教授・真宮寺の秘密講義 〜阪神大賞典:不確定要素の解体新書〜《デブ猫競馬》


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第3章:中等演習――「実績」という名の甘い毒薬

すっかり日の落ちた研究室を、デスクライトの青白いLED光源だけが鋭く切り取っている。開け放たれた窓から入り込む徳島の夜風が、ほんのりと潮の香りを運んできていた。真宮寺教授が口に含んだミントタブレットの清涼感が、部屋の空気に微かな刺激を与えている。

「太陽いうたら、真夏の海! 海いうたら海外旅行! 海外いうたらコアラとカンガルーのオーストラリアですやん!」

窓際のソファに寝転がった若葉が、ポテトチップスをかじるサクサクという軽快な音を響かせながら叫んだ。

(太陽から連想してオーストラリア……見事な直列思考ね。でも、その無軌道な連想が、奇しくも次の消去対象を完璧に引き当てているわ)

キーボードを叩く手を止め、真宮寺教授はモニターの光を眼鏡のレンズに反射させた。
「そのオーストラリアに遠征していた馬が、まさに次の追放候補よ。『シュヴァリエローズ』。彼はこのレースでは完全に用済みね」

ホワイトボードの前に立っていた佐倉が、青いマーカーのキャップをカチッと外す。
「彼の実績は立派ですよ。ただ、直近のスケジュールが異常なんです。国内のトップクラスの激しいレースを連戦した後、オーストラリアの3200メートルという過酷なレースに飛んで大敗。帰国してすぐまた年末の大きなレースを走っています」

「えー? でも、海外の強敵と戦ってボロボロになった主人公が、帰国して真の力に目覚めるのって、アニメの超王道展開ちゃいます?」
指についた塩をペロッと舐めながら、若葉が首を傾げる。

「若葉、彼はもうアニメの主人公のような若者じゃないわ。人間で言えば大ベテランのお爺ちゃんよ。そんなお爺ちゃんが、地球の裏側まで飛行機で飛んでフルマラソンを走り、帰国直後にまた全力疾走させられているの」

ミントタブレットをガリッと噛み砕き、真宮寺教授は冷徹に告げた。
「蓄積された疲労は限界を超えているわ。過去の栄光なんて、今のボロボロの体には何の魔法にもならない。だから真っ先に消去よ」

「うわぁ……ブラック企業も真っ青の過重労働や! お爺ちゃん、ゆっくり休んでや……。ほな、海外の次は王様や! 『キングスコール』! 名前にキングが入ってるんやから、無敵のパワーがあるんちゃいます? 実際、最近同じ3000メートルで2着に入ってますやん!」

若葉の元気な反論に対し、佐倉はホワイトボードに『クラスの壁』と大きく書き込んだ。
「確かに距離への適性は見せました。でも、大きな問題があるんです。今回のレースは『全員ハンデなしの真っ向勝負』というルールなんですよ。キングスコールは、実はまだマイナーリーグを勝ち上がれていない身分なんです」

「えっ? でも、若くて勢いのあるルーキーが、プロの先輩たちに下剋上するの、スポーツ物の熱い展開ちゃいます?」

「ハンデという『おまけ』をもらえれば、その展開もあり得たわね」
真宮寺教授が静かにコーヒーカップを持ち上げる。
「でも今回は、メジャーリーグのトッププロたちと同じ重さの荷物を背負って走るの。マイナーリーグで勝ちきれないパワーでは、最後の直線でプロの豪速球にバットをへし折られるだけ。重い荷物を背負ったままの長距離勝負では、実力不足はごまかせないわ」

「ひええ、下剋上失敗! やっぱりプロの壁は高くて分厚いんや……。ほな、王様の次は高級車や! 『ダノンシーマ』! 今3連勝中でピカピカの1等星ですやん! これなら文句なしちゃいます?」
若葉が自信満々に、手元の資料の束をバサッと振りかざす。

(ふふ、ついに一番美味しい罠に飛び込んできたわね。成績の良さだけを見ると、この馬こそが光り輝く宝に見える。でも、プロの目から見れば、それはただの爆弾よ)

「そこが、素人が一番陥りやすい『罠』よ。彼は間違いなく今回、たくさんの人から人気を集める危険な存在になるわね」
真宮寺教授の言葉に、若葉の目が点になった。

佐倉がホワイトボードの端をトントンと叩く。
「過去のレースを見てください。彼はついこの間、2000メートルという『短距離の猛ダッシュ』で勝ったばかりなんです。そこから今回、いきなり1000メートルも走る距離が延びます」

「勢いがあるんやから、その猛ダッシュのスピードのまま、スパーンと最後まで逃げ切れるんちゃいます? 陸上部でも、足が速い子は長距離も案外速かったりしますやん!」

真宮寺教授は呆れたように小さく息を吐いた。
「馬の気持ちになって考えてみなさい。短い距離を全力で走ることを覚えたばかりのアスリートが、いきなり長距離マラソンのスタートラインに立たされたらどうなる? ペース配分が分からずに、最初のほうで『もっと速く走りたい!』って暴走して、途中で息が上がって倒れるわ。長距離のプロたちが集まるこの舞台で、そんな無謀な挑戦は期待値ゼロよ」

「うっわー……勢い余って自滅するパターンかぁ! 高級車、まさかのガス欠でリタイア!」

「そういうことよ。過労のシュヴァリエローズ、実力不足のキングスコール、暴走リスクのダノンシーマ。この3頭が新たに追放されたわ。これで、11頭中6頭が消えたことになるわね」

カチャカチャという乾いたキータッチの音が響き、モニターの中でさらに3つの名前がグレーアウトしていく。夜の静けさの中、いよいよ核心に迫る空気が研究室を満たし始めていた。