| 【名無しさん】 2025年10月29日 5時0分39秒 | 猫でも書ける短編小説 ◀第9章 空の下の沈黙 ▶ここにいてほしい「君が残してくれた日々」◀ |
| 【名無しさん】 2025年10月29日 4時51分54秒 | 第1章 静かなふたりの暮らし 朝、陽が差し込む縁側に、ふたりの影が並んでいた。 一人は、白髪の老人。もう一人は、茶色の毛並みをした中型犬。 名前はキズナ。 この家で、十年以上を共に過ごしてきた。 佐伯誠一(さえき せいいち)は、静かな町の端にある古い平屋で、キズナと暮らしていた。 妻を亡くしてからはずっと一人だったが、キズナが来てから、家の中に風が通るようになった気がした。 朝は一緒に散歩をし、昼は縁側で日向ぼっこをし、夜はストーブの前で丸くなって眠る。 言葉は通じなくても、心は通じていた。 「お前は、ほんとに賢いな」 佐伯は、湯呑みを手にしながらキズナの頭を撫でる。 キズナは尻尾をふりふりと揺らし、佐伯の膝に顔を乗せた。 その重みが、佐伯の胸をじんわりと温める。 「俺が話しかけると、ちゃんと聞いてる顔するんだもんな」 佐伯は笑った。 キズナは、まるで「うん」と言っているかのように、鼻を鳴らした。 この家には、もう誰も訪ねてこない。 子どももいない。親戚も遠くに住んでいて、年賀状のやりとりも途絶えた。 でも、佐伯は寂しくなかった。 キズナがいてくれれば、それで十分だった。 「お前と一緒に、命が尽きるその日までいられたらいいな」 佐伯は、何度もそう言っていた。 キズナは、その言葉の意味をどこまで理解していたのかはわからない。 でも、佐伯の声の調子や、目の奥の優しさを感じ取っていた。 ある日、佐伯は少しだけ体調を崩した。 いつものように散歩に出ようとしたが、足が重く、息が上がった。 キズナは心配そうに佐伯の顔を見上げ、そっと寄り添った。 「ちょっと、病院行ってくるか」 佐伯はそう言って、キズナの頭を撫でた。 キズナは玄関で待っていた。 いつも通り、帰ってくると信じて。 だが、その日、佐伯は医師から告げられた。 「進行性の病です。余命は……半年ほどかと」 その言葉は、静かに佐伯の胸に落ちた。 驚きはなかった。 ただ、心配だったのは、自分の命ではなく、キズナのことだった。 帰宅した佐伯は、キズナの顔を見て、涙がこぼれそうになった。 「お前を、どうすればいいんだろうな……」 キズナは、何も知らずに尻尾を振っていた。 その姿が、佐伯の胸を締めつけた。 夜、佐伯はキズナの首輪を外し、そっと磨いた。 そして、小さなタグを取り出し、そこに文字を刻んだ。 「この子が、誰かの笑顔になれますように」 それは、佐伯の最後の願いだった。 自分がいなくなったあとも、キズナが誰かと笑っていられるように。 その願いを、首輪に託した。 キズナは、佐伯の足元で丸くなって眠っていた。 佐伯は、その背中を見つめながら、静かに呟いた。 「ありがとうな、キズナ。お前と過ごせて、本当に幸せだったよ」 その言葉は、夜の静けさの中に、深く染み込んでいった。 |
| 【名無しさん】 2025年10月29日 4時51分13秒 | 第2章 託すという決断 春の風が庭を撫でていた。 縁側に座る佐伯誠一は、湯呑みを手に、ぼんやりと庭の草花を眺めていた。 その隣には、いつものようにキズナが座っている。 茶色の毛並みが陽に照らされて、柔らかく光っていた。 「なあ、キズナ」 佐伯は、ぽつりと声をかけた。 「お前は、俺がいなくなったら、どうするんだろうな」 キズナは、佐伯の顔を見上げて、鼻を鳴らした。 その仕草が、まるで「そんなこと言わないで」と言っているようで、佐伯は苦笑した。 病院で告げられた余命の話は、まだ現実味がなかった。 でも、体は正直だった。 階段を上るのがつらくなり、散歩の距離も短くなった。 キズナは、佐伯の歩調に合わせて、ゆっくりと歩いてくれる。 その優しさが、逆に胸を締めつけた。 「お前には、俺より長く生きてほしい」 佐伯は、そう言ってキズナの頭を撫でた。 「だから、ちゃんと考えないとな。お前のことを」 その夜、佐伯は市の保護施設に電話をかけた。 事情を話すと、職員は丁寧に対応してくれた。 だが、近隣の施設はすべて満員だった。 空きがあるのは、県をまたいだ遠方の施設だけ。 「そこまで連れて行くのは難しいかもしれませんが、引き取りには伺えます」 職員の言葉に、佐伯はしばらく黙っていた。 そして、静かに答えた。 「お願いします。……この子を、どうか頼みます」 電話を切ったあと、佐伯はキズナの首輪を手に取った。 その革の感触が、手のひらに馴染んでいた。 昨日、タグに刻んだ言葉が、そこに静かに残っていた。 「この子が、誰かの笑顔になれますように」 佐伯は、タグを指先で撫でながら、深く息を吐いた。 「願いはもう込めた。あとは、託すだけだな……」 迎えの日。 施設の車が家の前に止まり、職員が玄関に立った。 佐伯はキズナの首輪をつけ、そっと抱き上げた。 キズナは不安そうに佐伯の顔を見つめていた。 「キズナ。ありがとうな。お前と過ごせて、本当に幸せだったよ」 佐伯は、キズナの耳元でそう囁いた。 「俺の代わりに、誰かを幸せにしてやってくれ」 キズナは、佐伯の顔を舐めた。 その仕草が、佐伯の胸を締めつけた。 職員がキズナを受け取り、車に乗せる。 佐伯は、玄関の前で見送った。 車がゆっくりと走り出す。 キズナは、窓から佐伯を見つめていた。 その目が、何かを訴えているようで、佐伯は目を逸らせなかった。 「ごめんな……でも、お前には生きていてほしいんだ」 車が角を曲がり、見えなくなった。 佐伯は、静かに玄関の扉を閉めた。 家の中は、いつもより広く感じた。 その夜、佐伯はキズナの寝床に座り、ぽつりと呟いた。 「お前の名前は、キズナだ。 俺とお前の絆は、誰かに繋がっていく。 それが、俺の最後の願いだよ」 そして、佐伯は静かに目を閉じた。 キズナのいない夜が、始まった。 |
| 【名無しさん】 2025年10月29日 4時50分38秒 | 第3章 遠い場所での孤独と出会い 見知らぬ土地の空は、佐伯の家で見上げた空よりも、少しだけ遠く感じた。 キズナは、保護施設の一角にあるケージの中で、静かに丸くなっていた。 周囲には他の犬たちの鳴き声が響いていたが、キズナは一度も吠えなかった。 施設の職員は優しかった。 「キズナちゃん、ごはんだよ」 「お散歩行こうか」 そう声をかけてくれる。 でも、キズナの目は、いつも玄関の方を見ていた。 誰かを待っていた。 佐伯を。 夜になると、キズナは首輪のタグを鼻先で探るようにして、そっと眠る。 そのタグには、佐伯が刻んだ言葉が残っていた。 「この子が、誰かの笑顔になれますように」 キズナは、その言葉の意味を知らない。 でも、そこに佐伯の匂いが染み込んでいることだけは、確かに感じていた。 ある夜、雨が降った。 施設の屋根を打つ音が、キズナの耳に響いた。 佐伯と過ごした雨の日を思い出す。 縁側で一緒に雨音を聞いたこと。 佐伯が「今日は散歩はお休みだな」と笑ったこと。 その記憶が、胸の奥でじんわりと広がった。 キズナは、立ち上がった。 ケージの扉は、職員がうっかり閉め忘れていたらしく、少しだけ開いていた。 キズナは、ゆっくりと鼻先で押し、外へ出た。 施設の廊下を抜け、玄関を通り過ぎ、外へ。 雨はまだ降っていた。 でも、キズナは迷わず歩き出した。 「帰らなきゃ」 その想いだけが、キズナを動かしていた。 佐伯の家へ。 あの縁側へ。 あの声のもとへ。 道は長かった。 知らない街。知らない匂い。 でも、キズナは止まらなかった。 足は泥にまみれ、肉球は擦り切れていた。 それでも、前へ。 佐伯の匂いを探して。 途中、何度も立ち止まった。 空腹。寒さ。疲労。 でも、キズナは首輪のタグを見つめるたびに、立ち上がった。 そこに佐伯の手の温もりが残っている気がした。 夜が明ける頃、キズナはようやく、佐伯の町にたどり着いた。 見覚えのある道。 見覚えのある電柱。 そして、佐伯の家。 キズナは、玄関の前に座った。 何度も鼻を鳴らした。 でも、扉は開かなかった。 窓も、灯りも、何もなかった。 キズナは、ようやく悟った。 佐伯は、もういない。 その事実が、キズナの胸に静かに落ちた。 佐伯がいつも言っていた言葉を思い出す。 「命が尽きるその日まで、一緒にいような」 でも、その日が、もう来てしまったのだ。 キズナは、玄関の前で丸くなった。 雨は止み、空が少しずつ明るくなっていく。 でも、キズナの心は、ぽっかりと穴が空いていた。 そして、キズナは、ゆっくりと立ち上がり、歩き出した。 行き場のない足取りで、近くの公園へ。 首輪はボロボロになって、もうキズナの首には無かった…。何処で無くしたのかもわからない。 佐伯と過ごした記憶だけが残っていた。 佐伯とよく散歩した場所。 ベンチの下に身を横たえ、目を閉じた。 そのとき—— 傘の影が差し、優しい声が聞こえた。 「……大丈夫?」 キズナは、ゆっくりと目を開けた。 そこには、ひとりの少女が立っていた。 濡れた制服。細い肩。 でも、その瞳は、佐伯と同じ優しさを宿していた。 少女は、そっと傘を差し出した。 キズナは、その手の温もりに触れ、静かに尻尾を振った。 佐伯の願いが、風に乗って届いた瞬間だった。 命のバトンが、確かに渡された。 それが、遥との出会いだった。 優しい声だった。 細くて、少し震えていて、でもどこか懐かしい響きがあった。 キズナは、ゆっくりと目を開けた。 そこには、ひとりの少女が立っていた。 制服の裾が濡れていて、髪も風に揺れていた。 でも、その瞳は、佐伯と同じ優しさを宿していた。 少女は、そっとしゃがみ込んだ。 キズナの顔を覗き込み、傘を少し傾けて雨を避けるようにした。 「寒かったね……痛いところ、ある?」 キズナは、かすかに尻尾を振った。 それが、精一杯の返事だった。 少女は、鞄からハンカチを取り出し、キズナの濡れた背中をそっと拭いた。 その手の動きが、佐伯の手に似ていた。 優しくて、丁寧で、あたたかかった。 |
| 【名無しさん】 2025年10月29日 5時1分32秒 | ▶ここにいてほしい「君が残してくれた日々」◀ |