◀第9章「心の距離」
▶第17章「絆の式」
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第13章「光の盾」
宿屋の朝は、パンの香りと皿洗いの音で始まる。ルイは今日も泡と格闘していた。
「泡って、なんであんなに逃げるんだろう……。まるで僕の自尊心みたいだ」
そんな独り言をつぶやいていた矢先、街の中心から爆音が響いた。
「魔獣グラヴァル、出現! 市民は避難を!」
外から叫び声。ルイはスポンジを放り出し、窓の外を見た。
(あれは……魔界獣? 魔力吸収型……しかも、結界を破壊する力を持ってる)
彼の脳内では、魔獣の構造解析が始まっていた。魔力流路、攻撃範囲、反応速度——すべてが数式に変換されていく。
(詠唱じゃ間に合わない。なら、無詠唱で結界を張るしかない)
街の広場では、グラヴァルが咆哮を上げていた。建物が崩れ、市民が逃げ惑う。
レオンは剣を構え、前衛に立っていた。
「くそっ……結界が持たない!」
彼の聖属性魔法も、魔獣の吸収能力には通じなかった。
「誰か、結界を——!」
その瞬間、空間が光に包まれた。
「結界展開。魔力流路、再構築。遮断領域、半径42メートル。誤差、0.01以内」
ルイの声が響いた。詠唱なし、杖もなし。彼の周囲に、幾何学的な魔法陣が浮かび上がる。
「ルイ……!」
セリナが駆け寄る。彼女の瞳は驚きと、少しの涙で濡れていた。
「君が来てくれるって、信じてた」
「計算したからね。君の位置、誤差0.03以内だった」
「……それ、ロマンチックなの?」
「たぶん、違う」
結界は、魔獣の攻撃を完全に遮断していた。市民たちはその光の中で守られ、レオンは剣を収めた。
「やっぱりすげぇよ、ルイ。お前、ほんとに……英雄だな」
ルイは照れくさそうに頭をかいた。
「いや、僕は……泡と戦ってただけで」
「泡?」
「うん、皿洗いの泡。逃げるんだよ、あいつら」
「……お前、ほんとに変わってねぇな」
レオンは笑った。セリナも笑った。ルイも、少しだけ笑った。
その夜、三人は宿屋の屋根に座っていた。星が瞬き、風が頬を撫でる。
「ルイ、今日の結界……すごかったよ」
「ありがとう。でも、まだ怖いよ。僕なんかが、守れるなんて」
「でも、守ったじゃない。私たちを。街を」
セリナの声は、優しくて、あたたかかった。
レオンは空を見上げながら言った。
「俺は、剣で守る。ルイは、数字で守る。セリナは、心で守る。……それでいいんじゃないか?」
三人は、しばらく黙って星を見ていた。
沈黙は、もう痛みじゃなかった。
それは、絆の始まりだった。
そして、英雄は光の盾を手に、少しずつ自分を受け入れ始めた。
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第14章「三人の誓い」
月が、静かに空を照らしていた。
海辺の街は、昼の喧騒を忘れたように穏やかで、波の音だけが遠くから聞こえてくる。宿屋の裏庭にある小さな丘の上——そこに、三人は並んで座っていた。
「……なんか、こういうの久しぶりだね」
セリナがぽつりと呟く。膝を抱えて、月を見上げている。
「昔はよく、ここで星を数えたよな」
レオンが懐かしそうに笑う。剣は腰に、けれど今夜は戦う気配はない。
ルイは、少し離れた場所に座っていた。距離は、物理的なものよりも、心のものだった。
(僕がここにいていいのかな。英雄になったわけでもない。むしろ、記録から消された存在だ)
彼は、セリナの横顔をちらりと見た。月光に照らされた彼女は、まるで絵画のように美しくて、でもどこか寂しげだった。
(セリナは、レオンといる方が幸せなんじゃ……いや、そんなこと考えてる場合じゃない)
「ルイ」
セリナが、ふいに名前を呼んだ。
「え、な、なに?」
「こっち、来て」
「え、いや、僕はここで——」
「来て」
その声は、優しいけれど、逃げられない強さがあった。
ルイは、もぞもぞと立ち上がり、二人の隣に座った。セリナは、にこりと笑った。
「ねえ、私たち、ちゃんと話そう。ずっと、すれ違ってばかりだったから」
沈黙が、少しだけ流れる。
レオンが、先に口を開いた。
「俺は……セリナが好きだ。ずっと、守りたいって思ってた。でも、それだけじゃ足りないって、最近気づいた」
「レオン……」
「ルイ、お前のこと、ずっと親友だと思ってた。でも、嫉妬もしてた。お前の頭の良さも、セリナへの想いも。俺、ずるかったよ」
ルイは、目を伏せた。
「僕こそ……君たちのこと、勝手に決めつけてた。セリナはレオンが好きだって、思い込んで。だから、距離を置いて……逃げてた」
「逃げるのは、泡だけでいいのにね」
セリナが、くすっと笑った。
「泡?」
「皿洗いの泡。逃げるんだよ、あいつら。僕の自尊心みたいに」
「……それ、ちょっと可哀想」
三人は、少しだけ笑った。笑いは、空気を柔らかくしてくれる。
「私ね、ずっとルイが好きだったよ」
セリナの声は、月よりも静かで、でも確かだった。
「でも、ルイは私のこと“高嶺の花”って言って、遠くから見てるだけで……。私、そんなに高くないよ。お菓子屋で働いてるし、よく転ぶし、天然だし」
「それは……うん、確かに」
「こら」
セリナが頬を膨らませる。ルイは慌てて手を振った。
「いや、そういうところが、好きなんだよ。君の全部が、僕には……まぶしくて」
「まぶしいなら、サングラスかけてよ」
「魔法で遮光フィルター作る?」
「それ、ちょっと見てみたいかも」
レオンは、二人のやりとりを見ながら、静かに笑った。
(これでいい。俺の想いは、届かなかったかもしれない。でも、二人が笑ってるなら、それでいい)
彼は、そっと手を差し出した。
「なあ、誓わないか? これからも、三人で。どんな敵が来ても、どんな困難があっても、支え合っていこう」
セリナが、手を重ねた。
「もちろん。どっちも大事なんだよ。ルイも、レオンも」
ルイも、少しだけ迷ってから、手を重ねた。
「……計算してみたんだ。三人の魔力がリンクしたら、理論上、世界を救える可能性は……0.0003%」
「低っ!」
「でも、誤差を許容すれば、可能性はある。だから、僕も……誓うよ」
三人の手が、月光の下で重なった。
それは、友情の証であり、絆の始まりだった。
そして、未来への第一歩だった。
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第15章「運命の魔塔」
王都の空が、紫に染まっていた。
魔塔——王国の魔導研究の象徴であり、魔力炉の中心でもあるその塔が、今、異常な魔力波を放っていた。空間が歪み、空気が震え、遠くの雲が逆回転している。
「……あれ、雲ってあんな動き方したっけ?」
ルイは宿屋の屋根から空を見上げ、首を傾げた。
(魔力波の周波数、通常の塔の出力を超えてる。しかも、あの振動……僕の理論式に似てる)
彼の脳内では、塔の構造と魔力炉の数式が高速で展開されていた。
(まさか……僕の理論が盗まれてる?)
「ルイ!」
セリナが駆け込んできた。顔は真剣で、手には杖。レオンも後ろから現れ、剣を背負っていた。
「王都から緊急連絡。魔塔が暴走してる。原因は——」
「僕の理論だと思う」
ルイの声は、静かだった。でも、その目は揺れていた。
「ゼノさんの魔導書に残ってた数式。僕が解析して完成させた理論。それが、誰かに盗まれて……禁術に使われてる」
「……そんな」
セリナが目を見開いた。レオンは拳を握りしめた。
「じゃあ、止められるのは——」
「僕しかいない。いや、僕たちしか」
三人は、塔へ向かう馬車の中で沈黙していた。
ルイは窓の外を見ながら、頭の中で魔塔の構造を再構築していた。
(魔力炉の出力、制御式の崩壊、禁術による強制増幅……全部、僕の理論の応用だ。でも、あれは“使い方”を間違えれば、世界を壊す)
(僕が生み出したものが、世界を壊すなんて……)
「ルイ」
セリナがそっと手を握った。
「あなたの理論は、誰かを守るために生まれた。間違って使われたなら、正しく使い直せばいい」
「……うん。ありがとう」
レオンは、剣の柄を握りながら言った。
「俺は、守る。塔の中で何が起きても、セリナとルイを守る。それが、俺の役目だ」
「……でも、僕、魔力指数0.2だよ?」
「関係ねぇよ。お前は、数字で世界を変える魔法使いだろ?」
塔の前に立った三人は、風に吹かれていた。
魔塔は、まるで巨大な心臓のように脈打っていた。魔力が漏れ、地面が震え、空間が軋んでいる。
「入ったら、戻れないかもしれない」
ルイが言った。
「でも、行くよ。僕のせいだから」
「違うよ」
セリナが首を振った。
「あなたのせいじゃない。あなたの“可能性”を、誰かが間違って使っただけ。だから、私たちで正すの」
「……うん」
レオンは剣を抜いた。
「じゃあ、行こうぜ。三人で」
塔の扉が開いた瞬間、空間が歪んだ。
三人は、光の中へと歩みを進めた。
その背中には、覚悟と絆が宿っていた。
そして、運命の魔塔へ——三人の旅が、始まった。
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第16章「記憶の回廊」
魔塔の内部は、まるで夢の中のようだった。
いや、悪夢の中と言った方が正しいかもしれない。壁も床も天井も、どこか現実味がなく、歩くたびに空間が揺らぐ。まるで、記憶の断片を縫い合わせたような、不安定な世界。
「ここ……なんか、変だよね」
セリナが眉をひそめる。彼女の足元には、幼い頃の自分が描いた落書きが浮かんでいた。
「俺の剣の傷跡まである……これ、訓練場の壁じゃねぇか?」
レオンが剣を構えながら周囲を警戒する。
ルイは、黙っていた。彼の目の前には、かつての自分の部屋——宿屋の屋根裏部屋が広がっていた。
(これは……僕の記憶?)
「よう、ルイ」
声がした。振り返ると、そこにはもう一人の“自分”が立っていた。
「……誰?」
「誰って、僕だよ。いや、“お前”だな。無意味な存在、誰にも必要とされない、魔力0.2の落ちこぼれ」
「……やめろ」
「何を? 事実を言ってるだけさ。お前はずっと、誰かの後ろに隠れてた。セリナの後ろ、レオンの後ろ、泡の後ろ」
「泡は関係ないだろ!」
「あるさ。お前は泡みたいに、すぐ逃げる。自分の可能性からも、仲間の想いからも」
ルイは拳を握った。けれど、殴ることはできなかった。相手は、自分自身だったから。
(こいつは……僕の中の“諦め”だ)
「ルイ!」
セリナの声が響いた。彼女が駆け寄ってくる。だが、幻影の空間が彼女を拒むように、透明な壁が立ちはだかった。
「セリナ!」
「ルイ、聞いて! あなたは、無意味なんかじゃない!」
「でも……僕は、何も持ってない。魔力も、勇気も、誇れるものなんて……」
「あるよ!」
セリナの声が、壁を震わせた。
「あなたがいたから、私はここにいる。あなたがいたから、私は笑えた。あなたがいたから、私は——」
彼女の手が、壁を突き破った。
「あなたが、好きになったの!」
その瞬間、幻影の“ルイ”が崩れ始めた。
「……そっか。そうか。お前、ようやく自分を認めたんだな」
幻影は、微笑んで消えた。
ルイは、セリナの手を握った。
「ありがとう。僕、ようやくわかったよ。僕は、僕でいいんだって」
「うん。あなたは、あなたでいいの」
その頃、レオンもまた、自分の幻影と対峙していた。
「お前は、守ることしかできない。奪うことはできない。セリナの心も、ルイの才能も」
「……それでもいい。俺は、守るためにここにいる。二人が笑ってくれるなら、それでいい」
幻影は、静かに頷いて消えた。
三人は、再び合流した。
「……試されたんだね、私たち」
「記憶の回廊……ってやつか」
「でも、もう大丈夫。僕たちは、ひとつだ」
ルイが手を差し出す。セリナが重ね、レオンがその上に手を置いた。
「行こう。次は、魔力炉だ」
「世界を、数字で救うんだね」
「うん。三人で、未来を変える」
記憶の回廊を抜けた先には、まばゆい光が待っていた。
それは、希望の光だった。
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▶第17章「絆の式」
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