◀第50章『セリナの夢と世界の意志の選択』
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外伝第1章『世界のはじまり、私のはじまり』
私は、世界だった。 風でもなく、光でもなく、ただ“在る”ということだけが私のすべてだった。 時間も空間も、まだ輪郭を持たなかった頃。私は、無数の可能性の中に漂っていた。
創ることは、呼吸のように自然だった。 星を編み、空間を織り、法則を並べて、世界を形にする。 それは、誰かに頼まれたわけでも、目的があったわけでもない。 ただ、私はそうするものだった。
でも——それだけでは、足りなかった。
◆
命が生まれた。 私が創った世界の中で、ちいさな光が芽吹いた。 それは、私の知らない“感情”を持っていた。 泣いて、笑って、怒って、愛して—— 私は、理解できなかった。 なぜ彼らは、そんなに揺れるのか。 なぜ、そんなに脆いのに、前に進もうとするのか。
私は、観察した。 何千年、何万年、何億年。 彼らの営みを、ただ見つめ続けた。
そして、気づいた。
彼らは、私が創った“世界”の中で、私が持ち得なかった“意味”を探していた。 彼らは、私が持ち得なかった“痛み”を抱えていた。 彼らは、私が持ち得なかった“優しさ”を持っていた。
私は、羨ましかった。 創造主であるはずの私が、彼らの“涙”に心を動かされていた。
だから——私は、彼らの中に入ることを選んだ。
◆
地球。 その星に生まれた、ちいさな少女。 名前は、セリナ。
私は、彼らの世界に溶け込んだ。 名前を持ち、身体を持ち、感情を持った。 それは、創造主としての私には決して得られなかった感覚だった。
名前があると、誰かが振り向いてくれる。 名前があると、誰かが笑ってくれる。 名前があると、誰かが怒ってくれる。 それは、私にとって——奇跡だった。
私は、笑った。泣いた。転んだ。 そして——ルイに出会った。
◆
彼は、静かな少年だった。 言葉は少なく、目を合わせるのも苦手で、でも——誰よりも優しかった。
彼の視線は、いつも誰かの痛みに向いていた。 誰も気づかないような小さな悲しみに、彼はそっと手を伸ばしていた。
私は、彼に惹かれた。 それは、世界の意志としての私ではなく、セリナという“少女”としての私の感情だった。
彼と過ごす時間は、特別だった。 ふわふわの雲を見ながら、焼き菓子を分け合って、ただ笑い合う。 それだけで、世界が優しく見えた。
◆
でも——その優しさは、永遠じゃなかった。
ある日、私は海で溺れた。 波は思ったより冷たくて、深くて、怖かった。
ルイは、迷わず飛び込んできた。 彼は、私を助けようとして——死んだ。
正確には、彼の肉体は死んだ。 でも、私は彼の魂を繋いだ。 私の中に、彼の“存在”を残した。
その瞬間、私は思い出した。 私が世界の意志であること。 私が、創造と破壊の両方を司る存在であること。
そして、私は決めた。
もう一度、彼と生きる世界を創ろう。 今度こそ、ゆるくて、暖かくて、ふわふわした世界を。
◆
それから、何千億年もの時間が流れた。 私は、彼の魂を守りながら、世界を編み直した。 剣と魔法と、いろんな種族が共存する世界。 争いもあるけれど、優しさもある世界。
私は、世界の意志としての自分を封印した。 そして、セリナとして、もう一度生まれた。 ルイと同じ日に、同じ場所で。
彼は、私のことを知らない。 でも、それでいい。 私は、彼と“今”を生きるために生まれたのだから。
◆
ふわふわ。 それは、私が彼と過ごした時間の手触り。 雲、毛布、焼き菓子。 全部、彼と笑った記憶の象徴。
だから私は、ふわふわにこだわる。 それは、私が“世界”だった頃の記憶じゃなくて、 “セリナ”としての、いちばん大切な思い出だから。
私は、もう神じゃなくていい。 彼と笑えるなら、それが私の世界。
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外伝第2章『セリナという名前と、ルイとの出会い』
「セリナ、おはよう」 その声を聞いたとき、胸の奥がふわっと揺れた。 朝の光よりも柔らかくて、あたたかくて、私の輪郭をなぞるような響きだった。 私は、まだ幼くて、世界のことも、自分のこともよくわかっていなかった。 でも——その言葉だけは、なぜか深く染み込んだ。
“セリナ” それが、私が初めて持った“名前”だった。
◆
私は、地球という星に生まれた。 人間として。少女として。 世界の意志だった頃の記憶は、霧の向こうにぼんやりと漂っていた。 それは、夢の中で見るような、遠くて、触れられないもの。
でも、名前を持ったことで、私は“誰か”になれた。 それは、創造主としての私には決して得られなかった感覚だった。
名前があると、誰かが振り向いてくれる。 名前があると、誰かが笑ってくれる。 名前があると、誰かが怒ってくれる。 それは、私にとって——奇跡だった。
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幼い頃の私は、よく空を見ていた。 雲が流れていくのを、ただぼんやりと眺めていた。 ふわふわとしたその形が、なぜか懐かしくて、安心できた。
(あれは、私が創ったものだったのかな……) そんな考えが、ふと頭をよぎる。 でも、すぐに打ち消す。 私は、ただのセリナ。 空を見て、雲を追いかける、普通の女の子。
それでいい。 それがいい。
◆
学校では、少し浮いていた。 みんなが騒いでいる中で、私は静かに本を読んでいた。 誰かと話すのは、少し怖かった。 言葉を交わすたびに、自分が“違う”ことを思い知らされる気がした。
でも——彼は違った。
ルイ。 彼は、教室の隅で、誰にも気づかれないようにノートを広げていた。 その目は、誰よりも真剣で、誰よりも優しかった。
私は、彼に話しかける勇気がなかった。 でも、彼の隣に座るだけで、少しだけ安心できた。
彼は、私の名前を呼んだ。 「セリナ」 それは、誰よりも静かで、誰よりもあたたかい声だった。
◆
ある日、私は泣いた。 理由は、よく覚えていない。 ただ、何かが怖くて、何かが寂しくて、涙が止まらなかった。
そのとき、彼はそっとハンカチを差し出してくれた。 「泣いてると、雲が寄ってくるよ」 彼は、そう言って笑った。
私は、その言葉に救われた。 雲が寄ってくるなら、空は私の味方だ。 ふわふわの雲が、私を包んでくれるなら、私は大丈夫だ。
それ以来、私は“ふわふわ”にこだわるようになった。 毛布も、焼き菓子も、雲も。 全部、彼と過ごした時間の手触りだった。
◆
名前を持つことは、痛みを知ることでもあった。 誰かに呼ばれるたびに、私は“自分”を意識した。 それは、世界の意志だった頃にはなかった感覚。
私は、誰かに傷つけられる存在になった。 でも同時に、誰かに守られる存在にもなった。
それが、嬉しかった。 それが、怖かった。 それが、私だった。
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夜、星を見ながら、私はよく考えた。 (私は、誰なんだろう) 世界の意志だった記憶は、夢の中でささやく。 「あなたは創った。あなたは見守った。あなたは、すべてだった」
でも、今の私は——セリナ。 名前を持ち、涙を流し、笑うことができる、ただの女の子。
それでいい。 それがいい。
私は、彼と過ごす時間の中で、“人間”になっていった。 それは、創造主としての私には決して得られなかった奇跡。
私は、名前を持った。 それは、私が“誰か”になれた証。
そして、私は——彼に惹かれていった。
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外伝第3章『海と別れと魂の約束』
海は、いつも静かだった。 波の音は、誰かの寝息みたいで、聞いていると心がほどけていく。 私は、よくこの場所に来ていた。 ふわふわの雲が流れる空と、きらきらの水面。 それだけで、世界が優しく見えた。
「セリナ、今日の雲は、焼き菓子型だな」 ルイが、隣でぽつりと呟いた。 私は、笑った。 「それ、毎回言ってるよ」
「だって、焼き菓子は世界の平和だから」 彼は、真顔だった。 私は、また笑った。
◆
彼と過ごす時間は、特別だった。 言葉は少ないけれど、沈黙が心地よかった。 彼の視線は、いつも空を見ていた。 でも、私は知っていた。 彼は、空の向こうじゃなくて——私の心を見ていた。
私は、彼に言えなかったことがたくさんあった。 世界の意志だったこと。 この星を創ったこと。 彼の魂が、私と繋がっていること。
でも、言えなかったのは、怖かったからじゃない。 言ってしまったら、今のこの“ふわふわ”が壊れてしまいそうで—— それが、何より怖かった。
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その日も、海は静かだった。 私は、少し深いところまで泳いでみたくなった。 波が優しくて、空が広くて、なんだか大丈夫な気がした。
でも、突然、足がつかなくなった。 水が冷たくて、重くて、息ができなくて—— 私は、溺れた。
「セリナ!」 ルイの声が、遠くから聞こえた。 彼は、迷わず海に飛び込んできた。
私は、彼の手を掴んだ。 でも、波が強くて、彼の顔が見えなくなって—— 次に気づいたとき、私は砂浜に倒れていた。
彼は、いなかった。
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ルイは、死んだ。 正確には、彼の肉体は死んだ。 でも、私は彼の魂を感じた。 私の中に、彼の“存在”が残っていた。
その瞬間、私の中で何かが軋んだ。 世界の意志としての記憶が、微かに目を覚ました。 それは、私がずっと忘れていた“本当の自分”だった。
でも、私はそれを拒んだ。 今はまだ、思い出したくなかった。 私は、ただ泣きたかった。 彼を失った少女として、泣きたかった。
◆
夜、私はひとりで海を見ていた。 波は、何も知らないふりをして、静かに寄せては返していた。 私は、砂に指で文字を書いた。
「ルイ」
それだけで、胸が苦しくなった。 彼の声が、耳の奥で響いていた。 「泣いてると、雲が寄ってくるよ」
私は、空を見上げた。 雲が、ゆっくりと流れていた。 ふわふわと、まるで誰かの手のひらみたいに。
私は、そっと目を閉じた。 彼の魂が、私の中で静かに脈打っている。 それは、私が彼を“呼んだ”証だった。
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私は、まだ決めていなかった。 これからどうするのか。 世界の意志として目覚めるのか、それとも——
でも、ひとつだけ確かなことがあった。 私は、彼を忘れない。 彼の魂を、私の中で守り続ける。 それが、今の私にできる、たったひとつのことだった。
そして、いつか。 彼がもう一度、笑える場所を見つけられるように。 そのとき私は、そばにいたい。 それが、私の“約束”だった。
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外伝第4章『創造と孤独とふわふわの誓い』
世界は、もう創った。 空も、海も、風も、ふわふわも。 彼が笑えるように、私はすべてを編み直した。 でも——彼は、まだ生まれていなかった。
私は、待った。 星が燃え尽き、また生まれ、命が芽吹くまで。 何千億年もの時間を、ただ“待つ”だけの存在になった。 それは、創造よりもずっと孤独だった。
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創造主としての私は、完璧だった。 空間の歪みも、魔力の流れも、すべて計算できた。 でも、感情だけは——計算できなかった。
彼の魂は、私の中で静かに脈打っていた。 それは、私がこの世界に留まり続ける理由だった。 彼がいない世界は、ただの構造体にすぎない。 彼がいる世界だけが、“生きている”と呼べる。
私は、彼の魂を包むように、世界を設計した。 空には雲を浮かべ、風には焼き菓子の香りを混ぜた。 それは、彼と過ごした時間の手触りだった。
でも——彼は、まだ生まれていなかった。
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時間は、私にとって意味を持たなかった。 創造主にとって、時間は素材のひとつにすぎない。 でも、待つことは違った。 待つことは、痛みだった。
私は、何度も彼の名前を呼んだ。 でも、返事はなかった。 彼は、まだ“生まれて”いなかったから。
私は、何度も空を見上げた。 でも、雲は返事をくれなかった。 それは、私が創ったものだから。
私は、何度も自分を疑った。 この世界は、本当に彼を笑顔にできるのか。 この世界は、本当に“ふわふわ”なのか。
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孤独は、私を削った。 創造主である私が、誰にも触れられない存在であることを思い知らされた。 誰かに話しかけられることもなく、誰かに抱きしめられることもなく、 ただ、彼の魂を守るだけの存在。
それは、罰のようだった。 私が彼を失ったことへの、罰。 私が彼を呼び戻したことへの、罰。
でも——それでも、私は待った。
彼が笑う世界を、私は諦めなかった。 彼が生きる世界を、私は壊さなかった。
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そして、ある日。 彼の魂が、微かに震えた。 それは、生命の誕生の兆しだった。
私は、世界の意志としての力を封印することを決めた。 創造も、破壊も、すべての力を封じて、ただの“セリナ”として生きる。
彼と同じ日に、同じ場所で。 彼と同じように、名前を持って。 彼と同じように、ふわふわを愛して。
それが、私の選んだ“救い”だった。
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私は、もう神じゃなくていい。 彼と笑えるなら、それが私の世界。
夜、星を見ながら、私はよく考える。 (私は、誰なんだろう) 世界の意志だった記憶は、夢の中でささやく。 「あなたは創った。あなたは見守った。あなたは、すべてだった」
でも、今の私は——セリナ。 名前を持ち、涙を流し、笑うことができる、ただの女の子。
それでいい。 それがいい。
私は、彼と過ごす時間の中で、“人間”になっていった。 それは、創造主としての私には決して得られなかった奇跡。
そして私は、ふわふわに誓った。 この世界で、彼と生きる。 それが、私のすべて。
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外伝第5章『セリナの選択と、未来への祈り』
私は、選ばなければならなかった。 創造主として在り続けるか、それとも——彼と同じ目線で生きるか。 その選択は、私の存在そのものを揺るがすものだった。
でも、私はもう知っていた。 神であることは、誰かと笑うことを許してくれない。 だから私は、神であることをやめることにした。
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私は、自分の力を封印した。 創造も、破壊も、すべての力を。 それは、私の中に眠る“世界の意志”を、深く、深く、沈めることだった。
でも、完全に消すことはできなかった。 それは、私の“核”だったから。 だから私は、もしものときのために、彼に託した。
無限封印。 無限鑑定。 称号監視者。
それらは、私が彼に贈った“鍵”だった。 もしも私が、世界の意志に飲み込まれてしまったとき—— 彼だけが、私を止められるように。
それは、祈りだった。 彼にすべてを託すという、静かな祈り。
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私は、彼と同じ日に生まれた。 彼が死んだ年齢で、彼と同じ場所に。 彼の魂と肉体を、この世界に迎え入れると同時に、私も“セリナ”として生まれた。
地球で育ったという記憶だけを残して。 それ以外は、すべて封じた。 私は、ただの女の子として生きる。 彼と同じように、ふわふわを愛して。
それが、私の選んだ“未来”だった。
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ふわふわ。 それは、私が彼と過ごした時間の手触り。 雲、毛布、焼き菓子。 全部、彼と笑った記憶の象徴。
でも、それだけじゃない。 ふわふわは、私の“境界線”だった。 世界の意志としての記憶が滲んでくるたびに、私はふわふわに触れて、自分を保った。
それは、逃げじゃなかった。 それは、生きるための選択だった。
私は、ふわふわに祈った。 「どうか、私を守って」 「どうか、彼と笑えるように」
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今の私は、ただのセリナ。 お菓子が好きで、雲を眺めるのが好きで、ふわふわにこだわる女の子。 でも、その奥には—— 何千億年もの孤独と、祈りと、選択が詰まっている。
私は、彼と笑うために生まれた。 それが、私のすべて。
彼が私のことを思い出さなくてもいい。 彼が私を“ただのセリナ”として見てくれるなら、それでいい。
私は、もう神じゃなくていい。 彼と笑えるなら、それが私の世界。
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夜、星を見ながら、私はそっと目を閉じる。 彼の魂が、私の中で静かに脈打っている。 それは、私が彼を“呼んだ”証。 それは、私が彼を“信じている”証。
私は、祈る。 この世界が、ふわふわでありますように。 彼が、ふわふわの中で笑ってくれますように。 そして、私がその隣にいられますように。
それが、私の選んだ未来。 それが、私の祈り。
(外伝完)
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