陽光に透けるステンドグラスの極彩色が、磨き抜かれた大理石の床に、暴力的なまでのコントラストを描き出している。
王立魔法大学の入学の儀。広大な大講堂は、新入生たちの熱気と歓喜の渦に包まれていた。

「見ろよ、火の精霊だ!」
「私は風の聖獣と契約できたわ!」
宙を舞う光の粒子。赤や青の幻想的な燐光が同級生たちの周りを狂おしく飛び交い、紅潮した頬をいろどり照らす。希望と祝福に満ちた、絵画のように美しい光景だった。

その華やかな喧騒の中に、ぽっかりと空いた致命的な空白地帯が一つ。
冷たい石の床の上で、ただひとり、何の光もまとわずに立ち尽くす少女がいた。
同情と嘲笑の入り混じった、無遠慮な視線が突き刺さる。
「あの子、一柱の精霊にも応えられなかったらしいぜ」

「首席入学の天才って噂だったのに。ただの落ちこぼれじゃないか」
ひそひそとした囁きが、シャンデリアの微かな鳴動に混じって鼓膜を打つ。
そんな中、光の輪から外れるようにして、今年の指導を担当する教授が歩み寄ってきた。胃の辺りを苦しげに押さえ、酷く疲弊した様子で、深く息を吐く。

「……やはり駄目でしたか」
「ええ」
「一柱も?」
「一柱も」
周囲の喧騒とは裏腹に、私と教授の間には奇妙なほどの静寂が落ちた。
同情とも失望ともつかない複雑な視線を向けてくる彼に、私はわずかに小首を傾げた。
「残念ですか?」
「いや……」
教授は顔に濃い影を落としながら、ゆっくりと首を横に振った。

「君の場合、成功した方が国家レベルの問題だったかもしれません」
「……意味が分かりません」
「分からなくていい。頼むからここでは何も発動させるな」

そう言い残し、教授は逃げるように群衆の中へと戻っていった。
あの怯えた表情には、見覚えがある。私が爆発寸前の実験報告書を提出した時の顔だ。

――彼が何を危惧しているのかは知らないが、そんなものは些末な問題だ。
憐れみの眼差しなど、痛くも痒くもない。
私は分厚い革張りのノートにペンを走らせながら、静かに息を吐いた。

炎を起こすために火の精霊の機嫌を取り、空を飛ぶために風の聖獣に祈りを捧げる。
なんと非効率で、前時代的なシステムだろうか。
他者の機嫌に成果を委ねるなど、研究者としては悪夢に等しい。そんな不確定要素を、人々はなぜ平然と受け入れられるのだろう。
真の魔法とは、もっと論理的で、再現性があり、誤差の少ない数式であるべきだ。

ページをめくり、密かに書き溜めてきた数式を指先でなぞる。

精霊との契約など不要。魔力と、代償となる『物質』さえあれば、事象は改変できる。
すでに理論は完成し、一部の小規模な実証実験も済ませていた。
しかし、ここで一つの致命的な問題が浮上する。
ノートの隅に書き留めた、今月の家計簿の数字を、私はじっと睨みつけた。

今月の『被服費』累計額は、すでに学生の平均的な半年分の生活費を優に凌駕している。
深く、息を吐く。
先月は上着だった。
先々月はスカートだった。
そして今月は――下着の消費量が、異常なまでに右肩上がりを記録していた。

家計簿の冷酷な数字は、私の研究成果を誰よりも雄弁に物語っていた。
狂っているのは、決して私に破廉恥な浪費癖がついたからではない。
買い込んだばかりの高級なブラウスも、仕立ての良いタイトスカートも、すべて魔術の果てに『消滅』したのだ。

等価交換。
自らの身を包む衣服を触媒として次元の壁を穿つ、前人未到の魔導理論。
その真理に辿り着いた代償として、私は深刻な布地不足――ひいては、慢性的な露出狂の危機に陥っていた。

安価な綿素材は伝導率が極めて悪い。地肌に吸い付く絹の滑らかさこそが、私の魔力を最も効率的に通す。だが、学生の身分で上質な最高級シルクを毎日消滅させるなど、経済的破滅を意味していた。
「……市販の安物靴下では、小さな火花しか散りませんでしたからね」
私の視線は、自然と足元へと落ちた。
生足に直接、申し訳程度に引っかかっている薄い布切れ。

これが次の実験で消え去れば、いよいよ私の尊厳が等価交換されることになる。

研究者として見れば貴重な触媒だ。
人間として見れば、最後の防波堤でもある。
薄暗い地下研究室の重い扉を押し開けると、羊皮紙の埃っぽさと、鼻を突く有機的な魔力液の匂いが肺を満たした。

「遅かったやん。式典、どうやった? 予想通りボッチか?」
机の上にうず高く積まれた魔導書の上。白い大福餅のような生物が、短い足をぶらつかせていた。つぶらな赤い瞳が、こちらを値踏みするようにじっと見つめてくる。

「最悪です。あんな非合理的な烏合の衆、二度と参加しません」
私は窮屈なローブを脱ぎ捨てながら、忌々しげに吐き捨てた。
こいつは数日前、魔力液と絹の端切れを混合した際に誤って発生した時空特異点の爆発から、ポロッと生まれた謎の生物だ。

――黒煙が立ち込める中、血相を変えて飛び込んできた教授とのやり取りは、今でも鮮明に覚えている。
「何が起きた!?」
「新理論の実証実験です」
「なぜ意思を持つ喋る餅が生まれているんだ!?」

「わかりません」
「私もだ……」
そこへ、煙の中から現れた白い大福餅が、のんきに片手を挙げたのだ。
「初対面やな。ワイ、トト」
「……増えた」
頭を抱え、ただでさえ痛む胃をさらに擦りながら崩れ落ちた教授の姿は、私の記憶に深く刻まれている。怒る気力すら奪われた、純粋な呆れの表情だった。

「自分、また一柱の精霊とも契約できんかったんやろ。頭はええんやから、もうちょっと愛想よくしとけばええのに」
「必要ありません。気まぐれな精霊の寵愛など借りずとも、私の『次元等価魔法』はすでに実証段階に入っています」
「あー、あの服が消えるやつな。あれ、ホンマにコスパ悪いで」
トト、と名付けたこの使い魔もどきは、関西地方の訛りに似た奇妙な口調で、私の痛いところを的確に突いてくる。彼(?)には感情の起伏というものが欠落しているらしく、その極めて合理主義的な思考は、時に私以上の冷徹さを見せた。

「……コスパの問題ではありません。等価交換の理(ことわり)です。事象を書き換えるには、それ相応の価値を持つ物質的触媒が不可欠なのです」
「せやからって、術式使うたびに素っ裸になるんはアホやろ」
「だから! そうならないための精密な出力調整を、今日行うのです! 失敗作の分際で口だけは達者ですね」

「失敗作言うなや」
「失敗作でしょう。あなたは私の実験結果として記録されていません」
「生まれた瞬間に生ゴミの日に廃棄しようとしたやつが言うな」
「あの時はただの喋る魔導ゴミかと思ったのです」

「ひっど。仮にも首席入学のエリートの言うセリフちゃうで、それ」
短い前肢をばたつかせて抗議するトトを無視し、私は壁際のクローゼットを開け放った。

そこに並んでいるのは、魔導具でも杖でもない。無造作に吊るされた、市販の衣類である。
布地には、それぞれ几帳面な文字で札が貼られていた。
安物の靴下【火花】、綿のブラウス【小爆発】、そして、ショーケースに飾られているのを見て思わず衝動買いしてしまった純金糸の刺繍入りマント【教授に見つかったら怒られる】。

良く見ると奥にある黒い箱にも札が貼られている。【使用厳禁】
「なんやこれ」
「研究中です」
「聞きたないなぁ……」
「今日の目標は、この靴下片方のみを触媒として、対象を次元の彼方へ完全に消滅させること」
三足で一千クローネ。大量生産されたその安物を手に取り、高く掲げた。

「これならば、万が一消滅しても家計へのダメージは皆無。かつ、片足が寒くなる程度の、極めて軽微な社会的損害で済みます」
「……それ、この間の実験でパチパチ火花しか出んかったやつやん」
「魔力回路の構築を根本から見直しました。今の私の完璧な計算式ならば、これで小規模な次元の裂け目を作れるはずです」
「ホンマかいな。まぁええわ。で、どこで試すん?」
クローゼットを勢いよく閉め、振り返る。
「実践あるのみです。大学の地下に広がる迷宮、その第一層へ向かいます」
「初ダンジョンやな。しゃあない、ワイも荷物持ちくらいはしたるわ」
トトが魔導書から飛び降り、短い足で器用に床へと着地した。

「荷物持ちではなく、観測手です。私の偉大なる第一歩を、その赤い目でしっかりと記録しなさい」
「はいはい。ほな、行こか」
私は声を張り上げながら、研究室の扉を再び開け放った。
迷宮へと続く冷たい地下の風が、不穏なほどに生足の太ももを、するりと撫でていく。

「真の魔法の扉を開くための、栄光なる第一歩。私の完璧な数式に、狂いなどあるはずがない」
「その台詞、この一ヶ月で七回聞いたわ」
トトが淡々と呟く。
「……一応、予備のパンツ持って行こか」
「不要です」
「ほな全裸やな」
「その可能性は万に一つも存在しません」
「七回聞いた」

王立魔法大学の地下深く。無限に続く石造りの迷宮、その第一層は、饐(す)えた苔の匂いと濃密な魔素に満ちていた。

靴音が冷たい反響を伴って闇に吸い込まれていく。ランタンの灯りが揺れるたび、濡れた岩肌が不気味な光を鈍く返した。
「……ひんやりしてて、気味が悪いとこやな」
私の足元を歩くトトが、短い耳をピクピクと動かした。
「地下迷宮とは本来こういうものです。静粛に――最初の観測対象が現れましたよ」
前方の暗がりから、ズズ……ズズ……と這いずるような不快な粘着音が近づいてくる。
現れたのは、半透明の緑色をした巨大な粘性体――いわゆるスライムであった。だが、ただの泥くれではない。その体内には、無数の布切れや革の残骸が、未消化のまま漂っている。

「うわ、出たで。『布喰らい(ドレス・イーター)』や。初心者の装備を溶かして丸裸にする最悪のクソモンスやんけ。ルイズ、あれはアカン。早よ逃げよ」
「待ちなさい。極めて興味深い生態です。実物をこの目で観測するのは初めてですから」
「初めて見るなら余計逃げろや!」
「文献によれば、遭遇時の平均的な装備損耗率は三十二・四%。有機繊維のみを選択的に分解するあの消化液……魔導学的な応用価値が極めて高いですね」
「今その統計取る必要ある!?」
スライムの赤い核が、じっとこちらを見つめていた。いや、正確には――私の纏う衣服を。

「私ではなく、このシルクを見ているのでしょう。この魔力伝導率の高さが理解できるとは、粘性体の分際で意外と知能が高いのかもしれません」
ノートに羽ペンを走らせた、まさにその瞬間だった。
ブルリと震えたスライムの表面から、緑色の粘液が飛礫(つぶて)のように射出された。

「危なっ――!」
咄嗟に身を翻す。しかし避けきれなかった一滴が、私の魔導ローブの裾にべちゃりと張り付いた。
シュウウウウ、と絶望的な音を立てて、十五万クローネの価値を持つ高密度魔導布が、まるで砂糖菓子のように泡を吹いて溶け落ちていく。

布地の防御力と共に、私の資産価値がリアルタイムで削られていく。
ぽっかりと空いた裾の穴から、地下の湿った冷気が太ももの柔肌を直接撫でた。
「あ……あぁ……っ! 私の、十五万クローネが……っ!」
「ほら言わんこっちゃない! 裾が消し飛んだで! 逃げるか魔法撃つかどっちかにせえ!」
「ま、待ってください! このローブは特注品なのです! 防具としての機能が失われるだけならまだしも、これでは私の大切な『最高級の弾薬』が目減りしていくのと同じではありませんか!」
「いや、弾薬の前に乙女の尊厳が目減りしとるけどな。次、スカートに飛んでくるで!」
トトの無慈悲な警告と同時、スライムが大きく跳躍した。圧倒的な質量が視界を埋め尽くす。

このままでは、全身の衣服を溶かされ、私はこの暗く冷たい地下迷宮に、一糸まとわぬ姿で投げ出されてしまう。貴重な研究データを持ち帰るどころか、社会的な死を迎えることは明白だった。
(右足の靴下、一枚あたり百六十六・七クローネ。期待出力は小爆発。撃退成功確率は理論上、六十二・五%――!)
「くっ……! させません!」
「お、ついにやるか? さっき大見得切った靴下(片方)の出番やな!」
「ええ! 見ていなさい、布喰らい! 三足一千クローネの安物の味を、その身に刻み込んであげます!」
悲痛な決意と共に右足のローファーを蹴り飛ばし――奨学金の返済通知を開封するかのような絶望的な覚悟で、私は自身の靴下へと手を伸ばした。

湿った石畳の上で、右足のローファーを蹴り飛ばし、靴下を引き抜く。

三足で一千クローネ。大量生産された綿素材のそれは、私の足首を離れた途端、事象を書き換えるための『触媒』へと姿を変える。
「次元の理よ、等価の天秤を我が身に」
凛とした声で紡いだ言葉と共に、宙に浮いた靴下が淡い光を帯びた。
迫り来る緑色の粘性体へと、私は右手を突き出す。純文学的な美しい数式が脳内で組み上がり、圧倒的なエネルギーが解放される――はずだった。
パチパチパチ。
暗がりに響いたのは、乾いた小枝が爆ぜるような、極めて慎ましい静電気の音。
空中に放り出された靴下は虚しく火花を散らし、スライムの表面を焦がすことすらなく、あっけなく虚無へと消え去った。

「……火花やな。冬場にセーター脱いだ時よりショボいで」
「おかしいですね」
私は迫り来るスライムを前に、大真面目に首を傾げた。
「いや、おかしくない。ただの火花や」
「違います。私の計算上は絶対に成功します」
「目の前で大失敗しとるやん」
「……洗濯回数でしょうか。柔軟剤の配合比率に問題が?」
「今その結論出す!? ほら、敵さん全然止まってへんで!」
トトの言う通り、スライムは微塵もダメージを受けた様子がない。それどころか、溶け落ちた私のローブの裾を咀嚼しながら、さらなる上質な布地を求めてにじり寄ってくる。
「……くっ、検証が必要です。次、左です!」
残る左足の靴下を引き剥がし、再び魔力を込めて放つ。
今度は『ボフッ』というくぐもった小爆発が起きた。だが、結果は変わらない。スライムの巨体がゼリーのように不気味に揺れただけで、進行を止めるには至らなかった。
「はい、靴下終了。次どうするん?」
「どうするも何も、これ以上は私の社会的尊厳に関わります!」
「そんなん言うてる場合か。見ぃ、もう目の前やぞ」
嗅覚を麻痺させるほどの強烈な消化液の臭いが、すぐそこまで迫っていた。
緑色の波が、私という極上のシルクの塊を呑み込もうと、ゆっくりと立ち上がる。

「ルイズ、早よ脱ぎ」
「嫌です! 誰がこんな薄暗く湿った地下迷宮で、一糸纏わぬ姿になど!」
「ほな死ぬ? 3」
「待ってください! 上着(四千クローネ)では火力が足りません! かといってこの特注スカート(二万クローネ)は高すぎます!」
「2」
「せめてシルクの下着(一万二千クローネ)、その上下どちらから消費すべきか考える時間を――!」
「1」
無慈悲なカウントダウン。眼前に迫る圧倒的な質量。
極限状態の中で、私の天才的な頭脳は一つの残酷な結論を弾き出した。
防具としての機能よりも、魔導出力係数が極めて高く、かつ敵を確実に消滅させるだけのポテンシャルを秘めた『至高の弾薬』。
それは、私の柔肌を直接包み込む、シルク製の最高級肌着(上下セット)のみ。
「もう嫌です! 下着でお願いします! 今月の食費が消えるぅぅぅ!」

血を吐くような悲鳴と共に、私は自らの誇りと一万二千クローネを戦場にパージした。
瞬間、世界が反転する。
極彩色の閃光が、地下迷宮の暗闇を白昼のように傲然と染め上げた。空間そのものが薄氷のように砕け散り、絶対的な次元の斥力が解き放たれる。神の怒りにも似た蒼白の光芒の中、スライムだったものは悲鳴を上げる間もなく、細胞一つ残さず虚無の彼方へと追放されていった。

圧倒的な勝利。前人未到の魔導理論の、完全なる証明。
しかし、光が収束した後に残されたのは――ただただ悲惨な現実だった。
「……あぁ、なんてことでしょう」
両腕で胸と下腹部を必死に隠しながら、私は冷たい石畳の上にへたり込んだ。

地下の容赦ない冷気が、無防備になった白磁の素肌を舐め回していく。私の身体を覆うものは、もはや何一つとして残されていない。
魔力伝導率の良すぎるシルクの下着を消費したのは、他でもない私自身の意志だ。だが、その上に着ていた上着もスカートも、強力すぎる次元魔法の余波によって完全に塵へと化していた。
理不尽極まりない。
「おめでとう、ルイズ。初全裸や。ワイ、ちょっと感動したわ」

「……帰りたい。大学なんて辞めて、実家に帰りたいです」
「無理やな」
「なぜです」
「さっきの光と爆発音、たぶん上の階層まで丸聞こえやったで」
「……え?」
「見物人(ギャラリー)が来る前に、はよ逃げなアカン」
トトは同情する素振りすら見せず、短い前肢でペチペチと私の無防備な裸の太ももを叩いた。
知性を極めたはずの私が、なぜこのような辱めを甘受せねばならないのか。
私の乙女の尊厳は、スライムと共に次元の彼方へ等価交換されてしまったらしい。

そして――遠くの通路から、ガチャガチャと重々しい金属音を伴う複数の足音が、確実にこちらへと近づいてきていた。
冷たい石畳の上で、失われた計三万六千クローネ(下着・上着・スカート)という天文学的損失と、一瞬にして瓦解した乙女の尊厳に打ちひしがれていると――通路の奥から、松明の赤い炎が不気味に揺れながら近づいてきた。
ガチャガチャと重々しい金属音が、地下の静寂に反響する。
迷宮の深層へ挑むプロの探索者たち――いや、彼らが纏う異様なまでの重装備と張り詰めた殺気は、通常の探索とは一線を画していた。
「おい、魔力探知機を見ろ! 追跡していた『古代種』の狂気的な魔力反応が……この区画から完全に消失しているぞ!?」
「馬鹿なッ。それに、あのダンジョンの壁を見ろ……! 半径十メートルが、因果ごと抉り取られたように丸ごと消し飛んでいる!」
先頭を歩く大剣を背負った男――リーダーらしき巨躯の騎士が、異常な空間の溶解痕を見つけ、その中央で体育座りをしてガタガタと震える私に気づき、バッと息を呑んだ。

「君が、一人でやったのか……? 国家を揺るがすあの『古代種』を……!」
「あ、あの、違います。私が相手にしたのはただの布喰らいで、これはその、出力計算の些細な誤差というか……」
身を縮こまらせ、必死に胸と股間を手で隠す。白磁の素肌に、彼らの松明の炎が容赦なく艶やかな陰影を描き出していた。

しかし、リーダーの男は私の必死の弁明を遮るように、ガシャンとその場に膝をついた。見上げれば、鉄仮面の奥の瞳には――なぜか、大粒の熱い涙が浮かんでいるではないか。
「何も言わなくていい。下層から逃げ出してきたあの凶悪な災厄を前に、君は自らの全てを――そう、乙女の恥じらいすらも純粋な魔力へと変換し、この世界のために散らしたのだな……!」
「違います! 服代をケチって最後まで靴下片方で粘った結果です! 古代種なんて影も形も知りません!」
「あぁ、なんと気高く、そして奥ゆかしいのだ……。己の神話級の偉業を誇示することなく、あえて『布喰らい』などという下俗な嘘で自身を貶めようとするとは」
「嘘ではありません! この喋る大福餅に無慈悲なカウントダウンをされて、やむを得ずシルクの下着を――」
「ルイズ、説明しても無駄やと思うで。このおっさんら、もう脳内で自分を崇める宗教立ち上げとるわ」
「トト! 貴方は黙っていなさい!」

私が叫ぶ横で、トトはどこから拾ってきたのか、古びた歩行用の木樽をゴロゴロと器用に転がしてきた。
ほれ、新装備や。とばかりに促され、私は泣く泣くその薄汚れた樽の中へと、己の全裸とプライドを滑り込ませるのだった。

リーダーの男は、そのシュール極まりない木樽姿すらも、何か深遠な神聖儀式の一部であるかのように静かに見つめ、深く、深く床に頭を垂れた。
「我々はこの尊き犠牲を、生涯忘れないだろう。ありがとう、人類の平穏を買い戻せし、気高き無垢なる魔導士よ……!」
「ですから、人の話を一言でもいいから聞いてください!」
私の悲痛な叫びは、騎士たちの頑強な信仰の壁に完全に阻まれ、一部が消し飛んだ迷宮の奥底へと虚しく吸い込まれていった。
*
――翌朝。王立魔法大学、女子学生寮。
自室のベッドで芋虫のように丸まっていた私の顔面に、インクの匂いも生々しい紙の束がバサリと投げ落とされた。

「おいルイズ、朝刊やで。見事、一面トップを飾っとるぞ」
「……一文字たりとも読みたくありません」
「【速報】《聖裸の魔女》、己の全衣服(と尊厳)を代償に迷宮の災厄を封印! 『一糸纏わぬ白磁の肢体から放たれた閃光は、名誉すらも犠牲にする気高き自己犠牲の顕現であった(目撃者談)』……やて。やったやんけ、大スターや」
「誰ですか、討伐そっちのけでこんな破廉恥かつ無駄に情緒的な記事を書いた記者は……!」
私は跳ね起き、木樽の代わりに被っていた毛布をきつく握りしめた。

聖裸(せいら)の魔女。
耳で聞けば神聖に響くが、文字面からして悪意しか感じられない。これではただの公然わいせつ犯に対する、いささか雅(みやび)すぎる別称ではないか。
「事実やろ。おめでとう、生き神様」
「事実じゃありません! 私はただ、今月の被服費と奨学金の重圧に泣いているだけです!」
私の悲鳴を他所に、窓の外では今日も小鳥が美しく囀(さえず)っている。
どうやら世界は、私の極めて矮小(わいしょう)で経済的な葛藤を、壮大な英雄譚として語り継ぐことを決定してしまったらしい。
知性を極めたはずの天才魔導士の大学生活は、極めて不本意かつ破廉恥な形で、幕を開けたのだった。

*
【ルイズの研究ノート:第1片】
・綿の靴下(百六十六・七クローネ):火花。冬場の静電気と同等。
・シルクの下着(上下セット 一万二千クローネ):迷宮の壁ごと全てを虚無へ送る、神の雷。
考察:
下着を触媒にしたにも関わらず、なぜかその上に着用していた特注魔導ローブ等(計二万四千クローネ)まで巻き添えで消滅した。次元魔法の余波によるものか、あるいはこの世界が私に「破産」と「全裸」を強要しているのか。一刻も早い検証(及び出力調整)が急がれる。
……とりあえず、明日のパンの耳すら買う金がない。
―――(第1話・完)―――

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