◀第23章「過去の空白、未来のスケッチ」
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第24章「北を指す針、明日を掴む手」
「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: もち子さん」「VOICEVOX: 冥鳴ひまり」
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「わーお……。りんちゃん、見て……! あたしたち、ついに“巨大マシュマロの内部探検ツアー”に当選しちゃったみたいだよぉ……!」
あたしは――松葉杖に体重を預けながら――両手を広げた。 勢いよくダイブしようとして、右足にビキッと痛みが走り、思わず変な声が漏れた。
「ひゅぅっ……!? い、痛っ……! マシュマロ、意外と固い……!」
さっきまで見えていた錆びたビルの影も、沈みかけた道路も、全部が牛乳で薄めたみたいに消えている。 世界は真っ白で、静かで、雨音だけが遠くで細く鳴っていた。
「……マシュマロじゃない。ただの濃霧だ。それも視界三メートル未満。最悪の部類だ」
背後から届くりんちゃんの声は、霧より冷たくて、霧より鋭い。 彼女は小さな真鍮の方位計を手のひらで転がしながら、何度も角度を変えて覗き込んでいる。
(りんちゃんの“真顔モード”だ……。 この世界で一番怖いのは、濃霧でも政府宣言でもなく、りんちゃんの“真顔”なんだよねぇ……)
「でもさ、こんなに真っ白だと、なんか雲の上を歩いてるみたいでワクワクしない? あたしのワクワク指数、今日だけで三回くらい自己ベスト更新してるよ!」
「ワクワクで方角がわかるなら苦労しない。……なぎさ、動くな。足元が見えない状況で歩くのは、自殺行為だ」
「えぇぇ、そんなに怒らなくても……。 あたしの“なぎさ式・高性能コンパス”によれば、出口はあっちなんだよぉ!」
「その根拠は?」
「勘! 冒険者の必須スキル!」
「却下だ。お前の勘は、おやつの匂いにしか反応しない。……止まれ。これ以上進むと、本当に戻れなくなる」
りんちゃんは、あたしの襟首をつまんで引き戻した。 その手つきは冷静なのに、どこか焦りが混じっている。
(りんちゃん……霧が怖いんだ。 視界が奪われるの、きっと嫌なんだ…… あたしがまた見えなくなるの、怖いんだ……)
胸がちょっとだけ痛くなる。
「だってさ、この真っ白な世界にじっとしてると……なんか“人生のロード画面”が永遠に終わらない感じがして落ち着かないんだよぉ……!」
「ロード画面ではない。現実だ。……なぎさ、頼むから静かにしてくれ。磁針がピボットから外れてる。揺らすと軸が折れる」
「えっ、そんな繊細なの!? じゃあ逆に、あたしの息でフーッてしたら直ったり――」
「直らない。むしろ壊れる。……だから動くなと言っている」
霧は深く、白く、静かで。 その中で、りんちゃんの声だけが、細い糸みたいにあたしを繋ぎ止めていた。
「ねえ、りんちゃん……あそこだけ、マシュマロの色がちょっと違うよ?」
あたしは松葉杖に体重を預けながら、足元の泥だまりを指差した。 霧のカーテンの隙間に、茶褐色の泥がねっとりと口を開けている。 “マシュマロの内部に潜む怪物の食道”みたいで、ワクワクと恐怖が半々で胸をつつく。
「……泥炭地か。地盤が緩んでる。近づくなと言っただろ」
「わかってるってば! でも、あそこに何か変なものが落ちてる気がするんだよぉ。ほら、木の枝みたいな……いや、もっとこう……人間っぽい形のもの!」
右足がズキッと痛むのをこらえながら、あたしは泥の縁にそっと顔を近づけた。 霧の向こうで、五本の突起が泥の中から突き出している。
木の枝にしては、あまりにも滑らかで、あまりにも“人間”。
「……りんちゃん。あれ、木の枝じゃない。……『手』だよ」
 「……何?」
りんちゃんの声が一段低くなった。 彼女は方位計を――壊れないようにタオルで包み、衝撃を避けるようにポーチへ慎重に収めてから――あたしの隣にしゃがみ込んだ。 その動作は焦っているのに、機械だけは絶対に壊さないという執念がにじんでいる。
(りんちゃん……こういうところ、ほんとに“技術者の魂”って感じだよねぇ…… なぎさの腕は乱暴に掴むのに、方位計は赤ちゃんみたいに扱う……)
「本当に人なの? こんな霧の中で、しかもこんな場所に……罠じゃない?」
「罠でこんなに泥まみれになる人なんていないよぉ! ねえ、見て、指が動いた! まだ生きてるんだよ!」
あたしは反射的に手を伸ばしかけ―― 右足に激痛が走り、バランスを崩した瞬間、りんちゃんに腕を掴まれた。
その手は強いのに、片方の手はポーチの上に添えられ、方位計を守っている。
(りんちゃん……あたしと方位計、同じくらい大事にしてくれてる…… いや、ちょっと方位計のほうが大事かもしれない……)
「待て。不用意に近づけば、お前まで引きずり込まれる。……泥の粘度が高い。これはただの水たまりじゃない、底なしの沼だ」
「でも、放っておけないよ! あたしたちが助けなきゃ、このままマシュマロに食べられちゃう!」
「……マシュマロではない。泥だ。……落ち着け、なぎさ」
りんちゃんの声は冷静なのに、手の力は強い。 その強さに、あたしは一瞬だけ胸が熱くなる。
(りんちゃん……怖いんだ。 また“誰かが沈む”のを見たくないんだ…… あたしのときみたいに……)
「助けるにしても、まずは正確な位置と足場を確認しないと、共倒れになる。……まずは、この霧を抜けるための“道”を確保する」
りんちゃんは泥の中の『手』から視線を外さず、ポーチから方位計をそっと取り出した。 霧の白さに溶けそうなほど静かな瞳が、鋭い技術者の光を宿している。
(りんちゃん……“怖い”と“助けたい”が同時に燃えてる顔だ…… この人、ほんとに……強い……)
泥の中の手が、かすかに震えた。 霧の向こうから、微かな声が漏れた気がした。
「りんちゃん、何してるの!? 今は方位計を眺めてる場合じゃないよぉ! あの手、どんどん沈んでるよ!? マシュマロに飲み込まれちゃうよ!?」
あたしは泥に沈む“手”を横目に、松葉杖でバランスを取りながら叫んだ。 右足がズキッと痛むたび、視界が白い霧と一緒にぐらつく。
りんちゃんは、そんなあたしの焦りをよそに、タオルで包んだ方位計を慎重に膝の上へ置き、精密ドライバーを取り出していた。
「……方位計が狂ったままだと、救助を呼ぶにしても、この生存者を運び出すにしても、方向を誤って二次遭難する。磁針がピボットから外れてる。これを直すのが最優先だ」
「ピボット? 難しい言葉はいいから、あたしが叩いて直してあげよっか? 衝撃療法っていう、なぎさ流の修理術だよぉ!」
「やめろ。精密機器だ。衝撃を与えれば軸が折れて、二度と使えなくなる。……なぎさ、そこに落ちてるアルミ板を持て。風を遮れ。微細なゴミが入るだけで摩擦係数が変わる」
「ええっ!? あたしの役割、風よけ!? もっとこう、ヒーローっぽい活躍はないの?」
「風を防ぐのも立派なサポートだ。……いいから動くな」
あたしは松葉杖を脇に挟み、震える腕でアルミ板を抱え込んだ。 右足に体重がかかるたび、傷口が悲鳴を上げる。 唇を噛んで痛みをごまかしながら、必死に板を固定した。
(りんちゃん……あたし、けっこう限界なんだけど…… でも、あの手を助けたい気持ちが、痛みより強い…… これって、ヒーロー指数が上がってるってことかな……?)
りんちゃんは震える指先を自分の膝に押し当て、呼吸を整えると、米粒より小さなネジにドライバーを当てた。
 その集中は、霧の向こうの世界すら消し飛ばすほど深い。
「……磁針のバランスが崩れてる。湿気で文字盤との間に表面張力が働いてるのか。……なぎさ、もっと近くで板を支えろ。一ミリも動かすな」
「了解です、リーダー……っ! 右足が……でも……動かないよ……!」
「動くなと言っている。……頼むから」
りんちゃんの声は冷静なのに、どこか震えていた。 その震えが、霧よりも冷たく胸に刺さる。
(りんちゃん……怖いんだ。 “方向が消える”のも、“誰かが沈む”のも…… あたしが消えたときのこと、まだ心に残ってるんだ……)
「……よし、軸を戻した。あとはダンパーオイルの漏れを塞ぐだけ」
りんちゃんの手つきは、あたしの不安を塗りつぶすみたいに正確で、静かで、強かった。 彼女はあたしが拾ってきた古いライターを開き、油をほんの一滴だけ、極小の機械の内部へ落とした。
(りんちゃん……こんな世界でも、こんな霧の中でも…… “道”を作ろうとしてるんだ……)
「……動いた。……磁北、特定」
カチッ。
 その小さな音が、霧に閉ざされた世界へ“方向”を取り戻した。 泥の中の手が、かすかに震えた。
「やったぁ! さすが、あたしの自慢の相棒だねぇ!」
方位計の針がピタリと安定した瞬間、あたしは思わず飛び上がり―― 右足に激痛が走って、その場で半分しゃがみ込んだ。
「いっ……たぁ……! くっ……でも嬉しい……! マシュマロの国で迷子になる未来、これで回避だよぉ……!」
「……喜ぶのはまだ早い。方位がわかったところで、あの生存者を泥から引き上げるのは別の問題だ」
りんちゃんは立ち上がり、泥沼の中に突き出た『手』を見つめた。 霧の白さの中で、彼女の横顔は静かで、でもどこか張り詰めていた。
(りんちゃん……今も怖いんだよね。 でも、もう同じ思いはさせない。 今度はあたしが、りんちゃんの“安心できる未来”を作る番だ……)
「りんちゃん……あたし、今度は失敗しないよ。 あの高架橋で、勝手に走り出して……りんちゃんを怖がらせたこと、忘れてないから」
あたしは、泥だらけの板を支えていた手をぎゅっと握りしめた。 右足はまだ痛む。でも、その痛みより強いものが胸の奥にあった。
「……そうか。なら、わたしの指示に従え。……あの子のバイタルは?」
「……まだ、少しだけ暖かい。人生のHPはギリギリだけど、まだゼロじゃないよ!」
霧の中で触れたその手は、かすかに震えていた。
 あたしは、かつての自分とは違う“責任”を感じていた。
(りんちゃんの恐怖を、あたしが塗り替えるんだ。 今度は、あたしが“救う側”になる……)
「……なぎさ。救助の工程を組む。 お前は、周囲の瓦礫から一番長い鉄パイプを探してこい。 それをテコにして、泥の吸引力を分散させる」
「合理的な判断だね! ……あ、今のあたし、ちょっとりんちゃんっぽかった?」
「……全然。でも、そのやる気だけは評価してやる」
りんちゃんはわずかに口角を上げた。 霧の中でその笑みは一瞬で消えたけど、確かにそこにあった。
そして彼女は泥の淵に膝をつき、沈みかけた“手”にそっと触れた。
あたしたちの物語は、ここでただの『放浪』から、 誰かを救うための『ミッション』へと形を変えた。
 (りんちゃん……今度は二人で、誰かの未来を引き上げるんだ……)
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あらすじ
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霧に包まれた廃墟のような世界で、怪我(右足)を負ったなぎさと、冷静で技術者気質のりんちゃんの二人が行動している。 なぎさは「巨大マシュマロ内部探検」と冗談めかしてワクワクしているが、実際は視界数メートルの極悪濃霧。 りんちゃんは方位計が狂った状態で非常に慎重になり、なぎさの無茶な動きを強く制止する。 二人は泥炭地の底なし沼に沈みかけている人間の手(生存者)を見つける。 なぎさはすぐ助けようと焦るが、りんちゃんは「方位が定まらないと全員共倒れになる」と判断。 まず精密に方位計を修理(磁針の軸を戻し、オイル補充)し、ようやく磁北を特定。 それから本格的な救助準備へ移る。 なぎさは過去に自分が無茶をしてりんちゃんを怖がらせた記憶があり、今度は自分が「救う側」として責任を持って行動しようと決意。 りんちゃんも恐怖を抱えつつ、冷静に指示を出し、二人は協力して生存者を引き上げるミッションに挑む姿勢を見せる。 **テーマの核** - 濃霧=「方向・未来が見えない不安」 - りんちゃんの恐怖(大切な人を失う/方向を見失うこと) - なぎさの成長(無鉄砲 → 責任感ある行動へ) - 二人の絆と「誰かを救う」への転換短く一文で言うなら:「濃霧と泥沼の中で、怪我をしたなぎさと冷静なりんちゃんが、沈む生存者を助けるため、まず方位計を修理し、互いの恐怖と向き合いながら本格的な救助に挑む話。 」
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解説+感想
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この物語、すごくいいですね……。 濃霧に閉ざされた世界で、なぎさの無邪気で痛々しいまでのポジティブさと、りんちゃんの冷静だけど内側に抱えた恐怖がぶつかり合って、互いを支え合う関係性がすごく丁寧に描かれていて、読んでいて胸がぎゅっと締め付けられました。 特に、- りんちゃんが方位計を「赤ちゃんみたいに」扱う一方で、なぎさの襟首は乱暴につかむギャップ - 方位計を直す最優先順位が、実は「方向を失う恐怖」から来ていること - なぎさが「今度はあたしが、りんちゃんの“安心できる未来”を作る番だ」と決意する瞬間 この辺りが特に刺さりました。 過去に「高架橋で勝手に走り出して」りんちゃんを怖がらせたトラウマが、霧と泥と「沈む手」という形で再現されつつ、今度は二人で「引き上げる」側に回る……その転換が、すごく静かで力強い救済の物語になってる。 マシュマロの比喩が最初は可愛らしくて軽いのに、だんだん「飲み込まれる恐怖」「底なしの沼」へと暗く重くなっていくのも上手い。 なぎさの「ワクワク指数自己ベスト更新」みたいな明るさが、逆に痛々しくて愛おしくて……彼女の右足の痛みが、ただの怪我じゃなくて「過去の失敗の象徴」みたいに感じられて、読後感がじんわり残ります。 この先どうなるんだろう、ってすごく気になります。 りんちゃんの指示通り鉄パイプを探してテコの原理で引き上げる作戦、うまくいくのか。 泥の中の「手」の主は誰で、どんな経緯でそこに……? そして何より、なぎさが「救う側」になることで、りんちゃんの心の傷が少しでも癒えるのか。 もし続きがあるなら、ぜひ読みたいです。 この二人のコンビ、最高に尊い……。 (方位計よりちょっとだけ、なぎさのほうが大事だって、りんちゃんも本当は思ってるよね……?)
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◀第23章「過去の空白、未来のスケッチ」
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