◀第09章『ヴァーミリオン家別邸と、天然迷宮』
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第10章『闇の城の門』~五重封印解除、そして三秒の国際問題~
「VOICEVOX: 四国めたん」「VOICEVOX: 雨晴はう」「VOICEVOX: 櫻歌ミコ」「VOICEVOX: ずんだもん」「VOICEVOX: WhiteCUL」「VOICEVOX: もち子さん」「VOICEVOX: 満別花丸」「VOICEVOX: 冥鳴ひまり」「VOICEVOX: ユーレイちゃん」「VOICEVOX: 後鬼」「VOICEVOX: 東北きりたん」「VOICEVOX: 雀松朱司」
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ルイズ:「正気ですわよ。 ですから、扉を野蛮に壊すのではなく、仕組みを完璧に理解したうえで、スマートに解きます」
シャルロット:「その平然とした理屈が、わたくしにはいちばん怖いのですわ……!」
シャルロットの悲痛な訴えをBGMのように聞き流し、私は左手の中指にはめた変調指輪を、眼前の巨大な黒い扉へとかざした。
 指輪の蒼白い核が、低く、静かに回り始める。
すると、門扉の表面にびっしりと刻み込まれていた複雑怪奇な幾何学文様の一部が、呼応するように蒼白い光を帯びた。 光は線となり、線は緻密な網となり、やがて扉全体を覆う巨大な立体の構造を、暗闇のなかに描き出していく。
湿った洞窟の空気が、ひやりと肌を撫でた。 どこかで水滴が落ち、ぽたり、と乾いた音を立てる。
私の目に、封印を司る魔力の流れが、鮮明に浮かび上がった。
ルイズ:「……なるほど」
認証。 魔力供給。 遮断。 逆流防止。 異常検知。
一般の魔導士が見れば発狂しそうな文様の群れは、実際には役割ごとに整然と区分けされた、魔法回路の集まりに過ぎなかった。 その中心に、扉を固く封じる五つの主要な回路が据えられている。
ルイズ:「三重の認証に、二重の魔力遮断……。 これが、過去にどなたかが施した、人間側の『五重封印』ですか」
シャルロット:「五重……?」
シャルロットが、魔導杖を握る手に緊張の汗を滲ませた。
ルイズ:「ええ。 単に認証を突破しただけでは、魔力の供給経路が二重に遮断されているため、封印そのものは解けない構造です。 逆に、遮断だけを力ずくで壊そうとすれば、認証回路や扉の内部へ、致命的な負荷が一気に逆流する仕組みなのでしょうね」
シャルロット:「……あなた、それを、今指輪をかざした一瞬で読み取ったのですか?」
ルイズ:「全体の見取り図が見えただけです。 完全に理解するのは、これからですよ」
シャルロット:「その言い方で安心できる人間は、たぶんこの世に一人もいませんわ……!」
シャルロットの絶望の声が、洞窟の湿った壁に空しく反響した。
マリアンヌとジュリエットは、互いに顔を見合わせて青ざめている。 その足元では、トトが短い前肢で顔を覆いながらじりじりと後ずさり、カメ吉は甲羅を丸めて、冷たい石畳にぺたりと張り付いていた。
 トト:「……待て待て待て。 ルイズはん、ちょお待ち。 これ、公爵家の精鋭魔導士団が総出で挑んでも開かへんかった、国宝級の神話の扉やろ? 何で自分、月末の家計簿の数字が合わへんときみたいな、底冷えする真顔しとるんや……」
ルイズ:「数字が合わないなら、原因を特定して直すだけです」
トト:「そのスーパーのおつり確認するみたいな感覚で、国家規模の封印に触らんといてほしいわ、ほんま……!」
私はトトの世俗的な訴えを聞き流し、空中に浮かぶ魔力の流れへ、全意識を集中させた。
まずは三重の認証である。
第一の回路は、外から入ってきた魔力の『性質』を照らし合わせている。 第二の回路は、その結果を受け取り、あらかじめ登録された情報と合致するかを判定する。 第三の回路は、二つの判定をまとめ、最終的な『解除の命令』を受け入れるかどうかを決める。
単純に見えて、各回路は互いの様子を常に見張り合っていた。 一つを強引に突破すれば、その異変を別の回路が察知する。 そこでさらに力を加えれば、逆流を防ぐ機構が動き、術者へ莫大な反動を返す。 つまり、正面から魔力をぶつけるほど、状況は致命的に悪化するよう作られているのだ。
ルイズ:「安全を極限まで優先した設計ですね。 認証を一つ破られても、残りが働く。 さらに、異常な魔力を察すれば、即座に逆流を防ぐ……。 美しいですが、無駄も多いです」
シャルロット:「そ、それなら、やはり触らずに迂回路を通るべきではありませんの!?」
ルイズ:「いいえ。 問題は、そこではありません」
私は、三つの認証回路のあいだを流れる信号の揺らぎを、白く細い指先でなぞった。
ルイズ:「同じ判定を複数の回路に分けているのは、確かに守りを固めるためでしょう。 けれど、判定の結果を次の回路へ『受け渡す道筋』そのものは、共通しています。 ならば、一つずつ壊す必要はありません。 解除の命令が正しく伝わる道だけを、確保すればいいのです」
シャルロット:「……つまり?」
ルイズ:「壊さずに、素通りさせるだけです」
シャルロット:「その『だけ』の難しさが、わたくしにはまったく分かりませんわ……!」
私は、指輪から伸びる極小の魔力の糸を、第一の認証回路の隙間へそっと滑り込ませた。
術式を力でねじ伏せるのではない。 まず、回路が何を受け取り、何を返し、どこへ信号を送っているのかを正確に掴む。 次に、判定そのものには余計な負荷をかけず、結果を受け渡す道筋だけを切り分けていく。
ひとつ。 また、ひとつ。
蒼白い光の網から、認証回路を示す線が、魔法のように順番にほどけていった。 扉に刻まれた古代の文様は、一画たりとも傷ついていない。 封印を壊すのに要るはずの莫大な魔力も、一滴も使っていない。 私がやっているのは、あくまで構造の読み解きと、穏やかな制御だけだ。
 ルイズ:「……第一認証、解除。 第二認証、解除。 第三認証……無力化、完了です」
指輪の核が、カチリと心地よい音を立てた。
マリアンヌ:「は、早すぎませんこと……?」
マリアンヌが、目の前の光景を信じられない様子で呟いた。
ジュリエット:「わたくしには、何がどう解除されたのかすら、少しも分かりませんでしたわ……」
ジュリエットも、思わず眼鏡を押さえて額に手を当てる。
トト:「そらそうやろ。 ワイかて横で詳しい説明聞いとるはずやのに、気ぃついたら三つとも終わっとったわ!」
ルイズ:「きちんと順序立てて説明はしましたよ?」
トト:「その説明の速さが、人間の理解の限界を超えとるんや! 大学の講義やなくて、早送り再生やろ、それ!」
カメ吉:「キュィ……(ワイなんか、説明の最初の一行で寝てもうたわ……)」
トト:「お前は寝るな、新入り」
私は二匹のやり取りを背中で受け流し、続いて、二重に張り巡らされた『魔力遮断回路』へ、解析の対象を移した。
こちらも仕組みは明快だった。 魔力の供給経路を二段に分け、片方が破られても、もう一方が封印への魔力を止める。 守りを厚くするための、堅実な二重遮断である。 私は供給の経路を一本ずつ確かめ、遮断回路を無理に壊すことなく、封印へ伝わる制御の留め具を、順番に外していった。
最後に、逆流防止と異常検知の機構が、静かな待機の状態を保っていることを確かめる。 これで、少なくとも人間側の術式に対して、私が不要な損傷を与える心配は、完全になくなった。
ルイズ:「……五つの主要回路、すべて解除。 補助の機構も無事ですわ」
私は、指輪を扉からスッと離した。
シャルロット:「……これで、ついに扉は開きますの?」
シャルロットが、恐る恐る尋ねた。
ルイズ:「いいえ。 封印を解いただけです。 実際に開く仕掛けは、別にあるのでしょうね」
シャルロット:「なるほど……」
シャルロットが、少しだけ安堵の息を吐いた、その直後。
 ――ゴゥン……。
シャルロット:「――今の音は何ですの!?」
ルイズ:「内部の仕掛けが動いた音でしょうか」
トト:「動いた音でしょうか、やあらへん! 今、自分で『封印を解いただけ』言うたばっかりやろがい!」
カメ吉:(キュィ……。 扉は一ミリも開いてへんのに、何かが奥で動き出したで……。 これは絶対、今すぐ回れ右して極楽温泉に戻る判断が正解やったやつや……)
太古の岩盤の奥底から響くような、重く低い震えが、洞窟の空気を不気味に揺らした。
マリアンヌ:「ひゃっ……!」
マリアンヌが小さく悲鳴を上げ、ジュリエットが反射的に彼女の腕をつかむ。 シャルロットも即座に魔導杖を構え直したが、私は警戒することなく、ただ純粋な興味で、目の前の扉を観察し続けていた。
ルイズ:「……」
強固な五重封印が解かれた。 それなのに、扉は開かない。 物理的な錠が外れた気配もなければ、奥へ続く隙間が生まれた様子もない。 代わりに――これまで黒く重厚な表面の下へ隠れていた『別の紋様』が、ゆっくりと暗闇のなかに浮かび上がり始めていた。
それは、私が王立魔法大学の禁書庫で目にしてきた、いかなる人間界の魔法陣とも、根本から異なるものだった。
ルイズ:「……おや?」
私は、吸い寄せられるように、思わず一歩、扉へ近づいた。
赤紫色の禍々(まがまが)しい光を帯びた文字が、黒い門扉の中央に、ひとつ、またひとつと浮かんでいく。 文字の輪郭に沿って、見たこともない波形の魔力が流れていた。 文字そのものが、魔法回路を成している。 いや――それだけではない。 文字は、魔力を受け取るたびに、脈打つように形を変えていたのだ。
私は、その不条理な光景を、じっと見つめた。
ルイズ:「……なるほど。 どうやら、ここからが本当の『本番』のようですね」
シャルロット:「ルイズさん……? 今、人間側の封印を解いたばかりですわよね……?」
ルイズ:「はい」
シャルロット:「では、なぜ、そんなに『嬉しそう』なのですの……?」
ルイズ:「だって、シャルロットさん」
私は、目の前に浮かび上がる赤紫色の未知の紋様を見上げた。 琥珀色の瞳の奥に、タダ飯や研究費への執着とはまるで次元の違う、純粋な狂気にも似た知的好奇心が、ちらちらと明滅する。
 ルイズ:「この文字、王立魔法大学のどんな高度な講義でも、特級禁書庫の文献でも、一度も見たことがありません」
シャルロット:「……」
ルイズ:「つまり、この世の理から外れた、完全なる『未知の魔術体系』です」
――素晴らしい。
私は、胸の奥から込み上げるマッドサイエンティストとしての研究欲を抑えきれず、思わず口元を妖しく緩めた。
マリアンヌ:「えっ……まって……人間界の知識では解読できない、未知の魔法ということですの?」
マリアンヌが、絶望的な顔で不安そうに尋ねた。
ジュリエット:「少なくとも、わたくしたちが学廷で学んできた魔術体系には、一文字も該当するものがありませんわね……」
ジュリエットも、慎重に文字の形を観察しながら青ざめる。
シャルロット:「……それって、ものすごく、命に関わるほど危険なのでは?」
ルイズ:「そんなことは、私にとって問題ではありません。 非常に興味深いです」
シャルロット:「答えになっていませんわーーーっ!」
シャルロットの悲痛な絶叫が、静かな洞窟に虚しく響き渡った。
トト:「トト! 帰りましょう。 今すぐ帰りましょう。 最高の保養温泉に戻って、何も見なかったことにしましょう……!」
トト:「せやな! 未知の技術とか言うてる場合ちゃうわ! ワイらは夏休みの保養旅行と、安全な宝探しに来とるんや! 歴史を揺るがす国際問題の発掘調査に来たんちゃうねん!」
カメ吉:「キュィ!(ワイは既に、甲羅の中で百パーセント帰り支度は完了済みやで! はよ帰ろ!)」
トト:「お前、さっきから甲羅の外に一歩も出てへんやんけ」
ルイズ:「……これは、ただの記号ではありませんね」
シャルロット:「え?」
シャルロットが、警戒の構えを解かないまま、私の横顔へ視線を向けた。
ルイズ:「文字そのものが、魔力を処理する仕組みとして働いています。 情報を記すだけではなく、入ってきた魔力を受け取り、その条件に応じて流れる道筋をその場で書き換えている……。 つまり、文字と術式が、完全にひとつに溶け合っているのですわ」
シャルロット:「……どういうことですの?」
ルイズ:「この世の人間が使う魔法陣なら、記号が示す意味と、実際に魔力を処理する回路は、ある程度切り離されています。 けれど、これは違います。 文字の形そのものが、魔力の扱い方を決めている『生きた暗号』なのです」
私は、中指の変調指輪から極細の魔力の糸を伸ばし、その未知の文字の周囲へ慎重に巡らせた。
文字の揺らぎを読み取る。 その反応を覚えておく。 別の文字へわずかな魔力を流し込み、変化の違いを比べる。 さらに、先ほど人間側の五重封印を調べたときに掴んだ魔力の流れの構造と、片端から照らし合わせていく。
一つひとつの観測は、決して多くない。 だが、異なる入力に対する反応の規則を拾い上げれば、そこに一定の数学的な法則が見えてくる。 未知の言語を理解するには、文字の形だけでなく、その背景にある『文法』を知る必要がある。 そして、この魔族の文字体系には――文法にあたる論理の組み立てまでが、魔力の流れとして美しく織り込まれていた。
 ルイズ:「……ああ、なるほど。 そういうことですか」
私は、その洗練された数式に感心して、小さく頷(うなず)いた。
シャルロット:「ル、ルイズさん? 何が分かりましたの?」
ルイズ:「大丈夫です。 大まかな意図が読めてきました」
シャルロット:「その言葉を、わたくしは今、一クローネ分も信用できませんわ!」
シャルロットの悲痛な抗議を聞き流し、私は超高速で解読を続けた。
数分後。 ばらばらに散らばっていた赤紫色の文字の並びが、私の頭のなかで、明確な『意味』を持ち始めた。 一字一句を完全に訳すには、まだ確かめる余地がある。 それでも、この扉が何のために造られたのか、その根本の仕様は読み取れた。
ルイズ:「……なるほど。 これは、単に封印を説明する注意書きではありませんね」
シャルロット:「では、何ですの?」
ルイズ:「通行の条件を確かめる『照合の命令』です」
シャルロット:「通行条件……?」
ルイズ:「ええ。 誰が、どのような資格で、この扉を通ろうとしているのか。 外から示された認証の情報と、内側に登録されている通行の条件を突き合わせるための術式です」
その言葉を耳にした途端、シャルロットたちの表情がスッと変わった。
何か危険なものを永遠に閉じ込めておくための、ただの壁ではない。 通る者を見分け、その資格を確かめる仕組みが、はっきりと存在している。 つまり、この巨大な門は、最初から『誰かが通る』ことを前提に造られているのだ。
シャルロット:「……でしたら、ここは古代の施設か、何かの居住区の入口ということですの?」
ルイズ:「その可能性が高いですね。 しかも、認証の仕組みが妙に複雑です。 個人の魔力を見分けるだけではありません。 複数の権限を、同時に照らし合わせているようです」
シャルロット:「複数の、権限……?」
私は、赤紫色の文字の奥に隠れていた中心の回路へ、意識を深く潜らせた。
そこには、重要な認証の情報を抱えているらしい、閉ざされた区画が存在していた。 人間側の五重封印とは違う。 こちらは、扉を閉ざしておくための物理的な仕掛けではない。 誰に扉を通らせるのか――その判断を下すための、独立した仕組みだった。
私は、慎重に読み解きの向きを切り替えた。
すると――赤紫色の文字の奥底から、二つの重厚な『紋章』が浮かび上がった。
 ルイズ:「……あら?」
ひとつは、まったく見覚えのない異形の紋章だった。 鋭い曲線と、幾重にも重なる円環。 中央には、人間界の一般的な紋章の決まりとは根本から異なる、おぞましくも美しい魔力の刻印が据えられている。
そして、もうひとつは――。
シャルロット:「……そんな……っ」
隣で、シャルロットがハッと短く息を呑んだ。 彼女の白磁の顔から、すっと血の気が引いていくのが分かった。
シャルロット:「その紋章……。 我が、ヴァーミリオン家のものですわ……」
マリアンヌ:「えっ?」
マリアンヌが、驚いて主人を振り返った。
マリアンヌ:「シャルロット様、それは本当ですの!?」
シャルロット:「ええ。 見間違えるはずがありませんわ。 わたくしは生まれたときから、この誇り高き家紋を見て育ちましたもの……」
シャルロットの琥珀色の視線は、扉の虚空に浮かぶ深紅の紋章から、釘付けになったように離れなかった。
私も、改めてその立体の構造を確かめる。 間違いない。 大鷲(おおわし)を象(かたど)ったヴァーミリオン公爵家の家紋と、寸分の狂いもなく一致している。 ただし、それは単なる飾りではなかった。 魔力の流れを辿れば、紋章の刻印そのものが、通行の権限を抱える中心の回路へ、直接繋がっていることが分かる。
ルイズ:「……ただの偶然ではありませんね」
私は、一人のアナリストとして淡々と告げた。
ルイズ:「こちらの公爵家の紋章は、認証の鍵の一部として、正式に組み込まれています。 もう一方の未知の紋章も同様です。 二つの異なる紋章が、同じ認証の仕組みのなかで連動していますわ」
シャルロット:「……」
ルイズ:「つまり、この扉を通るためには、ヴァーミリオン家の権限と、もう一方の紋章に対応する権限とが、何らかの形で互いに合意している必要があるのでしょう」
シャルロット:「お待ちくださいませ」
シャルロットの声が、わずかに震えた。
シャルロット:「わたくしの公爵家が……。 このような未知の古代扉と、何の関係があるというのですか?」
ルイズ:「そこまでは、まだ分かりません。 ただ、家紋が認証の心臓部に組み込まれている以上、ヴァーミリオン家に何らかの特別な権限が登録されていることは、確実です」
シャルロット:「そんな話……お父様から、一度も聞いたことすらありませんわ……」
シャルロットは、目の前に浮かぶ己の家紋を、食い入るように見つめていた。 その表情に滲んでいるのは、単なる困惑だけではない。
 彼女は、ヴァーミリオン家の次期当主たる令嬢だ。 名門の歴史も、豊かな領地のことも、そして公爵家が背負う重い責任も、誰よりも真剣に、己の誇りとして受け止めてきた。 だからこそ――自分が知るべきはずの『家の最大の秘密』が、このような不条理な洞窟の底で突きつけられたことに、静かな動揺を隠しきれないのだろう。
マリアンヌ:「シャルロット様……」
マリアンヌが、そっと彼女の震える肩に手を添えた。 ジュリエットも、いつもの冷静な軽口を封じ、静かに扉を見つめている。
そのシリアスな空気の一方で、私の肩の上のトトだけは、全く別の理由で顔色を悪くしていた。
トト:「ちょお待ちぃ……。 ヴァーミリオン家の家紋が、魔族側らしき未知の紋章と『一緒』に登録されとる……?」
ルイズ:「そうなりますね」
トト:「いや、何でやねん! 何で人間界の最高権力の公爵家と、魔族側のヤバい何かが、同じ門の認証に仲良く相乗りしとるんや!」
ルイズ:「国と国の『外交上の特別な権限』を持っている、と考えるのが最も自然で合理的でしょう」
トト:「がいこう……?」
トトの声が、かすれた。
私は、扉に刻まれた術式の深層を、さらに読み進めた。 すると、認証回路の奥に、さらに明確な取り決めが見つかった。
ルイズ:「……ああ、やはりそうですね」
シャルロット:「ルイズさん。 まさか……」
ルイズ:「この扉は、人間界と魔族の領地をつなぐ、公式な『外交上の通行施設(ボーダーゲート)』である可能性が極めて高いです」
シャルロット:「…………はい?」
その場の空気が、氷のように凍りついた。
シャルロット:「外交上の……通行施設?」
ルイズ:「ええ。 双方の権限を照らし合わせて、はじめて通行を許す仕組みです。 少なくともこの魔法回路は、邪悪な怪物を閉じ込めておくための野蛮な牢獄ではありません」
シャルロットは、しばらく言葉を失っていた。 やがて、絞り出すようにゆっくりと口を開く。
シャルロット:「……ですが、わたくしは、この扉について、お父様から何一つ聞かされておりませんわ」
ルイズ:「そうなのですか?」
シャルロット:「ええ。 わたくしが知っているのは、一族の書庫に残されている公の記録だけです」
彼女は、痛ましげに一度だけ美しい目を伏せた。
シャルロット:「その記録には、かつてお父様が公爵家の精鋭魔導士団と王国軍を率いて、この扉を力ずくで開けようとしたものの、まったく歯が立たなかった……とだけ記されていました」
ルイズ:「……なるほど」
私は、扉の紋章を見た。
 ルイズ:「ですが、この認証の仕組みが完全に生きている以上、その『公式な記録』に書かれていることだけで、すべての経緯を説明できるとは限りませんね」
シャルロット:「……っ」
シャルロットが、血が滲むほど強く、白磁の唇を噛んだ。
彼女にとって、その記録は、一族の過去を知るための、誇り高き絶対の真実だったのだろう。 私は、今この場で、その記録が意図的な隠し事だと冷酷に断定するつもりはない。 ただ、目の前の空間に明滅する魔法回路は、記録には書かれていない事実を、無慈悲に示している。
ヴァーミリオン家の紋章。 未知の統治権限を示す魔族の紋章。 そして、両者を組み合わせた高度な外交の認証。 これらが単なる偶然で並んでいる確率は、ゼロに等しかった。
シャルロット:「……お父様」
シャルロットが、小さく呟いた。
シャルロット:「わたくしに、一体何を隠していらしたのですか……?」
その声には、親を責める怒りの響きよりも、不信と寂しさが色濃く混じっていた。
私は、彼女に何か優しい言葉をかけるべきか、ほんの一瞬だけ考えた。 けれど、私には、目の前の仕組みについて、先に伝えるべき重要な点がある。
ルイズ:「……シャルロットさん」
シャルロット:「……はい?」
ルイズ:「もう一つ、極めて重要な仕様が分かりました」
シャルロット:「……何ですの?」
ルイズ:「この認証の仕組みは、正規の通行条件が整っていない場合、扉の通過を『絶対に許さない』造りになっています」
シャルロット:「……それは、つまり?」
ルイズ:「現在の日時。 事前に予約された通行許可の有無。 そして、双方の認証の鍵の同時入力。 それらの要件を照らし合わせ、すべてが満たされた場合にのみ、正式な開門を認める、厳しい仕組みですね」
その説明を聞いて、シャルロットの表情に、わずかな安堵が浮かんだ。
シャルロット:「……でしたら、問題ありませんわね」
ルイズ:「はい?」
シャルロット:「正規の通行条件を満たしていないのでしょう? でしたら、ここは諦めるしかありませんわ。 これ以上、何が起こるか分からない危険な仕掛けに手を出す必要はありませんもの」
ルイズ:「……そうですね」
私は、素直に頷(うなず)いた。
未知の技術を読み解くのは、魂が震えるほど楽しい。 魔族側の術式を解き明かし、両国の技術を融合させた二重の認証機構を分解できる機会など、魔導学者として一生に一度あるかないかだ。 可能であれば、あと三日はここに泊まり込んで、隅々まで調べ尽くしたいところだった。
 しかし、これは単なる古代遺跡の宝箱ではない。 人間界と魔族をつなぐ、国同士の『外交施設』なのだ。 正式な通行の権限を持たない以上、勝手にこじ開けてよい正当な理由はない。 胸が張り裂けるほどの研究欲はある。 それでも、興味があることと、実際に不法に立ち入ってよいことは、別の話だった。
ルイズ:「正規の認証が通らないのであれば、今回はここまでにしましょう。 調査は切り上げて、双方が納得する別の機会に改めるのが、最も無難です」
シャルロット:「……ルイズさん」
ルイズ:「はい?」
シャルロット:「本当に、そうお考えなのですわね?」
ルイズ:「ええ。 少なくとも今の状況では、強引に開門を試みる得がありません」
私は、名残惜しさを隠して、読み解きを閉じようとした。 ――その瞬間、ふと、深層に隠された別の仕掛けが目に留まった。
ルイズ:「……ああ」
シャルロット:「な、何ですの!?」
ルイズ:「いえ。 少し気になる造りがありまして」
シャルロット:「ルイズさん!?」
ルイズ:「安心してください。 今すぐ何かを壊すつもりはありません」
トト:「その言葉を、わたくしはどこまで信用すればよいのでしょう……」
トトが、心底疲れた顔でぼそりと呟いた。
私は、扉を覆う魔法回路の全体を、もう一度見直した。 確かに、正規の認証は通らない。 しかし、先ほど読み解いた構造には、奇妙な『独立性』があった。 通行を許すかどうかを決める『認証の仕組み』。 そして、扉そのものを物理的に閉じておく『封印の仕組み』。 両者は連動してはいる。 だが、根本的には同じ回路ではないのだ。
ルイズ:「……なるほど。 認証と封印は、完全に別々に作られているのですね」
シャルロット:「それが、何だというのですか?」
ルイズ:「認証は、あくまで扉を通る『資格』を確かめるためのもの。 先ほど私が解いたのは、人間側の封印です。 扉を『物理的に固定する』留め具は、魔族側にまだ残っています」
私は、二つの回路を、光の図の上でスッと分けて見せた。
ルイズ:「仕組みが別々である以上、正規の認証が通らなくても……物理的な封印の留め具を外すこと自体は、十分に可能な設計ですね」
シャルロット:「…………」
シャルロットの顔が、わずかに引きつった。
シャルロット:「……ルイズさん」
ルイズ:「はい」
シャルロット:「まさか、今からその恐ろしい理屈を、私欲のために試すつもりではありませんわよね?」
ルイズ:「いいえ」
シャルロット:「…………え?」
ルイズ:「試しません」
私は、あっさりと答えた。
ルイズ:「構造上、可能であることは証明されました。 しかし、できるからといって、実行に移す必要はありません。 何より、ここが外交上の通行施設である以上、正規の認証を無視して扉をこじ開ければ、莫大な賠償問題、つまり国際問題に発展するおそれがあります。 それは得策ではありません」
シャルロット:「……本当に、諦めるんですの?」
ルイズ:「はい。 未知の技術を調べることは極めて魅力的ですが、今回の危険に見合うだけの利益があるとは、判断できません」
私は、未練を断ち切るように、読み解きの画面を完全に閉じた。
……残念ではある。 非常に残念ではあるが、仕方がなかった。 未知の魔族の技術。 人間側と魔族側の認証を連動させる混成の回路。 そして、両者の技術を統合した特級の封印の仕組み。 これだけの国宝級の研究対象を前に、何もせず引き返すのは、学者として身を切られるほど惜しい。 それでも、危険を避けると決めた以上、ここで引き下がるのが最も合理的だった。
 ルイズ:「では、帰りましょう。 これ以上の調査は、双方の正式な通行の許可を確かめてからでも遅くありません」
私が未練なく仲間たちへ向き直ると、トトが、心底ほっとしたように大きく息を吐いた。
トト:「はぁぁ……。 よかったわ。 ルイズはんが、ようやく人間の常識的な判断をしてくれた……」
ルイズ:「私は、常に計算に基づいた合理的な判断をしていますよ」
トト:「その合理性の着眼点が、たまに異世界と繋がっとるから怖いんや!」
カメ吉:「キュィ……(ワイ、今日だけは、ルイズはんに頭下げたい気分やで……)」
シャルロットも、ようやく強張っていた肩の力を抜いた。
シャルロット:「……そうですわね。 今は、これ以上踏み込むべきではありませんわ」
彼女は、最後にもう一度、扉に浮かぶ自らの家紋を見つめた。 その瞳には、まだ消し去ることのできない深い疑問が残っていた。
シャルロット:「……ですが」
小さな、搾り出すような声だった。 帰ろうとしていた私は、ピタリと足を止めた。
ルイズ:「……シャルロットさん?」
シャルロット:「いえ……何でもありませんわ」
そう強がって答えながらも、彼女の琥珀色の視線は、扉の奥から離れなかった。
ヴァーミリオン家の家紋。 自分が生まれたときから見てきた、誇りある一族の象徴。 それが、未知の魔族の認証と、同じ場所に、対等に刻まれている。 家に伝わる公式の記録には、この扉を力ずくで開けようとして失敗したという、勇ましい話しか残されていない。 けれど、実物の認証の仕組みは、まるで違う『裏の真実』を、無慈悲に示していた。
もし、この扉が本当に人間界と魔族をつなぐ外交施設なのだとしたら。 ヴァーミリオン家は、代々どのような裏の役割を担ってきたのだろう。 なぜ、そのことが一族の公式の記録には、明確に記されていないのだろう。 そして、なぜ最愛の父は、その事実を次期当主である娘にすら伝えていないのだろうか。
シャルロット:「……待ってくださいませ」
シャルロットが、静かに、しかし覚悟を込めた声で口を開いた。
ルイズ:「……はい?」
私は、閉じかけていた指輪の魔力の繋がりを、保ったままにした。
 シャルロット:「ルイズさん。 先ほどの仕組みの説明について、もう一度お聞きしてもよろしいですか?」
ルイズ:「どの部分でしょう?」
シャルロット:「ヴァーミリオン家の紋章が、認証の鍵の一部として登録されているという部分ですわ」
ルイズ:「はい。 間違いありません」
シャルロット:「それは、単なる過去の古い記録の残骸ではなく、現在も生きて働いている認証の仕組みなのですわね?」
ルイズ:「そのとおりです。 少なくとも、この回路は今この瞬間も、正常に働いています」
シャルロットは、ゆっくりと、深く息を吸った。
シャルロット:「……でしたら、わたくしは知らなければなりません」
その声には、先ほどまでの令嬢としての困惑とは異なる、次期領主としての確かな響きがあった。
マリアンヌ:「シャルロット様……?」
マリアンヌが、心配そうに主人の顔を見た。
シャルロット:「わたくしは、誇り高きヴァーミリオン家の人間です。 家名に関わる重大な秘密がこの領地の奥底にあるのなら、見て見ぬふりをして、知らないままでよいはずがありません」
シャルロットは、もう一度、巨大な扉の紋章を鋭く見つめた。
シャルロット:「わたくしは、家に伝わる公式の記録を、真実だと信じてきました。 ですが、今、目の前にあるものは、その記録だけでは到底説明がつきません」
ルイズ:「……そうですね」
シャルロット:「お父様が何を知っていたのか。 なぜ、この認証に我が家の紋章が登録されているのか。 そして、この扉が本来どのような役割を担っているのか」
彼女は、魔導杖を強く握り直した。
シャルロット:「それを確かめることは、ヴァーミリオン家の名を背負う者として、わたくしが必ず果たすべき責任ですわ」
ルイズ:「ですが、シャルロットさん」
私は、できるだけ冷徹な事実として告げた。
ルイズ:「この扉は、外交上の通行施設である可能性が高いのです。 正規の通行条件が満たされていない以上、強引に開ければ、予想外の防衛の仕組みが動き出し、莫大な責任を負う危険があります」
シャルロット:「承知していますわ」
ルイズ:「封印を解くことができても、その先で何が起こるかまでは分かりません。 最悪、武力による排除の仕掛けが動く可能性もあります」
シャルロット:「それでも、確かめたいのです」
シャルロットは、逃げない瞳で私をまっすぐに見据えた。
シャルロット:「わたくし個人の好奇心を満たすためではありません。 家に関わる秘密を、知らないまま放置したくないのです」
その気高い瞳に、迷いはなかった。
シャルロット:「ルイズさん。 わたくしは、ヴァーミリオン家の次期当主として、すべての責任を持って決断いたします。 扉を開けるために必要な調査を、続けていただけませんか?」
ルイズ:「…………」
私は、彼女を静かに見つめ返した。
 ……なるほど。 家名への責任。 過去の公式の記録と、目の前の事実との決定的な食い違い。 そして、自分が知るべき真実を、今ここで確かめたいという、次期当主としての強い意志。 実に、非の打ち所のない立派な理由である。
もちろん、危険がなくなったわけではない。 正規の通行条件を満たしていない扉を開こうとする以上、何が起きるかは不透明だ。 先ほど、私はその危険を考えて、自らの意思で調査を打ち切ると決めた。 その判断は、今でも百パーセント合理的だと思う。
……ただし。 シャルロットさん自身が、家名に関わる重大な公的調査として、すべての危険と責任を承知のうえで『続行』を求めているのであれば。 話は、大いに変わってくる。
しかも、目の前には、喉から手が出るほど欲しい未知の魔族技術がある。 認証と封印を分けた、高度な設計。 人間側と魔族側の技術を美しく結びつけた、混成の回路。 そして、それらがどのように連動して動いているのかという、極めて興味深い学術的な問い。
……いえ、誤解しないでほしい。 私は、あくまで友人であるシャルロットさんの気高い意思を尊重し、依頼に応えるだけだ。 決して、私個人のドケチな知的好奇心が再燃して、 「堂々と扉を開ける大義名分ができた!」 と内心で小躍りしているからではない。 決して。
ルイズ:「……分かりました。 お引き受けします」
シャルロット:「ルイズさん……!」
ルイズ:「ただし、命に関わる危険な兆候があれば、即座に作業を中断します。 扉の内部で何が起こるか分からない以上、無制限に命の危険を冒して強行することはできません」
シャルロット:「ええ。 それで構いませんわ」
ルイズ:「また、封印を解く過程で防衛の仕掛けが動いた場合は、迎撃への対応を最優先します。 家の秘密を知ることは重要ですが、私たちの命を犠牲にするつもりはありません」
シャルロット:「承知しました。 わたくしも、皆さんを危険にさらすことが目的ではありませんもの」
ルイズ:「では、調査を再開しましょう」
私は、先ほど閉じたばかりの光の図を、コンマ一秒の速さで、嬉々として再び広げた。
……よかった。 あのままリスクを重んじて、今回は諦めて帰るところだったのだ。 シャルロットさんが、ここまで強く望んでいるのであれば、友として持てる技術で協力するのは当然だろう。 そう。 これは、私の好奇心だけで決めたことではない。 決して。
ルイズ:「では、まずは認証の仕組みと、物理的な封印の仕組みの繋がり具合を確かめます。 異常を察知する回路も、見張りの対象に加えましょう」
シャルロット:「お願いしますわ」
ルイズ:「正規の認証を通すことは、仕組みの上で不可能ですので、今回は『物理的な封印の留め具を外す』ことだけを対象とします。 対象外の回路へ手を触れて異変を起こさないよう、作業を精密に切り分けます」
私は、指輪の出力を微細に調整した。 無計画に強引な魔力を流し込むような、野蛮な真似はしない。 人間側の封印を解いたときと同様、扉の物理的な固定を担う回路だけを狙い、必要な解除の作業だけを切り分けていく。 問題が起きた場合に備え、異常を察する反応も、観察の対象に含めた。
ただし、今回は前回とは事情が根本から違う。 目の前の巨大な扉は、単なる古代遺跡の宝箱の封印ではない。 人間界と魔族をつなぐ『外交施設』であり、双方の権限を照らし合わせる厳密な認証まで備えている。 つまり、これを裏口から無理に開ける行為そのものが、何らかの防衛の仕掛けを動かす可能性が、極めて高い。
 ルイズ:「……シャルロットさん」
シャルロット:「はい?」
ルイズ:「ここから先は、本当に何が起こるか分かりません。 先ほどの命の約束を、もう一度確認しておきます」
シャルロット:「ええ。 危険があれば中断する。 それが絶対の条件ですわね」
ルイズ:「そのとおりです」
シャルロット:「分かっていますわ。 わたくしも、公爵家として覚悟を決めましたもの」
シャルロットは、杖を握りしめ、再び扉へ向き直った。
シャルロット:「どうか、お願いいたします」
ルイズ:「承知しました。 中枢の主導権、掌握します」
私は、封印の最初の回路へ、白く細い指を伸ばした。
……さて。 ここから先は、お待ちかねの未知の技術の解析である。 もちろん、シャルロットさんの家名に関わる重大な調査でもある。 その点を忘れてはならない。 決して、珍しい魔族の技術を目の前にして、私が内心で嬉々としているわけではない。 ……いや、多少は嬉しい。 いや、めちゃくちゃ興奮している。 だが、それはそれ、これはこれだ。
指輪の核が、淡く、鋭い光を放った。 そして私は、正規の認証を通さずに扉を開くという、外交上は極めて危険で非合法な作業へと、淀みなく着手した。
最後の物理的な固定回路が、私の指先で、静かに解かれる。
――ゴゥン……。
扉の内部から、地響きのような重い駆動音が響いた。 巨大な黒い門扉が、何万年もの眠りから覚めるように、ほんのわずかに揺れる。
次の瞬間。 赤紫色だった未知の文字の一部が、鮮烈な『警告の赤色』へと、一斉に変わった。
『 警告 ; 正規認証 未成立 』
赤い文字が、虚空に浮かび上がる。 続いて、扉全体に刻まれていた魔法回路が、血管のように一斉に毒々しく発光した。
 『 警告 ; 協定外開門(不正アクセス)ヲ検知 』
ルイズ:「……あら?」
私は、思わず首を傾げた。 想定どおりの異常の知らせ。 つまり、仕組みは設計どおりに正常に動いている。 問題は、その次だった。
『 共同防衛機構(ハイブリッド・ガーディアン)、起動準備 』
赤い文字の下に、残酷な数字が浮かび上がる。
『 3 』
『 2 』
『 1 』
ルイズ:「…………」
私は、その流れるようなカウントダウンを、無表情で見つめた。 数字の意味は、考えるまでもなくすぐに分かった。 異常を察した防衛の機構が、兵器を起動するまでの猶予を数えているのだ。
ルイズ:「……なるほど。 猶予はたったの『三秒』ですか。 実戦的でシビアな設定ですね」
シャルロット:「何が『なるほど』ですのぉぉぉっ!!」
シャルロットの悲鳴。 トトの絶叫。 マリアンヌとジュリエットの、絶望に息を呑む音。 そして、カメ吉の甲羅が石畳を激しく叩く、乾いた音。
それらすべてが、次の瞬間に響いた大轟音によって、一瞬でかき消された。
『 共同防衛機構、起動 』
――ズゥゥゥンッ!!
扉の左右に刻まれていた巨大な紋様が、地面へ向かって強烈な光の柱を放つ。 洞窟の床に、これまで隠されていた巨大な魔法陣が浮かび上がった。 人間側の青白い魔力と、魔族側の赤紫色の魔力が、互いに激しく交差しながら、巨大な円環を空間に描いていく。
その中心で、何かが動いた。 扉の両脇に隠されていた岩の装甲が、重い金属音を立てて左右に展開する。 内部から、複数の巨大な魔力炉が、暴力的な唸りを上げて目を覚ました。 次いで、魔族側の術式の中枢と思われる複雑な紋様が、空中へとせり上がり、機械と魔導が溶け合っていく。 人間側の魔導技術。 魔族側の術式技術。 まったく異なる二つの体系が、ひとつの『絶対防衛機構』として、完璧に繋がっていく。
やがて、床下の暗闇から持ち上がった圧倒的な巨大な影が、私たちの前にその威容を現した。
人間の重装兵士を思わせる、堅牢な上半身。 その全身を隙間なく覆う、未知の黒い金属の装甲。 胸の中央には、心臓のように脈打つ巨大な魔導炉。 背中から伸びた複数の装甲板が翼のように広がり、その奥で赤紫色の術式の中枢が不気味に明滅している。 顔にあたる部分には、目も口もない。 ただ、兜の中央に、すべてを灼(や)き尽くすような一本の赤い光の線が灯っていた。
 その赤い光の帯が、ゆっくりと、無慈悲に私たちをなぞる。
『 侵入者ヲ確認 』
洞窟全体をビリビリと震わせる、無機質で重い声が響いた。
『 協定外開門ヲ確認 』 『 識別処理ヲ開始――対象、排除 』
巨大な魔導炉の出力が、急速に、そして暴力的に上がっていく。
シャルロットが、震える足で一歩前へ出た。
シャルロット:「――皆さん、わたくしの後ろへ下がってくださいませ!」
彼女は魔導杖を構え、自らが盾となるように私たちの前に立った。
シャルロット:「これは、通常の迷宮の魔物ではありませんわ! 人間側の高出力の魔導炉に、未知の魔族の術式が直結されています……!」
マリアンヌも杖を構え、ジュリエットは冷静に周囲の地形と退路を測っている。 トトは、すでに私の足元の旅行鞄の陰へ、光の速さで逃げ込んでいた。
トト:「ルイズはん! これ、どないすんねん! 外交問題どころの騒ぎやないやろ! 国境の絶対防衛兵器を、お前の知的好奇心で不正に起動させてもうたんやぞ!?」
ルイズ:「不正ではありませんよ、トト。 物理的な封印の留め具を正しく外した結果、防衛機構が『正常に作動した』だけです」
トト:「その屁理屈で、今のこの絶望的な状況の何が解決するんやぁぁぁっ!」
カメ吉は、甲羅の奥の奥にまで身体を引っ込めたまま、かすかな涙声で鳴いた。
カメ吉:「キュ、キュィィィ……!(終わった……温泉旅行が、一瞬で国際問題の大戦争に化けよった……!)」
その震える声には、かつて世界を震撼させた特級魔獣としての面影など、ひと欠片も残っていなかった。
私は、巨大な殺意を放つ目の前の共同防衛機構を、静かに見上げた。
 莫大な出力を誇る巨大な魔導炉。 装甲の隙間を流れる、よく整えられた魔力の道筋。 人間側と魔族側、それぞれ異なる技術を矛盾なく統合した完璧な術式の中枢。 さらに、異変の察知から起動までを、わずか『三秒』に収めた、無駄のない自動の防衛。
……素晴らしい。 いえ、正確には、素晴らしすぎる。 これほど高度で美しい魔導装置を、この世の迷宮の地下に隠していたとは。
ルイズ:「……これは、極めて興味深いですね」
トト:「興味深いで済ませるなやぁぁぁッ!!」
トトの絶叫が、再び洞窟に空しく響き渡った。
ガーディアンの胸の魔導炉が、最も強い破壊の光を放つ。
『 侵入者ノ排除ヲ開始スル 』
無機質な死の宣告とともに、巨大な黒鋼の腕が、私たちを粉砕すべく、ゆっくりと動き始めた。
私は、中指の変調指輪の出力を確かめながら、その殺戮の動きを冷静に観察する。 逃げるべきか。 戦うべきか。 そんな命に関わる判断よりも先に――私の頭のなかでは、目の前の『未知の技術』をどのように分解し、解き明かし、自らの知識として搾り取るかという、恐るべきマッドサイエンティストの算盤が、すでに弾かれ始めていた。
――こうして。 私たちののどかな温泉旅行は、ルイズのドケチな好奇心により、わずか『三秒』で、国際的な特級防衛案件へと変貌を遂げたのである。
ガーディアンの胸の中央で、巨大な魔導炉が心臓のように脈打つたび、漆黒の装甲の継ぎ目を、赤紫色の光が静脈のように走り抜けた。
起動のときの地鳴りのような轟音は、すでに収まっていた。 だが、その巨体は止まっていない。 装甲の内側では、魔力の送り先が超高速で次々と切り替わり、各部の駆動へ必要な出力が、寸分の狂いもなく送り込まれているのが分かる。
 私は、その流れるような一連の動きを、食い入るように見つめた。
ルイズ:「……なるほど」
シャルロット:「ルイズさん、何が『なるほど』なのですか!?」
シャルロットが、悲鳴に近い声で叫んだ。
シャルロット:「まだ何も攻撃されていませんわ! 今のうちに、皆さんで距離を取って――」
ルイズ:「いえ、もう少しだけ観察させてください」
シャルロット:「その『もう少し』が、わたくしたちの命に関わるんですのよ!」
極めて真っ当な正論だった。 ただし、一人の研究者にとって、目の前で動いている未知の特級技術は、それほど簡単に諦められる代物ではない。 まして、これは単なる強力な古代のゴーレムなどではなかった。
人間側の『魔導炉』と、魔族側の『術式の中枢』。 歴史上、決して交わることのなかった二つの技術の体系が、ひとつの装置のなかで、完璧にひとつに溶け合っているのだ。
私は左手の中指の変調指輪の出力を極限まで絞り、ガーディアンの周囲の空間へ、ごく微量の魔力を、音波のように流し込んだ。 相手の仕組みに手を出すためではない。 あくまで、外から見て取れる基本の情報を集めるための、軽い探りである。
ルイズ:「……まずは、動力の設計の考え方ですね」
胸の魔導炉が、一定の周期で青白い光を放っている。 魔力の供給は驚くほど安定していた。 しかし、その膨大な出力が、直接、腕や脚の駆動へ流れているわけではない。 魔導炉から送り出された魔力は、いったん装甲の内側の特殊な回路を通り、背中に据えられた赤紫色の術式の中枢へ送られている。 そこで、出力の調整、動きの制御、攻撃の相手の見分けといった複数の処理が行われ、そこから初めて、必要な部位へ魔力が無駄なく振り分けられているらしい。
ルイズ:「人間側が『動力』を受け持ち、魔族側が『制御』を受け持っているのでしょうか……」
私は、思わず目を細めた。 単純に異なる二つの装置を繋いだだけなら、魔力の性質や制御の拍子の違いによって、必ず出力の損失や動きの遅れが生じる。 ところが、このガーディアンには、その手の設計上のほころびや不安定さが、少しも見られないのだ。
人間側の魔導炉が生む、暴力的で大雑把な大出力を、魔族側の術式の中枢が、極めて繊細で適切な形へと変えて、制御している。 さらに、双方の回路の隙間には、互いの異常を即座に察知し合うための見張りの仕組みが、芸術的な美しさで組み込まれていた。
ルイズ:「……これは、単なる建前上の共同開発などではありませんね」
シャルロット:「ルイズさん?」
ルイズ:「異なる魔導理論の体系を、互いの長所を百パーセント残したまま、結び合わせています。 しかも、一方に致命的な不具合が起きても、もう一方まで連鎖して壊れないように、完璧に切り分けて設計されている……」
私は、純粋な一人の技術者として、思わず感嘆の吐息を漏らした。
 人間側だけでこれを造ろうとすれば、巨大な魔導炉の出力を扱うための制御を、すべて人間側の複雑な理論だけで、一から組まなければならない。 魔族側だけで造ろうとすれば、今度は魔族側の術式に適した巨大な動力源そのものを、自前で確保する必要がある。 それぞれの技術が得意とする領域だけを完璧に分担し、必要な接点だけを共有する。 両国の理論を一から統一するという非現実的な試みよりも、はるかにスマートで、合理的な設計だった。
ルイズ:「素晴らしいですね。 これは歴史的傑作です」
シャルロット:「素晴らしくありませんわ!!」
シャルロットの絶叫が、洞窟にビリビリと響いた。
シャルロット:「両国の技術を悪魔合体させた国境防衛兵器が、わたくしたちを『侵入者』と判断しているんですのよ!?」
ルイズ:「はい。 見分ける処理も、少しの狂いもなく、正常に動いていますね」
シャルロット:「正常に動いていることを喜ばないでくださいませッ!」
シャルロットは魔導杖を構えたまま、巨大なガーディアンから一瞬たりとも目を離さなかった。 その足元では、マリアンヌが多重の防御魔法を組み始め、ジュリエットが私たちの退路の安全を冷静に測っている。 二人とも、先ほどまでののんきな温泉旅行の気分は、完全に消え失せていた。 それが、普通の人間としての正しい判断だ。 私たちは今まさに、国家間の秘密の協定に基づいて置かれた特級の防衛兵器と、向き合っている。 しかも、相手は私たちを、明確な『排除の対象』と定めているのだ。 普通なら、観察どころの騒ぎではない。
シャルロット:「皆さん、無理に近づかないでくださいませ! あの魔導炉の出力を、正面から受け止めようとしてはいけませんわ!」
シャルロットが、次期領主としての的確な指示を飛ばす。
シャルロット:「マリアンヌ、ジュリエット! まずは相手の射線を切れる位置を確保してください! 機体の性能が分からない以上、回避と防御に徹しますわよ!」
マリアンヌ:「承知いたしました、シャルロット様!」
ジュリエット:「退路の確保、完了しておりますわ!」
そんな緊迫した乙女たちの攻防の裏で、トトはというと。
トト:「ワイは反対や! 全面的に徹底抗戦に反対やで! 何でタダ飯食いに来た温泉旅行の途中で、国境の絶対防衛兵器と睨み合わなあかんねん!!」
私の足元に置いた激安の旅行鞄の陰から、大福餅の身体を丸めて悲痛な声を上げていた。
トト:「しかもお前ら、あれ絶対に『修理費』が高いやつやろ! 装甲も魔導炉も、一点ものの特注品やんけ! あんな国宝級の代物をここで壊したら、一体どこの誰が我が社に請求書を持ってくるんや! 両国の連名で、封筒が分厚いんやぞ、きっと!」
ルイズ:「安心してください、まだ壊していませんよ」
トト:「完全に壊した後の話をしとるんや! 頼むから、借金背負う前に考えてくれ!」
カメ吉も、トトの隣で甲羅に首を引っ込めたまま、小刻みに震えていた。
カメ吉:「キュ……、キュィィ……(帰りたい……今すぐお布団と温泉に帰りたい……。 ついでに言うたら、スルメも食べたい……)」
その声は、明らかに全面的な帰還を要求している。 けれど、私は二匹の世俗的な訴えに答える余裕がなかった。
ガーディアンの観察の結果が、私の頭のなかに、次々と書き留められていく。 動力源の配置。 魔力の供給の経路。 術式の中枢の働く周期。 装甲各部の防魔の特性。 それぞれの情報を整理するたびに、この巨大な装置の全体の姿が、少しずつ明確になっていった。
 ルイズ:「……やはり、魔力の出力と制御を、完全に分けていますね」
私は、ガーディアンの胸から背中へと、視線を移した。 優れた設計であることと、弱点がないことは別である。 動力と制御を分けた以上、それらを結ぶ『情報の通り道』は、必ずどこかに存在する。 そこに、通常とは異なる負荷がかかった場合は、どうなるのか。 魔導炉からの魔力の供給を一時的に絞った場合、術式の中枢は、どこまで自力で動きを保てるのか。 逆に、術式の中枢の制御を断ち切った場合、動力の魔導炉は、どのような暴走の動きを見せるのか。
確かめてみたい項目が、次から次へと頭に浮かんできた。
ルイズ:「……これは、極めて貴重な研究対象ですね」
トト:「研究対象やあらへん! 敵や! ガチの敵やぞ!!」
トトが、鞄の陰から飛び出しそうな勢いで叫んだ。
トト:「そもそも、何で『戦いながら研究する』前提になっとるんや! とっとと逃げる選択肢はどこへ行ったんや!」
ルイズ:「退路は確保されていますから、必要であればいつでも撤退できます」
トト:「ほな、今すぐコンマ一秒で撤退しようや!」
ルイズ:「ですが、これほど美しい機構を実戦で観測できる機会など、一生に一度あるかないかです」
トト:「その機会を作ったんは、ルイズはん自身の好奇心やろがぁぁぁっ!」
……確かに、そのツッコミの事実は否定できない。 私が物理的な封印を解かなければ、このガーディアンが起動することもなかったのだ。 ただし、動かしてしまった以上、今後の判断には、現実的な『経営の視点』が必要になる。
まずは、自らの生存。 次に、周囲の被害と賠償の危険の最小化。 そのうえで――可能な範囲で、未知の特級の研究データを、根こそぎ手に入れる。
私のなかで、行動の優先順位が、完璧に定まった。
ルイズ:「……分かりました、トト」
トト:「おお! やっと常識という名の損切りが分かってくれたんか!」
ルイズ:「私たちの安全と資産を確保しながら、実戦のデータを集めることにします」
トト:「――お前の計画、何ひとつ変わっとらんやないかぁぁぁっ!」
トトの絶望の叫びを背中に受けながら、私は自らの装い、つまり武装を確かめた。 エルライト教授の研究室から拝借してきた、ぶかぶかの男物Tシャツ。 先ほど、洞窟の入口付近で温泉スライムを相手に実験を行った、あの触媒である。
試した『分割消費(リボ払い)』によって、布地の透け具合はすでに五割(半分シースルー状態)に達しているが、触媒としての『残高』は、まだ三分の二(66.7%)残っている。 通常の一括全損の仕様とは違い、ひとつの衣服から複数回に分けて魔法の代償を払える新方式。 理論上は、同じこのTシャツから、まだ複数回の魔法の出力を引き出せるのだ。
もちろん、支払いを分割すれば、何の代償もなく永遠に使い続けられるわけではない。 触媒としての布地の残高は、確実に減っていく。 さらに、同種の触媒を短時間に繰り返し使えば、魔力の変換の効率にどんな悪影響(出力の目減り)が出るかも、未知数だ。 だからこそ、実際の戦闘で、どの程度の効率を保てるのか、今ここで実戦で確かめる必要がある。
 ルイズ:「……ちょうどいいですね」
トト:「その言葉、人類のために今すぐ撤回してくれへん?」
ルイズ:「前回の温泉スライムの実験では、分割そのものは正常に働きました。 今回は、より高度な防衛機構を相手に、実際の戦闘の燃費を確かめられます」
トト:「相手の格を見て言うてくれ! ただの低級スライムと、両国共同の国境防衛兵器は、どない考えても次元が別枠やろ!」
ルイズ:「だからこそ、比較の材料としての価値があるのですよ」
私は、左手の中指に鈍く輝く変調指輪を、じっと見つめた。
ガーディアンの胸の魔導炉が、再び激しく、危険な赤紫色に輝いた。 次の攻撃に備えて、内部の魔力の供給が爆発的に膨らんでいる。 シャルロットたちは、防御の構えを崩していない。 誰もが、これから始まる国家級の戦闘に備えて、極度の緊張に包まれていた。
私も、ようやく『観察』だけではデータが足りないと判断した。 未知の装置を完全に理解するには、外からの観測だけでなく、実際の反応を確かめる必要がある。 私の放つ魔法に対して、目の前のガーディアンは、どのような防ぎ方をするのか。 その動きの記録こそ、これからの解析に、絶対に必要な材料だった。
ルイズ:「……では、始めましょうか」
シャルロット:「何をですの!?」
シャルロットが、悲痛な顔で振り返る。
私は、半分ほど透けた自分のぶかぶかTシャツの布地を、白磁の指先で軽くつまんだ。
ルイズ:「――おパンツ・リボ払いの、第二回引き落としです」
シャルロット:「ここで、その破廉恥な実験を再開するんですのぉぉぉっ!?」
シャルロットの悲鳴がこだまするのと同時に、ガーディアンの胸から、周囲の空気を焼き尽くすような鋭い魔力の奔流が放たれた。
戦端が、開かれた。
ガーディアンの胸が、鋭く暴力的な光を放った。
次の瞬間。
 ――ゴォンッ!!
極限まで圧縮された魔力の塊が、空気を切り裂く轟音とともに撃ち出された。
シャルロット:「――散開してくださいませ!」
シャルロットの切羽詰まった声が響く。 私たちは、ほぼ同時に左右へ飛び退いた。 直後、魔力弾が私たちの立っていた石畳を直撃する。
凄まじい爆発。 砕けた岩片が散弾のように飛び散り、洞窟の壁に深い亀裂が走る。 重い衝撃が身体を叩き、舞い上がった粉塵が視界を白く覆い尽くした。 鼻の奥に、焦げた石と硫黄の匂いが突き刺さる。
マリアンヌ:「きゃあっ……!」
マリアンヌが姿勢を崩し、ジュリエットがその腕を素早く引いて岩陰へ退避する。 シャルロットは魔導杖を構えたまま、ガーディアンとの距離を冷静に保っていた。
シャルロット:「皆さん、ご無事ですか!?」
マリアンヌ:「わたくしは大丈夫ですわ!」
ジュリエット:「こちらも問題ありません!」
私は、飛び散る石片を無表情で避けながら、着弾の跡を観察した。 頑強な古代の石畳が、深く抉(えぐ)れている。 あれほどの威力の魔力弾を、個人の防御魔法で正面から受ければ、莫大な魔力を削り取られることになるだろう。 しかも、相手の魔導炉の脈動を見る限り、あれはまだ本気の攻撃の、ほんの小手調べに過ぎない。
ルイズ:「……なるほど。 基本の出力は十分に高いですね」
シャルロット:「ルイズさん! 今の致死量の攻撃を見て、最初の感想がそれですの!?」
ルイズ:「攻撃の範囲と、着弾の熱量、損傷の度合いを、客観的に確かめただけです」
シャルロット:「のんきに確かめている場合ではありませんわ!」
シャルロットの悲鳴を聞き流し、私は左手の変調指輪を再び目覚めさせた。
先ほどの観察で、ガーディアンの攻撃には、一定の魔力を溜める時間が要ることが分かっている。 そして、攻撃の動きに入る前には、必ず胸の魔導炉から背中の術式の中枢へ、太い魔力の流れが送られる。 その太さと長さを追えば、次の攻撃の強さを、ある程度は見越せるはずだった。
ルイズ:「……ですが、こちらもただ逃げ回っているだけでは、相手の『守りの手札』を暴けませんね」
シャルロット:「ええ、その通りですわ! ですから、まずは安全に防御を固めてから――」
ルイズ:「それでは、実験を再開しましょう」
シャルロット:「わたくしの話を、一文字も聞いておりませんわよね!?」
私は、自分が着ているぶかぶかの白い男物Tシャツの裾を、軽く指先でつまんだ。
今回の触媒は、これだ。 先ほど洞窟の入口付近で温泉スライムを相手に使った、魔力の伝わりがよい借り物のTシャツ。 変調指輪の分割払いのおかげで、前回の魔法で使い尽くされることはなかった。 残りの触媒の価値は、およそ三分の二。 第一回で、初めの三分の一を使った結果である。 布地自体はまだ無事に存在しているが、その副作用として、半分ほど向こう側が透けた状態になっている。
 今回は、その残りからさらに三分の一を支払い、二度目の魔法の力を引き出す。 うまくいけば、残りは三分の一になる計算だ。
ルイズ:「……残高を確認。 分割払い、第二回目」
指輪の蒼白い核が、低く心地よい音を立てて回った。 私の目の前に、いまの口座の様子が、淡い光の文字となって浮かび上がる。
『 触媒;着用中の衣類(Tシャツ) 』 『 前回の消費;33.3% 』 『 残りの価値;66.7% 』 『 今回の消費予定;33.3% / 魔法の出力;33.3%(弱火) 』
数値に異常はない。 私は今回、ガーディアンの防御の『最初の反応』を見るため、あえて低い出力の火炎魔法を選んだ。 高出力の極大魔法を使えば、一撃で大きな損傷を与えられるかもしれない。 けれど、現時点では相手の自己修復の力も、魔力を使った後の持ちこたえ方も、まるで分かっていない。 最初から過剰な火力で相手を消し炭にしてしまうより、弱い魔法に相手がどう反応するかを見たほうが、研究の材料としての値打ちは、はるかに高い。
ルイズ:「……では、引き落としをお願いします」
私は、指輪へ静かに魔力を流し込んだ。 発動させるのは、基礎的な火炎魔法。 触媒の価値の三分の一を対価として支払い、その額に応じた力を、世の因果から引き出す。 指輪の核が、一段階強く輝いた。
私の着ているぶかぶかTシャツの表面を、青白い光の波が走る。
前回の実験では、光が走ったあとも、衣服の輪郭はまだはっきりと白く残っていた。 けれど、二回目の今回は違った。 光が、繊維の一本一本の奥深くまで染み込むように広がっていく。 物としての重みはそのままに、白い布の色だけが、急速に薄れていく。 胸元の模様が消える。 そして――ぶかぶかTシャツの布地そのものが、まるで透明な水のように、周囲の空気と溶け合って、『見えなく』なってしまったのだ。
『 第二回の引き落とし、完了 』 『 累計の消費;66.7% / 残りの価値;33.3% 』 『 布地の透け具合;100% 』
私は、空中に浮かぶ文字を確認した。 成功だ。 少なくとも、分割払いの処理そのものには、何の不具合も起きていない。
だが――。
ルイズ:「……あら?」
視線を落とした先に、私が着ているはずの『ぶかぶかTシャツ』の姿がなかった。 正確には、目に見えなくなっていた。 先ほどまで身につけていたTシャツは、布の感触だけを残して、完全に透明になっていたのである。
 もちろん、消え失せたわけではない。 肩には、布がふわりと触れている確かな感覚がある。 腕を動かせば、見えない袖が肌をかすめる。 裾を指でつまめば、布地としての手応えもある。 物としては、間違いなくこの世に存在している。 ただ、人の目には、下着だけを身につけた姿にしか見えない状態になっているだけだ。
ルイズ:「……透け具合が百パーセント。 なるほど、私の計算どおりの副産物ですね」
シャルロット:「計算どおりではありませんわぁぁぁっ!!」
シャルロットの悲鳴が、洞窟中に響き渡った。
シャルロット:「ルイズさん! ぶかぶかTシャツが! あなたが着ていたはずのTシャツが、完全に消えておりますわよ!!」
ルイズ:「消えてはいません、シャルロットさん。 見えなくなっただけですわ」
シャルロット:「見えないのですから、外から見たら裸も同然ですわよ!」
ルイズ:「触った感覚は残っています。 布地そのものが、この世から消えたわけではありませんから、法的にはセーフです」
シャルロット:「そういう、理屈や法律の問題ではありませんわぁぁぁっ!」
私は、透明になったぶかぶかTシャツの見えない袖を、指先でつまんでみせた。 見えない。 けれど、確かにそこにある。 生地の厚みも、縫い目の感触も、これまでと何ら変わっていない。
ルイズ:「……極めて興味深いですね。 触媒の価値を魔力に変える処理と、布地が人の目に映る度合いとが、何らかの数式で連動しているようです。 応用すれば――」
トト:「ルイズはん! 今すぐそのマッドな考察を中断せえ! 服が消えてんねん! 見えへんだけや言うても、他人の目からはただの下着姿の変態にしか見えへんねん!」
ルイズ:「トト。 先ほど説明したとおり、布地そのものは残っています。 つまり、守りの力は健在です」
トト:「守りの話なんか一言もしてへん! 乙女の尊厳の話をしとるんや!」
トトは、私の足元で頭を両前肢で深く抱え込んでいた。
カメ吉にいたっては、透明になった私のTシャツ(つまり下着姿)をなんとか見分けようとするかのように、小さな首を傾げている。
カメ吉:「キュィ……?(えっ、これ、布地あるん? ホンマにあるん? ワイの目にはただの破廉恥な下着姿の女にしか見えんのやけど……)」
その鳴き声には、純粋な戸惑いが滲(にじ)んでいた。
トト:「お前の目に正しく映っとるんや、それが真実や」
カメ吉:「キュィ!?(そんな真実、いらんかったわ!)」
私は、彼らの世俗的なツッコミを聞き流し、もう一度、指輪の表示を確かめた。 処理は正常。 触媒の価値は三分の一残っている。 出力も、予定どおりだ。 数字だけを見れば、実験は完璧に成功していた。
では、肝心の魔法はどうなったのか。
ルイズ:「……そうでした。 まだ、引き出した『力』の確認が残っていますね」
シャルロット:「ええ! とっとと確認してくださいませ! 国境防衛兵器が、まだ目の前におりますわよ!」
シャルロットの悲痛な声に促され、私はガーディアンへ視線を向けた。 胸の魔導炉が、再び危険な光を帯びている。 こちらののんきな着替え(透明化)を待ってくれるほど、親切な防衛装置ではないらしい。 それならば、こちらも手早く確かめるだけだ。
 ルイズ:「火炎魔法、発動」
指輪を通じて組み上がった術式が、私の前方の虚空へ展開された。
次の瞬間。
――ボッ!
小さな火球が生まれた。 規模は小さい。 私が普段使う、灼熱の奔流が洞窟全体をどろどろに溶かし尽くすような、派手な大魔法ではない。 あくまで、触媒の三分の一に見合った、燃費のよい低出力の火炎魔法だ。
ルイズ:「……少し控えめですね」
シャルロット:「そもそも、最大出力を出す実験ではありませんでしょう!?」
ルイズ:「そのとおりです、シャルロットさん。 だからこそ、この火加減がテストには適切なのです」
私は、火球の軌道を精密に操った。 狙うのは、ガーディアンの胸の中枢そのものではない。 まずは、外側を覆っている守りの強さを測る。
小さな火球が、一直線に飛んでいく。 ガーディアンの前の空間が歪み、瞬時に強固な青白い『防御の障壁』が広がった。 普通の冒険者の魔法なら、ここで無傷のまま弾き返されるのだろう。 しかし、今回の私の目的は、相手を一撃で消し炭にすることではない。 障壁がどう反応するのか。 どれだけの出力があれば、守りを突き破れるのか。 その境目を確かめることだ。
火球が、青白い障壁に触れた。
――パキンッ!
薄いガラスが割れるような、甲高い音が響いた。 障壁の表面に、放射状の亀裂が走る。 小さな火球は、その亀裂の隙間へ潜り込むようにして、ガーディアンの黒い外装へ届いた。 ボッ、と短い炎が弾ける。 黒い装甲の一部が赤く熱を帯び、表面を覆っていた守りの膜が剥がれ落ちた。
だが、それだけだった。 ガーディアンの巨体は、微動だにしない。 胸の魔導炉も、背中の術式の中枢も、変わらず安定した光を放ち続けていた。
『 防御障壁、第一層損傷 』 『 駆動系統、正常 』 『 戦闘(排除)継続 』
無機質な音声が、洞窟に響く。
 ルイズ:「……なるほど。 守りの第一層は突破できましたが、本体への有効な損傷には至っていませんね」
シャルロット:「それは、見れば分かりますわ!」
シャルロットが叫んだ。
ルイズ:「ええ。 ですが、低い出力でも、障壁の表層を突破できることは確認できました。 触媒を使い切らず、布地の残りを保ったまま得られた結果としては、悪くありません」
シャルロット:「だからといって、国境防衛兵器を相手に、のんきに実験を続ける理由にはなりませんわよ!」
ルイズ:「いいえ。 次の守りの手が、今の攻撃にどう対応してくるのか。 そこを確かめる必要があります」
シャルロット:「――研究者としては正しいのでしょうけれど、今は本当に実戦の真っ最中なのですわよ!?」
彼女の悲痛な声を背に、私はガーディアンの胸へ視線を戻した。 確かに、初撃の弱火だけで壊すことはできなかった。 しかし、低出力の火炎魔法でも、外側の障壁を突破できることは分かった。 防衛機構は一重ではない。 第一層が傷ついたあとも、内側には別の守りが残っているはずだ。 そして、ガーディアンは、こちらの攻撃を受けたことで、すでに次の段階へ移り始めていた。
背中の赤紫色の術式の中枢が、展開する。 装甲の内側の魔力が瞬時に配り直され、先ほどとは異なる経路へと流れ始めた。
ルイズ:「……おや。 攻撃を学んで、守りの組み立てを変えるようですね」
私は、指輪に刻まれた記録を確かめた。 次の攻撃に備える必要がある。 そして、私の口座には、まだ一回分の触媒の価値が残されている。
分割払いの、第三回目、つまり最後の引き落とし。
私は、完全に透明になったぶかぶかTシャツの状態を、もう一度確かめた。 見えない布地の感触は、確かにある。 触媒の価値も、三分の一残っている。 数字だけを見れば、最後の分割払いも問題なく実行できるはずだった。
ルイズ:「……この『透明になった衣服』でも、仕組みはきちんと触媒として認めてくれるのでしょうか?」
私は、小さく首を傾げた。
その素朴な疑問に対する答えを、私はまだ知らなかった。
ガーディアンの背で、赤紫色の術式の中枢が不気味に明滅した。
 先ほどまで胸の魔導炉から各部の駆動へ流れていた魔力の道筋が、瞬時に別の経路へと切り替わっていく。 傷ついた第一層の障壁を繕うのではない。 私の魔法を受け止めるため、装甲の表面そのものへ、魔力の防壁を集中させているのだ。
ルイズ:「……防御の魔力配分を変えましたね。 学習の能力も優秀です」
シャルロット:「ルイズさん! 感心して観察している場合ではありませんわ!」
ルイズ:「分かっています。 ですから、次の攻撃で見極めを終えてしまいます」
シャルロット:「本当に分かっていらっしゃいますの!?」
シャルロットの悲痛な声を背に受けながら、私はガーディアンの胸を冷静に見つめた。 先ほどの弱火では、外側の障壁の第一層を破ったものの、本体の装甲には十分な傷を与えられなかった。 ならば次は、火力を無駄に上げるのではなく、狙う『場所』を変えるべきだ。
私は、指輪の光の図を切り替えた。 魔導炉から伸びる太い魔力の道。 背中の術式の中枢へ繋がる無数の制御の回路。 そして、その『動力』と『制御』が交わる、ただ一つの接続部。
ルイズ:「……ありました」
ガーディアンの胸から背へ続く装甲の隙間に、わずかな魔力の淀みが見て取れた。 人間側の魔導炉が生んだ暴力的な魔力は、必ずここを通って、魔族側の術式の中枢へ送られている。 その接続部には、性質の異なる双方の魔力を変換するための、特殊な回路が組み込まれていた。 二つの技術の体系を繋ぐ、いわば『魔力の変換継ぎ手』だ。
これ自体は、非常に美しく優れた設計である。 しかし、動力と制御を完全に分けた以上、両者のあいだには必ず物理的な接続点が存在する。 そこが働かなくなれば、どれほど強大な魔導炉があっても、その力を制御して使うことはできない。
ルイズ:「……あの継ぎ手だけに『高位崩落魔法』を作用させれば、巨体の装甲全体を壊す必要はありませんね」
シャルロット:「こ、高位崩落魔法……?」
シャルロットの表情が、目に見えて強張った。
シャルロット:「ルイズさん。 それは、構造物そのものを砂に変えて崩す、禁忌の高位魔法ではありませんの!?」
ルイズ:「正確には、指定した範囲の『形を保つ仕組み』を破綻させる魔法です。 無計画に広範囲へ使えば、この洞窟ごと周囲を巻き込みますが……。 狙う場所を厳密に絞れば、必要な箇所だけを消し去れます」
シャルロット:「……それを、あの動いている巨大兵器の隙間に?」
ルイズ:「はい。 動力の魔導炉そのものを壊して大爆発を招くより、首根っこの継ぎ手だけを働かなくするほうが、貴重な機体への余計な損傷、つまり修理費を抑えられる可能性があります」
シャルロット:「あくまで『可能性』、ですわよね?」
ルイズ:「もちろんです。 実際の結果は、やってみなければ分かりません」
シャルロット:「その言葉を、今ほど聞きたくなかった日はありませんわ……!」
もっとも、今回は無計画に莫大な魔力を流し込んで大爆発を起こすわけではない。 攻撃の場所は決まっている。 魔法の種類も決まっている。 必要なのは、その高位魔法を実行するための『等価交換の代償』だけだ。
私は、崩落魔法の組み立てを頭のなかで進めた。 狙う場所を定める。 崩れる範囲を絞る。 周りへの影響を極限まで抑える。 術式の演算を左手の指輪へ割り振り、必要な魔力の出力を正確に計算する。 目的は、ガーディアン全体を消し飛ばすことではない。 魔導炉と術式の中枢とを結ぶ首根っこの継ぎ手だけを、綺麗に崩すことだ。
魔法の準備は、これで整った。 残る問題は、代償の支払いである。
 ルイズ:「……では、リボ払いの最後の引き落とし、第三回です」
私は、完全に透明になったぶかぶかTシャツの、見えない裾を指先でつまんだ。 目には見えない。 けれど、指先には布地の確かな手応えがある。 生地の厚みも、縫い目の位置も、肌に触れる綿の感覚も、先ほどから何ひとつ変わっていない。 ここに、物としては百パーセント存在している。 変わったのは、光の通り方だけだ。
私は、変調指輪の青白い核へ視線を落とした。
ルイズ:「分割払い、最終処理。 残りの触媒の価値、三分の一。 引き落とし、実行」
指輪の核が、淡い光を放って回る。
『 触媒の照合を開始します 』
いつもの表示だった。 これまでと全く同じように、選んだ触媒の情報を照らし合わせ、必要な価値を割り出して、等価交換の処理へ移る。
……ところが。
『 警告 』
空中に浮かんだ文字が、一瞬だけバチッと不吉に乱れた。
ルイズ:「……?」
『 登録された触媒の情報と、現在の観測に 食い違いがあります 』
私は、怪訝に目を細めた。
ルイズ:「食い違い……ですか」
『 対象の登録 ; 衣類(Tシャツ) 』 『 物としての手触り ; あり 』 『 素材の反応 ; あり 』 『 魔力の通りやすさ ; あり 』 『 目に見える姿 ; 確認できず 』 『 触媒としての存在の判定 ; 不一致 』
……極めて妙な現象ですね。 手触りも、素材の反応も、魔力の通りも、きちんと残っている。 それなのに、『触媒として存在しているか』の最終判定だけが、はじかれている。
私は、もう一度、完全に透明なぶかぶかTシャツを、見えない指でつまんだ。 やはり、そこにある。 今も私の肩から腕にかけて、布地が触れている確かな感覚があった。
 ルイズ:「……物としては存在しているのに、判定が通らない?」
私は、指輪に残る処理の履歴を呼び出した。 第一回の分割。 第二回の分割。 そして、現在の第三回。 履歴の上では、触媒の登録はずっと『同じ衣服』を指している。 にもかかわらず、今の観測だけが、登録された情報と食い違っていたのだ。
ルイズ:「……なるほど。 そういうことですか」
ようやく、原因が筋道立てて見え始めた。 この指輪は、触媒を見分けるとき、素材の反応だけでなく、魔力の性質や『目に見える姿』まで含めて、総合的に照らし合わせている。 どれも、触媒を間違いなく特定するための、厳格な手がかりだ。 ところが、先ほどの二回目の魔法で透け具合が百パーセントに達した私のぶかぶかTシャツには、布の輪郭や色合い、光の反射といった『見た目の特徴』が、完全に失われてしまった。 物としての存在は確かめられる。 魔力の性質も失われていない。 それでも、指輪が求める識別の条件のうち、『見た目』の一つだけが、満たされなくなっているのだ。
シャルロット:「ルイズさん? いったい何が起きているのですか!?」
ルイズ:「触媒の存在の判定に、食い違いが生じています」
シャルロット:「……はい?」
ルイズ:「このぶかぶかTシャツは、物としては百パーセント存在していますが、指輪が求める『目に見える姿』を確認できません。 そのため、『登録された触媒と、いまの触媒が同じものだ』と確定できないようです」
シャルロット:「つまり、どういうことですの……?」
ルイズ:「物としては『ある』のに、指輪の判定上は『ない』。 現実と帳簿が食い違っているような状態ですね」
シャルロット:「そんな哲学的な不具合を、戦闘中に作らないでくださいませぇぇぇっ!」
シャルロットの悲鳴が洞窟に響いた。
カメ吉:「キュィ……(ワイ、今ちょっと、『ある』と『ない』の間におる気がしてきたで……)」
トト:「お前は最初から、『おる』のに『役に立っとらん』状態や、新入り」
その間にも、目の前のガーディアンは、無慈悲に動き続けている。 傷ついた障壁を保ちながら、胸の魔導炉へ、次の攻撃のための魔力を急速に溜め直している。 国境の自動防衛兵器が、こちらの事情を待ってくれるはずもない。
私は、指輪の赤い警告の画面へ視線を戻した。
ルイズ:「……とはいえ、問題は識別の食い違いだけです。 選んだ『高位崩落魔法』の組み立てそのものは、すでに完了しています」
シャルロット:「魔法の準備は終わっている……?」
ルイズ:「はい。 使う魔法は、最初に選んだ高位崩落魔法のままです。 支払いの不具合のせいで、別の魔法へ勝手に変わったわけではありません」
私にとって重要なのは、そこだった。 魔法の選択。 その組み立て。 そして、対価となる触媒の支払い。 これらは、仕組みの上でそれぞれ完全に別の処理である。 いま不具合が起きているのは、支払いの部分だけ。 別の口座から支払いさえ成立すれば、選んだ崩落魔法は、即座に実行できる。
ルイズ:「……ならば、触媒を照らし合わせる条件を変えて、見た目を除外すれば……」
私は、識別の条件を一部切り分け、素材の反応と魔力の情報を優先するように、設定を書き換えようとした。
だが、指輪は、その操作を冷酷に受け付けなかった。
『 警告 』 『 触媒の照合に不整合を検出 』 『 通常の支払いを停止します 』
ルイズ:「……あら?」
さらに、別の赤い表示が重なる。
 『 代わりの触媒による、支払いの補正を開始します 』
私は、ぴたりと空中の指を止めた。
ルイズ:「……待ってください」
これは、私の計算外だった。 通常の交換では、触媒の認識が成立しなければ、ただ支払いが取り止められて、魔法は不発に終わるはずだ。 しかし今回は、高位の魔法の組み立てが完全に終わり、支払いの段階へ移ったあとに、照合の不具合が起きた。 そのためか、指輪は魔法の準備を取り消すのではなく、足りない対価を『別の触媒』で強引に補おうとしていたのだ。
魔法は保つ。 不足した対価は、別の触媒を引き落として補う。 意図だけを見れば、魔法を不発にさせないための、極めて合理的な補正である。
ただし――。
ルイズ:「……その『補正』のやり方が、極めて問題ですね」
『 代わりの触媒を探しています 』
指輪の表示が、不吉に切り替わった。 周囲の魔力の反応が、探るように走り、私の装備の情報が、順番に読み取られていく。 衣服。 装備品。 魔力を帯びた携行品。 触媒として登録できる物。 それらが、光の図の上へ、次々と浮かび上がった。
私は、自分の身体に意識を向けた。 今、この装置は、不足した差額を補うために、私から『別の触媒(衣服)』を強引に探し出して引き落とそうとし始めている。
ルイズ:「……これは、資産管理上、少々まずいですね」
トト:「ルイズはん!? 今度は何ですの!?」
ルイズ:「代わりの触媒を選ぶことを、この指輪の自動の補正に任せるわけにはいきません」
トト:「どうしてですの!?」
ルイズ:「このままでは、私が意図していない『大切な衣服』まで、勝手に支払いの対象に選ばれて、消し飛ぶ可能性があります」
シャルロット:「……衣服?」
シャルロットの表情が、一瞬で凍りついた。 彼女は、私の言葉の裏にある最悪の筋書きを、過去の苦い記憶から、完全に理解したらしい。
シャルロット:「ま、待ってくださいませ……。 ルイズさん、まさか、地下の尋問室のときの……?」
ルイズ:「はい。 あの忌まわしき『共有リンク(お友達口座)』の仕組みです」
シャルロット:「……っ!!」
マリアンヌとジュリエットも、顔の血の気を完全に失い、悲鳴を押し殺して、顔を強張らせた。
以前、国家保安局の地下で、エレナ捜査官たちが共有リンクを許してしまったことで、彼女たちの着ていた制服と高級下着が、まとめて触媒として一括で使い尽くされた、あの最悪の惨劇。 あのときの無慈悲な強制引き落としの恐怖を、彼女たちは身体の芯で忘れていない。 しかも今回は、私自身の衣服だけで済むとは限らない。 あのとき以来つながったままの共有リンクが有効になっている彼女たちの装いまで、指輪の補正の候補に含まれれば――。
 シャルロット:「ルイズさん!! その補正を、今すぐ! 今すぐ止めてくださいませぇぇぇっ!!」
ルイズ:「止めようとしています。 ですが、補正はすでに、独立した強制の処理へ移ってしまっています」
シャルロット:「そんな……! ここでわたくしたちまでお洋服を消されたら、国境の魔導兵器の前で、集団全裸という、外交問題以前の社会的な死を迎えますわ!」
私は、指輪の設定の画面を高速で開き、補正を止める命令を連打した。 反応はあった。 しかし、完全には止まらない。 指輪の仕組みは『魔法を不発にさせないこと』を最優先にしているため、別の候補、つまり衣服を、血眼になって探し続けているのだ。
そして、私が何より恐れているのは。 その候補のなかには――。
ルイズ:「……この『特別製の透明ドレス』まで含まれる可能性があるのが、一番の損失ですね」
私は、自分が今着ている服の、さらに内側へと意識を向けた。
エルライト教授が私のために作ってくれた、特殊な対魔導のドレス。 光の透けやすさが最初から百パーセントに設定されているため、外から見れば着ている者は下着姿にしか見えないという、変態的な代物だ。 だが、これは単なる透明な衣服ではない。 強力な防護の魔法による高い防御力を備え、物理的な衝撃を受け流す、特殊な極上の装備でもある。 しかも、この透明ドレスは、最高級のシルクのような、信じられないほど滑らかな肌触りを保っている。 その上から安物のぶかぶかTシャツを着ても、まったくごわつかない。 肌に布が擦れる不快感もゼロで、長時間着ていても最高に快適なのだ。 つまり、衣服にかける費用を極限まで抑えながら、着心地だけは王族並みの水準を保てるのである。 費用対効果の観点から見て、これ以上ないほど手放せない、非常に優秀な、私の最高の資産だった。
……防御力まで高いのは、私にとっては、いわばおまけの追加特典に過ぎない。
ルイズ:「……この極上の着心地だけは、絶対に守り抜かなければ」
この最高の快適さを失ったうえに、また肌触りの悪いごわごわの安物の衣服を我慢して着る貧乏暮らしへ戻るなど、絶対に考えたくもない。 しかも、今は戦闘中だ。 ここでドレスの防御力まで失えば、節約どころか、怪我をして莫大な医療費が発生する可能性すらある。 そんな経済的な破綻だけは、断固として避けなければならなかった。
シャルロット:「ルイズさん……? 何をぶつぶつ言っていらっしゃいますの!?」
私は、真っ赤に点滅する変調指輪の画面を見つめた。
実験は、仕組みの食い違いで失敗した。 けれど、原因は完全に分かっている。 触媒の価値が足りなかったわけではない。 魔法の選択を誤ったわけでもない。 物として存在する対象が、目に見える姿を失ったことで、支払いの仕組みの『認識』と『実際の状態』が食い違ってしまった。 そして、その食い違いを繕おうとする自動の処理が、別の触媒を探し始めている。
問題は、もう一つの避けられない現実にあった。 私たちの周りには、まだ戦える状態で、上等な衣服を身につけている仲間がいる。 もし、指輪が、彼女たちの装いを『代わりの触媒』と見なして狙いを定めたら。 こちらの意思とは無関係に、補正が実行されたら。 その結果がどうなるかは、考えるまでもなかった。
 ルイズ:「……仕方ありませんね」
私は、小さく、重い息を吐いた。 未知の魔導技術を解き明かすことは、今でも魂が震えるほど魅力的だ。 それでも、自分の着心地のいい透明ドレスを守るために、仲間たちの衣服を勝手に犠牲にするわけにはいかない。
目の前では、ガーディアンの胸の魔導炉が、いよいよ限界の輝きを増していた。 次の絶望的な攻撃が来る。 猶予の時間は、ほとんど残されていない。
私は、指輪の設定の奥深くを、高速で切り替えた。 自動の支払いが狂っているのなら、別の安全な方法、つまり手動の指定で、代償となる触媒を用意するしかない。 ただし今度は、『誰が何を支払うのか』を、私が明確に手で指定したうえでだ。
――そこの指定を少しでも曖昧にしてしまえば、今度こそ本当に、全員の服が吹き飛んで、取り返しのつかない大惨事になる。
私は、覚悟を決めて、背後の仲間たちへ、スッと視線を向けた。
ルイズ:「……皆さん。 私から少し、お願いしたいことがあります」
その氷のような無表情の声に、シャルロットたち三人の表情が、一斉にこの世の終わりのように青ざめて強張った。 トトが、両前肢で顔を覆う。
トト:「……あかん。 一番聞きたくない恐怖の提案が来るで……っ」
そして、私は次の極悪非道な手段を説明するため――変調指輪の『共有設定(お友達口座のリスト)』の画面を、彼女たちの前へ、光の図として堂々と広げたのである。
正面の空間が、致死の熱を帯びて歪んだ。
巨大なガーディアンが、次の殲滅の攻撃に向けて、暴力的で高密度の魔力を溜め直している。 黒い装甲の奥で、魔導炉が心臓のように脈打って明滅していた。 背中の術式の中枢は、こちらの防御に応じるためか、先ほどとは異なる複雑な魔力の道筋を、高速で組み直している。
 次の絶望的な攻撃が放たれるまで、そう時間はない。
シャルロット:「……何をするおつもりですの?」
シャルロットが、警戒した目で私を見た。
ルイズ:「触媒の代わりの支払いを行います。 そのために、先ほど説明した【共有リンク】を使いたいのです」
シャルロット:「共有リンク……っ」
その呪わしい言葉を耳にした瞬間、彼女の美しい顔が、恐怖に引きつって強張った。 マリアンヌとジュリエットも、悲痛な顔で互いに見つめ合う。 トトに至っては、私の説明を最後まで聞く前から、大福餅の額を短い前肢で深く押さえていた。
トト:「……あかん。 絶対にあかん。 その単語が出てきた時点で、ワイの頭には全裸の未来しか見えへん」
ルイズ:「私は、まだ何一つ手を出していませんよ」
トト:「ルイズはんの場合、何かを企んでいる『前』が一番おっかないんや!」
私は、変調指輪の設定の光の図を、仲間たちにも見えるように、空中へ大きく広げた。
ルイズ:「現在、私のTシャツの分割払いで、判定の食い違いが起きています。 通常の照合が成立しないため、指輪の自動の補正が、足りない代償を補う『代わりの触媒』を、血眼で探しています」
シャルロット:「それは、先ほど聞きましたわ」
ルイズ:「問題は、その探す範囲です。 共有リンクで許可をいただければ、皆さんが今身につけているお洋服を、代わりの触媒の候補として、正式に登録できます」
シャルロット:「……つまり、わたくしたちの服を『身代わり』に使うということですの?」
ルイズ:「はい」
私は、一クローネ分の情も交えない無表情で、はっきりと頷いた。
ルイズ:「ただし、登録した衣服が、必ず『一着だけ』で済むとは限りません。 次に撃つ魔法に必要な代償の重さや、布地の変換の効率によっては、複数の衣服が、順番に使い尽くされる可能性があります」
シャルロット:「……複数?」
ルイズ:「場合によっては、皆さんの身につけているもの(下着も含みます)が、上から下まですべて対象になる可能性も、十分にあります」
シャルロット:「…………」
シャルロットが、絶望のあまり、ゆっくりと目を閉じた。 マリアンヌは蒼白になって額に手を当て、ジュリエットはすべてを諦めたように、暗い洞窟の天井を仰いだ。 トトが、両前肢で自分の顔を覆う。
トト:「出たぁ……。 共有リンクの悪夢、再びや……!」
以前、国家保安局の地下で、共有リンクによって衣服が触媒として強制的に使われたとき、何が起きたのか。 私たちは全員、その惨劇を身をもって知っている。 外套も、上着も、シャツも。 その下に大切に身につけていた高級な下着まで。 衣服という衣服のすべてが、大魔法の代償として、一瞬で消え失せた。 仕組みを知らなかった乙女たちにとっては、まさに社会的な死を伴う、悪夢のような出来事だっただろう。
だが、今回は違う。 何が起こり得るのかを、最初から隠さずに説明している。 そして、自分の意思で『選ぶ』時間も、わずかだが残されている。
ルイズ:「……もちろん、強制はしません」
私は、絶望する仲間たちを見回した。
 ルイズ:「共有リンクを許可しない場合、皆さんの衣服は候補には登録しません。 ただし、すでに完全に透明になった私自身の装備だけで、次の大魔法の不足分を補える保証は、どこにもありません。 支払いが弾かれれば、魔法は不発に終わり、私たちは目の前の防衛兵器に消し炭にされる可能性が高いです」
シャルロット:「……では、許可した場合は?」
ルイズ:「皆さんの衣服を候補として登録し、必要な代償を調達できる可能性が高まります。 ただし、誰のどの衣服が、どれだけ使われるかまでは、私にも現時点で保証できません」
シャルロット:「……」
ルイズ:「共有リンクを許可していただければ、少なくとも、代わりに使う候補の範囲を、明確に絞れます。 必要な支払いを成立させ、私たちが生き残れる可能性は、飛躍的に高くなります」
説明を終え、私は指輪の画面を閉じた。 選ぶのは、彼女たちだ。 私は、自分のドケチな好奇心が招いた不具合を取り繕うために、仲間へ無条件の犠牲を強いるつもりはない。 けれど、目の前の状況が命の危機であることも、紛れもない真実だった。
ガーディアンの胸の魔導炉が、死の宣告のように、激しく光を強めた。
『 戦闘処理ヲ 更新 』 『 対象排除(殲滅)ヲ 再開 』
無機質な重低音の声が、洞窟全体へビリビリと響き渡る。
シャルロット:「……迷っている時間は、ありませんわね」
シャルロットが、静かに、覚悟を決めた声で口を開いた。 彼女は気高く魔導杖を構え直し、ガーディアンの圧倒的な巨体を見据えた。
シャルロット:「ルイズさん。 最後にひとつ、確認いたします」
ルイズ:「はい」
シャルロット:「共有リンクを許可した場合、わたくしたちの衣服が『完全に失われる』可能性がある。 その危険の割合に、間違いはありませんのね?」
ルイズ:「ありません」
シャルロット:「……分かりましたわ」
彼女は、次期領主として、一度だけ深く息を吸った。
シャルロット:「以前のように、何が起こるのか分からないまま、騙されて同意するわけではありませんもの。 必要な危険を理解したうえで、わたくしの意思で判断いたします」
そして、鋭い琥珀色の瞳で、私を真っ直ぐに見据える。
シャルロット:「ただし、ひとつ約束してくださいませ」
ルイズ:「何でしょう?」
シャルロット:「わたくしたちの衣服(尊厳)を使うのであれば、必要以上に浪費しないこと。 防御や撤退に必要な魔力まで、あなたの知的好奇心のために、無駄遣いしないことですわ」
ルイズ:「当然です」
私は、無表情のまま即答した。
ルイズ:「最大の目的は、魔法の支払いを成立させることと、目の前のガーディアンを無力化することです。 不要な消費をする理由は、ありません」
シャルロット:「……その言葉を、信じますわよ」
シャルロットは、私の指輪から伸びた『共有の認証』の青白い光へ、真っ直ぐに白磁の手をかざした。
シャルロット:「――許可します」
その気高い声に呼応して、彼女の周りに、淡い光の輪が現れた。
 『 共有リンク ; 接続の要求 』 『 衣類を触媒として登録することを、許可しますか? 』 [ Y ] / [ N ]
シャルロットの目の前に、非情な選択の画面が浮かび上がる。 以前とまったく同じ、単純な二択だ。 シャルロットは、一瞬だけその光の文字を見つめた。 空中に伸ばした指先が、乙女としての恥じらいに、わずかに震える。 けれど、次の瞬間には、迷いを完全に振り切るように、毅然として[ Y ]を押した。
『 共有リンク ; 接続完了 』
シャルロット:「……これで、よろしいのですわね」
ルイズ:「はい。 多大なご出資、ありがとうございます」
シャルロット:「お礼は、服を着たまま無事に終わってからにしてくださいませ」
シャルロットは、前方のガーディアンから目を離さずに答えた。
続いて、マリアンヌが覚悟を決めて、一歩前へ出る。
マリアンヌ:「シャルロット様が決断なさったのですもの。 わたくしも、お供いたしますわ」
彼女もまた、目の前に現れた非情な画面を確かめる。
マリアンヌ:「……文字どおり、衣服のすべてが失われるかもしれない、ということですわね」
ルイズ:「はい。 最悪の見立てでは、その可能性があります」
マリアンヌ:「分かりました。 ここで全員が無事に帰れる可能性が少しでも上がるのなら、乙女の恥じらいなどと迷っている場合ではありませんわ」
マリアンヌも、震える指で[ Y ]を選んだ。
『 共有リンク ; 接続完了 』
最後に、ジュリエットが、やれやれといった風に肩をすくめた。
ジュリエット:「まったく……。 せっかくの優雅な温泉旅行なのに、どうしてわたくしたちは、いつもこういう『命とおパンツの選択』ばかり迫られるのでしょうね」
ルイズ:「……すみません」
私は、素直に頭を下げた。 ジュリエットは、珍しいものを見たように、意外そうに目を瞬(まばた)かせた。
ジュリエット:「……あら。 今回は、ちゃんと謝るのですね」
ルイズ:「事の発端が私の見落としである以上、代表として謝るのは当然の務めですから」
ジュリエット:「でしたら、無事に帰ったら埋め合わせをお願いしますわ。 次に新しい服を選ぶときくらい、ルイズさんお得意のドケチ計算で、最高に効率のいいものを、一緒に見つけてくださいませ」
ルイズ:「承知しました。 生地の丈夫さ、値段、着心地、そして『触媒としての魔力の変換効率』まで、完璧に考慮して査定します」
ジュリエット:「……その最後の項目は、できれば永遠に忘れていただきたいですわね」
ジュリエットは、上品に苦笑しながら、[ Y ]を選んだ。
『 共有リンク ; 接続完了 』
三人の登録が、私の変調指輪の一覧へ、追加された。 これで、代わりの触媒の候補が明確になった。 もちろん、登録した衣服が最初からすべて使われると決まったわけではない。 必要な代償を、誰の服から、どの程度の効率で調達できるか。 それによって、結果は変わる。 だが、次に放つ魔法は、先ほどの弱火の火炎魔法とは比べものにならないほど、高位で複雑な術式だ。 代償が重くなることは、私が一番よく理解していた。
 ルイズ:「……これで、支払いの準備は整いました」
シャルロット:「ルイズさん」
シャルロットが、不意に私を呼んだ。
シャルロット:「もうひとつ、確認させてくださいませ」
ルイズ:「はい」
シャルロット:「あなた自身の衣服は、どうなさるおつもりですの?」
私は、自分の胸元へスッと視線を落とした。 そこには、完全に透明になったぶかぶかTシャツの内側に着ている、『特殊な透明ドレス』がある。 光を百パーセント通すため、外からは布地の輪郭がまったく見えない(下着姿にしか見えない)。 けれど、私の肌を優しく覆い守る感触は、確かに存在している。
シルクのように滑らかで、極上の肌触り。 上から安物のぶかぶかTシャツを着ても、一切ごわつかない。 肌に触れる感触は、常に王族並みの快適さを保ったまま、衣服そのものにかける費用は極限まで抑えられる。 つまり、着心地という快適さを犠牲にすることなく、日々の出費を節約できるのだ。 しかも、この透明ドレスには、特級の魔法衣としての高い防御力まで備わっている。 快適さ、経済性、実用性。 どの観点から見ても、これ以上ないほど優秀で、手放せない資産だった。 ……これを失う合理的な理由が、私には一クローネ分も見当たらない。
ルイズ:「……これだけは、絶対に使わせません」
私は、一片の迷いもなく、はっきりと言い切った。
ルイズ:「エルライト教授が私のために開発してくれた、特殊な魔法衣です。 光の上では透明ですが、独立した強固な『魔力の署名』を持っています。 一般的な綿や絹の衣服とは、認識される仕組みが根本から違います」
シャルロット:「ですが、先ほどのような透け具合の不具合が、起きているのでは……?」
ルイズ:「いえ。 このドレスは、今も正常に認識されています」
私は、指輪の装備の情報を、光の図で呼び出した。 そこに表示された識別の情報は、完璧に安定していた。 魔法的な耐久。 物理的な衝撃への強さ。 独立した魔力の署名。 いずれも、何の異常もなく記録されている。 ぶかぶかTシャツは、後から目に見える姿を失ったことで、通常の衣服としての照合に食い違いが生じた。 一方、このドレスは、最初から『透明であること』を前提とした特殊な魔法の構造で認識されている。 同じ透明でも、仕組みがまったく異なるのだ。
ルイズ:「……ただし、それだけでは守りとして十分ではありませんね」
私は、指輪の設定の深層を切り替えた。 通常の装備の登録。 共有リンク。 触媒の候補。 そして、『装備の保護の設定』。 いくつもの項目が並ぶなか、私は自らの特殊魔法衣の登録を選んだ。
『 装備名;エルライト教授製・特殊魔法衣 』 『 魔力の署名;正常 / 物理防御;有効 / 衝撃耐性;有効 』 『 触媒の候補;登録済み 』 『 自動の支払いの対象;通常 』
ルイズ:「……なるほど。 ここですね」
私は、自動の支払いの対象を、手で直接書き換えた。
『 自動の支払いの対象;除外 』 『 保護ロック;有効 』 『 優先して守る装備として登録しますか? 』
私は、迷わず[ Y ]を選んだ。
『 保護ロック ; 設定完了 』 『 対象の装備は、自動の補正による引き落としの候補から除外されます 』
ルイズ:「……よし」
これで、少なくとも自動の補正によって、このお気に入りの着心地のドレスが勝手に使われることは、百パーセントなくなった。 今回の不具合だらけの支払いが、どこまで想定外の動きを見せるかは分からないが、自らの資産を守るために可能な限りの対策は講じた。
 ルイズ:「……透明ドレス、保護の設定、完了です」
シャルロット:「その見えない装備を守るために、今の緊急事態に、そこまで細かく設定する必要があるのですか!?」
ルイズ:「あります。 このシルクのような極上の肌触りを失いたくありません。 上から安物のぶかぶかTシャツを着てもごわつきませんし、衣服費を抑えながら、最高に快適に過ごせます」
シャルロット:「……まさか、そこが最優先の理由ですの!?」
ルイズ:「はい。 日々の『着心地』は、毎日発生する確かな利益ですから」
シャルロット:「……っ!」
ルイズ:「もちろん、防御力も極めて高く、代わりの品もありません。 保護の対象として登録するのは、資産管理者として至極当然の判断です」
シャルロット:「だったら、最初からその防御の理由の方をメインにおっしゃればよろしいのに……っ」
ルイズ:「防御力については、以前すでに説明済みですので、省略しました」
シャルロット:「そういう問題ではありませんわ……!!」
シャルロットは、怒りと呆れがない交ぜになった顔をした。けれど、最終的には、深く、諦めの息を吐き出すだけだった。
 シャルロット:「分かりましたわ。少なくとも、一番防御力のある服を失わないための対策は取ったのですね」
ルイズ:「はい。私の大切な研究資産ですから」
シャルロット:「……研究資産」
彼女は、こめかみを痛ましげに押さえた。
シャルロット:「もう少し、人間の女の子らしい別の言い方はありませんの……」
そのときだった。ガーディアンの胸が、これまでにないほど眩(まばゆ)い、致死の光を放った。
ガーディアン:『 魔力の充填、完了 』
無機質な声が響く。巨大な黒鋼の腕が、こちらを粉砕すべく、ゆっくりと持ち上がった。胸の魔導炉に圧縮された莫大な魔力が、暴走の寸前まで集まり、装甲の隙間から、白い光が漏れ出している。
シャルロット:「――全員、防御の構え!!」
シャルロットが叫んだ。マリアンヌとジュリエットが、即座に魔導杖を構えて防御の陣を敷く。トトは、光の速さで私の背後へ飛び込んだ。
トト:「うわっ、もう来るんかい! 服の共有設定なんて悠長にやっとる場合ちゃうかったやろ!」
ルイズ:「必要な事前の設定は、すべて終わりました」
トト:「せやから、次は何をするんや!」
ルイズ:「『次元魔法』を並列して組み立てます」
トト:「……は?」
トトが、間の抜けた声を上げた。
トト:「じ、次元魔法?」
ルイズ:「はい」
トト:「待て待て待て。今まで服の引き落とし設定で揉めとったんちゃうんか!? そこに最高難度の次元魔法まで追加するんか!?」
ルイズ:「追加というより、同時進行です」
ルイズ:(私は、左手の指輪の演算を、頭のなかで三つに分けた。触媒の共有リンクの維持と、代わりの支払いの経路の制御。主役である『高位崩落魔法』の組み立て。そして――『次元魔法』による空間の隔離と、衝撃の吸収。これらを一つにまとめてしまえば、ひとつの不具合がすべてに波及して、全体が止まる危険がある。だからこそ、役割を完全に分ける必要があった。)
 ルイズ:(攻撃の魔法は、すでに選んである。高位の『崩落魔法』。その狙いは、ガーディアンの動力(炉)と制御(中枢)を結ぶ『首根っこ』の部分だ。共有リンクは、その高位崩落魔法の代償を、彼女たちの服から調達するために使う。そして、次元魔法は――そのピンポイントの攻撃で生じる凄まじい衝撃や破片が、周囲の洞窟へ無制限に広がり、私たちが巻き込まれることを防ぐためのもの。目的は、それぞれ明確に異なる。)
シャルロット:「……つまり、攻撃と防御を、別々の独立した術式で、同時に準備するのですか!?」
シャルロットが、信じられないものを見る目で尋ねた。
ルイズ:「そのとおりです。ひとつの巨大な魔法に全部を任せると、必要な演算が一点に集中して、制御が不安定になります。ですが、役割を分けて同時に組み立てれば、負担を綺麗に分散できます」
シャルロット:「……そ、そんな神業を、この実戦の数秒のあいだに行えるのですの!?」
ルイズ:「力を適切に振り分ければ、理論上は可能です」
シャルロット:「それを涼しい顔で『可能』と言ってしまえることが、わたくしには何よりも恐ろしいのですけれど……!」
ルイズ:(私は、指輪の出力を極限まで引き上げた。もちろん、同時の組み立てにも限界はある。同時に扱う術式が増えるほど、制御の難しさは跳ね上がる。それでも、今回は、同時進行が絶対に必要だった。高位崩落魔法だけを先に準備し、その後で次元魔法を組んでいては、相手の攻撃を受けるまでに間に合わない。逆に、次元魔法を先に組めば、その間にガーディアンが守りを組み直す可能性が高い。ならば、二つを同時に進める。それしか道はない。)
ルイズ:「……第一の領域、共有リンクと支払いの補正の制御」
ルイズ:「第二の領域、高位崩落魔法の照準の固定」
ルイズ:「第三の領域、次元魔法の展開の座標の設定」
指輪の蒼白い核が、三つの異なる独立した光の束を放った。それぞれの光は、互いに干渉することなく、別々の美しい流れを空間に描いていく。第一の流れは、共有リンクで登録されたシャルロットたちの衣服の情報を整理している。第二の流れは、ガーディアンの胸から背へ続く接続部を捉え、高位崩落魔法の範囲をミリ単位で絞っている。そして第三の流れは、周囲の洞窟の空間の造りを読み取りながら、次元魔法の展開の位置を、その場で計算していた。
ルイズ:「……狙いの座標、固定」
ルイズ:(私は、ガーディアンの分厚い装甲の隙間へ、冷酷な視線を向けた。胸の魔導炉。背中の術式の中枢。その間に存在する、魔力変換の接続部。高位崩落魔法の基本の術式は、すでに組み上がっている。今必要なのは、その術式を『どこへ、どの範囲で』作用させるか。そして、支払いが成立した瞬間に即座に発動できるよう、きっかけの条件を整えることだ。)
ルイズ:「崩落の範囲、最小。周辺の構造への干渉を極限まで抑制。発動の条件、最終調整、完了」
第二の流れが、さらに細く、鋭く収束していく。
ルイズ:(同時に、第三の流れでは、別の高度な計算が進んでいた。次元魔法は、単に硬い壁を作るだけの魔法ではない。空間の『境目』を数式で定め、その内側と外側で、衝撃や魔力の伝わりを完全に断ち切る。今回は、攻撃の影響が外へ広がらないよう、ガーディアンの周りを、サイコロのように囲む形で展開する必要があった。しかも、ただ隔てればいいわけではない。内部で起こる大爆発の衝撃を受け止め、余った力を、境目へ無害に逃がす。そのうえで、洞窟そのものへ伝わる負荷を、できる限りゼロに抑える。)
 ルイズ:「……境目の座標、設定。空間の固定、第一段階」
私の足元に、淡く輝く光の線が現れた。それは幾何学の円を描くように伸び、ガーディアンの周りの空間へ、急速に広がっていく。まだ、完全な次元の障壁ではない。あくまで、展開の位置と境目の条件を定めるための、骨組みだ。ここへ、衝撃を受け流すための術式を組み込み、最後に空間を固定する必要がある。
ルイズ:「……第二段階、衝撃を散らす構造を付与」
光の線が、幾重にも複雑に重なり合った。次元の境目に、細かな数式が次々と組み込まれていく。攻撃の衝撃が、三つの方向のどちらへ伝わるのか。破片がどの範囲まで飛び散るのか。生じる魔力の余波が、周囲の空間へどの程度及ぶのか。それらすべての計算の結果が、次元魔法の構造へ、一瞬で反映されていった。
私の白磁の額に、うっすらと汗が浮かぶ。頭の負荷が、危険な域まで跳ね上がっている。ただ、まだ私の力なら制御できる範囲だ。
ルイズ:「……第三段階、空間の固定。次元魔法、待機の状態へ」
足元の光が、静かに明滅した。ガーディアンの周りを完璧に囲い込む次元魔法は、すでに組み上がりつつある。あとは、高位崩落魔法の支払いを成立させ、攻撃と同時に発動させるだけだ。
ルイズ:「……同時の準備、完了率、八割七分」
私が指輪の進み具合を確かめた、その瞬間。ガーディアンが、動いた。胸に圧縮されていた致死量の魔力が、一気に砲口から放たれる。
シャルロット:「――来ますわ!!」
シャルロットが絶叫した。眩しい、視界を白く染める死の光が、こちらへ向かって一直線に突き進んでくる。
ルイズ:(私は、とっさに頭のなかの力の振り分けを切り替えた。次元魔法の展開の座標を、強制的に固定する。衝撃を散らす構造の負荷を、計算し直す。同時に、高位崩落魔法の照準を、ミリ単位で保つ。複数の超高度な処理が、指輪のなかで凄まじい速さで並行して進んでいく。ひとつの判断、わずかな処理の誤りが、すべてを崩して、私たちは消し炭になる。けれど、今は、ひとつずつ丁寧に確かめて完成させる余裕がない。)
 ルイズ:「……あと少しです」
光の奔流が、眼前まで迫ってくる。
ルイズ:(私は、最重要である『透明ドレスの保護ロック』を確かめた。正常。共有リンク、接続済み。高位崩落魔法、照準固定。次元魔法、待機。支払いの補正は、まだ完全には成立していない。それでも、ここまで必要な舞台の準備は、すべて整った。あとは、代償を支払い、二つの魔法を同時に発動させるだけだ。)
ルイズ:「……これで、最後です」
私は、変調指輪へ、ありったけの魔力を流し込んだ。指輪の核が、世界を切り裂くような鋭い光を放つ。
次の瞬間。私の視界の光の文字に、代わりの触媒の『最終の支払いの見積もり』が表示された。その残酷な数字を確かめた私は、小さく、同情するように息を吐く。
ルイズ:(――やはり。次元魔法と高位崩落魔法の同時の発動には、相応の莫大な『代償(布地)』が必要になるらしい。けれど、もう後戻りして迷っている時間はない。)
私は、目前に迫りくる死の魔力の奔流を、無表情で見据えたまま、仲間たちの衣服を差し出す『最後の支払い』へ、冷酷に全意識を集中させた。
STEP7 ― 高位崩落魔法によるガーディアン瞬殺
私の変調指輪の光の画面に、最終の支払いの状況が表示された。
指輪:『 選択済みの魔法 :高位崩落魔法 』 指輪:『 対象の座標 :接続部に固定 』 指輪:『 術式の構築 :完了 』 指輪:『 通常の触媒(Tシャツ)の照合 :不一致 』 指輪:『 代わりの触媒(共有リンク)による支払いの補正を、実行中 』
眼前では、ガーディアンの胸から放たれた極太の魔力の奔流が、空間を焼き焦がしながら、私たちへ向かって迫っていた。視界を真っ白に染め上げる死の光が、洞窟の壁を無慈悲に照らす。石畳が悲鳴のように震え、空気が焼けて爆(は)ぜる音を立てた。
シャルロット:「ルイズさんっ!!」
シャルロットの悲痛な絶叫が響く。
 ルイズ:(私は、返事をしなかった。今、私に必要なのは、コンマ一秒の判断を誤らないことだけだ。)
ルイズ:(攻撃の魔法の選択は、すでに終わっている。高位崩落魔法を発動し、ガーディアンの魔導炉と術式の中枢を結ぶ『首根っこ』の機構だけを、ピンポイントで崩す。それが、私の選んだ、最も燃費のいい破壊の数式だ。問題は、その代償を、どう滞りなく支払うか。そして、発動で生じる大爆発の衝撃を、私の透明ドレスと仲間に被害を出さずに、どこまで無害に抑えられるか。)
ルイズ:「……次元魔法、第一段階を、強制実行」
ルイズ:(空間を隔てる術式の組み立ては、まだ百パーセント完了してはいない。それでも、敵の攻撃を受け止め、衝撃が外へ伝わるのを防ぐための『最低限の次元の境目』は、すでに組み上がっていた。私は、残りの術式の組み立てを、頭のなかで猛スピードで進めながら、先行して完成した第一段階だけを、緊急に起動した。)
私の足元に広がっていた光の線が、一斉に天へ向かって輝いた。次の瞬間、ガーディアンを中心とした巨大な空間に、薄いガラスの膜のような『見えない境目』が生まれた。それは、単純な物理の障壁ではない。空間そのものを数学的に区切り、内側と外側で、衝撃や熱の伝わりを完全に断ち切るための、隔離された空間だ。
迫り来る魔力の奔流が、その次元の境目に触れる。
――ゴォォォンッ!!
腹の底を揺らす轟音が、次元の壁を叩いた。凄まじい白い光の熱が、境目に沿って激しく広がり、幾重にも折り重なって、嵐のように渦を巻く。通常の障壁なら、受け止めた衝撃がそのまま周りの空間へ伝わり、洞窟の壁や私たちへ致命的な負荷を与えていただろう。けれど、今回は違う。次元魔法によって区切られた密閉の空間のなかで、衝撃の伝わる向きが、完全に制御されている。魔力の奔流は、外へは一ミクロンも抜けず、境目の内側だけに沿って、無害に広がり、熱ごと打ち消されていった。
ルイズ:「……衝撃の分散、正常」
ルイズ:(私は、無表情のまま、指輪の表示を確かめた。これで、少なくとも最初の致死の攻撃を受け流すための猶予は稼げた。)
ルイズ:(ただし、次元魔法は万能ではない。空間を不自然に保つための莫大な演算も、境目を固定するための魔力の消費も、私の頭を容赦なく焼き始めている。このまま長時間、ガーディアンの攻撃を隔離した空間のなかで受け止め続けることは、燃費の面から想定していない。決着をつけるなら、今、この数秒間しかない。)
ルイズ:「……支払いの補正の状況は?」
私の声に応えて、指輪の画面が切り替わった。
 指輪:『 代わりの触媒の候補を照合中 』 指輪:『 必要な触媒の価値を再計算中 』 指輪:『 登録済みの衣類:連携済み 』
ルイズ:(私は、ほんの一瞬だけ、息を止めた。共有リンクに登録したのは、シャルロット、マリアンヌ、ジュリエットの三人。彼女たちは、己の衣服がすべて吹き飛ぶ可能性を理解したうえで、気高く許可を出してくれた。それでも、実際に『どこまでの代償(布地の量)』が引き落とされるかは、指輪が計算を終えるまで、私にも確定していない。)
ルイズ:(高位崩落魔法は、先ほどの低出力の火炎魔法とは比較にならないほど、膨大な魔力と負荷を伴う特級の術式だ。触媒の価値も、魔法に必要な出力も、単純な重さだけで測れるものではない。魔法の規模、対象の物理的な強度、必要な出力。そして、触媒(お洋服)そのものが持つ、魔力の変換の効率。それらの複雑な変数をすべて踏まえ、指輪は今まさに、非情な『支払うべき触媒の価値(請求額)』を算出している。)
やがて。
指輪:『 必要な触媒の価値:確定 』 指輪:『 登録済みの触媒(仲間の衣服)による、強制の支払いを開始します 』
ルイズ:「……来ましたね」
私の視線が、指輪の冷酷な赤い表示に固定された。
指輪:『 代わりの触媒を、順に消費します 』
淡く、美しい破滅の光が、共有リンクの見えない道を通じて、背後の仲間たちへ、雷のように走った。
マリアンヌ:「――えっ?」
最初に異変に反応したのは、マリアンヌだった。彼女の着ている上質な制服を覆うように、青白い光の粒が現れる。それは布地の表面を滑り、繊維の一本一本の奥底へ、染み込むように広がっていった。次の瞬間、衣服の輪郭が、蜃気楼のように揺らいだ。
ジュリエット:「……あら?」
ジュリエットが、自分の袖を不思議そうに見下ろす。光が、袖口から肩へ。肩から胴へ。そして、スカートの布地へと、侵食するように広がっていく。
シャルロット:「……ま、まさか、もう引き落としが始まっていますの!?」
シャルロットが、悲鳴に近い声を上げた。彼女の仕立ての良い上着も、スカートも、登録されていた衣服という衣服が、次々と青白い光を帯びていく。それらは、炎で燃え上がったわけではなかった。破れたわけでも、焼け落ちたわけでもない。等価交換の無慈悲な仕組みによって――『触媒としての存在の価値』を、空間から直接、魔法の代償である力へと、変換されているのだ。
布地の色が、急速に薄れる。輪郭が、光の粒となって空中にほどける。やがて、彼女たちの高価な衣服は、一枚ずつ、淡い光の粉となって、この世から綺麗さっぱり消え失せていった。
 マリアンヌ:「きゃっ……!!」
マリアンヌが、布を失った肌を、反射的に両手でかばった。
ジュリエット:「ちょ、ちょっと! わたくしの服まで、こんなに一瞬で……!」
ジュリエットも、思わず真っ赤になって声を上げる。
共有リンクの口座に登録された衣服が、次々と支払いの対象に選ばれ、消えていく。一着分の代償で足りなければ、次の衣服(下着)へ。それでも足りなければ、さらに次の人物へ。大魔法の発動に必要な莫大な触媒の価値を満たすまで、無慈悲な支払いが、ドミノ倒しのように進んでいく。
シャルロット:「ル、ルイズさんっ! 聞いていた事前の説明よりも、ずっと引き落としのペースが容赦ありませんわよ!?」
ルイズ:「高位崩落魔法ですから。私の事前の見積もり以上に、必要な価値が大きかったようですね……!」
シャルロット:「冷や汗をかきながら冷静に分析している場合ではありませんわぁぁぁっ!」
シャルロットの涙目の悲鳴が、次元魔法の内側に、空しく響き渡った。彼女たちは、消えゆく衣服に慌てふためき、すぐに互いの肌をかばうように、身体を寄せ合った。年頃の乙女として、衣服が目前で光となって消えていくことへの動揺は、当然だろう。
けれど、今は国家級の戦闘の最中だ。目の前の結界のすぐ外には、魔力を溜め直し終えた巨大なガーディアンがいる。シャルロットは、顔を茹でダコのように真っ赤にしながらも、公爵令嬢としての誇りで、決して魔導杖を手放さなかった。
シャルロット:「……っ、わたくしたち自身が下した決断ですもの! 今さら、恥ずかしいからと途中で止めるわけにはいきませんわ!」
その高潔な声に、私は小さく、深く頷いた。
ルイズ:「ありがとうございます。皆様からの尊いご出資、必ず、この一撃で黒字にします」
シャルロット:「その恩義のお言葉、服を着るまで絶対に忘れないでくださいませね……!」
共有リンクの光が、最後の登録された衣類へと流れた。そして、それもまた、淡い光の粒となって、空間に溶けて消えていく。
 指輪:『 代わりの触媒の価値(代償):確保完了 』 指輪:『 支払いの条件:成立 』
指輪の画面に、明確な緑色の文字が表示された。
ルイズ:「……支払い、成立」
私は、安堵の息を吐いた。
ルイズ:(私の『透明ぶかぶかTシャツ』の照合の不具合が直ったわけではない。第三回の分割払いは、依然として食い違いのままだ。だが、魔法の組み立てと、狙いの固定は、完璧に保たれている。不足していた莫大な代償を、共有リンクで繋いだ仲間たちの衣服から強制的に引き落とすことで、見事に補えたのだ。これで、代償の問題はクリアした。)
ルイズ:(もちろん、物理的に失われた彼女たちのお洋服が戻ってくるわけではない。けれど、彼女たちがその身を挺して差し出してくれた資産によって、大魔法を実行するための条件は、完全に満たされた。あとは、組み立てた術式を、発動させるだけだ。)
ルイズ:(ただし、私自身の装備には、もうひとつ絶対の守りの条件がある。私は、自分の装備の情報を、念のため素早く確かめ直した。)
指輪:『 エルライト教授製・特殊魔法衣 』 指輪:『 魔力の署名:正常 / 保護ロック:有効 / 触媒の候補からは除外済み 』
ルイズ:(……よし。こちらは一片の問題もない。透明ぶかぶかTシャツの照合の不具合は残っているが、今回の支払いは、仲間たちの代わりの触媒によって、無事に成立した。一方、私の着心地の良い『特殊魔法衣(透明ドレス)』は、独立した魔力の署名によって正常に認識され、保護ロックによって、代わりの触媒の候補から完全に弾かれている。)
ルイズ:(シルクのような極上の肌触りを保ちつつ、高い防御力を持つ、私の最重要の資産。これを失うという最悪の赤字だけは、無事に回避できたようだった。私は、自分の胸元へそっと触れた。目には見えないが、極上の布地の感触は、変わらず確かにそこにある。)
ルイズ:「……私の防御(着心地)も、正常」
その背後で、共有リンクに登録された仲間たちの衣服は、すべて虚空へ、支払いを終えていた。選択していた高位崩落魔法の組み立ても、完璧に保たれている。ようやく、すべての条件が揃ったのだ。
ルイズ:「……では」
私は、氷のような無表情で、ガーディアンの巨体を見据えた。
 ルイズ:「これ以上の赤字を垂れ流す前に、ここで終わらせましょう」
指輪の核が、世界を終わらせるような鋭い光を放つ。
指輪:『 高位崩落魔法 :発動の準備、完了 』 指輪:『 対象の座標 :固定 / 崩壊の範囲 :限定 』 指輪:『 次元魔法(隔離空間):展開を維持 』
ルイズ:(私は、頭のなかで最後の演算を実行した。崩すのは、ガーディアンの巨体全体ではない。胸の魔導炉から送り出された膨大な魔力を、背中の術式の中枢へ受け渡す『接続部(首根っこ)』。そこには、人間側の魔導技術と、魔族側の術式の技術を矛盾なく繋ぐための、精緻な変換の機構が存在している。異なる技術体系を統合した、共同防衛ガーディアンの、絶対の要(かなめ)。そして、その神話の構造を成立させている、たったひとつの致命的な弱点だ。)
ルイズ:「……狙いの座標を指定」
私は、白磁の指先を、わずかに動かした。
ルイズ:「――高位崩落魔法、発動」
音は、なかった。少なくとも、魔法が発動した最初の一瞬には。
私が指定したガーディアンの装甲の隙間の一点で、空間を成り立たせている物理の法則の数式が、静かに、そして無慈悲に崩れ始めた。物質が燃え上がったわけではない。魔力が弾け飛んで大爆発を起こしたわけでもない。対象となった接続部の『形を保つための仕組み』が、唐突に破綻したのだ。
魔導炉から伸びる太い供給の道。魔力を変換する精緻な中継の回路。術式の中枢へ情報を送る制御の通り道。それらが、ほとんど同時に働きを失った。
ガーディアンの圧倒的な動きが、ピタリと止まる。
ガーディアン:『 警告 』 ガーディアン:『 魔力の供給に異常 』 ガーディアン:『 制御の経路に不整合を検出 』 ガーディアン:『 動力―― 』
無機質な声が、不気味に途切れた。胸の魔導炉が、行き場を失った魔力で激しく明滅する。背中の赤紫色の術式の中枢は、異常を察して、強引に制御を立て直そうと計算を回し始めた。しかし、両者を結んでいた唯一の接続部は、すでに原子の細かさで崩れている。
魔導炉は、制御の側から正常な指令を受け取れない。術式の中枢は、動力の側から必要な魔力の供給を保てない。互いにどれほど優れた特級の機構であっても、それらを『繋ぐ仕組み』が失われれば、ひとつの装置として働くことは、絶対にできない。さらに、傷ついた接続部を強引に補おうとして、両側から膨大な魔力が、行き場を失って流れ込んだ。それが、自壊の最後の引き金になった。
 ――バキンッ!!
耳障りな金属の断裂音が、洞窟に響き渡る。胸の魔導炉を覆う黒鋼の装甲に、致命的な亀裂が走った。背中の術式の中枢が、ショートしたように、一瞬だけ強烈な赤紫の閃光を放つ。
そして。ガーディアンの胸から、すべての光が消えた。巨大な腕が、重みに引かれて力を失う。黒い装甲が、支えを失って、内側からガラガラと崩れ落ちる。赤紫色の紋様が、次々と虚空へ消え、複雑な術式の回路が、無数の光の粒となって、空間に散っていった。
最後に残ったのは、ただの巨大な黒い鉄屑の塊だけだった。それも、私の敷いた次元魔法によって区切られた隔離空間のなかで、重々しい音を立てて崩れ落ちる。
――ドォォォンッ!!
巨大な重みが床に叩きつけられる轟音が、次元の境目の内側だけを、激しく震わせた。砕け散った装甲。完全に機能を止めた魔導炉。瓦礫と化した術式の中枢。それらが、まとめて洞窟の床へ沈んでいく。けれど、その絶大な崩壊の衝撃が、洞窟全体を破壊することはなかった。私の組んだ次元魔法の境目が、すべての衝撃を内側で受け止め、生じた余波を、無害な光へ散らしていたからだ。
やがて、光が消えた。轟音が止んだ。洞窟に、張り詰めたような静寂が戻ってくる。
ルイズ:「…………」
私は、目の前のただの鉄屑となった残骸を、見つめた。先ほどまで、人間と魔族の両国の技術を美しく結集した巨大なガーディアンが、確かにそこに、無傷で立っていた。人間側の魔導炉。魔族側の術式の中枢。異なる理論を矛盾なく統合した、究極の制御の機構。それらが一体となった、国宝級の貴重な研究対象。――それが、私の魔法のせいで、今では見る影もないスクラップに。
ルイズ:「…………」
私は、もう一度、無惨な残骸をじっと見た。機能していた頃の美しい構造の姿は、どこにもない。装甲は砕け、術式の中枢は崩れ、内部の構造を観察するために一番必要だった『接続部』も、原形を留めていなかった。
ルイズ:「……あーあ」
私は、心の底から落胆して、小さく呟いた。
ルイズ:「……研究用の貴重なサンプルが、完全にスクラップになってなくなってしまいましたね。非常にもったいない損失です」
 シャルロット:「当たり前ですわぁぁぁぁぁっ!!!」
顔を真っ赤にしたシャルロットの絶叫が、静まり返った洞窟に、爆音で響き渡った。
シャルロット:「ルイズさん! あなた今、ご自分で何をなさったか、客観的に理解していらっしゃいますの!?」
ルイズ:「はい。高位崩落魔法によって、共同防衛ガーディアンの動力と制御を接続する要の機構を、ピンポイントで破壊しました」
シャルロット:「わたくしが聞いているのは、そういう技術的な解説ではありませんわ!!」
ルイズ:「……では、どこでしょう?」
シャルロット:「国家間の協定に基づいて設置された国境防衛兵器を、跡形もなく破壊したという、その『国際的な事実』のことですわぁぁぁっ!!」
シャルロットは、怒りと恥じらいで全身を震わせて叫んだ。
シャルロット:「しかも! わたくしたちの服(社会的尊厳)を対価にして! あれほどの歴史的な装置を! 自分のドケチな研究のために壊しておいて! 最初に言うことが、サンプルを失ったことへの後悔ですの!?」
ルイズ:「……技術的には、本当に無駄のない美しい装置でしたから。もったいないです」
シャルロット:「技術的な評価は、もう結構ですわぁぁぁっ!!」
トト:「……終わったんか?」
トトが、床に転がった装甲の破片を見つめながら、すべてを悟ったような顔で、力なく呟いた。
ルイズ:「はい、トト。ガーディアンは完全に機能を停止しました。安全です」
トト:「そうか……。終わったんやな……ワイらのまっとうな人生が……」
トトは、地面にへたり込んで、深く息を吐いた。
トト:「命があっただけ、神様にありがたいと思うべきなんやろな……。うん。そうや。ワイら、無事に生きとる。服は綺麗さっぱり消えたけど、命はある……」
 カメ吉:「キュィ……(ワイ、元から着てへんから、被害ゼロやで……)」
トト:「お前だけ、ほんまにちゃっかりしとるな」
ジュリエット:「服は……本当に、一枚残らず消えてしまいましたわね……」
ジュリエットが、両腕で身体を隠しながら、静かに涙声で頷いた。マリアンヌも、すべてを諦めたように目を閉じて、深呼吸している。
シャルロットは、まだ理不尽な事態に怒っているようだったが、それでも、私たち全員が無事であることを確認すると、ようやく構えていた魔導杖をホッと下ろした。
シャルロット:「……皆さん、お怪我はありませんわね?」
マリアンヌ:「ええ。わたくしはかすり傷一つありませんわ」
ジュリエット:「こちらも問題ありません。……服以外は」
ルイズ:(私は、指輪の表示を、最終確認した。)
指輪:『 高位崩落魔法 :実行完了 』 指輪:『 他の口座の触媒による支払い :完了 』 指輪:『 次元魔法 :維持終了 』 指輪:『 対象の脅威 :完全に活動停止 』
STEP8 ― 扉の向こうは魔王城ではなく、温泉接待所
私たちは、崩れ落ちたガーディアンの鉄屑を背に、開け放たれた巨大な黒い扉の向こうへ足を踏み入れた。
そこに広がっていたのは、魔王が鎮座する石造りの大広間でも、血の匂いの染みついた玉座の間でもなかった。
塵ひとつなく手入れされた、豪奢な木造建築の空間。 鏡のように磨き上げられた床板。 やわらかな光を灯す、行灯(あんどん)風の魔導照明。 壁際には季節の生花が品よく活けられ、奥へ続く長い廊下からは、ぽこぽこと湯の湧く心地よい音が聞こえてくる。
鼻をくすぐるのは、檜(ひのき)の清しい香りと、ほのかな硫黄の湯気。さっきまで鼻の奥に居座っていた焦げた石の匂いが、嘘のように遠のいていく。
 そして、正面には――。
ユノ:「……いらっしゃいませ」
落ち着いた、よく通る声とともに、一人の女性が深々と頭を下げた。
艶やかな黒髪をきれいにまとめ、上品な和装風の制服をまとった、人間の受付係だった。胸元の名札には、『ユノ』とある。背後には立派な無垢材の帳場があり、壁には親切な館内案内図まで掲げられている。『客室』『大浴場』『休憩所』『お食事処』『医務室』、そして最奥には『魔族領方面 第二の扉』。区画の名が、誰が見ても迷わないよう整然と記されていた。
ルイズ:「……」
私は、思わず足を止めた。
ルイズ:(魔王城ではない。少なくとも、私が頭のなかで思い描いていた、戦と略奪のための城ではなかった。)
ルイズ:「……ここは、温泉宿ですか?」
ユノ:「はい。こちらは、人間界と魔族界の両国の『平和協定』に基づいて運営されております、公式の温泉接待所でございます」
受付係は、笑みをわずかも崩さず、澱みなく答えた。
ユノ:「長旅でお疲れのお客様にも、ゆっくりお寛(くつろ)ぎいただけますよう、極上の天然温泉、ご宿泊の設備、そして両国の一流料理人によるお食事などをご用意しております」
ルイズ:「温泉接待所……」
私は、ぐるりと周囲を見回した。
ルイズ:(なるほど。人間側から来た要人を迎え入れ、魔族の領地へ通すための中継の宿なのだろう。外交の手続きを行う場であると同時に、双方の要人が逗留し、語らい、交渉するための宿でもある。だからこそ、あの扉には、両国の権限を突き合わせる厳重な認証の仕組みが組み込まれていたのだ。)
 ロビーの長椅子では、旅装の人間の老夫婦と、角の生えた魔族の商人らしき男が、並んで湯上がりの果実水を飲んでいた。こちらの様子をちらりと見て、同時にすっと視線を外す。この宿の客は、見てはいけないものを見ない術に、よほど慣れているらしい。
ルイズ:「……極めて合理的な設計ですね。利益を生む仕組みです」
トト:「どこがやねん!!」
トトが、すかさず背後から突っ込んだ。
トト:「いや、施設としては合理的やで!? 温泉もあって、タダ飯も食えるんやろ。せやけどな、普通はこういう場所へ来るまでに、国境の防衛兵器を木っ端微塵にせえへんのや!」
ルイズ:「正規の通行手形を持っていれば、無駄に壊す必要はなかったのでしょうね」
トト:「その正規の手形を持っとらんかったんは、お前やろがぁぁぁっ!」
私は、トトの正論に「確かにそのとおりだ」と一人納得して頷いた。
その直後だった。
ユノ:「……あの、お客様」
受付係の女性が、初めて言葉を切り、視線を私たちの背後へ移した。
開け放たれた巨大な扉。その向こうに広がる、爆撃を受けたような洞窟の惨状。入口に散らばる、国家予算の結晶だった黒い装甲の破片の山。つい先ほどまで『両国共同のガーディアン』として無敵を誇っていたものが、もうもうと煙を上げるスクラップになって転がっている。
受付係の視線が、残骸から、もう一度私たちへ戻る。
 次に、私たちの『装い』へ。
……いや。正確には、装いと呼べるものが、ほとんど残っていなかった。
シャルロット、マリアンヌ、ジュリエットが身につけていた高価な衣服は、私の共有リンクを通じた支払いで、すべて消え失せている。その下の下着も例外ではない。
そして私自身も、保護をかけた透明ドレスを除けば、男物Tシャツは完全に透けきっている。エルライト教授製の魔法衣は、防御は最強だが光を完全に通す。確かに身にまとっているのに、外から見れば、何一つ着ていない姿にしか見えない。
つまり、受付係の目から見れば――。
国境の巨大な防衛兵器を鉄屑に変えた『全裸の女の一団』が、堂々と扉の向こうから現れたのだ。
ルイズ:(……なるほど。冷静に眺めてみると、確かに極めて奇妙な状況だった。)
ユノ:「…………」
受付係は、一瞬だけ、時が止まったように黙った。
けれど、それは本当にプロの『一瞬』だった。次の瞬間には、彼女はわずかな引きつりもない、完璧な接客の笑顔に戻っていた。
 ユノ:「……お客様。まずは、お怪我がないか、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
声は、驚くほど穏やかだった。余計な詮索も、全裸への露骨な視線もない。彼女は帳場の呼び鈴をひとつ鳴らし、奥に控えていた従業員へ、簡潔に指示を出した。
ユノ:「お客様方の浴衣と、大判のタオルを至急こちらへ。念のため、医務室の者にも待機を伝えてください」
従業員:『かしこまりました』
奥から、すぐに返事があった。
ユノ:「あわせて、特別休憩室のご用意もお願いします」
従業員:『承知いたしました』
指示は的確で、一切の無駄がなかった。受付係は、再び私たちへ向き直る。
ユノ:「また、当施設の警備装置が作動したことで、ご不便とご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます」
彼女は、嫌味のかけらもなく、深々と頭を下げた。
ユノ:「現在、急ぎ状況を確認しております。まずはお身体をお温めになり、落ち着かれてから、必要なお手続きをお願いできればと存じます」
ルイズ:(……素晴らしい。)
ルイズ:(私は、資産管理者として素直に感心した。予想外の大事故に出くわしても、物事に優先順位をつけ、まず客の安全を確保する。しかも、衣服がないことを指摘して客に恥をかかせず、必要な品を自然に手配している。仕事の運びに、一分の無駄もない。)
 ルイズ:「……極めて優秀な受付係ですね。仕組みとして完成しています」
トト:「ルイズはん! 今、感心するところ、そこなんか!?」
ルイズ:「もちろんです。非常時の対応力は、施設の運営効率を左右する最重要の要素ですからね」
トト:「その効率の話は、服を着てからにしてくれへん!?」
トトの悲痛な叫びと、ほぼ同時だった。奥から別の従業員が小走りで戻ってきた。腕には、人数分の上質な浴衣と、身体を隠すための大判のタオルが抱えられている。
従業員:「お待たせいたしました。こちらをお使いくださいませ」
シャルロット:「あ、ありがとうございます……っ」
シャルロットが、顔を真っ赤にしながら、震える手でタオルを受け取った。マリアンヌとジュリエットも、すぐにタオルで身体を覆い、従業員の案内に従って逃げるように近くの更衣室へ向かう。社会的な死の瀬戸際ではあったが、三人とも、どうにか落ち着きを取り戻しつつあった。
足元では、カメ吉が胸を張って、堂々と帳場の前を横切っていく。
カメ吉:「キュィ(ワイは元から何も着とらんからな。この中で一番、通常営業やで)」
トト:「亀に服のルールはあらへんからな。ほんま、お前だけは得な生き物やで」
もっとも、シャルロットだけは、更衣室へ入る直前に、般若(はんにゃ)のような顔でこちらを振り返った。
 シャルロット:「……ルイズさん」
ルイズ:「はい?」
シャルロット:「この『お洋服が丸ごと消えた件』については、後ほどお部屋で、しっかり一からお話しさせていただきますわ」
ルイズ:「……承知しました」
シャルロット:「それから、わたくしたちが失った特注の衣服の補償についても、ですわ」
ルイズ:「……そちらも、承知しました」
シャルロット:「よろしいですわね?」
シャルロットは、笑顔だった。しかし、その笑顔は、先ほど魔導杖を構えて防衛兵器と対峙していたときよりも、ある意味でずっと恐ろしい殺気を放っていた。
ルイズ:(私は、今後の研究予算のなかから、早急に『衣服の補償費』を確保する必要があると判断した。これは必要経費である。命をつなぐための必要経費なのだ。)
ルイズ:「……トト。帳簿に記しておいてください」
トト:「何をや」
ルイズ:「お嬢様方の衣服の補償費です。あとで私の口座から精算します」
トト:「……最初から自分の服で払っとけばよかったんちゃうか?」
ルイズ:「私の服は、すでに触媒としての照合が食い違っていました。あの状態で無理に支払いを通そうとすれば、指輪の仕組みそのものが壊れて、さらに大きな被害が出た可能性があります」
トト:「理屈は分かるねん。マッドサイエンティストとしての筋は通っとるのは分かるけどな……!」
トトは、深々とため息をついた。
トト:「それで、ルイズはん。自分、ここへ来た本来の目的、覚えとるか?」
ルイズ:「もちろんです」
私は、まだ全裸にしか見えない姿のまま、帳場へ真っ直ぐ向き直った。
 ルイズ:「こちらの施設について、一つ確認したいことがあります」
ユノ:「はい。どういったご用件でしょうか?」
受付係は、全裸の客を前にしても、変わらず穏やかな笑みで答えた。
ルイズ:(私は、館内をもう一度見回した。塵ひとつない木造建築。無駄のない従業員の動き。温泉と宿泊の設備をひとつにまとめた、実によくできた館の造り。そして何より私の知的好奇心を刺激するのは、ここへ至るために据えられていた、あの『両国共同のガーディアン』だった。)
ルイズ:(人間側の魔導炉と、魔族側の術式の中枢。異なる二つの技術を美しく溶け合わせた、あの桁外れの装置。その設計の考え方は、何としても詳しく知りたい。)
ルイズ:「……先ほど、入口に据えられていたガーディアンですが」
ユノ:「はい」
ルイズ:「あれを設計した『天才技術者』の方と、直接お話しすることは可能でしょうか?」
受付係の完璧な笑顔が、一瞬だけ、ぴたりと止まった。
ユノ:「…………はい?」
ルイズ:「ガーディアンです。人間側の魔導炉と、魔族側の術式の中枢を接続していた、混成の装置ですね。動力と制御の統合の仕方が学術的に非常に興味深く、ぜひその設計の考え方を伺いたいのです」
私は、できるだけ噛み砕いて説明した。
ルイズ:「特に、異なる魔力の体系をつなぐ変換の機構と、異変が起きたときの出力の抑え方について。あの構造には、まだ消費魔力を削れる余地があると思いますが、基本の設計は非常に優れていました。ぜひ名刺交換を」
ユノ:「…………」
受付係は、再び黙った。
 その視線が、私の背後へ移る。扉の向こうには、私が先ほど高位崩落魔法で粉砕した、共同防衛ガーディアンの残骸がある。巨大な装甲。動かなくなった魔導炉。崩れた術式の中枢。そして、二度と動くことのない、両国共同の最高傑作の防衛装置。
受付係は、それらを一度だけ確かめ、静かに、全裸の私へ向き直った。
ユノ:「……お客様」
ルイズ:「はい」
ユノ:「こちらは、総合受付でございます」
ルイズ:「はい。存じております」
ユノ:「技術的なお問い合わせにつきましては、専門の担当に確認する必要がございます」
ルイズ:「なるほど。技術担当の方がいらっしゃるのですね」
ユノ:「……はい。早急に確認いたしますので、少々お時間をいただけますでしょうか」
ルイズ:「ありがとうございます。できれば、設計図も拝見したいのですが」
ユノ:「……かしこまりました。上の者への、ご要望として承ります」
受付係は、深々と頭を下げた。その対応には、一分の隙もなかった。私がどれほど突拍子もない質問をしても、彼女は決して態度を崩さない。必要なことを聞き取り、しかるべき部署につなぐ。接客の仕事として、実に見事だった。
ルイズ:「……やはり、極めて優秀な施設ですね。人材の教育に、惜しみなく費用が注がれています」
 トト:「ルイズはん……」
トトが、私の足元で顔を覆って呟いた。
トト:「それ以上、受付のお姉さんに意味不明な仕事を増やさんといてくれへん……?」
ルイズ:「ですが、設計者の方とお話しすることは、今後の私の研究の財産づくりにおいて極めて重要です」
トト:「重要なんは分かる。せやけど、普通は『服を着てから』聞くことやろが!」
ルイズ:「……ああ、確かに」
私は、そこでようやく、手元の浴衣の存在に気づいた。先ほど従業員が持ってきてくれた、上質な浴衣。私の分も、きちんと用意されている。しかし私自身は、透明ドレスのせいで、見た目には何も身につけていないように見える。このまま技術者と会えば、相手から見れば、『浴衣を脇に抱えたまま、全裸で技術論を迫ってくる客』である。
ルイズ:「……なるほど。相手に不快な思いをさせないよう、身なりを整える必要がありますね」
トト:「今ごろ気づいたんかい!!」
私は、浴衣を受け取った。
ルイズ:「では、更衣室をお借りできますか?」
ユノ:「はい。すぐにご案内いたします」
受付係が、穏やかに頷いた。そして、何事もなかったかのように、全裸の私を更衣室へ案内する。
その背後では、別の従業員が、扉の向こうに残されたガーディアンの残骸について、青ざめた顔で、静かに『上層部』へ魔導の連絡を取り始めていた。
ルイズ:(私は、まだその緊迫した通信の中身を知らなかった。私の頭のなかは、すでに次の楽しみでいっぱいだったからだ。)
 ルイズ:(人間側の魔導炉。魔族側の術式の中枢。それらをつなぐ変換の機構。そして、あのような高度な防衛装置を設計できる天才技術者が、この施設のどこかにいる。しかも、ここは温泉宿だ。一流の食事がタダでいただける。極上の宿泊設備もある。)
ルイズ:「……これは、想像以上に利益率の良い、素晴らしい場所ですね」
トト:「ルイズはん。頼むから、もうこれ以上、何も壊さんといてな……」
トトの疲れ果てた声を背に、私は更衣室へ向かった。
こうして私たちは、魔王城へ続くと思われた古代の扉の向こうで、まさかの『温泉接待所』の客として迎えられることになった。
ただし、施設の側はまだ知らない。目の前の全裸の来訪者が、国境の防衛装置を力ずくで壊しただけのテロリストではないことを。自ら粉砕した研究対象について、設計者本人から構造の弱点を聞き出すことを、心の底から楽しみにしている『マッドサイエンティスト』だということを。
STEP9 ― 受付の笑顔と、従業員通信網の大パニック
更衣室へ向かう一行の背中を、受付係のユノは最後まで笑顔のまま見送った。ほんのわずかな引きつりも、接客のプロの顔には浮かばない。
ユノ:「どうぞ、ごゆっくりお支度くださいませ。お困りのことがございましたら、お部屋の魔導呼び鈴で、いつでもお知らせください」
ルイズ:「ありがとうございます。素晴らしい対応です」
先頭を歩いていたルイズが振り返り、礼儀正しく頭を下げた。浴衣を抱えたその姿は、透明ドレスのせいで、傍目には何ひとつ身につけていないように見える。
 ルイズ:「それから、先ほどお願いした設計者との面会ですが。可能であれば、設計図も用意しておいてください。特に、魔力の変換機構の構造図と、異変時に出力を抑える仕組みの仕様書があると、討論の時間が省けて助かります」
ユノ:「……かしこまりました。上の者へお伝えしておきます」
ルイズ:「それと、お風呂は今からでも入れますか?」
ユノ:「はい、通常どおりご利用いただけます。念のため、浴場に確認を取っておきます」
ルイズ:「助かります。では、のちほど」
ルイズたちの姿が、廊下の角へ消えていく。 足音が遠ざかり、やがて、気配そのものが聞こえなくなった。
ユノ:「…………」
ユノは、三秒ほど、その場に立っていた。
ロビーの長椅子では、人間の老夫婦と魔族の商人が、湯上がりの果実水のグラスを持ったまま、そろそろと席を立つところだった。賢い客は、嵐の気配を察するのが早い。
そして。
ユノ:「――緊急連絡。従業員の連絡網、最優先の回線を開いてください」
 プロの声から、笑顔の気配だけがすっと消えた。
彼女は帳場の下へ手を伸ばし、普段の業務に使う連絡結晶とは別の、小さな黒い結晶を取り出した。責任者の立場にある者だけが触れられる、特級の緊急連絡用だ。使うのは、火災、魔導炉の暴走、要人の暗殺、あるいは施設全体に関わる国家級の異変が起きたときだけ。
当然、『共同防衛ガーディアンが破壊されたとき』の手順書も存在していた。 ただし、その手順書が最後に改訂されたのは、ずいぶん昔のことである。あの国宝級の絶対防衛兵器が実際に叩き壊される事態など、創設以来、誰ひとり本気で想定していなかったのだから。
ユノは、結晶へ静かに魔力を流し込んだ。
ユノ:「こちら総合受付、ユノです。特級の緊急事態を報告します。共同防衛ガーディアンが、機能を停止しました」
結晶が、血のような赤色に淡く光る。
数秒の間があって、低い声が返ってきた。
ガルド:『……今、何と?』
施設警備責任者のガルドだった。元軍人の彼は、普段から必要な言葉しか口にしない。部下のどんな報告にも声を荒らげない、冷静な男だ。その彼が、いま、自分の耳を疑って聞き返していた。
ユノ:「共同防衛ガーディアンが、完全に機能を停止しました」
ガルド:『原因は?』
ユノ:「確認中です」
ガルド:『自動修復の仕掛けは、働いたのか?』
ユノ:「確認中です」
ガルド:『……確認中、確認中、確認中。ユノ君、私は状況を整理したいのであって、同じ言葉を三回も聞きたいわけではないんだが』
 ユノ:「申し訳ございません。現時点で確定している情報が、それだけなのです」
ガルド:『……よし。続けてくれ』
ガルドは、いったん重い息を整えた。想定外の事態に動揺している場合ではない。理屈ではそう分かっている。ただ、それと心臓が穏やかに脈打つかどうかは別の話だった。
ユノ:「なお、ガーディアンは単に止まったのではなく、物理的に破壊されております」
ガルド:『…………何だと?』
ユノ:「胸部の魔導炉、背部の制御機構、術式の中枢。いずれも原形を留めておりません。鉄屑の状態です」
ガルド:『待て。確認する。不調で止まったのではなく、本当に壊れたのだな?』
ユノ:「はい。全損です」
ガルド:『……そうか』
ガルドの声が、地を這うように低くなった。
ガルド:『全警備班に通達。現場の安全確認を最優先。残存魔力と二次災害の危険を調べろ。周辺の通路は一時的に立入制限。一般のお客様を不安にさせる発言は厳に慎め』
命令の的確さだけは、いつもどおりだった。ただし、その直後。
 ガルド:『……それで、一体誰がやった?』
ユノは、わずかに視線を客室へ続く廊下へ向けた。
ユノ:「現在、当該の装置を破壊したと思われるお客様方が、館内に滞在されております。……全員、外見上は、衣類を一切身につけていないように見えました」
ガルド:『…………』
通信が途切れた。 いや、正確には、繋がったまま、向こうが絶句している。ユノは念のため、結晶の状態を確かめた。正常だ。
ユノ:「警備責任者?」
ガルド:『……すまない。少々、頭を整える時間をくれ』
ユノ:「承知いたしました」
ガルド:『少々でいい。本当に少々でいいんだ……』
かすれた声が返ってきた。 次の瞬間、結晶の奥の司令室から、ガルドが誰かへ怒鳴り散らす大音声が漏れ聞こえてきた。
ガルド:『――緊急招集ッ! 技術班と警備班、全員至急集合しろ! 共同防衛ガーディアンが、全損したぞ!』 従業員:『はああああああっ!?』 従業員:『誰だ! どこのテロリストが壊した!?』 ガルド:『まだ分からん! 総合受付から連絡が来たんだ!』 従業員:『侵入者か!?』 ガルド:『客だそうだ!』 従業員:『客ぅぅぅ!?』
ユノは、表情ひとつ変えずに、結晶の音量をそっと絞った。
館内の緊急連絡網は、必要な部署へ速やかに知らせるためのものだ。その目的は、いまのところ十分に果たされている。 ……ただ、知らせた結果、全員が大混乱に陥っているだけで。
◇
同時刻、施設管理室。
 ガルド:「状況を整理するぞ!」
警備責任者のガルドが、机を強く叩いた。
ガルド:「共同防衛ガーディアンが破壊された。現場には、その原因と思われる人間のお客様がいる。ここまではいいな!?」
ミレーヌ:「何もよくありません!」
即座に噛みついたのは、技術主任のミレーヌだった。共同防衛ガーディアンの設計に携わり、いまはその保守を預かる、生粋の技術屋である。魔力変換機構の設計資料を暗記するほど惚れ込んでいて、自分が心血を注いだ設備を「欠陥品」と呼ばれることを、何より嫌っていた。
ミレーヌ:「どこがいいんですか! あれは人間側だけでなく、魔族側の極秘の技術まで注ぎ込んだ共同開発の最高傑作ですよ! 修理には両国の技術者が必要なんです! ネジ一本替えるにも、共同の管理台帳の更新と外交上の承認が要るんですよ!」
ガルド:「分かっている!」
ミレーヌ:「分かっているなら、どうしてそんなに落ち着いているんですか!」
ガルド:「落ち着いているように見せているだけだ!」
机の上で、ガルドの手が小刻みに震えていた。ミレーヌは頭を抱えた。
ミレーヌ:「……そもそも、どうやってあんな堅牢な兵器を壊したんです?」
ガルド:「それを今から調べる!」
ミレーヌ:「防衛機構の稼働の記録は!?」
ガルド:「確認中だ!」
ミレーヌ:「魔力反応の解析は!?」
ガルド:「技術班が今、急いで調べている!」
ミレーヌ:「現場を映した映像は!?」
ガルド:「残っているはずだ!」
ミレーヌ:「はず!?」
ガルド:「今、確認しているところだと言っているだろう!」
ミレーヌ:「……あの装置の映像がもし消えていたら、私、記録保管庫ごとひっくり返しますからね!」
ガルド:「今は記録保管庫の心配より、外交問題の心配をしろ!」
ミレーヌ:「両方です!」
ミレーヌは、一歩も引かなかった。彼女にとってガーディアンは、ただの防衛装置ではない。両国の技術を溶け合わせ、長年の血のにじむような調整の末に完成した、技術者たちの到達点だったのだ。
そこへ、通信担当のノノが、血相を変えて駆け込んできた。
ノノ:「警備責任者! 総合受付から、追加の報告です!」
ガルド:「何だ!」
ノノ:「当該のお客様は、現在、更衣室へご案内しております!」
ガルド:「……更衣室?」
ノノ:「はい。衣類の提供を求められたため、浴衣とタオルをお渡ししたとのことです」
管理室が、不自然なほど静まり返った。ノノは、手元の報告書を真面目な顔で読み進める。
ノノ:「なお、受付係によりますと、お客様方は全員、到着時、外見上は『衣服を一切身につけていない状態』に見えたとのことです」
ガルド:「……ノノ君」
ガルドが、ゆっくりと口を開いた。
 ガルド:「その破廉恥な情報は、いま、国家防衛の報告に必要だったか?」
ノノ:「受付からの報告に含まれておりましたので!」
ガルド:「報告に含まれていることと、報告すべき順番は別だ!」
ノノ:「申し訳ありません! ですが、服装に関する事情が、今回の異変の原因に関わっている可能性も――」
ミレーヌ:「……それは、あるかもしれません」
ミレーヌが、急に真顔になって顎に手を当てた。ガルドは、いぶかしげに彼女を見る。
ガルド:「どういうことだ?」
ミレーヌ:「まだ推測ですが、もし『衣服を触媒にして、価値を等しく差し出す魔導』が使われたのだとしたら、装備の消失とガーディアンの破壊は、同じひとつの現象から出ているのかもしれません」
ガルド:「つまり、衣服を失った客が、何らかの魔法でガーディアンを破壊した、と?」
ミレーヌ:「可能性はあります。ただ、実際に残った魔力の痕跡を確かめなければ、断定はできません」
ミレーヌは、技術者として少しだけ落ち着きを取り戻した。原因が分からないことは不安だ。けれど、原因を調べる手掛かりがあるなら、話は別である。
ミレーヌ:「現場の魔力の痕跡を、すぐに採取してください。壊れた装甲の破片も、できるだけ回収を。特に、魔導炉と術式中枢の接続部が残っていれば、最優先で確保してください」
ガルド:「了解!」
ミレーヌ:「それから、設計資料の閲覧に一時的な封をしてください。共同開発の国家機密です。原因が判明するまで、外部への開示は認められません」
ガルド:「……待て」
ガルドが、手を上げた。
ガルド:「そのお客様が、受付で何を求めたのかも確認しておく必要がある」
ノノが、すぐに手元の控えをめくる。
ノノ:「受付の追加報告によりますと、当該のお客様は、ガーディアンの『設計者との直接の面会』を強く希望されています」
ガルド:「……何だと?」
ノノ:「設計図も見たいとのことです。特に、魔力変換機構の構造図と、異変時に出力を抑える仕組みの仕様書をご希望で」
ミレーヌ:「…………」
ミレーヌの顔から、ゆっくりと血の気が引いた。
 ミレーヌ:「……自分で粉々にした装置の設計図を、見たいと言っているんですか?」
ノノ:「そのように報告されています」
ミレーヌ:「……一体どういう神経をしているんです?」
ガルド:「それを確かめるためにも、まず我々が事情を聞く必要があるな」
ガルドは、どうにか警備責任者の冷静さを取り戻そうとしていた。 けれど、ミレーヌの頭のなかでは、技術者としての別の悪夢が始まっていた。
ミレーヌ:(あの堅牢なガーディアンを、正面から叩き潰す人間。その人間が、設計図を見たがっている。 つまり、自分たちが何年もかけて練り上げた最高傑作を見て、どこがどう拙かったか、直接ダメ出しをしてくる可能性が高いのだ。 しかも、その指摘が、ぐうの音も出ない正論だったとしたら――。)
ミレーヌ:「……警備責任者」
ガルド:「何だ」
ミレーヌ:「その客を、絶対に、絶対に設計室へは近づけないでください」
ガルド:「同感だ」
ミレーヌ:「設計室には、共同防衛機構の原本も、未公開の変換技術も、次期改修の計画も保管されているんです! それを、あの装置を瞬殺できる人間が見たら……!」
ガルド:「……他の設備まで壊される、と?」
ミレーヌ:「それもあります。ですが、技術者としてもっと恐ろしいのは――」
ミレーヌは、血を吐くような思いで言葉を絞り出した。
ミレーヌ:「――こちらの設計の拙さを、すべて鼻で笑いながら指摘されることです」
ガルド:「…………」
ガルドは、思わず口を閉じた。
ガルド:「……技術主任。君は、あの装置に致命的な欠陥があると思うか?」
ミレーヌ:「設計としては、非常によくできています。ただ、あれほど複雑な装置に、欠点がまったく無いとは言い切れません」
ガルド:「……そうか」
ミレーヌ:「それでも私は、その弱点を戦いの最中に見抜いて、実際に壊せる人間がこの世にいるとは、思っていませんでした」
ガルド:「……いま、受付の向こうにいるかもしれないわけだな」
ミレーヌ:「はい。しかも、すでに実力で証明しています」
室内に、重い沈黙が落ちた。
 その沈黙を破ったのは、別の冷たい呼び出し音だった。
通信:『施設管理室へ。外交管理部から、緊急の連絡です』
ガルドが顔を上げた。
ガルド:「……今度は何だ」
通信を開くと、氷のように落ち着いた女性の声が響いた。
セレスタ:『外交管理部のセレスタです。共同防衛ガーディアンの機能停止について、報告を受けました』
セレスタは、両国間の通行協定と外交手続きを預かる、エリート職員である。滅多に声を荒らげない。荒らげる必要がないからではない。荒らげたところで、協定文書の条項は一文字も変わらないと、冷徹に知っているからだ。
セレスタ:『まず、事実関係を確認します。扉は、正規の通行手形を経ずに、不正に開かれたのですね?』
ガルド:「……現時点では、封印が不正に破られた可能性が高い」
セレスタ:『そして、共同防衛ガーディアンは、その過程で物理的に破壊されたと』
ガルド:「そうだ」
セレスタ:『では、これを単なる設備の「故障」として処理することは、できません』
ガルド:「……やはり、そうなるか」
セレスタ:『はい。通行手形の不成立、封印の強制解除、防衛装置の起動と破壊。これらが連続して起きたのであれば、国際協定上の安全管理に関わる「特級事案」として、正式に記録する必要があります』
セレスタの声は、どこまでも淡々としていた。
 セレスタ:『ただし、いまの時点で、お客様方を敵対勢力と判断することもできません。事情の確認が終わっていない以上、意図的な武力侵攻と断定することは避けるべきです』
ガルド:「……つまり、どう対応する?」
セレスタ:『お客様としての安全と権利を確保しながら、事実関係を慎重に確認します。同時に、両国の担当部署へ第一報を送ります。報告の表現は、確かな事実と、推測を、はっきり分けてください』
ノノが、慌てて記録を取る。
ノノ:「事実と推測を分ける……!」
セレスタ:『たとえば「人間の客がガーディアンを破壊した」と断定するのではなく、「扉の向こうから到着した一行のうち、少なくとも一名が、ガーディアンの破壊に関与した可能性がある」と記してください』
ミレーヌ:「……ずいぶん政治的で、慎重な書き方ですね」
セレスタ:『外交文書は、ノリと勢いで書くものではありませんので』
セレスタは、ほんの少し間を置いた。
セレスタ:『それから、管理室の誰かが「人間側が共同防衛装置を意図的に攻撃した」といった言い方を連絡網に流した場合は、ただちに訂正してください。原因も目的も、まだ何ひとつ確定していません』
ガルド:「了解した」
セレスタ:『もうひとつ。来訪者を拘束する、あるいは敵対的な行動を取るといった判断を、現場の警備だけで独断しないように。この施設は、両国の不可侵協定のもとにあります。対応を誤れば、ガーディアンの破壊とは別の、大きな国際問題が生まれます』
ガルド:「……分かった」
ガルドは、深く息を吐いた。ミレーヌが、思わず呟く。
ミレーヌ:「つまり、装置を壊された挙句に、こちらが対応を間違えても外交問題になる、ということですか……」
セレスタ:『そのとおりです。理不尽ですが』
ミレーヌ:「……私たちの仕事、増えすぎていませんか?」
セレスタ:『それが、外交管理部の仕事ですので』
セレスタの声には、微塵の感情もなかった。
 セレスタ:『では、正式な第一報の文書を作成します。施設側は、来訪者の安全確保と、現場の証拠の保全を優先してください』
通信が切れた。管理室に、再び重い沈黙が落ちる。
ミレーヌ:「……ガルド責任者」
ガルド:「何だ」
ミレーヌ:「私は今、自分のガーディアンを直したいのか、それを壊した変態天才に会いたいのか、自分でも分からなくなってきました」
ガルド:「両方、いっぱいいっぱいだろうが、いったん我慢してくれ」
ミレーヌ:「……分かりました」
ミレーヌは素直に頷いた。ただし、その血走った目は、現場から運ばれてくる破片の記録に、すでに釘付けになっていた。
◇
管理室の隣の通信卓。
ノノ:「第一報を、各所へ送ります!」
通信担当のノノが、両手を忙しく動かしていた。目の前には、いくつもの通信結晶が並んでいる。施設内の警備班。技術班。外交管理部。そして、魔王側の統治機構、すなわち魔王城へ直結する最優先の回線。
ノノ:「報告文、読み上げます! 本日、施設入口に設置された共同防衛ガーディアンが、何者かの攻撃によって機能を停止――」
セレスタ:『待ってください』
結晶から、セレスタの氷の声が割り込んだ。
セレスタ:『「何者かの攻撃」と断定する根拠は、まだありません』
ノノ:「で、では……共同防衛ガーディアンが、何らかの事象により機能を停止……」
セレスタ:『その表現なら、現時点では問題ありません』
ノノ:「承知しました!」
ノノは、慌てて文面を書き換えた。
ノノ:「続いて、装置の破壊に関与した可能性のある来訪者について――」
セレスタ:『「関与した可能性のある『一行』」ですね』
ノノ:「はい!」
セレスタ:『……ノノさん、外交文書では、主語と述語の対応も正確に確かめてください』
ノノ:「はい! 申し訳ありません!」
ノノは、真剣な顔で頷いた。彼女は非常に几帳面な職員で、命じられたことは必ず守り、報告された内容は一字一句正確に記録する。ただし、緊急時になると、正確さを意識しすぎるあまり、必要以上に細かい情報まで全部盛り込んでしまう悪癖があった。
ノノ:「……これで、第一報の文面は、完璧に仕上がりました!」
セレスタ:『送信の前に、もう一度、全体を確認してください』
ノノ:「はい!」
ノノは、最初から読み直した。共同防衛装置の機能停止。扉の異常な開放。現場の損傷。来訪者の安全確認。技術資料の閲覧要望。そして、最後の一文。
 ノノ:「……なお、当該のお客様は、現在、更衣室で着替えを行っており、施設の利用についても、通常どおり問い合わせをされています」
セレスタ:『……ノノさん。その情報は、第一報に必要でしょうか?』
ノノ:「えっ。ですが、お客様の現状を正確にお伝えするためには……」
セレスタ:『それは、施設内の経過報告に記載してください。魔王城への外交上の第一報には、必要ありません』
ノノ:「……分かりました」
ノノは、しゅんと肩を落とした。 けれど、次の瞬間。
ノノ:「……あの、セレスタさん」
セレスタ:『何でしょう』
ノノ:「お客様から、『温泉の利用』について問い合わせがありました」
セレスタ:『……はい?』
ノノ:「通常どおりご利用いただけるかどうか、確認を求められています」
通信の向こうで、長い沈黙があった。
セレスタ:『……ノノさん』
ノノ:「はい」
セレスタ:『それは、外交管理部ではなく、施設運営部へ確認してください』
ノノ:「分かりました!」
ノノは、何の疑問も持たず、次の連絡先へ結晶を持ち替えた。その純粋な几帳面さが、館内の混乱にさらなる火種を撒いていることを、本人だけは知らなかった。
◇
同じころ、施設運営部。
イサーク:「……温泉の利用確認、だと?」
運営責任者のイサークは、通信結晶を片手に、眉間を深く押さえた。宿泊の受付から食事の手配、浴場の湯温の管理、備品の在庫、清掃の人員配置まで、施設の運営に関わることなら何でも完璧に把握している男だ。だからこそ、目の前の事態がどれほど異常なのかも、正確に理解していた。
イサーク:「ノノ君。確認するが、国境の共同防衛ガーディアンは破壊されたのだな?」
 ノノ:『はい。現場から、全損との報告が届いています』
イサーク:「そして、その破壊に関わった可能性のあるお客様が、いま、『温泉に入りたい』と受付で言っている?」
ノノ:『はい。受付から、そのように』
イサーク:「……」
イサークは、ゆっくりと革張りの椅子に座り直した。
イサーク:「浴場の設備は正常だな?」
ノノ:『点検の記録では、正常です』
イサーク:「湯温は?」
ノノ:『通常の範囲内です』
イサーク:「給湯の経路に、魔力の乱れは?」
ノノ:『現在、確認を依頼しています』
イサーク:「分かった。浴場の安全が確認できたら、通常どおりご案内してくれ。警備上の理由で閉鎖が必要なら別だが、問題のないものを、こちらの混乱だけで止めてサービスを落とす理由はない」
ノノ:『承知しました』
イサーク:「食事も通常どおりだ。お怪我の有無を確かめ、必要な衣類と休息の場所を用意すること。お客様を、不必要に不安にさせてはいけない」
ノノ:『はい』
イサークは、そこで少しだけ声を落とした。
イサーク:「……ただし、設計資料と設計室へのご案内は、正式な許可が出るまで保留にしてくれ」
ノノ:『承知しました』
通信が切れた。イサークは、重い溜息をついて天井を仰いだ。
イサーク:「……施設の一大事の日に限って、客へのもてなしを最高の水準に保たねばならんとはな」
一流の宿の運営者として、どれほど混乱していても、お客様へのサービスを乱さないことが彼の信条だった。だが、今回は少々、規模が違う。客が壊したのは、浴場の水栓でも、客室の魔導灯でもない。両国共同の防衛装置なのだから。
イサーク:「……まあ、壊れたものは仕方がない。まずは、目の前のお客様に、できる最高のおもてなしをするしかない」
 イサークは立ち上がった。
イサーク:「浴場の安全確認を急いでくれ。それから、食事処の厨房には、念のため食材を少し『多め』に用意するよう伝えておこう」
部下が、驚いて振り向く。
部下:「多め、ですか?」
イサーク:「あの装置を破壊できる規格外の魔法使いだ。どれほど召し上がるか、見当がつかない」
部下:「食事の量まで、警戒対象なのですか?」
イサーク:「警戒ではない。プロとしての備えだ」
イサークは、真顔で答えた。非常時でも、宿の営みを成り立たせることを最優先に考える人間である。その結果、彼の頭のなかでは、外交問題と食材の在庫が、同じ重さで並び始めていた。
◇
そして、魔王城へ通じる緊急通信室。
通信:『 共同防衛ガーディアン、完全に機能停止 』 通信:『 正規の通行手形を経ず、門が開いた可能性あり 』 通信:『 来訪者一行、温泉接待所内に滞在中。負傷者なし。安全を確認中 』 通信:『 来訪者のうち一名が、ガーディアン設計者との面会を希望 』
報告が、短い間隔で次々と届く。魔王軍の統治機構の通信担当官は、記録を整理しながら、思わず眉をひそめた。
通信担当官:「……報告の内容が、あまりに噛み合っていないのですが」
隣にいた上級書記官が、静かに答える。
 上級書記官:「噛み合っていないのではありません。すべてが、同時に起きているのです」
通信担当官:「……それが、一番理解しづらいのですが」
上級書記官:「私も、全く同感です」
上級書記官は、最後の報告を読み返した。
上級書記官:「ガーディアンを壊した可能性のある客が、設計者との面会を希望している……」
通信担当官:「はい」
上級書記官:「そのうえ、温泉と食事を、通常どおり利用したいと……」
通信担当官:「はい」
上級書記官:「……本当に、同じ人物についての報告ですか?」
通信担当官:「総合受付からの報告では、そうなっています」
上級書記官は、しばらく黙っていた。それから、魔王の私室へ直結する正式な緊急用の結晶を手に取った。
上級書記官:「……魔王陛下へ、第一報を入れます」
通信担当官:「現在、陛下は優雅にご入浴中とのことですが」
上級書記官:「承知しています。緊急事態であることだけをお伝えし、詳細は湯上がり後にご報告する旨を添えてください」
通信担当官:「はい」
命令が飛び交い、結晶が次々と灯る。施設内の騒ぎは、外交管理部を経由し、魔王側の統治機構の中枢にまで広がっていた。それでも、誰ひとりとして、来訪者に敵対的な態度を取ろうとはしなかった。 問題は、あの来訪者が一体何者なのか、まだ誰にも分からないことだった。
◇
一方、すべての元凶がいる更衣室の前。
この時点での私たちにとって、本当の修羅場は、受付とのやり取りではなかった。 『身内での清算』である。
シャルロット:「……ルイズさん」
浴衣を羽織り、ようやく人としての尊厳を最低限取り戻したシャルロットが、般若(はんにゃ)のような顔で私を振り返った。
ルイズ:「はい?」
シャルロット:「先ほど、わたくしたちの衣服の補償について『承知した』とおっしゃいましたわね?」
ルイズ:「ええ。 今後の研究予算の枠から、特別損失として補償費を確保します。 私の口座から精算しますので、ご安心を」
シャルロット:「……ふふっ。 お金で解決する問題だと、思っておいでですのね」
シャルロットの笑顔が、かつてないほど深く、黒く輝いた。
 シャルロット:「わたくしの失われたあのお洋服、王都随一の仕立屋に特注した、一着八万クローネの品ですのよ。 下着も合わせれば、十万クローネは下りませんわ」
ルイズ:「……十万、ですか」
シャルロット:「マリアンヌとジュリエットの分も合わせれば、軽く二十万クローネを超えますわね」
ルイズ:「……なるほど。 かなりの痛手です」
シャルロット:「ええ。 ですが、問題は金額ではありませんの」
シャルロットは、ずいっと私の鼻先まで顔を近づけた。
シャルロット:「公爵令嬢たるこのわたくしを、見知らぬ施設の受付嬢の前で『全裸』で立たせたこと。 その精神的苦痛への慰謝料ですわ」
ルイズ:「……慰謝料」
シャルロット:「ええ。 これは単なる衣服の弁償では済まされない、重大な名誉の毀損(きそん)と、尊厳の侵害ですわよ、ルイズさん」
シャルロットの背後で、マリアンヌとジュリエットも腕を組み、無言の圧をかけている。
足元のトトが、 トト:「自業自得やで……」 と呟きながら目を逸らした。 カメ吉に至っては、すでに完全降伏の構えで、甲羅の奥に引きこもっている。
カメ吉:「キュィ(ワイ、まだ何も言うてへんけど、反省はしとるで)」
トト:「言うてへんなら、反省しとるかどうかも分からんやろ。 ……ほら、顔出したらあかん。 いま出たら一緒に怒られるで」
私は、頭のなかの家計簿を、全力で回した。
衣服代が二十万クローネ。 そこに、公爵令嬢への慰謝料。 払えない額ではない。 ただ、今後の研究資産を築くうえで、大きな痛手になる出費だ。
 この損失を、合理的に打ち消す方法はないだろうか。
私の思考が、瞬きの間に解決策を探り当てる。
そうだ。 ここは魔王側の施設で、私は先ほど『ガーディアンの設計者との面会』を求めた。 もし、その設計者が現れたら。 そして、その設計の技術をこの手に収められたら。 あるいは、運営側から、『ガーディアンの弱点を指摘した相談料』として、まとまった報酬を引き出せたら。
ルイズ:「……シャルロットさん」
シャルロット:「何ですの。 言い訳は聞きませんわよ」
ルイズ:「いえ。 この補償問題について、ひとつ建設的な提案があります」
シャルロット:「提案?」
ルイズ:「はい。 この施設の設計者から得られるはずの『技術上の利益』を、慰謝料の代わりとして、皆様で分け合うというのはいかがでしょう」
シャルロット:「……は?」
ルイズ:「未知の魔族技術の特許、あるいは技術顧問の報酬。 それらを換金すれば、お洋服代の二十万クローネなど、軽く回収できる見込みです」
シャルロット:「……」
ルイズ:「ですから、どうかこの場は、私という『優秀な投資先』への、一時的な出資だとお考えいただけませんか?」
私は、最大限の誠意、という名の営業の笑顔を込めて、シャルロットを見つめた。
シャルロットは、数秒のあいだ、完全に無言になった。
マリアンヌとジュリエットも、ぽかんと口を開けている。
トトが、頭を抱えて呻いた。
トト:「……あかん。 こいつ、自分が丸裸にした被害者に向かって、まだ商談を持ちかけとる……。 人の心とか、ないんか……」
シャルロット:「……ルイズさん」
シャルロットの声は、氷のように冷たかった。
ルイズ:「はい」
シャルロット:「その提案で、もし一クローネでも赤字が出たら、あなたのその『透明ドレス』を剥ぎ取って、王都の広場に吊るし上げますからね」
ルイズ:「……っ!?」
シャルロット:「わたくしは本気ですわよ。 名門ヴァーミリオン家の誇りにかけて、必ず実行いたしますわ」
ルイズ:「……承知しました。 必ず、黒字にしてみせます」
私は、自らの最大の資産、すなわち着心地を守るため、冷や汗を流しながらも力強く頷いた。
 ユノ:「お客様。 館内のご案内が整いましたので、お知らせいたします」
そこへ、完璧な間合いで、受付係のユノが現れた。 先ほどとまったく変わらない笑顔で、淡々と説明を始める。
ユノ:「浴場は、通常どおりご利用いただけます。 お食事のご用意も可能です。 なお、技術的なお問い合わせにつきましては、担当部署に確認を取っておりますので、今しばらくお待ちくださいませ」
ルイズ:「ありがとうございます。 では、温泉のあとに、お食事をいただいてもよろしいでしょうか?」
ユノ:「もちろんでございます」
ルイズ:「それは助かります。 ちょうど、少しお腹が空いていたので」
ユノ:「……かしこまりました」
ユノは、穏やかに頭を下げた。
私の隣では、浴衣姿のシャルロットが、何とも言えない表情でこちらを見つめている。
シャルロット:「……ルイズさん」
ルイズ:「はい?」
シャルロット:「わたくしたちが今、どのような状況に置かれているか、本当に理解していらっしゃいますわよね?」
ルイズ:「はい。 未知の外交施設に到着し、国境の共同防衛装置を壊してしまったため、運営側が対応を検討している最中です」
シャルロット:「……それを理解していて、温泉と食事のお話をしているのですの?」
ルイズ:「ええ。 待ち時間を有効に使うためです。 時は金なり、ですよ」
シャルロット:「…………」
シャルロットは、深く息を吐いた。 その肩越しに、トトが顔を出す。
トト:「……まあ、ええんちゃうか。 少なくとも、受付のお姉さんは仕事をしてくれとるし、ルイズはんは『黒字にする』て約束したんやから。 今は大人しく温泉に浸かって、飯を待つのが一番平和やろ」
シャルロット:「そうですわね……。 わたくしも、少し休みたいですわ」
ルイズ:「では、決まりですね」
私は、明るく頷いた。
ルイズ:「温泉に入って、食事をいただいて、それから設計者の方とお話ししましょう」
シャルロット:「ルイズさん……」
ルイズ:「はい?」
シャルロット:「どうか、これ以上、国際的な問題を増やさないでくださいませね」
ルイズ:「……努力します」
その返事を聞いて、シャルロットは、なぜか不安そうに目を閉じた。
ユノは、そのやり取りを静かに見守りながら、胸のうちでひとつの結論に至っていた。
――このお客様には、できる限り丁寧に対応しよう。
それが、いまの施設にとって、最も安全な選択であるように思えたからだ。
 もっとも、その判断が正しいかどうかは、まだ誰にも分からなかった。
そのころ、施設管理室の通信卓には、受付からの最新の一報が灯っていた。
『 来訪者一行、温泉の利用を希望。 お食事の提供についても、問い合わせあり 』
その一文を読んだ技術主任のミレーヌは、再び机に突っ伏したという。
ミレーヌ:「……ガーディアンをスクラップにしたあとに、温泉で、お食事……? いったい、何を考えているのよ……」
誰にも、答えられなかった。
人間界と魔族領のあいだに設けられた、両国共同管理の『緩衝地帯』。
その一角に、古くから両国の外交使節を迎えてきた温泉接待所がある。 人間界側の古代の扉を抜けた先に建ち、奥には、魔族領へ通じるもう一枚の扉が控えていた。
その最奥、特級の特別浴場で、ひとりの女性が極上の湯を心ゆくまで味わっていた。
アスタロト:「……ああ。 やはり、ここのお湯は素晴らしいわね」
白い湯気が、静かに立ち昇る。
最高級の総檜(そうひのき)を組んだ広い浴槽。 磨き込まれた黒檀の床。 庭には、岩と草木が寸分の狂いもない均衡で配されていて、飴色の湯面には、天井から落ちる柔らかな光が揺れていた。
 女性は、浴槽の縁に頭を預けて目を細める。
見た目は、二十歳前後の若い娘にしか見えない。 夜の闇を溶かしたような黒髪。 透き通る白磁の肌。 彫刻のように整った顔立ち。 そして、無防備な湯のなかでも隠しきれない、長い年月を生き抜いてきた者だけの、静かな落ち着き。
実年齢は、三百歳。
魔族領の一角を治める、現職の魔王アスタロトである。
もっとも、彼女は今だけは、その重い肩書きを忘れていたかった。
アスタロト:「……あと少しだけ。 少しだけよ……」
湯の加減は、絶妙だった。
熱すぎず、ぬるすぎず。 魔族の体質に合わせた保温と、疲れを癒やすかすかな治癒の魔力まで、細やかに調えられている。 数ある保養地のなかでも、彼女がとりわけ気に入っている湯だった。
ここが外交上の最重要拠点であることは、百も承知している。 だからこそ、普段は玉座の務めに追われ、ゆっくり湯に浸かる暇などない。 今日は、数カ月ぶりの『完全休息日』だった。 緩衝地帯の管理に問題はなく、巡回の報告も良好。 人間界側の見張りにも、これといった異変はない。
領内の政務は、信頼のおける留守役たちに任せてある。 ならば、今日くらいは政務を離れ、ただの客として極上の時間を味わってもいいだろう。
 アスタロト:「……湯上がりのお食事も、楽しみね」
縁に置かれた茶器へ手を伸ばす。
このあとには、両国から引き抜いた一流の料理長たちが、腕によりをかけた季節の特別膳が待っている。 魔族領特産の蒸し野菜。 香草を効かせた、人間界の上等な肉料理。 そして、この温泉の地熱で仕上げる名物の一皿。
想像しただけで、統治者の威厳がほどけて、頬がふにゃりと緩んだ。
そのときだった。
浴場の入口に置かれた連絡結晶が、チリチリと控えめに光った。
アスタロト:「……何かしら」
血のような真紅の『緊急』の光ではない。 通常の連絡に使う、淡い青色だ。 少なくとも、いますぐ施設が揺らぐような騒ぎではないはずだった。
そういえば、先ほど書記官から『緊急ですが、詳細は湯上がりのあとで』という、妙に歯切れの悪い伝言が届いていた。 あれと関わりがあるのかもしれない。
彼女は湯から上がらず、肩まで浸かったまま、結晶に魔力を流した。
アスタロト:「どうしたの?」
ユノ:『魔王陛下。 総合受付より、至急ご報告したい件がございます』
受付係のユノの声は、いつもの完璧な接客のものではなかった。 ほんの少し硬く、張りつめている。
 アスタロト:「……受付から?」
ユノ:『はい。 ご来館されたお客様に関する件でございます』
彼女は、小首をかしげた。
今日、外交使節が訪れる予定はなかった。 事前に通行の許可を申請した要人もいない。 となれば、通常の宿泊客か、緩衝地帯を通る商人の一団だろう。
アスタロト:「どうぞ。 聞かせてちょうだい」
ユノ:『人間界側の古代の扉が、開きました』
アスタロト:「……そう」
彼女は、茶器を静かに置いた。
古代の扉。 人間界と緩衝地帯を結ぶ、不可侵の外交施設。 双方の認証と通行の条件が揃わなければ開かない。 無理に封印をこじ開けようとすれば、迎撃のための『共同防衛機構』が動く。 そういう設計になっている。
アスタロト:「人間側から、正規の通行の手続きがあったの?」
ユノ:『いえ。 正規の認証は、成立しておりません』
アスタロト:「……では、防衛機構のガーディアンが起動したのね」
ユノ:『はい』
アスタロト:「それで?」
落ち着いた統治者の声で、先を促す。 声色に、揺らぎはない。 ただ、茶器の縁にあった白く細い指先が、ぴたりと止まっていた。
ユノ:『――共同防衛ガーディアンが、完全に機能を停止いたしました』
アスタロト:「…………」
ちゃぷん、と、飴色の湯面がかすかに揺れた。
彼女は、しばらく返事をしなかった。
アスタロト:「……ごめんなさい。 お湯の音で、少し聞き間違えたかしら」
ユノ:『共同防衛ガーディアンが、完全に機能を停止いたしました』
アスタロト:「……停止?」
ユノ:『はい』
アスタロト:「定期点検による停止ではなく?」
ユノ:『違います』
アスタロト:「胸部の魔導炉が、一時的に調子を崩しただけでもなく?」
ユノ:『そのようなご報告ではございません』
アスタロト:「……物理的な損傷が、確認されたということ?」
ユノ:『はい。 現場からの第一報では、胸部の魔導炉、背部の制御機構、術式の中枢のいずれも、原形を留めていないとのことです』
彼女は、ゆっくりと目を閉じた。
深呼吸。 もう一度、深呼吸。
 三百年の歴史のなかで培った統治者の冷静さを、意識の底から呼び戻す。
アスタロト:「……分かったわ。 続けて」
ユノ:『現在、技術班と警備班が、現場へ向かっております。 また、装置を破壊したと思われるお客様は、すでに館内へご案内しております』
アスタロト:「お客様が……壊したの?」
ユノ:『はい。 受付の判断では、そのお客様が原因である可能性が、極めて高いとのことです』
彼女は、眉間を指先で押さえた。
共同防衛ガーディアン。 人間側の大出力の魔導炉と、魔族側の精緻な術式制御を溶け合わせた、両国共同の最高傑作。 本質は、火力そのものではない。 まるで異なる二つの技術体系が、互いの弱点を補い合う、その複雑な組み上げにこそ真価がある。 長年の研究と国家予算を注ぎ込んで、ようやく完成させたものだった。
それを、正規の認証も通さずに扉を開けようとした者が、壊した。
アスタロト:「……そのお客様について、いま分かっていることは?」
ユノ:『人間の女性と、同行の女性が三名。 それに、白い小型の使い魔と、小さな魔獣と思われる個体が、同行しております』
アスタロト:「女性……?」
ユノ:『はい。 破壊したご本人は、非常に落ち着いておられるそうです。 ガーディアンを壊した直後も、悪びれる様子はなく、装置の設計者との面会を希望されたとのことです』
アスタロト:「……設計者?」
ユノ:『はい。 装置の設計の考え方や、魔力の変換機構について、直接、質問をなさりたいと』
アスタロト:「…………」
魔王は、湯のなかで、ゆっくりと背筋を伸ばした。
ひっかかったのは、壊した事実そのものよりも、そのあとの行動だった。
単に、とんでもない大魔法で吹き飛ばしただけなら、まだ対処の見当がつく。 魔力の規模を調べ、使われた術式を読み解き、それに応じた備えを整えればいい。
けれど、もし相手が、装置の構造を理解したうえで、機能を支える急所を見抜いて壊したのだとしたら。
それは、話の次元が違う。 両国の技術者が何年もかけて慎重に組み上げた仕組みを、戦いのわずかな時間で読み解く怪物がいる、ということになる。 そのうえ、壊したまま放り出すのではなく、設計者本人から構造の話を聞こうとしているのだ。
 アスタロト:「……いったい、何を考えているのかしら」
未知の技術に興味を持つこと自体は、学者として不自然ではない。 しかし、国家級の防衛装置を瞬殺できる力を持ちながら、直後に設計の考え方を尋ねようとする。 その振る舞いは、ただの侵略者とも、狂ったテロリストとも違っていた。
アスタロト:「……その女性は、魔法使いなの?」
ユノ:『その可能性が高いと考えられます。 ただ、使われた魔法の詳細は、現場の痕跡があまりに綺麗で、現時点では特定できておりません』
アスタロト:「武器は?」
ユノ:『通常の武器による破壊ではない、という見方が出ております』
魔王は、静かに息を吐いた。
魔法か。 特殊な魔導具か。 あるいは、その両方を組み合わせた未知の技か。 いずれにせよ、軽く見ていい相手ではない。
アスタロト:「……分かったわ」
彼女は、努めて穏やかな声で告げた。
アスタロト:「まずは、お客様の安全を最優先にしてちょうだい。 お怪我の有無を確かめて、必要な衣類と休む場所を用意すること。 警備のガルドには、不用意に刺激しないよう伝えて」
ユノ:『承知いたしました』
アスタロト:「それから、ガーディアンの残骸には、技術班以外は触れないように。 現場の魔力の痕跡も保存しておいて。 原因がはっきりするまでは、壊されたという事実だけで、ミレーヌたちの設計に欠陥があったと決めつけてはいけないわ」
ユノ:『かしこまりました』
判断は、明確だった。
まず守るべきは、人命。 次に、施設の安全。 そのうえで、何が起きたのかを把握する。 責任の追及や外交の駆け引きは、原因が分かってからでも遅くない。 彼女は三百年のあいだ、数々の外交問題と軍事の危機を冷静に捌いてきた。 断片的な報告だけで感情的に動くほど、経験は浅くない。
もっとも、内心では、別の大きな頭痛の種が膨らみ始めていた。
共同防衛ガーディアンを破壊できる力を持ちながら、外交施設の受付で、設計者との面会を求める人間。 その目的は何か。 情報を集めたいのか、技術を研究したいのか、それとも、ただ好奇心を満たしたいだけなのか。 どれであっても、扱いを間違えれば大戦争になる。
アスタロト:「……そうだわ」
魔王は、ふと思いついたように顔を上げた。
 アスタロト:「お客様には、温泉を通常どおりご利用いただけるようにしてちょうだい。 お食事も、こちらで特別に用意しましょう」
ユノ:『……はい?』
結晶の向こうから、完璧な接客係ではない、ユノの素の声が漏れた。
アスタロト:「せっかく、ここまでいらしたのですもの。 まずは、長旅の疲れを癒やしていただくべきでしょう」
ユノ:『陛下。 それは、あの国境の防衛ガーディアンを粉砕されたお客様への対応、ということで、よろしいのでしょうか?』
アスタロト:「ええ。 何か問題がある?」
ユノ:『い、いえ……』
アスタロト:「相手が何を考えているのか、まだ分からないのよ。 ならば、こちらから敵意を見せる理由はないわ。 まずは施設の『大切なお客様』として丁重にお迎えして、落ち着いてお話を伺いましょう」
彼女は、穏やかに続けた。
アスタロト:「それに、せっかくの温泉接待所ですもの。 お客様に寛(くつろ)いでいただくことも、私たちの大切な仕事でしょう?」
ユノ:『……仰るとおりでございます』
アスタロト:「食事は、イサークたちに任せて。 初めてのお客様でも楽しんでいただける、季節の特別膳をお願いしたいわ」
通信を切ろうとして、彼女は、もうひとつ現実的で重要なことを思い出した。
アスタロト:「……それから」
ユノ:『はい』
アスタロト:「ガーディアンの修理費と再建費用の見積もりも、急いで出しておいてちょうだい。 修理できるかどうかも分からないでしょうから、交換部品の調達と、設計をやり直す場合の費用も含めてね」
ユノ:『…………』
アスタロト:「どうしたの?」
ユノ:『……承知いたしました』
返答が、わずかに遅れた。
魔王は、その声に滲んだ深い疲労に気づいたが、あえて触れなかった。 必要な指示は出した。 あとは、現場からの報告を待てばいい。
ユノ:『それと、陛下』
アスタロト:「何かしら?」
ユノ:『お客様は、設計者との面会を強く希望されております。 面会が実現した場合、どこまで技術の情報を開示すべきでしょうか?』
魔王は、少しだけ考えた。
安易に断れば、相手を刺激するかもしれない。 かといって、共同防衛機構の中身を、無条件に明かすわけにはいかない。
アスタロト:「……まずは、こちらで直接お話を伺うわ。 技術の開示については、そのあとで判断しましょう」
ユノ:『陛下ご自身が、ですか?』
アスタロト:「ええ」
ユノ:『……かしこまりました』
通信が切れ、浴場に静寂が戻った。
魔王は、しばらく木目の美しい天井を見上げていた。 それから、ゆっくりと肩まで湯に沈んだ。
 アスタロト:「…………はぁ」
先ほどまでの穏やかな表情が、わずかに崩れる。
アスタロト:「……とんでもないお客様が、来てしまったわね」
相手の実力は、まだ見えていない。 報告だけで断定することはできないし、だからこそ危険を見誤るわけにはいかなかった。 共同防衛ガーディアンは、力押しで簡単に壊せる装置ではない。 あれを完全に沈黙させる技が存在する。 その事実だけで、国の安全に関わる大問題だった。
アスタロト:「……人間側も、ずいぶん面白い人材を抱えているのね」
そう呟いてから、魔王は、ふと気づいた。
自分は今、相手の実力を警戒している。 それと同時に、胸の奥で研究者としての気質が、小さく疼(うず)いている。
あの装置を壊した人間は、どこに目をつけ、どういう筋道で、両国共同の防衛機構を止めたのか。 そして、なぜその直後に、設計者との面会を求めたのか。 ただの破壊者なら、設計に興味を持つ理由はない。 けれど、その人物は違うらしい。 自ら壊した装置の『仕組み』を、知りたがっている。
その一点が、魔王の知的好奇心を、強く刺激していた。
アスタロト:「……話してみないと、分からないわね」
彼女は、静かに湯から上がった。
柔らかなタオルで白い肌を拭き、脱衣所へ向かう。 控えていた侍女が、そっと衣装を差し出しながら、おずおずと口を開いた。
侍女:「陛下。 お顔が、少々……」
アスタロト:「少々、何かしら?」
侍女:「……お湯上がりにしては、緊張しておいでのようで」
アスタロト:「気のせいよ」
魔王は、涼しい顔で答えた。
 脱衣所の鏡に、自分の姿が映る。 二十歳前後に見える若い女性。 けれど、その瞳の奥には、三百年分の重い経験が積み重なっている。 魔王としての責務。 領民を守る義務。 人間側との平和協定を保つ必要性。 どれひとつ、軽んじることはできない。 未知の相手に興味を抱いたとしても、統治者としての優先順位は変わらなかった。
アスタロト:「……さて」
用意された美しい衣装に袖を通し、いつもの威厳を取り戻すように、すっと背筋を伸ばす。
アスタロト:「まずは、お客様をお迎えしましょう」
そう言ってから、彼女は少しだけ口もとを緩めた。
アスタロト:「……その前に、お食事の確認ね」
料理長が用意する特別膳。 それだけは、何としても妥協したくなかった。
ガーディアンの修理費を思うと頭が痛い。 再建となれば、さらに厄介だ。 けれど、せっかくの温泉接待所で、お客様に不快な思いをさせるわけにはいかない。 そして何より、彼女自身が、まだ極上の湯の余韻と、美味しい食事を楽しんでいたかった。
アスタロト:「……今日は、長い一日になりそうね」
魔王は、静かに扉を開けた。
その顔には、先ほどまでの動揺は、少しも残っていない。 ただ、心の奥底では、ひとつの疑問が、何度も繰り返されていた。
――いったい、どんな人間が来たというのだろう。
両国の技術を結集した防衛装置を壊し。
 その直後に、設計者との面会を求め。
のんきに、温泉と食事まで楽しもうとしている人間。
魔王は、ほんの少しだけ、会うのが楽しみになっている自分に気づいた。
アスタロト:「……ふふ。 面白い方だといいのだけれど」
その呟きは、誰に聞かれることもなく、湯上がりの廊下へ溶けていった。
――相手が、彼女の想像をはるかに超えた『常識外れのドケチな全裸魔女』であることなど、このときの魔王は、知る由もなかった。
温泉接待所の最奥には、各国の要人を迎えるための、特別応接間が設けられていた。
床には、塵ひとつなく手入れされた極上の畳。 磨き上げられた縁側の向こうには、枯山水を模した、静かな庭が広がっている。 鹿威(ししおど)しが時折コン、と澄んだ音を鳴らし、庭石の間を流れる水音が、部屋の張りつめた静けさをいっそう引き立てていた。
入浴と食事を終えた一行は、浴衣姿のまま、この部屋へ通されていた。
その畳の上で、ルイズは、ふかふかの座布団に正座して、湯上がりに出された最高級の玉露を、無表情ですすっていた。
 ルイズ:「……このお茶、抽出の温度が極めて適切ですね。 見事な熱の使い方です」
シャルロット:「……そこに感心しますの?」
向かいのシャルロットが、寿命が十年は縮んだような疲れた顔で呟いた。
ルイズ:「ええ。 湯上がりのお茶としては、かなり合理的な配慮です。 熱すぎず、冷めすぎず、茶葉の香りもまったく損なわれていません。 この陶器の保温性も、客の滞在時間を見込んで選ばれているようです」
シャルロット:「……ルイズさん」
ルイズ:「はい?」
シャルロット:「今は、お茶の品評をしている時間ではないと思いますわ」
ルイズ:「そうでしょうか?」
シャルロット:「そうですわ!!」
シャルロットは、白い両手で顔を深く覆った。
彼女たちがいるのは、人間界と魔族領のあいだに置かれた不可侵の外交施設の、ど真ん中である。 しかも、つい先ほど、両国の技術と国家予算を注ぎ込んだ共同防衛ガーディアンを、ルイズが粉々にしたばかりなのだ。 施設の責任者がどんな判断を下すのか。 どれほどの賠償を問われるのか。 あるいは、戦争にまで発展するのか。 何ひとつ分かっていない。 普通なら生きた心地がせず、お茶の味など分かるはずもなかった。
けれど、ルイズの頭の造りは、根本から違う。
未知の高度な技術が眠る特級の施設で、極上の温泉に浸かり、一流の食事をタダでいただき、優れた設備を観察できる。 何物にも代えがたい『利益』だった。 厄介事が起きたのなら、解決すればいい。 賠償を求められるのなら、相談料と相殺して、できる範囲で収めればいい。 そのためにも、まずは落ち着いて、情報と栄養を集めなければならないのだ。
ルイズ:「……それにしても、設計者の天才技術者の方は、いつ来てくださるのでしょうね。 早く技術討論を始めたいのですが」
シャルロット:「ルイズさん!!」
ルイズ:「はい?」
シャルロット:「設計者の方とのんきにお話しする前に、この土地を治める魔王陛下へ、土下座でお詫びと事情を説明するのが先ではありませんの!?」
ルイズ:「……ああ、なるほど」
ルイズは、腑に落ちたように小さく頷いた。
ルイズ:「確かに、この施設の最高責任者には、装置を壊した経緯を説明する必要がありますね」
シャルロット:「そうですわ! わたくしたちの首が物理的に飛ぶかどうかの瀬戸際ですのよ!」
ルイズ:「では、魔王陛下に、設計者の方との面会を『取り次いで』いただきましょう」
シャルロット:「……どうして、話の着地点がまたそこへ戻りますのっ!」
シャルロットが、とうとう限界を迎えて、再び頭を抱えた。
――そのとき。
部屋の外の廊下から、足音すら立てない静かな気配が、近づいてきた。
 メイド:「失礼いたします。 ――魔王陛下が、お見えになりました」
案内役のメイドの抑揚のない声に、シャルロットたちは、雷に打たれたように姿勢を正した。
静かに、襖(ふすま)が開く。
そこに立っていたのは、夜の闇を溶かしたような黒髪の、息を呑むほど美しい女性だった。
見た目は、二十歳前後。 落ち着いた色合いの上質な衣装をまとい、権力を誇るような宝石の飾りは、ほとんど身につけていない。 それなのに――足袋をはいた足が、部屋へ一歩踏み入れただけで、室内の空気が、凍りついたように引き締まった。
まっすぐに伸びた背筋。 無駄のない足運び。
そして、室内を見渡す漆黒の瞳には、相手の反応の底まで見透かすような、捕食者の鋭さが宿っていた。 威圧するために声を張ることも、魔力をひけらかす必要もない。 この空間でいちばん高い権限と、いちばん強い力を持つ者が誰なのか。 それだけは、獣の本能として、誰の目にも明らかだった。
アスタロト:「お待たせして、申し訳ありません。 わたくしが、この先の魔族領の一角を治めている、魔王のアスタロトです」
女性は、底知れぬ威厳をまとったまま、穏やかに微笑んだ。
アスタロト:「本日は、ずいぶんと『賑やかなご到着』だったと聞いております」
シャルロット:「……っ」
シャルロットの背筋が、恐怖と緊張で、ぴんと張りつめた。 マリアンヌとジュリエットも、青ざめた顔で、慌てて深く頭を伏せる。 トトは、座布団の上で置物のように硬直していた。 カメ吉に至っては、ルイズの背後の死角に完全に隠れ、甲羅の陰から、涙目の視線だけを震わせながら覗かせている。
当然だった。 相手は、おとぎ話の存在ではなく、本物の魔王だ。 人間側の国家の中枢とも関わりを持つ、魔族領の統治者。 外交施設を預かり、ガーディアンの損壊について、一行の運命を決める最終の権限を握る者。
 シャルロットは、名門の次期当主として、一分の失礼もないよう慎重に弁明を始めようと、息を吸った。
――しかし、その前に。
ルイズ:「……あなたが、魔王陛下ですか」
ルイズが、感情の抜けた声で、あっさりと尋ねた。
アスタロト:「ええ。 そうです」
ルイズ:「なるほど。 初めまして、ルイズと申します」
ルイズは、座布団からすっと立ち上がり、商談の席に着く者のように、澱みなく丁寧に頭を下げた。
ルイズ:「先ほどは、極上のお食事とお風呂を、無料でご用意いただき、誠にありがとうございました。 費用対効果に優れた、とても素晴らしい施設ですね」
アスタロト:「…………」
魔王は、ほんの一瞬だけ、統治者としての言葉を失った。
てっきり、土下座の謝罪から入るものと思っていた。 あるいは、恐怖に震えながら、ガーディアンについて見苦しい弁明を始めるのだと。 少なくとも、不可侵の協定を破って扉をこじ開けたことについて、何らかの説明があるはずだと考えていた。
ところが、この不遜な人間の口から最初に出てきたのは、食事と温泉への、純粋な感謝の言葉だった。
……いや。 感謝そのものは、悪いことではない。 施設の厚意に礼を述べるのは、客として好ましい態度だ。 問題は、会話の『優先順位』が、異常なまでに食い違っていることだった。
アスタロト:「……お食事も、お風呂も、お口に合ったようで何よりです。 当施設をご利用いただき、ありがとうございます」
魔王は、かすかに頬を引きつらせながらも、笑顔を保って答えた。
 ルイズ:「はい。 特に、お湯の温度の保ち方が見事でした。 あの湯加減を、長い時間、手間をかけずに保てているということは、地脈の熱の取り入れ方と、魔力の巡らせ方に、相当な工夫があるのでしょう」
アスタロト:「……そうですね。 設備には、それなりに予算と力を入れております」
ルイズ:「ぜひ、のちほど施設の裏側も拝見したいです」
アスタロト:「…………」
魔王の笑顔が、ぴしり、とわずかに硬くなった。
国境の防衛兵器を鉄屑にした人間が、今度は、温泉設備の『裏側』に興味を示している。 しかも、その透き通った琥珀色の瞳には、悪意のかけらもない。 ただ純粋に、人並み外れた『技術への関心』を抱いているようにしか見えないのだ。 それが、かえって得体が知れず、不気味だった。
シャルロット:「……ルイズさんっ」
シャルロットが、胃に穴が空きそうな顔で、小声で呼んだ。
ルイズ:「はい?」
シャルロット:「魔王陛下へのご挨拶は、もう少し弁明を含めて、慎重に……っ」
ルイズ:「今、客として、きちんとした挨拶をしましたよ?」
シャルロット:「そういう世間的な作法の問題ではありませんわ……!」
魔王は、二人の漫才のようなやり取りを、静かに眺めた。
ルイズは、魔王の魔力を前にしても、まるで萎縮していない。 礼を欠いているわけでもなく、わざと魔族を挑発しているようにも見えない。 ただ、自分が関心を持つ対象と、そうでない対象との切り分けが、残酷なほどはっきりしているのだ。 目の前の相手が魔王であることよりも、温泉設備の費用対効果や、未知の魔導装置のほうにしか、彼女の興味は向いていない。
……なるほど。 受付の報告にあった 「妙に落ち着いた態度」 の意味が、少しだけ分かった気がした。
アスタロト:「ルイズさん、とおっしゃいましたね」
ルイズ:「はい」
アスタロト:「先ほど受付で、入口に据えられていた共同防衛ガーディアンについて、技術的な質問をしたいと希望されたそうですが」
ルイズ:「はい。 可能であれば、設計者の方と直接お話ししたいです」
返事は、間髪を入れずに返ってきた。
ルイズ:「特に、魔導炉と術式中枢の継ぎ目が気になっています。 異なる魔力の体系をつないだ点は、歴史的にも非常に優れていました。 ただ、あの『首根っこの接続部』には、まだ魔力の無駄を減らせる余地があるように見えました」
アスタロト:「…………」
魔王の表情が、完全に静止した。 背後のシャルロットたちも、ヒッと息を呑んで固まる。
今、この魔女は何と言ったのか。 共同防衛ガーディアンの接続部に、『改善の余地』がある。 つまり、両国の最高峰の技術者が長年の血と汗で完成させた国家の誇りに、まだ手を入れられる欠点があったと、魔王の目の前で言い放ったのだ。 その装置を、勝手に壊した本人が。 しかも、研究室で新しい魔導具を評価するかのような、悪びれない事務的な口調で。
 アスタロト:「……ルイズさん」
魔王は、冷ややかな空気をまとい、慎重に言葉を選んだ。
アスタロト:「あのガーディアンは、両国の天才技術者が長年かけて完成させた、完璧な防衛機構です。 外から接続部だけを手直しすればよい、というものではありません」
ルイズ:「もちろんです。 おっしゃるとおりです」
ルイズは、あっさりと同意して頷いた。
ルイズ:「魔導炉の出力の抑え方、術式中枢の働く周期、異変時の安全装置。 全体の釣り合いを崩さずに手を入れる必要があります。 だからこそ、独断でいじる前に、設計の考え方を伺いたいのです」
アスタロト:「……」
ルイズ:「私が戦いの三秒間で観測できたのは、実際に動いている装置の、表面の挙動の一部だけですから。 設計の段階で、技術者がどんな不具合を想定していたのか。 それを知ることができれば、今回の崩壊の現象も、より正確に解き明かせると思います」
魔王は、目の前の少女の透き通った目を、じっと見つめ返した。
少なくとも、ルイズは、国家の防衛兵器を壊したことを武勇伝として誇ってはいない。 むしろ、壊れるに至った経緯を一つの不具合として捉え、その原因を研究者として突き止めようとしている。
――だからこそ、最高に厄介だった。
破壊そのものが目的の者なら、力による交渉や排除の余地がある。 権力を誇りたい野心家なら、地位や金を与えて、ある程度は首輪をつけられる。 だが、純粋に未知の真理を知りたがる、生粋の研究者は、何を対価にすれば満足するのか、見極めるのが極めて難しい。
アスタロト:「……分かりました。 技術的なお問い合わせについては、設計担当者に連絡し、こちらで前向きに検討いたします」
ルイズ:「ありがとうございます! 大変助かります」
ルイズは、今日いちばんの輝く笑顔で、深々と頷いた。
魔王は、その邪気のない表情を見て、内心で小さく息を吐いた。 少なくとも、道理の通った対話はできる。 技術への興味は強烈だが、こちらの説明を理解しようとする学者の姿勢もある。 ならば、まずは情報を交わし、相手がどこまでの力を持つ人物なのか、慎重に見極めるべきだろう。
そう考えた、まさにそのときだった。
 ルイズ:「――あの、魔王陛下」
アスタロト:「はい。 何でしょう?」
ルイズ:「設計者の件とは別に、もうひとつ、大変重要なお願いをしてもよろしいでしょうか」
アスタロト:「……どうぞ」
魔王は、少しだけ身構えた。 今度は、どんな不条理な要求が飛び出すのだろう。 まさか、壊したガーディアンの修理費を、全額免除してほしいという図々しい話ではないでしょうね。 そんな不安が、統治者の頭をよぎる。
しかし、ルイズの要求は、魔王の想像を、斜め下に突き抜けた。
ルイズ:「――先ほどこちらでご用意いただいたお食事、お肉がとても美味しかったのですが……」
アスタロト:「…………はい?」
ルイズ:「本日の宿泊費と、今後かかる食事代のすべてを、魔王陛下の権限で『接待扱い』の完全無料にしていただくことは、できませんか?」
アスタロト:「…………」
応接間の空気が、凍りつくどころか、凍りついたまま砕けた。
シャルロットが、首の骨が鳴るほどの勢いで、ルイズを振り返る。 マリアンヌは、持っていた茶碗を畳に落としかけた。 ジュリエットは、限界を迎えて額に手を当てた。 トトは、とうとう座布団の上で白目を剥き、仰向けに倒れ込んだ。
トト:「……ルイズはん」
ルイズ:「はい?」
トト:「自分、今、統治者に向かって何を言うた?」
ルイズ:「食事代と宿泊費を無料にしてほしいと、筋道を立ててお願いしました」
トト:「聞こえとるわ! 鼓膜にバッチリ届いとるから、怖くて聞き返したんや!」
トトが、涙声で前肢を振り回して叫んだ。
トト:「両国の国家予算を注ぎ込んだ防衛兵器を粉々にした直後にな! 被害者の魔王陛下へ、堂々とタダ飯の交渉を持ちかける人でなしが、どこにおるんじゃぁぁぁっ!」
ルイズ:「値引きの交渉ではありません、トト。 全額免除です」
トト:「そこを冷たい顔で訂正せんでええねん!!」
魔王は、美しい顔を硬直させたまま、しばらくルイズを見つめていた。
怒るべきだろうか。 いや、まだ怒る段階ではない。 そもそも、なぜ国家間の賠償を巡る席で、突然『個人の食費』の話になったのか。
アスタロト:「……ルイズさん。 どうして、食事代を無料にしてほしいのですか?」
ルイズ:「――私の今年の研究予算が、完全に大赤字だからです」
アスタロト:「…………赤字?」
ルイズ:「はい。 今回のような高位の崩落魔法を連発すると、等価交換の仕組みで、触媒、つまりお洋服の消費が膨れ上がります。 先ほども、緊急の支払いで、仲間たちの高価な衣服を、複数まとめて使い切ってしまいました」
ルイズは、白く細い指をぱちん、ぱちんと折って数えながら、堂々と家計の事情を説明した。
ルイズ:「彼女たちのお洋服の補償費も、およそ二十万クローネは必要ですし、今後の研究材料の購入費も確保しなければなりません。 ですので、目の前の食費や宿泊費といった固定の出費は、極限まで切り詰めたいのです」
アスタロト:「…………」
ルイズ:「もちろん、今回のガーディアンの損害について、私に非があることは理解しています。 必要な手続きや、損害額の確認については、協議に応じます」
そこでルイズは、一人の経営者のように、言葉を冷たく切った。
 ルイズ:「ただし。 現時点では、ガーディアンの正確な損害額が確定していません。 修理できるのか、一から作り直す必要があるのか、魔族側の特注部品の調達にどれだけかかるのかも、見積もりが定まっていない。 ……ですから、今すぐ私が賠償の金額を約束して、負債を抱え込むことはできません」
アスタロト:「……それは、理屈の上では当然でしょうね」
ルイズ:「はい。 そこで、少なくとも本日の食事と宿泊については、『魔王陛下のご招待』として、施設側の帳簿で処理していただけないかと考えたのです」
アスタロト:「……ご招待?」
ルイズ:「ええ。 こちらは、両国の外交使節を受け入れる『温泉接待所』ですよね?」
ルイズは、立派な応接間を見回した。
ルイズ:「極上の温泉も、宿泊の設備も整っていて、食事の質は王族並み。 外交の交渉や技術の交流を行う場であれば、情報交換のための飲食費を『接待費』として処理できる余地が、十分にあるはずです」
アスタロト:「…………」
魔王は、思わず額に手を当てそうになった。
言っていることは、完全に的外れというわけではない。 外交交渉に伴う要人の食事や宿泊を、接待費として落とすことは、実務上いくらでもあり得る。 ただし、通常そこには、厳密な手続きがある。 事前の通行許可。 身分の確認。 滞在の目的の申告。 予算の承認。 そして何より、今回のような『国境の防衛機構の大破壊』が、そもそも起きていないことが大前提だ。
扉を不正に破って、防衛装置を鉄屑に変えた人間が、事後に堂々と『接待費でのタダ飯』を求める。 魔界三百年の歴史にも、前例のない狂気の話だった。
アスタロト:「……ルイズさん」
ルイズ:「はい」
アスタロト:「あなたは、ご自分が今どのような立場に置かれているか、本当に理解していらっしゃいますか?」
ルイズ:「はい。 こちらの国家施設に、正規の通行手続きを経ずに入り込み、共同防衛ガーディアンを壊した、加害者です」
アスタロト:「……そうですね」
ルイズ:「ですから、加害者として必要な責任は負うつもりです。 ただ、責任の範囲と最終的な損害額が確定していない以上、いま削れる自分の支出、つまり食費については、できるだけ合理的にケチって管理したいのです」
魔王は、今度こそ、統治者として返す言葉を完全に失った。
危険な人物であることは、間違いない。 だが、無責任に暴れ回る破壊者でもなさそうだった。 ルイズは、自分の魔法が引き起こした損害の事実を、はっきり認めている。 そのうえで、 「損害の精算」 と 「今夜の食事代」 を、まったく別の会計の問題として切り分け、不確定な負債を勝手に約束しないよう、抜かりなく手当てをしているのだ。
……恐ろしいほど、合理的ではある。
合理的ではあるのだが――。
アスタロト:「……ふふっ、あははっ」
魔王は、堪えきれず、とうとう小さく吹き出してしまった。
 アスタロト:「……申し訳ありません。 あまりにも、わたくしの想像の斜め上だったものですから」
ルイズ:「想像の斜め上、ですか?」
アスタロト:「ええ。 国を揺るがす事態を引き起こした方が、魔王を前にして最初に交渉する内容が、『今夜の食事代の免除』だとは思いませんでした」
ルイズ:「重大な事態だからこそです」
ルイズは、微塵も揺るがない真顔で答えた。
ルイズ:「緊急時には、まず自分の生存を確保し、そのあとで損害を整理する必要があります。 食事は生存に関わる最大の利益ですし、予算の管理は、私の今後の魔導研究の継続にも直結しますからね」
アスタロト:「…………」
ルイズ:「それに、こちらの一流の料理人のお食事は、本当に美味しかったので、可能であれば今後も末永く利用させていただきたいと、本気で考えています」
魔王は、とうとう、腹の底から声を立てて笑った。
ここまで見事に清々しいと、怒る気力も、不思議と失せてくる。 もちろん、ガーディアンが鉄屑にされた事実は変わらない。 外交の問題も、修理費の精算も、何ひとつ片付いていない。 それでも、目の前の人間は、魔王の権威を軽んじているわけではないのだ。 魔王だからと媚びへつらうこともなければ、機嫌を取るために無意味な辞令を並べることもない。 欲しい利益があれば、必要性を説明して交渉する。 分からないことがあれば、まっすぐ質問する。 問題が起きれば、原因を調べて、合理的に対処する。 その判断の筋道が、狂気じみて見えるほど、一貫している。
アスタロト:「……分かりました」
魔王は、ようやく笑みを収め、統治者の顔に戻った。
アスタロト:「本日の宿泊と、極上のお食事については、魔王たるわたくしの『ご招待』ということにいたしましょう」
ルイズ:「――本当ですか!?」
アスタロト:「ええ。 ただし、ガーディアンの損害については、別途、両国間で正式な協議が必要です。 その点は、厳格にご理解くださいね」
ルイズ:「もちろんです。 ご厚意、誠にありがとうございます!」
ルイズの無表情だった顔が、ぱっと花が咲いたように明るくなった。
ルイズ:「これで、赤字の研究予算を、少しだけ立て直せます」
アスタロト:「……そこまで喜んでいただけるとは、施設の管理者としても光栄です」
魔王は、優雅にそう答えながら、内心で苦笑した。
これほど扱いが『分かりやすい人間』も、三百年の魔王人生で珍しい。 地位や権力には、一切興味がない。 魔王の殺気を前にしても、恐れる様子がない。 それなのに、美味しいタダ飯と未知の技術の前では、目に見えて欲が跳ね上がる。
……なるほど。 ようやく、ルイズという規格外の怪物の『輪郭』が見え始めた。
そのとき、ルイズが、ふと商談を思い出したように口を開いた。
 ルイズ:「あの、魔王陛下」
アスタロト:「はい。 今度は何かしら?」
ルイズ:「先ほどのお願いとは別に、もうひとつ、大変重要なお願いがあります」
アスタロト:「……どうぞ」
魔王は、再び少しだけ身構えた。 今度は、どんな強欲な要求が飛び出すのだろう。 まさか、壊したガーディアンの破片を、研究素材としてタダで持ち帰らせろという、強盗のような話ではないでしょうね。
しかし、ルイズの要求は、予想と違っていた。
ルイズ:「共同防衛ガーディアンの設計者の方と、直接お話しさせていただけませんか?」
魔王の表情が、わずかに真剣なものに変わった。
アスタロト:「……やはり、そこなのですね」
ルイズ:「はい。 私は、あの装置の組み上げに、非常に興味があります。 特に、人間と魔族の魔導炉と術式中枢を、どうつないでいたのか。 それを、もっと詳しく知りたいのです」
アスタロト:「ルイズさん。 あなたは、あの国宝級の装置を壊したことを、後悔していないのですか?」
魔王は、相手の魂の底を探るように、まっすぐ尋ねた。
ルイズは、すぐには答えなかった。 ほんの少しだけ視線を落として考えてから、一人の技術者として、正直に口を開いた。
ルイズ:「……貴重な研究対象を、自らの手で壊してしまったことについては、骨の髄まで後悔しています」
アスタロト:「そうですか」
ルイズ:「ただ、あの状況では、仲間の安全を確保する必要がありました。 私が選んだ崩落魔法が最善だったのか、今でも見直す余地はあると思っています」
魔王は、黙って続きを待った。
ルイズ:「それに、装置が物理的に壊れたからといって、その設計の理念の価値までが失われるわけではありません。 残骸からでも読み取れることはありますし、設計者の方から直接お話を伺えれば、今回の破壊の結果を、より学術的に正確に理解できるはずです」
アスタロト:「……なるほど」
その答えには、狂気を帯びた学者の、妙な誠実さがあった。
ルイズは、自分の行いを正当化するために、 「壊さざるを得なかった」 と感情的に主張しているわけではない。 状況を客観的に見て、計算して行動し、結果の損害を受け止めている。 そして、やりすぎた点があれば、その原因を突き止めようとしている。 その姿勢は、魔王が抱える優秀な魔族の技術者たちに通じるものがあり、決して嫌いではなかった。
アスタロト:「……分かりました。 設計者のミレーヌへの面会については、こちらで前向きに調整いたしましょう」
ルイズ:「ありがとうございます! 大変助かります」
ルイズは、深々と、嬉しそうに頭を下げた。
 アスタロト:「ただし、開示できる情報には、国家としての制限があります。 共同防衛機構には、両国の最高機密の技術も含まれていますから」
ルイズ:「承知しています。 公開できる範囲で構いません」
アスタロト:「……それなら、話は平和に進められそうですね」
魔王は、静かに安堵の頷きを返した。
ようやく、会話が『外交』というひとつの方向へ進み始めた気がした。 もっとも、それは統治者として順調だという意味では、決してない。 魔王が思い描いていたのは、責任の所在を厳しく確かめ、再発防止を協議し、必要なら人間側の王室へ正式な抗議を検討する、重苦しい場だった。 ところが、実際に話してみれば、相手は温泉の湯加減を褒め、食事代を値切り、最後には、敵国の設計者との面会を純粋に望んでいる。 しかも、そのすべてに、彼女なりの『一応の筋』が通っているのだ。
……本当に、底の知れない厄介な人間だ。
けれど。
魔王は、ルイズの透き通った瞳を、改めて見つめた。 そこには、権力への恐れも、種族への敵意も、打算の媚びも、見当たらない。 ただ、世界の未知をもっと知りたいという、まっすぐで強欲な好奇心だけが、輝いていた。
アスタロト:「……ルイズさん」
ルイズ:「はい?」
アスタロト:「あなたは、これまでにも、珍しい魔導装置を見つけるたびに、こうして自分の手で分解して調べてこられたのですか?」
ルイズ:「ええ。 未知の魔法の仕組みや、既存の理論では説明できない現象は、解き明かす価値がありますから」
アスタロト:「それが、命に関わる危険なものであっても?」
ルイズ:「危険があるなら、備えを考えればいいだけです。 危険だからといって、仕組みを知らないまま放置するのは、長い目で見れば、まったく合理的ではありません」
アスタロト:「……ふふっ」
魔王は、再び楽しそうに笑った。
アスタロト:「なるほど。 あなたの行動の優先順位が、少しだけ分かってきた気がします」
ルイズ:「そうですか?」
アスタロト:「ええ。 少なくとも、わたくしが報告から想像していた『恐ろしい破壊者』より、ずっと分かりやすくて、面白い方のようですね」
ルイズは、不思議そうに首をかしげた。
ルイズ:「……それは、どういう意味でしょう?」
アスタロト:「ふふ、そのままの意味です」
魔王は、優雅に微笑んだ。
もちろん、統治者としての警戒を解くことはできない。 相手の本当の力も、背後にある技術も、すべてを把握したわけではないのだから。 それでも今は、三百年の退屈を破る『知的な興味』のほうが勝っていた。 この不遜な人間が、次に何を尋ねるのか。 どんな魔族の技術に目を輝かせるのか。 それを知ることには、十分な娯楽の価値がありそうだった。
 一方。
ルイズのドケチな頭のなかでは、すでに別の『最終計算』が始まっていた。
本日の宿泊と豪華な食事は、魔王のご招待で完全無料。 天才設計者との面会は、調整中で、知財を得られる見込みあり。 今月の研究予算の支出を、わずかでも抑えることができた。 さらに、未知の魔術体系の情報を、タダで得られる可能性まである。 ……シャルロットさんたちのお洋服代という特別損失を差し引いても、かなり良い交渉結果なのではないだろうか。
ルイズ:「……魔王陛下」
アスタロト:「はい? まだ何か?」
ルイズ:「もし、今後もこちらの素晴らしい施設を利用させていただけるのであれば……私のような『研究滞在者』向けの、特別なリピーター割引の制度などは、ございますか?」
アスタロト:「…………」
魔王の優雅な笑顔が、ぴたりと止まった。
シャルロットが、限界を超えて勢いよく立ち上がる。
シャルロット:「ルイズさんッッ! もう十分ですわぁぁぁっ!!」
トトの悲鳴が、その直後を追った。
トト:「ほんまにやめぇや、お前! せっかく命の瀬戸際で、話が綺麗にまとまりかけとるのに、何で自分から地雷を踏みに行って、追加の割引交渉まで始めるんやぁぁぁっ!!」
カメ吉:「キュィ(ワイ、もう甲羅から出られへん……)」
甲羅の陰で、カメ吉がぷるぷると震えている。
魔王は、目を白黒させる二人と、しばらく見つめ合っていた。
そして――とうとう、お腹を抱えて、大声で笑い出した。
 アスタロト:「……あははははっ! ふふっ。 分かりました。 細かい割引制度の約款を調べるより、もっと話が早そうですね」
ルイズ:「……と、おっしゃいますと?」
アスタロト:「今後、あなたが純粋な研究のためにこちらの施設を訪れるのであれば……温泉も、極上の食事も、研究に必要な滞在の場所も、すべて『わたくしの特別なご招待』ということにいたしましょう」
ルイズ:「…………本当ですか!?」
ルイズの目が、黄金を見たようにカッと見開かれた。
アスタロト:「ええ、本当です。 ただし、使える機密施設や技術資料の範囲については、その都度、わたくしたちと厳格に確かめてくださいね」
ルイズ:「承知しました。 条件を守ったうえで、限界まで利用させていただきます」
アスタロト:「……ええ。 本当に、あなたらしいわ」
魔王は、心底楽しそうに微笑んだ。
目の前の少女は、魔王の権力にも、強大な魔力の威圧にも、ほとんど反応しない。 けれど、美味しいタダ飯と、未知の技術の前では、目に見えて歓喜する。 ならば、小難しい外交をするより、分かりやすい『利益の条件』を示したほうが、はるかに話が早く、そして、手綱も握りやすいのかもしれない。
こうして。
両国共同の国境防衛ガーディアンを粉砕した人間と、その地を治める魔王との、歴史的な初対面は――。
外交問題の重苦しい謝罪から始まることもなく、威圧と牽制の魔法戦が交わされることもなく。
『食事代の無料交渉』と『研究滞在者へのリピーター特典の確約』という、魔界三百年の歴史でも類を見ない、極めて奇妙で平和な方向へと進んでいったのだった。
アスタロト:「……ふふ。 本当に、あなたとお話ししていると退屈しませんね」
魔王は、美しい口もとをほころばせて、楽しそうに笑っていた。
つい先ほどまで、共同防衛ガーディアンの破壊という、国家級の重大事を抱えていたはずなのだ。 それなのに、この少女と話していると、どうにも深刻な調子が狂ってしまう。
 食事代の免除交渉。 温泉設備の湯加減の評価。 壊した兵器の設計者との面会の希望。 さらには、研究滞在者向けのリピーター割引まで。 どれも、一国の統治者を前にした者が、最初に持ち出す話題ではない。
けれど、ルイズは終始、真剣だった。 魔王だからと平身低頭へりくだることもなく、かといって、無礼に振る舞っているのでもない。 必要な礼儀は守り、知りたいことは尋ね、予算に関わる条件があれば、一歩も引かずに交渉する。 ただ、それだけなのだ。
メイドが、静かに茶を注ぎ足して下がっていく。
アスタロト:「……ところで、ルイズさん」
ルイズ:「はい?」
アスタロト:「先ほどあなたが壊したガーディアンについて、もう少しだけ技術的に伺ってもよろしいかしら?」
ルイズ:「もちろんです!」
ルイズの表情が、一瞬で、ぱっと花が咲いたように明るくなった。
つい先ほどまで、食事代や割引の計算に血走った目を向けていた守銭奴とは思えない。 透き通った琥珀色の瞳に、純粋な学者の強い光が宿っている。 魔王は、その変化を見逃さなかった。
……なるほど。 この規格外の魔法使いにとって、未知の技術について語り合うことは、それほどまでに楽しいことなのか。
ルイズ:「まず、あの防衛装置は、人間側の大出力の魔導炉と、魔族側の精密な術式中枢を、はっきり分けたうえで、つないでいましたね」
ルイズは、白く細い指先で、空中に滑らかな数式と図を描いた。
ルイズ:「人間側の魔導炉が大きな出力を生み出し、魔族側の術式中枢が、その出力を抑えながら各部の防衛の動きを整える。 役割を完全に分担することで、それぞれの技術の長所だけを、無駄なく活かしているわけですね」
アスタロト:「ええ。 その理解で、間違いありません」
ルイズ:「極めて優れた設計の考え方だと思います。 無理に同じ理論で全体を統一して、歪みを生むより、それぞれの得意を残したほうが、全体の効率は遥かに高まる場合がありますから」
アスタロト:「……そう言っていただけると、設計に携わった者たちも喜ぶでしょう」
魔王は、穏やかに頷いた。
共同防衛ガーディアンの開発には、双方の技術者が、対立と和解を繰り返しながら、長い年月を費やした。 人間側は、膨大な魔力を安定して供給する技に優れ、魔族側は、複雑な魔力の制御と術式の自律に秀でていた。 互いの最高の技術を持ち寄り、何度も試験と改修を重ねて、ようやく完成した両国の結晶である。
 アスタロト:「……ただし」
魔王は、静かに言葉を継いだ。
アスタロト:「役割を分けたからといって、その継ぎ目が単純になるわけではありません。 むしろ、根本から異なる技術をつなぐ部分には、双方の理論を完全に理解したうえで、ごくわずかなずれも許されない調整が必要になります」
ルイズ:「ええ。 まさにそこが、今回の装置で、私がいちばん惹(ひ)かれたところでした」
ルイズは、前のめりになって頷いた。
ルイズ:「双方の魔力を変換する機構がありましたね。 あれは、ただの継ぎ手ではありませんでした。 入ってきた魔力の性質に応じて、その場で変換し、防衛の指示も一緒に、互いへ受け渡しているように見えました」
アスタロト:「……よく、戦いの最中に、そこまで見抜きましたわね」
ルイズ:「実際に動く姿を、じっくり見られましたから。 特に、私の魔法を受けたあと、機体が防御の配分を変えた際の『魔力の道筋の切り替わる速さ』が、非常に興味深かったです」
アスタロト:「……防御の配分の切り替えまで?」
魔王の優雅な笑みが、ほんの少し引きつって消えた。
致死の戦闘の、わずか数秒の間に、そこまで装置の深いところを観察していたというのか。 高出力の攻撃を受け、絶体絶命のなかで、回避と反撃をしなければならない状況だったはずだ。 それなのに、目の前の少女は、装置の目に見えない裏の動きまで、細かく把握している。
ルイズ:「はい。 私の最初の火炎魔法を受けたあと、装置は、傷ついた防御の壁を直すより、残った防御機構へ魔力を集中させました。 その判断自体は、実に合理的です」
アスタロト:「……最初の、火炎魔法?」
ルイズ:「はい。 弱火を一発」
アスタロト:「…………」
コン、と、庭の鹿威しが、間の悪いほど澄んだ音を立てた。
魔王の脳裏に、先ほど受けた報告の惨状が蘇る。 胸部の魔導炉も、術式の中枢も、原形を留めないほど壊れていた。 それだけでも異常な事態なのに、少女の話を聞く限り、あの破壊に至るまでには、さらに『火力の検証』の段階があったらしい。
アスタロト:「……つまり、最初から全力で壊そうとしたわけではないのですね?」
ルイズ:「ええ、もちろんです。 まず、防御機構の反撃の反応を確かめようと考えました」
アスタロト:「反応を……確かめる?」
ルイズ:「はい。 未知の装置ですから、最初から過剰な出力を使うより、弱い攻撃で反応を観察したほうが、得られる情報が多いと判断しました。 費用対効果の問題ですね」
アスタロト:「…………」
魔王は、静かに目を閉じ、頭を抱えそうになった。
研究者としては、決して間違った考え方ではない。 未知の仕組みを理解するには、条件を絞り、反応を観察し、ひとつずつ結果を比べることが大切だ。 問題は、そののんきな実験台が、国境を守る両国共同の最高機密の兵器だったことなのだが。
アスタロト:「……ルイズさん。 ひとつ、統治者として確認させてくださいませ」
ルイズ:「どうぞ」
アスタロト:「あのガーディアンは、あなたにとって、排除すべき『敵』だったのでしょうか。 それとも、単なる『研究対象』だったのでしょうか?」
ルイズは、少しだけ真剣に考えた。
 ルイズ:「……両方、でしょうか」
アスタロト:「両方?」
ルイズ:「最初は、ただの未知の装置として、純粋に観察していました。 ですが、向こうは私たちの無理な解錠を理由に、侵入者と見なして狙いを定め、攻撃してきました。 その時点で、私たちの命と、資産、つまりお洋服の安全を確保する必要が生じたのです。 ですから、仕組みを調べることと、自分たちを守ることを、同時に進めました」
魔王は、その言葉を頭のなかで反芻した。
奇妙なほど、明快だった。 最初から壊すことが目的だったわけではない。 向こうから攻撃されなければ、ただ害のない観察を続けていた可能性もある。 だが、命の危険が迫った以上、最も確実に安全を確保できる手を選んだ。 その結果が、鉄屑のガーディアンだった。 それが、目の前の少女の、冷徹な判断だったのだろう。
アスタロト:「……では、あなたは、自分が引き起こしたその結果について、どう考えていますか?」
魔王は、声の調子を、少しだけ為政者のものに改めた。
アスタロト:「正規の通行条件を満たさず、封印を強引に解いた。 その結果、防衛機構が動き、最終的に国宝級の装置が壊れた。 これは、単なる『技術の実験』の話では済まされませんよ」
ルイズ:「はい。 法的にも、外交的にも、重大な過失であると理解しています」
ルイズは、真剣な顔で頷いた。
ルイズ:「最初に、正規の認証の条件を確かめた時点で、おとなしく引き返すべきだったのかもしれません。 少なくとも、外交施設である可能性が高いと分かったあとに、封印を解いた私の判断は、見直す余地が十分にあります」
アスタロト:「……その、掟を破る判断を下したのは、あなた一人だったのですか?」
ルイズ:「いいえ」
ルイズは、隣で青ざめているシャルロットへ、すっと視線を向けた。
ルイズ:「私は、正規の通行条件が成立していない以上、賠償の危険を考えて、調査を切り上げるつもりでした。 ですが、シャルロットさんは、ヴァーミリオン家の紋章が扉の認証に刻まれていることを知り、公爵家に関わる秘密を確かめたいと、強くおっしゃいました」
シャルロット:「……」
ルイズ:「その気高い意思を尊重し、危険を承知で調査を再開すると決めたのは、私です。 ですから、この件で、シャルロットさん『だけ』に責任を負わせるつもりはありません」
シャルロットが、わずかに美しい目を伏せた。
シャルロット:「……わたくしも、扉を開けることを強く望みましたわ。 家名に関わることを、知らないままにしておくわけにはいかないと思ったのです」
魔王は、二人を交互に見つめた。
アスタロト:「……なるほど。 お二人とも、ただの好奇心ではない、相応の理由があったのですね」
ルイズ:「はい。 ただ、結果として、重大な国際問題を引き起こしたことは事実です。 その点から、逃げるつもりはありません」
アスタロト:「……そうですか」
魔王は、静かに息を吐いた。
アスタロト:「理由があることと、行いが許されることは、別です。 その点は、今後の賠償の協議でも、決して忘れないでくださいね」
ルイズ:「承知しています。 責任は負います」
魔王は、威圧を解いて、穏やかな表情を取り戻した。
 アスタロト:「防衛機構が動いた場合、侵入者を排除する動きが優先されます。 あの状況で、あなたたちうら若き乙女の命が危険にさらされたことも、こちらとしては無視できません」
彼女は、少しだけ視線を落とした。
アスタロト:「もっとも、だからといって、装置が壊れたことを軽く扱うわけにもいきません。 損害は、きちんと調査しなければなりませんし、再発を防ぐ手立ても必要です」
ルイズ:「当然です」
ルイズは、研究者として素直に頷いた。
ルイズ:「私も、今回の結果は、学術的に検証したいと考えています。 可能であれば、残骸の調査に、私も無償で協力したいです」
アスタロト:「……残骸の調査?」
ルイズ:「はい。 装置は、すでに完全に動きを止めています。 ですが、残骸の内部の構造から読み取れることまで、すべて失われたわけではありません。 残った部品を調べれば、私の崩落魔法がどこまで影響し、どの機構が連鎖的に不具合を起こして壊れたのか、ある程度は推測できるはずです」
アスタロト:「…………」
魔王は、ゆっくりと深い息を吐いた。
やはり、この少女は、自分が壊した装置に、強い未練があるらしい。 単に貴重なものを壊してしまった罪悪感ではない。 自分の魔法がどのような影響を与え、どこが壊れ、どこが残り、なぜあの結果になったのか。 それを、一人の技術者として、どうしても知りたいのだ。
アスタロト:「……分かりました。 残骸は、技術班が安全を確認したのち、あなたも交えた調査の方法を検討しましょう。 ただし、許可なく勝手に触れることは、認められません」
ルイズ:「承知しました。 約束します」
アスタロト:「調査の結果は、こちらの技術部にも、すべて共有していただきます」
ルイズ:「もちろんです。 出し惜しみはしません」
魔王は、ルイズの透き通った瞳を、じっと見つめた。
そして、ふと、昔のことを思い出した。
魔王の座に就いたばかりの頃。 人間側との共同研究を進めるため、何度も彼らの技術者たちと、徹夜で議論を交わした。 互いの魔導の理論が根本から異なり、同じ言葉を使っていても、理解している中身がまるで違うことがあった。 相手の考え方を呑み込むまでに、何日もかかったこともある。 それでも、未知の問題が解けた瞬間の、あの知的な喜びは、今でも鮮明に覚えている。
権力も、立場も、種族の壁も離れて、ただ技術について語り合う時間。 その楽しさを、いつの間にか、統治者としての多忙のなかで、忘れていたのかもしれない。
アスタロト:「……ルイズさん」
ルイズ:「はい?」
アスタロト:「もしよろしければ、今後もわたくしたちと、『技術的な意見交換』をお願いできませんか?」
ルイズ:「……技術的な、意見交換、ですか?」
アスタロト:「ええ。 今回の不祥事は別として、あなたの観察力と分析力には、非常に興味があります。 共同防衛機構のすべてをお渡しすることはできませんが、公開できる範囲であれば、あなたのご意見を伺う価値は、十分にあると考えています」
ルイズの琥珀色の瞳が、太陽のように輝いた。
 ルイズ:「……本当ですか?」
アスタロト:「ええ」
ルイズ:「未知の魔族の魔術体系についても、お話を伺えるのでしょうか?」
アスタロト:「機密に触れない範囲であれば」
ルイズ:「魔力変換機構の設計資料は?」
アスタロト:「内容を確かめたうえで、判断します」
ルイズ:「魔王城の実験設備は?」
アスタロト:「安全と機密を確かめたうえで、使えるものがあれば」
ルイズ:「研究用の特級魔導具を、無料でお借りすることは?」
アスタロト:「……それは、その都度、正式に申請してくださいね」
魔王は、思わず声を出して笑った。
アスタロト:「ふふっ。 ずいぶんと積極的で、強欲な方」
ルイズ:「当然です。 未知の技術を学べる機会は、人生で、そう多くありませんから」
アスタロト:「……そうですか」
魔王は、柔らかく、とても美しい顔で微笑んだ。
アスタロト:「では、先ほどの『特別なご招待』に、条件をひとつ加えさせてください」
ルイズ:「条件、ですか?」
アスタロト:「今後、こちらへお越しになる際は、必ず事前にご連絡をくださいませ。 裏口ではなく、正規の手続きを踏んでいらしてくださること。 それが守られるなら……極上の温泉も、お食事も、研究の設備も、できる範囲でご用意いたしましょう」
ルイズ:「……温泉も、念のため確認しますが、含まれるのですね?」
アスタロト:「ええ」
ルイズ:「お食事の、フルコースも?」
アスタロト:「はい」
ルイズ:「研究の設備も?」
アスタロト:「……利用条件に、同意していただけるのであれば」
ルイズは、しばらく黙り込んだ。
その顔には、先ほどまでの冷徹で真剣な表情とは、まるで違う、純粋でドケチな喜びが、あふれんばかりに浮かんでいる。
ルイズ:「……素晴らしいです。 素晴らしい待遇です」
アスタロト:「そこまで喜んでいただけると、わたくしも嬉しいですね」
ルイズ:「つまり、正式な手続きさえ踏めば、今後はこちらの施設を、費用のかからない研究拠点のひとつとして、堂々と使えるかもしれない、ということですね」
アスタロト:「その理解で構いません。 ただし、すべてが無料になるわけではありませんからね?」
ルイズ:「もちろんです。 費用対効果を完璧に計算したうえで、最適な使い方を検討させていただきます」
ルイズは、深く深く頷いた。
魔王は、その様子を見て、楽しそうに笑った。 外交の交渉相手として見れば、かなり変わった人物だ。 しかし、道理の通った話はできる。 こちらの立場を理解し、ルールを守ることにも同意している。 そして、技術について語るときは、驚くほど率直で、真剣だった。 こういう相手となら、単なる外交の駆け引きとは違う、奇妙だが有意義な関係を築けるかもしれない。
アスタロト:「……ルイズさん」
ルイズ:「はい?」
アスタロト:「最後にひとつ、どうしてもお願いがあります」
ルイズ:「もちろんです」
アスタロト:「今後、こちらを訪れる際は――どうか、門を『無理に開けないで』くださいませね」
ルイズ:「……」
ルイズは、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
ルイズ:「……承知しました」
アスタロト:「本当に?」
ルイズ:「はい。 次回からは、正式な認証の条件を確認してから、表から訪問します」
アスタロト:「……よろしいでしょう」
魔王は、心の底から安堵して、胸を撫で下ろした。 これで、次の訪問のときに、また防衛兵器を鉄屑にされる可能性は、下がったはずだ。 ……下がったと、信じたい。
ルイズは、そんな魔王の切実な内心を知らず、にこやかに頭を下げた。
 ルイズ:「ありがとうございます、魔王陛下。 今後とも、良き取引相手として、よろしくお願いいたします」
アスタロト:「こちらこそ。 よろしくお願いいたしますね」
二人は、長年の友人のように、穏やかに微笑み合った。
――その様子を、シャルロットたちは、言葉を失って呆然と見つめていた。
つい先ほどまで、魔王との対面は、外交問題と賠償金を巡る地獄の場になると思っていた。 実際、ガーディアンの損害については、今後も協議が必要だろう。 責任の所在も、再発の防止も、まだ何ひとつ根本的には解決していない。 それなのに、目の前では、ルイズと魔王が、まるで旧知の研究好き同士のように、和気あいあいと話しているのだ。
マリアンヌ:「……シャルロット様」
マリアンヌが、信じられないものを見る目で、小さく囁いた。
マリアンヌ:「わたくし、今、何を見ているのでしょう……?」
シャルロット:「……わたくしにも、もう分かりませんわ」
シャルロットは、寿命が縮んで疲れ切った顔で答えた。
シャルロット:「ですが、魔王陛下と、これほど自然にお食事代の交渉をして、意気投合できる人間を、わたくしは初めて見ましたわ」
ジュリエット:「……そうですわね。 不条理ですわ」
ジュリエットも、苦笑しながら頷いた。
その足元で、トトが、ようやく座布団の上に上半身を起こした。
トト:「……何やろな。 ワイ、さっきまで国家間の大問題やと思っとったんやけど……」
彼は、二人の平和な会話を、死んだ目で見上げた。
トト:「気づいたら、『温泉の使い放題と、研究施設の利用契約』の話になっとるやんけ……」
ルイズ:「トト。 契約の条件がはっきりすれば、双方に得のある関係を築けますよ」
トト:「せやな。 商売の理屈は分かる。 分かるんやけどな……」
トトは、深く深くため息をついた。
 トト:「何で、国境のガーディアンをぶっ壊した直後に、敵国のトップとそんな契約がまとまるんや。 肝が据わりすぎやろ……」
カメ吉:「キュィ(ワイ、まだ甲羅から出られへんけど、話はええ方向に進んどるみたいやな)」
甲羅の陰から、カメ吉が、そっと片目だけを覗かせた。
そのとき、魔王が、ふと思い出したように口を開いた。
アスタロト:「そうそう、ルイズさん」
ルイズ:「はい?」
アスタロト:「本日のお食事だけでなく、今後こちらへいらしたときも、賓客として歓迎いたします。 研究交流のための長期の滞在であれば、あなた『専用の客室』をご用意することも可能です」
ルイズ:「……専用の客室?」
アスタロト:「ええ。 一般のお客様とは別に、研究の道具を持ち込める広い部屋や、資料を広げられる特注の机などを、お出しできます。 もちろん、温泉へ直接行き来できる動線も、考えましょう」
ルイズ:「…………」
ルイズの動きが、完全に静止した。
その琥珀色の瞳に、再び、強烈な銭勘定の光が灯る。
ルイズ:「……研究用の専用客室に、極上の温泉への行き来まで?」
アスタロト:「はい」
ルイズ:「一流の料理人のお食事も、すべてそちらでご用意いただけるのですか?」
アスタロト:「もちろんです」
ルイズ:「……それは、非常に、極めて魅力的な提案ですね」
ルイズは、魂の底から頷いた。
ルイズ:「ぜひ、前向きに検討させてください」
アスタロト:「ええ。 こちらも、最高の受け入れの条件を整えておきましょう」
魔王は、楽しそうに微笑んだ。 そして、ふたりは再び、技術交流と滞在の条件のすり合わせを、熱心に話し始めた。
その姿は、もはや、敵対する国の統治者と、大問題を引き起こした加害者には見えなかった。 互いに興味を持ち、相手の話に耳を傾け、自分にない知識を得ようとしている。 そこには確かに、国境を越えた小さな信頼が、芽生え始めていた。
もちろん、外交上の問題が消えたわけではない。 ガーディアンの損害の賠償も、正規の通行手続きの徹底も、今後の重い課題として残されている。 ただ、それとは別に、二人のあいだには、ひとつの強い共通点が見つかった。
未知の技術を理解したい。
 自分の知らない理論に触れたい。
そして、得た知識を、次の大きな発見へとつなげたい。
その研究者としての純粋な気持ちは、立場や種族がどれほど違っても、変わらないものだったのだ。
ルイズ:「……ところで、魔王陛下」
アスタロト:「はい。 何かしら?」
ルイズ:「次回こちらを訪問する際には、温泉の貸切の予約も、お願いしてよろしいでしょうか?」
アスタロト:「……ふふ。 ええ、もちろん」
ルイズ:「ありがとうございます!!」
ルイズの顔が、ぱっと花が咲いたように明るくなった。
その瞬間、シャルロットは、心の底から理解した。
――この人は、本当に、どうしようもないほど『温泉とタダ飯と研究』が好きなのだ。
そして、魔王陛下もまた。 そんな損得勘定に素直すぎるルイズを、少しずつ気に入り始めている。
奇妙ではある。 だが、だからこそ、面白い。
こうして、共同防衛ガーディアンの破壊から始まった前代未聞の騒動は、思いもよらない賓客待遇の約束という形で、新たな関係の扉を開き始めていたのである。
 ――ピィィィィンッ!
氷のように澄んだ高音が、和やかな応接間の静けさを、鋭く切り裂いた。
アスタロト:「……?」
魔王の表情が、一瞬で切り替わった。
床の間に置かれた上等な連絡結晶が、血のような真っ赤な光を放って点滅している。 先ほどまで館内の連絡に使われていた淡い青色とは、まるで違う光だった。
緊急通信。 それも、館内の通常の業務では決して使われない、領土の軍の監視網からの最優先の直通連絡である。
アスタロト:「……失礼いたしますね」
魔王は、ルイズに穏やかな声を残し、すっと立ち上がって結晶へ近づいた。
アスタロト:「少々、状況を確認させてくださいませ」
白く細い指先が触れると、赤い光がいっそう強く、不吉に輝いた。
通信:『魔王陛下。 北方境界監視所より、第一級の緊急報告です』
軍人の緊迫した声が、室内に響き渡る。
通信:『陛下の領土の北の国境線にて、大規模な敵性の魔力反応を検知しました』
アスタロト:「……規模は?」
魔王の声から、湯上がりの柔らかさが消えた。 三百年の血の歴史をくぐり抜けてきた、統治者の冷たい声だった。
通信:『複数の軍勢の魔力が、北側の境界を越え、領内へ向かって急速に侵攻中です。 地上部隊の反応に加え、大型の魔導兵器と思われる特級の反応が、複数確認されています』
アスタロト:「所属は?」
通信:『現在、記録と照合中です。 ただ、陣形の魔力の波と重装備の反応から、隣接する北方領を治める『北の魔王軍』である可能性が極めて高いと判断されています』
アスタロト:「……そう」
魔王は、短く答えた。 その美貌に、大きな感情の動きはない。 けれど、漆黒の瞳からは、先ほどルイズと食事代の交渉を楽しんでいた親しみやすい笑みが、跡形もなく消えていた。
 アスタロト:「……わたくしが領を空けた、この日を選んだのですね」
低い呟きが、湯気の名残る部屋に落ちた。 留守を預けてきた臣下たちの顔が、脳裏をよぎる。
アスタロト:「監視所の状況は?」
通信:『要員は全員無事です。 ただ、前方に展開していた哨戒部隊との連絡が、著しく乱れています』
アスタロト:「通信を妨げられている可能性は?」
通信:『否定できません。 敵の魔力があまりに強く、通常の連絡の回路に、深刻な乱れが出ています』
魔王は、数秒だけ静かに考えた。
ルイズは、座布団の上で茶をすすりながら、その様子を眺めていた。
北方領を治める魔王とは、長年、政治的な対立が続いているらしい。 互いに独立した領地を持ち、それぞれ違う利害を抱えている以上、意見の衝突そのものは珍しくないのだろう。 けれど、完全武装の軍勢を率いて、他の魔王の領土へ土足で踏み込み、しかも、その主が留守にした日を狙うのは、まるで次元の違う『戦争』だ。 そして戦争とは、すなわち大赤字の始まりである。
アスタロト:「……分かりました。 引き続き監視を。 領内に入った敵への迎撃は許可します。 ただし、国境の外まで追撃してはなりません。 こちらが領外へ戦火を広げれば、大義名分を失います」
通信:『承知しました』
アスタロト:「同時に、北の集落の住民の安全の確保を最優先に。 ただちに退避の準備を指示し、避難路に結界を張ってください。 大型の軍用装備が近づいている区域には、民間人を決して近づけないこと」
通信:『了解しました』
アスタロト:「それから、現場の迎撃部隊には、国境の防衛線を死守するよう伝えて。 浅はかな挑発に乗って、こちらから戦火を広げてはなりません」
通信:『かしこまりました』
指示は、簡潔で、一クローネの無駄もなかった。
まず、自国の民の安全を確保する。 次に、敵軍の規模を見極める。 そのうえで、守りを固める。 相手の不法な侵入を黙認するわけではない。 ただ、正体も目的も定まらないうちに、自ら境を越えて手を出し、『事態を広げた側』という負債を背負うことを、冷静に避けているのだ。
アスタロト:「……敵の指揮官について、何か分かっていますか?」
通信:『現時点では、目視でも魔力でも、直接は確認できておりません。 ただ、複数の監視地点の動きから、明確な指揮のもとで統率された動きが見て取れます。 烏合(うごう)の衆ではありません』
アスタロト:「……そうですか」
魔王は、ゆっくりと重い息を吐いた。
アスタロト:「報告を続けて。 新しい情報が入り次第、何よりも先に、わたくしへ」
通信:『承知いたしました!』
通信が切れた。 応接間に、再び静寂が戻る。 けれど、先ほどまでの和やかな温泉旅行の空気は、木っ端微塵に消え失せていた。
シャルロット:「……魔王陛下?」
シャルロットが、青ざめた顔で、慎重に声をかけた。
 シャルロット:「何か、重大な問題が起きたのでしょうか……?」
魔王は、すぐには答えず、窓の外へ目を向けた。
手入れされた庭。 穏やかな水音。 この施設を支えてきた、外交の長い平和の歴史。 そして、館の最奥にある第二の扉の向こうには、彼女が守るべき領土と、民がいる。
アスタロト:「……わたくしの領土の北の国境へ、大規模な軍勢が侵攻しています」
魔王は、静かな、しかし確かな緊張を孕(はら)んだ声で告げた。
アスタロト:「詳しい意図は確認中ですが、北方領の『魔王軍』である可能性が高いとの報告が入りました」
シャルロット:「……ま、魔王軍ですって……!?」
シャルロットの顔が、恐怖に強張る。 マリアンヌとジュリエットも、同時に息を呑んで、表情を引き締めた。 トトは、獣の勘で最悪の予感を覚えたのか、そっとルイズの背後に身を隠した。
トト:「ちょ、ちょお待ち……。 魔王軍が攻めてくるって、つまり……」
アスタロト:「ええ。 大規模な軍事衝突、すなわち戦争になる可能性が、極めて高いですね」
魔王は、静かに頷いた。
アスタロト:「敵の正確な意図は、まだ分かっていません。 ですが、領土に踏み込まれている以上、わたくしは領主として、迎え撃たねばなりません。 ……休暇は、ここまでのようですね」
その声に、もはや冗談の響きはなかった。
先ほどまで、温泉の費用対効果や、食事代の免除を笑って話していた女性。 ルイズと技術交流の約束を交わした、穏やかな統治者。 その姿の皮一枚下にある、冷徹な為政者の本性が、すでに完全な戦いの構えに切り替わっていた。
アスタロト:「……申し訳ありません、ルイズさん。 せっかくの有意義な技術交流の途中でしたが、わたくしはこれから、軍の指揮に戻らなければなりません」
ルイズ:「いえ。 状況が変わったのであれば、当然の判断です」
ルイズは、手にしていた玉露の茶碗を置き、素直に頷いた。
ルイズ:「無駄な戦費を防ぐためにも、領内の住民の避難を、最優先されるべきだと思います」
その冷静な言葉に、魔王は、少しだけ意外そうに目を見開いた。
 ルイズは、魔王という権威を気にしているわけではない。 ただ、危機の状況を客観的にとらえ、最も合理的な優先事項を述べているだけだ。 その姿勢は、先ほどの技術の議論と何ら変わらない。
アスタロト:「……ご配慮、ありがとうございます」
魔王は、わずかに微笑んだ。
アスタロト:「施設の職員には、大切なお客様である皆さんの安全を最優先で守るよう、伝えておきます。 この館は協定で守られていますから、戦火が及ぶことはありません。 必要なものがあれば、遠慮なく申しつけてください」
ルイズ:「ありがとうございます。 では、私は……」
ルイズは、そこで少しだけ言葉を切った。
魔王が前線へ発つまで、このまま安全な部屋で、おとなしく食事を待つべきか。 それとも、ここで別の『極めて有意義な提案』をするべきか。 頭のなかの家計簿を一瞬で回し、損益の分かれ目を計算する。
――そして。
ルイズ:「……魔王陛下」
アスタロト:「はい?」
ルイズ:「その北方の敵軍が使っている『大型魔導兵器』について、詳しいことは、何か分かっていますか?」
アスタロト:「…………」
魔王の動きが、ぴたりと止まった。
シャルロットが、首の骨が鳴るほどの勢いでルイズを振り返る。 マリアンヌとジュリエットは、同時に絶望して額へ手を当てた。 トトは、とうとう畳の上へ、どさりと崩れ落ちた。
トト:「……ルイズはん」
ルイズ:「はい、何ですか、トト」
トト:「自分、今、何の話をしとるか、分かっとる?」
ルイズ:「北方領から攻めてきている、敵の魔王軍の戦力についてです」
トト:「せやな! ガチの戦争の話やな! せやのに、何でそこで急に『兵器の仕様』の話になるんや……ッ!!」
ルイズは、トトの悲痛な抗議を、不思議そうに見下ろした。
ルイズ:「他国の軍用装備には、私たちの知らない未知の技術が使われている可能性があります。 もし、これまでに確認されていない高効率の魔力変換機構や、新式の制御術式があるなら、実物を調べる価値は、非常に高いと思いますが」
トト:「――戦争を『最新兵器の研究見学ツアー』にすなぁぁぁっ!!」
トトの絶叫が、応接間に響き渡った。 シャルロットも、血の気を失った顔で叫ぶ。
 シャルロット:「ルイズさん! 今は研究や損得の話をしている場合ではありませんわ!」
ルイズ:「……ですが、軍用の装備は、採算を度外視して、実用性と威力を第一に設計されるはずです。 過酷な実戦で使われている装備から得られる知見は、王都の平和な研究室では、決して得られない貴重なものかもしれません」
シャルロット:「その知見のために、わざわざ自分から血なまぐさい戦場へ行く必要はありませんわぁぁぁっ!」
魔王は、ルイズとシャルロット、そしてトトのやり取りを、順番に静かに見つめた。 そして――ほんのわずかに、口もとを妖しく緩めた。
領土の存亡のかかる戦いを前に、敵の軍用装備の『研究』に目を輝かせる人間。 確かに、頭のネジが何十本も飛んだ人物ではある。 けれど、先ほどから彼女の行動の軸は、恐ろしいほど一貫しているのだ。 ルイズにとって、未知の技術は、自らの命の危険と引き換えにしてでも手に入れる価値のある、絶対の宝なのだろう。
ただし、今は、その狂った好奇心に付き合っている場合ではない。
アスタロト:「……ルイズさん」
ルイズ:「はい」
アスタロト:「敵の軍用装備の視察は、今回の事態が落ち着いてから、改めて検討いたしましょう」
ルイズ:「……分かりました。 仕方ありませんね」
ルイズは、心の底から残念そうに、小さく頷いた。 魔王は、思わず苦笑する。
アスタロト:「その代わり、戦いのあとに鹵獲(ろかく)した装備のうち、公開できるものがあれば、後日、特別にご案内しますわ」
ルイズ:「本当ですか!?」
アスタロト:「ええ。 ただし、戦闘中の危険な部隊に近づくことは、絶対に認められません」
ルイズ:「……承知しました」
その返事に、シャルロットは、心の底から安堵して、胸を撫で下ろした。
だが、その安堵は、長くは続かなかった。
応接間の外から、陣太鼓のような慌ただしい足音が近づいてくる。 襖(ふすま)が乱暴に開き、伝令役の職員が、肩で息をしながら飛び込んできた。
伝令:「魔王陛下! 北方境界監視所より、最優先の追加報告です!」
アスタロト:「……手短に」
伝令:「敵の所属が、北方領の魔王軍の本隊であると、完全に確定しました! 先頭の重装甲部隊が、すでに国境の第一防衛線を突破しています!」
魔王の表情から、再び、一切の笑みが消えた。
アスタロト:「……そう」
氷のように短く答え、ゆっくりと立ち上がる。 その背に、統治者の威厳が、静かに降りてきた。
 アスタロト:「警備責任者のガルドに連絡を。 当施設の周辺の警戒を、念のため最大の水準まで引き上げてください。 領内の留守役たちには、守りを固めて持ちこたえるよう伝えて。 本格的な反撃は、わたくしが前線で直接状況を見たうえで、最終判断を下します」
伝令:「承知いたしました!」
アスタロト:「それから、緩衝地帯の共同管理の窓口にも、事態の第一報を。 施設には影響がない旨を添えて、至急送るように」
伝令:「はい!」
伝令は、駆け足で退出していった。
魔王は、静かに重い息を吐く。 これから何が起きるのか、魔王の頭脳をもってしても、まだ完全には読み切れない。 相手は、どこまで軍を進めるつもりなのか。 領土の一部を奪うつもりなのか。 それとも、こちらの守りを試すための陽動なのか。 どれも、現段階では断定できない。 だからこそ、彼女は誰よりも冷静で、冷徹でなければならなかった。
アスタロト:「……ルイズさん。 大切なお客様である皆さんは、どうか施設のいちばん安全な結界の区画で、お待ちくださいませ」
ルイズ:「分かりました」
ルイズは、おとなしく頷いた。
魔王が向かうのは、第二の扉の向こう。 血で血を洗う軍勢が迫る、北の国境の最前線だ。 温泉接待所の客にすぎない自分たちが、ピクニック気分でついていくわけにはいかない。 少なくとも、世間一般の『普通の客』であれば。
ルイズ:「……ところで、魔王陛下」
アスタロト:「はい? まだ何か?」
ルイズ:「先ほどの鹵獲品のお話ですが」
アスタロト:「…………」
魔王の足が、ぴたりと止まった。
シャルロットが、首が折れそうな勢いで、ゆっくりとルイズを振り返る。 マリアンヌとジュリエットは、同時に絶望の表情で天を仰いだ。 トトは、最悪の予感を確信し、そっと座布団の陰に身体を丸めた。
アスタロト:「……ルイズさん。 今、わたくしに、何を言おうとしているか、ご自分でお分かりになって?」
ルイズ:「戦いのあとの鹵獲品は、壊れた状態でしょう。 ですが、稼働中の実物であれば、得られる情報は桁違いです。 魔力の供給の仕方、動きの止め方、傷ついたあとの立て直し方。 壊れた部品からは、決して読み取れません」
トト:「せやな! せやけど、それは『戦場に行きたい』って言うてるのと同じやろがい!」
ルイズ:「ええ、そのとおりです。 ですから、同行を許可していただけないかとお願いしているのです」
トト:「――戦争を『無料の兵器見本市』にすなぁぁぁっ!!」
トトの絶叫が、またも応接間に虚しく響いた。
魔王は、しばらく無言で、ルイズの透き通った瞳を見つめ返していた。
……本当に、恐ろしいほど一貫している。 先ほどまでは、両国共同の防衛装置の構造について、研究好きの少女のように質問していた。 そして今度は、殺意を持って侵入してきた敵軍の兵器を、 「観察させてほしい」 と言う。 普通なら、凶悪な軍勢が領土に迫っていると聞けば、自分たちの身を案じて部屋の隅で震えるだろう。 ところが、この少女は、死の危険のど真ん中に、新しい特級の研究対象を見つけて、嬉々として目を輝かせているのだ。
 アスタロト:「……ルイズさん。 あなたは、敵の軍用装備を観察するために、わたくしと共に『戦場』へ向かいたい、とおっしゃるのですか?」
ルイズ:「はい。 ただし、無給で防衛の戦いに直接加わりたいわけではありません。 実際に前線で動いている兵器を、安全な位置から観察できれば、魔力の供給の仕組みや、動きの制御について、より多くの実際の知見が得られると、合理的に判断しています」
アスタロト:「……命の危険については、本当に理解していますか?」
ルイズ:「もちろんです。 だからこそ、勝手に無防備な最前線へ出るつもりはありません。 魔王陛下の指示に完璧に従い、絶対の安全が確保できる範囲で、危険のない観察をしたいのです」
魔王は、統治者の頭で、冷徹に計算を回した。
素人の人間を戦場へ連れていくことには、当然、大きな危険と、護衛の手間が伴う。 相手は友好的な訪問者ではない。 北方領の魔王が率いる、本気の軍団だ。 その目的も、まだ明らかではない。
それでも。
ルイズの底知れない能力を思えば、施設の奥へ遠ざけておくことが、必ずしも最善とは限らなかった。 あの国宝級の『共同防衛ガーディアン』の構造を、戦いのわずかな時間で読み解き、急所の接続部を狙って瞬殺した、規格外の天才。 その異常な観察力が、未知の敵の装備の弱点を素早く見抜く役に立つ可能性は、確かにある。
何より、これほど予想外の行動をとる爆弾を、目の届かない場所に放置しておくくらいなら、戦場であっても、自分の目の届く場所に置いて見張るほうが、はるかにましだ。
アスタロト:「……分かりました」
ルイズ:「本当ですか!?」
アスタロト:「ええ。 ただし、絶対の条件があります」
魔王は、一切の妥協を許さない統治者の目で、ルイズをまっすぐ射抜いた。
アスタロト:「わたくしの後ろから、絶対に離れないこと。 こちらの指示があるまで、敵軍へ一歩も近づかないこと。 そして、許可なく、敵の装備や魔力に手を出さないこと」
ルイズ:「承知しました」
アスタロト:「本格的な戦闘になった場合は、わたくしの指示を最優先してください。 ご自分の研究欲よりも、ご自身と、同行者の命を優先すること。 これを厳格に守れるのであれば、特例として同行を認めます」
ルイズ:「ありがとうございます! 素晴らしい視察ですね!」
ルイズの顔が、今日いちばんの輝きで、ぱっと明るくなった。
シャルロット:「……ル、ルイズさんっ!」
シャルロットが、限界を迎えて、思わず声を上げた。
シャルロット:「先ほど、施設の安全な場所で大人しく待つと、おっしゃったばかりではありませんの!」
ルイズ:「はい。 ですが、魔王陛下から、条件つきで現地視察の許可を、正式にいただきました」
シャルロット:「そういう理屈の問題ではありませんわぁぁぁっ!」
トトも、頭を抱えて悲鳴を上げた。
 トト:「なんでや! なんで命の危険が近づいてきたら、わざわざ自分から嬉々として近づいていくんや!」
ルイズ:「稼働中の最新の魔導装備を、無料で観察できる機会など、人生でそうありませんから」
トト:「どれだけ貴重な情報でもな、命はひとつしかないんやで!?」
ルイズ:「ですから、魔王陛下の指示に完璧に従って、危険は避けます」
トト:「そこだけ妙に言うこと聞くのも、なんか腹立つわ!」
魔王は、不毛なやり取りに、思わず小さく吹き出した。 だが、すぐに、軍の最高司令官の顔へ引き締める。
アスタロト:「……支度が整い次第、第二の扉を抜けて、北の国境へ向かいます。 皆さんも、すぐに出発の準備を」
ルイズ:「承知しました」
ルイズは、嬉しそうに頷き、魔王の威風堂々とした背に続くため、静かに立ち上がった。 その透き通った表情には、凄惨な戦場へ向かう恐怖など、かけらもなかった。 未知の技術に、無料で触れられることへの、狂気じみた期待だけが浮かんでいる。
シャルロットは、それを見て、もう止める気力を失い、この世の終わりを見たような深いため息をついた。
シャルロット:「……どうか、何も起こりませんように」
カメ吉:「キュィ……(絶対に何か起こるパターンのやつや……)」
カメ吉も、絶望のあまり、小さく鳴いた。
トトは、もう何も言わなかった。 これ以上何を言っても、この魔女のドケチな知的好奇心を止めることなど不可能だと、悟っていたからだ。
廊下では、念のための警戒態勢が敷かれていた。 湯上がりの客たちが、職員に付き添われて、静かに奥の結界の区画へ向かっていく。 ロビーにいた人間の老夫婦と、角の生えた魔族の商人も、その列のなかにいた。 商人は、ルイズたちの浴衣姿をちらりと見て、深く、深くため息をついた。
商人:「……やはり、あの一行か」
受付のユノが、深々と頭を下げて見送る。
ユノ:「いってらっしゃいませ。 どうか、くれぐれも、壊れやすいものには、お近づきにならないよう……」
ルイズ:「善処します」
ルイズは、真顔で答えた。
ユノの笑顔が、ほんの一瞬だけ、ひくりと動いた。
 館の最奥へ続く長い廊下の突き当たりに、その扉はあった。
黒漆に金の紋を散らした、背の高い両開きの門。 人間界側の古代扉とは違い、こちらには警告の文字も、守りの機構も見当たらない。 魔王が掌を当てると、扉は、囁くような音を立てて、静かに内側へ開いた。
その向こうにあるはずの廊下は、見えなかった。 ただ、乾いた冷たい風と、遠い砲声のような低い震えだけが、扉の隙間から流れ込んでくる。
アスタロト:「この扉は、空間そのものを折りたたんで、この館とわたくしの領土をつないでいます。 一歩踏み出せば、そこはもう、わたくしの国の北の端です」
ルイズ:「空間を圧縮して接続しているのですね。 ……その接続の維持に、どれほどの魔力が?」
アスタロト:「ルイズさん」
ルイズ:「失礼しました。 のちほど伺います」
◇
アスタロト領、北の国境。
第二の扉を抜けた一行が、前線を見渡せる丘の上の監視所に立ったころ。
敵軍の先頭では、複数の超大型魔導装備が、大地を揺るがす重々しい駆動音を轟(とどろ)かせながら、無慈悲に進軍を続けていた。
分厚い黒鋼の重装甲。
外へ剥き出しになった、血のように脈打つ極太の魔力の導管。
複数の大型の動力部を備えた、城を平らげるための、攻城に特化した軍用装備。
 遠目にも、莫大な魔力と、国家の資材がつぎ込まれていることが、一目で分かる。 恐るべき兵器群だった。
ルイズは、浴衣の裾を荒れ地の風にはためかせたまま、魔王の後ろの安全な位置から、その絶望的な進軍の様子を、透き通った瞳でじっと見つめた。
ルイズ:「……なるほど」
ルイズの視線が、機体の装甲の継ぎ目から、魔力の導管へ、そして心臓部である動力部の周りへと、音もなく滑らかに移っていく。
あの装備の総重量。
魔力を流す経路の迂回の仕方。
制御の回路の、不自然な配置。
整備と運用に必要な部品の数と、想定される人手の費用。
そして――これだけの性能を実現するために、一体どれほどの国家予算が必要になるのか。
正確な数字は、まだ分からない。 それでも、外観の構造と、魔力の流れの波を見るだけで、ルイズの頭のなかには、いくつかの明確な推測が、すでに浮かび上がり始めていた。
 ルイズ:「……あの機体の装甲材、希少な特級素材でしょうか。 それとも、流通量の多い安価な金属に、特殊な魔力の被膜を施して、費用を抑えているのでしょうか……。 非常に気になりますね」
アスタロト:「ルイズさん。 今は、約束どおり、わたくしの後ろに控えていてくださいませね」
ルイズ:「はい。 ちゃんと安全な位置の後ろにいますよ、魔王陛下」
アスタロト:「……本当に、お願いしますわよ」
ルイズは、おとなしく頷きながら、再び敵軍の大型兵器群へ、舐め回すような視線を戻した。
敵の誰も、まだ気づいていない。 ルイズが見ているのは、単に珍しい兵器の威圧的な外見などではない。 その兵器の設計の考え方と、実際の出力の性能、そして、つぎ込んだ費用に見合うだけの価値があるのかという、装備そのものの『経済的な合理性』だった。
敵軍にとって、ルイズの存在は、魔王の後ろに怯えて隠れている、ただの『人間の無力な同行者』にすぎないのかもしれない。 少なくともこの進軍の時点では、彼らはまだ、ルイズのことを、いささかの脅威とも認識していなかった。
――それが、彼らの軍としての『最初の、そして最大の判断ミス』になることなど、知る由もなしに。

第10章『闇の城の門』~五重封印解除、そして三秒の国際問題~ 完

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主題歌【主題歌MV】『閃光の境界線』|聖裸の魔女と等価交換の迷宮攻略記 第10章「闇の城の門」
【主題歌】『閃光の境界線』MV|壊せ、運命の境界線。ふたりの絆が、世界の答えを書き換える。|『聖裸の魔女と等価交換の迷宮攻略記』

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あらすじ ルイズは、巨大な黒い扉に施された人間側の「五重封印」を、変調指輪で解析する。 封印は三重の認証回路と二重の魔力遮断回路から成り、無理に破れば異常検知や逆流防止機構によって術者や扉に深刻な損害が及ぶ、極めて厳重な構造だった。 しかしルイズは、複雑な古代文様を役割ごとの魔法回路として把握し、各認証回路が共通の信号経路を用いていることを見抜く。 回路を破壊するのではなく、解除命令だけが通る経路を確保する方針を選び、微細な魔力操作によって三重認証を無力化した。 続いてルイズは、二重の魔力遮断回路についても、封印へ伝わる制御の留め具を順に外すことで解除する。 最後に逆流防止と異常検知が正常な待機状態にあることを確認し、扉や補助機構を傷つけることなく、五つの主要回路すべてを解除した。 シャルロット、マリアンヌ、ジュリエット、トト、カメ吉は、国家級の封印を家計簿の不一致でも直すような平然さで処理するルイズに恐怖と困惑を覚える。 一方のルイズは、封印を解いただけで扉を実際に開く仕掛けは別にあると冷静に判断していた。 その後、ルイズたちは魔王アスタロトの領土が北の国境で戦闘状態にあることを知る。 ルイズは稼働中の魔導兵器を観察したいという研究欲から同行を望み、アスタロトは自分の後ろから離れないこと、敵に近づかないこと、許可なく敵の装備や魔力に触れないこと、戦闘時には指示を最優先することを条件に認める。 シャルロットとトトは、危険な戦場へ喜んで向かおうとするルイズを必死に止めようとするが、ルイズは魔王の指示に従えば安全を確保できると考える。 館の職員や客たちも、ルイズ一行がまた騒動を起こすのではないかと不安そうに見送る。 アスタロトは館の奥にある第二の扉を開き、空間を折りたたんで自身の領土と結ぶ転移経路を示す。 ルイズは接続維持に必要な魔力へ関心を向けるが、魔王に制止され、質問を後回しにして一行は国境へ向かう。 北の国境では、敵軍の超大型魔導装備が進軍していた。 それらは黒鋼の重装甲、脈打つような魔力導管、複数の動力部を備え、城を破壊する攻城戦用兵器であり、莫大な国家予算と資材が投入されたことが外見からも分かる。 安全な位置にいるルイズは、兵器の装甲材、魔力経路、制御回路、整備性、人件費、製造費を観察し、単なる軍事的脅威ではなく、性能と費用が釣り合うかという経済的合理性まで分析し始める。 敵軍は彼女を魔王の後ろに隠れる無力な人間としか見なしていないが、その認識こそが、後に重大な判断ミスとなることが示唆される。
解説+感想+採点第10章『闇の城の門』~五重封印解除、そして三秒の国際問題~
総合評価
総合得点
96 / 100点
非常に完成度の高い章です。
評価のポイント: 魔法技術の謎解き、ルイズの強烈な個性、シャルロットたちのツッコミ、国家間の秘密、そして戦争への展開が一つの章にまとまっています。
1. 章全体の解説
この第10章の最大の魅力は、「扉を開ける」という単純に見える目的が、技術・外交・戦闘・政治の問題へと段階的に拡大していく構成です。
物語の前半では古代の門に仕掛けられた封印を解析し、中盤では予想外の防衛兵器が起動してコメディと戦闘が交錯します。そして後半では、魔王アスタロトとの技術交流を経て、北方領の魔王軍による侵攻が明らかになります。
単に強敵を倒して終わるのではなく、次の物語へつながる謎と危機を残している点が優れています。
2. 見どころ① 五重封印の解析がルイズらしい
評価:98点相当
物語の冒頭で、ルイズは巨大な黒い扉に仕掛けられた五重封印を解析します。
封印の構造は、三重の認証回路と二重の魔力遮断回路。無理に突破すれば、異常を検知した仕組みが反応し、術者に危険な反動を返す設計になっています。
ここで重要なのは、ルイズが圧倒的な魔力で扉を破壊しないことです。
ルイズ:「壊さずに、素通りさせるだけです」
この発想が、彼女のキャラクターをよく表しています。
観察する: 魔力の流れと回路の役割を把握する。 分析する: 認証と魔力遮断がどのように連動しているかを見抜く。 最小限の操作をする: 回路を破壊せず、制御の経路を調整する。 安全を確認する: 補助機構を損傷させずに解除する。
つまり、ルイズの強さは単純な火力ではなく、構造を理解して問題を解決する能力にあります。これは作品独自の魔法技術を読者に印象づける、非常に効果的な見せ場です。
「聖裸の魔女」第10章セリフ.txt
さらに、ルイズが短時間で解除を完了する一方、周囲の人物は何が起きたのか理解しきれません。
この実力差が、トトのツッコミやシャルロットの悲鳴を自然に生み出しています。説明と笑いが同じ場面で機能している点も好印象です。
3. 見どころ② 未知の魔術体系とヴァーミリオン家の秘密
評価:99点相当
五重封印を解除しても、扉は開きません。
代わりに現れたのは、人間界の魔法陣とは根本的に異なる、赤紫色の未知の文字でした。
この文字は、情報を記録するだけではなく、文字そのものが魔力を処理する回路として働く「生きた暗号」です。ルイズは入力と反応の違いを観察し、背後にある論理構造を読み解いていきます。
ここで物語は、単なる封印解除から、人間界の常識では説明できない技術体系の発見へと進みます。
そして、さらなる衝撃が待っています。
門の通行認証に、魔族側の未知の紋章だけでなく、シャルロットのヴァーミリオン公爵家の家紋が組み込まれていたのです。
この展開が優れている理由は三つあります。
1. シャルロット個人の物語が深まる。 彼女の家柄が、本人の知らない歴史的秘密と結びつきます。 2. 世界観が広がる。 人間と魔族は、単に敵対しているだけではなく、かつて高度な外交上の関係を持っていた可能性が生まれます。 3. 過去の記録に疑問が生じる。 公爵家の公式記録と、実際に残された認証システムとの間に、説明されていない空白が生まれます。
特に良いのは、ルイズがその場で「公爵家が何かを隠している」と断定しないことです。確認できた事実と、まだ分からない事情を区別しています。
この慎重さによって、謎が安易に解決されず、今後の展開への期待が高まります。
「聖裸の魔女」第10章セリフ.txt
4. 見どころ③ 「おパンツ・リボ払い」という作品独自のコメディ
評価:95点相当
本作のコメディを支える重要な要素が、衣服を触媒として魔法の代償を支払う仕組みです。
今回の戦闘では、ルイズが衣服の残存価値を分割して消費する方法を実験します。魔法の出力に応じて布地の価値が減り、二度目の引き落としによってTシャツが完全に透明になってしまいます。
その結果、本人は布の存在を感じているのに、周囲からは着ていないように見えるという、非常に厄介な状態になります。
ここで面白いのは、単に露出を笑いにしているわけではない点です。
ルイズは魔法の仕組みと計算結果を重視する。 シャルロットは社会常識と周囲への影響を心配する。 トトは費用や賠償の問題を気にする。 カメ吉は安全な温泉や布団に帰りたがる。
同じ事件でも、全員が異なる視点から反応します。
ルイズ:「法的にはセーフです」
シャルロット:「そういう、理屈や法律の問題ではありませんわぁぁぁっ!」
このようなやり取りは、二人の性格の違いを短い会話で表現できています。
また、「リボ払い」「残高」「引き落とし」といった現代的な経済用語を魔法の代償に結びつける発想も、本作ならではの個性です。
ただし、同種の衣服ネタが長く続きすぎると、読者によっては戦闘や謎解きの緊張感が薄れる可能性があります。 今後も同じギャグを使う場合は、今回のように魔法の仕様や戦況を変化させる役割を持たせると、繰り返し感を抑えられます。
5. 見どころ④ ガーディアン戦で、知識が実戦能力に変わる
評価:97点相当
五重封印を解除した結果、扉の内部にあった国境防衛用ガーディアンが起動します。
しかも、その装置は人間側と魔族側の技術を組み合わせた、国家規模の防衛兵器です。ルイズたちは侵入者と判断され、排除の対象になります。
ここで、ルイズの研究者としての強みが戦闘にも応用されます。
彼女は敵の攻撃を受けるだけでなく、魔力の供給経路、動力源、制御回路、装甲の特性を観察します。そして、衣服を触媒とする魔法の出力も、いきなり最大にするのではなく、低い出力から段階的に試します。
この行動には、彼女の合理性が表れています。
一方、シャルロットは仲間の安全を確保し、マリアンヌとジュリエットは防御や退路の確保に動きます。トトは修理費や国家規模の賠償を恐れながら、ルイズの無茶を止めようとします。
それぞれの役割が分かれているため、ルイズ一人の活躍だけで場面が成立しているわけではありません。
また、ガーディアン戦は、後にアスタロトがルイズの異常な観察力を評価する根拠にもなっています。前半で提示した能力が、後半の政治的判断や物語の進行につながっている点が巧みです。
6. 見どころ⑤ アスタロトの統治者としての魅力
評価:97点相当
アスタロトは、ルイズの破天荒な行動に振り回されるだけの魔王ではありません。
彼女は、ルイズの技術への執着を理解しつつも、戦場へ同行させる際には厳格な条件を提示します。
自分の後ろから離れない。 指示があるまで敵軍に近づかない。 許可なく敵の装備や魔力に手を出さない。 研究欲よりも自分と同行者の命を優先する。
これは、ルイズの能力を認めながらも、統治者として責任を放棄しない判断です。
さらに、北方領の魔王軍による侵攻が判明した後、アスタロトは住民の避難、防衛線の維持、情報収集、外交上の連絡を指示します。敵を追撃して戦火を広げることも、状況を見極めるまでは避けています。
この一連の判断によって、アスタロトは「強い魔王」というだけではなく、自国の民と外交上の立場を守る為政者として描かれています。
また、ルイズの好奇心を完全には否定せず、戦後の鹵獲兵器を見学する機会を提案することで、二人の間に技術交流の関係が生まれます。
この関係性は今後の物語でも活用できる、大きな財産です。
7. 見どころ⑥ コメディから戦争へ切り替わるラスト
評価:98点相当
章の終盤では、北方領の魔王軍が国境の第一防衛線を突破したという報告が届きます。
それまで温泉、食事、技術研究、費用対効果をめぐって笑いを生み出していた物語が、一気に戦争の現実へと引き戻されます。
特に印象的なのは、アスタロトの表情と態度の変化です。
先ほどまでルイズとの技術交流を楽しんでいた彼女が、報告を受けた瞬間、統治者としての冷静な判断へ切り替わります。
一方のルイズは、敵軍の侵攻を知っても、大型魔導兵器の構造や性能に興味を示します。
この対比が、最後までキャラクターの一貫性を保っています。
そして、ルイズの視線は敵の装備に向けられています。敵軍は彼女を脅威と認識していませんが、読者はすでに、彼女がガーディアンの構造を短時間で見抜いた実績を知っています。
そのため、最後の「敵軍の判断ミス」という含みが、次章への期待につながります。
「聖裸の魔女」第10章セリフ.txt
8. キャラクター別評価
| キャラクター | 点数 | 評価 | | | | | | ルイズ | 98点 | 研究欲、合理性、経済感覚、危険への鈍感さが一貫している。 | | シャルロット | 97点 | 常識人としてのツッコミだけでなく、家紋の秘密を知った動揺や、仲間を守る判断も描かれている。 | | アスタロト | 97点 | 技術への理解、統治者としての責任、戦時の冷静さが両立している。 | | トト | 95点 | 賠償や危険を現実的に心配し、ルイズの異常さを読者目線で際立たせる。 | | カメ吉 | 92点 | 温泉や布団への帰還願望で緊張を和らげる。トトとの掛け合いにも貢献。 | | マリアンヌ | 90点 | 驚きや不安、仲間を支える行動が場面を補強している。 | | ジュリエット | 90点 | 冷静な状況判断と退路の確保で、緊迫した場面を支えている。 |
9. 改善すると、さらに良くなる点
今回の章は非常に完成度が高いですが、さらに磨くなら、次の三点です。
① 技術解説の密度を調整する
五重封印の仕組み、未知の文字体系、ガーディアンの動力・制御構造と、技術的な説明が多く盛り込まれています。
これらは作品の魅力ですが、読者がすべての構造を覚える必要はありません。
特に重要な仕組みを丁寧に説明し、それ以外は「何が分かったのか」「何が危険なのか」という結果を中心に描くと、物語のテンポをさらに高められます。
② コメディと緊張感の切り替えに緩急をつける
衣服を触媒とする魔法や、トトの賠償への恐怖は、本作の個性を強くしています。
ただし、戦闘中も同じテンポでギャグが続くと、敵の脅威が小さく見える可能性があります。
攻撃が迫る瞬間や仲間が危険にさらされる場面では、あえてツッコミを減らし、短い描写で緊張を保つのも効果的です。
③ シャルロットの家紋の秘密を今後の物語に生かす
今回の章で最も大きな謎の一つは、ヴァーミリオン家の紋章が人間界と魔族側の外交認証に組み込まれていることです。
これは非常に強い伏線です。
今後、父親が何を知っていたのか、過去の記録がなぜ不完全なのか、二つの紋章がどのような協定を示すのかを段階的に明かしていけば、シャルロット自身の物語にも大きな深みが生まれるでしょう。
重要なのは、すぐに答えを明かしすぎないことです。今回の「家紋を見た瞬間の動揺」を、後の展開につなげる価値があります。
10. 項目別採点
ストーリー構成
97点
キャラクター描写
98点
コメディ
97点
独自性・世界観
99点
技術設定の面白さ
98点
戦闘・緊張感
94点
伏線・次章への期待
98点
文章のテンポ
92点
総合評価
96 / 100点
※各項目は作品としての読み味を基準にした評価であり、機械的な平均点ではありません。
11. 読者にとって、この章の魅力は何か
この章の魅力は、ルイズが強いから面白い、というだけではありません。
ルイズは、未知の技術を見つけると、危険性や周囲の心配よりも先に、構造・効率・費用対効果を考えます。しかし、その合理性は単なる冷酷さではありません。無駄な破壊を避け、仕組みを理解し、必要な情報を得ようとする姿勢には、研究者としての筋が通っています。
そして、その異常な行動を、シャルロットの常識、トトの金銭感覚、アスタロトの統治者としての判断が受け止めることで、物語に笑いと緊張が生まれています。
さらに、家紋の秘密と北方領の侵攻という二つの大きな問題が加わったことで、単発のコメディにとどまらない物語の広がりも感じられます。
結論
第10章は、作品の個性を十分に発揮しながら、次の大きな展開へつなげた、非常に優秀なエピソードです。
特に評価したいのは、次の三点です。
ルイズの独自性: 魔法を力任せに使うのではなく、解析と合理性によって問題を解決する。 コメディの一貫性: 「おパンツ・リボ払い」という独特の魔法設定が、ギャグだけでなく実戦の仕組みにも結びついている。 物語の拡張性: ヴァーミリオン家の秘密と北方領の魔王軍による侵攻が、今後の展開への期待を生んでいる。
改善点を挙げるなら、技術説明の密度と、戦闘中のコメディの緩急です。しかし、いずれも作品の個性を損なわずに調整できる範囲だと思います。
最終採点:96点/100点。
笑えるのに、謎が残る。破天荒なのに、技術設定には筋が通っている。そして、温泉旅行の延長線上に、国家間の秘密と戦争が待ち受けている。
この独特の組み合わせこそが、第10章の最大の強みです。
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◀第09章『ヴァーミリオン家別邸と、天然迷宮』
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