◀第5章「嫉妬の色」
▶第13章「光の盾」
|
第9章「心の距離」
「遠足って、もっとこう……お弁当食べて、のんびりするものじゃなかったっけ?」
ルイは、魔法学園の遠足で訪れた丘陵地帯を見渡しながら、そっとつぶやいた。風は心地よく、空は抜けるように青い。けれど、胸の中は曇っていた。
(セリナとレオンの距離が近い。……いや、気のせいだ。気のせいであってほしい)
三人は、魔法植物の観察と採集を目的に、班ごとに散策していた。ルイ・セリナ・レオンは当然同じ班。けれど、当然のように気まずかった。
「この花、魔力を吸収する性質があるんだって。ルイ、知ってた?」
セリナが笑顔で話しかけてくる。けれど、その笑顔はどこかぎこちない。
「うん……たしか、魔力流路を遮断する構造だったと思う。計算式で言うと、えっと……」
「……あ、ごめん。ちょっと難しかったかも」
「いや、僕こそ……説明が回りくどかった」
(どうして、こんなに話しづらいんだろう。昔はもっと自然に話せたのに)
レオンは少し離れた場所で、剣の柄を握りながら周囲を警戒していた。騎士としての責任感が強い彼は、遠足でも“守る”ことを忘れない。
(レオンは、セリナを守る騎士になりたいって言ってた。僕は……何になりたいんだろう)
そのとき、セリナが足元の石につまずいた。
「きゃっ!」
「セリナ!」
ルイは反射的に手を伸ばした。彼女の体が傾き、草むらに倒れそうになった瞬間——
彼は、彼女を抱きとめていた。
「だ、大丈夫……?」
「う、うん……ありがとう、ルイ」
二人の距離が、物理的にゼロになった。顔が近い。瞳が合う。けれど——
「……気をつけて」
ルイは、そっと彼女から手を離した。セリナも、何も言わずに立ち上がった。
(言えない。言っちゃいけない。僕が彼女を好きだなんて、言ったら……)
(ルイは、私のこと……どう思ってるの? あのとき、応援するって言ったけど……)
沈黙が、二人の間に降り積もる。風が吹いても、草が揺れても、心は動かなかった。
遠足の帰り道、三人は並んで歩いていた。けれど、会話はなかった。
「……今日の採集、成果は上々だったな」
レオンが、空気を変えようと口を開いた。
「うん。魔力吸収花、意外と多かったね」
セリナが応じる。ルイは、少し遅れて頷いた。
「……計算上、あの丘は魔力濃度が高いから、植物の成長も早いはず」
「さすが、理論魔法の天才」
レオンが笑う。けれど、その笑顔も、どこか空回りしていた。
(僕たち、三人でいるのに、三人じゃないみたいだ)
(ルイの目が、私を見ていない。レオンの言葉が、私に届かない)
(セリナの笑顔が、僕に向いてるのに、僕はそれを受け取れない)
その夜、ルイは宿屋の部屋でノートを開いていた。けれど、数字は頭に入ってこない。
(僕は、魔法を創れる。でも、人の心は……どうやって構築すればいいんだろう)
彼は、窓の外を見た。星が瞬いている。風が、カーテンを揺らす。
(セリナの気持ちに気づいてる。でも、僕が応えたら、レオンは……)
(僕が黙っていたら、セリナは……)
(どっちにしても、誰かが傷つく。だったら、僕が傷つけばいい)
セリナは、ベッドの上で膝を抱えていた。リリィからもらったクッキーが、机の上に置かれたまま。
(ルイは、私のことを“レオンのもの”だと思ってる。違うのに……)
(私が転んだとき、抱きとめてくれた。あの手の温もり、忘れられない)
(でも、言葉がなかった。目は合ったのに、心は合わなかった)
レオンは、剣の手入れをしながら、ふと手を止めた。
(俺は、セリナを守りたい。でも、あいつの心は……ルイに向いてる気がする)
(ルイは、俺のことを親友だと思ってる。でも、俺は……)
(このままじゃ、三人とも前に進めない)
遠足は終わった。けれど、三人の心の距離は、まだ遠かった。
そして、沈黙の中で、それぞれが答えを探していた。
|
第10章「消えた賢者」
魔法学園の朝は、いつも通りに始まった。けれど、今日だけは“いつも通り”じゃなかった。
「ゼノ先生が……いない?」
ミリア教師の声が、教室に響いた。生徒たちはざわつき、ルイは思わず顔を上げた。
(ゼノさんが、いない? あの飄々とした笑顔で、今日も変な詩でも呟いてると思ってたのに)
「昨日までいたのに、今朝から姿が見えません。部屋には“器は空に似ておる”とだけ書かれた紙が残されていました」
(それ、ゼノさんの口癖じゃん……って、紙に残すほどの意味ってこと?)
セリナは心配そうに眉を寄せ、レオンは腕を組んで黙っていた。
「ルイ、ゼノ先生って、あなたに何か言ってた?」
「え、えっと……“創る側の器”って……」
「それ、意味わかる?」
「……わかんない。空っぽってこと?」
(いや、違う。ゼノさんは、僕に“可能性”を見てた。空っぽじゃなくて、“限界が見えない器”って意味だったのかもしれない)
放課後、ルイは魔術図書館の奥にいた。ゼノが使っていた席には、古びた魔導書が一冊だけ残されていた。
「……これ、ゼノさんの?」
表紙には、数式と魔術式が混ざった奇妙な記号が並んでいた。開くと、ページの端に小さく書かれていた。
「魔力制限を超える理論式——“虚数魔導式”」
(虚数? 魔法に虚数? いや、待て。魔力流路を複素数で表すと、干渉領域が……)
ルイの脳内で、数式が踊り始めた。ページをめくるたびに、ゼノの言葉が蘇る。
「器は空に似ておる。限界が見えぬ」
(つまり、魔力が少ない僕でも、“魔力の外側”を使えば……)
彼は、ノートを開いた。指先が走る。数式が浮かび、魔術式が再構築されていく。
「……できる。これなら、魔力0.2でも、魔法を“創れる”」
その夜、セリナはルイの部屋を訪れた。ノックの音が、静かに響く。
「ルイ、いる?」
「……うん。どうぞ」
セリナは、そっと扉を開けた。手には、焼きたてのクッキー。
「ゼノ先生、いなくなっちゃったね」
「うん。でも、残してくれた。これ」
ルイは、魔導書を見せた。セリナは目を丸くした。
「これ、魔力制限を超える理論……? そんなの、ほんとにできるの?」
「たぶん。いや、計算上はできる。実験は……まだだけど」
「ルイって、やっぱりすごいね」
「……すごくないよ。僕は、ただ数字を並べてるだけ」
「でも、その数字で、世界を変えようとしてる」
セリナの言葉に、ルイは目を伏せた。
(僕は、セリナの言葉に救われてる。でも、彼女の気持ちには応えられない。レオンのこともあるし……)
「ありがとう、セリナ。でも、僕は……」
「ううん。今は、ありがとうって言ってくれたら、それでいい」
セリナは、そっとクッキーを机に置いて、部屋を出ていった。
翌日、ルイは魔術実験室にいた。ゼノの理論を元に、魔術式を構築していた。
「虚数魔導式、展開開始……魔力流路、再配置……」
魔法陣が光り、空気が震えた。けれど、爆発は起きなかった。
「……成功。魔力制限、突破」
彼は、静かに笑った。
(ゼノさん、見てますか? 僕、あなたの言葉を信じて、ここまで来ました)
その頃、レオンは訓練場で剣を振っていた。汗を流しながら、ふと空を見上げた。
(ルイは、また一歩先に進んだ。俺は、守ることしかできない。でも、それでいいのか?)
(セリナの心は、ルイに向いてる。俺は、それを見てるだけで……)
彼は、剣を握り直した。
(俺も、前に進まなきゃ。守るだけじゃ、届かない)
そして、三人はそれぞれの場所で、静かに歩みを進めていた。
ゼノの残した魔導書は、ルイの手で解析され、魔力制限を超える理論が完成した。
それは、革命の火種だった。
けれど、誰もまだ、それが世界を揺るがすことになるとは知らなかった。
——ただ、空に似た器が、静かに満ち始めていた。
|
第11章「禁呪の夜」
魔法学園の夜は、いつもなら静かだった。星が瞬き、風が木々を揺らし、生徒たちは夢の中へ——のはずだった。
「……魔力反応、異常値です! 結界が……破られました!」
警鐘が鳴り響き、校舎が震えた。教師たちが駆け出し、生徒たちは避難を始める。
ルイは図書室の隅で、ゼノの残した魔導書を開いていた。ページの端が震え、インクが滲む。
(この魔力……普通じゃない。いや、これは……禁術の波動?)
「ルイ!」
セリナが駆け込んできた。顔は真剣で、手には杖。いつもの笑顔は消えていた。
「魔物が侵入したの! 南棟が……レオンが向かったけど、危ないかも!」
「えっ……レオンが?」
ルイの心臓が跳ねた。あの正義感の塊みたいな聖騎士は、真っ先に突っ込んでいったに違いない。
(待って。魔物って、どんな魔物? 魔力吸収型? それとも物理特化? いや、今はそんな分析してる場合じゃ——)
「セリナ、君は避難して。僕が行く」
「えっ、でも——」
「計算はできる。魔力は足りないけど、式で補える。ゼノさんの理論、試す時が来たんだ」
南棟は、まるで戦場だった。壁は崩れ、床には焦げ跡。魔物——黒い霧のような存在が、空間を歪ませていた。
レオンは盾を構え、血を流しながらも立っていた。
「セリナを……守れ……!」
その声と同時に、魔物の触手がセリナを絡め取った。彼女の魔力が吸われ、意識が遠のく。
「ルイ……!」
ルイは、震える手で魔導書を開いた。ゼノの理論——魔力制限を超える数式魔法。
(魔力指数0.2。普通なら、魔法なんて撃てない。でも、魔力の流れを再構築すれば——)
「虚数魔導式、展開。詠唱省略。多重詠唱、同時起動」
空間が震えた。魔物がルイに気づき、触手を伸ばす。
「魔力流路、遮断。干渉領域、反転。魔法式、再構築——」
光が走った。魔物の身体が、数式の網に絡め取られ、霧のように消えていく。
セリナの拘束が解け、彼女は崩れ落ちる。ルイは駆け寄り、彼女を抱きとめた。
「ルイ……来てくれたんだね」
「うん……計算したから……君の座標、誤差0.03以内だった」
「……それ、ロマンチックなの? よくわかんないけど、ありがとう」
彼女の笑顔が戻った瞬間、ルイはふらりと倒れた。
「ルイ!」
翌朝、学園は静まり返っていた。教師たちは復旧に追われ、生徒たちは噂話に花を咲かせる。
「魔物を倒したのって、誰? 聖騎士団じゃないの?」
「いや、なんか……宿屋の息子らしいよ?」
「え、あの魔力0.2の?」
けれど、公式記録には何も残されなかった。
「魔力指数0.2の生徒が魔物を倒した? そんな記録、残せるわけがない」
ルイは停学処分となり、宿屋へ戻ることになった。
その夜、セリナは窓辺で空を見上げていた。
(ルイ……あなたは、数字で世界を変えた。でも、自分のことだけは、まだ変えられてないのね)
彼女の手には、焦げたお守りが握られていた。
(次は、私があなたを守る番。絶対に、諦めない)
そして、英雄は沈黙の中へと消えていった。
|
第12章「沈黙の英雄」
宿屋の厨房は、今日も静かだった。鍋の湯気がふわりと立ち上り、皿洗いの音だけが響いている。
「……泡って、なんでこんなに逃げるんだろう」
ルイはスポンジを握りながら、泡の挙動を観察していた。魔法理論の応用で泡の動きを解析しようとするのは、もはや職業病である。
(いや、違う。これは逃避だ。現実からの)
魔物を倒した翌日、ルイは停学処分を言い渡された。
「魔力指数0.2の生徒が魔物を殲滅? 記録に残すには不都合すぎる」
教師たちは口を揃えた。ルイの活躍は、公式には“存在しなかった”ことになった。
(英雄になったはずなのに、僕は今、泡と戦ってる)
その夜、宿屋の扉がそっと開いた。
「こんばんは……」
セリナだった。手には小さな紙袋。中身は、ルイの好きなレモン風味のクッキー。
「……皿、洗ってるの?」
「うん。泡の挙動が面白くて。ほら、こっちの泡は逃げるけど、こっちは——」
「ルイ」
セリナの声が、泡よりも静かに、でも確かに響いた。
「あなた、英雄だったよ。誰が何と言おうと、私は見た。魔物を倒して、私を助けてくれた」
「……でも、記録には残らなかった」
「記録なんて、紙の上の話。私の心には、ちゃんと残ってる」
ルイは手を止めた。泡が静かに消えていく。
(セリナは、僕を見てくれてる。でも……)
「僕は、君の幸せを願ってる。だから、レオンと——」
「違うの!」
セリナが声を上げた。珍しく、感情があふれていた。
「私は、ルイが好きなの。ずっと、ずっと前から。でも、あなたが勝手に“高嶺の花”とか言って、距離を置いて……」
「……だって、僕なんか」
「“僕なんか”って言わないで!」
セリナの目に、涙が浮かんでいた。
「夢じゃないよ……あの夜、あなたが来てくれたこと。私を助けてくれたこと。全部、現実だった」
ルイは言葉を失った。泡よりも儚いと思っていた自分の存在が、セリナの中では確かなものだった。
(僕は……逃げてた。自分の可能性からも、彼女の気持ちからも)
「……ごめん」
それだけ言って、ルイは背を向けた。
セリナは、そっと紙袋を置いて、静かに扉を閉めた。
翌朝、ルイはクッキーを一つ口にした。
「……甘い。けど、ちょっと酸っぱい」
(レモンか。セリナらしいな)
彼は、ノートを開いた。泡の挙動ではなく、魔力流路の再構築式を書き始める。
(逃げるのは、もうやめよう)
その頃、レオンは訓練場で剣を振っていた。腕には包帯、顔には疲労。
(ルイは、俺より先に進んでる。セリナの心も、きっと……)
彼は剣を握り直した。
(でも、俺は俺のやり方で、二人を守る。それが、聖騎士の誓いだ)
三人の心は、まだすれ違っていた。
けれど、それぞれが一歩ずつ、前へ進み始めていた。
沈黙の中で、英雄は再び歩き出す。
|
▶第13章「光の盾」
|