第14話:荒野の陣、僕が描く作戦図は崩れないか
港町エルネア近郊の臨時作戦室。 壁一面に展開された魔導図が淡い光を放ち、荒野から汚染された森へ続く地形と残滓濃度の分布が立体的に浮かび上がっていた。赤い点は危険地帯、青い点は結界の薄い流域、そして緑の印が今回の目標地点――封鎖ポイントと素材採取地点だ。
アリアはその前に立ち、指先をとんとんと叩きながら、まるで棋士が盤面を読むように視線を走らせていた。
「今回の任務は二つ。 一つ、残滓の濃い森の入口を封鎖して被害拡大を防ぐこと。 二つ、結界補修に必要な“残光石”を採取すること。 どちらも時間との勝負だ。残滓の濃度が上がれば、地形そのものが変質する」 仲間たちは真剣な表情で頷いた。
アリアは魔導図に手をかざし、光のラインを引く。 「クロスは突入ルートの先頭。変異魔獣が出ても、まずは注意を引いてほしい」 「任せろ! 俺の勇姿を見せてやる!」 「……勇姿より冷静さを優先して」 「えっ」
軽くツッコミを入れると、リンネがくすっと笑った。
「リンネは索敵と結界補助。残滓の揺らぎが強いから、地形の変化をいち早く察知してほしい」 「了解。アリアの指示に合わせて動くね」
「アイリスは……最後のフィニッシュ担当。旋律魔法で局面を切り開いてもらう」 「うん! 任せて!」 アイリスは明るく答えたが、その瞳の奥にほんの一瞬だけ影が揺れた。アリアは気づかない。
そして最後に、自分の役割を告げる。 「僕は全体の構成と連携指示。残滓の干渉を読みながら、数手先を考えて動く。みんなの動きを“ひとつの流れ”にまとめるのが僕の仕事だ」
クロスが突然、手を挙げた。 「よし、作戦コードネームは――“アリア大作戦・完全勝利編”でどうだ!」 「却下」 「即答!?」 「長いし、内容が雑すぎる」 リンネとアイリスが同時に吹き出し、作戦室の空気が少しだけ和らいだ。
アリアは深呼吸し、魔導図を見つめ直す。 (……これは僕たちの初めての大規模討伐。失敗は許されない。でも、仲間がいる。読み合いで勝つ)
光の地図が揺らめき、戦いの幕が静かに上がろうとしていた。
港町を離れ、荒野へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。 乾いた風に混じって、どこか金属のような匂いが漂う。地面には黒い静電のような閃光が走り、砂がざらりと揺れるたびに、まるで液体のように形を変えた。
「……残滓の濃度、予想より高いね」 リンネが眉をひそめ、索敵用の魔導器を構える。
アリアは指先をとんとんと叩きながら、地形の歪みを観察した。 (砂が液状化……地面の“相”が揺らいでいる。踏み込みの角度を誤ると沈む可能性が高い)
「クロス、前に出すぎないで。地面が不安定だ」 「任せろ! 俺は罠のスペシャリスト――うおっ!?」
クロスが胸を張った瞬間、足元の砂が“ぐにゃり”と沈んだ。 彼は慌てて跳び上がり、なんとか転倒を免れる。
「……スペシャリストって、罠にかかる方の?」 アリアが冷静に突っ込むと、リンネが肩を震わせて笑った。
「ち、違う! 今のは地形が悪いだけだ!」 「はいはい、わかったから前見て進んで」 アイリスがくすっと笑いながら背中を押す。
森に近づくにつれ、残滓の影響はさらに強まった。 木々の影が二重に揺れ、視界が一瞬だけ“ぶれる”。 アリアはその瞬間を見逃さなかった。
(……視界干渉。残滓の波が周期的に来ている。なら――)
「リンネ、右側に小結界を三つ。クロスはその後ろに回って」 「了解!」 「おう!」
アリアは地形の“揺らぎ”を読み、罠を避けるための“先手”を打つように結界の配置を指示した。 チェスで言えば、相手の伏兵を避けるために一手ずらすようなものだ。
「アイリス、後方から旋律を一つ。地形の波を可視化できる?」 「やってみる!」
アイリスが指先を弾くと、淡い音符が空中に浮かび、地面の揺らぎに合わせて震えた。 その振動が“安全な足場”と“危険な沈み”を示す。
「……すごい。これなら進める」 リンネが感嘆の声を漏らす。
アリアは頷き、仲間たちを導くように前へ進んだ。 (読み通り。残滓の波は一定のリズムで来ている。なら、次の揺らぎは――)
その瞬間、地面の奥から“ぶしゅっ”と黒い蔦が飛び出した。 変異した植物が罠のように絡みつこうとする。
「アリア、危ない!」 リンネが素早く結界を張り、蔦を弾いた。
「助かった……!」 「もう、気をつけてよね」 リンネが頬を膨らませると、クロスが横から茶々を入れる。 「アリアは考えすぎて周りが見えなくなるタイプだからな!」 「……否定できないのが悔しい」
そんなやり取りをしながらも、チームは確実に森の入口へと近づいていく。 残滓の罠を読み、避け、時に笑いながら。
戦場はすぐそこだ。
森の入口を越えた瞬間、空気が一変した。 黒い霧が地表を這い、木々の影が歪み、どこからともなく低い唸り声が響く。残滓の濃度は明らかに高く、視界の端がちらつく。
「来るよ……!」 リンネが短く告げた。
次の瞬間、茂みを割って変異魔獣の群れが飛び出した。 狼のような姿だが、鱗が黒く光り、動きが不規則すぎる。 残滓の干渉で“連携行動が予測不能”になっているのが一目でわかった。
「クロス、囮に!」 「任せろおおおお!!」
クロスが前に飛び出し、魔獣たちの注意を引く。 その動きに合わせてアリアは指先をとんとんと叩き、次の手を読む。
(魔獣の動きは三方向。右は速い、左は重い。中央は……跳躍か。なら――)
「リンネ、右側封鎖! アイリス、三秒後に旋律を!」 「了解!」 「三秒ね、任せて!」
リンネが素早く結界を張り、右側の魔獣の突進を止める。 アリアはその隙に中央へ小結界を三つ重ね、跳躍してくる魔獣の軌道をずらした。
そして―― 「今!」 アリアの声に合わせて、アイリスが指先を弾く。
光の旋律が空気を震わせ、魔獣たちの動きが一瞬止まる。 その隙にクロスが剣を振り抜き、前線を押し返した。
「よっしゃあああ! 俺のターンだ!」 「クロス、それカードゲームじゃないから!」 アリアが内心ツッコミを入れつつ、次の手を読む。
(魔獣の後方にまだ二体。残滓の波が来る……五秒後に地面が揺らぐ。なら、揺らぎの前に位置を変えさせて――)
「クロス、二歩下がって! リンネ、左へ三歩!」 「え、三歩? 細かっ!」 「理由は後で説明するから!」
アリアの指示に従って仲間が動くと、直後に地面が“ぐにゃり”と歪んだ。 もしそのまま戦っていたら、足を取られていたはずだ。
「……アリア、読んでたの?」 リンネが驚いた声を上げる。
「残滓の波の周期が見えたんだ。次は――」
アリアが言いかけた瞬間、魔獣の一体が予測不能な軌道で跳びかかってきた。 残滓の干渉による“暴発”だ。
「くっ……!」 アリアは咄嗟に結界を張るが、衝撃で後ろへ弾かれる。
「アリア!」 アイリスが駆け寄ろうとするが、別の魔獣が彼女を狙う。
「大丈夫、行って!」 アリアは歯を食いしばりながら叫ぶ。
アイリスは頷き、旋律を放つ。 光の波が魔獣を包み、動きを鈍らせた。
「クロス、今!」 「おうよ!」
クロスが渾身の一撃を叩き込み、魔獣が倒れる。
戦場に一瞬の静寂が訪れた。
「……ふぅ。まだ来るよね?」 「来る。ここからが本番だ」
アリアは指先をとんとんと叩き、次の数手を読む。 仲間の動き、残滓の波、魔獣の軌道―― すべてを盤面のように組み合わせ、勝ち筋を探す。
(ここで崩れたら終わりだ。読み切る……!)
戦いはまだ続く。
主戦場の奥へ進んだ瞬間、空気が“バチッ”と弾けた。 残滓の波が突然乱れ、黒い霧が渦を巻く。地面が揺れ、木々が軋み、魔獣たちの咆哮が一斉に響いた。
「……来る!」 アリアが叫ぶと同時に、魔獣群が一斉に突撃してきた。
アリアは即座に結界を展開しようとしたが―― 「っ……!」 結界が部分的に“ひび割れ”た。残滓の干渉が強すぎる。
(まずい……! このままじゃ押し込まれる!)
魔獣の一体がクロスに飛びかかる。 「うおおおお!? ちょ、近い近い近い!!」 「クロス、下がって!」 リンネが結界で軌道を逸らし、クロスは転がりながら後退した。
「アリア、結界が……!」 「わかってる……! 応急で組み直す!」
アリアは指先をとんとんと叩き、瞬時に“応急アルゴリズム”を組み立てる。 大規模結界は無理。なら―― 「小結界を分散させて、衝撃を“割る”!」
アリアが展開した複数の小結界が、魔獣の突進を段階的に受け止める。 リンネがその隙間を補強し、クロスが物理的に押し返す。
「よっしゃあああ! 俺の筋肉が結界を守る!!」 「筋肉で結界を守るって何……?」 アリアが内心ツッコミを入れつつも、状況はまだ厳しい。
魔獣の群れは残滓の影響で動きが読めない。 跳ねる、滑る、急旋回する――まるで“乱れた盤面”だ。
(……でも、まだ勝ち筋はある。最後の一手を――)
「アイリス!」 「うん……行くよ!」
アイリスが前へ出る。 指先を弾くと、光の旋律が戦場に広がった。 その音は美しく、しかしどこか儚い。 魔獣たちが一瞬動きを止め、光に包まれる。
「今だ、クロス!」 「任せろおおおお!!」
クロスが渾身の一撃を叩き込み、前線が崩れる。 リンネが素早く結界を張り、魔獣の反撃を封じる。
だが―― 「……っ」 アイリスの膝がふらりと揺れた。
「アイリス!?」 アリアが駆け寄る。
「だ、大丈夫……ちょっと、力使いすぎただけ……」 笑おうとするが、息が浅い。
(……やっぱり、負担が大きい。無理させすぎた……!)
魔獣の残党が逃げていく。 戦場に静寂が戻った瞬間、クロスがぽつりと呟く。
「……弁当、無事かな」 「今それ!?」 リンネが即座に突っ込み、緊張が少しだけ緩んだ。
だがアリアの胸には、別の重さが残っていた。 (……このままじゃいけない。もっと、アイリスの負担を減らせる戦術を考えないと)
戦いは終わったが、課題は山積みだった。
討伐を終え、森の外へ戻ったとき、空はすでに夕焼けから夜色へと変わりつつあった。 荒野を渡る風は冷たく、戦闘の熱気がようやく体から抜けていく。
「……終わった、のかな」 クロスが大きく伸びをしながら言う。
「完全殲滅じゃないけど、封鎖と素材回収は成功だよ」 リンネが静かに頷く。 彼女の声は疲れているのに、どこか誇らしげだった。
アリアは指先をとんとんと叩きながら、戦場を振り返った。 (……読み切れなかった部分もあった。残滓の干渉は予想以上だった。でも――)
「みんな、本当にありがとう。僕の指示、無茶も多かったのに……」 アリアが言うと、クロスが胸を張った。
「何言ってんだよ! アリアの読みがなかったら、俺たち今ごろ森の肥料だぞ!」 「……例えがひどい」 「でも、正しいよ」 リンネが微笑む。
その横で、アイリスがふらりと揺れた。 「アイリス!」 アリアが慌てて支える。
「だ、大丈夫……ちょっと疲れただけ……」 アイリスは笑顔を作るが、頬は少し青い。 旋律魔法の負担が大きかったのだろう。
(……やっぱり、負担をかけすぎた。次はもっと、彼女の力を守れる戦術を考えないと)
アリアは胸の奥に小さな決意を刻む。
「帰ったら、温かいもの食べようね」 リンネが優しく声をかけると、アイリスはようやく安心したように笑った。
「うん……甘いのも食べたいな」 「それは元気だな!」 クロスが笑い、場の空気が少しだけ軽くなる。
アリアは深呼吸し、今日の戦いを頭の中で再構築した。 (残滓の波の周期、地形の揺らぎ、魔獣の暴発……今日学んだ“ひと手”は多い。 次はもっと上手くやれる。もっと、仲間を守れる)
港町の灯りが見えてきた。 その光は、戦いの終わりと、次の課題の始まりを静かに告げていた。
|