「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: もち子さん」「VOICEVOX: 雨晴はう」「VOICEVOX: 春日部つむぎ」「VOICEVOX: 波音リツ」「VOICEVOX: 冥鳴ひまり」 春の陽光が青々とした阪神の芝を明るく照らし出している。 土の匂いと青草の香りが混ざり合い、 熱気を帯びた風がスタンドから吹き下ろしてきていた。 ゲートの中で静かに前を見据える乙女たちがいる。 ガシャンという鋭い金属音と共に、 一斉に十四百メートルの戦いへと飛び出した。 最初の二百メートルはゆったりとした入りだった。 (あら、私をマークしてるつもり?悪いけど、次元が違うのよ)(4番 牝3) 好位の馬群の中で優雅に首を上げるのはショウナンカリスだ。 彼女の視線の先には誰もいないかのようだった。 (カメラのフラッシュが私を追っているわ。当然ね、私が主役なのだから) しかし、その静寂は次の瞬間に破られる。 「よっしゃあ!先頭独走!誰にもこの汗は触れさせないよ!」(7番 牝3) 弾けるような声と共に一気に加速して先頭に躍り出たのは、 生粋のスポーツ系逃げ馬のアイニードユーである。 一ハロン目の十二秒〇から、 二ハロン目は驚異の十秒八という急加速だ。 馬群が一気にばらけ、激しいポジション争いが勃発する。 (ちょっ、後ろの足音が多すぎるってば!もっと距離取ってよ、暑苦しいなー!) アイニードユーは風を切り裂きながら不満を漏らす。 そのすぐ後ろにはラスティングスノーが必死に食らいついている。 砂煙が舞い上がり、蹄の音が重なり合って地鳴りのように響く。 「あ、前の馬の尻尾、なんかチュロスっぽくない?追い越して確認しなきゃ!」(2番 牝3) 中団の少し内側で呑気な声を上げたのはギリーズボールだ。 (ねえ、阪神の芝って味気なくない?もっとイタリアンパセリとか植えてほしいんだけど) 周囲の殺気立った雰囲気などどこ吹く風で、 彼女の頭の中は食べ物のことばかりで満たされていた。 隣を走るショウナンカリスが信じられないという顔で睨みつける。 ツンとした鼻先を少しも崩さずにショウナンカリスが口を開いた。 「ちょっと、あなた。こんな神聖なレース中に食べ物の話ですって?信じられないわ」 「えっ、もしかしてチュロス隠し持ってるの?次元が違うチュロスってどんな味?」 ギリーズボールは目を輝かせてショウナンカリスにすり寄る。 「はあ!?誰がチュロスなんか持ってるって言ったのよ!私の気品ある走りの話よ!」 ショウナンカリスは苛立ちを隠せずにペースを乱しかける。 「なんだ、ケチ。じゃあ自力で前のチュロス捕まえるもん。別にいいし」 「キーッ!誰もケチなんて言ってないわよ!あとチュロスなんて走ってないわよ!」 ショウナンカリスが逆ギレして息を荒げる横で、 ギリーズボールは悠然とよだれを拭っていた。
***
三コーナーが近づく。
アイニードユーが単独先頭で後続を引っ張る。
(うっひょー!十四百メートルってこんなに短かったっけ!?まだまだ走れる……気がする!)
風切り音を全身で楽しみながら、彼女は無邪気に逃げる。
しかし、ペースは十一秒四から十一秒五と決して緩まない。
前傾ラップが先行勢の体力を真綿で首を絞めるように削っていく。
その集団の後方、外側で冷静に展開を分析している者がいた。
「私の計算によれば、このコーナーを曲がった瞬間に、全ての視線は私に釘付けになるはずですわ!」(17番 牝3)
お嬢様気質のサンアントワーヌである。
(良馬場って言ったの誰ですの!?私の蹄鉄には少しだけ湿度が足りない気がしますわ!)
完璧な勝利の方程式を描きながらも、
彼女は些細な環境の違いに不満を募らせていた。
そして、馬群の中団の内側でひっそりと息を潜める者がもう一頭。
「う、うぅ……道が開かない……こ、これだから……体育会系の馬は嫌い……なんです……」(13番 牝3)
デアヴェローチェは人混みに怯えながらも、
内に秘めた闘志をドロドロと燃やしていた。
(あ、足音が……騒音……公害……静かに走れないんですか……この野蛮人たちが……)
周囲の馬たちに心の中で毒を吐き続けながら、
彼女はひたすらに脚を溜めている。
「ちょっと、横の馬!砂かけないでよ、私の毛並みにソースがかかったらどうすんの!」
ギリーズボールが突然大声を上げた。
隣を走っていたプレセピオがビクッと肩を揺らす。
「あ、今のコーナー、私の美しさが一ミリ損なわれましたね。……絶望的です」(3番 牝3)
プレセピオは自分の毛並みを気にしながらも、
じっとカメラの方向を探している。
(誰も私を理解してくれない……。いいんです、一人でゴールできればそれで)
「ねえねえ、ソースの話無視しないでよ!お好み焼きソース?それともデミグラス?」
ギリーズボールが執拗にプレセピオに絡んでいく。
「……ソースなんてかかっていません。あなたの食欲という名の幻想です」
「えー、幻想でもいいから舐めさせてよ。お腹減りすぎて力出ないかも」
「近寄らないでください!私の完璧な構図が台無しになります!」
プレセピオはドン引きしながら内ラチ沿いへと逃げていく。
***
勝負の四コーナー。
アイニードユーのリードはまだ保たれているが、
後続との差がじわじわと縮まり始めた。
(あー!ゴール板が勝手に近づいてくる!私が止まってるんじゃなくて、地面が動いてるんだ!)
アイニードユーの脚色が少しずつ鈍り始める。
持続力を試される厳しいペースが、
生粋の逃げ馬のスタミナを無情にも奪っていた。
その背後で、絶対の自信を持っていたショウナンカリスの様子がおかしい。
(……え?なんでみんな私を抜いていくの?スローモーションの魔法でもかかったのかしら?)
好位から抜け出そうとしたはずの脚が、
思うように前へ出ない。
(一番人気なんて、結局は重荷なだけよ。……ちょっと、誰か私の心臓のバクバクを止めてよ)
プライドの高さとは裏腹に、
彼女の体は限界を訴えていた。
外へ持ち出そうとするが、推進力がない。
(掲示板にも載らないなんて……。このレース、明日もう一回やり直さない?)
現実に打ちのめされながら、彼女はズルズルと後退していく。
直線入り口。
三百五十六メートルの戦いと、ゴール前の急坂が待ち構える。
アイニードユーが最内を必死にキープする。
そこへ、馬群を縫うようにして一頭の影が忍び寄った。
内側のわずかな隙間、開いた空間へ滑り込むように抜け出したのは、
なんとギリーズボールだった。
「残り二百メートル!ここを乗り切れば、豪華な飼葉が待ってる……私の胃袋が、唸りを上げるわ!」
彼女の目に映っているのは勝利の栄光ではない。
ゴール板の向こう側に幻視した特上の人参の山である。
(よし、前のチュロスはもう手の届くところにある!あとは一口でパクリといくわよ!)
凄まじい食欲が瞬発力へと変換され、
彼女は三十四秒二という鬼のような末脚を繰り出した。
「も、猛追……しなきゃ……私の物語の結末は、ここじゃない……はずだから……!」
デアヴェローチェも中団から内から外へ進路を切り替え、
必死の形相で追いすがってくる。
(四着……し、知ってました……私なんて……所詮、端役……なんですよ……)
ネガティブな思考を垂れ流しながらも、
彼女の脚は確実に前を捉えようとしていた。
そして、大外から全てを撫で斬りにしようと迫る者がいる。
「止まりなさい!十番人気の馬が私の前を走るなんて、校則違反……じゃなくて、展開違反です!」
サンアントワーヌだ。
外回りの距離ロスをものともせず、
三十四秒四の末脚で一気に先頭集団へと襲いかかる。
(ああ、もう!風が!私の鬣を左から右へ乱暴に扱って!失礼極まりないわ!)
彼女は強風に文句を言いながらも、
美しいストライドを決して崩さなかった。
***
急坂を駆け上がる。
アイニードユーの脚がついに限界を迎えた。
ギリーズボールが並ぶ間もなくアイニードユーを抜き去る。
外からサンアントワーヌが猛然と差を詰める。
デアヴェローチェも内から迫る。
「あ、抜いちゃった。ごめんね、ゴールの先に人参の幻覚が見えたから本気出しちゃった」
ギリーズボールが涼しい顔で先頭に立つ。
サンアントワーヌが顔を真っ赤にして叫んだ。
「幻覚で重賞勝たないでください!私の完璧な追い上げが台無しですわ!」
「まあまあ、二着でも賞金でアイス買えるでしょ?私、バニラがいいな」
「なんで私が奢る前提なんですの!?……でも、バニラならストロベリー添えにしましょうか、もう!」
怒り心頭のサンアントワーヌだったが、
なぜか一緒にアイスを食べる約束を受け入れてしまっていた。
その横で、息も絶え絶えのアイニードユーが笑う。
「おっ、惜しかったね小鞠……じゃなくてデアヴェローチェ!最後すごかったじゃん!」
ハナ差で四着に敗れたデアヴェローチェが顔を背ける。
「ふ、ふん……あんたみたいに……脳筋で逃げるだけの人とは……違うから……」
「えー?私のこと褒めてるの?ありがとう!次は競走しようよ!」
アイニードユーの底抜けの明るさに、
デアヴェローチェは毒気を抜かれたように呟いた。
「……べ、別に……そんなんじゃないし……でも、次は……背中見せてあげても、いいけど……」
歓声が最高潮に達する中、
ギリーズボールが先頭でゴール板を駆け抜けた。
一馬身四分の三差の圧勝。
二着に猛追したサンアントワーヌ。
三着に粘り込んだアイニードユー。
四着にデアヴェローチェ。
一番人気のショウナンカリスは、
遠く後ろで八着に沈みながら天を仰いでいた。
レース後、検量室前は騒然としていた。
食欲という最も俗世的な動機で勝利を掴んだギリーズボールの姿は、
競馬ファンたちの心をがっちりと掴んで離さなかった。
計算を破壊されても気品を保とうとするサンアントワーヌ。
ガス欠になりながらも爽やかに笑うアイニードユー。
彼女たちの物語は、
まだ始まったばかりである。
(あーあ、結局チュロスじゃなくて尻尾だった。でも、特上人参はどこかなー?)
ギリーズボールの腹の虫が、
勝利のファンファーレよりも高らかに鳴り響いていた。