◀第15話:影の観客たち — 目を細める二人
▶第19話:小さな勝利、仲間と分け合った泥だらけの笑顔
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第17話:リンネの夜、コトネの朝 — それぞれの物語 学院の中庭は、朝の柔らかな光に包まれていた。屋台から漂う焼きたてパンの匂い、鳥のさえずり、落ち葉を踏む小さな音――すべてが「日常」の温度を持っていた。リンネは紙袋を抱え、朝食を買いに行く途中だった。
ふと視線の先に、アリアの姿が見えた。柵の影に腰を下ろし、指先をとんとんと叩いている。いつもの癖。リンネの胸が、ぎゅっと高鳴った。
(……ああ、まただ。幼馴染なのに、どうしてこんなに緊張するんだろう)
彼女は思わず紙袋を握りしめた。手のひらに汗が滲み、視線を合わせる勇気が出ない。長年の片想いは、近すぎる距離のせいで余計に言葉を詰まらせる。
アリアがふと顔を上げ、無邪気に言った。 「リンネ、朝からパン? ……まさか全部一人で食べるの?」 「ち、違う! みんなの分もあるの!」 (……いや、半分は私が食べる予定だったけど!)
慌てて否定した拍子に、紙袋が傾き、パンが落ちそうになる。リンネは慌ててキャッチしたが、危うく地面に転がるところだった。 「……あぶなっ」 「器用なのか不器用なのか分からないな」 アリアの素直すぎる一言に、リンネは思わずツッコミを入れる。 「不器用って言うな! ……いや、まあ否定できないけど!」
中庭の朝は、そんな二人のやり取りで少しだけ賑やかになった。リンネの心臓はまだ早鐘のように鳴っていたが、アリアの笑顔に救われるような気持ちもあった。
(……言えないけど、やっぱり好きなんだ。幼馴染だからこそ、余計に言えないんだよね)
リンネはパンの袋をぎゅっと抱え直し、心の中で小さなため息をついた。
昼下がりの学院の回廊。リンネは紙袋を抱え、アリアに差し入れを渡そうと歩いていた。中には彼の好物の焼き菓子。幼馴染だからこそ、自然に渡せるはず――そう思っていたのに、足取りはやけに重い。
(……どうしてこんなに緊張するんだろう。幼馴染なのに。いや、幼馴染だからこそ、余計に“特別”に見えちゃうんだ)
アリアは図書館の前で本を抱えていた。声をかけるタイミングを探すリンネ。しかし、アイリスが先に駆け寄ってきて、楽しげに話しかけてしまう。リンネは一歩引いてしまった。
(……やっぱり、アイリスの存在が大きい。彼女は明るくて、みんなの中心。私は……ただの幼馴染。言えない理由は、そこにあるんだ)
それでも勇気を振り絞り、差し入れを渡そうと歩み寄った瞬間――。 「にゃっ!」 どこからともなく猫が飛び出し、紙袋に頭を突っ込んだ。焼き菓子を一つくわえて走り去る。 「ちょ、ちょっと待って!」 リンネは慌てて追いかけるが、猫は器用に路地へ消えていった。残されたのは、少し潰れた焼き菓子と、彼女の赤くなった顔。
アリアが振り返り、首を傾げる。 「……リンネ? 猫と競争?」 「ち、違う! 差し入れが……その……猫に……」 「……なるほど。猫に勝てなかったんだな」 「勝負じゃないから!」
結局、差し入れは渡せずじまい。リンネは潰れた焼き菓子を見つめ、ため息をついた。 (……不器用すぎる。どうしていつもこうなんだろう。でも、諦めたくない。幼馴染だからこそ、伝えたい気持ちがあるんだ)
小さな勇気は、猫に奪われてしまった。けれど、その失敗の中に、リンネの一途さは確かに光っていた。
学院の魔法研究室は、朝から賑やかだった。机の上には試験管や魔導器が並び、時折「ぽんっ」と小さな音を立てて泡が弾ける。そんな中、コトネは両腕いっぱいに実験道具を抱えて登場した。
「よいしょ……っと! あ、あれ? 重力制御が逆に働いてる!」 器具がふわりと浮き上がり、慌てて押さえ込む。周囲の学生が笑いながら手を貸すが、コトネは顔を真っ赤にしていた。
ふと視線を上げると、アリアがこちらを見ていた。図書を抱え、静かに観察している。目が合った瞬間、コトネの胸に幼少期の記憶が蘇った。 (……あの頃のアリアは、機械みたいに正確で、感情を見せない子だった。私はずっとライバルだと思ってた。負けたくないって)
だが今のアリアは違う。仲間と笑い合い、指先をとんとんと叩きながら考え込む姿は、昔よりも柔らかい。コトネは戸惑いを覚えた。 (……なんだろう、この違和感。理論だけの人じゃなくなってる。私の研究心が、逆に刺激される)
その時、机の上の小さな魔導器が突然「ぶしゅっ」と煙を噴き出した。 「わ、わわっ! 待って、これは予定外!」 慌てて専門用語を早口で叫ぶ。 「位相制御が逆転して、残滓干渉が……いや違う、これはただの接続ミス!」 周囲はぽかんとし、アリアだけが冷静に結界で煙を封じた。
「……落ち着け。器具が暴走しているだけだ」 「そ、そう! 暴走! いや、暴走って言うと余計に恥ずかしい!」
研究室は一瞬騒然となったが、すぐに落ち着きを取り戻した。コトネは深呼吸し、アリアの冷静な対応に胸がざわめいた。
(……やっぱり、彼はただのライバルじゃない。私が追いかけてきた“機械的アリア”とは違う。今の彼は……もっと複雑で、もっと面白い)
コトネの心に、ライバル心と別の感情が芽生え始めていた。
研究室の片隅、アリアとコトネは並んで小さな実験を始めていた。机の上には簡易結界装置と試薬瓶。アリアが理論を組み立て、コトネが好奇心いっぱいに手を伸ばす。
「じゃあ、この結界に感情を込めてみる。理論的には振幅が変わるはずだ」 アリアが淡々と説明する。指先をとんとんと叩きながら、結界を展開する。透明な膜が空気に揺らぎ、淡い光を放った。
コトネは目を輝かせた。 「感情を込める……つまり、波形の位相が非線形に変化して、残滓干渉が……」 「……早口すぎる。要は“心が揺れると魔法も揺れる”ってことだ」 「そ、そう! それ!」
彼女は試薬を結界に近づけ、短い旋律を口ずさんだ。すると、膜が柔らかく波打ち、試薬の液面がきらめいた。 「……すごい。理論だけじゃなく、感情で魔法が変わるなんて」 コトネの胸がざわめいた。昔のアリアは完璧な理論屋で、感情を排除していた。だが今の彼は、仲間と共に揺らぎを受け入れている。
(……ライバルだと思ってたのに。今は……尊敬してる。いや、それ以上に、惹かれてるのかもしれない)
その時、試薬が突然泡立ち始めた。 「わ、わわっ! 泡が止まらない!」 装置が「くしゅん」と音を立てて煙を吐き出す。 「……装置がくしゃみした?」 「そんな機能はないはず!」
二人は慌てて結界を強め、泡を封じ込めた。顔を見合わせ、同時に笑う。失敗すら、距離を縮めるきっかけになった。
コトネは心の中で呟いた。 (……彼の変化をもっと知りたい。ライバルじゃなく、仲間として。そして……それ以上として)
研究室の空気は、泡の残滓と共に温かく満ちていた。
学院の夕暮れ、中庭のベンチにリンネとコトネが並んで座っていた。偶然のようで必然のような時間。二人はそれぞれ、アリアに向ける感情を胸に抱えていた。
リンネは潰れた焼き菓子を手にしながら、苦笑いを浮かべる。 「……私、やっぱり不器用だよね。差し入れ一つまともに渡せない」 コトネは肩をすくめて笑った。 「でも、その不器用さがいいんじゃない? アリアも、そういうところを見てると思うよ」 「……ほんと?」 「ほんと。だって、私だって彼の“揺らぎ”に惹かれてるんだから」
リンネは目を丸くした。コトネの言葉は、ライバル心を超えた柔らかさを帯びていた。 (……コトネも、アリアに惹かれてるんだ。私だけじゃない。でも、それでいい。仲間だから)
コトネは逆に、リンネの一途さに微笑んだ。 (……この子は幼馴染としてずっと支えてきたんだ。私の研究心とは違うけど、同じくらい真剣なんだな)
二人の間に、奇妙な安心感が生まれた。互いに違うベクトルでアリアを見ている。リンネは片想いの温かさを、コトネは尊敬から芽生える恋心を。それぞれの想いは交わらないが、同じチームの絆として重なっていた。
遠くでアリアの声が響く。仲間を呼ぶ声。その瞬間、二人は同時に立ち上がった。 「……行こう」 「うん」
アリアの存在は、やはりチームの“軸”だった。リンネとコトネの心は違う方向から彼に向かっていたが、その軸に集まることで、仲間としての輪が強くなる。
夕暮れの学院に、次の物語の予感が静かに漂っていた。関係の深化か、摩擦か――その答えはまだ先にある。
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第18話:リアムの盾は、過去の僕を映していた 学院の訓練場は、朝露に濡れた芝生が淡く光り、並んだ標的の木人形が冷たい空気を吸い込むように立ち並んでいた。簡易結界が薄い膜を張り、朝日を反射して虹色の揺らぎを見せる。まだ眠そうな仲間たちが集まる中、リアムは一人きっちり整列点検をしていた。
「靴紐よし、鎧の留め具よし、剣の角度よし……」 彼は真剣そのもの。だが靴紐を結びすぎて足首がぎゅうぎゅうに締まり、歩こうとした瞬間に「うっ」と顔をしかめた。隣のクロスが苦笑する。 「お前、朝から自分を縛りすぎだろ」 「……規律は大事だ」 (いや、痛いのは事実だが、ここで緩めたら負けだ……!)
リアムの真面目さは、時に自分を追い詰める。だがそれも彼の性分だった。 ふと、彼の脳裏に幼少期の記憶がよぎる。神童と呼ばれたアリア。冷静で正確、感情を見せない魔法使い。リアムはその背中に憧れ、必死に追いかけてきた。 (……あの頃のアリアは、まるで機械のように完璧だった。僕はただ、その影を追うだけで精一杯だった)
しかし今、訓練場の隅で仲間と談笑するアリアは、柔らかい笑みを浮かべていた。指先をとんとんと叩きながら、アイリスの冗談に肩を揺らして笑っている。 (……変わった。いや、成長したのか? でも僕の知っている“神童”とは違う。どう受け止めればいいんだ)
朝の光の中で、リアムの胸には憧れと戸惑いが同居していた。靴紐の痛みすら、その焦燥を象徴しているようだった。
訓練場の中央で、アリアが魔法の演習をしていた。結界を展開しながら、指先をとんとんと叩く。その動きに合わせて光が柔らかく揺れ、まるで旋律のように響いていた。リアムは思わず足を止める。
(……これが今のアリア? 昔は冷徹な精密機械みたいだったのに。今は……感情を込めている?)
幼少期の記憶が蘇る。無表情で魔法陣を描き、寸分の狂いもなく詠唱を終える神童アリア。その姿に憧れ、リアムは「完璧」を目指してきた。だが今目の前にいるのは、仲間と笑い合い、魔法に感情を乗せるアリアだった。
「リアム、見てた?」 アリアが振り返り、穏やかな笑みを浮かべる。 「……あ、ああ。すごい……いや、非常に高度な感情波形制御だと思う」 真面目すぎる褒め言葉に、隣のクロスが吹き出した。 「お前、褒め方が堅すぎ! もっと普通に『すげぇ!』でいいんだよ」 「……す、すげぇ……」 慣れない言葉に顔が赤くなる。
(……僕が憧れたのは冷静で完璧なアリア。でも今の彼は違う。柔らかくて、人間らしい。どう受け止めればいいんだ? 僕はまだ“完璧”を追っているのに……)
胸の奥に焦燥が芽生える。理想と現実の齟齬。憧れが揺らぎ、戸惑いが広がる。だが同時に、仲間としてのアリアの姿が新しい価値を持ち始めていることも、リアムは薄々感じていた。
午後の訓練場は、模擬演習の緊張感に包まれていた。結界ラインが張られ、魔獣の影を模した幻影が次々と現れる。リアムは前線支援と防御配置を任され、盾役として仲間を守る立場に立った。
「防御結界、展開!」 リアムの声とともに、透明な盾が仲間の前に広がる。光の膜が揺らぎ、衝撃を受けるたびに低い音を響かせた。彼は必死に支えながら、後方の仲間に指示を飛ばす。 「クロス、右側の幻影を牽制! リンネ、補助結界を重ねて!」
だが声が硬すぎて、クロスが笑いながら返す。 「お前、軍隊の号令かよ! もっと普通に言え!」 「……普通ってなんだ!」 真面目すぎる指示は、仲間に軽くからかわれる。リアムは顔を赤くしながらも、盾を強めた。
その時、アリアが前方で新しい魔法を展開した。感情を込めた旋律のような光が広がり、幻影を包み込む。リアムは驚いた。 (……これが今のアリアの魔法。昔の冷徹な精密さとは違う。でも、仲間を守る力は確かに強い)
盾と旋律が重なり、幻影が消えていく。リアムは即座に連携を切り替え、アリアの魔法に合わせて防御を調整した。 「……よし、今だ! 突撃班、前へ!」
仲間たちが一斉に動き、模擬演習は成功に終わった。リアムは汗を拭いながら、胸の奥に複雑な感情を抱いた。憧れと戸惑い、そして仲間としての誇り。そのすべてが混ざり合っていた。
訓練が終わり、夕暮れの訓練場は静けさを取り戻していた。リアムは一人、盾を脇に置き、深く息を吐いた。汗が冷えて、胸の奥に重い感情が残っている。
(……僕が憧れていたのは“完璧なアリア”だった。冷静で、感情を排した神童の姿。でも今のアリアは違う。仲間と笑い、感情を魔法に込める。僕の理想とはかけ離れているはずなのに……なぜか、心が揺れる)
憧れが理想化した像であったことに気づく。完璧な背中を追うだけでは、自分は成長できない。今のアリアは、人間らしく揺らぎながらも仲間を支えている。その姿に価値があることを、リアムはようやく理解し始めていた。
彼は決意する。 (……僕は、憧れを盲目的に追うんじゃない。仲間を守る自分になるんだ)
その証として、リアムはアリアに差し入れを渡そうと歩み寄った。小さな包みを差し出すが、緊張で手が滑り、包みが地面に落ちる。 「……っ!」 慌てて拾い上げ、顔を真っ赤にして差し出す。 「こ、これ……訓練後の栄養補給に……」 言葉が照れくさくて噛み、アイリスが笑いをこらえる。 「リアム、真面目すぎて逆に可愛い」 「……からかわないでくれ」
不器用な一歩だったが、確かに成長の兆しだった。憧れを追うだけでなく、仲間を支える行動を選んだリアム。その決意は、夕暮れの光に静かに刻まれていた。
夜の学院訓練場。演習を終えた仲間たちが片付けを進める中、リアムは少し離れた場所から皆を見守っていた。盾を抱えた腕はまだ重いが、心は不思議と軽くなっていた。
(……僕の憧れは、もう昔の“完璧なアリア”じゃない。今の彼は仲間と笑い、感情を込めて魔法を使う。その姿を尊敬し、守りたいと思う。僕の役割は、背中を追うことじゃなく、隣で支えることだ)
アリアが仲間に声をかける。リンネが笑い、アイリスが冗談を飛ばし、クロスが大げさに叫んだ。 「リアム! 今のナイスガード! 盾の輝きが百人力だったぞ!」 「……お前、褒め方が大げさすぎる」 顔を真っ赤にしながらも、リアムは少しだけ笑った。
仲間の輪の中で、自分の不器用な行動が安心感を生んでいることに気づく。完璧ではないが、確かに役に立っている。
夜風が吹き抜け、結界の淡い光が揺らぐ。次の任務へ向けた準備が始まろうとしていた。リアムは盾を握り直し、静かに心の中で誓う。 (……僕は仲間を守る。憧れを超えて、共に歩むために)
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