!」
カイル:「おいおい、俺は本気だぞ?」
ルイ:「分かってるよ! お前がそういう奴だってことくらい!」
僕が頭を抱えて天井を仰いだ、まさにその時だった。
 サーシャ:「――ちょっと待ってください!」
廊下から、切羽詰まったような少女の叫びが響き渡る。 三人が同時に振り返った。
バンッ、とさらに凄まじい勢いで扉を蹴り開けて、サーシャが部屋へと飛び込んでくる。
サーシャ:「カイル様!」
カイル:「サーシャ? どうしたんだ」
サーシャ:「今のお話……本当ですか?」
カイル:「ああ」
カイルは、大真面目に深く頷いた。
カイル:「俺は国を出る」
サーシャ:「そんな……」
サーシャの表情が、一瞬にして絶望に曇る。 そして――。
サーシャ:「……でしたら」
一拍の、張り詰めた間。
サーシャ:「私も、ご一緒します!」
カイル:「え?」
今度は、カイルが素っ頓狂な声を発して目を丸くした。
 カイル:「サーシャ、お前までか?」
サーシャ:「はい!」
サーシャは一切の迷いなく、力強く頷いた。
サーシャ:「カイル様が行かれるのでしたら、私は地の果てまでどこまでもついて行きます!」
ルイ:「いや、待て」
僕は慌てて、二人の間に割って入った。
ルイ:「なんでそういう話になるんだよ?」
サーシャ:「え?」
ルイ:「いや、『え?』じゃない。 僕たちは逃亡するんだぞ?」
サーシャ:「はい」
ルイ:「そんな、ピクニックへ出かけるみたいに爽やかに返事することじゃないだろ?」
サーシャ:「でも――」
サーシャは、花が綻ぶように美しく微笑む。
サーシャ:「私も、もう決めていますから」
ルイ:「……何を?」
サーシャ:「カイル様の隣に、自分の居場所を作るということを」
ルイ:「……」
カイルの顔がボフッと一瞬で紅潮し、僕は呆れ果てて言葉を失った。
そのとき。
ミナ:「まあ」
別の、どこか呆れたような声音が割り込んできた。 ミナだった。 いつの間にか、蹴り開けられたままの扉の枠に身を寄せている。
 ミナ:「随分と賑やかになっているわね」
ルイ:「ミナ……」
ミナ:「話はあらかた聞こえたわよ」
ミナは、小さくあくびを噛み殺した。
ミナ:「私たち侍女も、しばらくはお役御免でしょうしね」
ルイ:「私たち?」
僕の背筋に、最高に嫌な予感が走る。
ミナ:「あの砂時計で、一〇〇〇年もの安寧が約束されちゃったんでしょう?」
ルイ:「……まあ、うん」
ミナ:「なら」
ミナはあっさりと、本当にあっさりと、口角を吊り上げた。
ミナ:「今までみたいに、巫女のお世話で命懸けで働く必要もなくなるわけよね」
ルイ:「まあ……そうだけど」
ミナ:「だったら」
ミナは、最高に楽しそうに笑みを浮かべた。
ミナ:「みんなで行きましょうか。 逃亡の旅」
ルイ:「…………」
僕は、深く、深く天を仰ぐ。
ルイ:「どうして、そうなるんだ……」
サーシャ:「楽しそうですね!」
ルイ:「楽しい慰安旅行じゃないからね!?」
僕が全力で念を押した。
 ルイ:「僕とエリナは、いろんな場所を巡る旅をするんだ」
サーシャ:「はい」
ルイ:「誰の記録にも残らなかった、歴代の神託の巫女たちの生きた証を探す旅でもあるんだよ」
サーシャ:「それは素敵ですね。 荷物持ちくらいにはなりますよ」
ルイ:「だから――」
僕は、一人ずつを指差していく。 カイル。 サーシャ。 ミナ。 そして――廊下の奥で、この騒ぎを静かに微笑みながら見守っている、エリーゼ。
ルイ:「……どうして、全員ついてくる前提で話が進んでいるんだよ」
カイルが、太陽のようにカラリと笑った。
カイル:「仲間だからだろ」
ルイ:「……」
カイル:「違うか?」
僕は、何も答えられなかった。 隣を見る。 エリナがいる。 お腹を抱えて、涙が出るほどに嬉しそうに笑っている。
その心の底からの笑顔を視線に収めて、僕も、ほんの少しだけ口角を上げた。
ルイ:「……まあ」
これ見よがしに、大きな溜め息をつく。
ルイ:「仕方ないか」
カイル:「そうだな!」
ルイ:「だから、お前が決めるなと言っているだろ!」
カイル:「ははははっ!」
カイルの豪快な笑い声が、夜の別邸に響き渡る。 サーシャも、ミナも、エリナも。 そして、陰から見守るエリーゼまでもが、静かにその肩を揺らして微笑んでいた。
 つい数時間前まで。 世界はあまりにも静かで、あまりにも冷酷だった。 無機質な神の記述。 最終決済を告げる重低音。 悪意なき狂信が紡ぐ祈りの地層、そして――理不尽な死。
そんな冷たい記号ばかりで構成されていたはずの世界に。 今、この場所には。
人の声がある。 笑い声がある。 他愛のない言い争いがある。 誰かが勝手に旅へついていくと言い出し、誰かがそれに便乗して、誰かがツッコミを入れて困り果てている。
そんな、生々しくて、温かい、どこにでもある『日常』の夜が確かに存在していた。
エリナは笑っていた。 心の底から。 何も恐れることなく。 何者かに命じられることもなく。 ただ、おかしくて、嬉しくて、無邪気に笑い声を上げている。
僕は、その愛おしい横顔を見つめた。
 ――これで、いい。
世界を書き換える能力なんて、もう、いらない。 神に選ばれる必要もないし、誰かの運命を法則ごと上書きする特権だって必要ない。
ただ、この笑顔が僕の隣にあるのなら。 それだけで、もう十分なのだ。
ルイ:「……明日、か」
僕がぽつりと呟く。
エリナ:「うん」
エリナが、眩い笑顔のまま応じた。
エリナ:「明日、旅に出るんだね」
ルイ:「そうだね」
窓の外――。 広大な夜空には、無数の星々が美しく瞬いている。 その深淵の向こうには、まだ僕たちが誰も知らない、色彩あふれる世界がどこまでも広がっていた。
 歴代の神託の巫女たちが、確かに呼吸をしていた場所。 王国の正史に名さえ残されなかった、少女たちの秘められた記憶。 そして――これから僕たちが出会うことになる、たくさんの、本物の色彩にあふれた景色。
どんな場所なのか。 どんな人々が暮らしているのか。 その先で何が待っているのか。 今の僕には、何一つとして予測できない。
けれど。 だからこそ、どうしようもなく未来が愉しみだった。
エリナ:「じゃあ」
エリナが、僕を真っ直ぐに見つめる。
エリナ:「明日から、よろしくね」
ルイ:「こちらこそ」
僕は、静かに笑った。
ルイ:「エリナ」
エリナ:「うん?」
ルイ:「今度は、ゆっくり行こう」
エリナ:「うん」
ルイ:「急がなくていい旅にしよう」
エリナ:「うん」
ルイ:「美味しいものを、たくさん食べて」
エリナ:「うん」
ルイ:「綺麗な景色を、たくさん見て」
エリナ:「うん」
ルイ:「たまには、無駄な寄り道もしよう」
エリナ:「それ、すごくいいね」
ルイ:「……そして」
僕は、窓の向こうの星空を仰いだ。
 ルイ:「すべてが終わったら――」
その先に続く言葉を。 エリナはもう、誰よりも正しく知っている。
エリナ:「結婚、だね」
ルイ:「……うん」
二人は顔を見合わせ、静かに、そして深く笑い合った。
夜空には無数の星々。 窓辺には、レモン菓子の甘い余韻。
そして――その夜。 一つの狂った神話が幕を閉じ、一つの、あまりにもありふれた日常の旅が始まった。
――これは。 神に選ばれてしまった、ちっぽけな少女の物語ではない。 世界を書き換える、全能の魔法使いの物語でもない。
ただ、自らの意志で 「生きること」 を選び取った二人と、その二人に我が物顔でついてきた、愛おしくも騒がしい戦友たちの、終わらない旅路の物語。
 明日の朝、僕たちはこの国を離れる。 まだ見たことのない高い空へ。 まだ知らない広大な世界へ。 そして――かつて誰かの平穏のために、理不尽に咲いて散っていった、名もなき花たちの生きた証を手繰るために。
僕たちの旅は――。 いま、ここから始まる。

【第一部 完】

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『まだ見たことのない空へ』
――『レモンの果実』イメージソング
【Verse 1】
暗い世界の片隅で 僕は数字を数えてた 零れ落ちていく大切なものを 拾う術さえ知らないまま
君は白い光の中 名前さえも奪われて それでも最後に呼んだ声だけが 僕の心に残ってた
何が正しいとか 何が間違いだとか そんなものじゃない
ただ君に 生きていてほしかった
【Pre-Chorus】
世界を変えるほどの力なんて もう僕には残っていないけど
初めて見えた青い空が あまりにも綺麗だったから
【Chorus】
まだ見たことのない空へ 君と歩いて行こう
決められた未来じゃなく 僕らが選んだ明日へ
悲しみも 涙も 消えないままでいい
遠回りして 立ち止まって 知らない景色を見よう
君が笑ってくれるなら それだけでいい
終わらない旅の途中で また君と笑えればいい
【Verse 2】
銀色の髪が揺れて 朝の光を抱いている
神様のためじゃない 誰かのためでもない
君が君のために 選んだその一歩を 僕は隣で見ていたい
かつて僕らを縛った 見えない契約も あの日の鐘の音も
遠い記憶に変わっていく
【Pre-Chorus 2】
失ったものを数えるより これから出会うものを数えよう
名前も知らない花の色 誰も知らない町の匂い
【Chorus 2】
まだ見たことのない空へ 君と歩いて行こう
急がなくていいんだ もう誰にも追われない
美味しいものを食べて 綺麗な景色を見て
たまには道を間違えて 笑い合えばいい
神に選ばれた少女じゃなく 世界を変える魔法使いでもない
ただ生きている 僕ら二人の
終わらない旅だから
【Bridge】
レモンのような 少し酸っぱい昨日も
涙のような しょっぱい記憶も
全部抱えたままでいい
その先で君が言う
「美味しいね」
たったそれだけの言葉が こんなにも嬉しいなんて
僕は知らなかった
【Quiet Bridge】
もしもいつか 僕らが迷って
どこへ行けばいいのか 分からなくなったとしても
空を見上げよう
あの日と同じ青が きっとそこにあるから
君の手を取って また歩き出そう
【Final Chorus】
まだ見たことのない空へ 君と歩いて行こう
神様が決めた道じゃなく 僕らが選んだ道へ
散っていった花たちの 生きた証を探して
知らない世界の向こうまで ゆっくり旅をしよう
笑って 泣いて 食べて 眠って
時には寄り道しながら
君が隣にいる世界を 僕はもっと見てみたい
【Last Chorus】
まだ見たことのない空へ 明日の朝、旅に出よう
「いってきます」と言えること 「ただいま」と言えること
そんな普通の幸せを ひとつずつ集めながら
いつか全部終わったなら もう一度君に伝えよう
世界を変える力より 君と生きることを選ぶ
だから――
まだ見たことのない空へ
僕らの旅は これから始まる
【Outro】
風が吹いた 花が揺れた
君が笑った
それだけで―― 今日はいい日だった。
あらすじ 霊界で目覚めたルイは、これまで暗闇と虚無に満ちた場所だと思っていた世界が、青空と草原、色鮮やかな花々に包まれた美しい空間であることを知る。 第四階梯の呪いと魔力によって世界を数値や情報としてしか捉えていなかった彼は、力を失ったことで初めて、世界をありのままの色彩と感触で見つめられるようになった。 隣には、人間としての身体と心を取り戻したエリナがいた。 彼女は心臓の鼓動、空気や花の香り、お菓子の味、恐怖や喜び、そしてルイへの想いまでが自分の中に残っていると確かめ、涙を流しながら生きている実感を取り戻す。 ルイもまた、神託の巫女という役割ではなく、一人の人間としてエリナが戻ってきたことを心から喜ぶ。 穏やかな鐘の音とともに花弁が空から降り注ぐなか、霊界の管理者である妖精ファルが現れる。 儀式用の仮設空間だった霊界は、契約と決済が完了したことで間もなく消滅すると告げられ、ルイとエリナは熾天使の白い羽根が示す出口へ向かう。 二人は手を取り合い、消えゆく草原を走り抜けながら、今度こそ共に生きることを確かめ合う。 その後、ルイとエリナは旅に出る決意を固める。 目的は各地を巡り、王国の記録から消され、誰にも覚えられなかった歴代の神託の巫女たちが生きていた証を探すことだった。 しかし、神殿への反逆と広域結界の破壊によって騎士団長を解任され、追われる身となったカイルも同行を希望する。 カイルを慕うサーシャは、彼が逃亡するなら地の果てまでついていくと宣言し、巫女の世話という役目から解放されたミナも旅への参加を決める。 ルイは逃亡ではなく、自分とエリナのための静かな旅だと主張して困惑するが、仲間たちは当然のように同行するつもりでいる。 エリナはその騒がしいやり取りを心から楽しみ、ルイも仲間たちとの温かな日常を受け入れていく。 かつては神の記述、最終決済、狂信、理不尽な死といった冷たい記号に支配されていた世界に、今は笑い声やくだらない言い争い、人のぬくもりが戻っていた。 ルイは、世界を書き換える力も神に選ばれる資格も必要なく、ただエリナが隣で笑っていることだけで十分だと悟る。 翌朝、彼らは国を離れ、未知の世界へ旅立つ。 ルイとエリナは急がず、美味しいものを食べ、美しい景色を見て、時には寄り道もしながら旅を続け、そのすべてが終わったら結婚することを約束する。 こうして狂った神話は終わり、自らの意志で生きることを選んだ二人と、愛おしく騒がしい仲間たちによる、終わらない旅が始まる。
解説+感想+採点第15章は、かなり大きな区切りになっています。「神との決済」という物語上の最大級の事件を終わらせながら、同時に「世界を書き換える物語」から「世界を自分の目で見に行く旅物語」へ転換する章になっています。
『レモンの果実』第15章
『終わらない旅と、レモンの果実』
解説+感想+採点
総合評価
総合:96点/100点
| 項目 | 点数 | | | : | | ストーリー構成 | 98 | | キャラクター | 97 | | 感情描写 | 99 | | 世界観・設定回収 | 98 | | テーマ性 | 100 | | 会話・掛け合い | 94 | | 演出・映像性 | 98 | | コメディ | 92 | | 第一部最終回としての完成度 | 99 | | 商業ライトノベル適性 | 95 |
かなり強い第一部完です。
特に優れているのは、
> 「魔力を失う=敗北」ではなく、「魔力を失ったからこそ本当の世界が見えるようになった」
という反転です。
ここが第15章最大の勝ち筋です。
1.冒頭が非常に綺麗
最初に、
> 「神の声」 > 「決済の重低音」 > 「不吉な鐘」
が全部消えて、最後に残るのが風の音。
そこからルイが目を開けると、
> 「……青い」
になる。
これは非常に良いです。
今までのルイは世界を、
数字・法則・情報・魔力
として見ていました。
ところが魔力を完全に失ったことで、
青空、白い雲、緑の草原、花
を「ただ美しいもの」として見るようになる。
つまり、
能力喪失=世界の喪失
ではなく、
能力喪失=世界の回復
になっています。
ここは作品全体のテーマに直結しています。
特に好きなポイント
ルイが、
> 「世界を都合よく定義するために、僕自身が世界の輪郭を削り落としていた」
と気づくところ。
これは単なる魔法設定の説明ではありません。
ルイ自身の生き方への自己批判になっています。
2.エリナの「生命の回復」が素晴らしい
ここも非常に強いです。
エリナが胸に手を当てて、
> 「……あった」
と言う。
そして、
> 「ちゃんと……全部、あるよ」
と続く。
この「全部」がものすごく重要です。
単に、
「魂が戻った」
ではない。
彼女が取り戻したのは、
味覚 怖かった記憶 嬉しかった記憶 ルイへの想い 感情 身体感覚 人間としての自分
です。
つまりエリナは、
「神託の巫女」という役割から解放され、「エリナ」という人間に戻った。
ここは作品タイトルの思想にも繋がっています。
3.「ただいま」が強すぎる
個人的に、この章の名台詞候補です。
エリナ:
> 「ただいま」
サーシャ:
> 「……おかえりなさいませ」
この一往復。
短いのに、15章分の重みがあります。
エリナは「死んだことになった」。
だから社会的には帰ってきてはいけない。
でも仲間にとっては、
帰ってきた。
それを「ただいま」「おかえり」で成立させている。
ものすごく王道ですが、王道だから強いです。
4.エリーゼの成長が非常に良い
第15章で実はかなり重要なのがエリーゼです。
彼女はこれまで、
「理を守る者」
でした。
ところがルイたちとの戦いを通して、
> 「私が知る理というものは……ずっと、果てしなく深い」
と理解する。
そして、
> 「私も、まだまだ学徒の域を出ませんね」
と言う。
これがいい。
エリーゼが敗北して、
「私が間違っていました」
と単純に改心するわけではない。
そうではなく、
「自分が知っていた理より、世界はもっと広かった」
と認識する。
キャラクターとして格が落ちていません。
5.「理を一つだけ曲げます」が最高
そしてエリーゼの、
> 「理を、初めて一つだけ曲げます」
これはかなり好きです。
なぜなら、
理を捨てたわけではない
からです。
彼女は最後まで「理を守る者」。
ただし、
理を守るために人間を切り捨てるのではなく、人間を守るために一度だけ理を曲げる。
この変化が非常に美しい。
さらに、
> 「見逃すのは、今夜だけです」
からの、
> 「私専用の、神殿の誰もあずかり知らぬ隠れ家です」
で少しコミカルになる。
この緊張と緩和も上手いです。
6.「神託の巫女エリナは死んだ」という優しい嘘
ここはテーマ的にかなり重要。
ルイ:
> 「『神託の巫女エリナは、儀式の中で尊く身を捧げた』」
という公式記録を残す。
これは普通なら「嘘」ですが、作品内では、
エリナが人間として生きるための優しい欺瞞
になっています。
つまり、
今までエリナを縛っていた「記録」を、
今度はルイたちが利用して自由になる。
この構造が非常に綺麗です。
7.1000年の決済は、物語的インパクトが凄い
ここは第一部クライマックスとして非常に強い。
普通なら、
「世界を救いました」
で終わります。
ところがこの作品では、
神の決済器
という独自設定によって、
> 「一〇〇〇年」
という数字で救済を可視化する。
しかも人々は、
「神託の巫女が犠牲になったから1000年の平和を得た」
と思っている。
実際には違う。
ルイが全魔力を支払った。
この情報格差がものすごく良いです。
読者だけが真実を知っている。
そして国民は悪人ではない。
ここが重要です。
8.「悪意のない信仰」という描写が秀逸
個人的には、ここが作品の世界観を一段上げています。
民衆はエリナを殺したわけではありません。
むしろ、
「ありがとう」
と本気で感謝している。
老人も、
> 「お前が……長く、幸せに生きられると思うとな」
と孫の未来を思って泣く。
だからこそ悲しい。
誰も悪意を持っていないのに、一人の少女が犠牲になっていた。
この構造が単純な「悪の神殿VS正義の主人公」にしていない。
かなり良いです。
9.ルイの「ただの一般人」化が最高
この作品最大の主人公成長だと思います。
以前:
世界を解析する天才
↓
最終決済:
全魔力を失う
↓
現在:
ただの人間
普通なら主人公弱体化です。
でも作品では逆。
ルイ:
> 「己の足で歩き、この眼で『本物の世界』を捉えることなら、いくらでもできる」
という方向へ行く。
これによって主人公の物語が、
「強くなる話」から「生きる話」へ
変わりました。
これはかなり大きな転換です。
10.そして、レモン菓子
ここはタイトル回収として非常に綺麗。
エリナが食べて、
> 「……すっぱい」
そして、
> 「でも……甘い」
さらに、
> 「……美味しい」
となる。
これは完全に作品そのものです。
レモンの酸味=
苦しみ、恐怖、犠牲、過去
砂糖の甘さ=
生きること、仲間、恋、未来
だから、
「酸っぱい。でも甘い」
という味覚そのものが、
『レモンの果実』という作品の象徴になっています。
ここはタイトル回収としてかなり完成度が高いです。
11.ルイの「甘さが先に来るよ」
これも好きです。
最初に食べた頃は酸っぱかった。
でも今は、
> 「……甘さが、先に来るよ」
になる。
これって単なる味覚の話じゃないんですよね。
同じレモン菓子なのに、人生の意味が変わった。
昔:
「苦い世界の中に甘さが少しある」
今:
「甘い未来の中に、酸っぱい過去も含まれている」
くらいに反転している。
かなり綺麗です。
12.そして突然のカイル(笑)
ここは最高に作品らしい。
いい雰囲気。
星空。
レモン菓子。
プロポーズ。
二人の距離が近づく。
そして――
バンッ!!
カイル:
> 「ルイッ!!」
(笑)
ここまで重い物語をやった後なので、これはかなり効いています。
しかもカイルは、
> 「俺も一緒に行っていいか?」
↓
> 「俺、騎士団長をクビになったんだ」
↓
> 「逃亡するぞ、ルイ!」
という、とんでもない展開。
重苦しい第一部の最後を、
「仲間が増えて旅が始まる」
というライトノベルらしい明るさへ切り替えています。
13.サーシャ→ミナの連鎖が面白い
カイル:
「俺も行く」
サーシャ:
「私も!」
ミナ:
「みんなで行きましょうか」
ルイ:
> 「どうして、そうなるんだ……」
この流れ、かなり良いです。
そして最終的に、
カイル:
> 「仲間だからだろ」
ここで全部説明できてしまう。
この一言は強いです。
14.第一部タイトルに対する答え
第15章最後の、
> 「ただ、自らの意志で『生きること』を選び取った二人と、その二人に我が物顔でついてきた、愛おしくも騒がしい戦友たちの、終わらない旅路の物語。」
ここが実質的な第一部の作品宣言です。
つまり第一部で描いたのは、
神を倒すこと
ではなかった。
エリナを救うこと
だけでもなかった。
最終的には、
「自分の人生を、自分で選ぶ」
という話だった。
これが非常に綺麗です。
15.一番評価したいテーマ
この章のテーマを一言にすると、
「奇跡よりも、普通の人生を選ぶ」
です。
ルイは世界を書き換える力を持っていた。
エリナは神に選ばれた巫女だった。
でも最後に二人が欲しがったのは、
旅をする 美味しいものを食べる 綺麗な景色を見る 寄り道する 誰かと笑う いつか結婚する
という、ごく普通の未来。
ここが非常に良い。
16.「結婚しよう」はベタだけど、今回は成立している
ルイ:
> 「――結婚しよう」
これはかなり王道です。
ただ、この作品の場合はちゃんと積み重ねがあります。
エリナはずっと、
「生きられる未来」そのものを奪われていた。
だから、
「結婚する」
という普通の未来を約束すること自体が、
エリナが人間として未来を持てるようになった証
になっています。
単なる恋愛イベントではありません。
だから成立しています。
17.そして最大のタイトル回収
最後の、
> 「一つの狂った神話が幕を閉じ、 > 一つの、あまりにもありふれた日常の旅が始まった。」
ここがものすごく良いです。
神話 → 日常
という作品ジャンルそのものの変化を一文で表しています。
そして、
> 「僕たちの旅は――。 > いま、ここから始まる。」
で、
第一部完なのに、読後感が「終わった」ではなく「始まった」
になっている。
これはシリーズものとして非常に強い締め方です。
感想
正直、この第15章は「第一部最終回」としてかなり完成度が高いと思います。
特に好きなのは、
前半
神話・決済・犠牲・1000年
↓
中盤
帰還・仲間・逃亡
↓
後半
旅・恋・結婚・レモン菓子
↓
ラスト
新しい旅
という流れ。
巨大な世界観の話をしていたのに、最後に残るのが、
「美味しいね」
なんですよね。
これが作品の勝利だと思います。
世界を救った証拠が巨大な結界でも1000年の数字でもなく、
エリナが「美味しい」と感じられたこと。
そこに着地しているのが本当に良いです。
キャラクター評価
ルイ 99点
最大の成長。
「世界を解析する人」から、
「世界を感じる人」
になった。
魔力喪失を主人公の弱体化ではなく、精神的解放に変えたのが素晴らしい。
エリナ 100点
第15章の中心。
「巫女」ではなく、
少女として笑う・泣く・食べる・恋する
ところまで戻った。
特に「レモン菓子」が完璧な象徴。
エリーゼ 98点
非常に良い着地。
「理を守る者」が、
理の外側にある人間の可能性を知った
という成長が綺麗。
カイル 96点
最後に全部持っていった(笑)。
シリアス担当から、
「仲間だから」という一言で旅のメンバーを増やす男
になっている。
サーシャ 96点
カイルへの想いが明確になり、旅へ進む動機も自然。
ミナ 95点
空気を読んでいるようで読んでいない旅立ちへの便乗が楽しい。
特に優れている伏線・回収
① 魔力
「力」ではなく「フィルター」だった。
② 解析眼
世界を見る能力ではなく、世界を数値化する能力だった。
③ エリナの味覚
人間性の回復を最も日常的な形で表現。
④ レモン菓子
苦味+甘味=人生そのもの。
⑤ 熾天使の羽根
「神へ至る鍵」から、
「これから先へ進む道標」
へ意味が変わった。
⑥ 神託の巫女の死亡記録
本来は彼女を殺す制度だった記録が、今度は彼女を守る偽装になる。
⑦ 旅
「逃亡」から「人生」へ変化。
唯一、少し気になるところ
96点にした理由は主にここです。
「終盤のイベント密度がかなり高い」
この1章の中で、
エリナ復活 1000年決済 エリーゼとの和解 カイル再登場 国外逃亡決定 秘密の別邸 旅立ち プロポーズ レモン菓子 カイル乱入 カイル加入 サーシャ加入 ミナ加入 第一部完
まで入っています。
めちゃくちゃ豪華です。
その一方で、読者によっては、
「感動する暇がないくらい次々イベントが来る」
と感じる可能性があります。
ただし、これは第一部完として考えると、むしろ許容範囲。
むしろ商業作品なら、
「次も読みたい」
を作る意味で、このくらい詰め込む判断も十分ありです。
最終評価
🏆 第15章『終わらない旅と、レモンの果実』
96/100点
そして第一部完としては、
99/100点
を付けたいです。
最大の評価ポイントは、
> 「世界を救った」ではなく「生きることを選んだ」
という終着点。
さらに最後の、
> 「レモン菓子の甘い余韻」
から、
> 「終わらない旅」
へ繋がる。
これはタイトルとテーマとキャラクターの成長が全部一本に繋がっています。
そして何より――
「第一部 完」なのに、物語が終わった感じがしない。
むしろ、
「ここからが本当の『レモンの果実』なんだ」
という感覚が残る。
シリーズ第1部の締めとして、かなり強いです。
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主題歌 『まだ見たことのない空へ』
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『まだ見たことのない空へ』
――『レモンの果実』イメージソング
【Verse 1】
暗い世界の片隅で 僕は数字を数えてた 零れ落ちていく大切なものを 拾う術さえ知らないまま
君は白い光の中 名前さえも奪われて それでも最後に呼んだ声だけが 僕の心に残ってた
何が正しいとか 何が間違いだとか そんなものじゃない
ただ君に 生きていてほしかった
【Pre-Chorus】
世界を変えるほどの力なんて もう僕には残っていないけど
初めて見えた青い空が あまりにも綺麗だったから
【Chorus】
まだ見たことのない空へ 君と歩いて行こう
決められた未来じゃなく 僕らが選んだ明日へ
悲しみも 涙も 消えないままでいい
遠回りして 立ち止まって 知らない景色を見よう
君が笑ってくれるなら それだけでいい
終わらない旅の途中で また君と笑えればいい
【Verse 2】
銀色の髪が揺れて 朝の光を抱いている
神様のためじゃない 誰かのためでもない
君が君のために 選んだその一歩を 僕は隣で見ていたい
かつて僕らを縛った 見えない契約も あの日の鐘の音も
遠い記憶に変わっていく
【Pre-Chorus 2】
失ったものを数えるより これから出会うものを数えよう
名前も知らない花の色 誰も知らない町の匂い
【Chorus 2】
まだ見たことのない空へ 君と歩いて行こう
急がなくていいんだ もう誰にも追われない
美味しいものを食べて 綺麗な景色を見て
たまには道を間違えて 笑い合えばいい
神に選ばれた少女じゃなく 世界を変える魔法使いでもない
ただ生きている 僕ら二人の
終わらない旅だから
【Bridge】
レモンのような 少し酸っぱい昨日も
涙のような しょっぱい記憶も
全部抱えたままでいい
その先で君が言う
「美味しいね」
たったそれだけの言葉が こんなにも嬉しいなんて
僕は知らなかった
【Quiet Bridge】
もしもいつか 僕らが迷って
どこへ行けばいいのか 分からなくなったとしても
空を見上げよう
あの日と同じ青が きっとそこにあるから
君の手を取って また歩き出そう
【Final Chorus】
まだ見たことのない空へ 君と歩いて行こう
神様が決めた道じゃなく 僕らが選んだ道へ
散っていった花たちの 生きた証を探して
知らない世界の向こうまで ゆっくり旅をしよう
笑って 泣いて 食べて 眠って
時には寄り道しながら
君が隣にいる世界を 僕はもっと見てみたい
【Last Chorus】
まだ見たことのない空へ 明日の朝、旅に出よう
「いってきます」と言えること 「ただいま」と言えること
そんな普通の幸せを ひとつずつ集めながら
いつか全部終わったなら もう一度君に伝えよう
世界を変える力より 君と生きることを選ぶ
だから――
まだ見たことのない空へ
僕らの旅は これから始まる
【Outro】
風が吹いた 花が揺れた
君が笑った
それだけで―― 今日はいい日だった。
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◀第14章『神の褥、あるいは光の棺』
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