第01章:魔力0.2の「最適化(オプティマイズ)」 王都の中央、空を刺すようにそびえる白亜の塔。 魔法学園の入学試験会場は、王国中から集まった若者たちの熱気と、魔力の匂いで満ちていた。 そして何より――“落ちたら人生終了”という重圧で。
その喧騒の端っこで、僕は今日だけで四十七回目の逃走願望を、呪文のように胸の内で唱えていた。
「……ああ、帰りたい。今すぐ宿屋に戻って、母さんの焦げたパンをかじりながら皿洗いしていたい」
本気でそう思っていた。僕の自尊心なんて、洗い場で弾ける石鹸の泡と同じだ。ちょっと触れれば、しゅわっと消える。 そんな僕が、魔力至上主義のエリート学園に来てしまった時点で、人生の計算式はどこかで致命的に狂っている。
……帰ろう。今ならまだ間に合う。列を抜けて、塔の影に隠れて、裏道を通って――
そう思った瞬間、僕の右袖がきゅっと引っ張られた。逃走経路が物理的に封鎖される。
「ルイ、また顔が死んでるよ? 大丈夫、私の信じたルイくんなんだから!」
隣で太陽みたいに笑うのは、公爵令嬢セリナ・エルフェリア。 魔力量は学園史上最高、美貌も最高、ついでにお菓子への執着も最高。 そんな“全部盛り”の聖女が、なぜか宿屋の息子である僕を全肯定し続けている。
(セリナ……その肯定、僕には“励まし”じゃなくて“逃げ道の破壊”にしか見えないんだけど?)
心の中でツッコミを入れていると、列の先からまばゆい光が差した。 光源は、歩く正義感そのものの男――レオン・ヴァルクス。
「さすがだな、セリナ。お前が連れてきた男だ。きっと何か秘めた力があるのだろう」
白銀の鎧を纏い、真っ直ぐな瞳で僕を見つめてくる。 いや、やめてほしい。そんな期待のこもった目で見られると、僕の“泡メンタル”が蒸発してしまう。
完璧な騎士、完璧な令嬢。 その間に、サイズの合っていない制服を着た「宿屋の息子」が挟まれている。
どう見ても、この並びだけバグだ。
「次、ルイ・アーデルさん」
試験官の声が、処刑台の鐘みたいに響いた。 周囲の受験生たちが、待ってましたと言わんばかりにヒソヒソ声を飛ばしてくる。
「誰だあいつ?」 「宿屋の息子らしいぞ」 「魔力ほぼゼロって噂だろ。なんで来たんだよ」
……うん、全部知ってる。 僕はよろよろと測定器の前に立った。 手をかざすだけで魔力指数を数値化する、逃げ場ゼロの“真実暴露装置”。
(よし、ここで『0.3』くらいを出して、平和に不合格になろう。明日から皿洗いの日常に戻るんだ……!)
震える右手を測定器へ伸ばした。
――その瞬間。
測定器が、音を失った。
カチカチと規則正しく動いていた内部ギミックが、まるで心臓が止まったみたいに沈黙する。 表示盤のデジタル目盛りが、一瞬だけ 「0.0」 を示し、完全に静止した。
空気が変わった。 魔法学園の広間に、冷たい風が吹き抜けたような錯覚すら覚える。
次の瞬間――。
「ガガガガッ!!」
内部から金属が悲鳴を上げるような異音。 盤面の針が、右端へ――いや、測定限界の外側へ振り切れた。
「な、なんだ!? 故障か!?」
試験官が青ざめて機械に手を伸ばした、その瞬間だった。
測定器の内部で、何かが「処理不能」とでも言うように、低く唸った。 針は、限界を超えた負荷から逃げるように、自動的に右端から左端へと滑り落ちる。
そして、機械が最後の力を振り絞るように、 最低値の“0.2”を吐き出して停止した。
それは、叩いた衝撃ではなく、 “この器では測れません”という機械側の悲鳴だった。
「……えーと、魔力指数、0.2ですね」
広間が、一瞬だけ凍りつく。
そして――爆笑。
「0.2!? 虫以下じゃねぇか!」 「魔法以前に、呼吸する魔力すら足りてねぇよ!」 「測定器が可哀想だわ!」
嘲笑の嵐。 僕は、口をポカーンと開けたまま固まっていた。
だが、その喧騒の中で―― レオンだけが、笑わなかった。
彼は眉をひそめ、測定器の沈黙と異常な挙動をじっと見つめていた。 まるで、そこに“何か”を感じ取ったかのように。
(……まさか。この機械の“器”じゃ、僕の魔力を測りきれなかった? 測定不能のエラーが、最低値として処理された……?)
背筋が冷えた。 僕の魔力は低いのではなく――“空”に近い?
そんな馬鹿な、と否定しようとした瞬間、 背後から、あの声が聞こえた。
「ルイくん、すごい……! やっぱり特別なんだね」
セリナの無邪気な声が、僕の逃げ道をまた一つ、塞いだ。
「あはは! 見たかよ今の、0.2だってさ!」
ひとりの受験生が僕の肩を小突こうとした――その瞬間、空気が凍りついた。
セリナ・エルフェリアが、音もなくその少年の前に立ちはだかっていたからだ。
さっきまでの天真爛漫な笑顔は跡形もない。 代わりに、深淵の底で光るような冷たい瞳が、少年を射抜いていた。
「……何か面白いことでもあった? 私のルイくんが、何かおかしいって言いたいのかな?」
声は柔らかいのに、背筋が凍る。 少年は青ざめ、後ずさりした。
その背後から、琥珀色の瞳をしたメイド――ロゼッタが音もなく現れる。 エプロンのポケットから小さな手帳を取り出し、さらさらと何かを書き留めていた。
(お嬢様。今、ルイ様を侮辱した不敬者の家名、リストアップいたしました) (ありがとう、ロゼッタ。後で、お父様に頼んで“最適化”しておいてね)
……聞こえたわけじゃない。 ただ、二人の視線の動き、距離、口元の角度―― それらを無意識に計算した結果、 「あ、これ絶対に何か企んでる」 という“答え”だけが脳内に浮かび上がった。
僕は慌ててセリナの肩を叩いた。
「ま、待って、セリナ! いいんだ、僕は事実を言われただけだから! 実際、0.2だし!」
「ううん、ルイは凄いんだよ。数字で世界を変えられるって、私、信じてるもん」
振り返った彼女は、瞬時に“お菓子好きの天然幼馴染”の顔へ戻っていた。 その笑顔は、太陽みたいに明るくて――逃げ場を完全に焼き払ってくる。
無条件の信頼。 それは今の僕には、どんな攻撃魔法よりも重かった。
「……勇気、だったな」
レオンが僕の肩に手を置いた。 その手は温かく、揺るぎない。
「魔力指数0.2。その圧倒的不利を承知でこの場に立つ。 ルイ、お前を見ていると、俺の信じる“勇気”が間違っていないと確信できる」
(いや、レオン、僕は逃げたくて震えてるだけなんだけど。 今の僕の足の震えを周波数解析したら、絶望のビートが刻まれてるよ?)
周囲は僕を「最弱」と笑い、 僕の親友たちは僕を「最強」と信じて疑わない。
この異常な温度差の中――
「え、えー……次の試験に移ります! 魔法構築試験、準備を!」
困惑した試験官の咳払いが、場の空気を無理やり引き締めた。
こうして、逃げ場のないまま、試験は次の段階―― 「魔法構築」 へと移る。
魔法構築試験――それは魔力量ではなく、 「魔力をどれだけ効率化し、構造として完成させられるか」 を競う試験だ。
周囲のエリートたちは杖を振りかざし、炎や雷を派手にぶっ放している。 爆音、閃光、歓声。 その喧騒の中、僕だけが黒板の前にぽつんと立っていた。
(……魔力がないなら、流路を徹底的に最適化すればいいだけだ)
脳内で数式の海が広がる。 魔力の流入角度を理論値より 0.3度 ずらし、反射式で補正。
僕の指先は、宿屋の皿の汚れをなぞるときのように滑らかに動き、 黒板に白い幾何学模様を刻んでいく。
「……これ、何の計算だ?」
試験官が覗き込む。 最初は「どうせ無駄だ」という冷ややかな目だったが、 式が完成に近づくにつれ、その瞳は驚愕に染まっていく。
「構造が……美しすぎる。魔力の無駄が一切ない。 だが、これを発動させるには、針の穴を通すような精密制御が必要だ。 魔力0.2の者に、そんなことが――」
「……スパーク、最適化。発動」
自分でも驚くほど自然に、その言葉が口をついて出た。 なぜ“最適化”なんて呟いたのか、僕自身わからない。
次の瞬間、僕の指先から極小の閃光が放たれた。
雷のような轟音も、炎のような熱狂もない。 ただ、鋭いメスのように空間を切り裂き―― 標的の的の中心を貫通し、その後ろの防護障壁にまで到達した。
そして、その軌跡をなぞるように―― 空中に白い幾何学模様がふわりと浮かび上がった。
直線、円弧、螺旋。 僕が黒板に描いた式が、空間そのものに転写されたかのように光を放ち、 教室全体が静謐な“数式の残光”に満たされていく。
まるで世界の理が、一瞬だけ書き換えられたような―― そんな錯覚すら覚える光景だった。
「なっ……魔力反応は皆無に等しいのに、この精度と貫通力はなんだ!? 空間が……最適化されている……?」
会場が静まり返る。 僕は煤まみれの指先を布で拭いながら、自分の仕業に呆然としていた。
(……あ、やりすぎた。これ、目立っちゃいけないやつだ。不合格になる計算だったのに! ていうか今の“最適化”って何だよ……僕、そんな名前つけた覚えないんだけど!?)
虚脱した僕の表情は、まるで「泡の消えた洗い場」そのものだった。
そんな中――
「ルイくん、すごい……!」
セリナの拍手だけが、白亜の塔に澄んだ音を響かせていた。 その笑顔は、誇らしすぎて、逃げ場を完全に消し飛ばしてくる。
レオンは、理解できないながらも尊敬のこもった目で僕を見つめていた。 試験官は震える手で次の受験生の名前を呼ぼうとしている。
僕はただ一つの事実に震えていた。
(……これ、絶対に帰れない流れじゃないか)
夕暮れ時、白亜の塔の影が長く伸びる中、合格発表の掲示板がざわめきに包まれていた。 その最下段――ほとんど地面に触れそうな位置に、僕の名前があった。
『ルイ・アーデル ――最下位合格』
「……よかった。最下位なら、宿屋の息子として静かに暮らせる可能性が残ってる」
胸をなでおろす僕の横で、セリナは満足げに頷いていた。 その瞳の奥に潜む“執念”に、僕はまだ気づいていない。
(おめでとう、ルイ。これであなたは学園のもの。いいえ――私のもの。 王座に座るあなたの未来を邪魔する家柄は……どこから消していこうかしら)
「ルイくん、おめでとう! これからは毎日一緒だね!」
勢いよく抱きつかれ、僕の脳内演算回路は完全にショートした。 逃げ道の計算式が、すべて白紙になる。
「最下位でも、立派な一歩だ。……これからも一緒に頑張ろう、ルイ」
レオンがそっと肩を叩き、夕陽に照らされた笑顔を残して去っていく。 その背中は、まっすぐで、揺るぎなかった。
一方その様子を、観客席の陰から静かに見つめる影があった。 大陸最大の商会を率いる男――バルタザール・フォーン。
「魔力0.2で、あの精度。既存の魔導利権を破壊する……恐ろしいイノベーションの誕生だ」
夕陽が沈む。 僕が望む「平穏な皿洗いの日々」への道は、セリナの微笑みと、時代のうねりによって―― 今、静かに閉ざされていく。
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