『転生したらハンデ重賞の馬だった件 ~大賢者の解析鑑定によれば、なかやまの急坂は完全に計算外です~』~ダービー卿チャレンジトロフィーの激闘~(転スラ編) 「大賢者」改め「解析鑑定」
ぜんそうまでのデータと今回のややおも馬場を瞬時に演算。他馬が3コーナーの罠(最速ラップ)に釣られて自滅するタイミングを完璧に見極め、自身の「上がり最速33.8秒」という正解を導き出した。
『転生したらハンデ重賞の馬だった件 ~大賢者の解析鑑定によれば、なかやまの急坂は完全に計算外です~』 ~ダービー卿チャレンジトロフィーの激闘~(転スラ編)
第1章(前半) 「名付けられた怪物たち、ややおもの戦場に集う。逃げの天才(自称)が刻む破滅のハイペース」
なかやまの急坂を背に、重く湿った芝が牙を剥く。 どんよりとした鉛色の雲が低く垂れ込め、頬を刺す冷たい風がターフを吹き抜けていく。 鼻腔をくすぐるのは、雨を含んだ土の重苦しい匂いと、春の湿り気。 鉄の檻(ゲート)に閉じ込められた怪物たちの荒い呼気は、白く濃い塊となって、寒々しい空へと吸い込まれていった。 第58回ダービー卿チャレンジトロフィー。波乱の予感を孕んだ幕が、今まさに上がろうとしている。
エンペラーズソード【ゴブタ】:「(うう……泥が跳ねる最悪のコンディションっす。おニューの蹄鉄が汚れちゃうっすね……)」 3番枠、せん4歳のエンペラーズソードは、苛立ったように首を振り、不快そうに鼻を鳴らした。 だが、その瞳にはどこか場違いなほどの楽観が宿っている。 エンペラーズソード【ゴブタ】:「でも! ここで逃げ切っちゃえば、僕の天才っぷりが天下に轟くはずっす! 誰にも前は譲らないっすよ、見ててくださいっすリムル様!」 隣の枠から漏れ出る強豪たちの殺気をいなすように、ひょいと重心を前へ。暴発寸前のバネを溜め、開門の瞬間を待ち構えた。
ファーヴェント【ディアブロ】:「クフフ……実に不快な泥の匂いですね。吐き気がしますよ」 8番枠、5歳牡馬のファーヴェントは、貴族のような足取りで一歩踏み出し、優雅に蹄を打ち鳴らしながら顔をしかめた。 その漆黒の馬体は、泥濘の中でも異様なほどの光沢を放っている。 ファーヴェント【ディアブロ】:「このような薄汚れた舞台であろうと、私の美学は微塵も揺らぎません。汚れるのは周りの雑魚だけで十分。私はただ……美しく勝つのみです」 ファーヴェント【ディアブロ】:(――それにしても、周囲の雑魚どもの発する『勝ちたい』などという浅ましい呼気……実に息苦しいですね。消し飛ばして差し上げましょうか)
ミニトランザット【ソウエイ】:「……静かにしろ。集中が乱れる」 対照的に、2番枠のミニトランザットは、濃い影の中に溶け込むように息を潜めていた。 4歳牡馬。その瞳には一切の虚飾がなく、ただ内ラチ沿いの数センチの隙間だけを見据えている。 「任務の完遂。それ以外に語るべき言葉などない」
ミニトランザット【ソウエイ】:(――気配を殺し、最短ルートを抉り取る。それが、我が主に命じられた私の『仕事』だ)
サイルーン【ベニマル】:「主[君]くんに勝利を捧げる。ただそれだけだ」 おおそと16番枠。7歳のベテラン、サイルーンが、腹の底から響くような声で応じた。 その身からは、ややおもの湿気を蒸発させるほどの熱い闘気が、陽炎のように立ち上っている。 「(この重い馬場……足元をすくわれれば即、命取りとなる。一歩たりとも油断はできん)」
サイルーン【ベニマル】:(――この重い馬場……足元をすくわれれば即、命取りとなる。一歩たりとも油断はできん)」 侍大将の如き風格で、彼は深く、重く、なかやまの芝を踏み締めた。
最も外側のゲートから少し離れた、静かな後方。 スズハローム【リムル=テンペスト】:「いやー、なんとか間に合ったね。みんな、すごい気合だなぁ……」 11番枠、6歳牡馬のスズハロームが、緊張感の欠片もないのんびりとした欠伸を、噛み殺すようにならした。 その瞳には、熱狂する観客も泥濘の馬場も、すべてが「データ」として淡々と映し出されている。 「(とりあえず……戦略的撤退。後ろの方でゆっくり様子を見させてもらおうかな)」
スズハローム【リムル=テンペスト】:(――とりあえず……戦略的撤退。後ろの方でゆっくり様子を見させてもらおうかな)
ガチャンッ!!
無機質な金属音がなかやまの空に響き渡ると同時に、鉄の檻がはじけ飛ぶ。 15頭の怪物たちが、一斉に泥を蹴り上げ、戦場へと解き放たれた。
エンペラーズソード【ゴブタ】:「のわーっ! 僕の華麗なスタートダッシュを見るっす!!」 3番、エンペラーズソードが、文字通りはじ丸のような勢いで先頭へと躍り出た。 湿ったややおもの芝が、悲鳴を上げるように抉り取られる。 後続の馬たちの視界を奪うほどの勢いで、巨大な泥の塊が、後方へと容赦なく跳ね上げられていった。 「(へへっ、ハナさえ奪っちゃえばこっちのものっすよ! 天才の逃げ、見せてやるっす!)」
エンペラーズソード【ゴブタ】:(へへっ、ハナさえ奪っちゃえばこっちのものっすよ! 天才の逃げ、見せてやるっす!)
すぐ背後、わずか一馬身差。4番のメタルスピードが、獲物を狙う獣のようにピタリと貼り付いている。 「おいおい……そんなに飛ばして大丈夫かよ? 俺は後ろで楽をさせてもらうぜ、お調子者さんよ」 背中越しに飛んでくる挑発的な気配を、エンペラーズソードは自慢の鼻を高く鳴らしていなした。 エンペラーズソード【ゴブタ】:「へへーん! 僕の華麗な背中を拝みながら、せいぜい羨ましがるっすよ!」 エンペラーズソード【ゴブタ】:(――そのまま泥でもたっぷり被って、自分の不甲斐なさを反省するっすね!) 「……チッ、調子に乗るなよ。最後に笑うのは俺だ。その首、ゴール前でたたき切ってやるからな」 エンペラーズソード【ゴブタ】:「やれるもんならやってみるっす! 天才の逃げは無敵――! 誰にも止められないっすよ!」
だが、その舌戦の裏側で、現実の数値は冷酷に刻まれていた。 第2コーナーを回る頃、先団が形成する渦の熱量は、制御不能な域まで膨れ上がっていく。 ゲート直後の1ハロンは12秒3。一息つけるはずの平坦で、ラップタイムは11秒5へと跳ね上がった。 湿り気を帯び、脚を奪うはずのややおも馬場において、それは息の入らない過酷な「消耗戦」への片道切符。 破滅へと向かうハイペースの入り口を、彼らは全速力で駆け抜けていった。
ファーヴェント【ディアブロ】:「クフフ……実に愚かな。あのような無秩序なペースで飛ばせば、じきに自らの熱量に焼かれて自滅するでしょうに」 4番手集団のインコース。ファーヴェントは、騒乱の真っ只中にありながら、まるで舞踏会に臨むかのように優雅に歩みを進めていた。 だが、その平穏を、前を行く馬たちが無作法に跳ね上げる泥の雨が切り裂く。漆黒の美しい毛並みが、一滴、また一滴と汚されていく。 ファーヴェント【ディアブロ】:「ああ……不快だ。実に不快ですね。私の蹄が、このような下卑た泥にまみれるなど……あってはならないことですよ」 ファーヴェント【ディアブロ】:(――美しくない。何一つとして美しくありませんね。掃除が必要なようです) 沸き立つ嫌悪感を隠そうともせず、彼はわずかに顎を引き、高貴な首差しで飛沫を避けた。その瞳には、先行勢への冷ややかな蔑みが宿っている。
ミニトランザット【ソウエイ】:「……目立つな。影に潜め」 そのすぐ内側、ラチとのわずかな隙間に、ミニトランザットは音もなく溶け込んでいた。 先行するエンペラーズソードが作り出した殺人的なハイペース。周囲の馬たちが呼吸を乱し始める中でも、彼は心拍数一つ変えず、ただ淡々と脚を溜め続けている。 「(無駄な体力は使わない。感情も、呼気も、すべては任務完遂のための備蓄に過ぎない)」
ミニトランザット【ソウエイ】:(――無駄な体力は使わない。感情も、呼気も、すべては任務完遂のための備蓄に過ぎない) 彼は一筋の風となって、最短ルートの「影」を静かに、確実に、手繰り寄せていった。
一方、サイルーンは狂騒の中団をやり過ごし、10番手付近の静寂に身を浸していた。 サイルーン【ベニマル】:「……前の連中、ずいぶんとお急ぎのようだな。死に急ぐつもりか?」 周囲の馬たちが焦燥に駆られ、泥を撥ね飛ばしてポジションを奪い合う中、彼は一ミリのブレもなく、なかやまの重い芝をただ踏み締める。 その眼光は鋭く、前方の喧騒の隙間に「一撃」の筋道を探っていた。 「(今はまだ、動く刻(とき)ではない。この赤き炎は……ただ一度、すべてを焼き尽くすために)」
サイルーン【ベニマル】:(――今はまだ、動く刻(とき)ではない。この赤き炎は……ただ一度、すべてを焼き尽くすために)
そして、さいこうほう。 スズハロームは、観衆の目には絶望的とも映る14番手という位置で、のんびりと首を揺らしていた。 スズハローム【リムル=テンペスト】:「うわぁ……前の方、泥の跳ね上げがすごいことになってるね。みんな大変そうだなぁ」 まるで他人事のように、巻き上がる土煙を眺めながら場違いな独り言を漏らす。 だが、その穏やかな瞳の奥では、無機質な知性が極限まで加速していた。
スズハローム【リムル=テンペスト】:(――告。『解析鑑定』を起動。現在の通過ラップ、風向、およびややおも馬場によるスタミナ減衰率を照合……。 対象となる先行集団の「自滅率」を算出しました。 現在地からの逆転に必要な上がりタイムの『正解』を表示します)
脳内で火花を散らす凄まじい速度の演算。無数の展開予測が、瞬時に一本の輝く「解答」へと収束していく。 スズハローム【リムル=テンペスト】:「ふむふむ、なるほどね。……分かった。このペースなら、最後は間違いなく僕の出番が来るよ」 スズハローム【リムル=テンペスト】:(――条件は確定した。ここは焦らず、極限まで体力を温存するのが『正解』だね)
勝負の行方を左右する、運命の第3コーナーへと差し掛かる。 依然として先頭をひた走るエンペラーズソードは、泥飛沫を置き去りにし、気持ちよさそうに風を切っていた。 エンペラーズソード【ゴブタ】:「どうっすか! この天才的なペース配分! 誰もついてこれないっすよ、これが真の主役っす!」 エンペラーズソード【ゴブタ】:(――へへっ、このまま逃げ切っちゃえば、今夜はリムル様からニンジン山盛りのお祝いっす!)
だがその時、後方から鼓膜を震わせる凄まじい地響きが迫った。 15番のマテンロウオリオン。おおそとを強引に回し、唸りを上げるような勢いで3番手まで一気に押し上げてきたのだ。
エンペラーズソード【ゴブタ】:「な、なな、なんだアイツ!? いきなりどうしたっすか、反則的な加速っすよ!」 エンペラーズソードが、驚愕に目を見開いて背後を振り返る。 「ペースが温(ぬる)いんだよ! だったら俺がまとめて引っ張ってやるぜ!」 マテンロウオリオンの吐き出す熱い呼気が、すぐ背後まで迫り、耳元をかすめる。 エンペラーズソード【ゴブタ】:「お、遅い!? このややおもで、このラップが遅いわけないっすよ! 狂ってるっす!」 エンペラーズソード【ゴブタ】:(――アイツ、絶対に後でバテるっす! 僕は僕のリズムを死守するっす!) 「チッ、臆病風に吹かれたか。なら力ずくでハナを奪うまでだ!」 エンペラーズソード【ゴブタ】:「勝手に行くっす! でも……意地でも先頭は譲らないっすよ!!」
なかやま競馬場、運命の第3コーナー中間点。 マテンロウオリオンが投じた一石が、静かだったばぐんという水面に巨大な波紋を広げ、全体を歪に圧縮させていく。 電光掲示板に刻まれたラップタイムは、ややおもの馬場では正気の沙汰とは思えない「11秒1」。 それは、勝利への切符ではなく、奈落への招待状だった。
ファーヴェント【ディアブロ】:「クフフ……野蛮な者が飛び出してきましたね。まるで火に飛び込む羽虫のようだ」 ファーヴェントは、泥飛沫を撒き散らしながら強引に位置を上げるマテンロウオリオンを、氷のような眼差しで見送った。 ファーヴェント【ディアブロ】:(――あのような無謀な真似、私の美学に反します。反吐が出ますよ) 周囲が浮き足立ち、釣られて加速する狂騒の中、彼はあえて手綱を抑え、8番手付近まで悠然と車列を下げた。 「今は力を蓄える刻(とき)。泥にまみれた凡夫たちに、最後の直線で『圧倒的な美しさ』というものを見せつけて差し上げますよ」
ミニトランザット【ソウエイ】:「……馬鹿な動きだ。自ら『影』を捨てて光の下に身を晒すとは」 そのすぐ傍ら、ミニトランザットもまた、不気味なほどの静寂を纏って7番手へと沈んでいた。 ミニトランザット【ソウエイ】:(――周囲のノイズに惑わされるな。研ぎ澄ませ。己が進むべき唯一の最短距離だけを見つめろ) 隣で激しく肩を揺らし、苦しげな呼気を漏らす他馬を、彼は仮面の如き無表情で一瞥する。 ミニトランザット【ソウエイ】:「……無駄だ。呼吸が乱れているぞ。お前はもう、終わっている」 「な、なんだと!? ふざけるな、勝負はこれからだ……っ!」 ミニトランザット【ソウエイ】:「……強がりは無用だ。お前の心拍数が、すでに限界を超えていると告げている」 「くそっ、見下しやがって……死神め……っ!」 絶望的な宣告を突きつけ、彼は再び影へと同化した。
後方のサイルーンは、一気に凝縮し、歪にひしめき合うばぐんを冷徹に俯瞰していた。 サイルーン【ベニマル】:「……一斉に動き出したか。だが、死に急ぐにはまだ早すぎる」 周囲の馬たちが焦燥に駆られ、次々と仕掛けのタイミングを探って色めき立つ中、彼は岩のように動じない。 サイルーン【ベニマル】:(――あせるな。我が主[君]くんへの忠義を示すのは、真の勝負どころ……ただ一瞬の勝機のみだ) なかやまの重い土を蹴立て、彼はひたすらに、己の中の「紅蓮」を研ぎ澄ませ続けていた。
そして、さいこうほうのスズハロームは。 スズハローム【リムル=テンペスト】:「あーあ……。みんな、見事に釣られて動いちゃったね」 依然として絶望的な位置にいながら、その声には微塵の揺らぎもない。 スズハローム【リムル=テンペスト】:(――『解析鑑定』の予測通り。前の連中は、この最速ラップで一気にスタミナを削り取られる。生存確率は……ゼロに近いね) 計算通りの展開。スズハロームの青い瞳に、冷たく鋭い光が宿る。 スズハローム【リムル=テンペスト】:「さて……。そろそろ僕も、後片付けの準備を始めようかな」 その細い脚に、溜め込まれた膨大なエネルギーが充填されていく。 スズハローム【リムル=テンペスト】:「最後はきっちり……帳尻を合わせさせてもらうよ。僕のやり方でね」
運命の第4コーナー手前。 先頭を死守してきたエンペラーズソードの軽快だった足取りに、鉛のような重みが混じり始める。 「あれ……? おかしいっす。急に、地面が僕の足を掴んで離さないみたいっす……」 泥に足を取られ、一歩ごとに体力が削り取られていく。 エンペラーズソード【ゴブタ】:(――い、いやいや! 気のせいっす。僕は天才っすから! ゴールでニンジンが待ってるっす!) 必死に首を振り、濁り始めた意識を叱咤して前を見据える。
だが、その背後にはマテンロウオリオンの、もはや悲鳴に近い荒い息遣い。 そしてそのさらに奥……暗がりの底で、静かに牙を研ぎ澄ます「数多の怪物」たちの気配が膨れ上がる。
ファーヴェント【ディアブロ】:「クフフ……。ようやく、見苦しい前座が終わるようですね。狩りの時間ですよ」 ファーヴェントの唇が、獲物を定めた三日月のように冷酷に吊り上がった。
ミニトランザット【ソウエイ】:「……仕留める」 ミニトランザットの姿が、陽光を拒絶するようにばぐんの影へと深く沈み込み、実体を消していく。
サイルーン【ベニマル】:「時は来た。我が魂の紅蓮、今こそここに示さん!」 サイルーンの強靭な筋肉が、爆発的な推進力を生み出すべく、極限まで圧縮された。
スズハローム【リムル=テンペスト】:「よし。外への進路……演算通り、完全にクリアだね」 さいこうほう、スズハロームの蹄が、ついに本気でなかやまの芝を捉えた。 その一蹴りは、他馬とは明らかに次元の違う硬質な音を響かせる。
なかやまの短い直線。その先に待ち構える「心臓破りの坂」に向けて、15頭の魂は怒濤の勢いで最終コーナーへと雪崩れ込んでいった。
第二章(後半) 「紅蓮の鉄槌と漆黒の隠密、そして至高の美学。おおそとから帳尻を合わせに来た青き暴風」
第4コーナー。なかやまの「魔のカーブ」が、深淵のような口を開けて怪物たちに牙を剥く。 荒れ果てた芝は底なしの沼のように体力を吸い取り、馬たちの吐き出す濃密な呼気が、湿った空気の中で火花を散らすようにぶつかり合っていた。
逃げ粘るエンペラーズソードの視界が、不意にぐらりと歪んだ。 エンペラーズソード【ゴブタ】:「あ、あれ……? おかしいっす。急に、両足に巨大な鉛の重りをハメられたみたいに重いっす……」 エンペラーズソード【ゴブタ】:(――ややおもの馬場が、これほどまでに執拗に体力を削り取ってくるなんて、聞いてないっすよ! 誰か助けてっす!) 必死に前脚をたたきつけるが、先ほどまでターフをはじんでいた軽快なリズムは、砂塵の中に霧散していた。
その背後から、第3コーナーの強襲でスタミナを使い果たしたマテンロウオリオンが、幽霊のような足取りで並びかけようとする。だが、その呼吸はすでに限界の壁を突き破っていた。 「ぜぇ……はぁ……っ、お、俺の……華麗な……捲りが……っ」 エンペラーズソード【ゴブタ】:「おいおい、さっきまでの威勢はどうしたっすか? もうボロボロのバテバテじゃないっすか」 エンペラーズソードは、自身の限界を棚に上げ、微かな優越感とともにニヤリと口角を上げた。 「う、うるせぇ……! 俺は……まだ、終わってねぇ……っ!」 エンペラーズソード【ゴブタ】:「無理しないで、向こうで休んでた方がいいっすよ。ま、僕も人のこと言えないくらい、心臓が口から飛び出しそうっすけどね!」 「……チッ、お前の……その、抜けた面……最後まで、ムカつくぜ……(ズルズルと後退していく)」
先頭集団が断末魔の悲鳴を上げ、泥濘に足を取られる中。後方で牙を研ぎ澄ませていた者たちが、一斉にその「捕食」の季節を告げた。
密集するばぐんのただ中。前を走る馬たちの失速により、行き場を失いかけたファーヴェントの瞳が、不快感に細められる。 ファーヴェント【ディアブロ】:「……クフフ。見苦しくも道を塞ぎ始めましたか、有象無象どもが。邪魔ですよ」 ファーヴェント【ディアブロ】:(――内側は泥にまみれた敗北者たちが、無様に密集していますね。一掃して差し上げましょう。……外へ出します) ファーヴェントは、残り400メートルの標識を合図に、荒れた内場をあざ笑うような優雅なステップで外へと進路を切り替えた。その身に纏う漆黒のオーラが、周囲の馬たちを物理的な圧力ではじき飛ばしていく。
その傲慢なまでの動きを、内ラチ沿いの「死角」からミニトランザットが冷徹に見上げていた。 ミニトランザット【ソウエイ】:「……無駄な動きが多いな。美学などという脆い幻想は、その泥と一緒に捨ててくるべきだったな」 ファーヴェント【ディアブロ】:「クフフ……影の中にしか居場所のない貴様に、私の至高の計算と様式美が理解できるはずもありませんよ」 ファーヴェントは鼻で笑い、黄金の尾を扇のように優雅に揺らした。 ミニトランザット【ソウエイ】:「……泥を被ろうとも最短を往く。それが、主への『任務完遂』という唯一の結果に繋がる」 ファーヴェント【ディアブロ】:「結果とは、勝利という宝石を美しく彩ってこそ価値があるのです。薄汚れた影は、私の視界から消えなさい」 ミニトランザット【ソウエイ】:「……勝手に喚いていろ。私は先に行く」 ミニトランザットはそれ以上の言葉を捨て、スッと重心を極限まで落とした。彼は実体を消したかのような速度で、ばぐんのわずかな隙間――針の穴を通すような最短経路へと、音もなく滑り込んでいった。
なかやまの心臓破り、急峻な絶壁が眼前に立ちはだかる直線。 そこは、鍛え抜かれた肉体と「魂」の強度が試される、真の戦場。 おおそとから、大気を震わせるほどの闘気を纏い、一騎当千の巨影が襲いかかった。
サイルーン【ベニマル】:「道を開けよ! 我が主[君]くんの御前……この紅蓮の脚が、なかやまの坂ごと焼き尽くしてくれよう!」 サイルーンが、極限まで凝縮させていた魔力にも似た瞬発力を爆発させる。 蹄が泥濘をたたきつけるたびに、爆鳴とともに土塊がはじけ飛び、地を割るような凄まじい推進力が生まれた。
ファーヴェント【ディアブロ】:「……五月蝿(うるさ)いですね。そのような野蛮な突進、私の至高の美学が許しませんよ」 ファーヴェントもまた、溜めに溜めた黄金の末脚を解放した。 1番人気の重圧さえも糧にする底知れぬプライドが、漆黒の筋肉を美しく、かつ凶暴に躍動させる。 サイルーン【ベニマル】:「野蛮だろうが何だろうが、先にゴール板を駆け抜けた者の勝ちだ! それが……勝負というものだろうがッ!」 ファーヴェント【ディアブロ】:「クフフ……。ならば、骨の髄まで分からせて差し上げましょう。埋めようのない『圧倒的な格の違い』というものを!」
朱に染まる闘志のサイルーンと、闇に輝く誇りのファーヴェント。 二頭の怪物が火花を散らすたたき合いの中、もがき苦しむエンペラーズソードを、まるでも止まっているかのように、一瞬で置き去りにしていった。
なかやまの心臓破りの坂、その中腹。 極限の死闘を繰り広げる怪物たちのさらに外側、大気の壁を切り裂く「異物」の気配が、ターフの温度を一瞬で氷点下へと引きずり下ろした。
エンペラーズソード【ゴブタ】:「のわーーっ!? ちょっと待つっす! 僕を置いていかないでほしいっすー!」 エンペラーズソード【ゴブタ】:(――足が……足がもう一歩も前に出ないっす! なかやまの坂なんて、一生大嫌いになりそうっす!!) 絶望に染まったエンペラーズソードの悲鳴は、なかやまの冷たい風に虚しくかき消され、後方へと置き去りにされていく。
内ラチ沿い、剃刀のような鋭さで隙間を抉るミニトランザット。 馬体と馬体をぶつけ合い、火花を散らすサイルーンとファーヴェント。 三者三様の「執念」が激突し、勝負の天秤が激しく揺れ動いた、その時だった。
スズハローム【リムル=テンペスト】:「いやー、二人とも熱いねぇ。でも、ちょっと力みすぎじゃない?」
戦場の喧騒を、真冬の湖面のような静寂で塗り替える声。 サイルーンのさらに外、誰も通らぬ「死の空白」を、物理法則を無視したかのような速度で駆け抜ける青き影。 さいこうほうで息を潜め、勝負の「正解」だけを待ち続けていたスズハロームが、ついにその真の姿を現したのだ。
なかやまの急坂の頂上、ゴールまで残り200メートル。 勝利を確信し、死闘を繰り広げていた怪物たちの視界に、物理法則をあざ笑う「青き暴風」が突き刺さる。
サイルーン【ベニマル】:「なっ……!? リムル様!? いつの間に、私の死角を……!」 驚愕に目を見開いたサイルーンの耳が、信じがたい速度差に恐怖を感じて伏せられる。 スズハローム【リムル=テンペスト】:「道中はずっと、特等席で休ませてもらったからね。……ありがとう。[君]くんたちが全力で前を掃除してくれたおかげで、僕の進路はバッチリ空いてるよ」 その穏やかな声の裏側で、無機質な知性が最終回答を告げた。 スズハローム【リムル=テンペスト】:(――『解析鑑定』完了。残り200メートル。……出力固定。今の僕の脚なら、全頭差し切れる。……行こうか)
ファーヴェント【ディアブロ】:「ありえない! この私が、後方から迫る何者かに並ばれるなど……ッ!」 ファーヴェントの誇り高き魂が激しく軋み、屈辱に染まった鼻息が荒く、熱く、大気を震わせる。 スズハローム【リムル=テンペスト】:「ごめんね、ディアブロ。[君]くんの美学は立派だけど……悪いね、今日は僕が勝つって『計算』が出ちゃってるんだ」 ファーヴェント【ディアブロ】:「計算だと……!? 私の、この至高の走りを、血の通わぬ数字などで測るなど……不敬の極みですよ!」 スズハローム【リムル=テンペスト】:「あはは、怒らないでよ。でもね……数字は嘘をつかないんだ。さあ、最後はおいしいところ、全部貰っていくよ!」
その瞬間、スズハロームの馬体が、極限まで圧縮されたバネのように爆発した。 泥濘を蹴る蹄の音さえ消し去る、異次元の躍動。 上がり3ハロン、33秒8。 全馬の脚が止まり、絶望に沈むややおもの馬場において、それは常識という概念を根こそぎ喰らい尽くす「暴食之王(ベルゼビュート)」の進撃だった。
サイルーン【ベニマル】:「主[君]くんといえど……! この勝利の果実だけは、断じて譲れません! うおおおおおッ!」 サイルーンが、肺が焼けるような苦悶に耐え、泥を噛んで食い下がる。 だが、その決死の抵抗を嘲笑うかのように、スズハロームの加速は、物理的限界を遥かに超越した領域へと突入していた。
スズハローム【リムル=テンペスト】:「悪いね、ベニマル! ……今日は、僕の勝ちだ!」
泥にまみれ、激戦の傷跡を刻んだゴール板。 その白線を先頭で駆け抜けたのは、熱狂の渦中にありながら、どこか飄々とした笑みさえ感じさせるスズハロームだった。
コンマ数秒の静寂の後、アタマ差の2着に、侍大将の意地を最後まで貫いたサイルーン。 さらにハナ差の3着、美学を汚され憤怒の炎を燃やすファーヴェント。 そしてその直後、荒波の隙間を縫うように影を走らせたミニトランザットが、任務を完遂し4着を確保した。
なかやまの急坂を舞台にした、名付けられた怪物たちの狂宴。 「解析鑑定」が導き出した至高の正解とともに、魂の連想ゲームはここに、鮮烈な決着を見た。
エピローグ 【レース後・検量室前(魂の愚痴タイム)】
激闘の余韻が残る検量室前。 全身から白い湯気を立ち昇らせる馬たちが、次々と引き揚げてくる。 そこには、勝者の安堵と、敗者の煮え切らない言い訳が、なかやまの冷たい空気の中で複雑に混ざり合っていた。
スズハローム【リムル=テンペスト】:「ぷはーっ! 勝った勝った! いやー、それにしても……」 スズハロームは、顔にべっとりと張り付いた不快な泥を前脚で払いながら、深く長い溜め息をついた。 スズハローム【リムル=テンペスト】:「うわっ、前の馬が蹴った泥がまともに……。これ、粘性耐性を持ってないとやってられないよ、もう。洗ってもなかなか落ちなさそうだし」 スズハローム【リムル=テンペスト】:(――それにしてもなかやまの急坂、演算データで見てたよりずっとエグいんだけど! 誰だよ、あんな絶壁をコースの最後に設計したやつは! 鬼か!)
そのすぐ傍ら。2着に泣いたサイルーンが、岩を砕くような勢いで悔しそうに蹄を打ち鳴らす。 サイルーン【ベニマル】:「アタマ差……。屈辱だが、主(勝利)への道が断たれたわけではない。この敗北を糧に、次こそは必ず……!」 サイルーン【ベニマル】:(――……それにしても、周りの連中は勝手な動きをしすぎだ。陣形もクソもあったもんじゃない。統制の取れていない戦場ほど、戦いにくいものはないな) サイルーン【ベニマル】:(――おまけにこの底なしの泥馬場。足元をすくわれる不快感……。戦地としては、文字通り最悪のコンディションだと言わざるを得ん)
少し離れた検量室の影では、ファーヴェントが信じられないといった体で、虚空を凝視したまま静止していた。 ファーヴェント【ディアブロ】:「ハナ差で……2着すら逃す……? 私の至高の演算に、このような醜い『端数』が生じるはずがないのですが」 ファーヴェント【ディアブロ】:(――ああ、不快だ。この芝の野蛮な感触。私の洗練された蹄には、いささか刺激が強すぎますね。次はもっと……清潔な馬場を用意させなければ) ミニトランザット【ソウエイ】:「おい、ディアブロ。見苦しいぞ。負けは負けだ。潔く認めろ」 声をかけたのは、激戦の後だというのに息一つ乱していないミニトランザットだ。 ファーヴェント【ディアブロ】:「……貴様のような『影』に、安っぽい慰めを言われる筋合いはありませんよ。私はただ、不運の積み重ねに足を掬われただけです」 ミニトランザット【ソウエイ】:「不運、か。ならば、掲示板を確実に確保した私の『効率的な走り』を少しは見習うんだな。……まあ、隣を走っていた馬の鼻息があまりに騒々しく、集中力を削がれたのは事実だが」 ミニトランザット【ソウエイ】:(――……想定より外に膨らんだか。重力という物理法則は、隠密スキルだけでは誤魔化しきれんということか) ファーヴェント【ディアブロ】:「クフフ、結局、貴様も醜い言い訳を並べているではないですか。滑稽ですね」 ミニトランザット【ソウエイ】:「……黙れ。斬るぞ」
そんな強者たちが放つ、刺すような緊張感の輪の端っこで、エンペラーズソードが無様に芝生へへたり込んでいた。 エンペラーズソード【ゴブタ】:「もう足がパンパンっす……。坂なんて、坂なんて大嫌いっすよー!」 エンペラーズソード【ゴブタ】:(――えっ、僕、8着!? 嘘でしょ!? あれだけ命懸けで逃げたのに、ご褒美の特上ニンジン抜きっすか!? そんなの殺生っす!) 「おい、ゴブタ! お前がデタラメなペースで飛ばすから、俺まで共倒れになったじゃないか!」 後ろから、泥まみれのメタルスピードが、怒鳴り込みに来る。 エンペラーズソード【ゴブタ】:「知るかよっす! ついてきたそっちが悪いっす! 僕は僕で、天才の走りをしただけっすからね!」 「どこが天才だ! ただの自爆テロだろうが、この馬鹿!」
鉛色の曇り空が広がるなかやま競馬場。 そこには、いつまでも止むことのない騒がしい言い争いが響き渡っていた。 泥と汗、そしてそれぞれの「せいぎ」にまみれた彼らの戦いは、こうして滑稽に、そして何よりも熱く、幕を閉じたのである。
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