猫でも書ける短編小説
『戦術士ですが、理想主義が過ぎて命がけです』【猫でも書ける戦記小説】
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第3章:「魔導姫と影術士と、戦術士の胃痛と絶望的な戦力差」 「……胃が痛い。戦術より先に内臓が崩壊する」
ユグ・サリオンは、焔の城の作戦室で地図を睨みながらぼやいた。 その隣で、セリナ・ノクティアが魔導茶を差し出す。
「じゃあ、胃薬に“絶望耐性”でも加えておく?」
「それは効きすぎて現実逃避になる。副作用は妄想と希望」
「希望は副作用なの?」
「この国では、そうだ。希望は胃痛の原因になる」
リュミナ・ヴァルティアが冷静に報告を始めた。
「魔導帝国、北方から進軍。推定兵数、四万。 こちら、動員可能兵力は三千四百十二。 地形と魔導支援を除けば、勝率は……計算不能です」
ユグは地図を指で叩いた。
「つまり、胃痛と地形で戦う。理想主義者の戦術、始まるよ」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ揺れた。 新たに編入された剣士隊長、ヴァルド・グレンハルトが腕を組んで唸る。
「三千で四万に挑むって、正気か? 俺は剣を振るうのは得意だが、理想で戦うのは苦手だ」
「安心して。僕も理想で戦うのは苦手だ。 でも、現実で戦うと胃が死ぬ」
セリナが笑いながら言った。
「ユグはね、理想を現実にする人なの。胃痛持ちだけど、天才よ」
若い魔導士が小声で呟いた。
「……あの人、本当に勝てるんですか?」
リュミナが静かに答える。
「彼は、非の打ちどころがありません。 ただし、打ちどころがない代わりに、胃が打たれています」
ユグは頭を抱えた。
「……君たちの信頼、重すぎて胃が潰れる」
ヴァルドが笑った。
「でもよ、あんたの戦術ってのは、どこか信じたくなる。 殺さずに勝つ? そんな馬鹿げた理想、俺は嫌いじゃねえ」
セリナが茶をすすりながら言った。
「ねえ、ユグ。敵って、魔導帝国でしょ? あの“魔導兵器部隊”も来てるって噂よ」
「うん。胃痛が、魔導兵器に反応してる」
リュミナが地図を指差す。
「峡谷の地形を利用すれば、敵の進軍を分断できます。 セリナ殿の霧魔導で視界を遮断し、ヴァルド隊が側面を叩く。 ユグ様は、中央で指揮を」
ユグは深呼吸した。
「……三千で四万に挑む。 殺さずに勝つには、奇跡が必要だ」
セリナが微笑んだ。
「じゃあ、奇跡を起こす茶でも淹れようか? 副作用は、恋と妄想」
ユグは顔を背けた。耳が赤い。
「……君は、時々、魔導兵器より破壊力がある」
リュミナは何も言わなかった。 ただ、静かに剣を抜いた。
「作戦開始まで、あと一刻。 胃薬は、今のうちに」
ユグは地図を見つめながら、呟いた。
「……紅蓮王国は弱小国だ。 でも、理想は強い。 それを証明するために、胃痛と妄想で戦う」
そして、彼は立ち上がった。 三千の兵を率いて、四万の敵に挑むために。
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第4章:「三千の理想、四万の現実に挑む」 「霧、展開完了。視界、五十歩先まで遮断」
セリナ・ノクティアの声が、魔導通信石を通じて響いた。 峡谷は幻想の霧に包まれ、敵も味方も、互いの姿を見失っている。
「影術、側面撹乱開始。敵隊列、分断成功」
リュミナ・ヴァルティアの報告は冷静だった。 だがその声の奥には、ユグ・サリオンへの信頼が滲んでいた。
ユグは、三千の兵士を前に立ち、静かに言った。
「……敵は四万。こちらは三千。 普通なら、勝てない。だから、普通じゃない方法で勝つ」
兵士たちは黙って頷いた。 彼らはユグの戦術に命を預けている。 殺さずに勝つ――その理想に、賭けている。
「第一陣、弓兵。霧の中、音で誘導。 第二陣、魔導士。幻影で敵を誘導。 第三陣、剣士。接触は避け、足を狙え。殺すな。止めろ」
「……胃痛が悪化する」
誰かがぼそりと呟いた。 ユグは笑った。
「それは、戦術士の宿命だ。胃薬は後で配る」
セリナの声が再び届いた。
「敵、混乱中。中央突破を諦めて、左右に分散してる。 あなたの作戦、詩みたいに綺麗よ」
「詩は戦場で役に立たない。 でも、詩のような戦術は、心を守る」
リュミナの声も続いた。
「敵指揮官、動揺中。こちらの兵数を誤認している可能性あり。 “三千の理想”とでも呼ぶべき状況です」
「……それ、ちょっと気に入った」
ユグは剣を抜いた。 彼自身が戦うことは少ない。だが、兵士たちの前に立つことで、理想を示す。
「僕らは、誰も死なせない。 敵も、味方も。 それが、戦術士としての誇りだ」
霧の中、弓が放たれ、幻影が踊り、剣が地を打つ。 叫び声はない。血の匂いも、ほとんどない。 ただ、混乱と静かな制圧が広がっていく。
セリナが魔導通信石に囁いた。
「ねえ、ユグ。あなたの理想、ほんとに届いてるよ。 この霧の中で、誰も死んでない。 あなたの“妄想”、現実になってる」
ユグは答えなかった。 ただ、霧の中で立ち尽くし、三千の動きを見守っていた。
リュミナが最後に報告した。
「敵軍、撤退開始。死者、ゼロ。 こちらの負傷者、軽傷三十名。 作戦名、“六星の残火”――成功です」
ユグは、そっと剣を納めた。 胃痛は、まだ残っていた。 だが、その痛みは、誇りに変わっていた。
「……奇跡じゃない。これは、理想の証明だ」
セリナとリュミナは、それぞれの場所で、静かに微笑んだ。 そして、霧の中に、三千の足音が響いた。
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第5章:「魔導帝国、理想主義者に撤退を強いられる」 「……撤退、ですか?」
副官レイナ・ヴァルスは、言葉を選びながら問いかけた。 魔導帝国軍、第四方面軍。兵数四万。 対する紅蓮王国、三千余。 常識的に見れば、勝利は確定していた。
だが、現実は違った。
「そうだ。撤退だ」 統率者グラウス・エル=ヴァルドは、地図を睨みながら答えた。 その顔には、敗北の色ではなく、理解不能への苛立ちが浮かんでいた。
「敵は、紅蓮王国。弱小国。 兵力も、魔導資源も、我が帝国の十分の一以下。 なのに、我々は……先手を取られ続けた」
レイナは眉をひそめた。
「敵の指揮官、ユグ・サリオン。 報告によれば、胃痛持ちの理想主義者。 戦術より妄想を語る男だと」
「妄想? 違う。あれは――獰猛な魔獣だ」
グラウスは拳を握った。
「霧を操り、幻影を使い、我が軍の進軍を分断した。 地形を読み、兵の心理を突き、我々の動きを三手先まで読んでいた」
「まるで、理想を武器にするような……」
「そうだ。奴は“殺さずに勝つ”などとほざいていた。 だが、実際には――我が軍の士気を削り、陣形を崩し、 兵たちに“戦う意味”を見失わせた」
レイナは静かに言った。
「兵士たちは、彼を“鬼”と呼んでいました。 姿は見えず、声も届かず。 ただ、戦場の空気が、彼の理想に染まっていたと」
グラウスは椅子に沈み込んだ。
「我々は、勝てるはずだった。 だが、あの男は、戦術ではなく“信念”で戦った。 そして、それが兵士たちの心を奪った」
「次は、彼を殺すべきです」
「殺せるならな。だが、あの“鬼”は、殺さずに勝つ。 だから怖い。だから、撤退は最善だった」
レイナは地図を見つめた。 峡谷には、まだ霧が残っている。
「……彼の理想は、戦場を詩に変えた。 それが、我々の現実を崩した」
グラウスは目を閉じた。
「次に会う時は、理想ではなく、現実で叩く。 だが――胃痛持ちの魔獣に、現実が通じるかは、わからん」
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「戦術士、語りと精霊に包まれる」
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