第3話:盾の陽気な男と、へっぽこ戦訓練の朝
港町の外れにある小規模訓練場は、砂煙と木屑の香りが混ざる、いかにも「汗と魔法の匂いがする場所」だった。
地面は踏み固められた土。木製の標的が並び、簡易結界がうっすらと光を放っている。結界の端には「魔法暴走禁止」「カモメへの誤射厳禁」と書かれた札がぶら下がっていた。後者はたぶん、過去に誰かがやらかした。
(……カモメに魔法を当てるほどの精度、僕にはないけど)
アリア・アーデルは、訓練場の隅で静かに立っていた。手には魔力制御装置。魔法を使うには、これがないと不安定すぎる。いや、あっても不安定なのだが。
標的を見つめながら、彼は指先をとんとんと叩いた。思考の癖。魔法の構築式を頭の中で組み立てては、失敗の記憶が邪魔をする。
(……あの標的、風で揺れてる。命中率、下がるな)
そんなことを考えていたときだった。
「おーい! そこの“考えすぎてる顔”の君! 準備はいいかーっ!」
陽気な声が、訓練場の入口から響いた。
現れたのは、赤髪を逆立てた青年。肩に剣を担ぎ、笑顔を浮かべている。歩くというより、跳ねている。テンションが高い。いや、高すぎる。
「君がアリア・アーデルだな? 俺はクロス・ヴァレンタイン! 戦闘訓練担当、そして港町の“元気担当”だ!」
「……元気担当?」
「そう! この町、静かすぎるからな! 俺が騒がないと、カモメしか鳴かない!」
(それはそれで、平和でいいと思うんだけど)
アリアは、軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします。僕は、あまり戦闘経験がなくて……」
「任せとけ! 俺が“戦闘のいろは”から“戦場のいろもの”まで教えてやる!」
「……いろものは、教えなくていいです」
「おっと、ツッコミもできるのか! いいぞ、そういうの大事!」
クロスは、剣を地面に突き立てると、アリアの肩をぽんぽんと叩いた。力加減はギリギリセーフ。たぶん。
こうして、アリアの“戦闘訓練”は、陽気な相棒とともに始まった。
「まずは前線の基本からだな! 立ち位置、回避、そして“かっこよさ”!」
「……最後のは、必要ですか?」
「必要だ! 敵に“おっ、こいつできるな”って思わせるのも戦術のうちだ!」
(それ、ただの自己満じゃ……)
アリアは、魔力制御装置を握り直しながら、クロスの熱弁を聞いていた。 訓練場の空気は、砂煙と海風が混ざっていて、なんとなく“潮っぽい戦場”という不思議な雰囲気を醸し出している。
「まず、敵が来たらこうだ!」
クロスは、突然大きく跳ねて、両腕を広げた。 ポーズは派手。動きは速い。だが、的からは完全に外れている。
「……それ、回避じゃなくて“舞”ですよね?」
「違う! これは“魅せる回避”だ!」
「……魅せる必要、あります?」
「ある! 俺は“魅せて避ける男”だからな!」
(初耳だし、誰が認定したんだそれ)
クロスは、標的の前に立ち、今度は剣を構えて見せた。
「次に、簡易結界の使い方だ。これ、見えるか?」
彼が指差した先には、うっすらと光る結界のライン。 アリアは頷いた。
「この結界、魔法の衝撃を一部吸収してくれる。だから、ここを背にして戦うと、ちょっとだけ安心感がある。まあ、カモメには効かないけどな」
「……カモメ、そんなに脅威なんですか?」
「昨日、リンネが魔法弾を撃ったら、カモメが逆に反射してきたらしい。あいつら、進化してる」
(カモメ、どこまでいくんだ)
そのとき、訓練場の端で見ていたリンネが、遠くから手を振った。
「クロス、また変なこと教えてないでしょうねー!」
「変じゃない! 俺の教えは“魂の戦術”だ!」
「それが一番怪しいのよ!」
アリアは、思わず笑ってしまった。 クロスの指導は、理論的には破綻している部分もあるが、妙に説得力がある。 そして何より——楽しい。
(……こんなふうに、魔法の話を笑いながらできるなんて)
それは、アリアにとって新鮮な感覚だった。
「よし、じゃあ模擬戦いってみようか!」
クロスが剣を肩に担ぎながら、にやりと笑った。 訓練場の中央には、木製の標的と簡易結界が配置されている。空気が少しだけ張り詰め、砂が風に舞う。
「えっと……僕が相手ですか?」
「いやいや、俺が前に出る。君は後衛で援護。魔法が不安定でも、動きと判断でカバーできる。俺が囮になるから、君は“ぽんっ”と撃ってくれればいい!」
「……“ぽんっ”って、どんな魔法ですか」
「気持ちのいいやつ!」
(説明になってない……)
アリアは、魔力制御装置を装着し、深く息を吸った。 魔法は不安定。けれど、クロスが前に立つなら、少しは安心できる。
「いくぞ、アリア! “俺の背中は任せたぞ感”を出していく!」
「……その感、出す必要あります?」
「ある! 雰囲気は大事!」
クロスが突進する。標的の間を縫うように動き、剣を振るう。 その動きは派手だが、無駄がない。敵の注意を引きつけるには十分すぎるほどだ。
アリアは、後方から魔力を流す。構築式を思い描く。 けれど、指先が震える。魔力が、途中で引っかかる。
(……またか)
その瞬間、標的の一つがアリアに向かって動いた。魔法で制御された訓練用の“動く的”だ。
「アリア、右だ!」
クロスの声が飛ぶ。反射的にアリアは身を引き、魔力を放つ。 光弾が、標的の足元をかすめて爆ぜた。
「ナイス! 今の“ぽんっ”だったぞ!」
「……偶然です」
だが、偶然でも当たった。 アリアの中で、何かが少しだけ動いた。
標的が再び動く。クロスが前に出て斬りかかる。アリアは、彼の動きに合わせて魔法を放つ。 魔力は不安定だが、クロスの動きが“次”を教えてくれる。
(……合わせられる)
指先が、とんとん。
思考の癖。けれど、今は“構築”ではなく“感覚”で動いていた。
「アリア、次、左上! “ぽわ〜ん”って撃て!」
「“ぽわ〜ん”って何ですか!?」
「気持ちのいいやつだ!」
(またそれか!)
だが、撃った。魔力が、ほんの少しだけ素直に流れた。 光弾が標的を直撃し、木片がぱらりと舞った。
一瞬、静寂。
「……やったな」
クロスが、にかっと笑った。
アリアは、息を整えながら頷いた。
(……今のは、偶然じゃない)
確かに、魔法は不安定だ。けれど、誰かと一緒なら——動くかもしれない。
訓練が終わると、空はすっかり夕焼け色に染まっていた。 港町から吹く風が、熱を帯びた訓練場の空気を冷ましていく。
「ふぅ〜、今日も俺、かっこよかったな!」
クロスは剣を肩に担ぎ、どこか誇らしげに胸を張っていた。 その横で、アリアは静かに水を飲んでいる。汗をかいた額に風が心地よい。
「……かっこよさの基準、独特ですよね」
「お、ツッコミも冴えてきたな! それも訓練の成果だ!」
「……それ、戦闘関係あります?」
「ある! “ノリ”は戦場でも重要だ!」
(……この人、真面目なのかふざけてるのか、わからない)
そのとき、訓練場の端からリンネが顔を出した。
「お疲れさまー。クロス、また“魅せる回避”やってたでしょ?」
「やってた! そして今日も魅せた!」
「……アリアくん、よく耐えたね」
「……はい、なんとか」
アリアは、思わず苦笑した。 けれど、心の中は不思議と穏やかだった。
魔法はまだ不安定だ。けれど、誰かと一緒に動くことで、少しずつ“何か”が変わってきている気がする。
指先が、とんとん。
思考の癖。けれど、今日はその音が少しだけ軽やかだった。
(……今日は、少し違った)
クロスの声、リンネの笑い声、そして自分の魔法が“誰かと繋がった”感覚。
それらが、胸の奥に小さなざわめきを残していた。
「アリア、明日もよろしくな! “ぽんっ”といこうぜ!」
「……“ぽんっ”の定義、明日までに教えてください」
「無理だ! 感じろ!」
(……やっぱりこの人、説明する気ないな)
アリアは、夕陽の中でそっ
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