春の陽光が青々とした阪神の芝を明るく照らし出している。 土の匂いと青草の香りが混ざり合い、 熱気を帯びた風がスタンドから吹き下ろしてきていた。 ゲートの中で静かに前を見据える乙女たちがいる。 ガシャンという鋭い金属音と共に、 一斉に十四百メートルの戦いへと飛び出した。
最初の二百メートルはゆったりとした入りだった。 ショウナンカリス【志喜屋 夢子】「あら、私をマークしてるつもり?悪いけど、次元が違うのよ」「4番 牝3」 好位の馬群の中で優雅に首を上げるのはショウナンカリスだ。 彼女の視線の先には誰もいないかのようだった。 ショウナンカリス【志喜屋 夢子】「カメラのフラッシュが私を追っているわ。当然ね、私が主役なのだから」 しかし、その静寂は次の瞬間に破られる。
アイニードユー【焼塩 レモン】「よっしゃあ!先頭独走!誰にもこの汗は触れさせないよ!」「7番 牝3」 弾けるような声と共に一気に加速して先頭に躍り出たのは、 生粋のスポーツ系逃げ馬のアイニードユーである。 一ハロン目の十二秒〇から、 二ハロン目は驚異の十秒八という急加速だ。 馬群が一気にばらけ、激しいポジション争いが勃発する。
アイニードユー【焼塩 レモン】「ちょっ、後ろの足音が多すぎるってば!もっと距離取ってよ、暑苦しいなー!」 アイニードユーは風を切り裂きながら不満を漏らす。 そのすぐ後ろにはラスティングスノーが必死に食らいついている。 砂煙が舞い上がり、蹄の音が重なり合って地鳴りのように響く。
ギリーズボール【八奈見 杏菜】「あ、前の馬の尻尾、なんかチュロスっぽくない?追い越して確認しなきゃ!」「2番 牝3」 中団の少し内側で呑気な声を上げたのはギリーズボールだ。 ギリーズボール【八奈見 杏菜】「ねえ、阪神の芝って味気なくない?もっとイタリアンパセリとか植えてほしいんだけど」 周囲の殺気立った雰囲気などどこ吹く風で、 彼女の頭の中は食べ物のことばかりで満たされていた。 隣を走るショウナンカリスが信じられないという顔で睨みつける。
ツンとした鼻先を少しも崩さずにショウナンカリスが口を開いた。 ショウナンカリス【志喜屋 夢子】「ちょっと、あなた。こんな神聖なレース中に食べ物の話ですって?信じられないわ」 ギリーズボール【八奈見 杏菜】「えっ、もしかしてチュロス隠し持ってるの?次元が違うチュロスってどんな味?」 ギリーズボールは目を輝かせてショウナンカリスにすり寄る。 ショウナンカリス【志喜屋 夢子】「はあ!?誰がチュロスなんか持ってるって言ったのよ!私の気品ある走りの話よ!」 ショウナンカリスは苛立ちを隠せずにペースを乱しかける。 ギリーズボール【八奈見 杏菜】「なんだ、ケチ。じゃあ自力で前のチュロス捕まえるもん。別にいいし」 ショウナンカリス【志喜屋 夢子】「キーッ!誰もケチなんて言ってないわよ!あとチュロスなんて走ってないわよ!」 ショウナンカリスが逆ギレして息を荒げる横で、 ギリーズボールは悠然とよだれを拭いていた。
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三コーナーが近づく。 アイニードユーが単独先頭で後続を引っ張る。 アイニードユー【焼塩 レモン】「うっひょー!十四百メートルってこんなに短かったっけ!?まだまだ走れる……気がする!」 風切り音を全身で楽しみながら、彼女は無邪気に逃げる。 しかし、ペースは十一秒四から十一秒五と決して緩まない。 前傾ラップが先行勢の体力を真綿で首を絞めるように削っていく。
その集団の後方、外側で冷静に展開を分析している者がいた。 サンアントワーヌ【馬袴 ティアラ】「私の計算によれば、このコーナーを曲がった瞬間に、全ての視線は私に釘付けになるはずですわ!」「17番 牝3」 お嬢様気質のサンアントワーヌである。 サンアントワーヌ【馬袴 ティアラ】「良馬場って言ったの誰ですの!?私の蹄鉄には少しだけ湿度が足りない気がしますわ!」 完璧な勝利の方程式を描きながらも、 彼女は些細な環境の違いに不満を募らせていた。
そして、馬群の中団の内側でひっそりと息を潜める者がもう一頭。 デアヴェローチェ【小鞠 知花】「う、うぅ……道が開かない……こ、これだから……体育会系の馬は嫌い……なんです……」「13番 牝3」 デアヴェローチェは人混みに怯えながらも、 内に秘めた闘志をドロドロと燃やしていた。 デアヴェローチェ【小鞠 知花】「あ、足音が……騒音……公害……静かに走れないんですか……この野蛮人たちが……」 周囲の馬たちに心の中で毒を吐き続けながら、 彼女はひたすらに脚を溜めている。
ギリーズボール【八奈見 杏菜】「ちょっと、横の馬!砂かけないでよ、私の毛並みにソースがかかったらどうすんの!」 ギリーズボールが突然大声を上げた。 隣を走っていたプレセピオがビクッと肩を揺らす。 プレセピオ【温水 佳樹】「あ、今のコーナー、私の美しさが一ミリ損なわれましたね。……絶望的です」「3番 牝3」 プレセピオは自分の毛並みを気にしながらも、 じっとカメラの方向を探している。 プレセピオ【温水 佳樹】「誰も私を理解してくれない……。いいんです、一人でゴールできればそれで」 ギリーズボール【八奈見 杏菜】「ねえねえ、ソースの話無視しないでよ!お好み焼きソース?それともデミグラス?」 ギリーズボールが執拗にプレセピオに絡んでいく。 プレセピオ【温水 佳樹】「……ソースなんてかかっていません。あなたの食欲という名の幻想です」 ギリーズボール【八奈見 杏菜】「えー、幻想でもいいから舐めさせてよ。お腹減りすぎて力出ないかも」 プレセピオ【温水 佳樹】「近寄らないでください!私の完璧な構図が台無しになります!」 プレセピオはドン引きしながら内ラチ沿いへと逃げていく。
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勝負の四コーナー。 アイニードユーのリードはまだ保たれているが、 後続との差がじわじわと縮まり始めた。 アイニードユー【焼塩 レモン】「あー!ゴール板が勝手に近づいてくる!私が止まってるんじゃなくて、地面が動いてるんだ!」 アイニードユーの脚色が少しずつ鈍り始める。 持続力を試される厳しいペースが、 生粋の逃げ馬のスタミナを無情にも奪っていた。
その背後で、絶対の自信を持っていたショウナンカリスの様子がおかしい。 ショウナンカリス【志喜屋 夢子】「……え?なんでみんな私を抜いていくの?スローモーションの魔法でもかかったのかしら?」 好位から抜け出そうとしたはずの脚が、 思うように前へ出ない。 ショウナンカリス【志喜屋 夢子】「一番人気なんて、結局は重荷なだけよ。……ちょっと、誰か私の心臓のバクバクを止めてよ」 プライドの高さとは裏腹に、 彼女の体は限界を訴えていた。 外へ持ち出そうとするが、推進力がない。 ショウナンカリス【志喜屋 夢子】「掲示板にも載らないなんて……。このレース、明日もう一回やり直さない?」 現実に打ちのめされながら、彼女はズルズルと後退していく。
直線入り口。 三百五十六メートルの戦いと、ゴール前の急坂が待ち構える。 アイニードユーが最内を必死にキープする。 そこへ、馬群を縫うようにして一頭の影が忍び寄った。 内側のわずかな隙間、開いた空間へ滑り込むように抜け出したのは、 なんとギリーズボールだった。
ギリーズボール【八奈見 杏菜】「残り二百メートル!ここを乗り切れば、豪華な飼葉が待ってる……私の胃袋が、唸りを上げるわ!」 彼女の目に映っているのは勝利の栄光ではない。 ゴール板の向こう側に幻視した特上の人参の山である。 ギリーズボール【八奈見 杏菜】「よし、前のチュロスはもう手の届くところにある!あとは一口でパクリといくわよ!」 凄まじい食欲が瞬発力へと変換され、 彼女は三十四秒二という鬼のような末脚を繰り出した。
デアヴェローチェ【小鞠 知花】「も、猛追……しなきゃ……私の物語の結末は、ここじゃない……はずだから……!」 デアヴェローチェも中団から内から外へ進路を切り替え、 必死の形相で追いすがってくる。 デアヴェローチェ【小鞠 知花】「四着……し、知ってました……私なんて……所詮、端役……なんですよ……」 ネガティブな思考を垂れ流しながらも、 彼女の脚は確実に前を捉えようとしていた。
そして、大外から全てを撫で斬りにしようと迫る者がいる。 サンアントワーヌ【馬袴 ティアラ】「止まりなさい!十番人気の馬が私の前を走るなんて、校則違反……じゃなくて、展開違反です!」 サンアントワーヌだ。 外回りの距離ロスをものともせず、 三十四秒四の末脚で一気に先頭集団へと襲いかかる。 サンアントワーヌ【馬袴 ティアラ】「ああ、もう!風が!私の鬣を左から右へ乱暴に扱って!失礼極まりないわ!」 彼女は強風に文句を言いながらも、 美しいストライドを決して崩さなかった。
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急坂を駆け上がる。 アイニードユーの脚がついに限界を迎えた。 ギリーズボールが並ぶ間もなくアイニードユーを抜き去る。 外からサンアントワーヌが猛然と差を詰める。 デアヴェローチェも内から迫る。
ギリーズボール【八奈見 杏菜】「あ、抜いちゃった。ごめんね、ゴールの先に人参の幻覚が見えたから本気出しちゃった」 ギリーズボールが涼しい顔で先頭に立つ。 サンアントワーヌが顔を真っ赤にして叫んだ。 サンアントワーヌ【馬袴 ティアラ】「幻覚で重賞勝たないでください!私の完璧な追い上げが台無しですわ!」 ギリーズボール【八奈見 杏菜】「まあまあ、二着でも賞金でアイス買えるでしょ?私、バニラがいいな」 サンアントワーヌ【馬袴 ティアラ】「なんで私が奢る前提なんですの!?……でも、バニラならストロベリー添えにしましょうか、もう!」 怒り心頭のサンアントワーヌだったが、 なぜか一緒にアイスを食べる約束を受け入れてしまっていた。
その横で、息も絶え絶えのアイニードユーが笑う。 アイニードユー【焼塩 レモン】「おっ、惜しかったね小鞠……じゃなくてデアヴェローチェ!最後すごかったじゃん!」 ハナ差で四着に敗れたデアヴェローチェが顔を背ける。 デアヴェローチェ【小鞠 知花】「ふ、ふん……あんたみたいに……脳筋で逃げるだけの人とは……違うから……」 アイニードユー【焼塩 レモン】「えー?私のこと褒めてるの?ありがとう!次は競走しようよ!」 アイニードユーの底抜けの明るさに、 デアヴェローチェは毒気を抜かれたように呟いた。 デアヴェローチェ【小鞠 知花】「……べ、別に……そんなんじゃないし……でも、次は……背中見せてあげても、いいけど……」
歓声が最高潮に達する中、 ギリーズボールが先頭でゴール板を駆け抜けた。 一馬身四分の三差の圧勝。 二着に猛追したサンアントワーヌ。 三着に粘り込んだアイニードユー。 四着にデアヴェローチェ。 一番人気のショウナンカリスは、 遠く後ろで八着に沈みながら天を仰いでいた。
レース後、検量室前は騒然としていた。 食欲という最も俗世的な動機で勝利を掴んだギリーズボールの姿は、 競馬ファンたちの心をがっちりと掴んで離さなかった。 計算を破壊されても気品を保とうとするサンアントワーヌ。 ガス欠になりながらも爽やかに笑うアイニードユー。 彼女たちの物語は、 まだ始まったばかりである。 ギリーズボール【八奈見 杏菜】「あーあ、結局チュロスじゃなくて尻尾だった。でも、特上人参はどこかなー?」 ギリーズボールの腹の虫が、 勝利のファンファーレよりも高らかに鳴り響いていた。
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