猫でも書ける短編小説
◀第32章 集う者たちと隠された真実
▶第37章 迷宮への準備と新たな誤解
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第33章 王都への誓いと旅立ち
セリナは、まだ眠っていた。 毛布に包まれたその寝顔は、まるで焼きたてのパンのように柔らかく、見ているだけで心がほぐれていく。時折「バター……多め……」と寝言をつぶやくのが、彼女らしさのすべてだった。
街は静かだった。ふわふわが消えたことで、空気は少し硬くなったけれど、その分、輪郭がはっきりした。まるで、魔力の湯気が晴れて、世界の形が見えてきたような感覚。
僕はセリナの部屋の前で、最後の荷物を確認していた。魔力観測器、封印用の魔法石、パンの種……いや、これは違う。パンは現地調達だ。王都にも、きっとふわふわの希望がある。
「準備は整ったか?」
レイガの声が背後から響いた。彼はすでに騎士団の部隊をまとめ、出発の準備を終えていた。フレイムはその隣で尾を揺らし、風の流れを読んでいる。グリュードは、セリナの部屋の前に静かに立っていた。
「彼女は、私が守る。炎の番竜として」
その言葉に、僕は深く頷いた。グリュードの瞳は、昨日よりも穏やかだった。セリナの魔力が街を包んでいた頃とは違い、今は彼自身が街を包もうとしているようだった。
「ありがとう、グリュード。彼女のこと、よろしくお願いします」
「任された」
短く、でも確かな言葉だった。
レイガは地図を広げながら言った。
「王都には、世界五大賢者の一人、アストレイアがいる。魔力の構造と封印術に精通している。彼女なら、セリナの眠りを解く手がかりをくれるはずだ」
「アストレイア……名前からして賢そうですね。語尾に“〜じゃ”とかついてそう」
「実際は“〜ですわ”らしい」
「……気品系ですか」
「気品系だ」
そんな会話を交わしながら、僕たちは街の門へと向かった。騎士団の部隊が整列し、フレイムが先頭で風を読む。僕はその後ろで、セリナの寝顔を思い浮かべていた。
「パン……ふわふわ……」
最後に聞こえた寝言が、僕の背中を押してくれた。彼女は夢の中で、きっと笑っている。パンの精霊と踊っている。ふわふわステップで。
僕は拳を握った。この旅は、彼女を目覚めさせるためのものだ。僕が強くなって、封印の力を引き出せるようになれば、きっと彼女は戻ってくる。
「行こう。ふわふわの続きを、取り戻すために」
レイガが頷き、フレイムが尾を振った。騎士団が動き出す。街の門が開く。風が、僕たちの背中を押す。
こうして、僕たちは旅立った。 セリナは夢の中でパンを焼き続け、僕は現実で彼女を守る力を探しに行く。
世界は、少しだけ硬くなった。でも、それはきっと、次のふわふわのための準備なのだ。
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第34章 王都到着と賢者アストレイア
王都は、思っていたよりもずっと、パンの香りがしなかった。
「……ふわふわ成分、ゼロですね」
僕は門をくぐった瞬間、思わずつぶやいた。セリナが眠ってからというもの、ふわふわの基準がすっかり彼女になってしまったらしい。パンの香りがしない街は、どこか物足りない。いや、パンの話はもうやめよう。今は封印力の話をするべきだ。
「ルイ、顔がパンを探してるぞ」とレイガが言った。
「探してません。……ちょっとだけ、香ばしさを期待しただけです」
「それを“探してる”って言うんだ」
レイガの突っ込みに、僕はそっと視線を逸らした。フレイム――いや、今はまだドラゴン形態のままの彼女が、くすりと笑ったような気がした。あれは笑ったのか? それとも鼻息か? どちらにせよ、王都の空気は、僕の封印力を鍛えるには十分すぎるほど緊張感に満ちていた。
王都の中央区、魔術塔の最上階。そこに、世界五大賢者のひとり、アストレイアがいるという。
「緊張してるのか?」とレイガが訊く。
「してません。……ちょっとだけ、胃が封印されそうなだけです」
「それは緊張だ」
僕は深呼吸をして、塔の扉をノックした。すると、すぐに開いた。中から現れたのは、白銀の髪を持つ女性。年齢不詳、瞳は琥珀色。全身から「私は賢者です」と言わんばかりのオーラを放っていた。
「あなたが、封印使いのルイね?」
「えっ、あ、はい。あの、まだ未熟で、封印も……その、ふわふわしてて……」
「ふわふわ?」
「いえ、なんでもありません」
僕は慌てて口を閉じた。セリナの話を出すと、説明が長くなる。というか、説明しても信じてもらえない。世界の意志がセリナの中にいて、今は夢の中でパンの精霊と踊っている――なんて、言えるわけがない。
「まあいいわ。中へ入りなさい」
アストレイアはくるりと背を向け、塔の奥へと歩き出した。僕たちはその後に続く。塔の中は静かで、魔力の流れが整っているのが肌でわかる。まるで、空気そのものが封印されているようだった。
「あなたの目的は、眠り続ける少女を目覚めさせること。違う?」
「……はい。セリナを、目覚めさせたいんです」
「そのために、封印力を高めたいと?」
「はい。僕の力が足りないせいで、彼女は……」
「違うわ」
アストレイアの言葉に、僕は思わず顔を上げた。
「あなたの力が足りないんじゃない。世界が、あなたに試練を与えているのよ」
「試練……?」
「王都の地下に、“封印核”が眠っている。そこには、古代の封印術の源があると言われているわ。触れることで、封印力を飛躍的に高めることができる。ただし――」
「ただし?」
「生きて帰れる保証はないわ」
……うん、出た。こういうの、絶対に出ると思ってた。試練には必ず“ただし”がつく。しかも、だいたい命に関わる。
「でも、僕は行きます。セリナを目覚めさせるためなら、どんな試練でも」
「ふふ、いい返事ね。では、これを」
アストレイアが差し出したのは、銀色の鍵だった。魔力が込められていて、触れた瞬間、指先がじんわりと熱くなる。
「迷宮の封印扉を開く鍵よ。あなたにしか反応しないわ」
「……ありがとうございます」
そのときだった。
『セリナさん、今ちょっと寝返り打ちましたよ』
頭の中に、声が響いた。聞き慣れた、けれどどこか神々しい、あの声。
「……世界の意志?」
『はい、こんにちは。今日からあなたの脳内に常駐させていただきます。よろしくお願いします』
「え、ちょ、ちょっと待ってください。常駐って、え、えええ?」
『セリナさんの夢を守るために、私はしばらくこちらに移動しました。あ、ちなみに今、彼女は“バター多めのクロワッサン”を焼いています』
「……夢の中で?」
『はい。ふわふわです』
僕は頭を抱えた。いや、抱えたくなる。世界の意志が脳内に住み着くなんて、誰が想像しただろう。しかも実況付き。
『それにしても、あのアストレイアという女性、ちょっと距離が近くないですか?』
「え、いや、別にそんなことは……」
『セリナさんのために頑張ってるのは認めますけど、あまり他の女性と親しくしすぎるのはどうかと』
「いや、僕はただ、封印核に……」
『ふーん……』
……なんだこの圧。神の圧。脳内でため息をつかれると、思考がぐにゃっと曲がる。
「ルイ、大丈夫か?」
レイガが心配そうに声をかけてきた。僕は慌てて首を振る。
「だ、大丈夫です。ちょっと、脳内が騒がしいだけで」
「……?」
レイガは首をかしげたが、それ以上は何も言わなかった。ありがたい。説明しても絶対に信じてもらえない。
「封印核への道は、明日開かれるわ。今夜は休んで、英気を養いなさい」
アストレイアの言葉に、僕たちは塔を後にした。外に出ると、王都の空は夕焼けに染まっていた。
『セリナさん、今、クロワッサンを焼きすぎて焦がしました』
「……それ、報告必要ですか?」
『重要です。彼女のふわふわ度が一時的に低下しました』
「……そうですか」
僕は空を見上げた。セリナの眠る顔が、頭に浮かぶ。あの、ふわふわとした笑顔。あの笑顔を、もう一度見たい。
「絶対に、目覚めさせるから」
『……はい。私も、信じています』
世界の意志の声が、少しだけ優しくなった気がした。
王都の空は、ふわふわではなかったけれど。 でも、どこか、あたたかかった。
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第35章 紅蓮の牙、再集結
王都の朝は、やけに騒がしかった。
「ルイ、急げ。リズが戻ってきたらしい」
ヴァルの声が、宿の廊下に響いた。彼の足音はいつも豪快で、階段を降りるたびに「地面が少しへこんだんじゃないか」と思うほどだ。僕は靴を履きながら、セリナの眠る姿を思い浮かべた。
あの、ふわふわとした寝息。静かなまぶた。 彼女の夢の中に、今日もパンの精霊が現れているだろうか。
『セリナさん、今、夢の中でバターを塗りすぎてパンが崩壊しました』
「……それ、報告必要ですか?」
『重要です。彼女のふわふわ度が一時的に低下しています』
世界の意志は、相変わらず僕の脳内で実況を続けている。昨日から常駐しているらしく、僕の思考の隙間にふわっと入り込んでくる。しかも、セリナの夢の様子を逐一報告してくれるのだが、情報の選別基準が謎すぎる。
「リズって、あのリズさんですか?」
「そうだ。遮断陣のリズ。魔力暴走の調査任務から戻ったばかりらしい」
遮断陣。あの、魔力の流れを一瞬で断ち切る術式。以前のクエストで一緒になったとき、彼女がそれを展開した瞬間、空気がピタリと止まったような感覚があった。冷静で、的確で、そして何より、僕の封印術を「面白い」と言ってくれた数少ない人だった。
「……ちょっとだけ、緊張します」
「顔が“ちょっと”じゃないぞ」
ヴァルに言われて、僕は頬を引き締めたつもりだったが、たぶん引き締まっていなかった。
王都の西門近く、魔術塔の分室。そこに、リズはいた。
「遮断陣、全展開!魔力暴走の兆候あり!……って顔してますよ、ルイ」
再会の第一声が、それだった。
「えっ、えええっ!?」
僕は思わず反射的に身構えた。リズの声は、いつも通り冷静で、でも緊迫感があって、だからこそ信じてしまう。
「……冗談です。久しぶりですね、ルイ」
リズは、ほんの少しだけ微笑んでいた。彼女の笑顔は滅多に見られない。だからこそ、その一瞬に、彼女の感情の揺れを感じ取ってしまう。
「お久しぶりです。あの、遮断陣は……?」
「展開してません。今のあなたの魔力、どこかセリナさんに似てます。ふわふわしてて、優しい」
「ふわふわ……」
『セリナさん、今、夢の中でマフィンを焼いています。ふわふわ指数、上昇中です』
世界の意志の報告が、脳内に響く。僕はそっと目を閉じて、深呼吸した。リズの前で、脳内実況に反応するわけにはいかない。
「それにしても、ルイの封印術。以前より、ずっと安定してますね」
「え、そうですか?」
「魔力の流れが滑らかです。まるで、絹のように」
「絹……」
僕は思わず手を見つめた。この手が、絹のような魔力を扱っているなんて、信じられない。でも、リズが言うなら、少しだけ信じてみてもいいのかもしれない。
「封印核の話は聞きました。迷宮に潜るんですよね?」
「はい。セリナを目覚めさせるために、封印力を高めたいんです」
「なら、私も行きます。紅蓮の牙として」
「えっ」
「ヴァルも行くと言ってました。レイガもいる。なら、私が行かない理由はありません」
「でも、危険かもしれませんし……」
「ルイ。あなたの封印術があれば、迷宮での魔力異常にも対応できる。私の遮断陣と合わせれば、暴走体にも対処できるはず」
「……ありがとうございます」
僕は頭を下げた。リズの言葉は、いつも短くて、でも重い。彼女が一緒に来てくれるなら、きっと迷宮の中で、セリナを目覚めさせるための力を得られる。 彼女のために、僕はもっと強くなりたい。
「それにしても、脳内に何かいるって話、本当なんですか?」
「えっ」
「昨日、アストレイアから聞きました。あなたの魔力に、神的な気配が混じってるって」
「え、えええええっ!?」
『あ、バレましたね』
「ちょ、ちょっと待ってください。なんでそんなことを……」
『賢者の感知力、侮れません。私の存在、完全に見抜かれてました』
「……」
リズは、僕の顔をじっと見ていた。何かを見透かすような瞳。僕は、視線を逸らすことしかできなかった。
「まあ、何であれ、セリナさんのために動いてるなら、私は協力します」
「え、ええ……ありがとうございます」
『ちなみに、迷宮の最深部には“封印核”だけでなく、“ふわふわの源泉”もあるかもしれません』
「それ、重要ですか?」
『セリナさんのふわふわ度に直結します』
「……そうですか」
リズは、僕の独り言に何も言わなかった。たぶん、慣れているのだと思う。僕が時々、意味不明なことを口にするのを。
「じゃあ、明日から迷宮探索ですね」
「はい。よろしくお願いします」
リズは、静かに頷いた。その姿は、まるで風のようだった。強くて、でも優しくて、そして、どこか遠くを見ているような。
『セリナさん、今、夢の中でリズさんの遮断陣を真似しています。ふわふわ遮断陣、展開中です』
「……それ、どういう術式なんですか?」
『私にもわかりません。ふわふわです』
僕は、そっと空を見上げた。王都の空は、今日も晴れていた。セリナの夢の中も、きっと晴れている。ふわふわ遮断陣が、空に浮かんでいるのかもしれない。
そして、僕たちは、迷宮へと向かう準備を始めた。
紅蓮の牙が、再び集結する。 セリナのために。 ふわふわのために。 そして、僕自身のために。
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第36章 忠誠のメイド、フレア
王都の朝。迷宮探索の準備が進む中、僕の部屋の隅で、ちょこんと丸まっている小さな竜がいた。
フレイム——熾天の竜王《イフリート・ロード》。かつて炎哭の洞の最奥で、僕とセリナ、ヴァルのパーティが命がけで封印した存在。 《Lv:300 属性:炎・再生・空間支配》という、見るだけで胃が痛くなるステータスを誇っていた彼女は、今では子犬サイズの小さな竜の姿で、僕の足元にいる。
「……フレイム、今日も元気そうだね」
「……クゥ」
返事は、くぐもった鳴き声。以前は空間を焼き尽くすほどの咆哮を放っていたのに、今では僕の靴紐をちょいちょいとつついてくるだけだ。
『セリナさんが封印した再生核、今も安定しています。ふわふわ指数も安定中です』
世界の意志が、脳内で報告してくる。ふわふわ指数って何だ。いや、もう聞き返すのも疲れてきた。
「フレイム、そろそろ……その、話してみない?」
「……クゥ?」
「いや、君がずっと黙ってるから、てっきり言葉を失ったのかと……」
すると、フレイムの体がふわりと光に包まれた。炎のような魔力が、静かに舞い上がる。僕は思わず後ずさった。封印が、解ける——?
そして、現れたのは——。
「我は、変わらず在る。 ただ、主の魔力により、形を変えたのみ。 怒りではなく、包み込む力に従うこと── それが、ふわふわの番竜の誓い」
炎の気配を纏った、一人の少女。 完璧なエプロン姿。髪は赤く、瞳は琥珀色。 その姿は、炎の竜王とは思えないほど、礼儀正しく、そして柔らかい雰囲気を持っていた。
「……フレイム?」
「かつての名は、イフリート・ロード。 今は、主のそばに在る者として、フレアと名乗る。 主の歩みを支え、炎を整え、空間を清める者── それが、我の新たな在り方」
「えっ……えええっ!? なんでメイドに……?」
「主の魔力は、怒りを鎮め、形を変える。 我は、主のふわふわに染まりし炎。 ならば、主の暮らしを整えることも、誓いの一部」
『セリナさんの代わりになろうとしてませんか!?』
世界の意志が、脳内で叫んだ。嫉妬モード、発動である。
「いや、そんなつもりは……」
「主のそばに在ること。それが、我の望み。 ふわふわの番竜として、主を包み込むこと── それが、我の忠誠」
僕は、言葉を失った。こんなふうに、誰かに“そばにいたい”と言われたのは、初めてだったから。
「……ありがとう。でも、僕は不器用で……」
「不器用な主を支えること。 それもまた、炎の役目」
『セリナさんは、ふわふわで、優しくて、そして……!』
世界の意志が、脳内で実況とツッコミを同時展開している。最近、感情が忙しそうだ。
「フレアさん、迷宮探索にも……?」
「もちろん。炎術と清掃術、両方を携えて参ります」
「清掃術……?」
「迷宮の床、少し汚れているようですので」
「いや、そこは……」
ヴァルが部屋に入ってきた瞬間、フレアはすっと立ち上がり、完璧な礼を見せた。
「紅蓮の牙の皆にも、敬意を。 主の仲間として、共に戦わせていただきます」
「……なんか、すごいの出てきたな」
ヴァルがぽつりと呟いた。リズも後ろから現れ、フレアをじっと見つめる。
「炎の竜王……でも、魔力の流れが安定してる。遮断陣、必要なさそうですね」
「主の封印術が、我を整えてくれた。 その力に、我は従う」
「……なるほど」
リズの目が、少しだけ柔らかくなった気がした。フレアの存在が、空気を変えている。炎なのに、どこか安心感がある。
『セリナさん、今、夢の中でメイド服を試着しています。ふわふわ度、急上昇です』
「それ、どういう状況なんですか……」
『私にもわかりません。でも、ちょっと似合ってます』
僕は、そっと空を見上げた。王都の空は、今日も晴れていた。セリナの夢の中も、きっと晴れている。ふわふわメイド服が、風に揺れているのかもしれない。
そして、僕たちは、迷宮へと向かう準備を整えた。
新たな仲間、フレア。 忠誠のメイドとして、僕のそばに立つ。 セリナの眠りを解くために。 そして、僕自身が、誰かの想いに応えるために。
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第37章 迷宮への準備と新たな誤解
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