教授・真宮寺の秘密講義
〜阪神大賞典:不確定要素(ノイズ)の解体新書〜《デブ猫競馬》


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真宮寺教授とホワイトボード

第1章:ガイダンス――その投資は「魔術」か「算術」か

深煎りコーヒーの香ばしくもほろ苦い香りが、資料とモニターで埋め尽くされた狭い研究室を満たしている。春の柔らかい西日がブラインドの隙間から差し込み、空中に舞う微細な埃をキラキラと照らし出していた。

「教授! 佐倉助手! 今週末の競馬、どどーんとデカい魔法みたいな花火打ち上げましょ!」

勢いよく木製の重いドアを開け放ち、飛び込んできた新入生がアニメから飛び出してきたような元気な関西弁を響かせた。

唇に銀色のボールペンを当てたまま、若き天才女性教授はマルチモニターから視線を外さずに息を吐く。

(相変わらず鼓膜にクリーンヒットする声量ね。新入生には標準で拡声器でも内蔵されているのかしら。でも、この無駄なエネルギー、分析のスパイスには悪くないわ)

「若葉、強力な魔法を撃つには精密な魔力制御……つまり、ノイズのない信頼できるデータが必要よ。あなたの手元にある資料、フラワーカップとファルコンステークスね?」

ドリッパーから丁寧に熱湯を注ぎ落としながら、長身の助手が肩をすくめた。

「若葉さん、教授が言いたいのは『3歳戦は不確定要素が多すぎる』ってことですよ。彼らはまだ人間で言えば高校生みたいなものです。たった数回のテスト結果だけで、その子の10年後の職業に全財産を賭けられますか?」

コーヒーの香りをクンクンと嗅ぎながら、若葉は不満げに唇を尖らせる。

「えー? でも若者には無限の可能性ってやつがあるやないですか! アニメの主人公がいきなり真の力に目覚めて大逆転、みたいな! 配当もドカンと跳ね上がりそうでロマンがありますやん!」

革張りのキャスターチェアをくるりと回転させ、教授は細い指で眼鏡の位置を直した。

「その『突然の目覚め』こそが、データ分析を破綻させる最大のノイズなのよ、若葉。彼らは経験値が圧倒的に足りないの。たった10年ぽっちの短い旅の記録だけで、エルフの千年の寿命すべてを推し量ろうとするようなものよ。無理があるでしょう?」

湯気の立つマグカップを教授のデスクにコトッと置きながら、助手も深く頷く。

「その通りですね。それに距離の問題もあります。ファルコンステークスは1400メートル、フラワーカップは1800メートル。距離が短ければ短いほど、スタートでちょっと躓いただけで命取りになりますからね。投資じゃなくて、ただのクジ引きになっちゃいます」

熱いコーヒーをフーフーと吹きながら、若葉がズズッと音を立てて一口飲む。

「あっち! なるほどなぁ……若者はデータ不足で短距離は運ゲー、と。ほな、愛知杯はどうです? 4歳以上の牝馬、つまり大人の女性たちの戦い! これならデータもばっちりちゃいます?」

ブラックコーヒーを優雅に口に含み、教授はその苦味にわずかに眉をひそめた。

「春先の牝馬はね……とても複雑なのよ。ホルモンバランスや気分屋なところがあってね。当日になって突然『今日は走る気分じゃないわ』って言い出すツンデレヒロインみたいな子もいるの。おまけに1400メートルの短距離で21頭の大渋滞。隣の馬と肩がぶつかっただけで、本命馬が馬群に沈むわ」

(そう、不確定要素の塊。競馬において不確実性はロマンではなく、ただの計算の敵。私たちが求めるのは純粋な絶対値のみよ)

「ということは、教授。残る選択肢は、純粋なスタミナとデータの信頼性が極めて高い『あのレース』しかありませんね?」

「ええ、佐倉くん。私たちの勝負レースは、第74回 阪神大賞典(GⅡ)。距離3000メートルよ」

若葉が目を丸くして、持っていたマグカップを揺らした。

「さ、さんぜん!? めっちゃ長いやないですか! そんなん走ったらお馬さんヘトヘトになりません? まるでマラソンですやん」

「そこが美しいのよ。3000メートルにもなれば、スタートのフロック(まぐれ)なんて通用しないわ。絶対的な心肺機能と、道中で無駄な体力を使わない冷静さ……つまり『真の実力』だけが丸裸にされる。過去のデータも豊富に蓄積された大人の馬たちばかり。おまけに登録は11頭と少頭数。ノイズが極めて少ないわ」

「でも若葉さん、欠点もあります。堅実なレースになるということは、他の競馬ファンも強い馬を簡単に見抜けるということです。オッズが低くなって、配当の妙味は薄くなりますし、次の大きなレース(天皇賞)に向けた『単なる練習(叩き台)』として走る有力馬の見極めも必要になります」

助手の現実的な指摘に、若葉はあからさまにガックリと肩を落とした。

「うぇー、配当低いんかぁ……。せっかくの勝負やのに、全然ロマンがないですやん! もっとこう、みんなが忘れてるような隠れた超強い穴馬とかおらんのですか!?」

教授は口角をわずかに上げ、モニターに映し出された11頭の馬柱データを指差した。

「ふふっ。だからこそ、この研究室があるんじゃない。堅いと思われるデータの中から、オッズの歪みという『特異点』を見つけ出し、穴馬を導き出す。……さあ、ノイズだらけのレースは捨てたわ。阪神大賞典、この11頭の中からまずは徹底的に『消す』作業から始めるわよ」