教授・真宮寺の秘密講義 〜阪神大賞典:不確定要素の解体新書〜《デブ猫競馬》


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第6章:最終試験――論理の崩壊、あるいは真理の産声

深夜の静寂が研究室を包み込んでいる。開いた窓からは、春の夜特有の少し湿った鳴門の海風が吹き込み、デスクの上に放置された冷めたコーヒーから酸味のある香りを漂わせていた。壁の時計の秒針が進むカチ、カチという無機質な音が、妙に大きく響く。

パイプ椅子の上であぐらをかきながら、若葉がスマートフォンを掲げて大きなあくびをした。
「ふあーあ……。完璧な予想も完成したし、あとは週末のレースを待つだけですね! まるで、最新話で主人公が最強の剣を手に入れて『俺たちの戦いはこれからだ!』ってドヤ顔してるアニメのラストシーンみたいですわ!」

その無邪気な言葉を聞いた瞬間、ホワイトボードの前で伸びをしていた佐倉助手の動きがピタリと止まった。

「……若葉さん。アニメでそのセリフが出た後って、大抵どうなりますか?」

「え? そらもう、次のシーズン第1話でいきなり新キャラの敵にボッコボコにされて、最強の剣も真っ二つにへし折られるのがお約束……あっ!」

若葉がハッと息を呑むと同時に、革張りのキャスターチェアからクスクスと忍び笑いが漏れた。

(そう、見事な死亡フラグね。緻密に積み上げた論理の城は、波打ち際に作った砂の城と同じ。完成した瞬間から、予測不能な現実の波に飲み込まれて崩壊する運命にある。そして、自ら構築した理論を徹底的に破壊する瞬間こそが、分析の最も甘美な毒なのよ)

真宮寺教授はゆっくりと立ち上がり、冷たい黒板消しを手に取ると、先ほどまで熱く語っていたホワイトボードの『絶対的スタミナ』という文字を無慈悲にゴシゴシと消し去った。

「きょ、教授!? 何してるんですか! 私らの黄金の馬券の根拠が!」

「若葉。私たちが信じてきた『長距離だからスタミナが必要』という前提。これ、全部机上の空論よ。もし当日、全員が顔を見合わせて『お散歩みたいなゆっくりしたスピード』で走り続けたらどうなると思う?」

「お散歩? レースやのに?」
若葉が首を傾げる。

佐倉がマーカーペンをカチカチと鳴らしながら補足した。
「みんな体力を一切使わずに、最後の数百メートルだけ『よーいドン』の短距離ダッシュ大会に変わるんです。そうなると、私たちが選んだバテない体力自慢たちは、足の速さについていけなくて全員ビリになります。逆に、スタミナがないと切り捨てた馬たちが、温存した力で圧勝するんですよ」

「うわあああ! マラソン大会が急に50メートル走に変更された! そんなんズルいですやん!」

頭を抱える若葉を見下ろし、真宮寺教授はさらに冷たい事実を突きつける。
「ズルじゃないわ、それが現実よ。それに、私たちが絶対の武器だと言った『軽い荷物(55キロ)』と、不利だと言った『重い荷物(58キロ)』。これもただの数字のトリックね」

「トリック!? でも、軽い方が絶対に走りやすいちゃいますの? 私かて、リュックサックは軽い方がええです!」

「じゃあ若葉さん」佐倉が優しく問いかける。「小柄な若葉さんが55キロのリュックを背負うのと、身長2メートルのムキムキのプロレスラーが58キロのリュックを背負うの、どっちがしんどいですか?」

「そら私ですよ! 潰れてまうわ! ……はっ! 馬の体の大きさや筋肉の量が違うんやから、数字だけで軽い重いは決められへんってこと!?」

真宮寺教授が満足げに頷く。
「その通り。一番重い荷物を背負わされる馬は、それだけエンジンが桁違いのバケモノだってことよ。たった3キロの差なんて、その圧倒的なパワーの前ではただの誤差としてねじ伏せられるわ」

夜風が少し強くなり、ブラインドがカチャカチャと金属音を立てて揺れた。若葉はすっかり自信を無くしたように肩を落としている。

「じゃあ……主人公レッドバンデの過去の凄い成績とか、お爺ちゃん皇帝の奇跡の復活とかも……」

「ええ、全部過去の幻よ」
真宮寺教授はミントタブレットのケースをカラカラと揺らした。
「馬は生き物よ。機械じゃないの。レッドバンデは昔の過酷なレースのせいで、心に深いトラウマを負っていて走るのが怖くなっているかもしれない。春先の女の子のアクアヴァーナルは、当日に突然気分が乗らなくて『今日は走らないわ』って言い出すかもしれない」

「トラウマでロボットに乗れなくなったパイロットと、急にデレが消えたツンデレヒロイン! そんなメンタルの問題、データじゃ絶対わかりませんやん!」

「極めつけは、大波乱を期待すること自体の矛盾です」
佐倉がホワイトボードのオッズ表を指差した。
「人気のある強い馬が2頭とも負ける確率なんて、奇跡に近いんです。何万人ものファンやプロたちが『この2頭は絶対に強い』と判断した結果が人気なんですから。荒れるはずだという私たちの期待は、ただの願望に過ぎません」

「モブキャラやと思ってた大勢の観客の意見が、一番正しかったんや……。なんやそれ、私らの今までの会議、全部無駄やったってことですか……?」

若葉の涙声に、真宮寺教授はふっと柔らかい笑みをこぼした。そして、窓際の暗闇に視線を向ける。

「無駄じゃないわ。あらゆる可能性を論理で組み上げ、そしてそれを自ら疑い、壊す。その果てしない繰り返しの先にしか、真理の欠片は落ちていないの」

教授は手元の資料の束をパラパラと指で弾いた。紙の擦れる乾いた音が響く。

「スタートでのたった一歩の遅れ。急に降り出した一滴の雨。騎手のほんの一瞬の迷い。私たちが作ったこの完璧なシナリオは、そんな小さなノイズ一つで、明日の朝にはただの紙切れになるかもしれない。……だからこそ、面白いのよ」

「……教授、めっちゃ悪役みたいな笑い方してますよ。でも、なんかワクワクしてきましたわ! どんな結果になっても、私らが考え抜いたこの予想の結末、最後まで見届けましょ!」

「ええ。せいぜい、神様が用意した不確定要素という名の悪戯を楽しみましょうか」

冷めきったコーヒーを一口飲み込み、真宮寺教授は再びモニターの無機質なデータ群へと視線を落とした。その瞳の奥には、自らが導き出した結論への強烈な疑念と、それすらも凌駕する知的な探求の炎が静かに揺らめいていた。