Professor Shinguuji's Secret Lecture

真宮寺教授の秘密講義

真宮寺教授 (Professor) 夜の闇の中で市場の「バグ」を見抜く。論理の刃で大衆の錯覚を切り裂く。
佐倉 (Assistant) オッズの歪みに驚愕する。教授の冷徹な期待値計算を目の当たりにする助手。
若葉 (Student) ピザとアニメと逆転劇。大衆心理を「商売の基本」として捉える直感派学生。

第6章
大衆の錯覚と、ピザチーズの如く伸びるオッズ

窓の外はすっかり暗くなり、遠くのバイパスを走る車のヘッドライトが、等間隔の光の帯となって夜の闇を流れていく。研究室の中には、先ほど届いたばかりの宅配ピザの暴力的な匂いが充満していた。焦げた小麦粉の香ばしさと、とろける数種類のチーズの濃厚な香りが、鼻腔をこれでもかと刺激する。

パソコンの冷却ファンが微かに低い唸り声を上げる中、若葉がマルゲリータの大きなピースを両手で持ち上げ、熱熱のチーズをビヨーンと限界まで伸ばしていた。

「あつっ、はふっ! やっぱ頭使うた後のピザは最高ですわ! このチーズの伸び具合、まるで昨日最終回迎えたアニメ『異世界商人のボッタクリ無双』の主人公の利益率みたいに際限ないですわ〜!」

口の周りにトマトソースをつけながら満面の笑みを浮かべる若葉に、佐倉が紙ナプキンをそっと差し出した。

「若葉さん、ピザを落とさないでね。重要な資料の上にチーズが落ちたら困るから。それにしても、商人のアニメなんて見てるんだね」

「おおきに、佐倉助手! そらもう、需要と供給のバランスで値段が乱高下するんを見るんが面白くて! 安いモンを買い叩いて、高く売るんが商売の基本ですやん!」

窓際で黒のコーヒーカップを片手に立っていた神宮寺が、クルリと二人の方を振り返った。

「需要と供給、ね。若葉にしては珍しく、今の状況に完璧に合致する比喩を持ってきたじゃない。佐倉くん、最新のオッズ……競馬ファンたちがどの馬を買っているかを示す『人気の倍率』は発表されたかしら?」

佐倉は慌ててキーボードを叩き、大型モニターに数値を映し出した。

「はい、確定しました。……えっ!? ちょっと待ってください、これ……僕たちの分析結果と、世間の評価が全然違いますよ!」

「素晴らしいわ」 神宮寺は肉食獣のように口角を深く吊り上げた。 「大衆という名の群れは、見事に『間違った方向』へ走ってくれた。私たちが捨てたジョバンニが3番人気、アーバンシックが4番人気。逆に、絶対王者のジューンテイクが……なんと5番人気で10倍もついている。これほど美しい『市場の歪み』は久しぶりね」

「いいこと、二人とも。穴馬の定義を思い出しなさい。いくら実力があっても、みんなが買っている馬はもはや穴馬ではないの。当たれば掛け金が10倍以上に跳ね返ってくる『旨味のある馬』こそが真の穴馬よ。大荒れの展開を想定して、本当に買うべき穴馬TOP5を再構築するわよ」

「荒れる展開、ですか。では、オッズが10倍以上の馬の中から、第5位は誰になりますか?」

「第5位は、14倍の『ディマイザキッド』よ」

「ええっ!? 教授、さっき『万年四位のモブキャラやからアカン』言うてたやないですか!」

「私の論理に矛盾はないわ。1着にはなれなくても、3着に入る馬を当てる馬券なら話は別よ。彼の『3着や4着にしぶとく食い込んでくる』という欠点は、馬券においては『大崩れせずに必ず画面の端に映り込んでくる』という最高の長所に変換されるの」

「第4位は、18倍という美味しい倍率がついた女の子、『セキトバイースト』よ」

「また復活した! この子も『ガス欠の女の子』やって言うてましたやん!」

「通常のペースなら息切れするわ。でもね、全員がパニックになって最初から猛スピードで走り出す『異常なスタミナ消耗戦』になったらどうかしら? 全員がバテバテの泥試合になった時だけ、彼女の軽い身のこなしと持続力が活きる一発逆転のシナリオがあるのよ」

「第3位は、12倍の『ヴィレム』よ。重賞未経験というだけで大衆が過剰に恐れて値段を下げてくれた。期待値の塊だわ」

「第2位は、16倍の『シェイクユアハート』。このレースには『前回4着に負けた馬が優勝する』という呪いのようなパターンがあるの。歴史の条件に完璧に合致しているわ。16倍は明らかに大衆の見落としね」

「そして、穴馬第1位は当然……『ジューンテイク』よ」

「本当に、なぜこの馬が5番人気で10倍なんでしょうか。能力の点数もトップ、成長のピーク。不安要素なんて……」

「世間は『前回長い距離を走った』という数字だけに踊らされているのよ。さらにジョッキーは武豊。すべてが揃った馬が10倍で放置されている。この『オッズの逆転現象』こそが、競馬における最大の蜜の味なのよ」

「大荒れの展開を狙うなら、10倍のジューンテイクを軸に、16倍のシェイクユアハート、12倍のヴィレムを絡める。これが、現在のオッズが導き出した破壊力のある数式よ」

「よっしゃー! ほな、この3頭で決まりですわ! 全財産突っ込みますよー!」

「……本当に、これで良いのかしら?」

神宮寺の一言に、若葉の動きが止まった。

「完璧に組み立てたはずのこの論理。でも、私は今、この数式そのものに、恐ろしいほどの『疑念』を抱いているのよ」