錆びついた階段を、ぎしぎしと音を立てながら二人の少女が登っていく。 足元には、かつてこの国の人々を運んでいたであろう車の残骸。壁には剥がれ落ちた看板。 そのすべてが、もう二度と戻らない日常の名残だった。
息を切らせながら最後の段に足をかけると、視界が一気に開けた。 廃ビルの屋上。コンクリートは割れ、そこから無数の草花が顔を出している。 風に揺れる葉が触れ合い、小さな音を立てた。
「ねえ、凛お姉ちゃん……着いた?」
背中にしがみついていた紬が顔を上げ、かすれた声を出した。 凛は振り返り、疲れ切った表情の中にやわらかな笑みをつくる。
「うん。ほら、こっちおいで。」
二人は屋上の中央へ歩き出す。 暗闇の中、遠くの街は息を潜めたように静まり返っていた。 もう灯りのひとつも残っていない。 人々の笑い声も、自転車のベルも、学校帰りの足音も。 どれももうここには存在しない。
けれど――
顔を上げると、そこには息を呑むほどの星の海が広がっていた。 夜空いっぱいに散りばめられた光。 天の川が帯のように伸び、淡い紫と青の光が揺らめいている。 それは昔見た夜空とはまるで別物だった。 こんなにも世界は美しかったのだと、胸が締めつけられるほどの輝き。
凛はそっと背負っていた布袋を降ろす。 中から古びた紙束を取り出し、コンクリートの上に広げた。
「これ……地図?」
「そう。パパとママが使ってたやつ。……私たちが帰る場所を探すための。」
地図の紙は端が欠け、折れ目は擦り切れていた。 手描きの線、丸印、家族で訪れた場所のメモが残っている。 「ここで花火を見た」「紬が迷子になった公園」「パパの好きなパン屋」 そのすべてが、もう存在しない。
凛は小さなランタンに火を灯す。 柔らかいオレンジ色の光が、二人の顔と地図を照らした。 その光の中で、紬が指を走らせる。
「じゃあ、この星はどこから見たの?」
「きっと……この町の中心の広場から。パパがよく連れていってくれた場所。」
紬は小さくうなずき、空を見上げた。 その瞳に満天の星が映り、きらきらと光った。
「ねえ、お姉ちゃん。みんな、今どこにいるのかな。」
凛の胸が激しく締めつけられる。 紬の声には、幼い願いと絶望の狭間で揺れる震えがあった。 答えはわかっている。 けれど、口にすれば世界は完全に終わってしまう気がした。
「きっと……どこかで私たちを見てるよ。」
その声はわずかに震えていた。 紬は凛の手をぎゅっと握りしめる。 その細い指が頼りなく震えているのを、凛は感じた。
「怖いよ、凛お姉ちゃん……。 こんなに星がきれいなのに、なんで涙が出るの?」
紬の頬をひとすじの涙が伝う。 凛はそっと紬の頭を抱き寄せた。 その目にも、星が反射して涙が光っていた。
「私だって怖いよ。でもね、紬。 泣いてもいい。怖くてもいい。 だけど――止まっちゃだめ。」
凛は地図の一点を指差す。
「ここに行こう。パパとママと最後に見た景色がある丘。 あそこからなら、もっと遠くまで見えるはず。」
紬は泣き笑いの顔でうなずく。
「行こう……二人で。」
その瞬間、風が吹いた。 光の粒のような何かが空中に舞い、星の光を反射して輝く。 まるで夜空そのものが、二人を照らしてくれているようだった。
凛は立ち上がる。 まだ震えは止まらない。 それでも、その眼差しには確かな強さが宿っていた。
「生きよう。どんなに世界が終わってしまっても。 私たちは、ここで――ちゃんと生きよう。」
紬も立ち上がり、凛の手を握る。 二人の影が星明かりの下で重なる。
絶望と、圧倒的な美しさの中で。 世界は確かに終わってしまったけれど。 それでも、姉妹の旅は今、確かに始まったのだ。
星は変わらず輝き続けていた。 二人の未来を照らす灯のように。
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