猫でも書ける短編小説
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第1章:異質な子
「この子、ちょっと変わってるよね」 「また魔力の“音”が聞こえるって言ってる……」 「先生、うちの子に悪影響がないか心配です」
ミリア・エルステラは、幼いころからずっと“異質”だった。 魔力の流れを見たとき、彼女はそれを“音”として感じた。 術式を描くとき、彼女はそれを“絵”として捉えた。 けれど、周囲の大人たちはそれを「間違い」と呼んだ。
「魔力は数式で制御するものよ。感覚で捉えるなんて、非科学的だわ」 教師の言葉は冷たく、教室の空気はいつも彼女を拒んでいた。
ミリアは、何度も自分に問いかけた。 (私の感じ方は、おかしいのかな……? みんなが言うように、私は間違ってるの? 魔力に“音”なんて、聞こえるはずないのかな……)
けれど、彼女の中では確かに響いていた。 術式を描くと、魔力が“歌う”ように流れる。 その旋律は、誰にも聞こえないけれど、彼女には確かに存在していた。
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そんなミリアにとって、唯一の味方がいた。 母——エルステラ・リュミナ。 身体が弱く、いつもベッドの上で過ごしていたけれど、彼女だけはミリアの感性を否定しなかった。
「ミリア、あなたの感じ方は、世界を優しくする力になるわ」 「誰かに理解されなくても、自分の心に嘘をつかないで」 「あなたの術式は、きっと誰かの心に届く。だから、信じて」
母の言葉は、ミリアの世界の“光”だった。 誰にも理解されなくても、母だけは彼女の術式を見て「美しい」と言ってくれた。
ミリアは、母の枕元で術式を描いた。 魔力の流れを、色と音で記録する。 母はそれを見て、微笑んだ。
「この流れ……まるで、春の風みたいね」 「優しくて、あたたかくて、少し切ない」
ミリアは、初めて自分の術式が“誰かに届いた”と感じた。 それは、世界の誰にも理解されなくても、母には届いたという確かな実感だった。
◆
けれど、母の身体は日に日に弱っていった。 病室の窓から見える空は、いつも淡く、遠かった。
ある日、母はミリアの手を握りながら、静かに言った。
「ミリア……私は、もう長くはないかもしれない」 「でもね、あなたには、私の代わりに“光”を描いてほしいの」 「誰かに届かなくてもいい。あなたが信じる流れを、描き続けて」
ミリアは、涙をこらえながら頷いた。 (届かなくてもいい……でも、私は描きたい。 誰かに届く日が来ると信じて、描き続けたい)
母は、ミリアの術式を最後まで見守った。 そして、静かに眠るように旅立った。
◆
その日から、ミリアは術式を描き続けた。 誰にも理解されなくても、誰にも届かなくても。 母の言葉を胸に、彼女は“光の流れ”を信じて歩き始めた。
教室では、相変わらず後ろ指をさされた。 「また変な記録法使ってる」「感覚で魔術を語るなんて、子どもじみてる」 それでも、ミリアはノートを閉じなかった。
(私は、間違ってるかもしれない。 でも、母は“美しい”って言ってくれた。 だから、私は信じる。私の術式は、誰かの心に届くって)
その信念だけが、彼女を支えていた。
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第2章:孤独の中で描くもの
魔法学園の講義室は、広くて冷たい。 石造りの壁に魔力が反響し、術式の残響が空気に溶けていく。 ミリア・エルステラは、窓際の席で静かにノートを開いた。 そのページには、魔力の流れを旋律のように記録した術式が並んでいた。
(この流れは、昨日の雨音に似てる。 少しだけ、母の声に近い気がする……)
母が亡くなってから、もう一年が経っていた。 それでも、彼女の言葉はミリアの中で生き続けていた。
「誰かに届かなくてもいい。あなたが信じる流れを、描き続けて」
その言葉だけが、ミリアを支えていた。
◆
「エルステラさん、また独自記録法ですか?」 教師の声は、冷たく響いた。 「感覚に頼る術式は、実戦では通用しませんよ。 魔力は数式で制御するものです。旋律や色彩ではありません」
ミリアは、俯いたまま小さく頷いた。 (わかってる。わかってるけど…… 私には、魔力が“音”にしか聞こえない。 流れが“絵”にしか見えない)
教室の空気は、彼女を拒んでいた。 周囲の生徒たちは、彼女を遠巻きに見て、囁く。
「またあの子、詩みたいな術式描いてる」 「首席候補? 冗談でしょ」 「感傷的すぎて、見てるこっちが恥ずかしい」
ミリアは、ノートを閉じなかった。 母の言葉が、彼女の中で静かに響いていた。
(誰かに届かなくてもいい。 でも、私は描きたい。 誰かに届く日が来ると信じて、描き続けたい)
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そんな彼女に、ひとりだけ声をかけてくれる生徒がいた。 名前はリーネ・フォルテ。 小柄で快活な少女で、魔力制御の成績は中の上。 「ミリアの術式、好きだよ。なんか……心が静かになる」 そう言って、隣に座ってくれた。
ミリアは驚いた。 誰かが、自分の術式を“好き”と言ってくれたのは、母以外では初めてだった。
「ありがとう……でも、みんなは変だって言う」 「変でもいいじゃん。私も、変わってるってよく言われるし」 「……リーネは、魔力の流れ、どう見えてるの?」 「うーん……私は、風みたいに感じるかな。 ミリアの術式は、風が歌ってるみたいで、好き」
その言葉に、ミリアは涙が出そうになった。 (届いた……私の術式が、誰かに届いた)
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二人は、よく一緒に術式の研究をした。 ミリアは旋律を描き、リーネは風の感覚で補助陣を組んだ。 学園の中で、少しだけ居場所ができた気がした。
けれど、ミリアの才能は、あまりにも突出していた。 術式の精度、魔力の流れの美しさ、構造の完成度—— 教師たちは、次第に彼女を「首席候補」と呼び始めた。
「エルステラさんの術式は、概念的に美しい。 実戦応用には課題があるが、理論面では群を抜いている」
その評価が広がるにつれ、リーネの表情が少しずつ曇っていった。
「ミリアって……やっぱり、すごいんだね」 「そんなことないよ。私は、ただ……描いてるだけ」 「でも、先生たちはみんな、ミリアの術式ばっかり褒める。 私のは、誰にも見てもらえない」
ミリアは、何も言えなかった。 (私は、リーネと一緒にいたいだけなのに…… でも、私の術式が、リーネを傷つけてる)
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ある日、リーネは教室に来なかった。 その翌日も、その次の日も。 ミリアは、彼女の寮を訪ねたが、部屋は空だった。
机の上に、一枚の紙が残されていた。 そこには、短い言葉が書かれていた。
「ごめんね。ミリアの光は、私にはまぶしすぎた」
ミリアは、その紙を胸に抱きしめた。 涙は出なかった。ただ、心が静かに沈んでいった。
(私の術式は、誰かを傷つけるものだったの? 母が言ってくれた“優しさ”は、誰かにとって“痛み”だったの?)
彼女は、ノートを開いた。 魔力の流れは、いつも通りに旋律を描いていた。 でも、その音は、少しだけ寂しく聞こえた。
(それでも、私は描く。 誰かに届かなくても、誰かを傷つけても。 私は、母の言葉を信じて、描き続ける)
その決意だけが、彼女を支えていた。
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第3章:才能の重さと術式の意味
リーネが去ってから、教室の空気はさらに冷たくなった。 ミリアは、いつもの席に座り、ノートを開いた。 魔力の流れは、変わらず旋律を描いていた。 けれど、その音は、どこか空虚だった。
(私の術式は、誰かを傷つけるものだったの? 母が言ってくれた“優しさ”は、誰かにとって“痛み”だったの?)
教師たちは、ミリアの術式を褒めた。 「構造が美しい」「魔力の流れが安定している」 「実戦応用には課題があるが、理論面では群を抜いている」
その言葉は、かつての自分なら嬉しかったはずだった。 でも今は、胸の奥が冷えていくような感覚しかなかった。
(リーネは、私の光がまぶしすぎたと言った。 私は、誰かの目を閉じさせるほどの光を描いていたの? それなら、私は……)
ミリアは、ノートを閉じた。 その日、初めて術式を描かなかった。
◆
夜の図書館。 誰もいない静かな空間で、ミリアは古代術式の書を開いていた。 ページの隅に、手書きの記録が残されていた。
「術式とは、力ではなく、祈りである」 「魔力の流れは、世界との対話であり、心の記憶である」
その言葉に、ミリアは目を見開いた。 (祈り……記憶…… 私が描いてきた術式は、誰かに届くための“祈り”だった。 母に届いたあの日のように)
彼女は、そっとノートを開いた。 ページの端に、母の言葉を記していた。
「誰かに届かなくてもいい。あなたが信じる流れを、描き続けて」
ミリアは、震える手でペンを取った。 魔力の流れが、指先に集まり始める。 その旋律は、静かで、優しくて、少しだけ寂しかった。
(私は、誰かを傷つけるために描いていたんじゃない。 誰かに届くことを願って、描いていた。 それが、私の術式の意味だった)
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翌朝、ミリアは教室に戻った。 誰も彼女に話しかけなかった。 それでも、彼女は席に座り、ノートを開いた。
魔力の流れは、昨日よりも柔らかく、深く響いていた。 それは、誰かに届くことを願う“祈り”のようだった。
「エルステラさん、また独自記録法ですか?」 教師の声は、相変わらず冷たかった。 「はい。これは、私の術式です」 ミリアは、静かに答えた。
「理論的根拠は?」 「ありません。でも、これは誰かの心に届くと信じています」
教師は、眉をひそめた。 「感傷では、魔術は使えませんよ」 「でも、感傷がなければ、魔術は誰にも届かないと思います」
その言葉に、教室が静まり返った。 誰も何も言わなかった。 でも、ミリアはノートを閉じなかった。
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その日の放課後、ミリアは術式の展示室に足を運んだ。 学園の優秀な術式が並ぶ中、彼女は自分の術式を提出した。 「旋律封印陣——祈りの構造体」 それが、彼女の術式の名前だった。
展示室の片隅で、ひとりの教師がその術式を見ていた。 年配の男性で、無口なことで知られていた。
「……これは、誰かを守る術式だな」 彼は、ぽつりと呟いた。 「力ではなく、優しさで封じる。珍しい構造だ」
ミリアは、驚いて彼を見た。 「私の術式、理解してくれるんですか?」 「理解はできない。だが、感じることはできる。 君の術式は、誰かの痛みを包むような流れをしている」
その言葉に、ミリアは涙がこぼれそうになった。 (届いた……また、誰かに届いた)
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その夜、ミリアは母の写真を机に置いて、術式を描いた。 魔力の流れは、静かに、でも確かに響いていた。
(私は、誰かに届くことを願って描いてる。 それが、私の術式の意味。 母が言ってくれた“光”は、誰かの心を照らすものだった)
彼女は、ノートの端に小さく書き込んだ。
「誰かに届く日まで、私は描き続ける」
その言葉は、彼女の術式の“核”になった。
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第4章:届かない声と、届いた光
術式展示室の片隅に置かれた一枚の記録紙。 「旋律封印陣——祈りの構造体」 それが、ミリア・エルステラの提出した術式だった。
展示期間の終盤、学園内でその術式が話題になり始めていた。 「なんか……見てると落ち着く」「魔力の流れが綺麗すぎる」 「実戦向きじゃないけど、構造が美しい」 そんな声が、少しずつ広がっていた。
けれど、ミリアはその評価を遠くから見ていた。 彼女の関心は、称賛でも順位でもなかった。 ただ——誰かに届いたかどうか、それだけだった。
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「エルステラさん、展示室の術式、評判ですよ」 教師の一人が声をかけてきた。 「理論構造の完成度が高い。魔力の流れも安定している。 君の術式は、学園でもトップクラスだ」
ミリアは、静かに頷いた。 「ありがとうございます。でも……私は、誰かの心に届くことを願って描いています」
教師は少し驚いたような顔をした。 「心に、か。珍しい視点だね。 魔術は力を制するものだと思っていたが……君の術式は、何か違う」
その言葉に、ミリアは少しだけ微笑んだ。 (違っていてもいい。 私は、母が言ってくれた“光”を描いてる。 誰かに届く日を信じて)
◆
展示室の最終日、ミリアは一人で術式の前に立った。 魔力の流れは、静かに、でも確かに響いていた。 それは、誰かの痛みを包むような優しさを持っていた。
(母が言ってくれたように、私は“光”を描いてる。 でも……この光は、誰かに届いてるのかな)
そのとき、背後から声がした。
「この術式……なんか、泣きそうになる」 振り返ると、見知らぬ生徒が立っていた。 彼は、術式をじっと見つめていた。
「俺、魔力暴走で一回入院したことがあって。 そのとき、誰にも理解されなくて、すごく孤独だった。 でも、この術式見てたら……なんか、包まれてる気がした」
ミリアは、言葉が出なかった。 ただ、胸の奥がじんわりと熱くなっていくのを感じた。
「ありがとう。描いてくれて」 彼はそう言って、静かに去っていった。
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その夜、ミリアは寮の部屋でノートを開いた。 魔力の流れは、いつもより柔らかく、深く響いていた。
(届いた……誰かに、届いた。 母が言ってくれた“光”が、誰かの心に触れた)
彼女は、ノートの端に小さく書き込んだ。
「誰かに届いた日。母の言葉が、現実になった日」
その言葉は、彼女の術式の“核”になった。
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翌日、学園の掲示板に術式展示の結果が張り出された。 ミリアの術式は、理論部門で首席評価を受けていた。 生徒たちはざわめき、教師たちは驚いた。
「感覚派の術式が、理論部門で首席?」「どういうこと?」 「でも、見ればわかる。あれは、構造が美しい」
ミリアは、静かに掲示板を見つめていた。 その評価は、彼女にとって“結果”ではなかった。 ただ——母の言葉が、誰かに届いた証だった。
(私は、誰かに届くことを願って描いてる。 それが、私の術式の意味。 母が言ってくれた“光”は、誰かの心を照らすものだった)
彼女は、ノートを閉じた。 その表紙には、細く書かれた文字があった。
「誰かに届く日まで、私は描き続ける」
その言葉は、彼女の歩みを支える“祈り”だった。
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第5章:封印使いの術式に宿るもの
王都の魔術研究局が公開した術式映像は、瞬く間に学園中に広まった。 「封印使いルイ」——そう呼ばれる青年が、迷宮で展開した封印術の記録だった。 魔力の流れは、静かで、繊細で、どこか優しかった。
ミリアは、展示室の隅でその映像を見つめていた。 術式の輪郭が、まるで誰かの心を包むように広がっていく。 その流れは、彼女が描いてきた“祈り”と、驚くほど似ていた。
(この術式……私のと、似てる。 でも、もっと深くて、もっと静かで…… 誰かの痛みを、そっと抱きしめるような流れ)
彼女の胸の奥が、じんわりと熱くなっていく。 それは、誰かに初めて“理解された”ような感覚だった。
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「ミリア、見た? 封印使いの術式」 同級生が興奮気味に話しかけてくる。 「すごいよね。あんな繊細な封印、初めて見た」 「しかも、あの人……魔力の暴走体を、ほとんど傷つけずに封じたらしいよ」
ミリアは、静かに頷いた。 (傷つけずに、封じる。 それは、私がずっと目指してきた術式の在り方)
彼女は、もう一度映像を見た。 ルイの術式は、力で押さえつけるのではなく、流れを整えて“眠らせる”ような構造だった。 その優しさに、彼女は心を奪われた。
(この人なら、私の術式を理解してくれるかもしれない。 誰にも届かなかった“光”を、きっと見てくれる)
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その夜、ミリアは寮の部屋でノートを開いた。 魔力の流れは、いつもより柔らかく、深く響いていた。 彼女は、母の言葉を思い出していた。
「誰かに届かなくてもいい。あなたが信じる流れを、描き続けて」
(でも、もし——届くなら。 もし、誰かが“美しい”って言ってくれるなら。 私は、その人に会いたい)
彼女は、ノートの端に小さく書き込んだ。
「封印使いルイ——私の術式が届くかもしれない人」
その言葉は、彼女の心の“希望”になった。
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数日後、学園に王都迷宮探索の志願者募集が掲示された。 封印核の調査任務。危険を伴うが、術式研究者にとっては貴重な機会だった。
ミリアは、迷わず志願した。 教師たちは驚いた顔をした。
「エルステラさん、君は理論研究向きだと思っていたが……」 「私は、術式が誰かに届く瞬間を見たいんです」 「……封印使いルイに、会いたいのか?」 「はい。彼の術式に、私の“光”が重なる気がするんです」
教師はしばらく黙っていた。 そして、静かに頷いた。
「わかった。君の術式なら、きっと何かを変えられる」
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その夜、ミリアは母の写真を机に置いて、術式を描いた。 魔力の流れは、静かに、でも確かに響いていた。
(母さん、私、誰かに届くかもしれない。 ずっと描き続けてきた“光”が、誰かの心に触れるかもしれない)
彼女は、ノートの表紙に新しい言葉を刻んだ。
「誰かに届く日が来た。私は、歩き出す」
その言葉は、彼女の術式の“始まり”になった。
そして、彼女は封印使いルイに会うために、迷宮へ向かう。
(外伝1 完)
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第48章『封印核の守護者との戦い』
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