◀第13章「光の盾」
▶「……ああ、帰りたい」『数字で世界を変える魔法使い』《算術はあらゆる魔法を凌駕する彼は奇跡の算術師》◀
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第17章「絆の式」
魔塔の最深部——そこは、光と闇が混ざり合う奇妙な空間だった。
中心に鎮座する魔力炉は、まるで怒ったドラゴンの心臓のように脈打ち、時折、空間を震わせるほどの魔力を放っていた。塔全体が、今にも崩れそうなほど不安定で、空間の端では物理法則が休暇を取っているらしく、石が逆さに浮いていた。
「……あれ、重力ってこんなに気まぐれだったっけ?」
ルイがぽつりと呟く。彼の目は、魔力炉の構造を解析しながら、数式を脳内で組み立てていた。
(魔力炉の暴走率、臨界点まであと0.003秒。いや、待って、秒じゃない。魔力単位で……あ、やっぱり秒だった)
「ルイ、今の顔、ちょっと数学者というより、煮詰まったプリンみたいだったよ」
セリナが笑いながら言う。だが、その声には緊張が混ざっていた。
レオンは剣を構え、魔力炉の周囲を警戒していた。
「敵の気配はない。けど、魔力が……生きてるみたいだ」
ルイは、深く息を吸った。
「この魔力炉、僕の理論を元にしてる。だから、制御できる可能性はある。でも、条件がある」
「条件?」
「三人の魔力をリンクさせること。それぞれの魔力特性を融合させて、数式に変換する。無詠唱、無限詠唱、そして……無限の想い」
「無限の想いって、ちょっと詩的すぎない?」
「うん、僕もそう思う。でも、ゼノさんがそう言ってた。『器は空に似ておる。限界が見えぬ』って」
「……あの人、詩人だったの?」
「たぶん、半分くらいは」
三人は、魔力炉の前に立った。
ルイが手を差し出す。セリナがその手を握り、レオンが重ねる。
「魔力リンク、開始」
ルイの声と同時に、三人の魔力が光となって交差した。
セリナの魔力は、優しく包み込むような光。レオンの魔力は、力強く守る盾のような輝き。そして、ルイの魔力は——
「……なんか、ちょっと地味?」
「いや、これは計算式の光。見た目は地味でも、効果は派手だから」
三人の魔力が融合した瞬間、魔力炉が震えた。
「魔力流路、再構築開始。数式展開、位相調整、誤差0.0001以内。リンク率、98.7%……あ、セリナ、ちょっとだけ魔力が甘い」
「えっ、甘い? お菓子食べすぎたせい?」
「いや、そういう意味じゃなくて……いや、もしかして関係ある?」
「ちょっと! 今そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
レオンが笑いながら言った。
「お前ら、ほんとに変わらねぇな。世界救うってのに、漫才してるみたいだ」
「漫才じゃないよ。これは、魔力式の調整だから」
「……でも、ちょっと楽しいかも」
魔力炉の光が、三人の魔力に呼応して広がっていく。
ルイの数式が、空間に浮かび上がる。幾何学的な魔法陣が、塔全体を包み込むように展開されていく。
「最終式、展開完了。魔力融合、完了。世界再構築、開始」
その瞬間——
塔が、光に包まれた。
外の世界では、空が晴れ渡り、暴走していた魔力が静かに収束していく。
街の人々は、空を見上げていた。
「……なんか、空がきれいになったね」
「うん。まるで、誰かが世界を掃除してくれたみたい」
塔の中では、三人が光の中に立っていた。
「……終わった?」
「うん。計算通りだよ」
「ほんとに、数字で世界を変えたんだね」
「うん。でも、君たちがいてくれたからだよ。僕一人じゃ、無限の想いなんて持てなかった」
三人は、静かに手を握り合った。
それは、絆の式だった。
そして、世界は——優しく、再び動き始めた。
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第18章「沈黙のあとで」
崩れた魔塔の中心で、世界は静かだった。
瓦礫の隙間から差し込む光が、まるで祝福のように三人を照らしていた。けれど、ルイはその光の中で、動かずに横たわっていた。
「ルイ……」
セリナは、震える手で彼の頬に触れた。冷たい。けれど、まだ温もりが残っている。
「ねえ、起きてよ。世界を救ったんだよ? 計算通りだったんでしょ? だったら……最後まで、ちゃんと見てよ」
彼女の声は、涙で揺れていた。
レオンは少し離れた場所で、剣を地面に突き立てていた。
(ルイ……お前は、俺の憧れだった。嫉妬もしたし、悔しいこともあった。でも、今は——)
彼は目を閉じ、静かに祈った。
(今は、ただ……生きててくれ)
セリナは、ルイの手を握った。
「私ね、ずっと言えなかったことがあるの。ずっと、ずっと……言いたかったのに、言えなかった」
彼女はそっと顔を近づける。
「好きよ。ずっと、好きだったの。あなたが、どんなに自分を責めても、どんなに逃げても……私は、あなたが好きだったの」
その言葉とともに、彼女の涙がルイの唇に落ちた。
——その瞬間。
「……ん、あれ……?」
ルイのまぶたが、ゆっくりと震えた。
「えっ……ルイ! 今、動いたよね!? ねえ、動いたよね!?」
セリナは目を見開き、ルイの顔を覗き込む。
「……セリナ? なんで泣いてるの……?」
「泣いてない! これは……感動の汗!」
「それ、涙だよね……?」
「うるさい! とにかく、よかった……!」
ルイは、ぼんやりと空を見上げた。
(ああ……生きてる。僕、生きてるんだ)
(そして……セリナが、僕を……)
「……さっきの、聞こえてた気がするんだけど……」
「え? な、何のことかな?」
「“好き”って……」
セリナは顔を真っ赤にして、瓦礫の影に隠れようとした。
「ちょ、ちょっと待って! 今は回復優先! 恋愛は後回し!」
「いや、僕の心の回復には、今のが一番効いたかも……」
レオンが少し離れた場所から、苦笑しながら声をかけた。
「おい、ルイ。生きてるなら、早く立て。俺、心臓止まるかと思ったぞ」
「ごめん……ちょっと、計算ミスで」
「お前の計算ミスは、世界救うレベルだからな。油断できねぇ」
三人は、崩れた塔の中で、静かに笑い合った。
それは、戦いの終わりを告げる笑顔だった。
そして——新しい始まりの予感でもあった。
セリナは、そっとルイの手を握ったまま、言った。
「ねえ、これからは……逃げないで。私の気持ちも、あなたの気持ちも、ちゃんと見てほしいの」
ルイは、少し照れながらも頷いた。
「うん。僕も……ちゃんと向き合うよ。君と、僕自身と」
空は晴れ渡り、風は優しく吹いていた。
世界は、静かに——でも確かに、変わっていた。
そして、二人の心も。
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第19章「青春の再開」
数ヶ月ぶりの学園は、驚くほど変わっていなかった。
廊下の床は相変わらずギシギシと鳴き、食堂のパンは相変わらず硬く、そして——
「ルイくん、また爆発させたの!?」
「ち、違う! これは計算通りの爆発で……いや、ちょっとだけ誤差が……」
「誤差で天井が抜けるのは誤差じゃないよ!」
セリナの声が、実験室に響き渡る。
ルイは、煤まみれの白衣を脱ぎながら、内心でため息をついた。
(ああ……やっぱり、僕ってこういうポジションなんだな)
でも、そのため息には、どこか安堵が混じっていた。
(戻ってきたんだ。ちゃんと、ここに)
「おい、ルイ。次は俺の実験に付き合えよ。今度は爆発じゃなくて、光の反射を使った結界展開だ」
レオンが爽やかに笑いながら、ルイの背中を叩く。
「え、でもそれって……反射角の計算、めちゃくちゃ面倒じゃ……」
「だからお前が必要なんだよ。な?」
「……うん、まあ、いいけど」
(なんだろう。レオンの頼みって、断れないんだよな。昔はちょっと妬ましかったけど、今は……)
「お前、顔に出てるぞ。“レオンの頼みは断れない”って」
「えっ、読心魔法!? ずるい!」
「いや、顔芸が豊かすぎるだけだ」
セリナがくすくすと笑いながら、二人の間に入ってきた。
「ねえ、三人でお昼にしない? 今日のパンは、なんと“焦げてない”らしいよ!」
「それは奇跡だな……」
「いや、逆に怖いんだけど……」
三人は、笑いながら食堂へ向かった。
途中、すれ違う生徒たちが、ルイに向かって小さく会釈をする。
「アーデル先輩、あの……魔力制御の式、参考にさせてもらいました!」
「えっ、あ、うん……どうぞ、あの、爆発しないように気をつけてね……」
(なんだか、変な感じだ。前は“最弱”って笑われてたのに、今は“先輩”って呼ばれてる)
(でも、僕は僕だ。魔力は相変わらず0.2だし、朝は寝癖がひどいし、セリナの前では緊張するし)
(……でも、それでもいいのかもしれない)
午後の授業は、実験室での自由研究だった。
ルイは、セリナとレオンと並んで、魔法陣の再構築に取り組んでいた。
「この式、ちょっとだけズレてる。ここ、√3じゃなくてπだよ」
「えっ、円周率!? なんで魔法に円周率が出てくるの!?」
「魔法陣って、円形が基本だからね。意外と数学的なんだよ」
「……ルイくん、やっぱり変態だよね」
「褒めてる?」
「もちろん!」
レオンは、そんな二人を見ながら、ふっと目を細めた。
(あいつら、やっと素直になったな)
(俺は……まあ、いいか。守りたいって気持ちは、変わらないし)
「なあ、ルイ。今度、三人でまた遺跡に行かないか?」
「えっ、またトラップに引っかかるの?」
「いや、今度は俺が先に引っかかるから安心しろ」
「安心できないよ!」
セリナが笑いながら、二人の肩をぽんぽんと叩いた。
「でも、いいね。また三人で冒険。今度は、ちゃんとお弁当持っていこうね」
「お菓子だけじゃなくて?」
「うっ……ばれた?」
夕暮れの光が、実験室の窓から差し込んでいた。
三人の影が、机の上に並んで伸びている。
その影は、まるでひとつの絆のように、重なり合っていた。
(僕たちは、またここから始まるんだ)
(過去のすれ違いも、誤解も、全部乗り越えて)
(青春って、たぶん……こういうことなんだろうな)
ルイは、そっと笑った。
そして、セリナとレオンも、同じように笑っていた。
青春が、再び始まった。
そしてそれは、もう二度と壊れない——三人だけの、かけがえのない時間だった。
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第20章「それぞれの明日」
海辺の街に、春が戻ってきた。
潮風はやさしく、空はどこまでも青く、宿屋の看板は相変わらず斜めに傾いている。ルイはその看板を見上げながら、カウンターの雑巾がけをしていた。
「……この傾き、物理法則に反してる気がする」
そうぼやきながらも、手は止めない。宿屋の朝は、いつも通りに始まる。
(世界を救った英雄が、雑巾がけしてるって、誰が信じるだろう)
(でも、僕はこれでいい。平凡で、静かで、ちょっとだけ笑える毎日)
ルイは、ふと窓の外に目をやった。
そこに、見慣れた二人の姿があった。
「おーい、ルイー! パン持ってきたよー!」
セリナが両手いっぱいに袋を抱えて走ってくる。袋の中身は、もちろんお菓子とパン。しかも、全部焦げていない。
「奇跡だ……」
「失礼な! 今日はちゃんと焼き加減を魔法で調整したの!」
「それ、魔法の使い方として正しいのかな……」
レオンはその後ろで、剣を背負いながら歩いてきた。
「お前、まだ宿屋で働いてるのか?」
「うん。皿洗いと掃除と、あと計算魔法で在庫管理してる」
「在庫管理に魔法使うなよ……」
「だって、効率いいし……」
三人は、宿屋のカウンターに並んで座った。
セリナがパンを並べ、レオンが湯を沸かし、ルイが魔法でカップを浮かせて配る。
「……なんか、冒険のときより連携取れてない?」
「それは言わない約束!」
窓の外では、旅人が荷物を背負って歩いていた。
ルイはふと、カウンター越しにその姿を見つめる。
(旅人って、いいな。知らない世界を見て、知らない人と出会って)
(でも、僕は……)
「ねえ、ルイ」
セリナが、そっと声をかけた。
「今度は、一緒に行こうよ。旅に」
「え?」
「世界を救ったんだよ? 次は、世界を見に行こうよ。三人で」
レオンが、湯気の立つカップを手に笑った。
「俺も賛成だ。守るだけじゃなくて、見てみたい。世界の広さを」
ルイは、少しだけ考えて——そして、笑った。
「うん。じゃあ、僕が旅程を計算するね。誤差は±0.01日以内で」
「それ、逆に不安なんだけど!」
三人は、笑い合った。
それは、かつてのような、でも少しだけ違う笑顔だった。
絆を知った笑顔。痛みを越えた笑顔。そして、未来を見つめる笑顔。
その夜、ルイは宿屋の屋根に寝転がって、星を見上げていた。
(僕は、最弱だった。魔力もないし、勇気もなかった)
(でも、セリナがいて、レオンがいて、僕は——)
(数字で世界を変えた。ほんの少しだけ)
「ルイー! 屋根で寝ると風邪ひくよー!」
セリナの声が、下から響く。
「うるさいー! 今、星と会話してるのー!」
「星より私と会話してー!」
「……はい」
明日が来る。
それぞれの道がある。
でも、三人は——一緒に歩いていく。
それが、彼らの選んだ未来だった。
そして、物語は静かに幕を閉じる。
けれど、彼らの青春は、まだ続いていく。
数字で世界を変えた魔法使いと、彼を信じた仲間たちの物語は——
これからも、誰かの心の中で、そっと輝き続ける。
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