駅舎は静寂に沈んでいた。 かつて朝の通勤客で賑わい、無数の足音が行き交い、電車の到着を告げるベルが響いていた場所。 今はもう誰もいない。 瓦礫と、広がる苔と、壁のひび割れから伸びた蔦だけが、新しい時間を刻んでいた。
里桜(りお)は、崩れたホームの縁で立ち止まり、胸の前で手を握り締めた。 その小さな手を、さらに小さな手が包む。 五歳の妹・凛(りん)は、不安げに姉の顔を見上げた。
「お姉ちゃん、ここ、来たことあるの?」
里桜は微笑もうとする。けれど唇が震えた。 「うん……昔ね。まだ世界が普通だった頃。ここから電車に乗って、学校に行ってたの。」
脳裏に流れ込むように蘇る―― 友達の笑い声、夕焼けのホーム、風に揺れた制服スカートの感触。 遠くから聞こえてきた、母の呼ぶ声。
そのすべてが今、目の前の光景と重なる。 欠け落ちた天井から、朝の光が滝のように射し込んでいた。 まるで失われた時間の名残を照らすように、優しく、儚く。
「みんな、どこに行っちゃったの?」 凛の震える声。
里桜は答えられない。 言葉にしてしまったら、二度と戻れない気がしたから。
代わりに、彼女は空を見上げた。 崩れた屋根の隙間からのぞく朝の空は、驚くほど澄み切っていた。 ほんの少し青みがかった白い光。 どこまでも広がっていく静かな空。
――こんなに世界は美しかったのだろうか?
人々が消えた後、世界は皮肉にも穏やかさを取り戻していた。 争いの音も、怒鳴り声も、泣き叫ぶ声も、もうどこにもない。 ただ光が降り注ぎ、風が木々を揺らし、鳥の羽ばたきが響く。
「りん、覚えていてね。 世界は……こんなにも綺麗だったって。」
凛は姉の手をぎゅっと握り、こくりとうなずいた。
その瞬間、里桜の頬を涙が伝った。 悲しくて泣いているのか、嬉しくて泣いているのか、自分でも分からなかった。 ただ胸の奥で確かに脈打つものがあった。 ――まだ終わりじゃない。 ――私たちは生きている。
風が吹いた。 光の粒子が舞い、二人の周囲に流れ落ちる滝のように煌めいた。 まるで世界が二人を包み込み、そっと背中を押してくれるようだった。
「行こう、りん。」 「うん……どこへ?」
「思い出の続きを探しに。」
二人は手を繋いだまま、光へ向かって歩き出した。 瓦礫を踏む小さな足音が、静寂に優しく響いた。 その音は、確かに未来へとつながっていく足跡だった。
――もし誰かが、遠い未来でこの場所を訪れることがあるなら ――どうか覚えていてほしい ――静かに、強く、歩み続けた二人の少女がいたことを
朝の光が、二人の影を長く伸ばし、世界の中へ飲み込んでいく。 その先に何があるのかは、誰にも分からない。 けれど、里桜はもう知っていた。
涙は、弱さではない。 生きようとする証だから。
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