第46章『魔導獣使いアグレアスとの頭脳戦』
迷宮の空間が静けさを取り戻したのも束の間だった。 封印陣の余波が収まりきらないうちに、空気が再びざらつき始める。 魔力の流れが、今度は別の方向から乱れていた。
「……誰かが、術式を逆解析してる」 ルイは、指先で空気をなぞりながら呟いた。 魔力の粒子が、封印陣の輪郭をなぞるように揺れている。 それは、誰かが意図的に術式の“隙”を探っている証だった。
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「ようやく、まともな術式に出会えたと思ったら……随分と甘いな」 声が響いた。 迷宮の奥から、黒いローブを纏った男が現れる。 その瞳は、冷たく、何も映していないようでいて、すべてを見下していた。
「魔導獣使い、アグレアス……」 リズが眉をひそめる。 「魔族の中でも、選別主義を掲げる異端者。 自分以外は“素材”としか見ていない」
「素材? それは褒めすぎだな」 アグレアスは、笑う。 「お前たちは“素材”ですらない。 ただのノイズ。僕の魔獣に踏み潰されるだけの、無価値な存在だ」
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「……なんで、こういう人って自己紹介が攻撃的なんだろう」 ルイは、そっと呟いた。 フレアが、紅茶を差し出しながら歩み寄る。 「ご主人様、紅茶を。今が最適な注ぎ時です」 「……今、魔族が術式を食べようとしてるんだけど」 「それでも、紅茶は冷めます」 「……僕の緊張より、君の湯加減の方が優先されてる……」
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アグレアスは、魔獣を召喚した。 それは、封印術の構造を模倣するように動く、魔力の塊だった。 術式の“間”を読み、封印陣の輪郭を崩そうとしている。
「僕の魔獣は、術式を喰う。 お前の封印術がどれほど繊細でも、構造が見えれば崩せる」 「……でも、繊細だからこそ、見えにくいんじゃないかな」 ルイは、魔力の流れを読みながら、術式の“間”を再構築していく。
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「リズ、遮断陣を逆位相で展開して」 「了解。魔獣の魔力波に干渉させる」 「ミリア、補助術式を重ねて。魔力の流れを“美しく”整えて」 「はいっ! 美しさは、術式の強度です!」
ヴァルが前衛に立ち、魔獣の動きを封じる。 レイガが防衛陣を張り、仲間を守る。 フレアが補助術式を展開し、ルイの魔力を安定化させる。
「……お前たち、連携なんて無駄だ。 強者は、孤独でなければならない」 アグレアスの声が、冷たく響く。
「でも、僕は……誰かと一緒にいる方が、強くなれる気がする」 ルイの術式が光り、魔獣の動きが鈍る。 封印術が、魔力の流れを逆転させ、魔獣の核を固定する。
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「今だ、ヴァル!」 「任せろ!」
ヴァルが炎術を展開し、魔獣の核を焼く。 リズが遮断陣で空間を閉じ、ミリアが補助術式で術式を強化。 ルイが封印術で核を閉じ込め、アグレアスの魔獣は崩れ落ちる。
「……くだらない。 お前たちのような“群れ”に、何の意味がある」 アグレアスが、最後の魔力を放とうとした瞬間——
「封印、完了」 ルイの術式が光り、アグレアスの魔力を包み込む。 空間が静まり、魔族の姿が術式の中に沈んでいく。
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ルイは、カップを受け取りながら、ふっと笑った。 その笑みは、戦いの緊張をほどくように、静かに空間に溶けていった。
そしてその頃、遠く離れた街の静かな部屋で—— セリナの髪が、微かに揺れた。 窓から差し込む風が、彼女の寝顔を撫でる。 その唇が、ほんの一言だけ動いた。 「……ルイ……」
世界の意志が、そっとささやく。 「……今、セリナさんが名前を……」 「えっ、僕の?」 「たぶん偶然です。風の揺れと、空間の静けさが重なっただけかと」 「……それ、偶然って言いながらちょっと嬉しそうじゃない?」 「偶然です。たぶん。でも、次回は“名前呼ばれ率”も記録しておきましょうか?」
ルイは、そっと笑った。 それは、誰にも見られないような、小さな微笑み。 でも、確かに——誰かに届いた気がした。
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